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スポ根 - Wikipedia

スポ

日本にっぽん漫画まんが、アニメ、ドラマにおけるジャンルのひと

スポ(スポこん)は、日本にっぽん漫画まんがアニメドラマにおけるジャンルひとつ。「スポーツ」と「根性こんじょう」を合成ごうせいした「スポーツ根性こんじょうもの」の略語りゃくご[1][2]。このジャンルの作品さくひんを「スポ漫画まんが」「スポアニメ」「スポドラマ」とぶ。

狭義きょうぎのスポとは、1960年代ねんだいから1970年代ねんだい日本にっぽん高度こうど経済けいざい成長せいちょう一般いっぱん大衆たいしゅう人気にんき獲得かくとくしたジャンルであり[1]メキシコ五輪ごりん開催かいさいされた1968ねん前後ぜんご人気にんきのピークをむかえた[1]定義ていぎについて漫画まんが評論ひょうろん米澤よねざわ嘉博よしひろは『戦後せんごだい事典じてん』のなかつぎのようにしるしている。

スポーツの世界せかい根性こんじょう努力どりょくによってライバルっていく主人公しゅじんこうのドラマ — 『戦後せんごだい事典じてん[2]

これにたい漫画まんが編集へんしゅうしゃみなみ信長のぶながは「等身とうしんだい主人公しゅじんこう根性こんじょう努力どりょく勝利しょうり目指めざす」ものを正統せいとうてきなスポとしているが[3]漫画まんが評論ひょうろん編集へんしゅうしゃ村上むらかみ知彦ともひこらは「特訓とっくん成果せいかとして必殺ひっさつわざ」の要素ようそ[1][4]や「努力どりょくがた主人公しゅじんこう天才てんさいがたライバルの対比たいひ」の要素ようそ[1][4]京都精華大学きょうとせいかだいがく教授きょうじゅ京都きょうと国際こくさいマンガミュージアム研究けんきゅういん吉村よしむらかずしんは「過激かげき特訓とっくん」の要素ようそくわのようにしるしている[5]

努力どりょくがた主人公しゅじんこうのにじむ特訓とっくんかさちょう人的じんてき必殺ひっさつわざ天才てんさいがたのライバルに勝利しょうりするといった図式ずしきされたストーリー — 『大衆たいしゅう文化ぶんか事典じてん[1]
いずれの主人公しゅじんこうも、身辺しんぺん苦難くなんえ、過激かげき特訓とっくんみずからにし、いくども挫折ざせつあじわいながら、不屈ふくつ闘志とうし根性こんじょうえていく — 『スポーツの百科ひゃっか事典じてん[5]

主人公しゅじんこう努力どりょく根性こんじょうでひたむきに競技きょうぎみ、特訓とっくんかさね、あらゆる艱難辛苦かんなんしんくえて成長せいちょうげてライバルとの勝負しょうぶっていくのだが[6][7]主人公しゅじんこう背負せおった苦労くろう強調きょうちょうさせるために、スポーツ選手せんしゅとしての天性てんせい素質そしつ容易たやす主人公しゅじんこうやぶることが出来できるライバルの存在そんざい必須ひっすであり[7]貧困ひんこんそう出身しゅっしん主人公しゅじんこうたい富裕ふゆうそう出身しゅっしんのライバル、といった対比たいひ構図こうずまれた[7][8]。こうした弱者じゃくしゃ強者きょうしゃ努力どりょく根性こんじょうかうストーリー構成こうせい高度こうど成長せいちょう一般いっぱん大衆たいしゅういていた「欧米おうべい諸国しょこくいつきせ」という価値かちかん一致いっちするものであり[1][6]当時とうじ読者どくしゃ支持しじされた[1]。なお、教育きょういく評論ひょうろん斎藤さいとう次郎じろうは「スポーツの世界せかいきるヒーローの世界せかいをそれぞれの固有こゆう面白おもしろさであじつけした程度ていどならたんに『スポーツもの』で、『スポ』となると悲劇ひげきてきなまでに苦行くぎょうえがかれなければならない」としている[9]。また、1980年代ねんだい以降いこう少年しょうねんそう女性じょせいそう人気にんき獲得かくとくした『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』の中心ちゅうしんテーマ「友情ゆうじょう努力どりょく勝利しょうり」とスポ同一どういつするれいもあるが[10]桃山学院大学ももやまがくいんだいがくじゅん教授きょうじゅ高井たかいあきら吏は「『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』における『おとこ物語ものがたり』は、1970年代ねんだい前後ぜんこうのような『禁欲きんよくてきおとこたちの物語ものがたり』ではない。そのてんには注意ちゅうい必要ひつようである」としている[11]

広義こうぎのスポとは、実際じっさい選手せんしゅが「あるスポーツにんでやりげようとする[12]」「ひとつのスポーツにひたすらみ、努力どりょくかさねる[13]」などの精神せいしん、「主人公しゅじんこうがスポーツの勝負しょうぶつうじて技術ぎじゅつてき精神せいしんてき成長せいちょうする姿すがたえがいたビルドゥングスロマン[14]」とされる。なかには、思考しこう能力のうりょくきそマインドスポーツあつかった作品さくひん[15][16]、スポーツの範疇はんちゅうえて競技きょうぎ志向しこうつよ文化ぶんかけい活動かつどうあつかった作品さくひんを「スポ[17]や「文化ぶんかけいスポ」として紹介しょうかいするれい[16]、「スポふう青春せいしゅんコメディ」「スポコメディ」などの言葉ことば紹介しょうかいされているれいもあるが[18][19]ほん記事きじでは狭義きょうぎのスポ作品さくひんについて紹介しょうかいする。

背景はいけい

編集へんしゅう

根性こんじょう」とは元々もともと仏教ぶっきょう用語ようごで「そのひとまれながらにわせる性質せいしつ」を意味いみする言葉ことばだが[20]日本にっぽんのスポーツかいにおいて「困難こんなん状況じょうきょうにあってもくっすることなく物事ものごとをやりとお意思いし精神せいしんりょく」を意味いみする言葉ことばとしてもちいられてきた[21]肯定こうていてき用法ようほうには「根性こんじょうった」、否定ひていてき用法ようほうには「根性こんじょうりない」「根性こんじょうきたなおす」などがある[22]

日本にっぽんには明治めいじ時代じだいから欧米おうべい発祥はっしょう様々さまざまなスポーツが輸入ゆにゅうされてきたが社会しゃかいてき交流こうりゅう手段しゅだんとしての側面そくめん関心かんしんはらわれず、技術ぎじゅつ向上こうじょう勝利しょうり追求ついきゅうのみに関心かんしんはらわれた[23]。それらを実現じつげんするための指導しどうほう強化きょうか体制たいせい確立かくりつ重視じゅうしされてきたが[23]、そのなか登場とうじょうしたのが「根性こんじょう」という言葉ことばだった。精神せいしんうったえかける言葉ことば自体じたいだい世界せかい大戦たいせんのち科学かがくてきとして敬遠けいえんされていたが[24]1964ねんおこなわれた東京とうきょうオリンピックにおいてバレーボール全日本ぜんにほん女子じょしひきいただいまつ博文ひろぶみやレスリング日本にっぽん代表だいひょうひきいた八田はった一朗いちろう精神せいしんろん前面ぜんめんした厳格げんかく練習れんしゅう方法ほうほう導入どうにゅうして成果せいかげた[24][25]大松おおまつ八田はった影響えいきょうによりきびしさに努力どりょくする姿勢しせいとうと風潮ふうちょうまれ、スポーツかいのみならず一般いっぱん社会しゃかいにおいても「根性こんじょう」という言葉ことば普及ふきゅうするにいたった[24]

一方いっぽう、「根性こんじょう」という言葉ことばときには競技きょうぎかかわるじょうでの動機どうきづけ、きびしい練習れんしゅう忍耐にんたいりょく試合しあいいどじょうでの集中しゅうちゅうりょく意味いみもちいられるなど抽象ちゅうしょうてきかつ多義たぎてきなものであった[22][26]。スポーツ分野ぶんやにおいて精神せいしんてき要素ようそ不可欠ふかけつなもので競技きょうぎのレベルがたかくなるほど勝敗しょうはい記録きろく影響えいきょうおよぼす傾向けいこうがあるものの十分じゅうぶん科学かがくてき検証けんしょうがなされてこなかったが[26]1990年代ねんだいころから選手せんしゅ競技きょうぎにおいて最高さいこう状態じょうたい能力のうりょく発揮はっきするための自己じこ管理かんり目的もくてきとしたメンタルトレーニングの研究けんきゅう開発かいはつおこなわれている[26]

