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南京なんきん基督きりすと

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南京なんきん基督きりすと
わけだい The Christ Of Nanking
作者さくしゃ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ中央公論ちゅうおうこうろん1920ねん7がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろく夜来やらいはな
出版しゅっぱんもと 新潮社しんちょうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1921ねん3月14にち
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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南京なんきん基督きりすと』(ナンキンのキリスト)(えいだい:The Christ Of Nanking)は、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ短編たんぺん小説しょうせつ中国ちゅうごく南京なんきん舞台ぶたいにしたキリスト教きりすときょう信者しんじゃ少女しょうじょ娼婦しょうふ物語ものがたり梅毒ばいどくおかされ、きゃくをとるのをめていた少女しょうじょきむはなまえあらわれたキリスト外国がいこくじんとの一夜いちや出来事できごとと、そのかねはな日本人にっぽんじん旅行りょこうとの対話たいわえがかれている。

なお、この作品さくひんには〈ほんへんそうするにあたり、谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうさくはた淮(しんわい)の一夜いちや」にしょ尠(すくな)からず。附記ふきして感謝かんしゃあらわす。〉との謝辞しゃじされて、谷崎たにざき小説しょうせつ依拠いきょしたことがしめされているが、正確せいかく作品さくひんめいは『はた淮のよる』である[1][注釈ちゅうしゃく 1]

1920ねん大正たいしょう9ねん)、雑誌ざっし中央公論ちゅうおうこうろん』7がつごう掲載けいさいされ、翌年よくねん1921ねん大正たいしょう10ねん)3がつ14にち新潮社しんちょうしゃより刊行かんこうの『夜来やらいはな』に収録しゅうろくされた。1995ねん平成へいせいねん)に香港ほんこん日本にっぽん合作がっさく同名どうめい映画えいが製作せいさくされた。この作品さくひんそうきんはなえんじた富田とみた靖子やすこだい8かい東京国際映画祭とうきょうこくさいえいがさい最優秀さいゆうしゅう女優じょゆうしょう受賞じゅしょうした。

あらすじ

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南京なんきん敬虔けいけんキリスト教徒きりすときょうとで、気立きだてのやさしい15さい私娼ししょうそうきんはなは、悪性あくせい梅毒ばいどくにかかってしまう。おな娼婦しょうふ仲間なかまから「きゃくにうつせばなおる」という迷信めいしんじみた療法りょうほうおしえられたものの、キリストおしえにそむくことになると、きゃくをとらずにかたくなにこばんでいた。あるばん彼女かのじょのもとへキリストに外国がいこくじんおとこがやってた。当初とうしょこばんでいたきむはなだが、キリストとだぶるそのおとこいだかれた。そのばんきむはなゆめなかにキリストがあらわびょういやした。ましたきむはなは、あのひとがキリストだったのだとおもった。

翌年よくねんはる、そのはなしきむはなからいたいの日本人にっぽんじん旅行りょこうしゃは、そのキリストにおとこ日米にちべいハーフのGeorge Murryではないかとかんがえる。そのおとこ南京なんきん娼婦しょうふい、かねはらわずげたことを自慢じまんしていたのだった。日本人にっぽんじん旅行りょこうしゃはそのことをきむはなおうか、だまっていようか思案しあんしながら、きむはなにその病状びょうじょうたずねた。きむはなくられとかおかがやかせて、そのいちわずらいがないことをげた。

登場とうじょう人物じんぶつ

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そうきむはな
15さい。5さいのときにはは影響えいきょう洗礼せんれいける。ははくし、病床びょうしょうちちやしなうため、南京なんきんもちがいあるいえいちあいだ娼婦しょうふをしている。
日本人にっぽんじん旅行りょこうしゃ
上海しゃんはい競馬けいばのち南京なんきん希望きぼうがいり、きむはな部屋へやおとずれた。そのとき翡翠かわせみイヤリングきむはなわたす。いにみちとおるロイテル電報でんぽうきょく通信員つうしんいんがいる。
ちんやまちゃ
商売しょうばい仲間なかまおんな
もう迎春げいしゅん
商売しょうばい仲間なかまおんな
キリストおとこ
あるばん泥酔でいすいした状態じょうたいきむはな部屋へやまよみ、交渉こうしょうすえ彼女かのじょいちともにする。そのきんはなているあいだかねはらわず姿すがたをくらます。
George Murry
日米にちべいハーフ。英字えいじ新聞しんぶん通信員つうしんいんおもわれるおとこ男振おとこぶりに似合にあわないひとわる人間にんげん娼婦しょうふかねはらわずげたことを自慢じまんしていた。その悪性あくせい梅毒ばいどくから発狂はっきょう

