皇 居
The Imperial Palace | |
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1888
概 要
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現 在 の皇 居
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宮 殿
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64,640 m² | |
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〒100-0001 | |
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正 殿
[松 の間 宮 殿 内 で最 も格 式 の高 い部 屋 で、板 張 りである。新 年 祝 賀 の儀 、信 任 状 捧 呈 式 、内 閣 総 理 大 臣 任 命 式 (親 任 式 )、認 証 官 任 命 式 、勲 章 親 授 式 、講 書 始 の儀 、歌 会 始 の儀 等 の主 要 な通 年 の儀 式 に使 用 される他 、朝 見 の儀 や即 位 の礼 の中 心 的 儀 式 である即 位 礼 正 殿 の儀 などの皇 室 の重 要 儀 式 でも使 用 される。昭 和 天 皇 の大 喪 儀 に際 して殯 宮 が設 けられた。左 右 に報 道 室 がある。竹 の間 主 に、天 皇 ・皇 后 が外 国 の元 首 や政 府 要 人 と会 見 し、又 は皇 居 を訪 れた日 本 政 府 関 係 者 及 び民 間 人 を引 見 する等 の儀 式 並 びに行 事 に使 用 される。梅 の間 主 に、皇 后 関 係 の儀 式 ・行 事 (皇 后 誕 生 日 祝 賀 、皇 后 引 見 等 )等 に使 用 される。
豊 明 殿
[連 翠
[長 和 殿
[1969
春 秋 の間 宮 内 では豊 明 殿 に次 いで広 い大 広 間 で、各 国 賓 客 の歓 迎 会 や拝 謁 等 に用 いられる。平 成 に入 ってからは、各 種 レセプションに使 用 される機 会 も多 くなった。石 橋 の間 、松 風 の間 春 秋 の間 に隣 接 した広 間 で、参 殿 者 の休 所 等 として利 用 される。北 の間 、波 の間 参 殿 者 の休 所 等 として利 用 される部 屋 。北 溜 、南 溜 北 車 寄 、南 車 寄 につながる玄 関 ホール。北 溜 は記 帳 所 として利 用 されることもある。波 の間 と正 殿 の間 には長 さ70メートルほどの回 廊 があり、国 賓 等 は南 溜 から回 廊 を経 て正 殿 に向 かう。車 寄 北 車 寄 、南 車 寄 、中 車 寄 がある。北 車 寄 は長 和 殿 の北 端 、南 車 寄 は長 和 殿 の南 端 、中 車 寄 は長 和 殿 の地 下 にある。特 に南 車 寄 は宮 殿 の正 面 玄 関 であり、国 賓 や外 交 使 節 を迎 える際 に使 用 されるほか、祝 賀 御 列 の儀 などの即 位 の礼 にも使 用 された。長 和 殿 と東 庭 の地 下 は、参 殿 者 のための地 下 駐 車 場 となっており、大 型 乗 用 車 120台 分 を駐 車 できる。
千 草 ・千 鳥 の間
[回 廊
[庭 園
[中 庭 正 殿 、豊 明 殿 、回 廊 、長 和 殿 に四 方 を囲 まれた庭 園 。即 位 礼 正 殿 の儀 の際 、威 儀 物 奉 持 者 が居 並 び、旛 旗 が立 てられる。東 庭 東 庭 は外 国 元 首 が栄 誉 礼 を受 ける場 や、新 年 及 び天 皇 誕 生 日 の一 般 参 賀 の場 として使 用 される。「松 の塔 」がある。地 下 は参 殿 者 のための駐 車 場 となっている。南 庭
表 御 座 所
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正 殿 天 皇 の即 位 礼 正 殿 の儀 -
