薩摩 (戦艦 )
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1905 | |
1905 | |
1906 | |
1910 | |
1923 | |
その |
1924 |
1920 | |
19,372 | |
450 ft 0 in (137.16 m)[11][6][2] | |
83 ft 6 in (25.45 m)[2] | |
83 ft 0 in (25.30 m)[11] または 83 ft 7+1⁄4 in (25.48 m)[6] | |
44 ft 6 in (13.56 m)[11] | |
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ボイラー |
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2 | |
または 17,300 | |
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1920 | |
12インチ 10インチ 4.7インチ 18インチ( 1920 | |
または、 | |
1922 |
概要
[艦 歴
[建造
[1904
1905
1906
1909
1910
1910年
[7
1911年
[1911
1914年
[1914
3月24
第 一 次 世界 大戦
[1920年
[1920
廃 艦
[ワシントン
1924
艦長
[※『
上泉 徳弥 大佐 :1909年 1月 15日 - 1909年 12月1日 *兼 横須賀 海軍 工廠 艤装 員 荘司 義 基 大佐 :1909年 12月1日 - 1910年 3月 1日 *兼 横須賀 海軍 工廠 艤装 員 (1909年 12月8日 - 1910年 3月 1日 )江口 麟六 大佐 :1910年 3月 1日 - 1911年 1月 31日 *兼 横須賀 海軍 工廠 艤装 員 ( - 1910年 4月 1日 )上村 経 吉 大佐 :1911年 1月 31日 - 1911年 11月20日 山口 九 十 郎 大佐 :1911年 11月 20日 - 1913年 5月 24日 上村 経 吉 大佐 :1913年 5月 24日 - 1913年 12月1日 吉島 重太郎 大佐 :1913年 12月1日 - 1915年 10月 1日 布目 満 造 大佐 :1915年 10月 1日 - 1915年 12月13日 堀 輝 房 大佐 :1915年 12月13日 - 1916年 12月1日 飯田 久 恒 大佐 :1916年 12月1日 - 1917年 3月 19日 竹内 重利 大佐 :1917年 3月 19日 - 1917年 12月1日 島内 桓太大佐 :1917年 12月1日 - 1918年 4月 9日 飯田 延 太郎 大佐 :1918年 4月 9日 - 1918年 6月 1日 大内田 盛 繁 大佐 :1918年 7月 5日 - 1919年 11月20日 森本 義寛 大佐 :1919年 11月20日 [89] - 1920年 11月20日 中川 寛 大佐 :1920年 11月 20日 -三上 良忠 大佐 :1921年 11月26日 - 1922年 1月 26日 横地 錠 二 大佐 :1922年 1月 26日 - 1922年 11月 10日 田村 丕顕大佐 :1922年 11月 10日 - 1923年 9月 1日 [90] ※1923年 6月 1日 まで「三笠 」艦長 兼任 [91]。
脚注
[注釈
[- ^ 『○
行幸 天皇陛下 ハ御 豫定 ノ如ク昨 十 五 日 横須賀 軍港 ニ於テ軍艦 薩摩 進水 式 擧行 ニ付 キ午前 八時四十分御出門同九時新橋停車場御發車同港ヘ行幸 午後 五時八分新橋停車場御着同五時三十分還幸アラセラレタリ/○東宮 行啓 皇太子 殿下 ハ昨 十 五日午前八時十分新橋御發車横須賀軍港ヘ行啓 軍艦 薩摩 進水 式 御覽 午後 三時五十六分横須賀御發車同五時五十五分還御アラセラレタリ』[45] - ^ 『(
