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館山たてやまこう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
館山たてやまこう
Tateyama Port
館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし接岸せつがんした「おがさわらまる
所在地しょざいち
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 千葉ちばけん館山たてやま
座標ざひょう 北緯ほくい3459ふん15.7びょう 東経とうけい13950ふん48.7びょう / 北緯ほくい34.987694 東経とうけい139.846861 / 34.987694; 139.846861座標ざひょう: 北緯ほくい3459ふん15.7びょう 東経とうけい13950ふん48.7びょう / 北緯ほくい34.987694 東経とうけい139.846861 / 34.987694; 139.846861
詳細しょうさい
開港かいこう 1953ねん3月(港湾こうわん区域くいき認可にんか
管理かんりしゃ 千葉ちばけん
種類しゅるい 地方ちほう港湾こうわん
LOCODE JP_TTY
統計とうけい
統計とうけい年度ねんど 2015年度ねんど参考さんこう
発着はっちゃくすう 1,415せき(495,933そうトン)[1]
旅客りょかくすう 38,788にん[2]
公式こうしきサイト 千葉ちばけん
館山港の位置(100x100内)
館山港
館山湾たてやまわん地図ちず赤丸あかまるない館山たてやまこう

館山たてやまこう(たてやまこう)は、千葉ちばけん館山たてやま館山たてやま湾岸わんがん位置いちする港湾こうわんほううえ地方ちほう港湾こうわんである。くに特定とくてい地域ちいき振興しんこう重要じゅうよう港湾こうわん指定していされている。港湾こうわん管理かんりしゃ千葉ちばけん

館山湾たてやまわん別名べつめい鏡ヶ浦かがみがうら」ともばれ、日本にっぽんひゃくけいはじめ、日本にっぽん夕陽ゆうひひゃくせん関東かんとう富士見ふじみひゃくけい東京とうきょうわん100せん房総ぼうそう魅力みりょく500せん恋人こいびと聖地せいちなどに選定せんていされ、みなみ房総ぼうそう国定こくてい公園こうえんうつくしい景勝けいしょうとして静穏せいおん海域かいいき年間ねんかんとおして温暖おんだん気候きこうめぐまれた天然てんねん良港りょうこうである。桟橋さんばし形式けいしきとしては、日本一にっぽんいちながい「館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし」には旅客船りょかくせん官公庁かんこうちょうせんをはじめ3まんトンきゅう客船きゃくせん接岸せつがんできる[3]旅客りょかくターミナルおよび交流こうりゅう拠点きょてん施設しせつとしてなぎさえき”たてやま整備せいびされ、みなとオアシス指定していされている[4]

概要がいよう[編集へんしゅう]

館山湾たてやまわん花火はなび大会たいかい水中花すいちゅうか

房総半島ぼうそうはんとう南端なんたん東京とうきょうわん湾口わんこう館山湾たてやまわん位置いちする天然てんねん良港りょうこうで、南側みなみがわ半島はんとうおおわれているため、周辺しゅうへん外海がいかいからの影響えいきょうすくない静穏せいおん海域かいいきである[5]南国なんごくあかるい風光ふうこう年間ねんかん平均へいきん気温きおん16℃の温暖おんだん気候きこうめぐまれ、冬期とうきでもいろあざやかなはな々によっていろどられている「はなのまち」で、また、サンゴやウミホタルなどの貴重きちょう資源しげん豊富ほうふのこる「うみのまち」でもある。館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし周辺しゅうへんでは「ウミホタル観察かんさつかい」を開催かいさいしている[6]

ふるくより生鮮せいせんぎょ魚河岸うおがしまではこ水揚みずあみなととしてさかえたほか、1889ねん明治めいじ22ねん)には東京湾とうきょうわん汽船きせん現在げんざい東海汽船とうかいきせん)が東京とうきょう - 館山たてやま航路こうろ開設かいせつするなど、房総半島ぼうそうはんとうへの航路こうろ拠点きょてんでもあった。1963ねん昭和しょうわ38ねん)には水中翼船すいちゅうよくせん就航しゅうこうしている。その旅客りょかく航路こうろぶし運航うんこうとなり、現在げんざい水深すいしん5.5メートル岸壁がんぺき4バース(うち1バース耐震たいしん強化きょうか岸壁がんぺき)などが整備せいびされ、おもすな砂利じゃりなどの資材しざいあつか工業こうぎょうこうとなっている。港湾こうわん東側ひがしがわには海上かいじょう自衛隊じえいたい館山たてやま航空こうくう基地きち隣接りんせつする。

