(Translated by https://www.hiragana.jp/)
神宮徴古館 - Wikipedia コンテンツにスキップ

神宮じんぐうしるし古館ふるだて

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
神宮じんぐうしるし古館ふるだて
Jingu Chokokan Museum
地図
施設しせつ情報じょうほう
正式せいしき名称めいしょう 神宮じんぐうしるし古館ふるだて[1]
愛称あいしょう しるし古館ふるだて
専門せんもん分野ぶんや 伊勢神宮いせじんぐう歴史れきし日本にっぽん文化ぶんか[1]
来館らいかんしゃすう 40,223にん(2010ねん[2]
管理かんり運営うんえい 神宮じんぐうつかさちょう
開館かいかん 1909ねん明治めいじ42ねん)9がつ29にち[1]
所在地しょざいち 516-0016
三重みえけん伊勢いせ神田久志本こうだくしもとまち1754-1
位置いち 北緯ほくい3429ふん8びょう 東経とうけい13643ふん28びょう / 北緯ほくい34.48556 東経とうけい136.72444 / 34.48556; 136.72444座標ざひょう: 北緯ほくい3429ふん8びょう 東経とうけい13643ふん28びょう / 北緯ほくい34.48556 東経とうけい136.72444 / 34.48556; 136.72444
プロジェクト:GLAM
テンプレートを表示ひょうじ

神宮じんぐうしるし古館ふるだて(じんぐうちょうこかん)は、伊勢神宮いせじんぐう公益こうえき事業じぎょうであり、神宮じんぐう宗教しゅうきょう法人ほうじんとしての規則きそくである神宮じんぐう規則きそくだい63じょうによると、「神宮じんぐう由緒ゆいしょならびに日本にっぽん文化ぶんか変遷へんせんちょうする資料しりょう陳列ちんれつ保存ほぞんして一般いっぱん観覧かんらんきょうするそと産業さんぎょう振興しんこう発展はってんする事業じぎょうおこない、文化ぶんか向上こうじょうはかるを目的もくてき」とし、神宮じんぐう崇敬すうけい歴史れきしおよび日本にっぽん文化ぶんか展示てんじする「歴史れきし文化ぶんか総合そうごう博物館はくぶつかん[3]である。 付随ふずいする神宮じんぐう農業のうぎょうかん(じんぐうのうぎょうかん、農業のうぎょうかんとも)はどう規則きそくだい63じょうによると、「農業のうぎょう水産すいさん林業りんぎょうとうかんする資料しりょう陳列ちんれつ保存ほぞんして一般いっぱん観覧かんらんきょうするそと産業さんぎょう振興しんこう発展はってんする事業じぎょうおこない、文化ぶんか向上こうじょうはかるを目的もくてき」とし、「自然しぜん産物さんぶつがいかに役立やくだつか」を主題しゅだいとし[4]伝統でんとうてき稲作いなさくなどにかんする物品ぶっぴん収集しゅうしゅう保管ほかん展示てんじ公開こうかいおこなっている。 敷地しきちないには芸術げいじゅつから伊勢神宮いせじんぐう奉納ほうのうされた作品さくひん収蔵しゅうぞう展示てんじするための式年しきねん遷宮せんぐう記念きねん神宮じんぐう美術館びじゅつかん(しきねんせんぐうきねんじんぐうびじゅつかん、美術館びじゅつかんとも)もある。どう規則きそくだい63じょうの2によると、「神宮じんぐう美術館びじゅつかんは、式年しきねん遷宮せんぐうごとに当代とうだい一流いちりゅう美術びじゅつひん収集しゅうしゅうおよ保管ほかん展観てんかんするとよもに、わがくに美術びじゅつ工芸こうげい研究けんきゅうし、日本にっぽん文化ぶんか発展はってんするを目的もくてきとする」。

現在げんざい建物たてものは、しるし古館ふるだてが1953ねん昭和しょうわ28ねん)に復旧ふっきゅう[1]農業のうぎょうかんが1996ねん平成へいせい8ねん)に縮小しゅくしょう移設いせつされたもので、1909ねん明治めいじ42ねん)の開館かいかん当初とうしょのものとは一部いちぶことなる。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

草創そうそう[編集へんしゅう]

農業のうぎょうかん
大正天皇たいしょうてんのう手植てうえまつ

1886ねん明治めいじ19ねん)、伊勢神宮いせじんぐう周辺しゅうへん整備せいび目的もくてき有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのう総裁そうさいとする神苑しんえんかい(しんえんかい)が結成けっせいされた。 この神苑しんえんかい農事のうじ促進そくしん目的もくてきとして1891ねん明治めいじ24ねん)に外宮げくうまえ農業のうぎょうかん設立せつりつ日本にっぽんはつ産業さんぎょう博物館はくぶつかんとなった。