太平洋戦争たいへいようせんそう連合れんごうぐんそう司令しれい (GHQ) の指示しじにより武道ぶどう教育きょういく時代じだいげき映画えいが禁止きんしされていたが[27]1951ねんサンフランシスコ講和こうわ条約じょうやく締結ていけつ以降いこう相次あいついで解禁かいきんされると、漫画まんが世界せかいでも武道ぶどうえがいた作品さくひん登場とうじょう[27]、1952ねんから1954ねんにかけて柔道じゅうどう漫画まんがイガグリくん[28]福井ふくい英一ひでかず)が『冒険ぼうけんおう』で連載れんさいされた[29]。この作品さくひん講談こうだん時代じだいげきなどでえがかれてきた伝統でんとうてき日本人にっぽんじんてき心情しんじょうのっとったもので[27]柔道じゅうどうだけでなく異種いしゅ格闘技かくとうぎせん要素ようそふくんだ作風さくふう熱血ねっけつスポーツ漫画まんがのルーツともばれ、作品さくひんぐん影響えいきょうあたえることになった[29][30]

『イガグリくん』のキャラクター設定せってい必殺ひっさつわざようした対決たいけつシーンは、1958ねんから『おもしろブック』で連載れんさいされた貝塚かいづかひろし野球やきゅう漫画まんがくりくり投手とうしゅ』へとがれ、これ以降いこうのスポーツ漫画まんがにおける定石じょうせきとなった[30]。『くりくり投手とうしゅ』では『イガグリくん』の手法しゅほうをさらに極端きょくたんし、必殺ひっさつわざけるための過激かげき特訓とっくん描写びょうしゃ登場とうじょうした[31]。1961ねんから1962ねんにかけて『週刊しゅうかん少年しょうねんマガジン』では福本ふくもと和也かずや原作げんさくちばてつや作画さくがによる野球やきゅう漫画まんがちかいの魔球まきゅう』が連載れんさいされた。この作品さくひん実在じつざいプロ野球やきゅう世界せかい必殺ひっさつわざ要素ようそあわせた内容ないようとなり[32]のち同誌どうしでやはり福本ふくもとつくるいちみねだい作画さくが連載れんさいされた『くろ秘密ひみつ兵器へいき』や、梶原かじはらいちの『巨人きょじんほし』へと踏襲とうしゅうされた[32]

一方いっぽうで、熱血ねっけつスポーツ漫画まんがからスポ漫画まんがへのながれとはべつに、井上いのうえ一雄かずお野球やきゅう漫画まんがバットくん[33]寺田てらだヒロオ野球やきゅう漫画まんが『スポーツマン金太郎きんたろう』などのさわやかな作風さくふうのスポーツ漫画まんが存在そんざいした[34]。こうした作品さくひんわって熱血ねっけつものが発展はってんした経緯けいいについて漫画まんが評論ひょうろん竹内たけうちオサム1950年代ねんだいはじまったテレビ放送ほうそう影響えいきょうげている[34]竹内たけうちによれば、テレビであつかわれたプロ野球やきゅう大相撲おおずもうプロレス実況じっきょう放送ほうそうつうじて大衆たいしゅうあいだで「するスポーツ」ではなく「るスポーツ」が支持しじたことの影響えいきょうにより漫画まんが世界せかいエンターテインメントせいつよめた[34]。また、この時代じだいには漫画まんがではあたらしい表現ひょうげん形式けいしき劇画げきがされており[35]劇画げきが写実しゃじつてきかつ動的どうてき手法しゅほうこうのスポ作品さくひんにおいてあつかわれたことで作品さくひん現実味げんじつみあたえることに貢献こうけんした[36][37]

スポものの誕生たんじょう

編集へんしゅう
 
巨人きょじんほし』は吉川よしかわ英治えいじ小説しょうせつ宮本みやもと武蔵むさし』の漫画まんがばん大河おおかわ漫画まんが執筆しっぴつ依頼いらいされたことにより誕生たんじょうした。どうさく映画えいがばんぞく宮本みやもと武蔵むさし 一乗寺いちじょうじけつ』。
 
梶原かじはら構想こうそうにあたり、小説しょうせつモンテ・クリストはく』の悲劇ひげきせい意図いとした。

一般いっぱんてきに「スポ」の発祥はっしょうとなった作品さくひん元祖がんそばれる作品さくひんは『週刊しゅうかん少年しょうねんマガジン』で1965ねんから1971ねんにかけて連載れんさいされた『巨人きょじんほし』(原作げんさく梶原かじはらいち作画さくが川崎かわさきのぼる)である[1][38][39]

週刊しゅうかん少年しょうねんマガジンだい4だい編集へんしゅうちょう宮原みやはら照夫てるおによれば、この作品さくひん1930年代ねんだい人気にんき獲得かくとくした吉川よしかわ英治えいじ小説しょうせつ宮本みやもと武蔵むさし』のような、ひとつのみちきわめライバルとの対決たいけつっていく人物じんぶつ主人公しゅじんこうとする構想こうそうをもつ編集へんしゅう[40]アレクサンドル・デュマ・ペール小説しょうせつモンテ・クリストはく』のような悲劇ひげきてき運命うんめい背負せおった人物じんぶつ主人公しゅじんこうとする構想こうそう梶原かじはらとがむすびついたことにより誕生たんじょうした[40]梶原かじはらによれば自身じしん元々もともと少年しょうねん小説しょうせつ志望しぼうし、佐藤さとう紅緑こうろくの『あゝ玉杯ぎょくはいはなうけて』のような作品さくひん手掛てがけたいとかんがえていた[41]漫画まんが人気にんきされて少年しょうねん小説しょうせつがその役目やくめえようとしていたなか[41]、『週刊しゅうかん少年しょうねんマガジン』だい3だい編集へんしゅうちょう内田うちだまさるふく編集へんしゅうちょう宮原みやはらから「大河おおかわ小説しょうせつわる大河たいが漫画まんが[42]、『宮本みやもと武蔵むさし』の漫画まんがばん原作げんさく依頼いらいされたことをきっかけに誕生たんじょうしたものとしている[43]

梶原かじはらには「クール」「ドライ」といった男性だんせいかん賞賛しょうさんされた当時とうじ風潮ふうちょうへのはん発心ほっしんがあったといい、執筆しっぴつにあたっては「とことんホットでウェット」「カッコわる試行錯誤しこうさくごかえしからみがかれて底光そこびかりするしんのカッコよさ」を人物じんぶつえがこうとした[44]。これらの要素ようそに1960年代ねんだい社会しゃかい問題もんだいとなっていた熾烈しれつ受験じゅけん競争きょうそう後押あとおしする教育きょういくママ存在そんざい反映はんえい[45]人間にんげん教育きょういくには父親ちちおや存在そんざいかせないものとし、「教育きょういくママにたいするアンチテーゼ」として父権ふけんてきなキャラクターを登場とうじょうさせ、主人公しゅじんこうほしゆうちちほしいちてったたかいと葛藤かっとう物語ものがたりじくとなった[45]

この作品さくひんは「一般いっぱん社会しゃかい普遍ふへんできるかた見本みほんとして、栄光えいこう目指めざして試練しれん根性こんじょう姿すがた野球やきゅう世界せかいりてえがいたもの」ともいわれる[9]作画さくが担当たんとうした川崎かわさき発案はつあんによる過剰かじょう表現ひょうげん手法しゅほうや、原作げんさく担当たんとうした梶原かじはらによる大仰おおぎょう台詞せりふまわしは当時とうじから批判ひはんこえもあったが[46]作品さくひん自体じたい徐々じょじょ人気にんきたかめ『週刊しゅうかん少年しょうねんマガジン』の部数ぶすうを100まんげた[46]

梶原かじはらは、その柔道じゅうどう題材だいざいとした『柔道じゅうどう一直線いっちょくせん』(作画さくが永島ながしま慎二しんじ斎藤さいとうゆずる)、プロレス題材だいざいとした『タイガーマスク』(作画さくがつじなおき)、ボクシング題材だいざいとした『あしたのジョー』(作画さくがちばてつや)の原作げんさくつとめたが人生じんせいろんてき要素ようそつよい『巨人きょじんほし』とはことなる趣向しゅこうれた[47][48]梶原かじはら自伝じでんによれば『柔道じゅうどう一直線いっちょくせん』ではわざわざ応酬おうしゅうといったエンターテインメントせい焦点しょうてんてる一方いっぽうわざ優先ゆうせん傾向けいこうがあった当時とうじ日本にっぽん柔道じゅうどうかいへのアンチテーゼを[47]、『タイガーマスク』では往年おうねんの『黄金おうごんバット』のプロレスばん標榜ひょうぼうぜんあくめんせいのあるヒーローを[47]、『あしたのジョー』では『巨人きょじんほし』の主人公しゅじんこうほしゆうのような模範もはんてき人物じんぶつへのアンチテーゼとして野性やせいてき不良ふりょう少年しょうねん矢吹やぶきたけ主人公しゅじんこうとしアウトローぶりを意図いとした[48]