明治 四 十 四 年 十 一 月 )二 十 六 日 日曜日 (軍艦 薩摩 御 見学 )軍艦 薩摩 第 一 艦隊 旗艦 を御 見学 のため、午前 八 時 十 分 、雍仁親王 ・宣仁 親王 と共 に馬車 にて御 出 門 になる。新橋 停車 場 からは芳 麿 王 ・博 忠 王 ・朝 融 王 ・邦久 王 のほか御 学友 十 名 も合流 し、学習 院長 乃木 希典 及 び同 御用 掛 小笠原 長生 が随伴 する。横浜 停車場 より人力車 にて税関 波止場 に向 かわれ、艦載 水雷 艇 にて薩摩 に御 乗艦 になる。長官 室 において第 一艦隊司令長官上村彦之丞及び艦長 山口 九 十 郎 以下 長官 に謁を賜 う。次 いで艦 首 に移 られ、上 錨 ・羅 針 ・信号 ・海図 ・司令塔 ・砲塔 及 び諸 室 、救護 演習 ・水雷 填込 等 を御 巡覧 、さらに薩摩 ・朝日 と弥生 以下 駆逐 艦 ・水雷 艇 との砲撃 演習 を御覧 になる。御 昼食 は弁当 を召 され、午後 は、御 昼食 厨 より吹奏 を続 ける軍楽隊 のもとにお出 ましになり、軍歌 ・唱歌 等 の演奏 をお聴 きになる。それより上 甲板 に移 られ、馬蹄 形 に整列 した総員 による軍歌 「決死 隊 」「軍人 勅 諭 」の合唱 をお聴 きになる。ついで消火 練習 を御覧 の後 、午後 二 時 十 分 御 退 艦 、同 四 十 分 横浜 停車場 を御 発射 になり、御 帰還 になる。なお、薩摩 艦 御 見学 の実現 には、学習 院 御用 掛 小笠原 長生 (海軍 軍令 部 出仕 兼 参謀 )が種々 奔走 し、この日 は皇太子 の御 内命 により専 ら御 案内 の任 に当 る。』[55]。 - ^ 『(
大正 三 年 三 月 )二 十 日 金曜日 (軍艦 薩摩 にて神戸 出港 )午前 九 時 十 分 二 条 離宮 を御 出 門 、江田島 に向 かわれる。これより御 服装 は海軍 通常 礼装 となる。京都 停車場 を御 発車 になり、途中 、大阪 停車場 において勅 任官 以上 に謁を賜 う。神戸 停車場 より直 ちに人力車 にて米 利 堅 波止場 へ御 移動 になり、御召 艦 薩摩 に御 乗艦 、第 一 艦隊 司令 長官 加藤 友三郎 ・同 参謀 長 佐藤 鉄太郎 ・薩摩 艦長 吉島 重太郎 ・摂津 (先導 艦 )艦長 木村 剛 ・石見 (供奉 艦 )艦長 小林 恵 吉郎 以下 乗組 将校 に謁を賜 う。午後 零 時 三 十 分 、御召 艦 は出港 する。航海 中 は上 甲板 において兵員 の作業 や艦隊 航行 などの御覧 になる。六 時 三 十 分 香川 県 高松 沖 に御 箸 艦 、御 仮泊 になる。御 夕 餐後、甲板 においてサーチライトを御覧 になり、乗組 員 による「軍人 勅 諭 」などの軍歌 をお聴 きになる。』[57] - ^ 『○
東宮 御 發 艦 皇太子 殿下 ハ雍仁親王 、宣仁 親王 兩 殿下 御 同伴 御 豫定 ノ如ク本 月 二 十 日 午前 九 時 十 分 二 條 離宮 御 出 門 同 九 時 四 十 分 京都 停車場 御 發車 同 十 一時二十分神戸停車場御箸車軍艦薩摩ニ御 乗艦 午後 零 時 三 十分 御 發 艦 アラセラレタリ|○東宮 御 箸 艦 竝 御 假泊 皇太子 殿下 竝 ニ雍仁親王 、宣仁 親王 兩 殿下 ハ本 月 二 十 日 午後 六 時 三 十 分 高松 沖 御 箸 艦 御 假泊 一 昨 二 十 一 日 午前 九 時 十 分 御 上陸 栗林公園 御覽 同 十 一 時 四 十 五 分 御 歸艦 午後 零 時 三 十分御發艦同四時五十分愛媛縣來島沖御箸艦御假泊アラセラレタリ』[58] - ^ 『(