農業のうぎょうかん迎賓館げいひんかん奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかんられるかた山東さんとうぐまによる設計せっけいである。平等院びょうどういん鳳凰堂ほうおうどうをモデルとした和洋折衷わようせっちゅう農業のうぎょうかんは、片山かたやま作品さくひんとしては数少かずすくない木造もくぞう建築けんちくとなった。

神苑しんえんかい外宮げくう内宮ないくうのほぼ中間ちゅうかんとなる倉田くらたさんやく39,000つぼやく129,000 m2)の土地とち購入こうにゅうした。 1903ねん明治めいじ36ねん)に歴史れきし博物館はくぶつかんとしてしるし古館ふるたて設立せつりつ企画きかくした。 にち戦争せんそう開戦かいせんにより計画けいかく延期えんきされたが、1904ねん明治めいじ37ねん)8がつには増築ぞうちくともな倉田くらたさんへの農業のうぎょうかん移築いちく開始かいしよく1905ねん明治めいじ38ねん)の移築いちく完了かんりょう農業のうぎょうかん伊勢神宮いせじんぐう奉納ほうのうされた。

1906ねん明治めいじ39ねん)11月に農業のうぎょうかんおなじく片山かたやま設計せっけいによるしるし古館ふるたて建設けんせつ開始かいし1909ねん明治めいじ42ねん)5がつ完成かんせいし、同年どうねん9がつ29にち日本にっぽんはつ私立しりつ博物館はくぶつかんとして開館かいかん1911ねん明治めいじ44ねん)4がつ周辺しゅうへん土地とちふく伊勢神宮いせじんぐう奉納ほうのうされた。天皇てんのう行幸ぎょうこう想定そうていした外宮げくう-内宮ないくうあいだ自動車じどうしゃどう整備せいびするために倉田くらたさん大幅おおはば開削かいさくされ、1910ねん明治めいじ43ねん)3がつ御幸みゆきどお現在げんざい御幸みゆき道路どうろばれる。1920ねん大正たいしょう9ねん)から1952ねん昭和しょうわ27ねん)まで国道こくどう1ごうげん三重みえけんどう37ごう鳥羽とっぱ松阪まつさかせん)が開通かいつうした。

神苑しんえんかい1911ねん明治めいじ44ねん)12月、神宮じんぐう周辺しゅうへん整備せいび達成たっせいしたとして、しるし古館ふるたてくち神苑しんえんかい記念きねんつく解散かいさんした。のちの1919ねん大正たいしょう8ねん)に御幸みゆきどおりの東側ひがしがわ皇學館大学こうがくかんだいがくが、1925ねん大正たいしょう14ねん)には内宮ないくうまえ宇治うじだてまちから神宮じんぐう文庫ぶんこ(じんぐうぶんこ)が移転いてんしている。

しるし古館ふるだて和洋折衷わようせっちゅう農業のうぎょうかんとはおもむきことにし、ベルサイユ宮殿きゅうでんした前庭ぜんていルネッサンスしき西洋せいようふう建築けんちくとされ、東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん表慶ひょうけいかん同様どうよう正面しょうめん中央ちゅうおうにドームをはいしたたか屋根やね鉄筋てっきんコンクリートづくり平屋ひらやとなった。中央ちゅうおうおくには貴賓きひんしつはいされ、皇太子こうたいし時代じだい大正天皇たいしょうてんのう昭和しょうわ天皇てんのうをはじめ、かく宮家みやけ皇族こうぞくなどの要人ようじん神宮じんぐう参拝さんぱいするときの休息きゅうそく場所ばしょとして利用りようされた。1910ねん明治めいじ43ねん)、当時とうじ皇太子こうたいしであった大正天皇たいしょうてんのうが11月14にち外宮げくう内宮ないくう参拝さんぱいしたのちにしるし古館ふるたておとず五葉松ごようまつ植樹しょくじゅしている。1940ねん昭和しょうわ15ねん)7がつにはラストエンペラーとしてられる満州まんしゅうこく皇帝こうてい溥儀ふぎおとずれた。

