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Mozi Jiangu : 卷五 - Chinese Text Project
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Chinese Text Project
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まき

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攻上せめのぼ

Books referencing 《攻上せめのぼ Library Resources
攻上せめのぼ:
淮南ワイナン氾論くんこうちゅううんなおそし也」。

1 攻上せめのぼ:
こんゆういちにんいれじんえん圃,畢云:「《せつぶんうんえん所以ゆえんじゅはて』,『たねさい曰圃』。」竊其桃李とうり,眾聞そくうえ為政者いせいしゃとくそくばつ。此何也?以虧じん自利じり也。いたり攘人けんいのこ雞豚しゃこくはりなりねん,范甯ちゅううん「攘,とう也」。不義ふぎまた甚入じんえん圃竊桃李とうり何故なぜ也?以虧じんいよいよおおしもぶんとうゆう「苟虧じんいよいよ不仁ふじん茲甚,茲、しげる古今ここんしょうなお同上どうじょうへんつみえきあついたりいれじんらん廄,らんそくたけなわ。《せつぶん·門部かとべうんたけなわもんさえぎ也。」《こうみやびしゃくしつうんらんろう也」。畢云:「《せつぶんらん。《たまへんうんらん也』。」人馬じんばうししゃ,其不仁義じんぎまた甚攘じんいぬいのこ雞豚。上下じょうげぶん,此句うたぐ不當ふとうゆうひとし此何也?以其虧人いよいよおお。苟虧じんいよいよおお,其不仁ふじん茲甚,つみえきあついたりころせ辜人也,扡其ころも裘,畢云「『扡』,讀如『おわりあささん●』『●』。りく德明のりあきえき音義おんぎうん『褫,ていほんさく●,はん。』『扡』そく『●』ぶん。」おううん:「『也』,そく『扡』あやま而衍しゃ。」詒讓あん:《せつぶん·うん「●,曳也」。《淮南ワイナン·人閒にんげんくんうんはたうしかけみち於山ちゅう而遇ぬすめ,拖其ころも」,もとちゅううん「拖,だつ也」,「拖」そく「●」ぞくほこけんしゃ,其不義ふぎまた甚入じんらん廄取人馬じんばうし。此何也?以其虧人いよいよおお。苟虧じんいよいよおお,其不仁ふじん茲甚矣,つみえきあつとう此,天下てんか君子くんし畢云:「きゅうだつ此字,よりどころぶんぞう。」みな而非いい不義ふぎこん至大しだいためおさむこく畢云:「よりどころぶんうんだいため不義ふぎおさむこく』。」のりどる畢云:「『』,一本いっぽんさくこれ』。きゅうだっよりどころぶんぞう。」あんみち藏本ぞうほん本並もとなみだっしたがえ而譽いい。此可いい知義ともよしあずか義之よしゆきべつ乎?」,きゅうほんさくなに」。畢云:「一本いっぽんさく』,。」こんよりどころただし

2 攻上せめのぼ:
ころせいちにんいい不義ふぎ,必有いち死罪しざい矣,荀子·正論せいろんへんうん殺人さつじんしゃきずじんしゃけい百王之所同也」。わか以此せつ往,ころせじゅうにんじゅうじゅう不義ふぎ,必有じゅう死罪しざい矣;ころせひゃくにんひゃくじゅう不義ふぎ,必有ひゃく死罪しざい矣。とう此,天下てんか君子くんしみな而非いい不義ふぎこん至大しだいため不義ふぎおさむこくのりどるきゅうほんさくこれ」,したまた衍「而」。畢云:「一本いっぽん『而』。」おううん:「『これ當為とうい』,ぞくおん』『これあいみだれあやまためこれ』。うえぶんみな而非せいあずかどる相對そうたい,且上下じょうげぶんみなさくどる』,のりこれためあやまあきら矣。」あんおうこう是也これやこんよりどころただししたがえ而譽いいよしじょう不知ふち其不義也よしやおううん:「じょうまこと通用つうよう。」しょ其言以遺後世こうせいわか其不義也よしやおっと奚說しょ不義ふぎ以遺後世こうせい哉?奚說,げんなん解說かいせつ也。畢云「奚說なおげんなんらく」,しつこん有人ゆうじん於此,しょうくろ曰黑,くろ曰白,のり以此じん不知ふち白黑しろくろわきまえ矣;しもぶん,「のりしもとうゆう「必」,「ひとしもとうゆうためしょう嘗苦曰苦,嘗苦曰甘,のり必以此人ため不知ふち甘苦かんくわきまえ矣。今小いまこためのり而非だいためおさむこくのり不知ふちきゅうほん不知ふちしも衍「而」こんよりどころおうこう刪。したがえ而譽いい畢云:「きゅうこれいいたおせ一本いっぽん如此。」此可いい知義ともよしあずか義之よしゆきべん乎?きゅうほんじょうだっ「此」またいいあやまため」。畢云:「一本いっぽんさくいい』,。」あんみち藏本ぞうほんうえゆう「此」,「ためせいさくいい」,こんよりどころ補正ほせいほんいいまたあやま以知天下でんか君子くんし也,「也」うたぐ衍。べんあずか不義ふぎみだれ也。

おさむなか

Books referencing 《おさむちゅう Library Resources
1 おさむちゅう:
ぼくげん曰:「いにしえしゃ王公おうこう大人おとな為政いせい國家こっかしゃ情欲じょうよくほまれこれしん賞罰しょうばつとうけい政之まさゆき過失かしつ。」じょうまたあずかまことどおりしもなみどうおううん:「『いにしえしゃ當為とういいましゃ』,せつなおけんへん。『ほまれうえゆう『毀』,而今ほんだっのり文義ふみよし不明ふめいなおどうへん『舉天下之したのじんみな欲得よくとく上之うえのしょうほまれ,而畏上之うえの毀罰』,其證。『過失かしつしもゆう脫文だつぶんしもぶん曰『いましゃ王公おうこう大人おとな情欲じょうよくとく而惡しつよくやす而惡危,とうおさむせん不可ふか。』すみ曰:「いにしえしゃゆう:『はかりごと而不のり以往いおう知來ちらい論語ろんご·がくへんうんつげしょ往而知來ちらいしゃ以見かくれ』。はかりごとわか此,とく而知矣。

2 おさむちゅう:
いまただ興起こうき」,きゅうほんあやま「徙」,こんよりどころどう藏本くらもとただしただ毋,毋,しょうなおかしこなかへんふゆぎょうおそれかんなつこうおそれあつ,此不可ふか以冬なつためしゃ也。はるそくはいみんこう稼樹げい秋則あきのりはいみん斂。此下うわぶんあるとうゆう「此不可ふか春秋しゅんじゅうためしゃ也」こんただ毋廢いちのり百姓飢寒凍餒而死者,不可ふかかちすうこん嘗計ぐんじょう嘗,なおためし也,したどう。「うえあやまうたぐとうさくだし」。《國策こくさく·ひとしさくうんぐん所出しょしゅつほこ戟折,鐶弦ぜっきずいしゆみやぶくるまやめ亡失ぼうしつ大半たいはんたけ旄幄まく畢云:「《せつぶんうん楃,ちょう』,幄當したがえ。」詒讓あん:「幄」,《ふしそうへんさく」,此俗さくしゅうあやまくじんていちゅううんざいつくり曰帷,ざいうえ曰幕,よんごうぞう宮室きゅうしつ曰幄。」きのえたてばちこう史記しき孔子こうしさくかくれうん撥音はつおんいいだいたて也。」「こうしょううたぐとうさく「㓡」古書こしょしたがえかんしたがえこれ互訛。《備蛾でんへんほうなまりさく「𣳬」,此「㓡」なまりさくこう」,以互しょう。《せつぶん·かたなうん「㓡,かたな也」,そくれい·しょう拊也。かたなある以木為之ためゆきゆう靡敝腐爛ふらん患。往而靡𡚁ひやはんしゃ畢云:「『往』,舊作きゅうさくじゅう』,一本いっぽん如此。『そくくさぶん。『ひや』『ただれおと相近すけちか當為とういただれ』。詒讓あんせん國策こくさくしんさくこうちゅううん「𡚁,壞也」,此與しょう國家こっか靡敝」よしほろこと不可ふかかちすうまたあずかほこ戟戈けん乘車じょうしゃあずかしたとうしもぶん「其」其列じゅう碎折靡𡚁而不はんしゃ,「れつじゅうあやま。畢以あらため「㱙往」,ぶた以「往」ぞくためあずかうわぶんどうしか「其㱙」,仍與上下じょうげぶんなみぞく,竊疑とうさく「往則」,讀「其往そく碎折靡𡚁而不はんしゃじゅういち字句じく今本いまもと「往」なまりじゅう」,「のりなまりれつ」,またたおせ其文,とげ不可ふかどおりみみ不可ふかかちすうあずか其牛馬肥うまごやし而往,やせ而反,往死亡しぼう而不はんしゃおううん:「した『往』わたるじょう『往』而衍。」詒讓あん:「往」必刪。不可ふかかちすうあずか其涂どうおさむとお糧食りょうしょく輟絕而不ままし畢云:「かてぞく。《たまへんうんかてどうかて』。」詒讓あんしゅうあや廩人「凡邦ゆうやくことのり其糧,あずか其食」,ていちゅううん行道ぎょうどう曰糧,いいほしい也。とめきょ曰食,いいまい也。」《孟子もうし·りょうめぐみおうへんうんぎょう而糧しょくかつえしゃどるしょくろうしゃどるいき」,ちょうちゅううん行軍こうぐんみなとおうたて糧食りょうしょく而食」。百姓ひゃくしょう死者ししゃ不可ふかかつ數也かずやあずか其居しょ不安ふあんしょくめし不時ふじおううん:「『しょくめし當為とういしょくいんあやましょくいん不時ふじへん。」かつえ飽之ふし,百姓之道疾病而死者,不可ふかかちすう不可ふかかちすうつき不可ふかかちけいのり鬼神きじん其主きさききさきあずかのちどおり。《王制おうせいうん天子てんし諸侯しょこうまつりいんこくざい其地而無ぬし後者こうしゃ」,ていちゅううん絕無ぜつむ為之ためゆき祭主さいしゅしゃ」,そく此義。ひろしうん:「『きさきとうさくいし』,そく『祏』しょうぶん。《ひだりあきらじゅうはちねんでん》『使つかいしゅく徙主祏于しゅうびょう』,もりあずかちゅう『祏,びょうぬしせきはこ』。《せつぶん》『祏,宗廟そうびょうぬし也。しゅうあやゆう郊宗石室いしむろ,一曰大夫以石為主,したがえしめせしたがえせきせきまたこえ』。」あんひろしせつはなわまた不可ふかかちすう。」