なお、梶原かじはら自身じしんは「根性こんじょう」「スポ」という言葉ことばにさほど価値かち見出みいだしておらず、ミゲル・デ・セルバンテス小説しょうせつドン・キホーテ』になぞらえ、「それをうのならドンだん路線ろせん。すなわち、ドン・キホーテ男性だんせい路線ろせんとでもねがいたい」と発言はつげんしていた[49][50]。この小説しょうせつ主人公しゅじんこう騎士きしどう物語ものがたり熱中ねっちゅうするあまり幻想げんそうとらわれ、従者じゅうしゃれて旅先たびさき騒動そうどうこすといった内容ないようであるが、ライターの近藤こんどうただしだか梶原かじはら真意しんいについて「はたには滑稽こっけいえても、本人ほんにん真剣しんけんきょ大風おおふうしゃめがけて突撃とつげきしていく、そうした姿すがたこそがおとこでありロマンであるとかんがえていた」と解釈かいしゃくしている[50]

梶原かじはらがた主人公しゅじんこうおおくはライバルとのたたかいを孤独こどくなかいどみ、ときには両親りょうしん師匠ししょうてきとなる[51]試合しあいでの勝利しょうりよりもライバルとのたたかいに価値かちもとめ、のにじむよう特訓とっくんかさね、身体しんたい過度かど負荷ふかにさらしながらみちきわめようとする[52]。『柔道じゅうどう一直線いっちょくせん』の主人公しゅじんこう一条いちじょう直也なおやのような一部いちぶ例外れいがいはあるものの、『巨人きょじんほし』のほしゆう、『あしたのジョー』の矢吹やぶきたけ、『タイガーマスク』の伊達だて直人なおとをはじめ、そのおおくが再起さいき不能ふのうといった悲劇ひげきてき結末けつまつむかえ、競技きょうぎおもて舞台ぶたいからっていく[52][53]

スポ手法しゅほう少女しょうじょ漫画まんがにも伝播でんぱしたが、このことは従来じゅうらい品行ひんこう方正ほうせい内向ないこうてき傾向けいこうつよかった少女しょうじょ漫画まんが作品さくひん世界せかい競争きょうそう原理げんり導入どうにゅうしたとひょうされる[54][55]バレーボール題材だいざいとした『アタックNo.1』(浦野うらの千賀子ちかこ)や『サインはV』(原作げんさく神保じんぼ史郎しろう作画さくが望月もちづきあきら)では少年しょうねんさながらの必殺ひっさつわざ応酬おうしゅう根性こんじょうてき特訓とっくんえがかれるとともに、こい友情ゆうじょう家庭かてい問題もんだい思春期ししゅんきなやみといった少女しょうじょ漫画まんが主要しゅようテーマがまれた[55][56]漫画まんが評論ひょうろん米澤よねざわ嘉博よしひろは「スポーツものとは、ある意味いみ肉体にくたいのドラマ」としたうえで「スタイルではない、うごきや肉体にくたいかんじさせる『』をたなければ、表現ひょうげんできないジャンル。肉体にくたいせいとしたかたちでは表現ひょうげんできなかっただろう」とひょうしている[55]

これらの作品さくひんは「スポ」の代表だいひょうてき作品さくひん評価ひょうかされており[1]人気にんき作品さくひん1969ねん前後ぜんご次々つぎつぎアニメテレビドラマされた[57]

発展はってん沈静ちんせいきざ

編集へんしゅう

1973ねんオイルショック契機けいき高度こうど成長せいちょうから安定あんてい成長せいちょうへと移行いこうし、人々ひとびと関心かんしん経済けいざいてき安定あんてい社会しゃかいてき上昇じょうしょうから個々ここ内面ないめんてき充足じゅうそく多様たよう価値かちかんもとめる志向しこうへと変化へんかすると[8][58]漫画まんが世界せかいもそれと並行へいこうして日常にちじょう生活せいかつ機微きび反映はんえいしたものへと移行いこうした[8]

この時代じだいには従来じゅうらい梶原かじはら作品さくひん対抗たいこうして、「健全けんぜんさとあかるさ」を基調きちょうとしたさわやかなスポーツ漫画まんが回帰かいきするうごきがはじまったとされる[59]。それまで『おとこどアホウ甲子園こうしえん』をはじめ、いくつかの野球やきゅう漫画まんが手掛てがけていた水島みずしま新司しんじは、梶原かじはらによる作品さくひんぐん物語ものがたりえがうえ野球やきゅうをはじめとした競技きょうぎ小道具こどうぐのようにあつかっていることに反発はんぱつがあったといわれる[60]。1972ねんから1981ねんにかけて連載れんさいされた野球やきゅう漫画まんがドカベン』では、ライバル同士どうし対決たいけつえがきつつも社会しゃかい階層かいそう対立たいりつじく根性こんじょうてき要素ようそうす[8]、「」とばれる必殺ひっさつわざ要素ようそのこしつつも魔球まきゅう描写びょうしゃ排除はいじょ[61]現実げんじつてき試合しあい展開てんかい個性こせいてき登場とうじょう人物じんぶつによる人間にんげんドラマをえがいた[62][63]

『ドカベン』とどう時期じき連載れんさいされたちばあきお野球やきゅう漫画まんがキャプテン』や『プレイボール』では根性こんじょう努力どりょくといった要素ようそのこしつつも魔球まきゅうなどの空想くうそうてき要素ようそ排除はいじょ[64]等身とうしんだい登場とうじょう人物じんぶつたちが活動かつどう姿すがた焦点しょうてんてた[64][65]漫画まんがコラムニストの夏目なつめぼうかい水島みずしま作品さくひんぐんや、ちばの『キャプテン』が従来じゅうらいの「魔球まきゅうによるライバル対決たいけつ」から「集団しゅうだんスポーツのき」という構造こうぞう転換てんかんしえた理由りゆうについて、読者どくしゃそう年齢ねんれい上昇じょうしょうによる野球やきゅう理解りかい変化へんかげている[66]

また、1976ねんから1981ねんにかけて『週刊しゅうかん少年しょうねんサンデー』で連載れんさいされたボクシング漫画まんががんばれ元気げんき』(小山こやまゆう)は、主人公しゅじんこう堀口ほりぐち元気げんきちち遺志いしいで努力どりょくかさねチャンピオンを目指めざ内容ないようとなり[67]主人公しゅじんこう裕福ゆうふく家庭かていから過酷かこくなプロの世界せかいませることで従来じゅうらいの「貧困ひんこんからの脱却だっきゃく」「社会しゃかいてき上昇じょうしょう」といったテーマに異議いぎとなえるかたちとなった[68]。この作品さくひんをもって、「生死せいしけたたたかい、特訓とっくん必殺ひっさつわざ悲劇ひげきてき結末けつまつ」といった梶原かじはらがたスポからの転換てんかんてんとする見方みかたもある[59][69]

少女しょうじょにおいても、1973ねんから1980ねんにかけて連載れんさいされたテニス漫画まんがエースをねらえ!』(山本鈴美香やまもとすみか)では、作品さくひん序盤じょばん努力どりょくがた主人公しゅじんこうおかひろみ、ライバル・竜崎りゅうざき麗香れいかおにコーチ・宗方むなかたひとしといったスポものの構造こうぞうのこしていたが、作品さくひん進行しんこうするにしたがってそれらの枠組わくぐみから脱却だっきゃく登場とうじょう人物じんぶつたちが自立じりつ成長せいちょうする物語ものがたりへと変化へんかした[1][70]前出ぜんしゅつ米澤よねざわは「勝負しょうぶ面白おもしろさ、けといったエンターテインメントとしてのスポドラマを拒否きょひしたところから、『エースをねらえ』ははじまる」とひょうした[70]

ただし、ちばの作品さくひんぐんについては指導しどうしゃ姿すがた意識いしきてき排除はいじょし、部員ぶいんたちが自主じしゅてき自発じはつてき活動かつどうする姿すがたえがきながらも、教育きょういく評論ひょうろん斎藤さいとう次郎じろうが「野球やきゅうたのしむというのは、手抜てぬきやあそびで『いじくる』のではない」とひょうするように過酷かこくなまでな部活ぶかつへのみがえがかれ[71]小山こやまの『がんばれ元気げんき』については元々もともと『あしたのジョー』を意識いしきした作品さくひんであり、ライバルや師匠ししょう悲劇ひげきてき結末けつまつ旧来きゅうらいてき特訓とっくんえがかれた[68][72]。『エースをねらえ』についてはくなき求道きゅうどう精神せいしんのため、恋愛れんあいをも「精神せいしん修行しゅぎょうのためのいちプログラム」としてあつかうなど[73]、いずれも苦行くぎょうてき要素ようそ禁欲きんよくてき要素ようそのこかたちとなった。