正 殿 松 の間 即 位 礼 正 殿 の儀 -
長 和 殿 天 皇 即 位 を祝 っての一 般 参 賀 で天 皇 ・皇 族 が揃 う -
宮 殿 の地 図
皇 居 内 の施 設
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御 所 第 125代 天 皇 明 仁 一 家 の住 居 として建 設 された。吹 上 御 苑 内 にあり、昭 和 天 皇 がゴルフ場 として使 用 していた広 芝 の西 部 分 に建 てられ、建 物 は雁 が群 れて飛 ぶように配 されている[14][15]。1991年 (平 成 3年 )10月 に着 工 、1993年 (平 成 5年 )5月 に竣 工 し、同 年 12月 より使 用 が開 始 された。建 物 は地 上 2階 、地 下 1階 の鉄 筋 コンクリート造 で、外 観 は銅 板 葺 。延 床 面 積 は5,290平 方 メートル。設 計 は内 井 昭 蔵 による。接 遇 部 分 (広 間 や御 進 講 室 、食 堂 、皇 族 休 所 など11室 )や私 室 部 分 (居 間 や書 斎 、寝 室 など17室 )、事 務 部 分 (侍 従 や女 官 の部 屋 など32室 )がある。2階 には天 皇 の「ご身 位 に伴 う部 屋 」として、三 種 の神 器 のうち天 叢 雲 剣 の形 代 と八 尺 瓊 勾 玉 を保 管 する「剣 璽 の間 」・急 な公 務 をするための「執 務 室 」の2室 がある。地 下 には巨 大 な倉 庫 があり、各 国 からの贈 り物 や思 い出 の品 々が積 まれている。接 遇 部 分 の「広 間 」や「小 広 間 」では、国 内 外 の賓 客 との会 見 や食 事 会 、茶 会 などが行 われる。- 2019
年 (平 成 31年 )4月 30日 以 前 の第 125代 天 皇 明 仁 の在 位 時 は、天 皇 の住 居 として単 に「御 所 」、退 位 後 の同 年 (令 和 元 年 )5月 1日 から2020年 (令 和 2年 )3月 30日 までは、上 皇 の御 所 として「吹 上 仙 洞 御 所 」と称 されていた。上 皇 が東 京 都 港 区 高 輪 の仙 洞 仮 御 所 (高 輪 皇 族 邸 )に転 居 した後 に改 修 工 事 が行 われ、2021年 (令 和 3年 )9月 に第 126代 天 皇 徳 仁 一 家 が赤 坂 御 所 から転 居 し、再 び天 皇 の正 式 な住 居 としての「御 所 」となった[16]。 吹 上 大 宮 御 所 (吹 上 御 所 )生 前 の昭 和 天 皇 と香 淳 皇 后 の住 居 たる御 所 であり、「吹 上 御 所 」と称 されていた。吹 上 御 苑 内 にあり、昭 和 天 皇 の還 暦 を記 念 して1961年 (昭 和 36年 )に竣 工 した。2階 建 ての鉄 筋 コンクリート造 で、外 装 は象 牙 色 のタイル貼 り、屋 根 は銅 板 葺 。延 床 面 積 は4,088平 方 メートル。御 文 庫 とつないで建 てられている。- 1
階 は居 間 や和 室 、食 堂 、書 斎 、書 庫 などで、2階 は寝 室 や浴 室 となっている。「剣 璽 の間 」は、寝 室 の隣 に設 けられていた[17]。 昭 和 天 皇 の崩 御 後 は「吹 上 大 宮 御 所 」と改 称 され、皇 太 后 となった香 淳 皇 后 の住 居 として使 用 されていた。2000年 (平 成 12年 )の香 淳 皇 后 が崩 御 した後 は使 用 されておらず、建 物 は宮 内 庁 が管 理 している。宮 中 三 殿


生 物 学 研 究 所 - 1928
年 (昭 和 3年 )、昭 和 天 皇 が生 物 学 の研 究 を行 うために建 設 された施 設 。 現 在 は上 皇 明 仁 がハゼを始 めとする魚 類 学 の研 究 を行 ったり、その年 の新 嘗 祭 を執 り行 う際 に用 いられる新 穀 米 を栽 培 したりするなど多 岐 に亘 って供 用 されている。米 の栽 培 は職 員 の手 を借 りつつも、種 まきから田 植 え、稲 刈 りまでを自 ら行 なっている。- かつては「