1953ねん昭和しょうわ28ねん)3がつには港湾こうわん区域くいき認可にんかけ、千葉ちばけん港湾こうわん管理かんりしゃとなり開港かいこうする。国連こくれん欧州おうしゅう経済けいざい委員いいんかい(UNECE)が制定せいていしている海港かいこうコード(UN/LOCODE)は「JP_TTY」[7][8]

1993ねん平成へいせい5ねん)に国土こくど交通省こうつうしょうから海岸かいがん事業じぎょうとして「ビーチ利用りよう促進そくしんモデル地区ちく」の指定していけ、突堤とってい護岸ごがん遊歩道ゆうほどう整備せいびされた[9]2000ねん平成へいせい5ねん)5がつには、観光かんこう・レクリエーション分野ぶんやでの地域ちいき振興しんこう期待きたいされるとして特定とくてい地域ちいき振興しんこう重要じゅうよう港湾こうわん選定せんていされており[10]港湾こうわん北側きたがわ大型おおがた客船きゃくせん寄港きこう可能かのう館山たてやまこう多目的たもくてき観光かんこう桟橋さんばし館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし)が整備せいびされ、2010ねん平成へいせい22ねん)に供用きょうよう開始かいしとなった。

国土こくど交通省こうつうしょう千葉ちばけん館山たてやま共同きょうどう策定さくていした「館山たてやまこう港湾こうわん振興しんこうビジョン」にもとづき、みなとまちづくりを推進すいしんしている[11]毎年まいとし、8がつには特大とくだいスターマイン水中すいちゅう8ごうだま直径ちょっけい250メートル)の水中花すいちゅうかをはじめとする花火はなび10,000はつをわずか75ふん館山湾たてやまわん花火はなび大会たいかい開催かいさいされる[12]。また海岸かいがん特設とくせつステージでは、花火はなびをバックに様々さまざまなイベント(フラメンコなど)がおこなわれる。

館山湾たてやまわんめんして北側きたがわには船形ふながた漁港ぎょこうだい3しゅ漁港ぎょこう)、北条ほうじょう海岸かいがん海水浴かいすいよくじょう)が整備せいびされており館山たてやまこう工業こうぎょうこう旅客りょかくターミナル)とけされている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだい以前いぜん[編集へんしゅう]

館山たてやま城下じょうかみなと[編集へんしゅう]

歌川うたがわ広重ひろしげ富士ふじさんじゅうろくけい』より「房州ぼうしゅう保田やすだ海岸かいがん

718ねん養老ようろう2ねん)、安房あわこく成立せいりつし、平久里川へぐりがわ流域りゅういきげん:館山湾たてやまわん周辺しゅうへん)に国府こくふがおかれ、1099ねんかんかず元年がんねん)、安房あわ国司こくしみなもと親元ちかもと柏崎かしわざきげん:館山たてやま)からふねかえった。このころにはすで館山湾たてやまわん周辺しゅうへんにて海運かいうんおこなわれていたとされる。

1601ねん慶長けいちょう6ねん)、里見さとみ義康よしやす館山たてやましろしたてて、本格ほんかくてき城下町じょうかまち建設けんせつをはじめ、商人しょうにんふねしん井浦いうら館山湾たてやまわん)へ入船いりふねすることを義務ぎむづける[13]

江戸えど明治めいじ時代じだい[編集へんしゅう]

海上かいじょう輸送ゆそう発展はってん[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだいはいると、徳川とくがわ家康いえやすから、1614ねん慶長けいちょう19ねん大坂おおさかじん活躍かつやくした木更津きさらづ水夫すいふへの報奨ほうしょうとして、江戸えど木更津きさらづあいだでの渡船とせん営業えいぎょうけんなどの特権とっけんあたえられた。それにともない、1615ねん元和がんわ1ねん新井あらいくすのきげん:館山たてやま)においても船乗ふなのり30にんが、大坂おおさかじんにて活躍かつやくされる。その木更津きさらづ上総かずさこく安房あわこく海上かいじょう輸送ゆそう玄関げんかんこうとして繁栄はんえいし、海上かいじょう輸送ゆそう発達はったつした江戸えど時代じだいおも東京とうきょう湾内わんない輸送ゆそう大力だいりきせんながさ31しゃくやく9.4メートル)から65しゃくやく19.7メートル)ほどの小型こがた廻船かいせん)が活躍かつやくし、上総かずさこく下総しもうさこく同様どうよう安房あわこくにおいても海辺うみべ穀類こくるい薪炭しんたんなどの運送うんそうもちいられるほかひとせて旅客りょかく輸送ゆそうおこなっていた。