スポにおける特徴とくちょうひとつだった魔球まきゅう必殺ひっさつわざ要素ようそは1972ねんから1976ねんにかけて連載れんさいされた野球やきゅう漫画まんがアストロ球団きゅうだん』(原作げんさく遠崎とおざき史朗しろう作画さくが中島なかじまいさおはく)においていっそう過激かげき[74]作品さくひん終盤しゅうばんでは超人ちょうじん選手せんしゅによって次々つぎつぎされた「必殺ひっさつわざ」により多数たすう死傷ししょうしゃす、デスマッチした[75]評論ひょうろんたけぐま健太郎けんたろうは「『巨人きょじんほし』が貧困ひんこん克服こくふく高度こうど経済けいざい成長せいちょう)を背景はいけいにした1960年代ねんだい神話しんわとすれば、この作品さくひん社会しゃかい安定あんていし『貧困ひんこん』という動機どうきづけを喪失そうしつした1970年代ねんだい神話しんわである」としている[76]一方いっぽう、『ドカベン』の作者さくしゃである水島みずしま野球やきゅう漫画まんが野球やきゅうきょう』のなか魔球まきゅう存在そんざいではなく情報じょうほうとしてあつか[77]魔球まきゅうという言葉ことばにより相手あいて精神せいしんてき重圧じゅうあつあたえる、試合しあいにおける「き」の道具どうぐとしてえがくことによって「魔球まきゅう」を否定ひていした[77]。これらの作品さくひんによってスポ特徴とくちょうだった荒唐無稽こうとうむけい要素ようそ退潮たいちょう[78]、スポーツ漫画まんが現実げんじつてき作風さくふうへと転換てんかんしていった[77]

テレビドラマ

編集へんしゅう
 
テレビドラマとして「スポ」があつかわれた背景はいけいには東京とうきょうオリンピックでのバレーボール全日本ぜんにほん女子じょし活躍かつやく影響えいきょうあたえている。写真しゃしん1964ねん10月23にちおこなわれたソビエト連邦れんぽうせん

スポ漫画まんが誕生たんじょう前後ぜんごして日本にほんテレビ系列けいれつでは東宝とうほうとテアトル・プロの共同きょうどう制作せいさくによる、ラグビーやサッカーといった集団しゅうだんスポーツをつうじた教師きょうし生徒せいとたちの交流こうりゅうえがいた『青春せいしゅんとはなんだ』『これが青春せいしゅん』『でっかい青春せいしゅん』の“東宝とうほう青春せいしゅん学園がくえんシリーズ”が放送ほうそうされた[1][79]。この背景はいけいには、1964ねんおこなわれた東京とうきょうオリンピックにおいてバレーボール全日本ぜんにほん女子じょし優勝ゆうしょうみちびいただいまつ博文ひろぶみ影響えいきょうがあるとされている[1]

1960年代ねんだい後半こうはんから1970年代ねんだい初頭しょとうにかけてスポ漫画まんが原作げんさくとしたテレビドラマが登場とうじょうし、TBS系列けいれつ放送ほうそうされた柔道じゅうどう題材だいざいとした『柔道じゅうどう一直線いっちょくせん』やバレーボールを題材だいざいとした『サインはV』や水泳すいえい題材だいざいとした『きんメダルへのターン!』などが人気にんき作品さくひんとなった[57]。そのなかで、『サインはV』は「稲妻いなづまとし」「X攻撃こうげき」などの必殺ひっさつわざ話題わだいとなりだか視聴しちょうりつ記録きろく当時とうじのバレーボールブームやスポブームを牽引けんいんしたが[80][81][82]原作げんさく同様どうよう特訓とっくんによる根性こんじょうてき要素ようそ表現ひょうげんするために出演しゅつえんしゃたいして長時間ちょうじかんわた練習れんしゅう[81][83]、リハーサルを消耗しょうもうったところ撮影さつえいいどんだ[83]どうさく終了しゅうりょうから3ねんの1973ねんには、主演しゅえん岡田おかだ可愛かわいから坂口さかぐち良子りょうこ交代こうたいした続編ぞくへん放送ほうそうされたが、前作ぜんさくほどの人気にんきることは出来できずに終了しゅうりょうした[84]

1970年代ねんだい中盤ちゅうばん以降いこう中村なかむら雅俊まさとし主演しゅえんの『おれたちのたび』などの青春せいしゅんドラマが人気にんき獲得かくとくし、スポ番組ばんぐみブームは終息しゅうそくしたが[85]、1979ねんにはテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつでバレーボールを題材だいざいとした『えろアタック』(原作げんさく石ノ森いしのもり章太郎しょうたろう)が放送ほうそうされた。この作品さくひん必殺ひっさつわざ「ヒグマおとし」やチームメイトのなど『サインはV』の影響えいきょうけたもので[86]モスクワオリンピック出場しゅつじょう目指めざ奮闘ふんとうする内容ないようだったが[87]、1980年代ねんだい中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくで『排球はいきゅう女将おかみ』のタイトルで放送ほうそうされ人気にんき獲得かくとくした[88]

1984ねんから1985ねんにTBS系列けいれつでラグビーを題材だいざいとした『スクール☆ウォーズ』が放送ほうそうされた。この作品さくひんは、もとラグビー日本にっぽん代表だいひょう山口やまぐち良治よしはる高校こうこう弱小じゃくしょうラグビー監督かんとく就任しゅうにんから7ねん全国ぜんこく優勝ゆうしょうみちびいた実話じつわ脚色きゃくしょくしたもので[89]不良ふりょう巣窟そうくつとなっていた学校がっこう再生さいせい、109たい0の大敗たいはい部員ぶいん支援しえんしゃといった困難こんなん全国ぜんこく優勝ゆうしょうたすまでがえがかれている[89]放送ほうそう当時とうじすでにスポてき手法しゅほうは「時代遅じだいおくれ」という評価ひょうかもあったが[90]、いわゆる大映だいえいドラマ特徴とくちょうでもある過剰かじょう演出えんしゅつセリフ回せりふまわしにより、当時とうじ学生がくせいたちの人気にんき獲得かくとくした[90]主人公しゅじんこう滝沢たきざわ賢治けんじえんじた山下やました真司しんじは「セリフは劇画げきが調ちょうで、自分じぶん演技えんぎもまだまだ。でも、向上心こうじょうしんくやしさ、苦悩くのう希望きぼうのつまった内容ないようとどいたのだろう」とひょうしている[91]。1990ねんには滝沢たきざわらの6ねん姿すがたえがいた続編ぞくへんスクール☆ウォーズ2』が放送ほうそうされたが、少年院しょうねんいん舞台ぶたいにした現実げんじつてき要素ようそ原作げんさくもラグビーではなく高校こうこう野球やきゅうえがいた小説しょうせつである)にくわえ、それをかきすほどの前作ぜんさくのような熱量ねつりょうりず[92]ぜん16終了しゅうりょうした[93]

テレビアニメ

編集へんしゅう
 
スポ作品さくひんのアニメさいしては、さまざまな表現ひょうげん手法しゅほう演出えんしゅつほう開発かいはつされ、作品さくひんぐん影響えいきょうあたえた。はアニメばんあしたのジョー』のいちコマ。
ピッチングモーションがはじまると、選手せんしゅ背景はいけい普段ふだん球場きゅうじょうから一転いってんし、現実げんじつてきなおどろおどろしいモノとなる。ひとみなかさかほのお、キャラクターたちのがる感情かんじょう表現ひょうげんのため、いきなりとらライオンくじら、そしてさむらいなどが登場とうじょうするシーンなどもそうだ。実際じっさいには絶対ぜったいありないオーバーな表現ひょうげんがドラマチックな内容ないようとマッチし、緊迫きんぱくしたストーリーをどんどんげていった。
オーバーリアリズムについて[94]

漫画まんがやドラマにおけるスポ人気にんき東京とうきょうオリンピック開催かいさい影響えいきょうもありアニメの世界せかいでもスポあつかわれることになった[95]。その最初さいしょ作品さくひんとしてすで原作げんさく漫画まんが人気にんき獲得かくとくしていた『巨人きょじんほし』のアニメばん企画きかくされたが、当時とうじのアニメ作品さくひんえがかれていた登場とうじょう人物じんぶつキャラクターデザインおおくはデフォルメされたものであり劇画げきが調ちょう登場とうじょう人物じんぶつあつかった経験けいけん不足ふそくしていたことから「『巨人きょじんほし』のアニメ不可能ふかのう」「アニメには相応ふさわしくない」とひょうされていた[96]

巨人きょじんほし』では原作げんさく同様どうよう過剰かじょう表現ひょうげん多用たようされた[97]。これは監督かんとくつとめた長浜ながはま忠夫ただおが「演劇えんげきにおいて役者やくしゃえんじる大仰おおぎょう演技えんぎ」そのものをアニメの世界せかいにももとめたためであり[97]長浜ながはま自身じしんは「オーバーリアリズム」としょうしていた[98]。また『タイガーマスク』では劇画げきが荒々あらあらしい描線を表現ひょうげんするためにトレスマシンという手法しゅほう導入どうにゅうされ[99]、『あしたのジョー』では監督かんとく出崎でさきみつるによって当時とうじとしては実験じっけんてきな「」などの表現ひょうげん手法しゅほう演出えんしゅつほう研究けんきゅうおこなわれた[100]。こうした手法しゅほうはスポアニメ全体ぜんたいでももちいられた[95]だけでなくスポーツ以外いがい分野ぶんやでももちいられるなど[97][101]日本にっぽんアニメの技術ぎじゅつ進歩しんぽ貢献こうけんした[95][99]