生 物 学 御 研 究 所 」とも称 されたが、2008年 (平 成 20年 )10月 に明 仁 天 皇 (当 時 )の意 向 により、「御 」が外 されて現 名 称 に統 一 されている。なお明 仁 天 皇 自 身 は単 に「研 究 所 」と呼 んでいる。 紅 葉 山 御 養 蚕 所 - 1914
年 (大 正 3年 )に貞 明 皇 后 の命 により建 てられ、以 来 、歴 代 皇 后 が蚕 を飼 育 している施 設 である。御 養 蚕 所 で飼 われる蚕 から出 来 た絹 製 品 は、主 に皇 室 の儀 典 用 衣 裳 等 に用 立 てられる。 皇 居 東 御 苑
- 1968
年 (昭 和 43年 )10月 1日 から宮 中 行 事 に支 障 のない限 り一 般 に公 開 されている。平 成 以 降 、大 嘗 祭 の会 場 となる「大 嘗 宮 」(悠 紀 殿 ・主 基 殿 )は苑 内 の本 丸 地 区 に設 営 されている[18][19]。 三 の丸 尚 蔵 館 皇 室 に受 け継 がれた美 術 品 が1989年 (平 成 元 年 )6月 に国 に寄 贈 されたことから、これを保 管 ・展 示 ・研 究 するために建 てられた。1993年 (平 成 5年 )11月 3日 に開 館 した。桃 華 楽 堂

香 淳 皇 后 の還 暦 を記 念 して建 てられた今 井 兼 次 設 計 の音 楽 堂 。1966年 (昭 和 41年 )2月 に建 てられる。内 装 及 び、外 装 には8種 類 のモザイク壁 画 が描 かれる。名 称 は香 淳 皇 后 のお印 「桃 」や画 号 「桃 苑 」にちなむ。皇 宮 警 察 本 部 庁 舎


- 1949
年 (昭 和 24年 )に当 時 の宮 内 府 から図 書 寮 の職 務 を引 き継 いで設 置 された部 署 で、内 部 には歴 史 的 ・文 化 的 資 料 、学 術 研 究 用 資 料 の管 理 を行 う図 書 寮 文 庫 と、特 定 歴 史 公 文 書 等 の管 理 を行 う宮 内 公 文 書 館 とがそれぞれ設 置 されている[21]。 宮 内 庁 楽 部 庁 舎
雅 楽 の保 存 や演 奏 、演 舞 などを担 当 する楽 部 の庁 舎 で、毎 年 秋 に雅 楽 演 奏 の一 般 公 開 が行 われている[22]。また、皇 居 参 観 にて一 般 参 観 コースから目 視 できる建 造 物 のひとつでもある[23]。宮 内 庁 病 院 - 1964
年 (昭 和 39年 )竣 工 。1987年 (昭 和 62年 )から翌 1988年 (昭 和 63年 )に設 備 機 器 の改 修 を、2012年 (平 成 24年 )に設 備 機 器 ・ダクト・配 管 の経 年 劣 化 に対 処 する改 修 を行 っている[24]。 鉄 筋 コンクリート造 の2階 建 てで、診 療 科 目 は内 科 、外 科 、産 婦 人 科 、皮 膚 泌 尿 器 科 、眼 科 、歯 科 、耳 鼻 咽 喉 科 、放 射 線 科 の8科 目 となっており、内 部 では皇 室 用 と一 般 用 で玄 関 および病 室 が区 切 られている[25]。
ギャラリー
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皇 居 前 広 場 と皇 居 。宮 殿 や宮 内 庁 庁 舎 が見 える。 -
正 門 石 橋 と伏 見 櫓 -
塔 の坂 と宮 殿 北 車 寄 -
富 士 見 櫓 -
皇 居 内 から見 た坂 下 門 -
長 和 殿 -
諏 訪 の茶 屋
皇 居 の自 然 環 境
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こうした
また、
内 濠 ・外 濠
[内 濠
外 濠
現 皇 居 の歴 史
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1868
1879
1935
このほか
マリアナ
1945
この
なお、
なお、
2019
皇 居 ・宮 の歴 史