鋸南きょなんまち保田やすだ海岸かいがんえがいた歌川うたがわ広重ひろしげ浮世絵うきよえである『富士ふじさんじゅうろくけい』の「房州ぼうしゅう保田やすだ海岸かいがん」において、鋸山のこぎりやました位置いちするいそづたどう館山たてやまこうまでつづいていたとされる[14]当時とうじ安房あわこく中心ちゅうしんであった館山たてやま方面ほうめんいたいそづたどう絶景ぜっけいみちではあったが、交通こうつう難所なんしょとしてもられていた。海岸かいがんがけ沿いをけたトンネルのおお道路どうろは、明治めいじ中期ちゅうきになって整備せいびされている。

榎本えのもと艦隊かんたい起死回生きしかいせい[編集へんしゅう]

品川しながわおきから館山たてやまおきかう榎本えのもと艦隊かんたい
函館はこだてかうきゅう幕府ばくふぐん

幕末ばくまつ江戸城えどじょう開城かいじょう当日とうじつ榎本えのもとしん政府せいふへの軍艦ぐんかん引渡ひきわたしにおうじず、悪天候あくてんこう理由りゆう艦隊かんたい館山たてやまおき移動いどう当時とうじ館山湾たてやまわん日本にっぽん有数ゆうすうだい艦隊かんたい碇泊ていはくするみなとであったため、館山たてやまにて兵力へいりょくととのえ、軍艦ぐんかん8せき函館はこだてかう準備じゅんびととのえる[15]。(はこかん戦争せんそう

恭順きょうじゅんかつ海舟かいしゅう説得せっとく品川しながわおきもどり、富士山ふじさんまる観光かんこうまる朝陽あさひまるしょう鶴丸つるまるの4せきしん政府せいふ引渡ひきわたすが、開陽かいようなど主力しゅりょくかん温存おんぞん成功せいこうした。7月、榎本えのもとたいして仙台せんだいはん中心ちゅうしんとする奥羽おううえつ列藩れっぱん同盟どうめいから支援しえん要請ようせいがあり、8がつ20日はつか開陽かいよう旗艦きかんとして8せきからなるきゅう幕府ばくふ艦隊かんたい開陽かいようわだかまりゅう回天かいてん千代田ちよだがた軍艦ぐんかん4せき咸臨丸かんりんまるちょうくじらまる神速しんそくまる美賀みかまる運送うんそうせん4せき)が品川しながわおき脱走だっそうし、仙台せんだいへと目指めざした。

この榎本えのもと艦隊かんたいには、若年寄わかどしより永井ながい尚志ひさし陸軍りくぐん奉行ぶぎょうなみ松平まつだいら太郎たろうなどの重役じゅうやくほか大塚おおつか霍之すすむまる毛利もうりひさしなどあきらたいのこりと人見ひとみ勝太郎かつたろう伊庭いば八郎はちろうなどのゆうげきたい、そして、きゅう幕府ばくふ軍事ぐんじ顧問こもんだん一員いちいんだったジュール・ブリュネアンドレ・カズヌーヴらフランス軍人ぐんじんなど、総勢そうぜい2,000めい乗船じょうせんしていた。

汽船きせん就航しゅうこう館山たてやま航路こうろ[編集へんしゅう]

明治めいじはいると館山たてやま辰野たつの安五郎やすごろう安全あんぜんしゃをおこし、東京とうきょうれいいわおとう)と館山たてやまあいだ汽船きせん就航しゅうこうさせる計画けいかくてる。それにともない、のち船形ふながた那古なご北条ほうじょう館山たてやま汽船きせん発着はっちゃく桟橋さんばし設置せっち整備せいびおこなわれる。1881ねん明治めいじ14ねん)、だいいちかい安房あわ共立きょうりつ汽船きせん会社かいしゃ設立せつりつされ、安全あんぜんしゃとの競争きょうそうをはじめ、その大倉おおくら喜八郎きはちろう渋沢しぶさわ栄一えいいちなど財界ざいかいじん株主かぶぬしになり、豊津とよつむら日本水産にっぽんすいさん会社かいしゃ設立せつりつ1889ねん明治めいじ22ねん)、11月より東京湾とうきょうわん汽船きせん会社かいしゃ現在げんざい東海汽船とうかいきせん株式会社かぶしきがいしゃ)が東京とうきょう - 館山たてやま航路こうろ開設かいせつした。館山たてやまこうさかなおおく、創業そうぎょう当初とうしょのドルばこ航路こうろだった。これらの館山たてやま航路こうろ整備せいびにより、館山たてやまこう房総半島ぼうそうはんとうへの航路こうろ拠点きょてんとしての役割やくわりになう。