アニメ作品さくひん漫画まんが作品さくひんくらべて進行しんこうはや漫画まんが連載れんさいじょうきょう容易よういいついてしまうことからオリジナルの登場とうじょう人物じんぶつやエピソードがあらたに追加ついかされた[102]。こうした事情じじょうについて『あしたのジョー』の作画さくが担当たんとうした漫画まんがちばてつやは「自分じぶん手元てもとからはなれた世界せかい親元おやもとからはなれた子供こどものようにむこうの世界せかい人生じんせいおくれたらいいとりきっていた」と証言しょうげんしているが[102]反対はんたいにアニメの演出えんしゅつ自身じしん連載れんさい作品さくひん影響えいきょうあたえることもあったという[102]

1968ねんから1971ねんにかけて放送ほうそうされた『巨人きょじんほし』では原作げんさくならった展開てんかいだけでなく主人公しゅじんこうほしゆうあね明子あきこ焦点しょうてんてたエピソードや[103]沢村さわむら栄治えいじなどの実在じつざい選手せんしゅのエピソードが挿入そうにゅうされ[103][104]最終さいしゅうはなしのラストシーンでは原作げんさくの「ゆう教会きょうかい屋根やねかかげられた十字架じゅうじかかげ背負せおいながら一人ひとりる」といった悲愴ひそう描写びょうしゃから「ほし親子おやこ和解わかいして息子むすこ父親ちちおや背負しょわれながら球場きゅうじょうる」といったあたたかみのある描写びょうしゃへと刷新さっしんされている[105][106]

1969ねんから1971ねんにかけて放送ほうそうされた『タイガーマスク』でも原作げんさくしたさいのオリジナルストーリーが追加ついかされたほか原作げんさくとはことなる結末けつまつえがかれている[107]。また、主人公しゅじんこう伊達だて直人なおとささえる人物じんぶつとして吉川よしかわ英治えいじ小説しょうせつ宮本みやもと武蔵むさし』における沢庵たくあん和尚おしょうをイメージした師匠ししょうあらしとらかい[107]とらあな時代じだいからの親友しんゆうである大門だいもんだいわれ弟分おとうとぶん高岡たかおかけん太郎たろうといった登場とうじょう人物じんぶつあらたに創作そうさくされじゅんレギュラーとなった[107]

1970ねんから1971ねんにかけて放送ほうそうされた『あしたのジョー』は好評こうひょうながらも漫画まんが連載れんさいじょうきょういついたため途中とちゅうのエピソードで終了しゅうりょうしたが[100]1980ねんから1981ねんにかけて放送ほうそうされた続編ぞくへんの『あしたのジョー2』ではライバル・力石りきいしとおる死後しごから最終さいしゅうばなしまでのエピソードがえがかれた[108]。この作品さくひんはじ国内こくないのアニメかいでは、1970年代ねんだい後半こうはんから1980年代ねんだい初頭しょとうにかけて旧作きゅうさくアニメのリメイクブームがこったが[109]劇画げきが調ちょうの描線の荒々あらあらしさは減少げんしょうし、背景はいけい野性やせいあじあらわすものから入射にゅうしゃこう投射とうしゃこうかした端正たんせいなものに変化へんかした[109]

ギャグによる衰退すいたい

編集へんしゅう

スポ漫画まんが全盛期ぜんせいきである1960年代ねんだいにはおおくの読者どくしゃ支持しじたが[110]、その一方いっぽう精神せいしん主義しゅぎ芝居しばいがかった演出えんしゅつには当時とうじから批判ひはんてき意見いけんがあった[110][111]。1975ねんから1978ねんにかけて『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』で連載れんさいされた野球やきゅう漫画まんが1・2のアッホ!!』(コンタロウ)や、1977ねんから1980ねんにかけて『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』で連載れんさいされた野球やきゅう漫画まんがすすめ!!パイレーツ』(江口えぐち寿史ひさし)では、そうした批判ひはんてき視点してん背景はいけい従来じゅうらいのスポーツ漫画まんがギャグ漫画まんが要素ようそれ、スポてき価値かちかん風刺ふうしした[110][111]

1980年代ねんだいはいると、「直向ひたむきさ」「努力どりょく」「根性こんじょう」といった価値かちかん格好かっこうわるいもの、ダサいものとして做されるようになっていた[112]。1978ねんから1983ねんにかけて連載れんさいされた格闘かくとう漫画まんが1・2の三四郎さんしろう』(小林こばやしまこと)では、主人公しゅじんこうあずま三四郎さんしろう周囲しゅういから「直向ひたむき」や「熱血ねっけつ」とられることをじてかくそうとする姿すがたえがかれている[113]ほん作品さくひんの17かんでは、主人公しゅじんこう仲間なかまたちが『巨人きょじんほし』の登場とうじょう人物じんぶつの「たがいの健闘けんとうたたえあいなみだながす」姿すがた共感きょうかんなみだながしたところ、ヒロインからそれをとがめる台詞せりふげかけられ、ける姿すがたえがかれている[114]。これについて比較ひかく文学ぶんがくしゃヨコタ村上むらかみ孝之たかゆきは『巨人きょじんほし』に「神聖しんせいさと滑稽こっけいさ」「理想りそうずかしさ」の相反あいはんする感情かんじょういだくことは1950ねんから1960ねんまれの読者どくしゃ共有きょうゆうされた体験たいけんであり、どうさくがひときわパロディの対象たいしょうとなった理由りゆうとしている[114]

1984ねん少女しょうじょの『はなとゆめ』で連載れんさいされた野球やきゅう漫画まんが甲子園こうしえんそらわらえ!』(川原かわはらいずみ)では、かつてのスポ漫画まんがにおける「感動かんどうのあまりなみだながす」「仲間なかま同士どうしによる抱擁ほうよう」といった友情ゆうじょうきずなあらわ表現ひょうげんを「交感神経こうかんしんけい異常いじょう」とめた視点してんでとらえ[115]努力どりょく根性こんじょうとは無縁むえん脱力だつりょくてき寓話ぐうわてき雰囲気ふんいきのまま大会たいかいがる姿すがたえがかれた[116]

また1980年代ねんだい初頭しょとうわらいブームさいコント赤信号あかしんごうヒップアップなどのおわらいグループは学園がくえんものやスポものをコントにれ、「不良ふりょう生徒せいと教師きょうしなぐられて改心かいしんし、みな夕日ゆうひかってはしっていく」や「ひとみなかさかほのお」などのシーンを再現さいげんわらいの対象たいしょうとしていたが[117]放送ほうそう作家さっかこうたいら哲郎てつろうは「こうしたコントで若者わかものらずらず学園がくえんものやスポものに反発はんぱつかんじていたのだ。いわばかれらにとって息抜いきぬきのだった漫画まんがなのに、ちち根性こんじょう努力どりょくなどを教育きょういくされてしまった反発はんぱつがスポコントをわらえる原動力げんどうりょくとなっているのだろう」とひょうした[117]

かつて一般いっぱん大衆たいしゅう価値かちかん反映はんえいしたといわれたスポは、1970年代ねんだいまつから勃興ぼっこうしたギャグながれのなか嘲笑ちょうしょう対象たいしょうとなり衰退すいたいした[2][117][118]

スポーツ漫画まんが変容へんよう

編集へんしゅう
 
1980年代ねんだい以降いこう、それまでの過酷かこく特訓とっくん努力どりょく描写びょうしゃわり、さわやかさや友情ゆうじょううたいあげる作品さくひん台頭たいとうした。写真しゃしんは『キャプテンつばさ』の銅像どうぞう

あだちたかしは1978ねんから1980ねんにかけて『週刊しゅうかん少年しょうねんサンデー増刊ぞうかんごう』において野球やきゅう漫画まんがナイン』を連載れんさいした[61]。この作品さくひんだい1こそ熱血ねっけつふう内容ないようはじまるものの、それ以降いこうラブコメものへと移行いこう[61]従来じゅうらいどおりライバルが登場とうじょうし、甲子園こうしえんという目標もくひょう設定せっていしてはいるものの努力どりょく勝敗しょうはい固執こしつせず[119]登場とうじょう人物じんぶついや感情かんじょう機微きび中心ちゅうしんえがいた[119]。あだちは従来じゅうらい熱血ねっけつ少年しょうねんものの登場とうじょう人物じんぶつが「努力どりょくしてますとか頑張がんばってますとか、大声おおごえでアピールする」ことや、ラブコメものの登場とうじょう人物じんぶつが「めたるおもいを簡単かんたんくちす」ことに、かねてから「野暮やぼ」をかんじていたといい[119]、「野暮やぼはイヤだよね。それをっちゃったらおしまいだろうという感覚かんかくは、落語らくごからおそわっています」と発言はつげんしている[119]

