推力すいりょく偏向へんこう

推力すいりょく偏向へんこう（すいりょくへんこう）とは、ロケットエンジンやジェットエンジン、スクリュープロペラなど、噴流ふんりゅうないしその反作用はんさようによって推力すいりょくを得えるメカニズムにおいて、噴流ふんりゅうの向むきを変かえることで、推力すいりょくの向むきを偏向へんこうさせることである。

航空機こうくうきでは、固定こてい翼つばさのジェット機じぇっときで、ジェットエンジンの噴流ふんりゅうの向むきをノズルで変かえることで行おこなわれる。これにより推進すいしん力りょくの一部いちぶで機体きたいを持もち上あげたり、補助ほじょ翼つばさや方向ほうこう舵かじなどの動どう翼つばさだけに頼たよらずに機体きたいの姿勢しせい制御せいぎょを行おこなうことができ、フライ・バイ・ワイヤによる制御せいぎょと組くみ合あわせれば運動うんどうの幅はばを増ますことが可能かのうになる。そのためS/VTOL性能せいのうやドッグファイト時どきの機動きどう性せいが求もとめられる軍用ぐんよう機きに実装じっそうされることが多おおい。スラスト・ベクタリング (thrust vectoring, TV) またはベクタード・スラスト (vectored thrust, VT) と呼よばれることもある。

概念がいねん[編集へんしゅう]

固定こてい翼つばさ機きの推進すいしん装置そうちはプロペラ（動力どうりょくはレシプロエンジン又またはターボプロップエンジン）かジェットエンジンであるが、これらの推進すいしん装置そうちは進行しんこう方向ほうこうの逆ぎゃく向むきにエネルギーを放出ほうしゅつし推力すいりょくを発生はっせいさせるように装着そうちゃくされている。機体きたいを浮上ふじょうさせる揚力ようりょくの大半たいはんを主翼しゅよくから得えて、機体きたいの姿勢しせい制御せいぎょ（モーメント制御せいぎょ）は尾翼びよくの舵かじや主翼しゅよくの補助ほじょ翼つばさといった動どう翼つばさを操作そうさして行おこなうのが常つねである。しかしながら、機体きたいがある程度ていどの速度そくどを持もたねば動どう翼つばさに揚力ようりょくや抗力こうりょくは発生はっせいせず、またその大おおきさ・方向ほうこうや作用さよう点てんを柔軟じゅうなんに変更へんこうすることも難むずかしい。そこで推進すいしん器きの生うみ出だす力ちからを姿勢しせい制御せいぎょや浮揚ふよう力りょく生成せいせいにも利用りようして、航空機こうくうきの運動うんどうの幅はばをより広ひろげようというのが推力すいりょく偏向へんこうを行おこなう基本きほん的てきな考かんがえ方かたである。また、短距離たんきょり離着陸りちゃくりく機きではコアンダ効果こうかを用もちいて排気はいきの方向ほうこうを変かえるアッパーサーフェスブローイングのような例れいもある。

実用じつよう化か[編集へんしゅう]

シーハリアーの排気はいきノズル。後方こうほう (0°) から真下ましも (90°) を超こえて斜ななめ前方ぜんぽうにまで角度かくど変更へんこうが可能かのうなことがわかる。

推力すいりょく偏向へんこうは小回こまわりのよさや高たかい運動うんどう性せいが求もとめられる軍用ぐんよう機きで主おもに利用りようされてきた。アイデア自体じたいは航空機こうくうきの黎明れいめい期きからあったものと思おもわれるが、実用じつよう段階だんかいに達たっし始はじめるのは第だい二に次じ世界せかい大戦たいせん以後いごのVTOL機きの開発かいはつにおいてである。離陸りりく着陸ちゃくりくの際さいには推力すいりょくで直接ちょくせつ機体きたいを持もち上あげ、水平すいへい飛行ひこう時じには推力すいりょくを進行しんこう方向ほうこうへとスイッチするデザインの機体きたいが各国かっこくで試作しさく・実験じっけんされた（詳くわしくは垂直すいちょく離着陸りちゃくりく機きを参照さんしょう）^{[注ちゅう 1]}。この種たねの機体きたいの推力すいりょく方向ほうこうの切きり替かえはティルトローターやハリアーのようにプロペラやローターあるいはジェット噴射ふんしゃの向むきを90°程度ていど回転かいてんさせて行おこなうというものが多おおい。

