(Translated by https://www.hiragana.jp/)
騎馬民族 - Wikipedia コンテンツにスキップ

騎馬きば民族みんぞく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
フンぞく想像そうぞう(19世紀せいき

騎馬きば民族みんぞく(きばみんぞく)は、うま主要しゅよう移動いどう手段しゅだんとしてもちいる民族みんぞくであり、遊牧民ゆうぼくみん騎馬きば民族みんぞく狩猟しゅりょうみん騎馬きば民族みんぞく農耕のうこうみん騎馬きば民族みんぞくなど、その生業せいぎょうはさまざまである[1]

騎馬きば民族みんぞくとは、うま多数たすう飼養しようし、騎乗きじょうによる機動きどうりょく自分じぶんたちの日常にちじょうてき生産せいさん活動かつどうから交易こうえきふく対外たいがい活動かつどういたるまで利用りよう[2]騎馬きば戦術せんじゅつもちいては農耕のうこう地帯ちたい進出しんしゅつして、略奪りゃくだつないし征服せいふくをおこない、また、そこに移住いじゅうしたしょ民族みんぞくをまとめた呼称こしょうである[3]

本来ほんらいてきには、ユーラシア大陸たいりく中央ちゅうおうステップ草原そうげん)の遊牧ゆうぼく騎馬きば民族みんぞくまたは騎馬きば遊牧ゆうぼく民族みんぞくのことをしている[2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

Kyz kuu(girl chasing)としょうされる、チュルクけい民族みんぞくわか男女だんじょきそ馬術ばじゅつゲーム(カザフスタン2000ねん)。
女性じょせい勝利しょうりして男性だんせいにムチをふるっている。2人ふたりともカザフの伝統でんとうてき衣装いしょうている。

騎馬きば民族みんぞくには、ユーラシア内陸ないりく乾燥かんそう地帯ちたい中心ちゅうしん活動かつどうした遊牧民ゆうぼくみんけい騎馬きば民族みんぞくと、元来がんらい乾燥かんそう地帯ちたい森林しんりんまたは農耕のうこう地帯ちたいとが近接きんせつする一帯いったい牧畜ぼくちく農耕のうこう狩猟しゅりょうにたずさわっていた遊牧民ゆうぼくみんけい騎馬きば民族みんぞくがある[3]

遊牧民ゆうぼくみんけい騎馬きば民族みんぞくには、西方せいほうにおいてはスキタイサルマタイパルティアアランフンアヴァールハザールなどのしょ民族みんぞく東方とうほうにあっては、匈奴きょうどやわしか突厥ウイグルちぎりモンゴルジュンガルといった勢力せいりょくられている[2][3]。その中間ちゅうかんには、サカがらすまごかんきょエフタルカザフなどのしょぞくられる[2]

一方いっぽう遊牧民ゆうぼくみんけいは、東方とうほうがらす鮮卑おっとあまりおんなしんまんしゅうぞくなどである[3]高句麗こうくり)を騎馬きば民族みんぞくとしてあつかうこともある[3]遊牧民ゆうぼくみんけい騎馬きば民族みんぞくも、おおくの場合ばあい隣接りんせつした遊牧民ゆうぼくみんけい騎馬きば民族みんぞく影響えいきょうけて騎馬きば民族みんぞくしたものとかんがえられる[3]

歴史れきし[編集へんしゅう]

古代こだいメソポタミアニネヴェ出土しゅつどしたクツワ

当初とうしょ、ウマは食料しょくりょうようであったという[4]。それが家畜かちくされたのは紀元前きげんぜん4千年紀せんねんきドニエプルがわ流域りゅういきおこったスレドニ・ストグ文化ぶんかにおいてであったとかんがえられる[4][注釈ちゅうしゃく 1]。ただし、このウマは放牧ほうぼくによるのではなく、がこいのなか飼養しようされていたとみられる[4]。そして、乗馬じょうば風習ふうしゅう考古学こうこがくてき証拠しょうこやく5,500ねんまえボタイ文化ぶんか英語えいごばんにさかのぼり、ヨーロッパ草原そうげん地帯ちたいにおける最古さいこ乗馬じょうばしめ証拠しょうこヤムナ文化ぶんか紀元前きげんぜん3600ねんごろ~紀元前きげんぜん2200ねんごろ)からつかっている(やく5,000ねんまえ)。なお、乗用じょうようさきだって、ウマは牽引けんいん用役ようえききょうされたものとかんがえられるが、その運搬うんぱんりょく機動きどうりょく生活せいかつ生業せいぎょう便益べんえき拡大かくだいのみならず戦闘せんとうりょくとして重用じゅうようされた[5]

