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秋 (芥川龍之介) - Wikipedia コンテンツにスキップ

あき (芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ)

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あき
作者さくしゃ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ中央公論ちゅうおうこうろん1920ねん4がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろく夜来やらいはな
出版しゅっぱんもと 新潮社しんちょうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1921ねん3月14にち
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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あき』(あき)は、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ短編たんぺん小説しょうせつ芥川あくたがわはじめてこころみた近代きんだい心理しんり小説しょうせつである。幼馴染おさななじみ従兄じゅうけいをめぐるあねいもうと三角さんかく関係かんけいあい葛藤かっとう物語ものがたりこいするひといもうとゆずったあね視点してんじくにしながら、うちめたさんしゃうご微妙びみょう心理しんり高雅こうがおもむき表現ひょうげんされている。

1920ねん大正たいしょう9ねん)、雑誌ざっし中央公論ちゅうおうこうろん』4がつごう掲載けいさいされ、翌年よくねん1921ねん大正たいしょう10ねん)3がつ14にち新潮社しんちょうしゃより刊行かんこうの『夜来やらいはな』に収録しゅうろくされた。

作品さくひん背景はいけい

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芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ自然しぜん主義しゅぎ対峙たいじし、芸術げいじゅつによってこれを止揚しようしようとする芸術げいじゅつ至上しじょう主義しゅぎ立場たちばから『地獄変じごくへん』などをあらわしていた。だが、おなじような作品さくひんつづけている自身じしん作風さくふう停滞ていたいかんじた芥川あくたがわは、「芸術げいじゅつ退歩たいほするときつね一種いっしゅ自動じどう作用さようはじまる」というかんがえのもと[1]歴史れきしてき題材だいざいから、自身じしん境遇きょうぐう対象たいしょうすることをふくめた、現実げんじつ日常にちじょうせい対象たいしょうした現代げんだい小説しょうせつへの転換てんかんはかった[2]近代きんだい心理しんり小説しょうせつあき』はその最初さいしょ作品さくひんとされている[2]

あき』における作風さくふう転換てんかんについて、芥川あくたがわ作品さくひん公開こうかいまえ南部なんぶ修太郎しゅうたろう不安ふあんける手紙てがみおくり、作品さくひん発表はっぴょう好評こうひょうのちは、「実際じっさいぼくひとつの難関なんかん透過とうかしたよ。これからはさとる修行しゅぎょうだ」と、みずからの作風さくふう安堵あんど自信じしんしめ手紙てがみおくった[3]。また、滝井たきい孝作こうさくには、「『あき』はたいしてわるくなささうだ。あんずるよりうむがやすかつたといふがする。ぼくはだんだんああいふ傾向けいこう小説しょうせつくようになりさうだ」とおくっている[4]

なお、芥川あくたがわ初恋はつこい幼友達おさなともだちであった吉田よしだ弥生やよい青山学院あおやまがくいん英文えいぶん卒業そつぎょう才媛さいえん)との交際こうさい破局はきょくが5ねんまえにあったことが、作品さくひんのモチーフの一端いったんにあるのではないかという考察こうさつもある[5]

あらすじ

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あね信子のぶこは、おな小説しょうせつ志望しぼう幼馴染おさななじみ従兄じゅうけい俊吉しゅんきちおもいをのこしながら、べつおとこ結婚けっこんした。いもうと照子てるこは、あねべつおとこ結婚けっこんしたのは、自分じぶん俊吉しゅんきちきだからあねいたのだということをわかっていた。照子てるこはそのことをびる手紙てがみを、とつさき大阪おおさか旅立たびだあねわたした。信子のぶこはこの少女しょうじょらしい手紙てがみかえたびなみだがにじんだ。信子のぶこ結婚けっこん生活せいかつ徐々じょじょ幸福こうふくでなくなってきた。信子のぶこおっと綺麗きれいやさしいかんじだったが、信子のぶこ小説しょうせつくことをだんだんといやがり、なにかとこまかい出費しゅっぴにねちねち文句もんく所帯じょたいじみたケチなおとこだった。