昭和しょうわ時代じだい平成へいせい時代じだい[編集へんしゅう]

軍事ぐんじ整備せいび館山たてやま開港かいこう[編集へんしゅう]

日本にっぽん陸軍りくぐんさんしき潜航せんこう輸送ゆそうていIがた」(館山湾たてやまわん、1945ねん以降いこう

昭和しょうわはいると館山たてやま航空こうくう基地きち完成かんせいし、館山たてやま海軍かいぐん航空こうくうたい開設かいせつぐん専用せんようこう施設しせつする(ひがし防波堤ぼうはてい)。これにより、館山湾たてやまわんには様々さまざま軍艦ぐんかん潜水せんすいかんなどがられるようになる。大房岬だいぶさみさき西にしみさき地区ちく東京湾とうきょうわん要塞ようさい砲台ほうだい構築こうちくされ、さらに洲ノ崎すのざき海軍かいぐん航空こうくうたい笠名かさな大賀たいがひらけたいするなど、軍事ぐんじ整備せいび次々つぎつぎおこなわれた。館山たてやま実戦じっせん態勢たいせいとなり、陸上りくじょうたい水上すいじょうたい両方りょうほうそなえる中枢ちゅうすう基地きちとなる。また、一時いちじちゅうおさむたいをおいてそとせん部隊ぶたい一翼いちよくになうが、木更津きさらづ基地きち完成かんせいともなかおさむたいはそちらへうつったことにより、以後いご館山たてやま航空こうくう基地きち内戦ないせん部隊ぶたいとなる。1945ねん昭和しょうわ20ねん)、古地こち川崎かわさき空襲くうしゅうがあり、館山たてやまこうからアメリカぐん上陸じょうりくし、終戦しゅうせんむかえる。

戦後せんご、1948ねん昭和しょうわ23ねん)、館山たてやまこう地方ちほう港湾こうわん指定していし、1949ねん昭和しょうわ24ねん)、東海汽船とうかいきせん戦争せんそう中断ちゅうだんしていた館山たてやま航路こうろ復活ふっかつした。1952ねん昭和しょうわ27ねん)、館山たてやまこうねん計画けいかく修築しゅうちく開始かいしする。1953ねん昭和しょうわ28ねん)、海上かいじょう警備けいびたい海上かいじょう自衛隊じえいたい館山たてやま航空こうくうたい設立せつりつされ、同年どうねんの3がつ港湾こうわん区域くいき認可にんかけ、千葉ちばけん港湾こうわん管理かんりしゃとなり館山たてやまこうとして開港かいこうする。

開港かいこう整備せいび[編集へんしゅう]

1958ねん昭和しょうわ33ねん)、みなみ房総ぼうそう国定こくてい公園こうえん一部いちぶ指定していされ、館山たてやまこうから船形ふながたさかなこうあいだ海岸かいがん道路どうろ完成かんせいした。東京湾とうきょうわん高速こうそくせん株式会社かぶしきがいしゃにより水中翼船すいちゅうよくせんバカンスごう・ファミリーごう東京とうきょう館山たてやまあいだ就航しゅうこうさせる。その旅客りょかく航路こうろぶし運航うんこうとなり、水深すいしん5.5メートル岸壁がんぺき4バース(うち1バース耐震たいしん強化きょうか岸壁がんぺき)などが整備せいびされ、おもすな砂利じゃりなどの資材しざいあつか工業こうぎょうみなとへと変貌へんぼうしていく。

1973ねん昭和しょうわ48ねん)、だい28かい国民こくみん体育たいいく大会たいかい若潮わかしお国体こくたい)ヨット競技きょうぎ会場かいじょうになり、1993ねん平成へいせい5ねん)に国土こくど交通省こうつうしょうから海岸かいがん事業じぎょうとして「ビーチ利用りよう促進そくしんモデル地区ちく」の指定していけ、これにより、館山たてやまこうにおける多目的たもくてき観光かんこう桟橋さんばし整備せいび事業じぎょう北条ほうじょう海岸かいがんにおけるビーチ利用りよう促進そくしんモデル事業じぎょう、シンボルロード整備せいび事業じぎょうなどをすすめることなる。