近年きんねんではジェット戦闘せんとう機きの運動うんどう性せい向上こうじょうのための手段しゅだんとして利用りようされている。この場合ばあい、排気はいきノズルや排気はいきパドルの向むきを制御せいぎょすることで推力すいりょく偏向へんこうを実現じつげんする^{[注ちゅう 2]}。これは第だい4世代せだい以上いじょうのジェット戦闘せんとう機きでは基本きほん的てきな要素ようその一ひとつとされている。特とくに、方向ほうこう舵かじなど空気くうき力学りきがく的てきな機体きたい制御せいぎょは超ちょう音速おんそく領域りょういきでは効果こうかが小ちいさく、超ちょう音速おんそく域いきにおいても高たかい機動きどう性せいを発揮はっきするには、推力すいりょく偏向へんこうは必須ひっすの機能きのうである。推力すいりょく偏向へんこうによるポストストール機動きどう^{[注ちゅう 3]}を行おこなうと抵抗ていこうが増ふえて運動うんどうエネルギーを急激きゅうげきに消耗しょうもうしてしまうリスクがあるため、一概いちがいに空中くうちゅう戦せんで有利ゆうりになるとはいえないが、使つかい方かた次第しだいでは空中くうちゅう戦せんの定理ていりを根底こんていから覆くつがえす可能かのう性せいを秘ひめている。

また、ステルス性せいや燃費ねんぴの面めんで注目ちゅうもくされている全ぜん翼つばさ機きの姿勢しせい制御せいぎょ方法ほうほうとしても有効ゆうこうだと考かんがえられる。ふつう全ぜん翼つばさ機きは、可動かどう翼つばさを操作そうさして風圧ふうあつ中心ちゅうしん（空気くうき力りょくの作用さよう中心ちゅうしん点てん）を移動いどうさせることでピッチング（機首きしゅの上あげ下さげ）を行おこなうことが多おおいが、水平すいへい尾翼びよくを使つかって同様どうようのことを行おこなう場合ばあいに比くらべて制御せいぎょが難むずかしい。しかし、機体きたいの上下じょうげ方向ほうこうに推力すいりょく偏向へんこうすれば比較的ひかくてき容易よういにピッチングを行おこなうことができる。もちろん、左右さゆうに推力すいりょく偏向へんこうすればヨーイング（左右さゆうの首くび振ふり）も可能かのうである。全ぜん翼つばさ機きではないが、無む尾翼びよくの実験じっけん機きX-36はヨーイングに推力すいりょく偏向へんこうを利用りようしていた。

飛行船ひこうせんの多おおくは上昇じょうしょうの補助ほじょとして上下じょうげに稼働かどうするエンジンポッドを備そなえている。

採用さいよう例れい[編集へんしゅう]

航空機こうくうき[編集へんしゅう]

主おもにS/VTOL性能せいのうを追求ついきゅうしたもの

ハリアーシリーズ: イギリスのホーカー・シドレーが開発かいはつした世界せかい初はつの実用じつようVTOLジェット戦闘せんとう機きで、アメリカ海兵かいへい隊たいでも使用しようされている。; エンジン(ロールス・ロイスペガサス)は1基きだが排気はいきノズルは4つあり、それらを回転かいてんさせることで推力すいりょく方向ほうこうを転換てんかんし、垂直すいちょく離着陸りちゃくりくと水平すいへい飛行ひこうを実現じつげんする。
Yak-38: ソ連それんのヤコヴレフ設計せっけい局きょくで開発かいはつされたVTOL艦載かんさい攻撃こうげき機き。ハリアーとは異ことなり主しゅエンジンの他ほかにリフトエンジン2基きを備そなえており、垂直すいちょく離着陸りちゃくりく時じには前部ぜんぶ荷重かじゅうをリフトエンジンが、後部こうぶ荷重かじゅうを推力すいりょく偏向へんこうした主しゅエンジンが支ささえる。
Yak-141: ソ連それん（開発かいはつ中ちゅうに崩壊ほうかいしロシア連邦れんぽうとなった）のヤコブレフ設計せっけい局きょくで開発かいはつされていたVTOL艦載かんさい戦闘せんとう機き。Yak-38の後継こうけいとして開発かいはつされ、世界せかい初はつの超ちょう音速おんそくVTOL機きとなる予定よていであったが、試作しさく機きの事故じこやソ連それん崩壊ほうかいによる財政難ざいせいなんなどの理由りゆうにより開発かいはつは中止ちゅうしされた。なお、推力すいりょく偏向へんこうノズルの技術ぎじゅつが売却ばいきゃくされ、F-35Bの開発かいはつに活いかされたという情報じょうほうがあるが、誤報ごほうである。
V-22: アメリカのベルとボーイングが開発かいはつし、初はじめて実用じつよう段階だんかいに達たっしたティルトローター機き。主翼しゅよく端はしに取とり付つけられたローターとターボシャフトエンジンが転回てんかいして推力すいりょくの方向ほうこうを変かえる。ヘリコプター的てきな運用うんようが可能かのうな一方いっぽうで高速こうそく・長距離ちょうきょり巡航じゅんこう能力のうりょくといった固定こてい翼つばさ機きの利点りてんも持もち合あわせている。
F-35B: アメリカのロッキード・マーティンを中心ちゅうしんに国際こくさい協同きょうどう開発かいはつのステルス性せいを備そなえたマルチロール機き。S/VTOL性能せいのうがあるのはB型がたで、Yak-141と同様どうように排気はいきダクトを約やく90°まで屈曲くっきょくさせることができる。垂直すいちょく離着陸りちゃくりくの際さいは機体きたい前部ぜんぶに積つまれたファンをエンジンからシャフトで駆動くどうする。