3 おさむちゅう:
國家こっかはつせいだつみんもちいはいみんわか此甚眾,しか而何ため為之ためゆき。?曰:「わがむさぼ勝之かつゆきめい,及得為之ためゆき。」ぼくげん曰:「けい其所かちしょ可用かよう也。けい所得しょとくはん如所しゃいまおさむ三里さんりしろななかくざつもりへんうんりつまんいえ而城かたさん」。《孟子もうし·公孫こうそんうしへんまたうん三里さんりしろななかく。」《戰國せんごくさく·ひとしさくうんそくすみ三里さんりしろななかく」,またさく三里さんりしろかくおさむ不用ふようするど,且無ころせ而徒とく此然也。殺人さつじん必數於萬,寡必すう於千,しかのちさんしろななかく,且可とく也。いままんじょうくに虛數きょすう於千,畢云:「きょ。墟字正文せいぶんぞくしたがえ。」詒讓あん:「きょしもうたぐだっしろしもぶんうん「以爭きょじょう」。かち而入;畢云:「舊作きゅうさくひと』,以意あらため。」こう衍數於萬,畢云「おういつちゅうすわえ曰:『衍,廣大こうだい也』。」,かち而辟。畢云「此闢かりおといれ、辟為いん。」しかのり土地とちしゃ所有しょゆうあまり也,おうみんしゃしょ不足ふそく也。おううん「『おうみん不可ふかどおりとう士民しみんあやま士民しみんあずか土地とちたいぶんしもぶんおうみんどう。」いまつきおうみんいむじょう患,以爭きょじょうのり棄所不足ふそく,而重所有しょゆうあまり也。為政いせいわか此,國之くにゆきつとむしゃ也。」

4 おさむちゅう:
かざりおさむせんしゃげん曰:畢云「舊作きゅうさく『也言』,一本いっぽん如此。」みなみそく荊、おうとうさくえつぼくやめほろびしたぶん以夫ほろびくれごとため戒,むべ此復しゃえつ而舉くれ也。したへんうんこん天下てんか好戰こうせんくにひとしすすむすわえこし」,《ふしそうへんうん諸侯しょこうりょくせいみなみゆうすわええつおう,而北ゆうひとしすすむきみ」,みな其證也。きたのりひとしすすむきみはじめふう於天下之したの,其土これかたきゅうだっこんよりどころどう藏本ぞうほんいたり有數ゆうすうひゃくさと也;じん徒之かちの眾,いたり有數ゆうすうじゅうまんにん也。以攻せん土地とちはくいたり有數ゆうすう千里せんり也;じん徒之かちの眾至有數ゆうすうひゃくまんにんとうおさむせん不可ふかため也。」俞云:「『不可ふかため也』,とうさく不可ふか不為ふため也』,ぽうあずかうわぶん語意ごいしょうぞく,此是かざりおさむせんしゃげんすみげん也,こんだっ不可ふかどおり。」あんしもぶんうんとうおさむせん不可ふか」,のり此文とうさくとう致戰而不可ふか也」,俞校はなわぼくげん曰:「雖四五國則得利焉,なおいい非行ひこう道也みちやたとえわかくすりじんゆう病者びょうしゃしかこんゆう於此,和合わごう其祝やく于天ゆう病者びょうしゃ而藥畢云:「しゅくいいほうりゆかりといあるうんしゅくやくなおげん疰藥,一本いっぽんしゅく也。」あん:畢說也,しゅうあや瘍醫「てのひら腫瘍しゅよう潰瘍かいようきん瘍折瘍之しゅくやく」,ていちゅううんしゅく當為とういちゅう,讀如ちゅうびょうちゅうこえあやま也。ちゅういいちょやく。」かれしゅくらくためけん瘍附ちょくすり。此下ぶんうんしょくのりあずかかれこと。畢云ほうりゆかりまたあずか此書及周れいなみごう不可ふか信也しんやめぐみいいしゅくやくなおくだりやくまた未知みちまんにんしょく此,わかよんにんとく焉,なおいい非行ひこうやく也。うん:「しょくしゃ而利しゃしょうのり非常ひじょうぎょうくすり。」孝子こうし以食其親,忠臣ちゅうしん以食其君。いにしえしゃふうこく於天なおしゃ以耳これしょ聞,畢云:「なお同上どうじょう。」ちかしゃ以目所見しょけん,以攻せん亡者もうじゃ不可ふかかちすうなに以知其然也?東方とうほう莒之こくしゃ畢云:「こん山東さんとう莒州。」其為こく甚小,あいだ於大おだい國之くにゆきあいだ不敬ふけいごと於大おだい大國たいこくまたどるしたがえ而愛以東いとうしゃ越人えつじん夾削其壤國策こくさくひとしさくうん「莒恃えつ而滅」,あずか此異。西にししゃひとしじんけん而有けい莒之所以ゆえんほろび於齊おさいえつあいだしゃ,以是おさむせん也。もりあずか春秋しゅんじゅうしゃくれいうん「莒國嬴姓,しょうひろしこれしゅうたけしおうふう茲輿於莒。じゅう一世茲平公方見春秋,きょうおおやけ以下いか微弱びじゃくふくよんせいすわえめつ。」うん:「史記しきうんすわえ簡王元年がんねんきためつ莒』。よりどころ此則莒實ためひとしほろび其地ざい戰國せんごくぞくひとし。」詒讓あん:《戰國せんごくさく·西にししゅうさくうん邾莒ほろび於齊おさい」,また其證。雖南しゃひね、蔡,其所以亡於吳えつあいだしゃひだりでん魯哀こうじゅうななねん》,すわえめつひね。《史記しき·かん蔡世》「蔡侯ひとしよんねんすわえめぐみおうめつ蔡。」あんざいさだていおうじゅうねんまた以攻せん。雖北しゃ且不いちちょなにみち藏本ぞうほん如此,畢本さく中山なかやま諸國しょこく」,うん:「よん舊作きゅうさく『且一しるなに一本いっぽん如此。《史記しき·ちょううんめぐみぶんおうさんねんほろび中山なかやま,遷其おう於膚ほどこせ』,表作おもてさくよんねん元和げんなぐんけんこころざしうんじょうしゅう戰國せんごくためちゅう山國やまぐに中山ちゅうざん地方ちほうひゃく城中じょうちゅう有山ありやま曰中やま。』こんちょく隸定しゅう。」うん:「中山なかやまほろびとうぶんこうぼくあずか夏子なつこ門人もんじん同時どうじ,此事なおとう及見。畢引史記しきちょうめぐみぶんおうさんねんほろび中山なかやま。」詒讓あん中山なかやまはつめつ於魏,めつ於趙,しょうところしみへんしか此「中山なかやま諸國しょこくよん,乃後じん肊改,じつとうさく「且不ちょなによんきゅうほんさく「且一」,みち藏本ぞうほんさく「且不いち」,なみ衍「いち。「且」うたぐ「柤」,《國語こくご·すすむ》「けんじ公田くでんみる翟柤」,韋注うん「翟柤,國名こくめい是也これや」。しるなにまたきたえびすこくしゅうしょおうかいへんうんほふなにあおぐま」,あなあきらちゅううんほふなにまた東北とうほくえびす也」《かん·しょうただしへんはいえびす貊,やぶほふなに」,いんちゅううんほふなにひがしえびすせん也」。りゅうじょどおりかんがいしゅうめぐみおうさんじゅうさんねんひとし桓公かんこうすくいつばめやぶほふなに」。ほふちょごえ類同るいどうしるなにそくほふなに也。またおうかいいんけんじれいせいきたゆう且略ひょうえびす」,且略,そく此且,及左でん「翟柤ひょうえびす」,またそくほふなに。「ひょう」「」,「えびす」「なに」,なみ一聲いっせいてんほふなにかんためなんけんぞくりょう西郡にしごおりしろざいこん奉天ほうてんにしきしゅうにしきけん西北せいほく。柤,よりどころ國語こくごためすすむけんじ公所ぐぞめつ所在しょざいこう其所以亡於燕、だいえびす、貊之あいだしゃ貊,むじなぞくしょう兼愛けんあい中篇ちゅうへんまた以攻せん也。」すみげん曰:「いにしえしゃ王公おうこう大人おとな情欲じょうよくとく而惡しついにしえしゃ」,またとうしたがえおうこうさくいましゃ」,せつまえじょうあずかまことどおりしょうおさむへんよくやす而惡危,畢云:「『よく』,舊作きゅうさくゆえ』,以意あらため,」とうおさむせん不可ふか。」