2000ねん平成へいせい5ねん)5がつには、観光かんこう・レクリエーション分野ぶんやでの地域ちいき振興しんこう期待きたいされるとして特定とくてい地域ちいき振興しんこう重要じゅうよう港湾こうわん選定せんていされており、港湾こうわん北側きたがわ大型おおがた客船きゃくせん寄港きこう可能かのう館山たてやまこう多目的たもくてき観光かんこう桟橋さんばし館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし)が整備せいびされ、2010ねん平成へいせい22ねん)に供用きょうよう開始かいしとなった。国土こくど交通省こうつうしょう千葉ちばけん館山たてやま共同きょうどう策定さくていした「館山たてやまこう港湾こうわん振興しんこうビジョン」にもとづき、「にぎわいのある海辺うみべづくり」を基本きほんてき計画けいかくとして「みなとまちづくり」を推進すいしんしている。

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

  • 1601ねん慶長けいちょう6ねん里見さとみ義康よしやす館山たてやま城下じょうかてて、本格ほんかくてき城下町じょうかまち建設けんせつをはじめ、商人しょうにんふねしん井浦いうら館山湾たてやまわん)へ入船いりふねすることを義務ぎむづける
  • 1615ねん元和がんわ元年がんねん新井あらいくすのきみる船乗ふなのり30にんが、大坂おおさかなつじん活躍かつやくされる
  • 1703ねん元禄げんろく16ねん元禄げんろくだい地震じしんがおこり、那古なご船形ふながたから館山たてやまにかけて200メートル - 400メートルはば干潟ひがたができる
  • 1721ねんとおる6ねん浦賀うらが神奈川かながわけん横須賀よこすか)に番所ばんしょ設置せっちされ、江戸えどへの渡海とかいせん検査けんさけるようになるが、鮮魚せんぎょ輸送ゆそう押送おうそうせん例外れいがいとされる
  • 1801ねんとおる元年がんねん伊能いのう忠敬ちゅうけい鏡ヶ浦かがみがうら海岸かいがん測量そくりょうする
  • 1847ねんひろし4ねん武蔵むさしこくにんはん海防かいぼう陣屋じんや北条ほうじょうづるだにきずき、湊川みなとがわ平久里川へぐりがわ河口かこうにはじめてみなときょうける
  • 1868ねん明治めいじ元年がんねんきゅう幕府ばくふ海軍かいぐん榎本えのもと武揚ぶよう館山湾たてやまわん兵力へいりょくととのえ、軍艦ぐんかんはちせき函館はこだてかう
  • 1878ねん明治めいじ11ねん館山たてやま辰野たつの安五郎やすごろう安全あんぜんしゃをおこし、東京とうきょうれいいわおとう)と館山たてやまあいだ汽船きせん就航しゅうこうさせ、のち船形ふながた那古なご北条ほうじょう館山たてやま汽船きせん発着はっちゃく桟橋さんばし設置せっちされる
  • 1889ねん明治めいじ22ねん) 11月より東京湾とうきょうわん汽船きせん会社かいしゃげん東海汽船とうかいきせん株式会社かぶしきがいしゃ)が館山たてやま航路こうろ進出しんしゅつ
  • 1901ねん明治めいじ34ねん館山湾たてやまわんやく500とうほどのクジラが回遊かいゆう
  • 1907ねん明治めいじ40ねん東京湾とうきょうわん汽船きせん急行きゅうこう便びん夏季かき航路こうろ開始かいし
  • 1919ねん大正たいしょう8ねん洲崎すざき灯台とうだい点火てんか
  • 1920ねん大正たいしょう9ねん館山湾たてやまわんないあみぬしなどがこうしまさかなづけりん植樹しょくじゅ
  • 1923ねん大正たいしょう12ねん館山たてやま桟橋さんばし拡幅かくふく工事こうじながさ226メートル、はば5.5メートル)完了かんりょう
  • 1923ねん大正たいしょう12ねん関東大震災かんとうだいしんさい隆起りゅうきがおこり、桟橋さんばし破損はそん復旧ふっきゅうまではしけぶね利用りよう
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん東京湾とうきょうわん要塞ようさい地帯ちたい指定してい地域ちいきになる
  • 1926ねん大正たいしょう15ねんきゅう桟橋さんばし南側みなみがわ館山たてやま桟橋さんばし復旧ふっきゅうながさ270メートル、はば5.5メートル)
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん千葉ちばけん安房あわぐん館山たてやままち浅瀬あさせ造成ぞうせいした館山たてやま飛行場ひこうじょう完成かんせい
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん宮城みやぎおき干潟ひがた館山たてやま海軍かいぐん航空こうくうたい開設かいせつぐん専用せんようこう施設しせつする(ひがし防波堤ぼうはてい
  • 1935ねん昭和しょうわ10ねん大型おおがた客船きゃくせん新造しんぞうたちばなまるが、東京とうきょう館山たてやまあいだ就航しゅうこう
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん古地こち川崎かわさき空襲くうしゅうがあり、館山たてやまこうからアメリカぐん上陸じょうりく
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん館山たてやまこう地方ちほう港湾こうわん指定してい
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん東海汽船とうかいきせん戦争せんそう中断ちゅうだんしていた館山たてやま航路こうろ復活ふっかつ
  • 1952ねん昭和しょうわ27ねん館山たてやまこうねん計画けいかく修築しゅうちく開始かいしきた防波堤ぼうはてい新設しんせつなど)
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん海上かいじょう警備けいびたい海上かいじょう自衛隊じえいたい館山たてやま航空こうくうたい設立せつりつされる
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん)3がつ 港湾こうわん区域くいき認可にんかけ、千葉ちばけん港湾こうわん管理かんりしゃとなり館山たてやまこうとして開港かいこうする。
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねんみなみ房総ぼうそう国定こくてい公園こうえん一部いちぶ指定していされる
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん館山たてやまこうから船形ふながたさかなこうあいだ海岸かいがん道路どうろ完成かんせい
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん東京湾とうきょうわん高速こうそくせん株式会社かぶしきがいしゃ水中翼船すいちゅうよくせんバカンスごう・ファミリーごう東京とうきょう館山たてやまあいだ就航しゅうこうさせる
  • 1973ねん昭和しょうわ48ねんだい28かい国民こくみん体育たいいく大会たいかい若潮わかしお国体こくたい)ヨット競技きょうぎ会場かいじょうになる
  • 1993ねん平成へいせい5ねん館山たてやまがビーチ利用りよう促進そくしんモデル地区ちく指定していされる
  • 2000ねん平成へいせい12ねん館山たてやまこう特定とくてい地域ちいき振興しんこう重要じゅうよう港湾こうわん選定せんていされる

