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たてまつきょうじん

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たてまつきょうじん
作者さくしゃ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ三田みた文学ぶんがく1918ねん9がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろく傀儡かいらい
出版しゅっぱんもと 新潮社しんちょうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1919ねん1がつ15にち
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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たてまつきょうじん』(ほうきょうにんのし)は、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ1918ねん大正たいしょう7ねん)に『三田みた文学ぶんがく誌上しじょう発表はっぴょうした小説しょうせつ安土あづち桃山ももやま時代じだい長崎ながさき舞台ぶたいに、周囲しゅうい誤解ごかい偏見へんけんから教会きょうかい追放ついほうされたキリシタンかたを、キリシタンばんの『天草あまくさほん平家へいけ物語ものがたり』で使用しようされている安土あづち桃山ももやま時代じだい京阪けいはん地方ちほうはな言葉ことばえがいた作品さくひんである。『きりしとほろじょう人伝ひとづて』とともに、芥川あくたがわ小説しょうせつにおけるジャンル「切支丹きりしたんぶつ」の傑作けっさくとされる。

長崎ながさき教会きょうかい「さんた・るちや」に寄宿きしゅくする美少年びしょうねん「ろおれんぞ」は、誤解ごかい偏見へんけんから教会きょうかい追放ついほうされたが、教会きょうかい大火たいかにあったとき、のこされたあかぼうていしてたす絶命ぜつめいした。芥川あくたがわおもんじた「刹那せつな感動かんどう」が表現ひょうげんされている。

日本にほんテレビ系列けいれつ住友生命すみともせいめい 青春せいしゅんアニメ全集ぜんしゅうないでアニメされている。

あらすじ[編集へんしゅう]

長崎ながさき教会きょうかい「さんた・るちあ」に、「ろおれんぞ」という美少年びしょうねんがいた。かれ自身じしん素性すじょう周囲しゅういわれても、故郷こきょうは「はらいそ」(天国てんごく)、ちちは「でうす」(天主てんしゅ)とわらってこたえるのみだったが、その信仰しんこうかたさは教会きょうかい長老ちょうろうしたくほどだった。ところが、かれをめぐって不義ふぎ密通みっつううわさつ。教会きょうかいかよかさむすめが、ろおれんぞにおもいをせて色目いろめ使つかうのみならず、かれ恋文こいぶみわしているというのである。長老ちょうろうしゅ苦々にがにがしげにろおれんぞをめるが、かれ涙声なみだごえ潔白けっぱくうったえるばかりだった。

ほどなく、かさむすめ妊娠にんしんし、父親ちちおや長老ちょうろうまえで「はら父親ちちおやは『ろおれんぞさま』」と宣言せんげんする。みなからあいされていたろおれんぞも、姦淫かんいんつみによって破門はもん宣告せんこくされ、教会きょうかいされる。身寄みよりのかれ乞食こじき同然どうぜん姿すがた長崎ながさきまち彷徨ほうこううことになったが、その境遇きょうぐうにあっても、信者しんじゃからうとんじられようとも、教会きょうかいあしはこんでいのるのだった。一方いっぽうかさむすめつきちて、たまのようなおんなむ。ろおれんぞをにくかさおきなも、さすがに初孫はつまごにはかおをほころばせるのだった。

そんなある長崎ながさきまち大火たいか見舞みまわれる。かさおきなむすめほのおなかからくもすが、一息ひといきついたところで赤子あかごがるいえきざりにしたことにがつき、はん狂乱きょうらんとなる。そこにろおれんぞがあらわれてほのおなかむ。この行動こうどうたてまつきょうじんしゅは、いよいよろおれんぞこそが赤子あかご父親ちちおやであったのだと確信かくしんする。赤子あかごすくしたろおれんぞだが、みずからはくずれてきたはりしつぶされ、瀕死ひんし重傷じゅうしょうってしまう。

かさむすめは、伴天連ばてれんたいし、赤子あかごしん父親ちちおやはろおれんぞではなく隣家りんかの「ぜんちよ」(異教徒いきょうと)であること、自分じぶん恋心こいごころこたえてくれないろおれんぞへのうらみからうそをついていたことを「こひさん」(懺悔ざんげ)する。口々くちぐちに「まるちり」(殉教じゅんきょう)とのこえげるたてまつきょうじんしゅはろおれんぞの最後さいご秘密ひみつたりにする。やぶれたろおれんぞのころも隙間すきまからは、きよらかな一対いっつい乳房ちぶさのぞいていた。ろおれんぞはおんなであった。