5 おさむちゅう:
かざりおさむせんしゃげん曰:「かれ不能ふのう收用しゅうようかれ眾,ほろびわがのう收用しゅうようわが眾,以此おさむせん於天だれ敢不まろうどふく哉?」ぼくげん曰:「雖能收用しゅうよう眾,あにわかいにしえしゃくれ闔閭哉?「閭」。《ひだりでん昭二しょうじじゅうななねんさくいおり」,どおりしょうところしみへんいにしえしゃくれ闔閭きょうななねん畢云:「あん史記しき『闔閭きゅうねんいれ郢』。《えつ春秋しゅんじゅううんきゅうねんじゅうがつすわえ二師陳於柏舉』,そく是也これや。」俞云:「『きょうしもうたぐだっ。」たてまつかぶとへい,奔さんひゃくさと而舍焉,りょ春秋しゅんじゅう·簡選へんうん闔廬せんちからしゃひゃくにん趾者さんせんにん,以為前陳ぜんちん」。此云「たてまつかぶとへい,奔さんひゃくさと而舍」,そくちから趾者也。俞云:「『たてまつかぶとへいさんひゃくさと而舍』,そくきょうほう,乃古所謂いわゆるそつしゃ。《荀子·へいへんたかしたけそつ,以度これころもさんぞくきのえみさおじゅうせきいしゆみじゅう箇,おけほこ其上,かん帶劍たいけん,嬴さんにちかてにちちゅう而趨ひゃくちゅうためしそくふく其戶、其田そのだたく』。こんよりどころすみげんのり闔閭さきゆう此法矣。」つぎちゅうはやし於冥隘之みちひだりでん》「じょうよんねんすわえしゃふね於淮汭,あきらあずかすわえ夾漢。ひだり司馬しば戍謂つね曰:わが悉方じょうがい,以毀其舟,かえふさがだい隧、ちょくながえめい阨」,しゃくぶんうん「阨,ほんあるさく隘。」もりちゅううんさんしゃかん東之ひがしの隘道。」あん:此糴隘,そくひだりでんめい阨。《史記しきはたつたえうんふさが鄳阨」,またそく此。しゅうかい引徐こううん「鄳,江夏えなつ鄳縣。」ちゅう林地りんちかんがえ,以《ひだりでんこううたぐとうさく淮汭。「淮」、「ちゅうかたちちか,「汭」篆文さく「●」,あずかはやしまた相近すけちかいん而致誤。畢云:「《淮南ワイナン地形ちけいくんさく澠阨,こうさそえ曰『澠阨,いまひろしのう澠池是也これや』,のりざいこん河南かなんえいやすしけん。《史記しき·うんはたおさむめい阨之ふさが』,しゅうかいうんじょひろ曰:ある以為江夏えなつ鄳縣』。またもりあずかちゅうひだりでんうんかん東之ひがしの隘道』,くくこころざしうん:『石城山いししろやまざいさるしゅうかね山縣やまがた東南とうなんじゅういちさとおさむめい阨,そく此山』。りょ春秋しゅんじゅう淮南ワイナンきゅうふさが,此其一也かずやたまかいざいしんぐん東南とうなんじゅうこんざい河南かなんしんしゅう東南とうなんきゅうじゅうさと。』」せん於柏舉,こと春秋しゅんじゅうじょうよんねんけいかしわ舉」,もりちゅううんすわえ」。りょ春秋しゅんじゅうくびへんこうちゅううんかしわ舉,楚南そなんひな邑。」畢云:「ざいいま北麻きたあさぐすくけん元和げんなぐんけんこころざしうんあさぐすくけん黽頭さんざいけん東南とうなんじゅうはち,舉水折出おりで也。春秋しゅんじゅうくれすわえせん於柏舉,そく此地也』。」ちゅうすわえこく而朝そうあずか及魯。うん:「『及魯』あやまたおせ,『魯』ぞくじょう,『及』ぞく也,」あんこうきんひだりでん闔閭そう、魯朝くれごとうたぐいんあい七年夫差會魯於鄫,ちょうそう、魯ひゃくろうごとでんかいいたりおっときた而攻ひとししゃ於汶じょうせん於艾りょう春秋しゅんじゅうあいじゅういちねんけい。畢云:「ざいいま山東さんとうやすしやすけん東南とうなん史記しきふとしはくうんおっとななねんきたひとしはいひとし於艾りょういたり繒』。」大敗たいはいひとしじん而葆大山おおやまうん:「大山おおやまそく太山たいざんへんちゅうふとし多作たさくだい』。《魯問へんひとしふとおうつくるだいおう是也これや。」ひがし而攻えつすみ三江みえ畢云:「史記しきさくかくれうん『韋昭うん三江みえいい松江まつえぜに塘江、うら』。史記しき正義せいぎうん『顧夷吳地くれじうん松江まつえ東北とうほくゆきななじゅうさととくさん江口えぐち東北とうほく入海いりうみため婁江,東南とうなん入海いりうみため東江あがりえ,并松江まつえため三江みえ』。」詒讓あん:《漢書かんしょ·地理ちりこころざしうんかい稽郡南江なみえざいみなみひがし入海いりうみ,毗陵北江きたえざいきたひがし入海いりうみ」;「丹陽たんようぐんかぶらみずうみ中江なかえいずる西南せいなんあずまいたるとも入海いりうみ」,此即しょ禹貢、しゅうあや職方しょくかたあげしゅう三江みえ也。《國語こくご·えつうんあずかえつ也,三江みえたまき」,韋昭べつよりどころ松江まつえ浙江せっこううらこうためしゃくそくちょうまもるふししょ是也これやみずけい沔水酈注うん松江まつえたい東北とうほくりゅうななじゅうこうみずぶんいい三江みえこう。《えつ春秋しゅんじゅうしょう范蠡えつ乘舟のりぶね三江みえくちいれ五湖之中者也」,此與顧夷せつどうようみないにしえ三江みえ。竊謂禹貢中江なかえ北江ほっこうなみ於吳さかい入海いりうみ南江なみえ入海いりうみまたけんわたる越境えっきょうのり三江みえ下流かりゅう自足じそくたまきくれこしみずけいちゅうまた引郭璞云「三江みえしゃ,岷江、松江まつえ浙江せっこう也」,此即よりどころ禹蹟流言りゅうげん近代きんだいえびす渭、きむ榜並援以せつえつ三江みえさいためはなわとう,畢攷しんしょうまえ兼愛けんあいちゅうへん而葆かい稽。ひだりでん》「あい元年がんねんおうおっとはいえつ于夫はじかみとげにゅうえつ越子えつこ以甲だてせん於會稽」,もりちゅううんうえかい稽山也,ざいかい山陰さんいんけんみなみ。」葆保どおりかい稽山,しょうぶしそうへん。畢云:「こん浙江せっこう山陰さんいんかい稽山。」九夷之國莫不賓服。しかみやび·しゃくうん九夷八狄七戎六蠻,いい四海しかい王制おうせいあな疏云「きゅうえびす東夷あずまえびすでんきゅうしゅ曰:畎夷、于夷、ほうえびすえびすしろえびすあかえびすげんえびすふうえびすえびすじゅんちゅうなんじみやびうんいち曰玄うさぎ曰樂なみさん曰高驪,よん曰滿かざり曰鳧臾,ろく曰索なな曰東ほふはち曰倭じんきゅう曰天ひな。」あん王制おうせい疏所うんみな海外かいがいとお夷之えびすの種別しゅべつ,此九夷與吳楚相近,ぶたそく淮夷,海外かいがい東夷あずまえびす也。しょ敘云「なりおう淮夷,とげ踐奄。」《韓非子かんぴし·せつりんじょうへんうんしゅうこうだんおさむきゅうえびす,而商ぶたふく。」しょうぶたそくしょう奄,のりきゅうえびすまたそく淮夷。りょ春秋しゅんじゅう·古樂こがくへんうんなり王立おうりついんみんはん王命おうめいしゅうこう踐伐商人しょうにんふくぞうためしいたげ於東おひがしえびすしゅうこうとげ以師逐之,いたり於江みなみ」。またらくなりへんうんなおなおゆうかん叔蔡叔之ごとあずか東夷あずまえびす八國不聽之謀」,こうちゅううん:「東夷あずまえびす八國附從二叔,聽王いのちしゅうこうさんねん奄,はちこくちゅう最大さいだいしるざい尚書しょうしょあまりななこく小又おまたさきふく於經也」。あん東夷あずまえびすはちこくまたそくきゅうえびす也。春秋しゅんじゅう以後いごぶたしんぞくすわええつさんこく戰國せんごく時又ときまた專屬せんぞくすわえ。《せつえん·きみどうへんせつえつおう踐與くれせん大敗たいはい兼有けんゆうきゅうえびす。《淮南ワイナン·ひとしぞくくんうん:「えつおう踐霸天下でんか,泗上じゅう諸侯しょこうみなりつきゅうえびす以朝」。《戰國せんごくさく·はたさくうんすわえつときゅうえびすほう千里せんり」。《さくうんちょうただし曰;すわえやぶ南陽なんようきゅうえびす、內沛、もと,鄢陵危」。文選ぶんせん斯上はたはじめすめらぎしょせつはたすわえつつみきゅうえびすせい鄢、郢。ちゅううんきゅうえびすぞくすわええびす也」。わかしか,九夷實在淮泗之閒,きたあずかひとし、魯接壤,論語ろんご》「よくきょきゅうえびす」。まいり互校覈,其疆いきかた攷矣。於是退すさ不能ふのうしょうせつぶん·うんちち」。《つきれい》「立冬りっとうしょうごと,恤孤寡」,ていちゅううんごといい國事こくじ死者ししゃ寡,其妻子さいし也」。ほどこせしゃぐんもえ畢云:「此氓かりおと」。詒讓あん:《なおかしこなかへんうんよんひなもえじん」。しゃごえきんどおりほどこせしゃなおたまもの也。《ひだり·あきらじゅうさんねんでんうんほどこせしゃひろしみん」,またうんほどこせしゃめく」,もりちゅううんほどこせしゃなおうんぬのおんとく」。自恃じじ其力,其功,ほまれ其智,だる於教,とげちくしゅうとこれだいななねんなり國語こくご·せつくれおうおっとうん高高たかだか下下しもじも以罷みん於姑」,韋注うんしゅうとたいめいざいくれ西にしきんみずうみ」。あん:《國語こくご》以築しゅうとためおっとごとあずか此書せいごう。畢云:「史記しきしゅうかいうんえつぜっしょ曰:闔閭おこりしゅうとこれだいさんねん聚材,ねん乃成,高見こうけんさんひゃくさと』,かおふるちゅう漢書かんしょつてうん吳地くれじうんいんさんためめい西南せいなんくにさんじゅう今江いまえみなみ蘇州そしゅう』。」詒讓あんえつぜっ以姑ため闔閭しょきずけうたぐあやま及若此,のりゆうはなれやめこれこころうん:「やめ,讀如つかれ。」えつおう踐視くれ上下じょうげあいおさむ其眾以復其讎,入北にゅうほくかく,徙大內,おううん:「『徙大內』さん不可ふかどおり。『だい內』,當為とうい大舟おおぶね』。隸書れいしょふねあるさく』,あずか『內』相似そうじ而誤。くれえつおう踐襲くれにゅう其郛,焚其しゅうと,徙其大舟おおぶね』,韋注曰『大舟おおぶねおうふね』。《えつ春秋しゅんじゅう·おっと內傳また作為さくい徙其大舟おおぶね』。」あんおうせつ是也これやくれ,韋注うん「郛,かく也。徙,也」。此哀じゅうさんねんえついれくれごとあずか十年圍吳事不相涉,此類舉之みみかこえ王宮おうきゅう,《國語こくご·うんえついれくれこくかこえ王宮おうきゅう」,韋注うん王宮おうきゅうしゅうと」。而吳こく以亡。《ひだりでん》「あいじゅうねんじゅういちがつこしかこえじゅうねんじゅういちがつえつめつくれ」。むかししゃすすむゆうろく將軍しょうぐんろく將軍しょうぐんそく六卿為軍將者也,春秋しゅんじゅう通稱つうしょうぐんはたため將軍しょうぐん。《こくはり·ぶんろくねんでんうんすすむ使きつねしゃしゅうとため將軍しょうぐん」,是也これや。《淮南ワイナン·みちおうくんうんちょう文子ふみことい於叔こう曰:すすむ六將軍其孰先亡乎?」また人閒にんげんくんうんちょうたけしためさとしはくはかりごと曰:すすむろく將軍しょうぐんちゅう行文こうぶんさいじゃく」,もとちゅううんろく將軍しょうぐんかんちょう、范、ちゅうゆきさとしはく也」。而智はく莫為きょう焉。けい其土はくにん徒之かちの眾,よく以抗諸侯しょこう,以為英名えいめいおさむせんこれそくろん其爪きばみなれつ其舟しゃ眾,おううん:「『みな當為とうい』。《てんこころざしへんれつ其舟車之くるまのそつ其證。したへんみなれつどう。」あんおうせつ是也これやまたきゅうほんれつしもだっ「其」おうよりどころうえおぎなえいましたがえこれ以攻ちゅうこう而有。以其はかりごとためすんでやめあし矣,またおさむ茲范大敗たいはい「茲」うたぐ衍。なかこうそく荀氏,范氏そく。《ひだりでん》「じょうじゅうさんねんすすむ逐荀とらきちしゃ」,乃知はくよう袓文躒事。此及《魯問へんなみどおり舉不ふく析別。淮南ワイナン人閒にんげんくんまたいいちょうたけしためさとしはくはかりごと范、ちゅうゆきめつさんいえ以為一家いっか,而不どめまたかこえちょうじょう於晉ことざい魯悼こうじゅうねん及若此,すなわちかんまたあいしたがえ而謀曰:『いにしえしゃゆう,脣亡そくかん』。戰國せんごくさく·ちょうさく》、《淮南ワイナン·人閒にんげんくん》,なみ以此ためちょうはじめだんせつかんきみこくはりねんでんおそれみや曰:かたり曰,脣亡そくかん」,《ひだり·ねんでん》「かたりさくことわざ」。ちょう氏朝うじともほろびわがゆうしたがえこれちょうゆうほろびわがあさしたがえこれ畢云:「『』,舊作きゅうさくわれ』,一本いっぽん如此。」》曰『さかなすいつとむつとむうたぐとう讀為「騖」,あずまたかしかさみようてら朝野ちょうやかたぶけつとむ」,「つとむ」「騖」どおり。《淮南ワイナン·おもじゅつくんうんさかなとくすい而騖」,こうちゅううん「騖,やまし也」。またあるとうさく「斿」そくゆうこれしょうりくすすむなに及乎!』」おううん:「『りくすすむなに及乎』,るい。『乎』ぶたあさじんしょうん:「此蓋いっ。」以三ぬしきみ一心いっしん戮力畢云:戮,戮字かりおと辟門じょどううん:「辟同闢。」たてまつかぶときょうかんそとちょう內,げきさとしはく大敗たいはい。」畢云:「こと俱見《韓非子かんぴし》。」すみげん曰:「いにしえしゃゆう曰:『君子くんしかがみ於水而鏡於人,かがみ於水,めんようかがみ於人,のりきちあずかきょううん:「しょしゅ誥篇うん古人こじんゆうごと曰,にん於水かんとう於民かん』,ふとし公金こうきん陰謀いんぼう有武ありたけおうきょうめいうん『以鏡自照じしょう形容けいよう,以人自照じしょう吉凶きっきょう』,二書所云與此合,ぶた古語こご也。」詒讓あん:《國語こくご·うんさる胥曰:おう盍亦かん於人,かん於水」。こん以攻せんためのりぶた嘗鑒於智はくこと乎?畢云:「ぶたどう●。」此其ため不吉ふきつ而凶,すんでとく而知矣。」