大正 三 年 三 月 )二 十 一 日 土曜日 (栗林公園 )午前 九 時 十 分 高松 に御 上陸 になり、人力車 にて栗林公園 にお成 りになる。園内 を御 巡覧 の後 、広芝 において小学校 生徒 による旗 体操 ・舞踏 などを御覧 になる。(略 )十 一 時 四 十 五 分 御 帰艦 になる。午後 零 時 三 十 分 高松 沖 を出港 される。航海 中 、後 甲板 において兵員 による柔道 ・撃剣 ・銃剣 ・相撲 等 の試合 を御覧 になる。四 時 五 十 分 愛媛 県 来島 沖 に御 到着 、御 仮泊 になる。』[60] - ^ 『(
大正 三 年 三 月 )二 十 二 日 日曜日 (発火 演習 御覧 )午前 九 時 来島 沖 を出港 、江田島 に向 かわれる。十 時 より筑波 ・金 剛 ・周防 三 艦 を仮想 敵 とした発火 演習 を御覧 になる。演習 途中 、墺 国軍 艦 カイゼリン・エリーザベトに邂逅 する。十 一 時 十 五 分 、演習 を終 えた筑波 ・金 剛 ・周防 三 艦 により登 舷 礼 をお受 けになる。昼餐 後 、後 艦橋 において兵員 の作業 の様子 を御覧 になる。午後 二 時 十 分 江田島 に御 到着 。海軍 兵学 校長 山下 源太郎 ・金 剛 艦長 山中 榮吉 ・周防 艦長 岡野 富士 松 ・筑波 艦長 加藤 寛治 が御召 艦 薩摩 に伺候 につき、謁を賜 う。午後 三 時 、御召 艦 薩摩 を御 出 艦 、海軍兵学校 に行啓 される。御 休 所 において山下 校長 以下 教官 に謁を賜 い、続 いて校長 より同校 に関 する説明 をお受 けになる。ついで運動 場 にお出 ましになり、学生 による徒手 体操 ・人馬 競争 ・野砲 競争 等 を御覧 になる。四 時 三 十 五 分 御 帰還 になる。御 夕 餐後、甲板 へお出 ましになり、海岸 付近 における兵 学校 生徒 による発火 演習 を御覧 になる。』[61] - ^ 『○
東宮 御 箸 艦 竝行 啓 皇太子 殿下 竝 ニ雍仁親王 、宣仁 親王 兩 殿下 ハ一 昨 二 十 二 日 午前 九 時 來島 沖 御 發 艦 午後 二時十分江田島御箸艦同三時十分御上陸海軍兵學校ヘ行啓 同 四 時 三 十 五 分 御 歸艦 アラセラレタリ』[64] - ^ 『○
東宮 御 巡覽 皇太子 殿下 竝 ニ雍仁親王 、宣仁 親王 兩 殿下 ハ一 昨 二 十 三 日 午前 八 時 二 十 五分御上陸海軍兵學校御巡覽午後四時五分御歸艦アラセラレタリ』[66] - ^ 『(
大正 三 年 三 月 )二 十 四 日 火曜日 (宮島 沖 御 着 、厳島 神社 御 参拝 、弥山 登山 )午前 六 時 江田島湾 を御 出港 ・厳島 神社 参拝 ・雍仁親王 ・宣仁 親王 と共 に杉 を手植 え・弥山 登山 、二 時 御 帰艦 。三時 十 五 分 宮島 沖 を出港 、呉 軍港 に向 かわれ、四 時 五 十 五 分 御 到着 になる。御 夕 餐後、後 艦橋 において呉 市街 を御 遠望 になり、呉 海軍 工廠 に関 する説明 をお聴 きになる』[67] - ^ 『○
東宮 御 箸 艦 皇太子 殿下 竝 ニ雍仁親王 、宣仁 親王 兩 殿下 ハ一 昨 二 十 四 日 午前 六 時 江田島 御 發 艦 同 七 時 二 十分宮島御箸艦御上陸宮島御覽ノ上 午後 三時十五分御發艦同四時五十五分呉軍港ニ御 箸 艦 アラセラレタリ』[68] - ^ 『○
東宮 御 箸 艦 竝 御 假泊 皇太子 殿下 竝 ニ雍仁親王 、宣仁 親王 兩 殿下 ハ一昨二十五日午前六時呉軍港御發艦午後五時十分小豆島ニ御 箸 艦 御 假泊 アラセラレタリ』[70] - ^ 『(