備考びこう[編集へんしゅう]

芥川あくたがわ小説しょうせつ末尾まつびで、『たてまつきょうじん』のモチーフを「長崎ながさき耶蘇やそかい出版しゅっぱんいちしょ『れげんだ・おうれあ』下巻げかんだいしょうる」としるし、詳細しょうさい書誌しょし情報じょうほう記述きじゅつしている[1]。『レゲンダ・アウレア』は西欧せいおうせい人伝ひとづてとして実際じっさい存在そんざいする書物しょもつだが、芥川あくたがわ長崎ながさき出版しゅっぱんされたという『れげんだ・おうれあ』はあくまでも芥川あくたがわ創作そうさくした架空かくう書物しょもつである[注釈ちゅうしゃく 1]

しかしこの小説しょうせつ発表はっぴょうともに『れげんだ・おうれあ』は実在じつざいする奇書きしょとして一大いちだいセンセーションをこした。ロシア文学ぶんがく紹介しょうかいしゃ内田魯庵うちだろあんは、芥川あくたがわたいし『れげんだ・おうれあ』のうちもうんだが、芥川あくたがわは「みぎまった出鱈目でたらめ小説しょうせつにてこう」と返答へんとうし、魯庵はおどろきのあまり呆然ぼうぜんとしたと述懐じゅっかいしている[2]。魯庵によれば、言語げんご学者がくしゃ新村しんむらいずるだまされかけて芥川あくたがわわせの手紙てがみこうとしていたという[3]。ただし新村しんむら自身じしんは、初出しょしゅつんでおらず新聞しんぶん報道ほうどうはじめて顛末てんまつった、として否定ひていしている[4]。また、蒐書としてもられる地質ちしつ学者がくしゃ和田わだくも(維四ろう)もひとかいして譲渡じょうと交渉こうしょうおこなったが、虚構きょこう種本たねほんだったと憤慨ふんがいしたという[1][注釈ちゅうしゃく 2]。このほか本間ほんま久雄ひさおは、1918ねん9がつ10にちづけ時事新報じじしんぽう』でほんさくげ、芥川あくたがわが『れげんだ・おうれあ』の内容ないようをそのままうつしたものとおもんで「作者さくしゃ独自どくじ解釈かいしゃくなり、創意そういなりをへたものをもとめたい」と批判ひはんしている[6]

内田魯庵うちだろあんは、だまされるひと続出ぞくしゅつした背景はいけいとして、当時とうじ、イエズスかいばん太平たいへい抜書ぬきがき』や『こんてむつすむんぢ』(『キリストにならいて』)などが相次あいついで発見はっけん紹介しょうかいされていたため、未知みちのキリシタン文献ぶんけんがさらに発見はっけんされるのではないかという期待きたいたかまっていたことを指摘してきしている[7]

芥川あくたがわ1925ねん大正たいしょう14ねん)の『風変ふうがわりな作品さくひんいて』のなかで『たてまつきょうじん』を「全然ぜんぜん自分じぶん想像そうぞう作品さくひん」と断言だんげんしているが[8]、その種本たねほんについては諸説しょせつがあった[2]ひいらぎげんいち石田いしだ憲次けんじ上田うえだあきら三好みよし行雄ゆきおらは『レゲンダ・アウレア』の「ひじりマリナつて」との相似そうじてん着目ちゃくもくし、芥川あくたがわ蔵書ぞうしょ書簡しょかんなどの検証けんしょうおこない、『たてまつきょうじん』は『レゲンダ・アウレア』の英語えいご抄訳しょうやくばんと、スタイシェンちょせい人伝ひとづて[9]参照さんしょうして執筆しっぴつされたというせつ確実かくじつられるようになった[2]

