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漱石そうせきやまぼうふゆ

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漱石そうせきやまぼうふゆ
作者さくしゃ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ掌編しょうへん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつサンデさんで毎日まいにち1923ねん1がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろくひゃくそうこう
出版しゅっぱんもと 新潮社しんちょうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1924ねん9月
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
テンプレートを表示ひょうじ

漱石そうせきやまぼうふゆ』(そうせきさんぼうのふゆ)は芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ短編たんぺん小説しょうせつ掌編しょうへん小説しょうせつ)である。1923ねん大正たいしょう12ねん)1がつに、『サンデさんで毎日まいにち』に掲載けいさいされた。夏目なつめ漱石そうせきについての回想かいそうつづった作品さくひんである。

芥川あくたがわにはこのほかに、漱石そうせきを「さうしてそのつくえのちまいかさねた座蒲団ざぶとんうえには、何処どこ獅子ししおもえはせる、脊のひく半白はんぱく老人ろうじんが、あるい手紙てがみふではしらせたり、あるい唐本とうほん詩集ししゅうを飜えしたりしながら、端然たんぜんひとすわつてゐる」と描写びょうしゃした「漱石そうせきやまぼうあき」(1920ねん大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん』)や、漱石そうせき葬儀そうぎときのことをいた「葬儀そうぎ」(1917ねんしん思潮しちょう』)といった作品さくひんがある。

内容ないよう

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漱石そうせきいえ漱石そうせきやまぼう)をおとずれたなんかのおもかれる。漱石そうせきぼつ、M(漱石そうせきむすめ結婚けっこんした松岡まつおかゆずる)に案内あんないされて、かつておとずれた部屋へや感慨かんがいにふける。大学生だいがくせい時代じだい芥川あくたがわがK(久米くめ正雄まさお)と最初さいしょ漱石そうせきおとずれたとき漱石そうせきは「自分じぶんはまだ生涯しょうがいさんしか万歳ばんざいを唱へたことはない」というはなしをして、芥川あくたがわらは部屋へやさむさにふるえていた。べつには漱石そうせきから「ぶんうれつてこうを餬するのもい。しかしかいかた商売しょうばいである。それを一々いちいち註文ちゅうもんどおり、けてゐてはたまるものではない。ひんためならばうさぎかくも、つつしむべきものは濫作らんさくである」という助言じょげんをうけたことがしるされる。漱石そうせき没後ぼつご漱石そうせきやまぼうおとずれたとき家族かぞくから、部屋へやさむさにたいして漱石そうせきが「京都きょうとあたりの茶人ちゃじんいえくらべてきゅうへ。天井てんじょうあなだらけになつてゐるが、うさぎかくぼく書斎しょさい雄大ゆうだいだからね」と傲語していたはなしく。「あないまでもいた儘である。」

外部がいぶリンク

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