大正 三 年 三 月 )二 十 六 日 (神戸 御 上陸 )午前 七 時 四 十 五 分 、御召 艦 薩摩 は神戸 港 に向 け池田 湾 を出航 する。十 時 三 十 分 より乗組 員 による相撲 を御覧 になる。途中 、航行 中 の軍艦 朝日 より艦 礼 を受 けられ、御 答礼 になる。午後 零 時 四 十 分 神戸 港 に御 到着 になる。二 時 十 五 分 御 退 艦 、米 利 堅 波止場 に向 かわれ、停車場 にて第 一 艦隊 司令 長官 加藤 友三郎 ・同 参謀 長 佐藤 鉄太郎 ・薩摩 艦長 吉島 重太郎 ・兵庫 県知事 服部 一 三 以下 に賜 謁の後 、御 発車 になる。(以下 略 )』[71] - ^ 『○
東宮 御 安 箸 皇太子 殿下 竝 ニ雍仁親王 、宣仁 親王 兩 殿下 ハ一 昨 二 十 六 日 午前 七 時 四 十 五 分 小豆島 御 發 艦 午後 零 時 四 十 分 神戸港 御 箸 艦 御 上陸 同 三 時 神戸 停車場 御 發車 同 四時五十分京都停車場御箸車同五時二十分二條離宮ニ御 安 箸 アラセラレタリ|○東宮 行啓 皇太子 殿下 竝 ニ雍仁親王 宣仁 親王 兩 殿下 ハ昨 二 十 七日午前九時三十分二條離宮御出門八幡及宇治方面ヘ行啓 午後 四 時 二 十 五 分 還御 アラセラレタリ』[72] - ^ 『○
東宮 御 發 艦 皇太子 殿下 ハ一 昨 二 十 四 日 午前 六 時 四 十 分 二 條 離宮 御 出 門 同 七 時 京都 驛 御 發車 同 八時五十五分神戸驛御箸車御乗艦同十一時神戸港御發艦アラセラレタリ』[78]
出典
[- ^ #
週刊 栄光 の日本 海軍 パーフェクトファイル No.93裏表紙 の説明 から。 - ^ a b c d e f g h i j #
戦史 叢書 31海軍 軍 戦備 1付表 第 一 その一 「大正 九年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦 」 - ^ a b #
達 明治 39年 11月p.6『達 第 百 五 十 號 艦艇 類別 等級 別 表 中 戰艦 ノ欄 内 「鹿島 」ノ次 ニ「薩摩 」ヲ加 フ明治 三 十 九 年 十 一 月 十 五 日 海軍 大臣 斎藤 實 』 - ^ a b #
戦史 叢書 31海軍 軍 戦備 1pp.229-231 - ^ a b #M44
公文 備考 17/艦 体 構造 の部 (1)画像 5-6、38年 1月 4日 起案 、官房 機密 第 120号 「訓令 案 臨時 軍事 歩 ヲ以テ製造 スヘキ甲 号 (乙 号 )戦艦 別紙 図面 、製造 方法 書 並 ニ豫算 書 ニ基 キ所属 海軍 工廠 ニ於テ製造 セシムヘシ明治 三 十 八 年 一 月 廿 一 日 海軍 大臣 (甲 号 ノ分 )呉 鎮守 府 司令 長官 (乙 号 ノ分 )横須賀 鎮守 府 司令 長官 」 - ^ a b c d e f g h i j k l #
昭和 造船 史 1pp.776-777、附 表 第 2艦艇 要目 表 1.主力 艦 要目 表 - ^ #M44
公文 備考 17/艦 体 構造 の部 (3)画像 35、電報 「乙 号 戦闘 艦 本日 午前 十 時 キール据付 着手 ス五 月 十 五 日 横 鎮長官 」 - ^ a b #M44
公文 備考 18/薩摩 進水 式 (8)画像 37、電報 「薩摩 午後 二 時 二 十 五 分 滞 リ無 ク進水 セリ十 一 月 十 五 日 横 鎮長官 」 - ^ #M44
公文 備考 17/艦 体 構造 の部 (8)画像 5、電報 「本日 午前 十 時 薩摩 授受 ヲ結 了 セリ右 報告 ス四 十 三 年 三 月 廿 五 日 横 鎮長官 」 - ^ a b #
達 大正 12年 9月 画像 2『達 第 百 九 十 五 號 軍艦 香取 /同 鹿島 /同 薩摩 /同 安藝 /同 生駒 /同 鞍馬 /同 伊吹 /同 三笠 /同 肥前 右 帝國 軍艦 籍 ヨリ除 カル大正 十 二 年 九 月 二 十 日 海軍 大臣 財部 彪 』 - ^ a b c d e f g #
日本 近世 造船 史 明治 (1973)355-358頁 。 - ^ a b c #
