窓際まどぎわぞく

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窓際まどぎわぞくまどぎわぞくとは、日本にっぽん組織そしきにおいて閑職かんしょくいやられた社員しゃいん職員しょくいん言葉ことば

安定あんてい成長せいちょうえんだかきょうときであった1977ねん6がつ北海道新聞ほっかいどうしんぶんのコラムで製造せいぞうラインの管理かんりしょくからはずれて仕事しごとあたえられず窓際まどぎわいやられた中高年ちゅうこうねんそうがデスクで新聞しんぶんんだり、そとながめては時間じかんつぶすという光景こうけいを『窓際まどぎわおじさん』という言葉ことばせた。また1978ねんの1がつに、日本経済新聞にほんけいざいしんぶん新年しんねん連載れんさい「ニッポン・きる条件じょうけん」で、従業じゅうぎょういん雑談ざつだんちゅうにあった言葉ことばとして窓際まどぎわぞく紹介しょうかいしている。

高度こうど経済けいざい成長せいちょう終身しゅうしん雇用こようせい定着ていちゃくすると、能力のうりょく人間にんげん関係かんけいなどの理由りゆうから年齢ねんれいおうじた適切てきせつなポストを社内しゃない用意よういできない社員しゃいんであっても定年ていねんまで雇用こようつづけざるをえないため、おおきな会社かいしゃほどばかりの肩書かたがきあたえて実質じっしつてき仕事しごとをさせない社員しゃいんかかえるようになった。ひだまり窓際まどぎわ一見いっけんすると管理かんりしょくせきのようだが、実際じっさいには西日にしびはいうえ出入でいりも不便ふべんあく環境かんきょうであり、からだのよい厄介やっかいばらいであった。

1990年代ねんだいごろ(バブル崩壊ほうかいによるうしなわれた20ねん)から成果せいか主義しゅぎ台頭たいとうによって終身しゅうしん雇用こようせいくずれると、窓際まどぎわ安住あんじゅうすることもゆるされなくなり、社内しゃないいじめともなりかねない部屋へやでの暗黙あんもく退職たいしょく勧奨かんしょうおこなわれるようになった。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]