港湾こうわん施設しせつ[編集へんしゅう]

けいりゅう施設しせつ[編集へんしゅう]

番号ばんごう バースめい 延長えんちょう(m) 所定しょてい水深すいしん(m) エプロンはば(m) 対象たいしょう船舶せんぱく重量じゅうりょうtすう 構造こうぞう様式ようしき 備考びこう供用きょうようねん
1 -3.0ぶつ揚場あげば 56.0 -3.0 6.0 7そうトン 重力じゅうりょくしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ38ねん
2 -4.0ぶつ揚場あげば 120.0 -4.0 10.0 700 重力じゅうりょくしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ63ねん
3 2ごうせん揚場あげば 139.0 -1.0 供用きょうようちゅう昭和しょうわ63ねん
4 1ごうせん揚場あげば 80.0 -1.0 供用きょうようちゅう昭和しょうわ63ねん
5 -5.5岸壁がんぺきだい4 90.0 -5.5 15.0 2,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ63ねん
6 -5.5岸壁がんぺきだい3 90.0 -5.5 15.0 2,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ63ねん
7 -5.5岸壁がんぺきだい1 90.0 -5.5 13.0 2,000 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう耐震たいしんバース(平成へいせい15ねん
8 -5.5岸壁がんぺきだい2 90.0 -5.5 13.0 2,000 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう昭和しょうわ60ねん
9 -4.5大蔵おおくら岸壁がんぺき 60.0 -4.5 13.0 700 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ56ねん
10 漁協ぎょきょうまえ-3.0ぶつ揚場あげば 44.0 -3.0 13.0 40そうトン 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう
11 3ごうせん揚場あげば 53.0 -2.5 5そうトン 供用きょうようちゅう昭和しょうわ59ねん
12 -4.5大蔵おおくらだい2岸壁がんぺき 60.0 -4.5 15.0 700 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ58ねん
13 -3.0ぶつ揚場あげば 20.0 -3.0 100~300 くいしき 供用きょうようちゅう平成へいせい22ねん
14 -7.5ぶつ揚場あげば多目的たもくてき桟橋さんばし 240.0 -7.5 30,000そうトン くいしき 供用きょうようちゅう平成へいせい22ねん

荷捌にさばき[編集へんしゅう]