おさむ

Books referencing 《おさむ Library Resources
1 おさむ:
ぼくげん曰:「こん天下てんかところほまれぜんしゃ,其說はたなに哉?きゅうほんだっ「哉」おううん:「《てんこころざしへん曰『天下てんか所以ゆえんらんしゃ,其說はたなに哉』?こんよりどころ。」ため其上中天ちゅうてん,而中ちゅうおに,而下ちゅうじんほまれあずかきゅうほんさくほまれ」,おう引之よりどころあらためあずか」,是也これやいましたがえこれうん:「したほまれとうさくあずか』,讀平ごえ。」ほろびため其上中天ちゅうてん,而中ちゅうおに,而下ちゅうじんほまれあずかおう引之うん:「あずかそもそもどうほろびあずかどうみな也。非命ひめいへん曰『識昔也三代之聖善人與,ほろびむかし三代之暴不肖人與?』」せつどう雖使これにん畢云:「きゅうたおせ,以意うつり。」必曰:『はたため其上中天ちゅうてん,而中ちゅうおに,而下ちゅうじんほまれ』。こん天下てんかこれしょ同義どうぎしゃ畢云:「『よし』,舊作きゅうさくよう』,一本いっぽん如此。」聖王せいおうほう也。こん天下てんか諸侯しょこうはたなおみなめんおさむ并兼,俞云:「『めん衍文えんぶんてんこころざしへんうんこん天下てんか諸侯しょこうはたなおみなおかせしのげおさむけん并』,めんしょう。」のりゆうほまれ義之よしゆきめい,而不察其じつ也。此譬なお盲者もうしゃあずかひとどういのち白黑しろくろ,而不能ふのうぶん其物也,のりあにいいゆうべつ哉?いにしえ知者ちしゃため天下でんか也,必順おもんばか其義,而後為之ためゆきぎょう以動そくうたぐはやどおりなりとく其所よく戴云:「『なりしもとうだっのり。」あん:戴說はなわ,「そくどおりなりとく其所よく」,うたぐとうさくとお邇咸とく其所よく」。而順てんおに百姓ひゃくしょうのり知者ちしゃ道也みちや畢云:「讀智。」いにしえじんじんゆう天下でんかしゃ,必反大國たいこくせつたんとうさく「交」,字形じけいちかしょうなな患篇。此謂あずかだい國交こっこうしょうせつしたぶんうん「以此こう大國たいこくのりしょう國之くにゆきくんせつ」。交、こうどおり一天いってん下之したのそう四海しかい內,焉率天下でんか百姓ひゃくしょう戴云:「焉猶乃也。」以農臣事しんじ上帝じょうてい山川やまかわ鬼神きじんひろしうん:「《ひだりじょうじゅうさんねんでん》『小人こどものうりょく以事其上』。《かん·だいただしへんこうしゃようりょくのう有罪ゆうざい赦』。《こうみやびしゃく詁》『のうつとむ也』。」じんいさおまただい戴云:「『ゆえそくいさお衍文えんぶんぶたいさお一本いっぽんさくおさむ』,いんあやまためゆえ』,而寫しゃあいみみ。」以天しょうおに富之とみゆき畢云:「『おに』,舊作きゅうさく』,以意あらため。」ひとほまれ使つかいとうとため天子てんし富有ふゆう天下でんかめいまいり乎天いたりこんはい。此則知者ちしゃ道也みちや先王せんおう所以ゆえんゆう天下でんかしゃ也。

2 おさむ:
こん王公おうこう大人おとな天下てんか諸侯しょこうそくしかはた必皆ろん其爪きばみなれつ其舟車之くるまのそつみな」,またとうさく」,しょうじょうへん於此ため堅甲けんこうへい以往いおうおさむ無罪むざいくににゅう國家こっか邊境へんきょう,芟刈其禾稼,樹木じゅもく,墮其城郭じょうかくせつぶん阜部》うんはいじょう阜曰隓,篆文さく●」。「墮」そく「●」變體へんたいひだりでんさんじゅうねんもりちゅううん「墮,毀也」。畢云:「『墮』,一本いっぽんさく『墜』。」以湮其溝畢云:「『湮』ふさがこれ當為とうい『垔』。」攘殺其牲牷,しゅうあや牧人ぼくじん》「てのひらまきろく牲,而阜しげる其物,以共祭祀さいし牲牷」,ていちゅううんろく牲謂うしうまひつじいのこいぬ、雞。牷,たいかん」。てい眾云「牷,じゅんしょく」。燔潰其祖廟そびょうおう引之うん:「燔與つぶせよしあいぞく『燔潰』當為とうい『燔燎』。隸書れいしょ『●』あるさく『●』,あずかたか相似そうじしたがえしゃあるあやましたがえとうと史記しきなか弟子でしでんさくかくれ引家ゆうさる繚』,今本いまもといえ·ななじゅう弟子でしへんさくさる』。ちょうさくたかしころせりょりょう」,しもぶんまたさくりょのこみな其類也。『●』あずかたか』隸相似そうじ『燎』あやまため『●』,またあやまためつぶせみみ。此篇うん『攘殺其牲牷,燔燎其祖廟そびょう』,てんこころざしへんうん『焚燒其祖廟そびょう,攘殺其犧牷』,ぶん而義どう也」。勁殺其萬民ばんみんひだりでんじょうよんねんもりちゅううん:「勁取其首」。史記しきちんわたるさくかくれ引三蒼郭璞注云「勁,とげ也」。したぶんうん刺殺しさつ天民てんみん」,あずか此義どう。畢云「勁字したがえがたな」。くつがえ其老じゃくいっしゅうしょ·しゅうはじめへんあなちゅううんくつがえめつ也」。遷其重器じゅうき孟子もうし·りょうめぐみおうへんぶんどうちょうちゅううんたから重之しげゆき」。そつしん而柱乎鬥,戴云:「『はしら』乃『きょくあやま草書そうしょきょくあずかはしら相似そうじ。『乎』衍。ごく,亟字」。曰『死命しめいためじょうころせ傷者しょうしゃためまたきょうしつれつきた橈乎哉,つみ赦』,きゅうほんしつさくさき」,「赦」さくころせ」。おううん:「『さきれつ字義じぎ不可ふかどおりとうしつれつあやまいいしつ行列ぎょうれつ也。つみころせ』,よしまた不可ふかどおりとうさくざい『赦』,此涉上下じょうげぶんころせ而誤」。畢本「橈」さくたわわ」,うんきたいい奔北也,北之きたのげん背馳はいちたわわげんきょくぎょういい逗撓」。あんおうこう是也これやこんよりどころただしたわわ俗字ぞくじよりどころどう藏本くらもとただし國語こくごくれ,韋注うんぐんはい奔走ほんそう曰北」。《ひだり·なりねんでん》「橈敗」,もりちゅううん「橈,きょく也」。以譂其眾。畢云:「《せつぶん》、《たまへん譂字。げんこころ相近すけちかそくはばか。」あん:畢說是也これや國語こくごしゅう韋注うんはばか,懼也」。《國策こくさく·はたさくうんおうまたはばか」。《賈子新書しんしょ·かいけんへんうん陛下へいかはばか大信たいしん」。おっとけんこくくつがえぐん漢書かんしょ貨殖かしょくでんちゅうはじめかんうん發聲はっせいじょ也」。あんあずかただ辭意じいどううん:「『うたぐとうさくつとむ』」,ぞくしいたげ萬民ばんみん,以亂聖人せいじんいとぐちこうみやびしゃく詁》うんいとぐちぎょう也」。はた以為てん乎?おっとてんこれにん,以攻てん邑,此刺殺しさつ天民てんみん,剝振しんくらいかたぶけくつがえ社稷しゃしょく,攘殺其犧牲ぎせいおううん「『剝』あずかよしあいぞく當為とうい『挀』あやま也。《せつぶん》『剝,きれ』。《こうみやび》:『挀,きれ也。曹憲おん必麥はん』。剝、挀皆きれ也,曰『剝挀神位しんい』。刺殺しさつ天民てんみん以下いかみなよんため今本いまもとさく『剝振しんくらい』,『これわたるじょうぶんてんこれにんおさむてん邑』而衍。『攘殺其犧牲ぎせい』,『其』またわたるじょうぶん『攘殺其牲牷』而衍」。のり此上中天ちゅうてん矣。はた以為おに乎?おっところせこれにん畢云:「舊作きゅうさくかみ』,よりどころぶんあらため。」戴云:「『ころせしもだってん。」滅鬼めっきしんおも廢滅はいめつ先王せんおうぞくしいたげ萬民ばんみん百姓ひゃくしょう離散りさんのり此中ちゅうおに矣。はた以為じん乎?おっところせこれにんためじん也博矣。戴云:「『ころせしもだってん。」俞云:「『ひろし」,うたぐとうさくすすき』。げん殺人さつじん以利じん,其利またうす也。わかさくひろしのり不可ふかどおり。」あん:俞校是也これや。此疑とうさくおっと殺人さつじんためじん也,うす矣」,あずかうわぶん不同ふどう,戴說またけい其費此,ためしゅうせいほんおううん:「『しゅう字義じぎ不可ふかどおり,『しゅう當為とういがい』,ざいしゃせいほん也,用兵ようへい而費ざい曰害せいほん隸書れいしょがいあるさく『●』,あずかしゅう相似そうじ而誤。」竭天百姓ひゃくしょう財用ざいよう不可ふかかつ數也かずやのり此下ちゅうじん矣。