スキタイの黄金おうごんせいたて
シカ浮彫うきぼり彫刻ちょうこくがなされている

騎馬きば民族みんぞく成立せいりつたした遊牧民ゆうぼくみん役割やくわりは、上述じょうじゅつした経緯けいいからも、きわめておおきいといわなければならないが、遊牧ゆうぼく騎馬きばとはかならずしも最初さいしょからむすいていたわけではない[3]騎乗きじょうには、手綱たづなハミ、クツワが最低限さいていげん必要ひつよう不可欠ふかけつである[4][6][注釈ちゅうしゃく 2]クラアブミもまた必要ひつようである[6]。こうした道具どうぐもちいた騎馬きばじゅつ古代こだいオリエント普及ふきゅうしたのは、おそらくは紀元前きげんぜん10世紀せいき前後ぜんごであろうとかんがえられている[3][注釈ちゅうしゃく 3]。そして、おそらくは当該とうがい地域ちいきから騎乗きじょうじゅつまなんでそれを遊牧ゆうぼく結合けつごうさせ、世界せかい史上しじょう最初さいしょ遊牧ゆうぼく騎馬きば民族みんぞく国家こっか成立せいりつさせたのが、アーリアけい(イランけい)のスキタイである[3]。スキタイは、紀元前きげんぜん8世紀せいきすえごろ、東方とうほうよりみなみロシアのステップ地帯ちたい遊牧ゆうぼく騎馬きば民族みんぞくとして出現しゅつげんし、紀元前きげんぜん6世紀せいき以後いごポントス草原そうげん中心ちゅうしんみなみロシアからきたコーカサスにかけての地域ちいき強大きょうだい遊牧ゆうぼく国家こっか樹立じゅりつした[2][3][注釈ちゅうしゃく 4]。その文化ぶんかは、えだしきのハミと棒状ぼうじょう鏡板かがみいたとからなるクツワといった馬具ばぐ、アキナケスがたけん両翼りょうよくさんつばさ鏃といった武器ぶき、および、馬具ばぐ武器ぶき装身具そうしんぐバックルやピンなど)などにほどこされた動物どうぶつ文様もんよう動物どうぶつのかたちをとおるり、または浮彫うきぼりにした文様もんよう)に特色とくしょくがある[3][7][8][注釈ちゅうしゃく 5][注釈ちゅうしゃく 6]動物どうぶつ文様もんようはまた、衣装いしょうやウマのかざりにもほどこされた[7][8]。スキタイは、アケメネスあさペルシアダレイオス1せいアルゲアスあさマケドニア大王だいおうアレクサンドロス3せいたたかい、これをやぶったこともあった[注釈ちゅうしゃく 7]まもる雅夫まさおによれば、「遊牧民ゆうぼくみん騎馬きばじゅつ採用さいようによって、蒸気じょうき機関きかん発明はつめい以前いぜんにおける最大さいだい機動きどうりょく獲得かくとくし、神出鬼没しんしゅつきぼつ騎兵きへい軍団ぐんだんをつくりあげ、農業のうぎょう定着ていちゃくみん軍隊ぐんたい圧倒あっとうした」のである[3]