1923ねん大正たいしょう12ねん)11月5にちにはしるし古館ふるたて西側にしがわやまとひめいのちまつやまと姫宮ひめみや創建そうけんされた。やまと姫宮ひめみやれい大祭たいさいなどでは、崇敬すうけい団体だんたい御杖みつえ代講だいこう(みつえしろこう)などによるちゃいなどがしるし古館ふるたて敷地しきちおこなわれる。

だい世界せかい大戦たいせん末期まっき1945ねん昭和しょうわ20ねん)7がつアメリカぐん宇治山田うじやまだ空襲くうしゅうにより炎上えんじょうし、建物たてもの外壁がいへきのこすのみとなり、収蔵しゅうぞうひんだい部分ぶぶん焼失しょうしつした。

だい大戦たいせん以降いこう[編集へんしゅう]

式年しきねん遷宮せんぐう記念きねん神宮じんぐう美術館びじゅつかん

1953ねん昭和しょうわ28ねん)のだい59かい神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう記念きねんし、石造いしづくりの外壁がいへきだけがのこった状態じょうたいからしるし古館ふるだて修復しゅうふくされた[1]。 ただし、ドームと貴賓きひんしつ再現さいげんされず、平屋ひらやから鉄筋てっきんの2かいてにするなどの変更へんこうくわえられた[1]1985ねん昭和しょうわ60ねん)に新館しんかん増築ぞうちくされた[1]

だい61かい神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう記念きねんし、1993ねん平成へいせい5ねん)10がつ式年しきねん遷宮せんぐう記念きねん神宮じんぐう美術館びじゅつかん開館かいかんした。美術館びじゅつかん農業のうぎょうかんがあった場所ばしょてられることになったため、農業のうぎょうかん一時いちじ閉館へいかん東側ひがしがわ移築いちく、このとき巡回じゅんかいがただった農業のうぎょうかんは凹形に縮小しゅくしょうするなどの変更へんこうおこなわれた。美術館びじゅつかん日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん大江おおえひろし設計せっけいによるもので、神宮じんぐう美術館びじゅつかんにふさわしく日本にっぽん伝統でんとうてき建築けんちく様式ようしき踏襲とうしゅうし、ゆるやかな勾配こうばいどう板葺いたぶき屋根やねち、内装ないそう素木しらきかした現代げんだい建築けんちくとされた。

1996ねん平成へいせい8ねん)にすめらぎ大神宮だいじんぐう鎮座ちんざ2000ねん記念きねんし、のこった有栖川ありすがわみやおきひとしじん親王しんのう銅像どうぞう修復しゅうふくするとともに貴賓きひんしつ復活ふっかつさせた。この貴賓きひんしつ2000ねん平成へいせい12ねん)から随時ずいじ公開こうかいされるようになった。

1998ねん平成へいせい10ねん)にしるし古館ふるたて農業のうぎょうかんくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざいとなった[1]

展示てんじ[編集へんしゅう]

しるし古館ふるだて[編集へんしゅう]

神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐうでは社殿しゃでんともに714しゅ1576てん装束しょうぞく神宝しんぽう須賀利すがり御太刀みたちなど)もおな仕様しようあらたにつくえられるが[5]、このさい「撤下」されたふる神宝しんぽう一部いちぶ展示てんじされているのがしるし古館ふるだてである。またしるし古館ふるたてでは内宮ないくうせいみやの1/20サイズの模型もけい遷宮せんぐう解体かいたいされた本殿ほんでん使つかわれていたとびら千木ちぎ鰹木かつおぎ祭典さいてん用具ようぐなども展示てんじされている。

そのほか、土器どきかがみ大刀たちなどの古墳こふん時代じだい出土しゅつどひん古文書こもんじょ有栖川ありすがわみや記念きねん公園こうえんうちにあったようせいかんから昭和しょうわ30ねん(1955ねん)に移管いかんされた国史こくし絵画かいが歴史れきし[6]、俳祖荒木田あらきだ守武もりたけかんする資料しりょう平賀ひらがひさしゆう作品さくひんなどくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい11てんふくやく8,000てん資料しりょう所蔵しょぞうしている。

農業のうぎょうかん[編集へんしゅう]

農業のうぎょうかんでは神宮じんぐう農業のうぎょうかかわる物品ぶっぴん昭和しょうわ天皇てんのうこうじゅん皇后こうごう下賜かしひん神嘗祭かんなめさい奉納ほうのうされた皇居こうきょ御田みたつくられた稲穂いなほや、生糸きいとまゆなどが展示てんじされている。神宮じんぐうでは神饌しんせん基本きほんてき自給自足じきゅうじそくしているが、神饌しんせん自給じきゅうする神宮じんぐう神田かんだ御園みその塩殿しおどの干鯛ひだいアワビ調製ちょうせいしょかんする資料しりょう展示てんじしている。