作品さくひん評価ひょうか解釈かいしゃく

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南京なんきん基督きりすと』は谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうの『はた淮のよる』に依拠いきょしているが、フローベールの『ひじりジュリアン』の文学ぶんがくてき技法ぎほう描写びょうしゃほう影響えいきょうもあるのではないかと西原にしはら大輔だいすけ考察こうさつしている[2]

なお、『南京なんきん基督きりすと』は芥川あくたがわ技巧ぎこうえた傑作けっさく短編たんぺんひとつとして、評価ひょうかたか作品さくひんであるが、その一方いっぽうで、よく出来でき作品さくひんながらも、前作ぜんさくあき』でせっかく近代きんだい心理しんり小説しょうせつあたらしい転換てんかんはかったのに、また以前いぜん特異とくい作風さくふうになったことをしむ久米くめ正雄まさおひょうもある[3]

三島みしま由紀夫ゆきおは『南京なんきん基督きりすと』を、「じつによく出来できた、じつ芥川あくたがわてき短篇たんぺん」としながらも、「古典こてんてき名作めいさく」とされているこういった作品さくひんが、案外あんがい芥川あくたがわのもので一等いっとうはやふるびさうにおもへる」とし[4]、その理由りゆうを、芥川あくたがわ本来ほんらいてきっているナイーブさがられないという主旨しゅし以下いかのように解説かいせつしている[4]

それはあながち、いちへん主題しゅだいの、アナトオル・フランスてき悠々ゆうゆうたるシニシズムのためばかりではない。じゅうきゅう世紀せいき趣味しゅみ物語ものがたり手法しゅほうのためばかりではない。たやうな手法しゅほう谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう初期しょき作品さくひんくらべると、短篇たんぺん技巧ぎこうでは谷崎たにざきのはうが粗雑そざつかもしれないが、あの悪童あくどう泥絵具どろえのぐおもちやにしてゐるやうなヴァイタリティーがここにはない。「南京なんきん基督きりすと」を成立なりたたしめてゐる作者さくしゃ人生じんせいかんが、谷崎たにざきより幼稚ようちでないならばないなりに、それだけ作者さくしゃ本来ほんらいのものではないかんじをあずかへる。つまり完全かんぜんにナイーヴィテがけてゐる。 — 三島みしま由紀夫ゆきお解説かいせつ」(芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけちょ南京なんきん基督きりすと』)[4]

しかし三島みしまは、こういったひょうは、「後人こうじんのないものねだり」で、短篇たんぺん小説しょうせつというジャンルを、その当時とうじ時代じだいにここまで完成かんせいさせることは、芥川あくたがわ以外いがいほかだれにもできなかったことであり、「近代きんだい日本にっぽん急激きゅうげき跛行はこうてき発展はってんひとつの頂点ちょうてん文学ぶんがくてきあらはれ」だと賛辞さんじしている[4]。そして、そのたくみさを、「日本人にっぽんじん本来ほんらい繊細せんさいなクラフツマンシップ(職人しょくにんげい)が、ここまで近代きんだい芸術げいじゅつとしての短篇たんぺん小説しょうせつ完成かんせいせしめたのは、現在げんざいカメラ工業こうぎょう発展はってんともてゐる。この精妙せいみょうなカメラは、本場ほんばぶつライカをさへしのいでゐる」とし、これにして「昭和しょうわ文学ぶんがく短篇たんぺん」はだらしない作品さくひんえ、「川端かわばた康成やすなり梶井かじい基次郎もとじろうほり辰雄たつおのみが短篇たんぺん小説しょうせつ孤塁こるいまもるにいたる」と解説かいせつしている[4]

主題しゅだい関連かんれんするものを芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ示唆しさしていたものとしては、南部なんぶ修太郎しゅうたろう批評ひひょうたくみ作品さくひんだとしながらも〈ただそれだけのものにぎない〉という辛口からくちひょう[5])にこたえて、以下いかのような反問はんもん手紙てがみ芥川あくたがわきしている。