帝国 海軍 機関 史 (1975)別冊 表 9、列国 製 艦 一覧 表 其ノ二 - ^ #
日本 近世 造船 史 明治 (1973)420頁 。 - ^ a b c d #
日本 近世 造船 史 明治 (1973)387頁 。 - ^ #
海軍 制度 沿革 10-1(1972)pp.495-496、明治 40年 4月 15日 (内 令 68)。|将校 同 相当 官 |39人 ||兵曹 長 同 相当 官 、准 士官 |22人 ||下士 |194人 ||卒 |681人 } - ^ a b c d #
日本 の戦艦 (上 )2001p.220 - ^ #T11
公文 備考 35/配属 (1)画像 47-48 - ^ a b c d e f g #
幕末 以降 帝国 軍艦 写真 と史実 p.85『薩摩 (さつま)艦 種 一等 戰艦 二 檣(信號 用 )安藝 と姉妹 艦 。艦 名 考 國名 なり、薩摩 國 に採 る。艦 歴 本 艦 は日 露 戰役 の教訓 により副 砲 を始 めて10吋 砲 とし、所謂 弩 級 戰艦 の先驅 をなしたるもの、大正 3年 乃至 大正 9年 戰役 (日 獨 )從軍 :同 3年 9月 第 蓋 南 遣 支隊 に属 し西 「カロリン」群島 の警戒 及占領 に任 ず(司令 官 中将 松村 龍雄 旗艦 、艦長 大佐 吉島 重太郎 )、同 12年 9月 20日 除籍 、廢棄 (華 府 海軍 々備制限 條約 に由 る)。 ―要目 ―長 482呎/幅 83.5呎/喫水 2.75呎/排水 量 19,370噸 /機關 直立 三 聯 成 汽罐 2基 宮原 式 20臺 /馬力 17,300/速力 18.25/乗組 人員 930/船 材 鋼 (甲 帶 9吋 )/兵 装 12吋 砲 4 10吋 砲 12 4.7吋 砲 12 12听砲12機關 砲 4發射 管 5/起工 明治 38-5-15/進水 同 39-11-15/竣工 同 42-3-25/建造 所 横須賀 工廠 』 - ^ #
帝国 最新 軍艦 帖 (1912)コマ41「戰艦 薩摩 Battle Ship "Satuma"」 - ^ a b #
達 明治 39年 11月p.6『達 第 百 四 十 九 號 横須賀 海軍 工廠 ニ於テ製造 ノ乙 號 戰艦 ヲ薩摩 ト命名 セラル明治 三 十 九 年 十 一 月 十 五 日 海軍 大臣 斎藤 實 』 - ^ #
幕末 以降 帝国 軍艦 写真 と史実 コマ238(原本 84頁 )『一 、初 めて内國 にて装甲 艦 を起工 す ―明治 三 十 八 年 (一 九 〇五 )戰艦 「薩摩 」を横須賀 工廠 にて、又 巡洋艦 「筑波 」を呉 工廠 にて起工 す、初 めて十 二 吋 砲 及 び装甲 鈑を呉 にて造 り且 つ宮原 式 混 燃 水 管 罐 を装備 す、(此年英國 に「ドレットノート」起工 )』 - ^
帝国 軍艦 発達 1937, p. 1「(前略 )其 の次 が薩摩 、安藝 で純然 たる日本 の設計 に基 き我 海軍 工廠 で建造 せられたるもので、薩摩 は12吋 砲 4門 速力 18 1/4節 排水 量 約 19,400噸 で、我 造船 技術 の躍進 的 進歩 でありました。安藝 は排水 量 を稍 大 として速力 20節 で初 めてタービン式 機關 を採用 致 して居 ります。(以下 略 )」 - ^ a b
写真 日本 の軍艦 戦艦 II、248頁 - ^ #
海軍 夜話 コマ110-111(原本 193-195頁 )「軍縮 條約 の廢棄 艦 」 - ^ a b #
現代 海上 兵備 (大正 4)コマ23-24(原本 11-12頁 )「(前略 )翻 って我國 は如何 と見 るに、我國 では明治 四 十 年 に、排水 量 一 九 ,八 〇〇噸 、速力 二 十 節 、兵 装 十 二 吋 砲 四 門 十 吋 砲 十 二 門 六 吋 砲 八 門 其 の他 を備ふる軍艦 安藝 を進水 せしめたのであって、是 が先 づ弩 型 艦 に属 する、安藝 の姉妹 艦 で前年 に進水 した薩摩 は、噸數 、兵 装 の上 では安藝 と大差 はないが、速力 の點 で弩 型 艦 たる資格 がない。即 ち我國 では、英國 に後 るヽこと一 年 で、弩 型 艦 を出 したのである。(以下 略 )」 - ^ a b c