3 おさむ:
こんおっとしゃあいため不利ふりしゃ也,曰:はたいさむぶん,畢云:「どう忿。」詒讓あん:「ぶんうたぐ「奮」,こえきん假借かしゃくへい不利ふりきょう習,眾,りつ不利ふり俞云:「りつ,讀為しょうりつこれりつ。『』,そくあやま而衍しゃ。」圉,圉與疆圉よしどう。《いっしゅうしょ謚法》へんうん威德いとくつよしたけ曰圉」,あなちゅううん「圉,禦也」。がいひさがい」,うたぐとうさくかこえ」,かたちきん而誤。そうやましまごきょうまごうたぐとうさくかかり」。國語こくごくれ,韋注うんかかりばく也」,ぶたいいがかり纍民じんうえこころけん與國よこく諸侯しょこううたぐ與國よこく諸侯しょこううたぐのりてきせいおもんばか,而意羸矣。へん此物,畢云:「『へん當為とういあまね』。」おううん:「以『へん作為さくいあまね』,はんあらため。《儒》へんとおほどこせしゅうへん』,《おおやけはじめへん今子いまこへんしたがえじん而說』,みなあまね。《えきぞうでん》『莫益あまね也』,ほんあるさくへん』。《だんゆみ》『めい不偏ふへんいみな』,《だい戴記·勸學かんがくへんへんあずかこれ而無わたし』,さくへんごとさんすすむ吏』,《漢書かんしょ·禮樂れいがくこころざし》『うみ內偏上德かみとく』,みな以『へんためあまね』。また漢書かんしょ·郊祀こころざし》『其遊以方へん諸侯しょこうちょうりょうでん天下てんか不足ふそく以遍ふう』,ちょうでんあまね貴人きじん』,《史記しきなみさくへん』。わか諸子しょし書中しょちゅう以『へんためあまねしゃのり不可ふかまい舉。かん三公みつきみやまきょうくもはだすんへん四海しかい』,また以『へんためあまね』,しかのりあまねためへん』,傳寫でんしゃなまり也。而致從事じゅうじ焉,のり國家こっかしつそつ畢云:「一本いっぽんさくあし』。」而百姓易務也。こん嘗觀其說こうおさむこれこくわか使つかい中興ちゅうこう君子くんし此下ゆう脫字だつじうたぐとううん君子くんしすうひゃく」。庶人也,必且すうせんばいじゅうまんしか後足あとあし以師而動矣。ひさしゃすうさいそくしゃすうがつじょうひま聽治,ひま其官農夫のうふひま稼穡,婦人ふじんひま紡績ぼうせき紝,畢云:「《せつぶんうん紡,もういと』,『績,緝也』,『さく布帛ふはくそうめい也』,『紝,縷也』。●あるのり國家こっかしつそつ,而百姓易務也,しか而又あずか其車やめへい也,幔幕まんまくとばりぶたせつぶん·はばうん幔,まく』。」《こうみやびしゃくうん「幔,とばり也」。まくとばりしょう中篇ちゅうへん三軍さんぐんもちいかぶとへい備,ふん而得其一,のりなおためじょ疏矣。じょ疏」字義じぎ不可ふかどおりうたぐ當為とういあつあまり」,みながたあやまあつあまりげんあまり也。《孫子まごこ·作戰さくせんへん國之くにゆきひん於師しゃちからこごめざい殫,中原なかはら內虛於家百姓ひゃくしょうこれじゅう其七,公家くげこれやぶくるまやめ甲冑かっちゅう矢弓やゆみ,戟楯ほこおかうしだいしゃじゅう其六」,此說あずかかれほぼどうしか而又あずか其散ほろび道路どうろ道路どうろ遼遠りょうえんうたぐ衍「道路どうろ,《せつぶん·辵部うんりょうとお也。糧食りょうしょくつぎ傺,しょくいんとき畢云:「おういつちゅうすわえうん:『傺,じゅう也。すわえ人名じんめいじゅう曰傺』。」おううん:「『傺』あずか上下じょうげ文義ふみよしあいぞくしょう。『これ』,當為とうい不時ふじ』。『しょくいん不時ふじあずか糧食りょうしょくつぎたいぶん。」俞云:「『傺』そくきわちょう遷碑『●正之まさゆき傺』是也これや。《あきらよんねんひだりでん》『しかきわ』,《孟子もうし·まんしょうへん敢問交際こうさいなにこころ』?もりあずかちょう岐注なみ曰『さいせっ也』。うたぐぼく原文げんぶんほんさく糧食りょうしょく傺』,傺,そくせっ也,あずか中篇ちゅうへんしょうん糧食りょうしょく輟絕而不つぎ』,ぶん異義いぎどう後人こうじんたち『傺』よしよりどころ中篇ちゅうへんあらためためつぎ,而寫しゃりょうそんとげさくつぎ傺』みみ。」あんおう、俞說きん廁役以此飢寒きかんこお餒疾びょう,而轉みぞ壑中しゃおううん:「『廁役』しょ當為とうい『廝役』あやま。《せんじゅうねんおおやけひつじでん》『廝役扈養死者ししゃすうひゃくにん』,其證。」不可ふかしょうけい也。此其ため不利ふり於人也,天下てんかがいあつ矣。而王公おうこう大人おとならく而行のり此樂ぞくめつ天下でんか萬民ばんみん也,あにもと哉!こん天下てんか好戰こうせんくにひとしすすむすわえこしわか使つかい四國しこくしゃ得意とくい於天,此皆十倍其國之眾,而未のうしょく其地也。くえいい治田はった以耕しゃ,《しゅうあやとげうんけいまき其田そのだ,辦其しょくしゃ」。げん四國しこく荒土こうどみん不能ふのうつきこう也。じん不足ふそく而地有餘ゆうよ也。いままた以爭,而反しょうぞく也,しかのり不足ふそく,而重有餘ゆうよ也」。じゅう」,きゅうほんなまりどう」,みち藏本ぞうほんさくじゅうあずか中篇ちゅうへんあいこんよりどころただし