ただし、「せいマリナでん」ではマリナが男装だんそうして修道院しゅうどういんはいった理由りゆう最初さいしょからあきらかにされており、結末けつまつも、マリナが病死びょうしするにおよんで女性じょせいであったことが判明はんめいする、というものであったのにたいし、芥川あくたがわは、ろおれんぞの正体しょうたい読者どくしゃにも結末けつまつまでせておき、クライマックスに火事かじ場面ばめんってくるなどの独自どくじせいしめしている[10]

改稿かいこう[編集へんしゅう]

ほんさく初出しょしゅつ単行本たんこうぼんとで若干じゃっかん異同いどうがある。

初出しょしゅつには、『れげんだ・おうれあ』はぜんかんで、上巻じょうかんとびらには「出世しゅっせ以来いらいせんひゃくきゅうじゅうろくねん慶長けいちょう元年がんねんさんがつ上旬じょうじゅん鏤刻るこく也」、下巻げかんとびらには「がつ中旬ちゅうじゅん鏤刻るこく也」としるされている、とされていた。だが、はやしわかじゅ新村しんむらいずるから、慶長けいちょう改元かいげんは10月27にちグレゴリオれき1596ねん12月16にち)なので「慶長けいちょう元年がんねんさんがつ」はありえない日付ひづけであることを指摘してきされ、単行本たんこうぼんへの収録しゅうろくさいして「慶長けいちょうねん」と修正しゅうせいした。だが、「出世しゅっせ以来いらいせんひゃくきゅうじゅうろくねん」は修正しゅうせいされなかったので、西暦せいれきれき年代ねんだいわないことになった[4]

また、「ろおれんぞ」も初出しょしゅつは「ろおらん」であったが、新村しんむらいずるから「ロオランもあそこはロレンソとうんふべきである」と指摘してきされて修正しゅうせいしたものである[4][11]新村しんむらは『れげんだ・おうれあ』についても「『れぜんだ・あうれや』とませるほうさらにまことらしくえてよかつたものをとおもふ」とべているが、こちらは修正しゅうせいされていない[4]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ほんさくのほか、『きりしとほろじょう人伝ひとづて』(1919ねん)にも「切支丹きりしたんばん「れげんだ・おうれあ」」として登場とうじょうする。
  2. ^ 芥川あくたがわ書翰しょかんなかで「東洋とうようせいげい株式会社かぶしきがいしゃとかの社長しゃちょうさんがひゃくえんさんひゃくえんゆずつてくれつてたにはおどろきました」(1918ねん9がつ22にちづけ小島こじま政二郎まさじろうあて書簡しょかん[5])としるしている。これは和田わだ維四ろう息子むすこで、せいげい出版しゅっぱん合資ごうし会社かいしゃ社長しゃちょうであった和田わだ幹男みきおのこととおもわれる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 磯貝いそがい勝太郎かつたろう. “歴史れきし小説しょうせつ種本たねほん - だいしょう 歴史れきし文学ぶんがく作品さくひんにおける虚構きょこう種本たねほん”. 日本にっぽんペンクラブ電子でんし文藝ぶんげいかん. 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽんペンクラブ. 2021ねん6がつ9にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c 山中さんちゅう 2012, pp. 143–150.
  3. ^ 内田うちだ 1985, p. 436.
  4. ^ a b c d 新村しんむら 1973, pp. 87–88.
  5. ^ 芥川あくたがわ 1997, p. 235.
  6. ^ 芥川あくたがわ 1997, p. 408.
  7. ^ 内田うちだ 1985, pp. 433–434.
  8. ^ 風変ふうがわりな作品さくひんいて』:新字しんじきゅう仮名かめい - 青空あおぞら文庫ぶんこ, 2021ねん6がつ9にち閲覧えつらん
  9. ^ 斯定筌武市たけいちまこと太郎たろうひじりマリナ」『せい人伝ひとづて』1903ねん、291-301ぺーじdoi:10.11501/824765国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:000000467479https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/824765/1532021ねん6がつ9にち閲覧えつらん 
  10. ^ 関口せきぐちあんよし へん芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけしん辞典じてん翰林かんりん書房しょぼう、2003ねん12月18にち、553-554ぺーじISBN 978-4877371791 
  11. ^ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ地獄変じごくへん たてまつきょうじんだい3かん新版しんぱん)、岩波書店いわなみしょてん芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ全集ぜんしゅう〉、1996ねん1がつ10日とおか、367ぺーじISBN 978-4000919739 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]