写真 日本 の軍艦 戦艦 II、250頁 - ^ #
海軍 夜話 コマ108(原本 188-189頁 ) - ^
帝国 軍艦 発達 1924, p. 3c「(前略 )鹿島 、香取 までの戰艦 は總 て外國 で建造 されましたが(尤 も鹿島 、香取 に於 きましても根本 設計 は我 海軍 より與 へられたのであります)薩摩 、安藝 に至 りましては純然 たる日本 の設計 に基 き海軍 工廠 に於 て全然 日本人 の手 で建造 し材料 も大 部分 は内地 品 を使用 したのであります それで薩摩 の進水 の際 には果 して無事 に進水 が出來 るかどうかと云 ふ點 に關 し横濱 に居 る外人 間 に賭 があったと云 ふことでありました今日 より見 れば實 に馬鹿馬鹿 しき話 でありますがかかる事 もあったのであります 此二艦 が今日 の弩級艦 に達 する第 二 歩 であります。(以下 略 )」 - ^ a b
写真 日本 の軍艦 戦艦 II、249頁 - ^
海人 社 世界 の艦船 増刊 第 24集 日本 戦艦 史 - ^
帝国 軍艦 発達 1924, pp. 2–3「(前略 )其次が薩摩 及安藝 (明治 四 十 三 年 及四十 四 年 竣工 )でありまして此二艦 は最初 は姉妹 艦 として設計 せられたのでありますが仕事 の都合 で安藝 の方 が箸 手 が一 年 ばかり後 になりましたので其間に艦 型 が變更 されまして純然 たる姉妹 艦 ではなくなりました。(以下 略 )」 - ^
帝国 軍艦 発達 1924, p. 3a「(前略 )主砲 は何 れも十 二吋砲四門十吋砲十二門でありますが副 砲 は薩摩 に於 て四 ・七 インチ砲 十 二 門 のものが安藝 に於 ては六 吋 砲 八 門 となり防禦 も安藝 の方 が舷側 上 列 甲 鐵 及砲廓 の甲 鐵 が厚 さ二 吋 増 されて居 ります。(以下 略 )」 - ^
帝国 軍艦 発達 1924, p. 3b「(前略 )夫 に主 機械 も薩摩 のものは「レシプロケーチング、エンジン」でありますが安藝 のものは「カーチス、タルビン」になりまして馬力 が著 しく増 しましたので速力 が一節 四 分 の三 増 して居 ります尤 も排水 量 も安藝 の方 が四 百 五 十 噸 増 して居 りますが艦 の勢力 の増加 は排水 量 の増加 した割合 の比 でありません。(以下 略 )」 - ^ #M44
公文 備考 17/艦 体 構造 の部 (1)画像 1-2、明治 38年 1月 28日 官房 機密 第 147号 「横須賀 海軍 工廠 ニ於テ製造 スヘキ臨時 軍事 費 支弁 乙 号 戦艦 ニ要 スル甲 鉄 ハ総 テ呉 海軍 工廠 ニ於テ製造 シ横須賀 海軍 工廠 ヘ送付 セシムヘシ但 甲 鉄 ノ寸法 数量 及製造 費 豫算 ハ呉 海軍 工廠 ニ於テ製造 スヘキ甲 号 戦艦 ト同様 ト心得 ヘシ明治 三 十 八 年 一 月 廿 八 日 海軍 大臣 呉 鎮守 府 司令 長官 」 - ^ #M44
公文 備考 17/艦 体 構造 の部 (1)画像 14-18、明治 38年 2月 7日 契約 書 - ^ #M44
公文 備考 17/艦 体 構造 の部 (1)画像 12-13、明治 38年 2月 3日 起案 官房 機密 第 185号 - ^ #M44
公文 備考 17/艦 体 構造 の部 (2)画像 47-48、明治 38年 官房 機密 第 305号 「乙 号 戦艦 用 鋼板 購入 ノ件 」 - ^ #