トラヤヌスの記念きねんばしらこくされたサルマタイカタフラクトじゅう騎兵きへい)、2世紀せいき
アヴァールじん騎馬きばゆみ

スキタイ以降いこう中央ちゅうおうユーラシアの遊牧民ゆうぼくみん相次あいついで騎馬きば民族みんぞくしていった[2]遊牧民ゆうぼくみんたちはヒツジヤギウシラクダ、そしてウマなどといった動物どうぶつい、これをってぶしてき一定いってい地域ちいきでの移動いどうかえし、これら家畜かちくにくちちもうかわ衣食住いしょくじゅう利用りようして平和へいわらしていたが、金属きんぞくせいハミなどといった馬具ばぐがもたらされ、騎乗きじょうじゅつ進歩しんぽすると、この機動きどうりょく牧畜ぼくちく生産せいさんにあてはめて遊牧ゆうぼく経済けいざい拡大かくだいさせていった[2]。ヒツジをはじめとする動物どうぶつれを分散ぶんさんして放牧ほうぼくすることが可能かのうになり、集団しゅうだん内部ないぶ相互そうご連絡れんらく家畜かちく管理かんり集団しゅうだんとの連携れんけい容易よういになった[6]草原そうげんでウマを飼養しようすることはむずかしいことではないので騎馬きばじゅつはたちまち普及ふきゅうした[6]。そして、おびただしいかずうま背景はいけいとしてその機動きどうりょく組織そしきし、飛躍ひやくてき戦闘せんとうりょく増強ぞうきょうして、それを外部がいぶけるようになった[2]。こうした対外たいがい活動かつどう遊牧ゆうぼく騎馬きば民族みんぞく同士どうし場合ばあいもあったが、農耕のうこう地帯ちたいたいしてもおおけられた[2]とく後者こうしゃたいする略奪りゃくだつ征服せいふく活動かつどうは、長期ちょうきにわたって世界せかいうごかし、展開てんかいさせることにおおきな役割やくわりたした[2]紀元前きげんぜん4世紀せいき西方せいほうではサルマタイ活躍かつやくがみられた[10]。スキタイ同様どうようイランけいぞくしていたとかんがえられるかれらは、東方とうほうよりやっててスキタイの勢力せいりょくクリミア半島くりみあはんとう方面ほうめんいつめ、スキタイ遊牧ゆうぼく帝国ていこくほろぼして、これを併合へいごうした[7][10]一方いっぽう、スキタイの動物どうぶつ文様もんよう特徴とくちょうとする騎馬きば文化ぶんか東方とうほうのモンゴル高原こうげんにもつたわり、紀元前きげんぜん3世紀せいきすえ同地どうちおこった騎馬きば遊牧ゆうぼく国家こっか匈奴きょうどにも影響えいきょうをあたえた[3][9]

匈奴きょうどは、テュルクけいまたはモンゴルけいといわれ、アルタイけいぞくし、たんばれる君主くんしゅのもとで強大きょうだいした[11]

なお、三品みしな彰英あきひでは、うまらなかったきたアメリカ先住民せんじゅうみんが、やがてスペインじんのもたらしたうま受容じゅようして有力ゆうりょく騎馬きば民族みんぞくになった事例じれい紹介しょうかいしている[12]

騎馬きば文化ぶんか影響えいきょう[編集へんしゅう]

ズボン
ズボンいたスキタイじん

ズボンは、ユーラシア大陸たいりく乾燥かんそう地帯ちたい人々ひとびと騎馬きば生活せいかつおよび遊牧ゆうぼく生活せいかつのなかからまれてきた衣服いふく代表だいひょうである[13]。モンゴル高原こうげんから中央ちゅうおうアジア、西にしアジアをアフリカいたるまで、うまって草原そうげん砂漠さばく移動いどうしつづけるかれらのファッション定着ていちゃく生活せいかつおく農耕のうこう民族みんぞくとはおのずとことなるものであった[13]2014ねん中国ちゅうごく北西ほくせいタリム盆地ぼんちにある墳墓ふんぼから3,300ねんまえのズボンが出土しゅつどした[14]騎馬きば遊牧民ゆうぼくみんうま騎乗きじょうするさい着用ちゃくようしていたものとかんがえられており、この墳墓ふんぼからはムチやクツワ、ゆみおのなども出土しゅつどしている[14]酷寒こっかん猛暑もうしょからまもり、ウマにまたがるらしからまれ、スキタイや匈奴きょうどなどで利用りようされたズボンはおそらく当初とうしょ獣皮じゅうひフェルトでつくられたものとかんがえられるが、やがてぬのせいになり、ヨーロッパに伝播でんぱして今日きょう洋服ようふくのズボンのがたとなった[13]