4 おさむ:
こん遝夫こうおさむこれきみきゅうほん「遝」さくかえ」,ひろしうん「《あかりおにへん逮至むかしさんだい』,ぶんあずか此同,『かえとう『遝』なまり。遝、逮古通用つうよう」。戴云:「『かえ』,とう『儇』あやまおういつちゅうすわえうん『儇,佞也』,のり儇夫なお佞人ねいじん也。」あんひろしせつ是也これやこんよりどころただししたぶんうんのり且夫こうおさむこれくん」,しょうまたかざり其說以非すみ曰:「以攻これため不義ふぎ畢云:「『以攻これ』,よりどころぶんとううん以攻』。」ぶつあずかむかししゃ禹征ゆうなえ桀,たけおう紂,此皆りつため聖王せいおう何故なぜ也?」ぼく曰:「察吾ごとこれるい未明みめい其故しゃ也。だいへんうん以故せい,以理ちょう,以類ぎょう。」荀子じゅうへん,楊注うんるいいい比類ひるい」。かれ所謂いわゆるおさむいい誅也。しもぶん,「いいじょうまたとうゆうところ。《せつぶん·げんうん誅,討也」。いい討有ざいあずかおさむせん無罪むざいくにことむかししゃさんなえ大亂たいらんきゅうほんしゃしもゆうゆうおううんそくしゃあやま而衍しゃこんよりどころひらけもとうらないけい太平たいへい御覽ごらん引刪」。天命てんめい殛之,にち妖宵にち妖」,不可ふかどおり。「」,うたぐ當為とういゆうなまりしたうん妖宵ゆうおによいぎん」。つうかんがい引隨、汲冢紀年きねんうんさんなえはたほろび日夜にちやひる不出ふしゅつ」,のりうたぐ「妖」衍文えんぶんあめさんあさひらけもとうらないけいさん,引太公金こうきん匱云「ゆうなえてん沾衣」。りゅうせい於廟,いぬ哭乎巿,きゅうほんだっ「於」またいぬさくだい」。おううん「『りゅうせいびょう』,とうさくりゅうせい於廟』,ぽうごう上下じょうげ句法くほう太平たいへい御覽ごらん禮儀れいぎじゅう引此せいさくりゅうせい於廟』。『だい哭乎巿』,文義ふみよし不明ふめい,『だい當為とういいぬ』。『いぬ哭乎巿』あずかりゅうせい於廟』たいぶんひらくもとうらないけいけんうらない引墨曰『さんなえ大亂たいらんいぬ哭于巿』。太平たいへい御覽ごらんじゅうじゅうなな,引隨曰『むかしさんなえ大亂たいらんりゅうせい於廟,いぬ哭于』,みな其證」。あんおうこう是也これやこんよりどころただしつうかんがい引隨、汲冢紀年きねんうんあおりゅうなま於廟」。なつ冰,坼及いずみ畢云「太平たいへい御覽ごらん引此うんさんなえよくめつ地震じしん坼泉ゆう』」。五穀ごこく變化へんかみん乃大畢云「どうしん』」。こう乃命げんみや畢云:「しゅんこうだいろくせいまごうん。」おううん:「此當さくこう乃命禹於げんみや』,しもぶん禹征ゆうなえただしうけたまわ此文而言,またしもぶんてん乃命於鑣みや』,あずか此文どういちれい今本いまもとだっ『禹於』のり文義ふみよし不明ふめい」。詒讓あん;蓺文類聚るいじゅういのち,引隨うん:「天命てんめいなつ禹於げんみやゆう大神だいじん人面じんめんとり云云うんぬんのりこうしょいのち也,此文うたぐゆうだっあやま今本いまもとたけしょ紀年きねんみかどしゅんさんじゅうねんみかどいのちなつきさきせいゆうなえゆう苗氏みょうじ來朝らいちょう。」禹親てんみずれい畢云:「『』,文選ぶんせんちゅう引作ひきつくりだき』。《せつぶんうんみず,以玉ため信也しんや』。」詒讓あんれい」,文選ぶんせん東京とうきょうちゅう引作ひきつくりいのち」。《せつぶん·うんにぎ也。以征ゆうなえよんでんさそえ袛,しょううたぐ當為とうい雷電らいでん誖振」,「かみなり」壞字ため」,またあやまためよん」。「誖」「さそえ」,「」「袛」,かたちなみ相近すけちか,「誖」「勃」,「」「しん」,どおりしょいっうんみん袛懼」,《史記しき魯世》「袛」さくしん」,其證也。ゆう神人しんじんめんとりわか瑾以さむらい人面じんめんとりかみそくあかりおにへんはたきよしおおやけ所見しょけんすすき也。「わか瑾以さむらい不可ふかどおり。「わか瑾」,うたぐたてまつ珪」あやま。「わか」。しょうかなえ古文こぶんさく「●」;「たてまつ」,篆文さく「●」,二形ふたなり相似そうじ。「珪」「瑾」またかたちあやま儀禮ぎれい覲禮かたあかりろくたまうん東方とうほうけい」,しゅうあや大宗たいそうはくれい四方しほうだまうん東方とうほう以青けい」,《白虎びゃっこ通義みちよし·ぶんしつへんうん「珪位ざい東方とうほう」,珪於方位ほういぞくひがしすすきまた東方とうほうかみたてまつ珪,なお國語こくご·すすむせつ西方せいほうかみ蓐收鉞矣。あるうん「瑾」とうさく「璜」,於形またきんただし四方しほうたまごう。蓺文類聚るいじゅういのち,引隨うんゆう大神おおがみ人面じんめんとりくだ而福つかさ祿ろくえきとみ,而國家こっかつかさいのちえきねん,而民夭」,うたぐそくゆび此事。搤矢ゆうなえさちうたぐとうさくしょう」,「しょうあるつうさく「●」,あずかさちかたちきん而訛,《たまへんしゅうん「●,いまさくはたどう」。搤矢,しょうなえ大亂たいらん乃遂いくみち藏本ぞうほん後作あとさくきさき」。《せつぶん·𢆶うんいくほろ」。げんさんなえ後世こうせいとげ衰微すいび也。禹既やめかつゆうさんなえ焉磨ため山川やまかわ別物べつもの上下じょうげおううん「焉字ぞくため,焉猶於是也これや,乃也。したぶん焉敢奉りつ其眾』,『たけおう焉襲いとぐち』,よしなみあずか此同」。またうん「『すり字義じぎ不可ふかどおり,『すり當為とうい『磿』。『磿』あずかれきどおりしゅうかんとげちゅう曰『磿者てきれき中山なかやま經歷けいれきせきやま』,かくちゅうあるさく磿』。史記しき高祖こうそ功臣こうしんこうひょう『磿簡こうほどくろ』,かん表作おもてさくれき』。はるさるくんでん『濮磿きた』,《しんじょ·ぜんはかりごとへんさくれき』。らくあつしでんかなえはん乎磿しつ』,つばめさくさくれき』。れきげんはなれ也。だい戴五帝德篇曰『れき離日りにちがつ星辰せいしん』,れきあずかはなれ同義どうぎ。《淮南ワイナン·精神せいしんへん曰『べつため陰陽いんようはなれためはちきょく』,しかのり磿為山川やまかわまたいいはなれため山川やまかわ也。はなれあずか磿皆分別ふんべつよし曰磿ため山川やまかわ別物べつもの上下じょうげ世人せじんすり』,しょう『磿』,しょでんちゅう『磿』なまりさくすり』。史記しき山海さんかいけいちゅう『磿』今本いまもとみな偽作ぎさくすり』。またいっしゅうしょ·へんさく磿』,すわえさくとお自棄じき於磿やまなか』,今本いまもとまたなまりさくすり』。《かお氏家うじいえさとし·勉學べんがくへん曰『太山たいざんひつじ肅讀ほんようなりづくり磿」,以磿ためうすすり磿』,のり以『磿』ためすり』,しか矣」。きょうせいだいきょく畢云:「《せつぶんうんきょうしょう』。」詒讓あんうたぐ當為とういさとせいよんきょく」,「さとあずかきょうかたちちか。「よん」,篆文さく「●」,あずかだい」篆文またきん互訛。さとそくきょうしょう。《しかみやび·しゃくうんひがしいたり於泰とお西にしいたる於邠こくみなみいたる於濮なまりきたいたる於祝ぐりいいよんきょく」,かくちゅううんみな四方極遠之國」。而神みんたがえ天下てんか乃靜。のり此禹所以ゆえんせいゆうなえ也。遝至乎夏おう桀,畢云:「文選ぶんせんちゅう引作ひきつくりなつ桀時』。『遝』きゅうほんさくかえ』。」おううん:「『かえ字義じぎ不可ふかどおりある曰『かえそく『旋』あん:禹、桀相去あいさり甚遠,とくげん旋至乎桀。『かえ當為とうい『遝』,遝與逮同。逮,及也。遝與かえ字形じけい相似そうじ而誤,しもぶんかえいたり乎商おう紂』どう」。またうん『遝』あやまためかえ』,なお『鰥』あやまため『鱞』。《漢書かんしょりつ厤志》『丙午ひのえうま遝師』,今本いまもとあやまさくかえ』。中庸ちゅうよう所以ゆえん逮賤也』,しゃくあや『逮』さく『遝』。《あいじゅうよんねんおおやけひつじでん》『これしょ逮聞也』,かん石經いしきょう『逮』さく『遝』。あんおうせつ是也これやひろしせつどうこんよりどころただしてんゆういのち畢云:「『●』とう『誥』。」詒讓あん:「●」,うたぐ當為とういこく」。いい嚴命げんめい也。《せつぶん·つげうん嚳,急告きゅうこく甚也」。《白虎びゃっこ通義みちよし·ごうへんうん嚳者ごく」。嚳、こくまたつう一切經いっさいきょう音義おんぎうんこく古文こぶん●、嚳、●さんかたち」。日月じつげつ不時ふじさむあつざついたりえきしゃくぶん引孟うんざつらん也」。いいさむあつ錯亂さくらん而至,しつ其恒ぶし五穀ごこくこげ史記しきかめさく傳說でんせつ桀紂うんてんすう枯旱,くに妖祥,螟蟲ずいむしとしせい五穀ごこくなり」。おによびこくおううん:「『よびしもとうゆう『於『ぽうごう上下じょうげ句法くほう」。詒讓あん御覽ごらんはちじゅうさん,引帝おう世紀せいきまたうんおによび於國」。じゅうゆうあまり「●」,きゅうほんさく「●」。うん:「『●『しょうわかさく『●』あずかづるどう。」あんせつ是也これやみち藏本ぞうほん本並もとなみさく「●」,こんよりどころあらためづるから姚元けいづくりぞうさく「●」,すわえきん禪師ぜんじさく「●」,なみ俗書ぞくしょなまりへんつうかんがいきの夏紀なつきうん鶴鳴かくめい於國,十日とおかじゅうゆうとめ」,そくほん此文。つうこころざし夏紀なつきづるさくこうのとり」,うたぐあやまてん乃命於鑣みや畢云:「きゅうだってんすえ文選ぶんせんちゅうぞう。『鑣』,蓺文類聚るいじゅう引作ひきつくり『驪』,文選ぶんせんちゅうさく『鑣』。」おう紹蘭うん「鑣宮,そく孟子もうしまきみやてん乃命於鑣みや,往而誅之,そく天誅てんちゅうづくりおさむまきみや也」。あん孟子もうこまんしょうへんちょうちゅううんまきみや,桀宮,」あずか此鑣みやことおうせつはなわよう受夏大命たいめいなついさお大亂たいらんすんでそつ其命於天矣,往而誅之,必使なんじこらえこれ畢云「文選ぶんせんちゅう、蓺文類聚るいじゅう引作ひきつくり『戡』,此『●』かりおと。《せつぶんうん『●,ころせ也』。《しかみやびうんこらえ勝也かつや』。」あん:「なついさお大亂たいらん以下いかよん文義ふみよしあずかしもぶん重複じゅうふくうたぐこうしょしゃ附記ふき異同いどうとげあずか正文せいぶん淆混。文選ぶんせんべんいのちろん、褚淵碑文ひぶんちゅうりょう引亦此數。畢所こう乃下ぶん文也ふみや焉敢奉りつ其眾,以鄉ゆうなつさかいおう引之うん:「焉猶乃也。げんすんで受天いのち,乃敢伐なつ也。」おう紹蘭うん「焉之ためげん是也これや」。みかど乃使かげ暴毀ゆうなつしろかげ」,うたぐくだあやま少少しょうしょうゆう神來かみくつげ曰:『なついさお大亂たいらん,往攻必使なんじだいこらえこれすんで受命じゅめい於天,天命てんめいとおるたかし畢云:「『たかし』,うたぐさくくだ』,げんいのち祝融しゅくゆうくだ。」おううん:「『くだあずかたかしどおりはんあらためしょうなおかしこなかへん。」詒讓あん國語こくごしゅう內史せつなつほろび,「かい祿ろくしん於耹隧」,韋注うんかい祿ろくしん;耹隧,地名ちめい」。《ひだり·あきらじゅうはちねんでん》「ていわざわい,禳火於玄めいかい祿ろく」,あな疏云「すわえさきくれかいため祝融しゅくゆうあるうんかい祿ろくそくくれかい也」。とおるそくかい祿ろく,此與しゅうしょうんそく一事いちじ也。于夏城閒しろま西北せいほくすみ備城もんへんうんしろよんめん四隅よすみみなためだか磿●」。《こうこうたくみじん》「城隅じょうぐうこれせいきゅう雉」ていちゅううん城隅じょうぐういいかく浮思也」。《·邶風·せいおんなへん俟我于城すみ」。たてまつ桀眾以克ゆううん:「『ゆうしもだっなつ。」ぞく諸侯しょこう於薄,れいけいかいていちゅううんぞくなおごう也」。畢云:「此作『すすき是也これや。《かん·すううんゆうななじゅうすすき』,《しゅうしょ·いんしゅくかいうん桀而ふくうす』,《荀子·へいうんいにしえしゃ以薄,たけおう以滈』,《りょ春秋しゅんじゅううん嘗約于郼うす』,みなさくすすき』。地理ちりこころざしうん河南かなん偃師しかばねきょういん湯所ゆところ』,こん河南かなん偃師也。《史記しきしゅうかいうんすめらぎはじめ謐曰:はりこくこく孰為みなみ亳,そく也』。くくこころざしうんそうしゅうこく孰縣西南せいなんさんじゅうみなみ亳故じょうそくみなみ亳湯也。そうしゅう北五十里きたいかりだいこうむしろ為景ためかげ亳,湯所ゆところめいよし景山かげやまためめい河南かなん偃師ため西にし亳,みかど嚳及湯所ゆところばんかのえまたしたがえ』。またあん:『すすき』,おもんみ孟子もうしさく『亳』,正字せいじ也。亳,きょうちょうもりりょうていせつぶんべつゆう亳王ごうざいこん陝西せんせい三原みはらけんかく不同ふどう」。こもあきら天命てんめいしかみやび·しゃくうんこも進也しんや」。儀禮ぎれいかんむりあやていちゅううんあきら明也あきや」。つう四方しほう,而天諸侯しょこう莫敢まろうどふくのり此湯所以ゆえん誅桀也。遝至乎商おう「遝」,きゅうほんまたさくかえ」,いまおう校正こうせいしょうじょう。畢云「文選ぶんせんちゅう引作ひきつくりしょうおう紂時』。太平たいへい御覽ごらんさく『紂之』。てんじょ其德,おううん:「じょじゅん也,げんてん不順ふじゅん紂之とくらくへん引湯かんけい曰『上帝じょうてい不順ふじゅん』,是也これや。《しかみやび》曰『じゅん,敘也』。敘與じょどう。《ほうげんといしんへん曰『こととく其序いいくん』,くんあずかじゅんどう。《しゅう》曰『周旋しゅうせんじょじゅん』,じょまたじゅん也。《いっしゅうしょじょ》曰『ぶんおうつげたけおう以序德之のりゆきぎょう』。俞云:「『ついで』乃『とおるあやま。《そう·のりへんずいじょあい』,しゃくぶん曰『じょ一本いっぽんさくとおる』,其例也。『てんとおる其德』,文義ふみよし甚明,あやまさくついで』,不可ふかどおり矣」。あん:俞說是也これや,《なおかしこなかへんうんのりてんきょう其德」,さとまたあずかとおるどおりまつようしつ史記しきかめさく傳說でんせつ桀、紂云「ぎゃくらんよんしつひゃくおに嘗」,ぶたげん祭祀さいし以時舉也,けん夜中よなかゆうだっあやま十日とおか于薄,畢云:「太平たいへい御覽ごらん引作ひきつくり『亳』,かり音字おんじ。」詒讓あんあつしふうおつうらないまた引墨曰「しょう不德ふとく十日とおか於亳」。今本いまもと紀年きねんみかどからしねんあめ于●」。きゅうかなえ遷止,妖宵ゆうおによいぎん文選ぶんせんきょう古詩こしちゅう引蒼頡篇うんぎん,歎也」。ゆうおんな為男ためおてんにくりょ春秋しゅんじゅう·まきまさるへんせついんほろび妖,うんてん」。とげせい乎國どう國道こくどういい道中どうちゅうきゅう經緯けいい涂也。おうけいたて也。おううん:「あにあずかきょうどうきょうえき也。げん紂益放縱ほうしょう也。《しょうみやび·つねへんきょう也永嘆』,もうつたえ曰:『きょう,茲也』。茲,あずかしげるどうしげるえき也。すすむ『眾況あつこれ』,韋注曰『きょうえき也』。いっのりすめらぎけいとく』,かん石經いしきょうすめらぎさくあに』,おう肅本さくきょう』,うんきょうしげるえきようけいとく』。《大雅たいが·くわやわらへんくらけいはま』,召閔へんしょくけい斯引』,つてなみ曰『あに,茲也』。」あんおうせつ是也これや,顧說どういいそくほろ出奔しゅっぽんことあやまあかとり銜珪,畢云:「『とり』,太平たいへい御覽ごらん引作ひきつくりすずめ』。『珪』,初學しょがく引作ひきつくりしょ』。詒讓あん太平たいへい御覽ごらんじょ,引《なお書中しょちゅうこううんしゅうぶんおうため西伯さいはく季秋きしゅうこれがつ甲子きのえねあかすずめ銜丹しょにゅうゆたかとめ于昌おう乃拜稽首受取うけとり,曰:ひめあきらあおみかどほろびいんしゃ紂也」,そうしょみずこころざしどう史記しきしゅう本紀ほんぎしゅうほどけ正義まさよし引尚しょみかどいのちけんうん季秋きしゅうこれがつ甲子きのえねあか爵銜しょにゅう于酆,とめ于昌,其書うんけいしょう怠者なまけものきち云云うんぬんあずかだい戴禮·たけおう踐阼へんしょぶんどうあずか此異。以上いじょうもろしょなみさく銜書,あずか初學しょがくどう。《りょ春秋しゅんじゅう·おうどうへんうんぶんおうときあかがらす銜丹しょしゅうしゅうしゃ」,またあずか此書「くだ岐社」ことどううたぐみな一事いちじ,而傳聞でんぶんえんかざりめん詭異みみくだしゅう岐社,今本いまもと紀年きねんみかどからしさんじゅうねんゆうあかがらすしゅう于周しゃ」。曰:『天命てんめいしゅうぶんおういんゆうこく。』畢云:「太平たいへい御覽ごらんうんいのち曰:しゅうぶんおういん』,ことるいうんいのちいん也』。」たい來賓らいひんうん:『孟子もうしうんふとしおおやけ避紂きょ北海ほっかいはま,聞文おう作興さっこう,曰:盍歸乎來』!そく來賓らいひんこと也。」あんたい與太よたこういちにんしょうなおけんじょうへん河出かわでみどりきたどうしょ鈔地,引隨うんひめきょう河出かわでみどり」。《りょ春秋しゅんじゅう·かんひょうへんうんみどりはたうすしたがえ此生矣」。《淮南ワイナンよしくんうん至德しとくらくしょ河出かわでみどり」。えきぬきいぬい鑿度うん:「あきら以西いせいはく受命じゅめい改正かいせいついたちぬのおうごう於天,受籙おうかわ」。みどり、籙通。じょうしゅうしょ·おうかいへんうんしろみんじょうじょうしゃきつね,其背ゆう兩角もろずみ」,《山海さんかいけい·海外かいがい西經せいけいどうそうしょみずこころざしうんみかどしゅん即位そくいじょううま」。りゅう賡稽みず引孫みずおううん王者おうじゃとく四方しほう輿こしふくゆうまぐさ所業しょぎょうのりじょう」。《淮南ワイナンうんみかど天下でんかふく皁」,こうちゅううんじょう」。たけおう踐功,「踐功」,うたぐ「踐阼」あやま夢見ゆめみさんかみ曰:畢云:「きゅうだつ此字,よりどころ文選ぶんせんちゅう、蓺文類聚るいじゅうぞう。」すんで沈漬いん紂于しゅとく矣,しょほろよう沈酗于酒」,あな疏云「ひと以酒みだれわか沈於すい以耽しゅため沈也」。《史記しきそう》「紂沈湎于しゅ」。しょうみやびしゃくぶんうんづけ,淹也」。一切經音義引通俗文云「みずひた曰漬」。畢云:「『づけ』,蓺文類聚るいじゅう引作ひきつくり『瀆』」。往攻必使なんじだいこらえこれ』。畢云「『こらえ』,蓺文類聚るいじゅう文選ぶんせんちゅう引作ひきつくり『戡』。」たけおう乃攻きょうおっとはんしょうしゅうおさむきょうおっと」,うたぐとう作為さくい「往攻」,うえぶん屢見。「往」「きょう」,「これ」「おっとかたちきん而誤,「おさむまたあやまうつりちょ「乃」したとげ不可ふかどおり。戴云「『きょうおっとうたぐどくおっとあやま」,てんたまものたけおう黃鳥こうちょうはた畢云:「『たまもの』,太平たいへい御覽ごらん引作ひきつくりすず』。きたどうしょ鈔引ずいうんてんたまものたけおう黃鳥こうちょうはた』。《だきほおうんたけおうきょうてんきゅうはた』。」詒讓あん黃鳥こうちょうはたうたぐそくしゅうあやちゅうしゃだいあかまたそくつかさつねとりはやぶさため旟。こうこう輈人うんとりなな斿,以象うずら也」。《國語こくご·いいあか旟。《きょくれいうんこうぜん朱雀すざく而後玄武げんぶ」,朱雀すざくそくゆびとり旟言あずか朱色しゅいろちかあか旟謂黃鳥こうちょうはただいあかためしゅうただししょくはた流俗りゅうぞくえんかざりとげ以為てんすずさち矣。おうすんでやめかついんなりみかどしゅうしょ·しょうちかいへんうんたけおう曰:おもんみ甲子きのえねかつ致天だいばっくちみかどかわ紂之口口くちぐちまた敢違大命たいめい」。あずか文意ぶんいりゃくどう。畢云:「『當為とうい『賚』。」ぶんおもしょかみまつ紂先おうあかりおにへんうんむかししゃたけおうおさむいん誅紂也,使つかいしょ使つかいぶん其祭,曰:使つかいおやしゃ受內祀,疏者受外まつ」,其事也。つう維四えびす「維」,とうさく「于」,うえぶんせつうんつう四方しほう」。而天莫不まろうど焉襲いとぐち·魯頌·閟宮》,うん纘禹いとぐち」,《もうつたえうんいとぐちぎょう也」。おう引之うん:「げんたけおう乃襲いとぐち也。」此即たけおう所以ゆえん誅紂也。わか以此さん聖王せいおうしゃかんのり所謂いわゆるおさむ也,所謂いわゆる誅也」。

