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侏儒しゅじゅ言葉ことば

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
侏儒しゅじゅ言葉ことば
作者さくしゃ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 随筆ずいひつ評論ひょうろん警句けいくしゅう
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう1923ねん1月創刊そうかんごう-1925ねん11月ごう1927ねん9がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
出版しゅっぱんもと 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1927ねん12月6にち
装画そうが 小穴おあな隆一りゅういち
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
テンプレートを表示ひょうじ

侏儒しゅじゅ言葉ことば』(しゅじゅのことば)は、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ随筆ずいひつ警句けいくしゅう大正たいしょう12ねん(1923ねん)から、芥川あくたがわ自殺じさつとしである昭和しょうわ2ねん(1927ねん)にかけてかれた。また、文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃ雑誌ざっしに、1923ねん1がつごうから1925とし11がつごうにかけて連載れんさいされた。なお、1939ねん昭和しょうわ14ねん)に軍人ぐんじん侮辱ぶじょくしているという理由りゆうつぎばん改訂かいてい処分しょぶんけている。

題名だいめいの「侏儒しゅじゅ」とはからだちいさいひと、また知識ちしきのないひと蔑称べっしょう[1]。また俳優はいゆう異称いしょうでもある。

内容ないよう[編集へんしゅう]

「『侏儒しゅじゅ言葉ことば』はかならずしもわたしの思想しそうつたえるものではない。ただわたしの思想しそう変化へんか時々ときどきうかがわせるのにぎぬものである。一本いっぽんくさよりもひとすじの蔓草つるくさ、――しかもその蔓草つるくさいくすじもづるばしているかもれない。」

という「侏儒しゅじゅ言葉ことばついで[2]はじまり、

ねむりはよりも愉快ゆかいである。すくなくとも容易よういにはちがいあるまい。(昭和しょうわ改元かいげんだいにち)」

という「あるよる感想かんそう」でわる。

たとえば、「危険きけん思想しそう」の

危険きけん思想しそうとは常識じょうしき実行じっこううつさうとする思想しそうである。」

や「ユウトピア」の

完全かんぜんなるユウトピアのうまれない所以ゆえん大体だいたいとおりである。――人間にんげんせいそのものをえないとすれば、完全かんぜんなるユウトピアのまれるはずはない。人間にんげんせいそのものをえるとすれば、完全かんぜんなるユウトピアとおもったものもたちまちまた不完全ふかんぜんかんぜられてしまう。」

などのようにみじか文句もんくなが文章ぶんしょうもある)がふしとしてまとまった形式けいしきっている。

芥川あくたがわ晩年ばんねん作品さくひんとして有名ゆうめい月刊げっかん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』に1923ねん大正たいしょう12ねん)1がつから毎月まいつきのように巻頭かんとうかざった(「作家さっか」まで)。「弁護べんご以下いかあるよる感想かんそう」までは、遺稿いこうとして同誌どうし1927ねん昭和しょうわ2ねん)9がつごう掲載けいさいされた[3]アンブローズ・ビアスの「悪魔あくま辞典じてん」に影響えいきょうけた作品さくひんとされる。ちなみにビアスを最初さいしょ日本にっぽん紹介しょうかいしたのは芥川あくたがわだった。またアナトール・フランスの「エピクロスのえん」を土台どだいつくられた作品さくひんとされる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ しゅ‐じゅ【侏儒しゅじゅ朱儒しゅじゅ コトバンク
  2. ^ 侏儒しゅじゅ言葉ことば」のじょ青空あおぞら文庫ぶんこ
  3. ^ 新潮しんちょう文庫ぶんこ侏儒しゅじゅ言葉ことば西方せいほうひと』の「解説かいせつ」(吉田よしだ精一せいいち)による

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]