対象たいしょう番号ばんごう 名称めいしょう 面積めんせき(㎡)
15 -4.0荷捌にさばき 3,590
16 -5.5荷捌にさばき 1,650
17 3ごう荷捌にさばき 1,135
18 4ごう荷捌にさばき 545
19 ごう荷捌にさばき 1,494
20 5ごう荷捌にさばき 1,524
21 -4.5荷捌にさばき 763
22 -4.5埋立うめたて野積のづみじょう 532

野積のづみじょう[編集へんしゅう]

対象たいしょう番号ばんごう 名称めいしょう 面積めんせき(m2
23 -5.5埋立うめたて野積のづみじょう 3,630
24 ごう野積のづみじょう 3,289
25 3ごう野積のづみじょう 3,997
26 -4.5埋立うめたて野積のづみじょう 532

みなとぜい[編集へんしゅう]

2015年度ねんど参考さんこう

  • 発着はっちゃくすう 1,415せき(495,933そうトン)[1]
  • 利用りよう客数きゃくすう 38,788にん乗込のりこめ人員じんいん20,166にん上陸じょうりく人員じんいん18,622にん[2]
  • 取扱とりあつかい貨物かもつ 852,811トン[16]

館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし[編集へんしゅう]

館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばしは、正式せいしき名称めいしょう館山たてやまこう多目的たもくてき観光かんこう桟橋さんばし」の愛称あいしょう桟橋さんばし形式けいしきとしては日本一にっぽんいちなが桟橋さんばしで、海岸かいがんどおりから500メートルのながさがある。四季しきとおして様々さまざま船舶せんぱく着岸ちゃくがんする。

館山たてやまにおいて館山たてやまこう多目的たもくてき観光かんこう桟橋さんばし愛称あいしょう募集ぼしゅうしたところ、全国ぜんこくから応募おうぼ総数そうすう305けん、268作品さくひん応募おうぼがあった(館山たてやま市内しない159けん館山たてやまのぞ千葉ちば県内けんない71けん千葉ちばけんがい75けん)。選考せんこうは「館山たてやまこう多目的たもくてき観光かんこう桟橋さんばし愛称あいしょう選考せんこう委員いいんかい」でおこない、審議しんぎ結果けっか館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし」 に決定けっていした。決定けっていした愛称あいしょう広報こうほう観光かんこうパンフレットなどに表示ひょうじするなど、積極せっきょくてき活用かつようはか[17]

航路こうろ[編集へんしゅう]

当港に寄港した東海汽船「セブンアイランド友」
とうみなと寄港きこうした東海汽船とうかいきせん「セブンアイランドとも
当港に寄港した東海汽船「セブンアイランド大漁」
とうみなと寄港きこうした東海汽船とうかいきせん「セブンアイランド大漁たいりょう

明治めいじより、旅客りょかくターミナルとしての実績じっせき桟橋さんばし整備せいび館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし)がすすみ、房総半島ぼうそうはんとうへの航路こうろ拠点きょてんとしての役割やくわりになう。

日東にっとう商船しょうせん海中かいちゅう観光かんこうせん東海汽船とうかいきせん高速こうそくジェットせんぶし運航うんこう寄港きこうするほか、小笠原おがさわら海運かいうんおがさわらまるとしすうかい程度ていど寄港きこうする。また、モニターツアーで東京湾とうきょうわんフェリー入港にゅうこうした実績じっせきもある[18]

近年きんねんではクルーズようみなととして国土こくど交通省こうつうしょうの「CRUISE PORT GUIDE OF JAPAN」に掲載けいさいされ、世界せかい最大さいだいのクルーズ見本市みほんいち「クルーズ・シッピング・マイアミ」において紹介しょうかいされている[19][20]

日東にっとう商船しょうせん
  • 海中かいちゅう観光かんこうせん「サブマリーンたてやまごう
    • 館山湾たてやまわん水深すいしん3メートル - 4メートルの海域かいいき中心ちゅうしん周遊しゅうゆうはん潜水せんすいしき画期的かっきてき観光かんこうせん冷暖房れいだんぼう完備かんび[21]
東海汽船とうかいきせん
  • 高速こうそくジェットせんジェットフォイル
  • 高速こうそくジェットせん「セブンアイランド」
    • 館山たてやま館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし) - 伊豆いず大島おおしま - 熱海あたみ - 伊東いとう - 稲取いなとり静岡しずおか
      • はる定期ていき便びん運航うんこう毎年まいとし2がつから3がつにかけてのぶし運航うんこう寄港きこうする
    • 東京とうきょうたけしば埠頭ふとう) - 館山たてやま館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし
      • はる定期ていき便びん運航うんこう毎年まいとし2がつから3がつにかけてのぶし運航うんこう寄港きこうする
小笠原おがさわら海運かいうん
  • 貨客船かきゃくせん「おがさわらまる
    • とし1かい程度ていど寄港きこう
東京湾とうきょうわんフェリー
  • 大型おおがたせん「かなやまる
  • 横須賀よこすか久里浜くりはまこう) - 房総半島ぼうそうはんとうクルーズ - 館山たてやま館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばし
    • みなみ房総ぼうそう日帰ひがえりモニターツアー(期間きかん限定げんてい
その寄港きこう実績じっせき
  • 学術がくじゅつ研究けんきゅうせん白鳳はくほうまる
  • 帆船はんせん「みらいへ」
  • 千葉ちばけん海上かいじょう保安ほあん所属しょぞく「たかたき」