ぼくとう作家さっか人生じんせいから Odious truth をつかんだ場合ばあいその曝露ばくろ躊躇ちゅうちょするもちはあの日本にっぽん旅行りょこうなやんでゐるこころもちとおなじではないか。くん自身じしんさういふこころもちをかんじるほど残酷ざんこく人生じんせいたいしたことはないのか。くん自身じしん無数むすうかねはなたちをきみ周囲しゅういおぼえはないのか。さうして彼等かれらまぼろしやぶことはんつて彼等かれら不幸ふこうにする苦痛くつうを甞めたことはないのか。 — 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ南部なんぶ修太郎しゅうたろうへの書簡しょかん 大正たいしょう9ねん7がつ15にちづけ[6]

この手紙てがみなか芥川あくたがわは、人生じんせいがOdious truth(醜悪しゅうあく真実しんじつ)にち、残酷ざんこくなものだとしたら、「幸福こうふくとはしょせん無知むち恩寵おんちょうではないのか」というこたえのない懐疑かいぎうていると三好みよし行雄ゆきお説明せつめいしながら、「芥川あくたがわはここでも架空かくう幻影げんえいせいをゆだねた少女しょうじょをあわれんでいる。いや、芥川あくたがわこのみのかたりりていえば、ほとんどなつかしんでいる」と、『南京なんきん基督きりすと』のモチーフを考察こうさつしている[7]

また三好みよし行雄ゆきおは、未見みけん土地とち雰囲気ふんいき芥川あくたがわがよくえがき、無邪気むじゃき娼婦しょうふ人物じんぶつ造型ぞうけいもそれなりにかよっているとし、「手馴てなれた技巧ぎこうが、しかもうわすべりのないおもさで、かっちりとした小宇宙しょううちゅう造型ぞうけいするのである」とひょうしている[7]。そして、芥川あくたがわ南部なんぶ修太郎しゅうたろうて(大正たいしょう9ねん7がつ17にちづけ)におくった手紙てがみ梅毒ばいどくについて言及げんきゅうしたもの)に、きむはな病状びょうじょうかんなおしていないことが示唆しさされているとして、きむはならない「残酷ざんこく真実しんじつ」は、外国がいこくじんキリストでもなんでもないという事実じじつだけではなく、彼女かのじょゆめみた奇跡きせき梅毒ばいどく根治こんじ)がこっていないということだとし[7]以下いかのように解説かいせつしている。

これが芥川あくたがわ本音ほんねだとしたら、奇跡きせきしんじたきむはなえぬところで、梅毒ばいどくはもっとむざんに彼女かのじょ肉体にくたいむしばんでいたことになる。娼婦しょうふ奇跡きせき不毛ふもうめるかならずくる。〈西洋せいよう伝説でんせつのようなゆめ〉はけっして永遠えいえんではないのである。〈れとかおかがやかせ〉たきむはな背後はいごには、芥川あくたがわだけにえる暗黒あんこく人生じんせいひろがっている。巧緻こうち仕上しあがりとはうらはらに、作者さくしゃくら認識にんしきそこしずめた作品さくひんである。 — 三好みよし行雄ゆきお作品さくひん解説かいせつ」(文庫ぶんこばんもりはる南京なんきん基督きりすと』)[7]

映画えいが

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1995ねん制作せいさくされた、アミューズ香港ほんこんゴールデン・ハーベスト提携ていけい作品さくひん芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの『南京なんきん基督きりすと』をベースに、かれ自殺じさつ直前ちょくぜん心象しんしょう風景ふうけいえがいた『歯車はぐるま』をくわえたオリジナル・ストーリー。日本人にっぽんじんである富田とみた靖子やすこ中国人ちゅうごくじん娼婦しょうふそうきんはなえんじ、香港ほんこん俳優はいゆうレオン・カーフェイ芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけをモデルにした日本人にっぽんじん作家さっか岡川おかかわ龍一郎りゅういちろうえんじた。この作品さくひんそうきんはなえんじた富田とみた靖子やすこだい8かい東京国際映画祭とうきょうこくさいえいがさい最優秀さいゆうしゅう女優じょゆうしょう受賞じゅしょうした。

舞台ぶたい設定せってい原作げんさくおな南京なんきんで、主人公しゅじんこう原作げんさくおなそうきんはなだが、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけをモデルにした日本人にっぽんじん作家さっか岡川おかかわきむはな出会であい、こいちるという設定せってい。よって、原作げんさくのようにキリストおとこ奇跡きせきかんじるというシーンはない。映画えいがでは、きむはな病気びょうきなおらず、岡川おかかわ日本にっぽん帰国きこく自殺じさつするという重苦おもくるしい内容ないようになっている。