主おもに飛行ひこう時じの運動うんどう性せいを追求ついきゅうしたもの

Su-37: ロシアのスホーイが開発かいはつした戦闘せんとう機き。Su-27Mの発展はってん型がたで、ピッチ方向ほうこうに対たいして推力すいりょく偏向へんこう可能かのうなノズルを持もつ。Su-27由来ゆらいの運動うんどう性せいの高たかさに加くわえ、さらにカナード（前ぜん翼つばさ）と推力すいりょく偏向へんこうのコンビネーションにより従来じゅうらいの航空機こうくうきでは考かんがえられないような機動きどうを実現じつげんした^[1]。また、Su-37の技術ぎじゅつが転用てんようされたSu-30MKI系列けいれつ（インド向むけのSu-30MKI、アルジェリア向むけのSu-30MKA（英語えいご版ばん）、マレーシア向むけのSu-30MKM、ロシア本国ほんごく仕様しようのSu-30SM）にも同様どうようのノズル(ただし、後うしろから見みると、左右さゆうのノズルが逆ぎゃく「ハ」の字じを描えがくように動うごく)が搭載とうさいされている。
Su-57: ロシアのスホーイが開発かいはつした戦闘せんとう機き。ピッチ方向ほうこうに16度ど、ヨー方向ほうこうに20度どに偏向へんこう可能かのうなノズルを持もち、高たかい機動きどう性せいを実現じつげんした。また、同様どうようのノズルがSu-57よりフィードバックを受うけたSu-35にも搭載とうさいされている。
MiG-35とMiG-29 OVT: ロシアのミグが開発かいはつした戦闘せんとう機き。上下じょうげ18度ど、左右さゆう5度どの2軸じく仕様しよう推力すいりょく偏向へんこうノズルを備そなえる。世界せかい初はつとなるダブルクルビットや、ピッチアップ角かく80度ど以上いじょうで直進ちょくしんする（機体きたいの腹はら側がわに前進ぜんしんする）ロースピードホバリングなどの曲芸きょくげい機きさながらの飛行ひこうを実施じっしした。
F-15S/MTD と F-15 ACTIVE: マクドネル・ダグラスF-15にカナードや推力すいりょく偏向へんこうノズルを備そなえた実験じっけん機き。S/MTDではピッチ方向ほうこうの、ACTIVE ではピッチ・ヨー両方向りょうほうこうの推力すいりょく偏向へんこうが可能かのうになっている。
F-22: ロッキード・マーティンが開発かいはつしたアメリカの主力しゅりょく戦闘せんとう機き。ピッチ方向ほうこうに±20°まで偏向へんこう可能かのうなパドルを備そなえている。これにより運動うんどう性せいが高たかまり、Jターンやコブラ、クルビットといった機動きどうも可能かのうである。
X-31: アメリカがドイツなどと共同きょうどうで開発かいはつし、ロックウェルが製造せいぞうしたパドル式しき推力すいりょく偏向へんこう装置そうちを備そなえた実験じっけん機き。パドル式しきは3枚まいのパドル（板いた）によって推力すいりょく偏向へんこうノズルより簡便かんべんな動作どうさでピッチ方向ほうこうとヨー方向ほうこうに推力すいりょくを偏向へんこうすることができる。
F-18 HARV: NASAのLangley Research Centerが将来しょうらい航空機こうくうきの高こう迎むかえ角かく飛行ひこう特性とくせいを改善かいぜんするためのデータを取得しゅとくを目的もくてきとした高こう迎むかえ角かく飛行ひこうの研究けんきゅう機き。X-31と同様どうように片方かたがた3枚まい合あわせて6枚まいのパドルでピッチ方向ほうこうとヨー方向ほうこうに推力すいりょくを偏向へんこうする。
X-36: マクドネル・ダグラスとNASAが開発かいはつした次世代じせだい戦闘せんとう機き用ようの飛行ひこう技術ぎじゅつ検証けんしょうのための実験じっけん機き。ヨー方向ほうこうの推力すいりょく偏向へんこう能力のうりょくを持もち合あわせており^[2]、カナードやスプリットエルロンとの組くみ合あわせによる運動うんどう性せいは検証けんしょう対象たいしょうの一ひとつであった。28 %スケールの無人むじん研究けんきゅう機きが製作せいさくされたのみで、実機じっきは無ない。
X-2: 日本にっぽんの防衛ぼうえい省しょう技術ぎじゅつ研究けんきゅう本部ほんぶが三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうを主おも契約けいやく企業きぎょうとして開発かいはつしている先進せんしん技術ぎじゅつ実証じっしょう機き。X-31と同様どうように3枚まいのパドルによって推力すいりょくを偏向へんこうする^[3]。