美術館びじゅつかん[編集へんしゅう]

美術館びじゅつかんでは文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうしゃ文化ぶんか功労こうろうしゃ日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん重要じゅうよう無形むけい文化財ぶんかざい保持ほじしゃといった美術家びじゅつか工芸こうげいより神宮じんぐう奉納ほうのうされた作品さくひん所蔵しょぞうし、展示てんじしている。

所蔵しょぞう文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

重要じゅうよう文化財ぶんかざい角屋すみや貿易ぼうえき関係かんけい資料しりょう」のうちアジア航海こうかい羊皮紙ようひしちょしょく

以下いかは、神宮じんぐうしるし古館ふるたて所蔵しょぞう指定してい文化財ぶんかざい一覧いちらんである。宗教しゅうきょう法人ほうじん神宮じんぐう」(伊勢神宮いせじんぐう所有しょゆう指定してい文化財ぶんかざい御幸みゆき道路どうろはさんでしるし古館ふるたてひがしにある神宮じんぐう文庫ぶんこなどに所蔵しょぞうされるものもあるため、すべてがしるし古館ふるたて保管ほかんされているわけではない。

重要じゅうよう文化財ぶんかざいくに指定してい[編集へんしゅう]

絵画かいが
  • かみほんちょしょく伊勢いせしん名所めいしょ歌合うたあわせ 1かん 鎌倉かまくら時代ときよ昭和しょうわ24ねん5がつ30にち) - 伊勢いせ名勝めいしょう10かしょうただいとする。1295ねんえいひとし3ねんごろ制作せいさく推測すいそくされるが作者さくしゃ不明ふめい
工芸こうげいひん
書跡しょせき
考古こうこ資料しりょう
  • すえだいづけ子持こもちはそう(「はそう」の漢字かんじひだりが「かわら」、みぎが「いずみ」) 1くち 古墳こふん時代じだい昭和しょうわ34ねん6がつ27にち
歴史れきし資料しりょう

三重みえけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

絵画かいが
  • かみほんちょしょく伊勢いせりょうみや曼荼羅まんだら 1ぶく 江戸えど時代じだい昭和しょうわ29ねん12月25にち

伊勢いせ指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

彫刻ちょうこく

交通こうつうアクセス[編集へんしゅう]

周辺しゅうへん情報じょうほう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h “きょう開館かいかん100周年しゅうねん 神宮じんぐうしるし古館ふるたて”. 中日新聞ちゅうにちしんぶん中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ).(2009ねん9がつ29にち
  2. ^ 伊勢いせ産業さんぎょう観光かんこう観光かんこう企画きかく平成へいせい22ねん伊勢いせ観光かんこう統計とうけい』8ページより
  3. ^ 『お伊勢いせまいり』(かみ宮司ぐうじちょうへん伊勢神宮いせじんぐう崇敬すうけいかい発行はっこう平成へいせい18ねん7がつ1にち改訂かいてい7はんだい1さつ)28ページ
    神宮じんぐうしるし古館ふるだてについて』伊勢神宮いせじんぐう
  4. ^ 『お伊勢いせまいり』(平成へいせい18ねん7がつ1にち改訂かいてい7はんだい1さつ)29ページ
    神宮じんぐう農業のうぎょうかん神宮じんぐう博物館はくぶつかん
  5. ^ 装束しょうぞく神宝しんぽうについて 伊勢神宮いせじんぐう公式こうしきサイト
  6. ^ 小堀こぼり桂一郎けいいちろう監修かんしゅう ところいさお編著へんちょ名画めいがにみる 国史こくしあゆみ』 近代きんだい出版しゅっぱんしゃ、2000ねん4がつ19にちISBN 978-4-907816-00-1

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 伊勢神宮いせじんぐう られざるしゃのうち』(矢野やの憲一けんいちちょ角川書店かどかわしょてん平成へいせい18ねん11がつ10日とおか発行はっこうISBN 4-04-703402-9
  • 宇治山田うじやまだ 上巻じょうかん』(宇治山田うじやまだ市役所しやくしょへん昭和しょうわ4ねん発行はっこう昭和しょうわ63ねん復刻ふっこく国書刊行会こくしょかんこうかい発行はっこう
  • 『お伊勢いせまいり』(かみ宮司ぐうじちょうへん伊勢神宮いせじんぐう崇敬すうけいかい発行はっこう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]