海軍 制度 沿革 (巻 8、1940)p.199『◎戰艦 安藝 薩摩 装甲 巡洋艦 筑波 生駒 鞍馬 伊吹 命名 ノ件 明治 三 十 八 年 六 月 十 一 日 (内 令 三 一 六 )新造 軍艦 六 隻 艦 名 左 ノ通 御 治定 相成 候 條 命名 式 擧行 マテ部内 限 リ通用 スルコトヲ得 ル儀 ト心得 ヘシ|呉 海軍 工廠 ニ於テ製造 甲 號 戰艦 安藝 |横須賀 海軍 工廠 ニ於テ製造 乙 號 戰艦 薩摩 |呉 海軍 工廠 ニ於テ製造 子 號 装甲 巡洋艦 筑波 /丑 號 装甲 巡洋艦 生駒 |横須賀 海軍 工廠 ニ於テ製造 寅 號 装甲 巡洋艦 鞍馬 |呉 海軍 工廠 ニ於テ製造 第 一 號 装甲 巡洋艦 伊吹 』 - ^
大正天皇 実録 第 二 2017, p. 274a横須賀 軍港 に行啓 - ^
大正天皇 実録 第 二 2017, p. 274b海軍 工廠 に臨 ませらる - ^
大正天皇 実録 第 二 2017, p. 275a軍艦 香取 ・出雲 御 巡覧 - ^
大正天皇 実録 第 二 2017, p. 282a横須賀 軍港 に行啓 /天皇 を奉迎 /天皇 に扈従 軍艦 薩摩 進水 式 に御 参列 - ^ #
水難 救済 軍艦 コマ32-33「戰艦 薩摩 」 - ^
大正天皇 実録 第 二 2017, p. 282b. - ^
明治 39年 11月16日 官報 7016号 。国立 国会図書館 デジタルコレクション コマ2 - ^ #
海軍 制度 沿革 (巻 8、1940)p.200『◎戰艦 薩摩 命名 ノ件 明治 三 十 九 年 十 一 月 十 五 日 (達 一 四 九 )横須賀 海軍 工廠 ニ於テ製造 シタル乙 號 戰艦 ヲ薩摩 ト命名 セラル』 - ^ #
横須賀 海軍 工廠 史 (1)1983p.417、軍艦 薩摩 及鞍馬 炭 油 混 焼 装置 設置 方 訓令 - ^ #M39
公文 備考 17/造 修 6止 (4)画像 40-41、明治 39年 11月19日 起案 、官房 第 4661号 「訓令 案 軍艦 安藝 、伊吹 (呉 )薩摩 、鞍馬 (横 )ニ炭 油 混 焼 装置 設置 方 取 計 フヘシ但 シ工事 方案 等 ニツイテハ海軍 艦 政 本部 長 ト協議 スヘシ明治 三 十 九 年 十 一 月 十 九 日 大臣 呉 鎮長官 横 鎮長官 (各 二 通 )」 - ^ #M42
公文 備考 39/若宮 丸 関係 書類 (2)画像 12-14、明治 42年 6月 22日 発布 官房 第 2229号 「若宮 丸 ハ貨物 陸揚 次第 呉 軍港 ニ回航 セシメ同 工廠 貯蔵 ノ横須賀 行 キ軍艦 薩摩 用 兵器 類 及一般 貨物 ヲモ搭載 ノ上横須賀 ヘ回航 セシムル様 取 計 ヒ尚 豫定 出港 時日 ヲ報告 スヘシ」 - ^ #M43
公文 備考 142/貴 衆 両 議員 軍艦 薩摩 観覧 の件 (1)画像 1 - ^ #
正木 義 太 傳 173-174頁 『薩摩 砲術 長 時代 中佐 』 - ^ #
正木 義 太 傳 70-76頁 - ^ a b #M44
公文 備考 43/遭難 災害 1軍艦 の部 (5)画像 27、第 一 艦隊 機密 128号 の2 - ^ #M44
公文 備考 43/遭難 災害 1軍艦 の部 (5)画像 33、電報 「答 、薩摩 検定 射撃 中 十 二尹砲誤発アリシモ何等 損害 無 シ委細 文 七 月 十 八 日 一 艦隊 長官 」 - ^ a b #
昭和 天皇 実録 一 巻 538頁 - ^ a b c
高松宮 宣仁 親王 伝記 1991, p. 107. - ^ a b #
昭和 天皇 実録 二 巻 15-16頁 - ^ a b
大正 3年 3月 23日 官報 492号 。国立 国会図書館 デジタルコレクション コマ13 - ^ a b c
高松宮 宣仁 親王 伝記 1991, p. 108. - ^ #
昭和 天皇 実録 二 巻 16頁 - ^ a b #