競馬けいば

競馬けいば騎馬きば民族みんぞくがことのほか愛好あいこうするスポーツである[15]うまはしらせる機会きかい多岐たきにわたるが、とりわけ死者ししゃ供養くようさいには競馬けいばがつきものである[15]。キルギス草原そうげんおこなわれた、富裕ふゆうキルギスじん亡父ぼうふ供養くようさいった19世紀せいき後半こうはん言語げんご学者がくしゃ記録きろくによれば、このレースの1賞品しょうひんは「あかぬのつくったぶりのテントと必要ひつよう家具かぐ一式いっしきくらをおいたうま花嫁はなよめ衣裳いしょうをまとった1人ひとりわかむすめ、50とうのラクダ、50とうのウマ、50とうのウシ、50とうのヒツジ」であったという[15][注釈ちゅうしゃく 8]死者ししゃまつりの競馬けいば中央ちゅうおうアジアの遊牧民ゆうぼくみんには一般いっぱんてき習俗しゅうぞくであり、一説いっせつには、もともと死者ししゃ騎乗きじょうして死者ししゃかいおもむくのを可能かのうにするとともに死者ししゃあたらしいじゅう死者ししゃかい)での乗用じょうよう動物どうぶつ附与ふよする意味合いみあいをゆうしていたという[15]競馬けいば騎馬きば文化ぶんかともにユーラシアの各地かくちひろまって、各地かくちのそれぞれの文化ぶんかじりあって様々さまざま民俗みんぞく行事ぎょうじとなり、多様たよう儀礼ぎれい形態けいたいんだ[15]

騎馬きば民族みんぞく関連かんれんする学説がくせつ[編集へんしゅう]

騎馬きば民族みんぞくれい[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ユーラシアの草原そうげん地帯ちたいにおいては、野生やせい原型げんけいとしてやく200しゅられている[4]。そのうち、スレドニ・ストグ文化ぶんかにおいて家畜かちくされたのはタルパンとしょうされるしゅであった[4]
  2. ^ クツワは、ウマのくちにかませるハミ、ハミがはずれないようにくち両側りょうがわにつける鏡板かがみいた手綱たづなむすしゅからっており、その意匠いしょうには民族みんぞく特色とくしょくあらわれ、芸術げいじゅつてきなものもおお[4]
  3. ^ 最古さいこ馬術ばじゅつしょは、紀元前きげんぜん1400ねんころにヒッタイト馬匹ばひつ調教ちょうきょうキックリによって、粘土ねんどばん5まい楔形文字くさびがたもじしるされた「キックリ文書ぶんしょ」で、その内容ないようは、チャリオット戦闘せんとうよう馬車ばしゃ)を牽引けんいんする馬匹ばひつ給餌きゅうじつようまからだづくりの方法ほうほう、ウマの体調たいちょう管理かんりなどについてであった[5]
  4. ^ スキタイに先立さきだってキンメリアじんという遊牧民ゆうぼくみんがあったことがられているが、詳細しょうさいはよくわかっていない[7]。キンメリアとスキタイはおな種族しゅぞくぞくし、たがいに相似そうじ言語げんご使用しようしていただろうと推測すいそくされている[7]
  5. ^ アキナケスがたけんとはぎゃくハートがたつばをもった短剣たんけんである[8]
  6. ^ 馬具ばぐ武器ぶき動物どうぶつ文様もんようを「スキタイのさん要素ようそ」としょうすることがあるが、とく動物どうぶつ文様もんようはスキタイならではの文化ぶんか要素ようそである[8]もっともよく登場とうじょうする動物どうぶつは、シカ、ウマ、ヤギ、ヒョウワシグリフォンなどである[8]
  7. ^ 紀元前きげんぜん6世紀せいきすえのダレイオス1せいのスキタイ遠征えんせいによってペルシア帝国ていこく領域りょういき中央ちゅうおうアジアにも拡大かくだいし、現在げんざいのカザフスタン南部なんぶにもおよんだ[9]紀元前きげんぜん4世紀せいき後半こうはん、アケメネスあさ中央ちゅうおうアジアりょうはマケドニアのアレクサンドロス大王だいおう継承けいしょうされた[9]
  8. ^ 10賞品しょうひんはウマ5とうであった[15]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ おかない 1994,pp.41-42
  2. ^ a b c d e f g h i j 吉田よしだ順一じゅんいち改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん)『騎馬きば民族みんぞく』 - コトバンク
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m まもる雅夫まさお日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ)『騎馬きば民族みんぞく』 - コトバンク
  4. ^ a b c d e f g 加藤かとう 1991,D116-D119
  5. ^ a b 新庄しんじょう武彦たけひこ日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ)『馬術ばじゅつ』 - コトバンク
  6. ^ a b c d 岩村いわむら 1975,pp.84-86
  7. ^ a b c d e 岩村いわむら 1975,pp.90-94
  8. ^ a b c d e はやし 1990, pp. 34–35
  9. ^ a b c 岡田おかだ 1990, pp. 8–14
  10. ^ a b はやし 1990, pp. 56–58
  11. ^ 岩村いわむら 1975,pp.101-104
  12. ^ 佐原さわら 1993,pp.72-73
  13. ^ a b c 丹野たんの 1991,D114-D115
  14. ^ a b “タリム盆地ぼんち世界せかい最古さいこのパンツ発見はっけん、3300ねんまえ遊牧ゆうぼく民族みんぞく乗馬じょうば着用ちゃくようか―中国ちゅうごく. レコードチャイナ (レコードチャイナ). (2014ねん6がつ5にち). https://www.recordchina.co.jp/b89205-s0-c70-d0000.html 2024ねん5がつ16にち閲覧えつらん 
  15. ^ a b c d e f 寒川さむかわ 1991,D125