さらに、あだちは1981ねんから1986ねんにかけて『週刊しゅうかん少年しょうねんサンデー』において野球やきゅう漫画まんがタッチ』を連載れんさいした[61]。この作品さくひんはマイペースな主人公しゅじんこう上杉うえすぎ達也たつや双子ふたごおとうと上杉うえすぎ和也かずや、ヒロインの浅倉あさくらみなみによる三角さんかく関係かんけい展開てんかいされ、交通こうつう事故じこによる和也かずや急死きゅうしをきっかけに達也たつやがその遺志いしいで全国ぜんこく目指めざすといった内容ないようであり[120][121]、スポーツ漫画まんがおよび少年しょうねん漫画まんが世界せかい少女しょうじょ漫画まんがてき手法しゅほう導入どうにゅうした作品さくひん[122][123]、「野球やきゅうぶつ路線ろせんと『みゆき』におけるラブコメ青春せいしゅん路線ろせん合体がったい」した作品さくひんひょうされる[121]

この作品さくひんでは、近親きんしんしゃとその遺志いし宿命しゅくめい、ライバルとの対決たいけつといった図式ずしきのこしつつも、「生死せいしけたたたかい」「精神せいしん修養しゅうよう」といった旧来きゅうらい求道きゅうどうしゃてき価値かちかんえがかれず[124]登場とうじょう人物じんぶつあいだ三角さんかく関係かんけい野球やきゅうについての深刻しんこく局面きょくめんにおいて、あかるさや軽妙けいみょうさをはさむことで敬遠けいえんさせる「あいだはずす」手法しゅほう特徴とくちょうとなっている[125]作品さくひん終盤しゅうばん主人公しゅじんこうなつ甲子園こうしえん出場しゅつじょうたし、ヒロインからのあい獲得かくとく最終さいしゅうばなしでは甲子園こうしえんにおける最終さいしゅうてき勝者しょうしゃとなったことが暗示あんじされるなか[126]、ライバル・新田にった明男あきおからのあたらしいステージでの再戦さいせんもう拒否きょひする言葉ことばかたらせている[127]夏目なつめは1991ねん出版しゅっぱんした『えた魔球まきゅう 熱血ねっけつスポーツ漫画まんがはいかにしてえつきたか』のなかでこの場面ばめんげ「この一言ひとこと熱血ねっけつスポーツものはコケた」とひょう[127]一連いちれんながれの終焉しゅうえんている[128][ちゅう 1]。さらに夏目なつめは1984ねんから連載れんさいされた水泳すいえい漫画まんがバタアシ金魚きんぎょ』(望月もちづき峯太郎みねたろう)において、「(熱血ねっけつ努力どりょく根性こんじょう必殺ひっさつわざなどの)かつての少年しょうねんスポーツヒーローの条件じょうけんすべてがこわれてしまった」としている[133]

夏目なつめ同様どうよう評論ひょうろん智英ともひでは1970年代ねんだい後半こうはんからつづくギャグ[6]数々かずかずのスポ作品さくひんした梶原かじはらいち傷害しょうがい事件じけんとスキャンダルによる漫画まんがかいからの撤退てったい[6]安定あんてい成長せいちょうまれそだった読者どくしゃそうとの価値かちかん断絶だんぜつ[6]京都精華大学きょうとせいかだいがく教授きょうじゅ京都きょうと国際こくさいマンガミュージアム研究けんきゅういん吉村よしむらかずしんは、根性こんじょう要素ようそしたさわやかな作品さくひんぐん登場とうじょう[6]、スポーツかいでの伝統でんとうてき指導しどうほうわる科学かがくてき理論りろんもとづいた指導しどうほう研究けんきゅう開発かいはつ[6]、などといった社会しゃかい情勢じょうせい変化へんかによりスポというジャンルの終焉しゅうえんている[6]

この時代じだい国内こくないのスポーツにたいする価値かちかんが、それまでの「くるしさ」から「たのしさ」へと転換てんかんしようとした時期じきでもあるが[134]、1981ねんから『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』で連載れんさいされたサッカー漫画まんがキャプテンつばさ』(高橋たかはし陽一よういち)では従来じゅうらいのスポ構造こうぞう逆転ぎゃくてんさせ、天才てんさいがた主人公しゅじんこう根性こんじょう努力どりょくささえられた精神せいしん主義しゅぎ基盤きばんとするライバルたち対峙たいじする作品さくひんとなった[135]。この作品さくひんでは努力どりょく特訓とっくん成果せいかではなく「サッカーのたのしさ」「自由じゆう発想はっそう」が勝敗しょうはい決定けっていする価値かち基準きじゅんとなり[135]天才てんさいがた主人公しゅじんこう大空おおぞらつばさかべえられずに葛藤かっとうする努力どりょくがたライバルの日向ひゅうが小次郎こじろう特訓とっくん成果せいかではなく「自由じゆう発想はっそう」という作品さくひんない価値かち基準きじゅん気付きづかせることで、いつかせる描写びょうしゃがなされた[135]。ただし、横浜国立大学よこはまこくりつだいがく教授きょうじゅ海老原えびはらおさむは「努力どりょくより才能さいのうおもんじる作品さくひん人気にんき獲得かくとくしたからといって日本人にっぽんじん思考しこうわってきたとはえない。コミックの読者どくしゃらんには努力どりょくとうとこえすくなくなく、この呪縛じゅばくから離脱りだつすることは生半なまなかではない」と2000年代ねんだい前半ぜんはん時点じてんにおいてもスポ影響えいきょうがまだまだ日本にっぽんには根強ねづよいことに言及げんきゅうしている[136][136]

1980年代ねんだい中盤ちゅうばんはいると、さわやかな作品さくひんやコミカルな作品さくひん台頭たいとうするかげで、野球やきゅう漫画まんが県立けんりつうみそら高校こうこう野球やきゅう部員ぶいん山下やましたたろーくん』(こせきこうじ)や『名門めいもん!だいさん野球やきゅう』(むつ利之としゆき)などの根性こんじょう前面ぜんめんした作品さくひん連載れんさいされ、一部いちぶ読者どくしゃ支持しじあつめた[137]評論ひょうろん米澤よねざわ嘉博よしひろりょう作品さくひんを「時代じだいはなやかさにのこされた地味じみなもの」としたうえで「『タッチ』のあかるいさわやかなカッコよさののちに、泥臭どろくさ青春せいしゅんえがかれ支持しじされたことは記憶きおくすべきかもしれない」とひょうしている[137]

一方いっぽう漫画まんが島本しまもと和彦かずひこは「70年代ねんだい梶原かじはらいちてきなスポからいったん脱却だっきゃくしてラブコメ全盛ぜんせい」の時代じだいや、編集へんしゅうしゃがスポものを希望きぼうしても、どれもうまくいかない「スポふゆ時代じだい」をて、1989ねんから連載れんさいされているボクシング漫画まんがはじめのいち』(森川もりかわジョージ)によってスポ復活ふっかつしたという見解けんかいしめしている[138]。ただし島本しまもとは、「かっこわるいやつががむしゃらにむしゃぶりついていくというのがよくって、また小林こばやしまことキャラがとなりにいるのが絶妙ぜつみょうなバランスなんです」とひょうするなど、この作品さくひんぜん時代じだいてきなスポ踏襲とうしゅうしたものではなく、格闘かくとう漫画まんが『1・2の三四郎さんしろう』や柔道じゅうどう漫画まんが柔道じゅうどう物語ものがたり』などを手掛てがけた小林こばやしまことのコミカルな作風さくふう上手うまかしたものだと指摘してきしている[138]編集へんしゅうしゃ斎藤さいとう宣彦のぶひこは1980年代ねんだいが「スポふゆ時代じだい」であったてんには同意どういしめしているものの[138]どうさくについては「主人公しゅじんこう少年しょうねん精進しょうじん努力どりょくし、その才能さいのう見出みいだもの好敵手こうてきしゅがいる」てんから「60年代ねんだいからつづ正統せいとうの『スポ作品さくひん」と位置付いちづけている[139]

2000年代ねんだい以降いこう状況じょうきょう

編集へんしゅう

そのも、競技きょうぎそのものの魅力みりょくつたえる作品さくひん競技きょうぎをとりまく登場とうじょう人物じんぶつ日常にちじょう個々ここ内面ないめんえが作品さくひんなどといったスポーツ漫画まんが傾向けいこうつづいている[140]。より日常にちじょう生活せいかつ立脚りっきゃくした作品さくひん主流しゅりゅうとなり、貧富ひんぷ格差かくさによる対立たいりつじくもとづく上昇じょうしょう志向しこうや、それを実現じつげんさせるための過度かど根性こんじょう努力どりょくといった要素ようそえがかれることはすくない[140][141]