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飛 鳥 の宮
[592
平 安 時 代 から江 戸 時 代
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明 治 時 代 以 後
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歴 代 の皇 居
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その他
[皇 居 の大 きさは、宮 内 庁 管 理 部 分 の敷 地 が約 115万 m2で[56]、東 京 ドーム約 25個 分 である[57]。濠 の面 積 も含 む東 京 都 千 代 田 区 千 代 田 の面 積 は1,425,500m2[58]、皇 居 外 苑 も含 めた総 面 積 は約 230万 m2となる[9]。皇 居 周 辺 は1周 が約 5kmで歩 道 に信 号 機 がなく、森 ・街 路 樹 や濠 の景 観 も楽 しめることから、手 軽 なランニングコースになっている(皇 居 ランニング)[59]。高 低 差 は約 26メートル。初 心 者 から上 級 者 まで、幅 広 く走 れる[60]。外 国 人 観 光 客 の東 御 苑 などへの来 訪 が増 えているため、宮 内 庁 は2017年 5月 16日 、スマートフォン向 けに皇 居 や京 都 御 所 について日 英 中 韓 仏 西 6か国 語 の音 声 で案 内 するアプリの提 供 を始 めた[61]。皇 居 近 くには、勤 皇 の忠 臣 とされる2人 (文 武 二 忠 臣 )の銅 像 が立 っている[62]。皇 居 外 苑 の楠 木 正 成 像 と大 手 濠 の和 気 清 麻 呂 像 である。皇 居 の上 空 及 び周 囲 おおむね300メートルの地 域 は、重 要 施 設 の周 辺 地 域 の上 空 における小 型 無 人 機 等 の飛 行 の禁 止 に関 する法 律 の規 定 に基 づき、小 型 無 人 機 等 の飛 行 が禁 止 されている[63]。また、他 の航 空 機 であってもテロ対 策 の一 環 で飛 行 が制 限 されることがある[64]。
脚 注
[注 釈
[出 典
[- ^ a b c
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変 貌 ―江 戸 から帝 都 そして首 都 へ― Ⅰ東 京 と西 京 8.明 治 天 皇 、東 京 へ再 び行 幸 ”.国 立 公 文 書 館 . 2025年 2月 17日 閲 覧 。 - ^ “
大 日 本 帝 国 憲 法 にこめられた思 い ―「皇 国 」日 本 という幻 想 (2)―|学 び!と歴 史 |まなびと|Webマガジン|日 本 文 教 出 版 ”. www.nichibun-g.co.jp. 2023年 3月 24日 閲 覧 。 - ^ “
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2021
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皇 居 周 辺 を飛 行 制 限 区 域 に 10月 、即 位 礼 のテロ対 策 ”.日 本 経 済 新 聞 (2019年 8月 29日 ). 2025年 3月 3日 閲 覧 。
参 考 文 献
[- 『
宮 殿 』毎 日 新 聞 社 、1969年 - 『
皇 居 のしおり』毎 日 新 聞 社 、2012年 皇 室 事 典 編 集 委 員 会 編 『皇 室 事 典 令 和 版 』KADOKAWA、2019年 久 能 靖 『知 られざる皇 室 ー伝 統 行 事 から宮 内 庁 の仕 事 まで』河 出 書 房 新 社 、2019年 竹 内 正 浩 『最 後 の秘 境 皇 居 の歩 き方 』小 学 館 、2019年
関 連 項 目
[外 部 リンク
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