クルーズせん寄港きこう実績じっせき[編集へんしゅう]

  • 2010ねん
  • 2013ねん
    • ふじまる総トン数そうとんすう23,235トン、全長ぜんちょう167.00メートル)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 港湾こうわん統計とうけい平成へいせい27年度ねんどだい3だい1ひょう
  2. ^ a b 港湾こうわん統計とうけい平成へいせい27年度ねんどだい3だい2ひょう
  3. ^ 館山たてやま夕日ゆうひ桟橋さんばしについて”. 館山たてやま市役所しやくしょ. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  4. ^ みなとオアシス”なぎさえき”たてやま|みなとオアシス”. www.pa.ktr.mlit.go.jp. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  5. ^ 千葉ちばけん. “地方ちほう港湾こうわん”. 千葉ちばけん. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  6. ^ 千葉ちばけん観光かんこう物産ぶっさん協会きょうかい. “ウミホタル観察かんさつかい”. まるごとe! ちば - 千葉ちばけん公式こうしき観光かんこう物産ぶっさんサイト -. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  7. ^ UN/LOCODE(みなとおよ地名ちめいコード)”. www.jastpro.org. 2019ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  8. ^ みなと略称りゃくしょう一覧いちらん - SANKYU-物流ぶつりゅう情報じょうほうサービス(CISS)”. webciss.sankyu.co.jp. 2019ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  9. ^ 地域ちいき魅力みりょくアップモデル事業じぎょうかか基本きほん計画けいかくhttps://www.city.tateyama.chiba.jp/files/300003002.pdf
  10. ^ 地域ちいき魅力みりょくアップモデル事業じぎょうかか基本きほん計画けいかく館山たてやまhttps://www.city.tateyama.chiba.jp/files/300003002.pdf
  11. ^ 館山たてやまこう港湾こうわん振興しんこうビジョン概要がいよう”. 館山たてやま市役所しやくしょ. 2019ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  12. ^ 館山湾たてやまわん花火はなび大会たいかいだい55かい館山たてやま観光かんこうまつり”. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  13. ^ たてやまフィールドミュージアム”. enjoy-history.boso.net. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  14. ^ 風景ふうけい15.富士ふじさんじゅうろくけい 房州ぼうしゅう保田やすだ海岸かいがん (ふじさんじゅうろっけい ぼうしゅうほたのかいがん)”. 船橋ふなばしホームページ. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  15. ^ 参考さんこう『イラストではこかん戦争せんそう』(新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ
  16. ^ 千葉ちばけん. “平成へいせい28ねん千葉ちばけん港湾こうわん統計とうけい年報ねんぽう”. 千葉ちばけん. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  17. ^ 館山たてやまこう多目的たもくてき観光かんこう桟橋さんばし」の愛称あいしょう決定けってい”. 館山たてやま市役所しやくしょ. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  18. ^ 東京湾とうきょうわんフェリーみなみ房総ぼうそう日帰ひがえりモニターツアー|みなみ房総ぼうそうイベント”. www.mboso-etoko.jp. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  19. ^ 館山たてやまこう/CRUISE PORT GUIDE OF JAPAN”. www.mlit.go.jp. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  20. ^ CRUISE PORT GUIDE OF JAPAN~ | 2014ねん | 報道ほうどう発表はっぴょう | 報道ほうどう会見かいけん | 観光かんこうちょう”. www.mlit.go.jp. 2019ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  21. ^ 日東にっとう商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ館山たてやま沖縄おきなわ名護なご / 伊平屋いへや / 伊是名いぜな)・千葉ちば横浜よこはま 海中かいちゅう観光かんこうせん / 遊覧ゆうらんせん”. www.nitto.ecnet.jp. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]