いもうと照子てるこ俊吉しゅんきち結婚けっこんしてやま新居しんきょをかまえた。信子のぶこ翌年よくねんあきのあるいもうと夫婦ふうふ新居しんきょ訪問ほうもんした。いえにはたまたま俊吉しゅんきちしかなかった。照子てるこ女中じょちゅう帰宅きたくするまでのあいだ信子のぶこはしこりとなったおもいがいまむねなかにありながらも、俊吉しゅんきちたのしく小説しょうせつのことや知人ちじん会話かいわをした。照子てるこ帰宅きたくし、姉妹しまいひさしぶりの感激かんげき対面たいめんをした。夕飯ゆうはんのち、きれいなつきえるにわ俊吉しゅんきち信子のぶこ二人ふたり散歩さんぽした。そのあいだ照子てるこおっとつくえまえに、ぼんやり電燈でんとうながめていた。

翌日よくじつ用事ようじがある俊吉しゅんきちは、午後ごご自分じぶん帰宅きたくするまで信子のぶこるようにってかけた。姉妹しまいにんだけになりたのしいはずの会話かいわをしていたが、ふと照子てるこあねしずんだ様子ようすがついた。信子のぶこ幸福こうふくそうないもうとうらやましかった。あね結婚けっこん生活せいかつ不幸ふこうなことをさっすると照子てるこきだした。信子のぶこいもうとなぐさめながらも残酷ざんこくよろこびをかんじていもうとつめた。照子てるこ昨夜さくやおっとあねにわ散歩さんぽ嫉妬しっとしていたのだった。やがてにん和解わかいし、信子のぶこ退去たいきょした。しかし信子のぶこほろうえられながら、いもうと永久えいきゅう他人たにんになってしまったこころもちがした。ふとまちある俊吉しゅんきちたが、信子のぶここえをかけるのをためらい、俊吉しゅんきちほろ俥はすれちがってぎていった。

登場とうじょう人物じんぶつ

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信子のぶこ
才媛さいえん女子大じょしだいせい作家さっかこころざしていた。従兄じゅうけい俊吉しゅんきちきだったが、いもうと気兼きがねをし、学校がっこう卒業そつぎょうすると、大阪おおさか商事しょうじ会社かいしゃ就職しゅうしょくするこうしょう出身しゅっしん青年せいねん結婚けっこんする。
俊吉しゅんきち
信子のぶこ従兄じゅうけい大学だいがく文科ぶんかにいて作家さっかこころざし、同人どうじん雑誌ざっし活動かつどう。フランス仕込しこみの皮肉ひにく警句けいくこの冷笑れいしょうてき態度たいどで、いつも真面目まじめ信子のぶことは対照たいしょうてき冗談じょうだんばかりうが、信子のぶこい、将来しょうらいにん結婚けっこんすると周囲しゅうい友人ゆうじんもみていた。
照子てるこ
信子のぶこいもうと従兄じゅうけい俊吉しゅんきちきでラブレターく。それを信子のぶこづきいもうとのためく。
信子のぶこおっと
こうしょう出身しゅっしん青年せいねん大阪おおさか在住ざいじゅう口数くちかずすくなく上品じょうひん清潔せいけつかんがあったが、じつ家計かけい経済けいざいのことにしか興味きょうみのない吝嗇りんしょくおとこ

作品さくひん評価ひょうか解釈かいしゃく

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あき』は芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけはじめて、現代げんだい日常にちじょう題材だいざいとしながら自身じしん実生活じっせいかつ主題しゅだいんでいる心理しんり小説しょうせつであるが、作品さくひん本格ほんかくてき発展はってんがなされて開花かいかするまでの可能かのうせいひらくところまではいかなかった[2]三好みよし行雄ゆきおは、この作品さくひんのモチーフが芥川あくたがわの「もっと切実せつじつなモチーフだったにちがいない」が、『あき』の最後さいごは「抒情じょじょうてき処理しょりえんたまきじ」られ、「現代げんだい取材しゅざいしながら現実げんじつなまそのものの内部ないぶにはけっしてふかってはいない」と解説かいせつしている[2]