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大正 3年 3月 24日 官報 493号 。国立 国会図書館 デジタルコレクション コマ5 - ^ #
昭和 天皇 実録 二 巻 17-18頁 『(大正 三 年 三 月 )二 十 三 日 月曜日 (再 び海軍兵学校 に行啓 )午前 八 時 十 分 御 出 艦 -海軍兵学校 行啓 ・雍仁親王 ・宣仁 親王 共 に記念樹 手植 え・午後 3時 50分 薩摩 帰艦 』 - ^
大正 3年 3月 25日 官報 494号 。国立 国会図書館 デジタルコレクション コマ4 - ^ a b #
昭和 天皇 実録 二 巻 18-19頁 - ^ a b
大正 3年 3月 26日 官報 495号 。国立 国会図書館 デジタルコレクション コマ5 - ^ #
昭和 天皇 実録 二 巻 19頁 『(大正 三 年 三 月 )二 十 五 日 水曜日 (呉 市 御 上陸 の中止 、池田 湾 に御 仮泊 )麻疹 流行 のため上陸 中止 、午前 六 時 御召 艦 薩摩 出発 、薩摩 ・摂津 ・石見 各 艦 対抗 溺 者 救助 競技 御覧 。午後 五 時 十 分 、小豆島 池田 湾 に御 着 艦 、御 仮泊 。』 - ^
大正 3年 3月 27日 官報 496号 。国立 国会図書館 デジタルコレクション コマ7 - ^ a b #
昭和 天皇 実録 二 巻 19-20頁 - ^ a b
大正 3年 3月 28日 官報 497号 。国立 国会図書館 デジタルコレクション コマ37 - ^
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大正 の海軍 物語 コマ35-36(原本 51-52頁 ) - ^ #
戦 袍 余 薫 懐旧 録 .第 3輯コマ78(原本 125頁 )『第 二 南 遣 支隊 の行動 南洋 群島 占領 とヤップ島 事件 (第 二南遣支隊司令官海軍少将)海軍 中将 松村 龍雄 』 - ^ a b #
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海 を征 くコマ67-68(原本 121-122頁 ) - ^ #
海軍 制度 沿革 (巻 8、1940)p.60『◎大正 十 二 年 九 月 二 十 日 (達 一 九 六 )艦艇 類別 等級 別 表 中 戰艦 ノ欄 内 「香取 、鹿島 、薩摩 、安藝 」、巡 洋 戰艦 ノ欄 内 「生駒 、鞍馬 、伊吹 」及海防 艦 ノ欄 内 「三笠 、肥前 」ヲ削除 ス』 - ^ #
達 明治 39年 11月p.2『達 第 百 九 十 六 號 艦艇 類別 等級 別 表 中 戰艦 ノ欄 内 「香取 、鹿島 、薩摩 、安藝 」、巡 洋 戰艦 ノ欄 内 「生駒 、鞍馬 、伊吹 」及海防 艦 ノ欄 内 「三笠 、肥前 」ヲ削除 ス大正 十 二 年 九 月 二 十 日 海軍 大臣 財部 彪 』 - ^ a b c d
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大正 13年 9月 2日 (火) 海軍 公報 第 3553号 p.8」 アジア歴史 資料 センター Ref.C12070292900 『○艦船 所在 ○九 月 二 日 午前 十 時 調 【館山 】(旗艦 )長門 、陸奥 、日向 、山城 、(旗艦 )多摩 、夕張 、(旗艦 )天龍 、(旗艦 )迅鯨、常磐 、(旗艦 )比叡 、金 剛 、(旗艦 )由良 、名取 、長良 、(旗艦 )川内 、(旗艦 )平戸 、韓崎 、若宮 、扶桑 、(司令 )驅 三 、驅 五 、驅 七 、(司令 )羽風 、秋風 、夕 風 、(司令 )潜 五 九 、潜 七 二 、(司令 )潜 六 二 、潜 四 五 、潜 四 四 』 - ^ a b #
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