2003ねんから『月刊げっかんアフタヌーン』で連載れんさいされている野球やきゅう漫画まんがおおきくりかぶって』(ひぐちアサ)はスポーツ漫画まんが世界せかいにはじめて関係かんけい主義しゅぎ全面ぜんめんてき導入どうにゅうした作品さくひんひょうされており[142]才能さいのう努力どりょくよりもさき他者たしゃとの関係かんけいせいだいいちにあり、チームメイト同士どうし周囲しゅうい人々ひとびとささやかな日常にちじょう心理しんり描写びょうしゃえがかれた[142]精神せいしん斎藤さいとうたまきは『おおきくりかぶって』以降いこう登場とうじょうした作品さくひんのひとつで、2006ねんから『イブニング』で連載れんさいされているバレーボール漫画まんが少女しょうじょファイト』(日本橋にほんばしヨヲコ)の傾向けいこうについて「『スポ』とはべつ意味いみでの、きわめて勁い精神せいしんせい存在そんざいする。それはまずなにより『他者たしゃへの配慮はいりょ』というかたちあらわれる」とひょうし、かつてのスポにおける精神せいしんせい明確めいかく区別くべつしている[142]。また、おおくの野球やきゅう漫画まんが発表はっぴょうしている三田みたおさむぼうは「いま読者どくしゃにかつてのスポ情念じょうねんつうじない」と明言めいげんし、自身じしん作品さくひんすな栄冠えいかん』では「おおくの人々ひとびとささえで主人公しゅじんこう才能さいのう開花かいかさせる。他者たしゃとのコミュニケーションと関係かんけいせいえがいたうえ感動かんどうをもたらしたい」とかたった[141]

一方いっぽう1990年代ねんだい後半こうはんから少年しょうねん漫画まんが世界せかいでは機転きてん才能さいのうともなった作品さくひん主流しゅりゅうとなっており、スポーツ漫画まんがにおいても努力どりょく自体じたい勝敗しょうはいけっするのではなく、機転きてん才能さいのうともなってはじめて効果こうか発揮はっきするものとしてえがかれる傾向けいこうがある[143]精神せいしんくまだいとおるはその代表だいひょうれいとして、2007ねんから『週刊しゅうかん少年しょうねんマガジン』で連載れんさいされたテニス漫画まんがベイビーステップ』(勝木かつきひかり)をげている[143]。この作品さくひんでは主人公しゅじんこうが「努力どりょく効率こうりつさせる才能さいのう」を人物じんぶつとしてえがかれるなど、努力どりょく位置いちづけが従来じゅうらいのスポとはことなっている[143]。そのため、くまだい機転きてん才能さいのう裏付うらづけられたものでない愚直ぐちょく努力どりょくのみでは、成長せいちょうなき格差かくさ社会しゃかいしたそだった読者どくしゃには説得せっとくりょくなくなっていると指摘してきしている[143]。こうした傾向けいこうについて精神せいしん斎藤さいとうたまきは「これまでの反動はんどうなのか、努力どりょくあたらしいとらかたひろがりつつある。努力どりょくわる言葉ことばとして宿命しゅくめいろん精神せいしんろんとほどとお言葉ことばにすればれやすいのか」としている[143]

2021ねんにCOMIC BULL編集へんしゅうちょう土屋つちやもえからは、近年きんねんでは漫画まんがが1見切みきられやすい状況じょうきょうにあるなか、スポーツ漫画まんががるまでに時間じかんがかかるが「現実げんじつてきなレベルアップ」はれられない傾向けいこうにあるため難易なんいがり、スポかぎらずスポーツ漫画まんが自体じたい減少げんしょうしているという意見いけんがある[144]

特徴とくちょう

編集へんしゅう

主人公しゅじんこうとライバルの関係かんけい

編集へんしゅう

スポ作品さくひんではライバルの存在そんざい必須ひっすとなることは定義ていぎこうべたとおりだが、梶原かじはらいち作品さくひんぐんではその傾向けいこう顕著けんちょとなる[145]両者りょうしゃ関係かんけいとき友情ゆうじょうともしょうされるが、梶原かじはらにとっての友情ゆうじょうとはいやたすいのようなものでなく、闘争とうそうなかたがいをたかっていくものだとしている[145]

友情ゆうじょうってものは、ベタベタして、キミき、ボクきとかって、おたがいによわいところをおぎないあったり傷口きずぐちをなめあったりするようなもんではなく、いまやさしさということがわれすぎているけど、おとこ友情ゆうじょうはある意味いみではたたかいのようなものであって、おたがいがたたかって、激突げきとつして、切磋琢磨せっさたくまってことばがむかしあったけど切磋琢磨せっさたくまして、おたがいがおおきく成長せいちょうしていくものだと[145] — 梶原かじはらいち

評論ひょうろん米澤よねざわ嘉博よしひろはスポにおける物語ものがたりせいを「主人公しゅじんこう絶対ぜったいてき主点しゅてんき、世界せかい主人公しゅじんこう中心ちゅうしんまわっていく」「すべての登場とうじょう人物じんぶつやエピソードは主人公しゅじんこうのヒーローせいかがやかせるために存在そんざいする。(中略ちゅうりゃく)ライバルたちの生活せいかつしんなか描写びょうしゃされ、そのちからがどこまでえがかれようと、そのライバルをたおしたのだから、その主人公しゅじんこうはますますすごいという具合ぐあいに、ドラマはながれていく」とひょうし、相対そうたいてき視点してんゆうした手塚てづか治虫おさむ作品さくひんぐんとは対極たいきょくにあると位置付いちづけている[146]一方いっぽう梶原かじはら自身じしん勝負しょうぶ結果けっかとして勝者しょうしゃ敗者はいしゃ明暗めいあんかれたとしても、勝利しょうりのみに比重ひじゅういたり、どちらか一方いっぽう賞賛しょうさんする意図いとはないとしている[145]

ヒーローにたいするライバルがいて、それから、えつきちゃう人間にんげんとささやかならしをてきとうにエンジョイする人間にんげんがいる。『巨人きょじんほし』だと、最後さいご場面ばめんは、ゆうひだりもん結婚式けっこんしきじょうまどそとからえていくでしょ、かれかたはこわれちゃってて。どっちがよくて、どっちがわるいということじゃなくて、どっちがいてもいいんだ[145] — 梶原かじはらいち

必殺ひっさつわざ開発かいはつ

編集へんしゅう

スポ作品さくひんにおいてのにじむよう特訓とっくんや、その成果せいかとしてされる必殺ひっさつわざ魔球まきゅう存在そんざいかすことが出来できないが、完成かんせいいたるまでの過程かてい様々さまざまである。スポ成立せいりつ以前いぜんのスポーツ漫画まんがでは必殺ひっさつわざ魔球まきゅうおも忍者にんじゃ出自しゅつじ競技きょうぎしゃ取扱とりあつか忍術にんじゅつとしてえがかれ、競技きょうぎしゃはそれらの能力のうりょく当然とうぜんのようにけているため開発かいはつ経緯けいいさだかではなかったが[147]のスポ作品さくひんぐんでは特訓とっくん成果せいかとしてされることが一般いっぱんした[147]漫画まんがコラムニストの夏目なつめぼうかいは1991ねん出版しゅっぱんした『えた魔球まきゅう 熱血ねっけつスポーツ漫画まんがはいかにしてえつきたか』のなかで、スポ作品さくひん必殺ひっさつわざ魔球まきゅう関係かんけいせいカレーライス福神漬ふくじんづけなぞらえ、本格ほんかくてきなスポーツ漫画まんが標榜ひょうぼうすれば必殺ひっさつわざ魔球まきゅう存在そんざい作品さくひん台無だいなしにすると指摘してきしたが[147]、1999ねん出版しゅっぱんした『マンガのちから 成熟せいじゅくする戦後せんごマンガ』では、「格闘技かくとうぎ音痴おんちだったわたしには理解りかいできなかったが、ようするにアレは格闘技かくとうぎ基本きほんてき感覚かんかくえたものなのだ。マウンドから打者だしゃまでの距離きょりでやるから荒唐無稽こうとうむけいになるが、からだせっした距離きょりならリアリティのある発想はっそうなんじゃないか」と訂正ていせいしている[148]

偶然ぐうぜんがた
無意識むいしきのうちに必殺ひっさつわざすスタイル。本人ほんにん自覚じかくがなく理論りろんてき裏付うらづけがない[147]
特訓とっくんがた
ある理論りろんもとづきそれを具現ぐげんするために特訓とっくんおこなうスタイル。必殺ひっさつわざすためにやまなどにこも極限きょくげん状態じょうたいいたるまで特訓とっくんこころみる[147]とく梶原かじはらいち作品さくひんでは競技きょうぎ勝敗しょうはい以上いじょう必殺ひっさつわざ開発かいはつ自己じこ修練しゅうれん重点じゅうてんかれる[9][149]必殺ひっさつわざすための理論りろん対戦たいせん相手あいて必殺ひっさつわざ対抗たいこうするための理論りろんことこまかく構築こうちくする傾向けいこうつよいが[149]、その理論りろん現実げんじつ競技きょうぎ特性とくせい沿わない場合ばあい[149]限度げんどえて身体しんたい酷使こくし精神せいしん抑圧よくあつするなど狂信きょうしんてき手段しゅだんうったえる場合ばあいがある[150]
導師どうしつきがた
指導しどうしゃ教示きょうしした必殺ひっさつわざすスタイル。即時そくじ習得しゅうとく可能かのうなものから特訓とっくん必要ひつようとするものまで難易なんい様々さまざまであり、選手せんしゅ本能ほんのうまかせて実戦じっせんなか場合ばあいもある[147]
特訓とっくんちゅう偶然ぐうぜんがた
やまこもりなどの特訓とっくん最中さいちゅう発生はっせいした突発とっぱつてき事象じしょうにより必殺ひっさつわざすスタイル[147]