あき』を、ほり辰雄たつおの『菜穂子なほこ』の「先蹤せんしょう」のような作品さくひんで、芥川あくたがわにしては、「ボヴァリスムを扱つたちいさなちんらしい作品さくひん」だとひょうする三島みしま由紀夫ゆきおは、『あき』は傑作けっさくではないが、「流露りゅうろかん」があり、もっとこういった「傑作けっさく」を芥川あくたがわはどんどんくべきだったとして[6]以下いかのように解説かいせつしている。

この短篇たんぺんには芥川あくたがわらしいたくみ機智きちはなく、おちついた灰色はいいろのモノトオンな調子ちょうししてゐて、しかも大正たいしょう散文さんぶんらしい有閑ゆうかんてき文章ぶんしょうあじはひがあつて、きのない作品さくひんである。かういふ方向ほうこうげ、ひろげてゆけば、芥川あくたがわにとつて最適さいてきひろがひらけたとおもはれるのに、時代じだいじゅくしてゐなかつたせゐもあるが、この作品さくひんいち試作しさくおわりつたのはしい。ここには近代きんだい心理しんり小説しょうせつ見取図みとりずがもう出来できじょうつてゐて、あとは作者さくしゃのエネルギーの持続じぞくつだけだつたのである。 — 三島みしま由紀夫ゆきお解説かいせつ」(芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけちょ南京なんきん基督きりすと』)[6]

テレビドラマ

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日本にほんテレビ系列けいれつ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけシリーズ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
一塊ひとかたまり
(1959ねん5がつ14にち
あき
日本にほんテレビばん
(1959ねん5がつ21にち
芋粥いもがゆ
(1959ねん5がつ28にち
フジテレビ系列けいれつ シオノギテレビ劇場げきじょう
とみ貞操ていそう
(1966ねん7がつ21にち
あき
(フジテレビばん
(1966ねん7がつ28にち
袈裟けさ盛遠もりとお
(1966ねん8がつ4にち

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ芸術げいじゅつその」(新潮しんちょう 1919ねん11がつごう掲載けいさい
  2. ^ a b c d 三好みよし行雄ゆきお作品さくひん解説かいせつ」(文庫ぶんこばんもりはる南京なんきん基督きりすと』)(角川かどかわ文庫ぶんこ、1968ねん改版かいはん1977ねん
  3. ^ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ南部なんぶ修太郎しゅうたろうへの書簡しょかん」(大正たいしょう9ねん4がつ13にちづけ
  4. ^ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ滝井たきい孝作こうさくへの書簡しょかん」(大正たいしょう9ねん4がつ9にちづけ
  5. ^ 小澤おざわ保博やすひろ芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけあき」を」『琉球大学りゅうきゅうだいがく教育きょういく学部がくぶ紀要きようだい69ごう琉球大学りゅうきゅうだいがく教育きょういく学部がくぶ、2006ねん9がつ、179-189ぺーじCRID 1050011251827026304hdl:20.500.12000/975ISSN 1345-3319 
  6. ^ a b 三島みしま由紀夫ゆきお解説かいせつ」(芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけちょ南京なんきん基督きりすと』)(角川かどかわ文庫ぶんこ、1956ねん)。『現代げんだい小説しょうせつ古典こてんなりるか』(新潮社しんちょうしゃ、1957ねん)に所収しょしゅう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけもりはる ; 南京なんきん基督きりすと : じゅうへん』(改版かいはん角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ〉、1968ねんNCID BN10490670全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:68013107 
    • 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけもりはる ; 南京なんきん基督きりすと角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこクラシックス〉、1996ねんISBN 4041033055 
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅうだい29かん評論ひょうろん4』(新潮社しんちょうしゃ、2003ねん

外部がいぶリンク

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