キャスト

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スタッフ

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  • 撮影さつえい:ビル・ウォン
  • 美術びじゅつ:エディ・マー、西村にしむらかおる
  • 照明しょうめいりょう雄偉ゆうい横山よこやま秀樹ひでき
  • 録音ろくおん:Showreel Film Facilities、田中たなか峯生みねお
  • 編集へんしゅうちょうよしみてるちょう耀宗、三宅みやけひろし
  • 助監督じょかんとくりゅうしょう娟、比嘉ひか一郎いちろう藤岡ふじおかひろし二郎じろう
  • せいおんほり内戦ないせん
  • 音響おんきょう効果こうか帆苅ほかり幸雄ゆきお
  • OP撮影さつえいこうろう
  • OP編集へんしゅう冨田とみたいさお
  • 現像げんぞう天工てんこう彩色さいしきおきしるし有限ゆうげん公司こうしIMAGICA
  • タイトル:マリンポスト
  • プロデュース:森重もりしげあきら、チャイ・ラン
  • プロデューサー小柳こやなぎ憲子のりこ千葉ちば誠治せいじ
  • アシスタントプロデューサー:沼澤ぬまさわあきら、ポール・チェン
  • 企画きかくアミューズ
  • 製作せいさくしゃ大里おおさと洋吉ようきちげいしん集團しゅうだん)、レナード・ホー(よしみ禾電かげ
  • 製作せいさく協力きょうりょく東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ俳協
  • 日本語にほんご字幕じまく翻訳ほんやく戸田とだ奈津子なつこ

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ はた淮のよる』は、1919ねん大正たいしょう8ねん)、雑誌ざっし中央日報ちゅうおうにっぽう』2がつごう発表はっぴょうされた。日本人にっぽんじん旅行りょこうしゃ可憐かれん少女しょうじょ娼婦しょうふい、いとしさと歓喜かんききしめるというはなしで、谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう実体験じつたいけんもとにしている。谷崎たにざきはその前年ぜんねんの1918ねん大正たいしょう7ねんまつ中国ちゅうごく旅行りょこうし、翌年よくねんに『はた淮のよる』のほか、『美食びしょく倶楽部くらぶ』『蘇州そしゅう紀行きこう』『南京なんきんもちがい』などの紀行きこうぶん発表はっぴょうしている。

出典しゅってん

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  1. ^ 牧野まきの陽子ようこ.
  2. ^ 西原にしはら大輔だいすけ 2008.
  3. ^ 久米くめ正雄まさおぞくなながつ文壇ぶんだん」(時事新報じじしんぽう 1920ねん7がつ14にちごう掲載けいさい
  4. ^ a b c d e 三島みしま由紀夫ゆきお解説かいせつ」(芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけちょ南京なんきん基督きりすと』)(角川かどかわ文庫ぶんこ、1956ねん
  5. ^ 南部なんぶ修太郎しゅうたろう最近さいきん創作そうさくろく」(東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん 1920ねん7がつ11にちごう掲載けいさい
  6. ^ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ南部なんぶ修太郎しゅうたろうへの書簡しょかん」(大正たいしょう9ねん7がつ15にちづけ
  7. ^ a b c d 三好みよし行雄ゆきお作品さくひん解説かいせつ」(文庫ぶんこばんもりはる南京なんきん基督きりすと』)(角川かどかわ文庫ぶんこ、1968ねん改版かいはん1977ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ全集ぜんしゅう3』(ちくま文庫ぶんこ、1986ねん
  • 文庫ぶんこばんもりはる南京なんきん基督きりすと』(付録ふろく解説かいせつ 三好みよし行雄ゆきお)(角川かどかわ文庫ぶんこ、1968ねん改版かいはん1977ねん
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅうだい29かん評論ひょうろん4』(新潮社しんちょうしゃ、2003ねん
  • 西原にしはら大輔だいすけ芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ南京なんきん基督きりすと」とフロベール<論文ろんぶん>」『広島大学ひろしまだいがく日本語にほんご教育きょういく研究けんきゅうだい18かん広島大学ひろしまだいがく大学院だいがくいん教育きょういくがく研究けんきゅう日本語にほんご教育きょういくがく講座こうざ、2008ねん3がつ、9-15ぺーじdoi:10.15027/27533ISSN 1347-7226CRID 1390572174809337984 
  • 牧野まきの陽子ようこ芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ南京なんきん基督きりすと」における<かたりの構図こうず>」『成城大學せいじょうだいがく經濟けいざい研究けんきゅうだい170かん成城大学せいじょうだいがく経済けいざい学会がっかい、2005ねん9がつ、128-110ぺーじISSN 03874753CRID 1050282812450197376 

外部がいぶリンク

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