5 おさむ:
則夫のりおこうおさむこれきみまたかざり其說以非すみ曰:「以攻ため不義ふぎぶつあずかむかししゃすわえぐまうらら畢云:「《史記しき·すわえうん鬻熊ごとぶんおうのみそつ,其子曰熊うらら』。」はじめ討此睢山あいだ畢云:「『討』當為とういふう』。睢山,そく江漢こうかん沮漳沮。」詒讓あん:《史記しき·すわえ》「くま繹,とうしゅうなりおうとき,舉文武ぶんぶ勤勞きんろう後嗣こうし,而封ぐま繹於すわえ」,はじめふうすわえしゃためぐまうららまご繹,あずか此書不同ふどうりょう玉繩たまなわうん:「うらら繹祖,睢為すわえもちしかのり繹之まえやめ建國けんこくすわえなりおうぶたいん而封なりおうふう繹始ゆうこくみみ。」えつおう繄虧」,うん:「そく也。『繄』,舊作きゅうさく『緊』,,以意あらため。」あん:畢本またこういましたがえこれ。《史記しき·しゅう本紀ほんぎ》「きょうおうめい繄扈」,あずか此相るいあまりえつぜっしょがい傳記でんきへん,《えつ春秋しゅんじゅう·えつおう外傳がいでん》,さく」,どうこう,繄虧そくあまりうたぐ本名ほんみょう虧。《ひだりでんじゅうななねん》,ひとしゆう公子こうし虧。えつおうめいあるあずかかれどう古語こご」,ちょうげんある曰「繄無」。《しゅうあや職方しょくかた》「かそけしゅうやま鎮醫閭」,またあずか繄音どうぞく漢書かんしょぐんこくこころざし遼東りゃおとん屬國ぞっこく無慮むりょけんゆう閭山。」閭,たんげん無慮むりょのり虧,ちょうげんまたうん繄無虧,たんげんまたうん繄虧。虧、またこえしょううたて也。ただしとおざい夏世なつよ,而史えつそくいい踐始ためえつおう史記しき正義せいぎ引輿こころざしうんしゅうたかしおうゆうえつこうおっとたん曰允つねつぶせはじめだいしょうおう」。あんまことつねため踐父,《漢書かんしょ·古今ここんじんひょうまたうんこしおうまことつね」,なみあずか史記しき不同ふどう。此越おうあるとうまことつねまたのう決定けってい也。またあん國語こくごほんなみ以越ため羋姓,のりうたぐ繄虧あるそくきずしょう出自しゅつじゆう遽,史記しきえつうん「其先禹之苗裔びょうえい,而夏きさきみかどしょう康之やすゆき庶子しょし也,ふう於會稽,以奉もり禹之まつ」。《えつ春秋しゅんじゅううんしょうやすしおそれ禹跡宗廟そうびょう祭祀さいしぜっ,乃封其庶子しょし於越,ごう曰無あまり。」みずけいややこうみずちゅううんなつきさきしょうやすしふう少子しょうし,以奉禹祠,ためこし」,のりあずかみかど同名どうめいうたぐあやまみずけいちゅうまたうんはたのぞむさんみなみゆう嶕峴,峴裏ゆう大城おおしろえつおうあまり舊都きゅうと也。えつ春秋しゅんじゅう》『踐語范蠡曰:先君せんくんあまりくにざい南山なんざん』。」のり酈氏またけんよりどころちょうせつ矣。ただし此云「出自しゅつじゆう遽」,せきちょう國語こくごていうん羋姓夔、こしあずか史記しき不同ふどうくれ,韋注うんえつおう踐,祝融しゅくゆうこれまことつね之子ゆきこ,羋姓也」,また引世ほんまたうんえつ羋姓也。漢書かんしょ地理ちりこころざしがおちゅう引臣瓚,またよりどころ本明ほんみょうえつ禹後。《だい戴禮·みかどへんうんりくおわりさんろく,其ろく曰季れんため羋姓。れんさんづけづけさん穴熊あなぐまきゅうせいいたり于渠。婁鯀出自しゅつじぐまみぞ有子ゆうこさんにん,其孟めいためやすしため亶王;其中之名なかのみょうためべにため鄂王;其季めいためきずため戚章おう」、《史記しき·すわえうんくまみぞりつ長子ちょうしやすしため亶王,中子なかごあかため鄂王,少子しょうしきずためこしあきらおう」,あなこうもりうん「婁鯀ある當為とうい夔越,こしそくこしあきら也。戚章字形じけいあやま」。詒讓あん:以世ほんみかど繫證のり國語こくごせつ不為ふためちょう。《ひだり·じゅうろくねんでん》「夔子曰:わが先王せんおうぐま摯」,《漢書かんしょ·古今ここんじんひょう》及史正義まさよし,引宋ひとしらくぬきちゅうなみいいぐま摯亦ぐまみぞ。竊疑夔、こしどうあなせつどおりわかしか,此「出自しゅつじゆう遽」,あるとううん出自しゅつじぐまみぞ」,なおみかど繫云「婁鯀出自しゅつじぐまみぞ」也。みぞ、遽聲ちか通用つうようはじめくに於越,から叔與りょなおくにひとしすすむ。此皆地方ちほうすうひゃくこん以并こくよんふん天下でんか而有うん:「ぼくとう春秋しゅんじゅう,其時越方おちかたきょうもり,而晉ひさしほろび以荊、こしひとしすすむためよん大國たいこくかずしんしゃはたかたおとろえみだれ也。此可ちょうぼくざい孔子こうし而未及戰こく也。凡書ちゅうわたる戰國せんごく時事じじしゃみな其徒為之ためゆきなんじ」。なん也?」ぼく曰;「察吾ごとこれるい未明みめい其故しゃ也。いにしえしゃ天子てんしはじめふう諸侯しょこう也,萬有ばんゆうあまり畢云:「《りょ春秋しゅんじゅう·ようみんうんとう禹之天下てんかゆう萬國ばんこくいたり於湯而さんせんあまりこく』。」戴云:「とうくに文義ふみよしはじめあし。」こん以并こくまん國有こくゆうあまりみなほろび戴云:「『萬國ばんこく有餘ゆうよ』,とうさくまん有餘ゆうよこく』。」四國しこく獨立どくりつ。此譬なおくすりまん有餘ゆうよじん,而よんにんいよいよ也,のり不可ふかいいりょう矣。」