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 岩村いわむらしのぶ世界せかい歴史れきし5 西域せいいきとイスラム』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ中公ちゅうこう文庫ぶんこ〉、1975ねん1がつ 
  • おかないさんしん騎馬きば民族みんぞく征服せいふく王朝おうちょうせつ」の問題もんだいてん」『早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう紀要きよう. 哲学てつがく史学しがくへんだい40かん早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう、1994ねん、41-58ぺーじ 
  • 岡田おかだ英弘ひでひろ ちょ序章じょしょう 中央ちゅうおうユーラシアの歴史れきし世界せかい」、まもる雅夫まさお岡田おかだ英弘ひでひろ へん民族みんぞく世界せかい4 中央ちゅうおうユーラシアの世界せかい山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1990ねん6がつISBN 4-634-44040-7 
  • 加藤かとうきゅう ちょ遊牧民ゆうぼくみんとウマ」、野上のかみあつし へん朝日あさひ百科ひゃっか世界せかい歴史れきし2』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1991ねん11月。ISBN 4-02-380008-2 
  • 佐原さはらしん考古学こうこがくせん一夜いちや小学館しょうがくかん、1993ねん7がつISBN 4-09-626054-1 
  • 寒川さむかわ恒夫つねお ちょ競馬けいば:うま供養くようから民俗みんぞく行事ぎょうじへ」、野上のかみあつし へん朝日あさひ百科ひゃっか世界せかい歴史れきし2』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1991ねん11月。ISBN 4-02-380008-2 
  • 丹野たんのいく ちょ「ズボン」、野上のかみあつし へん朝日あさひ百科ひゃっか世界せかい歴史れきし2』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1991ねん11月。ISBN 4-02-380008-2 
  • はやし俊雄としお ちょだいIあきら 草原そうげんみん古代こだいユーラシアの遊牧ゆうぼく騎馬きば民族みんぞく」、まもる雅夫まさお岡田おかだ英弘ひでひろ へん民族みんぞく世界せかい4 中央ちゅうおうユーラシアの世界せかい山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1990ねん6がつISBN 4-634-44040-7 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]