ミサイル[編集へんしゅう]

「ミサイルの飛翔ひしょう制御せいぎょ方式ほうしき#スラスト・ベクター・コントロール」を参照さんしょう

ロケット[編集へんしゅう]

液体えきたいロケットでは、エンジン全体ぜんたいをジンバル機構きこうで傾かたむけることにより推力すいりょくを偏向へんこうする。固体こたいロケットの場合ばあいは、ノズルを油圧ゆあつや電動でんどうアクチュエータで傾かたむけることにより推力すいりょくを偏向へんこうする方式ほうしきと、ノズル内ないに液体えきたいを噴射ふんしゃすることにより推力すいりょくを偏向へんこうする方式ほうしきがある。

船舶せんぱく[編集へんしゅう]

大半たいはんの船舶せんぱくは、プロペラが生うみ出だした水流すいりゅうを舵かじに当あてたり、アジマススラスターのように推進すいしん装置そうち自体じたいを動うごかすなど、何なんらかの推力すいりょく偏向へんこうを行おこなっているが、元々もともとそのような構造こうぞうなので、わざわざ推力すいりょく偏向へんこうとは言いわない事ことが多おおい。

タグボートやしんかい6500などの深海しんかい探査たんさ艇ていなどが、アジマススラスターを使つかっている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

[脚注きゃくちゅうの使つかい方かた]

注釈ちゅうしゃく

^ 通常つうじょうVTOL機きとは呼よばれないが、ヘリコプターもそのような機体きたい開発かいはつの流ながれの中なかで生うまれた。ヘリコプターのローターは回転かいてん面めんを傾かたむけることで浮揚ふよう力りょくと推進すいしん力りょくを生うみ出だしているので、広ひろい意味いみでは推力すいりょく偏向へんこうの一種いっしゅと言いえる。
^ 運動うんどう性せい向上こうじょうのために推力すいりょく偏向へんこうが利用りようされるようになったのは、偏向へんこう機構きこうの研究けんきゅうや大だい推力すいりょくエンジンの開発かいはつが進すすんだこともあるが、何なによりフライ・バイ・ワイヤとコンピュータを用もちいた飛行ひこう制御せいぎょシステムが発展はってんしたことが大おおきい。
^ 高こう迎むかえ角かく時じにおける失速しっそく状態じょうたいで行おこなう機動きどうの事こと。有名ゆうめいなものにはコブラがある。

出典しゅってん

^ [1] - サイト「Aviapedia」内ないのトピックであり、Su-37の高たかい機動きどう性せいがわかるビデオもダウンロード可能かのう。
^ “X-36計画けいかくのプロジェクトマネージャによるスライド” (PDF) (英語えいご). 2006年ねん12月1日にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ。2007年ねん11月15日にち閲覧えつらん。
^ “最新さいしんステルス機き、全部ぜんぶ見みせます－Ｘ－２、初はつのフル公開こうかい”. 産経新聞さんけいしんぶん (2019年ねん11月26日にち). 2019年ねん11月26日にち閲覧えつらん。