6 おさむ:
則夫のりおこうおさむこれきみまたかざり其說曰:「わが以金だま子女しじょ、壤地ため不足ふそく也,我欲がよく以義名立なだち於天,以德もとめ諸侯しょこう也。」畢云:「『もとむ』,一本いっぽんさく』,したどう。」ぼく曰:「いまわか有能ゆうのう以義名立なだち於天,以德もとめ諸侯しょこうしゃ天下てんかふくたて而待也。おっと天下でんかしょおさむひさし矣,たとえわかでんためしかでん」,畢本あらためつて」,うん:「つて言傳ことづてしゃひと。」おううん「畢說也。『でん當為とうい『僮』,あやま也。僮,こんわらわ也,《せつぶん》『僮,かんむり』,魯語曰『使つかい僮子備官』,《史記しき·らくしょ》曰『使つかい僮男、僮女ななじゅうにん,俱歌』,そう曰『かれずる僮兮』,《おうへん》曰『僮,こんためわらわ』。《こうばしらへん曰『大國たいこくおさむ小國しょうこくたとえなお童子どうじため也。童子どうじためあしよう而勞。こん大國たいこくおさむ小國しょうこく也,おさむしゃ農夫のうふとくたがやせ婦人ふじん,以守為事しごとおさむじんしゃまた農夫のうふとくたがやせ婦人ふじん,以攻為事しごと大國たいこくおさむ小國しょうこく也,たとえなお童子どうじため也』,其證。」ひろしうん:「『でんとう『侲』なまり,《方言ほうげん》『つばめひとしこれあいだやしなえしゃいい侲』,こう漢書かんしょもりあつしでんちゅう引《方言ほうげん》『侲,やしなえじん也』。」あんみち藏本ぞうほんほんさくでん」,おうせつきんこうどう,「でんある當為とうい「孺」,「孺」ぞくさく「●」,あずかでんかたちちか孺子じゅし、僮子よしどういまわか有能ゆうのうしんじこうさき天下でんか諸侯しょこうしゃこう,讀為交,どうこえ假借かしゃくしん交,いいしょう交以しん。《しゅうあやだい行人こうじんうん「凡諸こうくに交,さいしょうとい也,いんしょう聘也,世相せそうあさ也。」大國たいこく義也よしやのり同憂どうゆう大國たいこくおさむ小國しょうこく也,のりどうすくい小國しょうこく城郭じょうかく不全ふぜん也,必使修之のぶゆきぬのあわぜっのりおううん:「『これぜっとうとぼしぜっあやま。《つきれい》曰『たまもの貧窮ひんきゅうとぼしぜっ是也これやゆだね,讀委輸之漢書かんしょ千乘貞王伉傳『租委鮮薄』,ちゅうゆだねいい輸也』。」あんおうせつ是也これやしゅうあやしょう行人こうじんうんわかこく凶荒きょうこうのりれい賙委。」幣帛へいはく不足ふそくのり共之ともゆき畢云:「共同きょうどうきょう。」以此こう大國たいこくのりしょう國之くにゆきくんせつこうまた讀為交。此云交大國たいこくのりむべうんしょう國之くにゆきくんせつうたぐ小國しょうこくまた當為とうい大國たいこく」。うえぶんうんいにしえじんじんゆう天下でんかしゃ,必交大國たいこくせつ」,其證。ひとろうわがいっのりわがかぶとへいきょうひろし以惠,なるやすきゅうみん必移。りょ春秋しゅんじゅう·しょうへんうんしょう重則しげのりみんうつりこれ」,こうちゅううんうつりなおかえり也」。えきおさむ以治我國わがくにおさむ必倍。おさむ當為とういこうはかわが舉之,以爭諸侯しょこう斃,そう」,きゅうほんさくいさかい」。おううん:「わたるぶんしょしたがえげん而誤,こんあらため。」うん:「いさかいあずかせいどう。」あんおうこう是也これや。《せつぶん·いぬうん「●,ひたすら仆也」,あるさく「斃」,したがえ。《ひだり·じょうじゅうななねんでん》「以誣どう蔽諸こう」,しゃくぶん引服けんさく「斃」,うん「斃,踣也。いちにちやめ也」。のり必可とく而序焉。おう引之うん:「『じょ』,當為とうい厚利あつとし』,隸書れいしょあつしある作為さくい『●』,かん荊州刺史ししなおいしぶみまたさく『●』,さんおおやけやまかたちあずかついで相似そうじ而誤。じょあつ人倫じんりん』,しゃくあやあつほんあるさくじょ』。《荀子·おうへん桀紂そくあつ於有天下でんか』,《しおてつろんこくびょうへんとくあつ於民』,今本いまもとあつしなみなまりさくついで』。此言りょうわがきょうこれ,以爭諸侯しょこう斃者,のり厚利あつとし必可とく也。《あきらおにへん曰『あに厚利あつとし哉』,今本いまもとあつしさくついで』,のり不可ふかどおり。」俞云:「『ついでまたとおるあやま。」あん:俞說是也これやしょうまえとく以正,せつぶん·うんとく,察也」,《しかみやび·しゃくうんとく正也まさや」。かくちゅううんとくいいせい」。其名,そくうえぶんうんわが以義名立なだち於天也」。必務ひろしわれ眾,信吾しんご,以此授諸こう「授」うたぐ當為とうい「援」。れい儒行,ていちゅううん「援,なお引也,也」。のり天下でんか無敵むてき矣。其為不可ふかかつ數也かずやうん:「ゆう脫字だつじとうさく『其為天下でんか不可ふかかつ數也かずや』。」此天下之したの,而王公おうこう大人おとな不知ふち而用,のり此可いい不知ふち天下でんかきょつとむ矣。」畢云:「『きょ』,舊作きゅうさくしん』,以意あらため。」あん:顧校ほんせいさくきょ」。すみ曰:「こん且天下之したの王公おうこう大人おとなきょおう引之うん:「こん且,こんおっと也。」ちゅうじょうしょう欲求よっきゅうきょう天下でんかじょ天下でんかがいとうわかしげためおさむ,此實天下でんかきょがい也。いまほしため仁義じんぎもとめため上士じょうしなおよくちゅう聖王せいおうみちなおうえどおりしもほっちゅう國家こっか百姓ひゃくしょうとうわかおさむためせつ,而將不可ふか察者此也。」畢云:「きゅうだっ,以意ぞう。」おううん:「『不可ふか察者此也』,ほんさく不可ふか察此しゃ也』。此字ゆびおさむこれせつ,而言言げんげんほしため仁義じんぎのり不可ふか察此おさむこれせつ也。今本いまもと『此者』たおせてんのりあずかうわぶんこんよく二字義不相屬矣。《ふしそうへんとうわかふし為政いせい,而不可ふか察者此也』,『しゃ此』,また『此者』あやま。《なおけんへんなおけんためせつ,而不可ふか察此しゃ也』,《あきらおにへんとう鬼神きじんゆうあずかこれべつ,以為しょう不可ふか以不明察めいさつ此者也』,『此者』みなあやま。」

URN: ctp:mozi-jiangu/juan-wu