エースをねらえ!』のように魔球まきゅう登場とうじょうせず[151]作中さくちゅうでコーチの宗方むなかたひとし魔球まきゅう否定ひていする台詞せりふ存在そんざいするが[152]どうさくのアニメばんではオリジナルわざ竜巻たつまきサーブ」という魔球まきゅう登場とうじょうする[151][153]

1970年代ねんだい後期こうきにはボクシング漫画まんがリングにかけろ』(車田くるまだ正美まさみ)のように理論りろん構築こうちく必殺ひっさつわざ開発かいはつ自己じこ修練しゅうれんなどの過程かてい省略しょうりゃく勝利しょうりという結果けっかのみを誇張こちょうしてつたえる作品さくひん登場とうじょうした[154]

過度かどのトレーニング

編集へんしゅう

スポーツには日常にちじょうにおける身体しんたい活動かつどうよりもおおきな負荷ふかのかかる運動うんどうおこなうことによって効果こうかられるという原則げんそくがある[155]。スポ作品さくひんでは選手せんしゅ技術ぎじゅつ向上こうじょう弱点じゃくてん克服こくふくのため特殊とくしゅアイテムを使つか筋力きんりょくトレーニングに姿すがたや、長時間ちょうじかんにおよんで練習れんしゅう姿すがたえがかれている。

  • バレーボール漫画まんがサインはV』では朝丘あさおかユミが跳躍ちょうやく力不足ちからぶそくという弱点じゃくてん克服こくふくするために練習れんしゅうちゅうなまりりの「ブラックシューズ」を装着そうちゃくする場面ばめん[156]朝丘あさおかのライバル・椿つばき麻里まり筋力きんりょく増強ぞうきょう反応はんのう速度そくど向上こうじょうのために「ブラックシューズ」にくわ目隠めかくをした状態じょうたい両手りょうて両足りょうあしこしバネ装着そうちゃく秘密ひみつ練習れんしゅういど場面ばめんえがかれている[156][157]
  • 野球やきゅう漫画まんが巨人きょじんほし』では主人公しゅじんこうほしゆう筋力きんりょく増強ぞうきょうのために「だいリーグ養成ようせいギプス」を日常にちじょう生活せいかつにおいても装着そうちゃくする場面ばめん[158][159]少年しょうねん時代じだい毎晩まいばんのようにちちほしいちてっから「千本せんぼんノック」をける場面ばめんえがかれている[160]
  • 野球やきゅう漫画まんがキャプテン』では谷口たにぐち丸井まるい、イガラシといった歴代れきだいのキャプテンのした強豪きょうごうこうとの試合しあい大会たいかいまえに、学業がくぎょうはさんで早朝そうちょうから深夜しんやまで長時間ちょうじかんにおよんで練習れんしゅう姿すがた[161]丸井まるいキャプテンのだいには1にちに3試合しあい日程にっていで12日間にちかん全国ぜんこく大会たいかい出場しゅつじょうの9こうふくむ36こう練習れんしゅう試合しあいおこな姿すがたえがかれている[161]

こうしたトレーニングを現実げんじつった場合ばあいには様々さまざま問題もんだい発生はっせいする可能かのうせいがある[ちゅう 2][ちゅう 3]アスレティックトレーナー立花たちばな龍司りゅうじはスポ作品さくひんないえがかれている過度かど筋力きんりょくトレーニング、1日間にちかん複数ふくすう試合しあいへの出場しゅつじょう試合しあい居残いのこ練習れんしゅうなどといった指導しどうほう少年しょうねん選手せんしゅ指導しどうするじょうでは必要ひつようであり[164]たとえば野球やきゅう投手とうしゅであれば投球とうきゅうすう制限せいげんするなどの配慮はいりょがなされるべきであると指摘してきしている[164]

おにコーチの存在そんざい

編集へんしゅう

スポ作品さくひんでは登場とうじょう人物じんぶつ育成いくせいするために過酷かこくなトレーニングを指導しどうしゃ姿すがたえがかれている。代表だいひょうれいとしては『巨人きょじんほし』のほしいちてっ[165]、『柔道じゅうどう一直線いっちょくせん』のくるま周作しゅうさく[166]、『サインはV』のまき圭介けいすけ[167]、『エースをねらえ!』の宗方むなかたひとし[168]などがげられるが、しばしば「おに[166][167]」「おにコーチ[168]」と形容けいようされる。かれらの一部いちぶ現役げんえき選手せんしゅとしてのゆめやぶれた存在そんざいであり、たとえばほしは「まぼろしめい三塁手さんるいしゅ」としょうされたが「送球そうきゅう」を否定ひていされたため球界きゅうかい[169]くるま必殺ひっさつわざ地獄じごくしゃ」により死亡しぼう事故じここしたため柔道じゅうどうかい[170]宗方むなかた世界せかいてき選手せんしゅになる素質そしつちながら死期しき宣告せんこくされたため指導しどうしゃ転身てんしんしている[171]かれらは、みずからのたせなかったゆめ理想りそう選手せんしゅたく[108][169][171]ときには名言めいげんもちいておしさと役割やくわりになっている[82][172]

おにコーチの指導しどうについて2013ねん3月13にちけの『朝日新聞あさひしんぶん』は指導しどうしゃへの絶対ぜったい服従ふくじゅうというスポーツかん社会しゃかい全体ぜんたいわたっていたことを反映はんえいしたものとしたうえで、「スポものでは、しごき、カリスマてき指導しどうしゃ鉄拳てっけん制裁せいさいがいわば三種さんしゅ神器じんぎであり、読者どくしゃにカタルシスをあたえる道具どうぐだった」とひょうしているが[141]漫画まんが評論ひょうろん紙屋かみやだかゆきは「肉体にくたい酷使こくしはあっても体罰たいばつをスポ必要ひつよう条件じょうけん做すのは無理むりがある」と指摘してきしている[17]なかでも『巨人きょじんほし』のほしいちてっについては「激高げっこうちゃぶだいをひっくりかえす」「竹刀しないたたく」といった狂信きょうしんてき指導しどうしゃとしてのイメージが定着ていちゃくしているが[173]、こうした「ちゃぶだいがえ」「竹刀しないでの制裁せいさい」といった行為こうい原作げんさく漫画まんがにおいてはまったえがかれておらず[174]、テレビアニメでの過剰かじょう演出えんしゅつによって視聴しちょうしゃ狂信きょうしんてきなイメージが定着ていちゃくしたのではないかと指摘してきされている[174]

影響えいきょう

編集へんしゅう

社会しゃかいてき影響えいきょう

編集へんしゅう

日本にっぽん国内こくないのスポーツ競技きょうぎ集団しゅうだん主義しゅぎ精神せいしん主義しゅぎといった事情じじょうとスポむすびつける指摘してきがあり[1][175]、スポ作品さくひんがそうした価値かちかん推奨すいしょうした影響えいきょうにより学生がくせいスポーツにおいて過度かど練習れんしゅう体罰たいばつ後押あとおしする結果けっかとなったという見方みかたまれた[6]。アスレティックトレーナーの森本もりもと貴義たかよしは、日本人にっぽんじんのスポーツにたいする「きつい」「つらい」などといった否定ひていてきなイメージ形成けいせいにスポ作品さくひんからの影響えいきょう指摘してきしている[176]。スポーツ教育きょういくがくなどを専門せんもんとするとも添秀そく一連いちれん作品さくひんぐん一般いっぱん大衆たいしゅうへのスポーツ根性こんじょう定着ていちゃく後押あとおししたものとている[118]

たとえば1960年代ねんだいから1970年代ねんだい当時とうじ活動かつどうなどの現場げんばではウサギやアヒルあるきのような半月はんつきばんひざ関節かんせつ負担ふたんかる[177]ばかりで実質じっしつてき効果こうかすくない運動うんどうほう推奨すいしょうされていたが[178]、これらは運動うんどう生理学せいりがくらない指導しどうしゃたち漫画まんがやドラマの影響えいきょうけて部員ぶいんたいしてしたものだとする指摘してきがある[179]

スポブームの渦中かちゅうには学校がっこう活動かつどうにおいて練習れんしゅうちゅう事故じこや、退すさもう生徒せいと部員ぶいんから暴行ぼうこうけるなどの事件じけん多発たはつしたが[180]、そのうちの1965ねん発生はっせいした東京農業大学とうきょうのうぎょうだいがくワンダーフォーゲルのリンチ殺人さつじん事件じけん、1970ねん発生はっせいした拓殖大学たくしょくだいがく空手からて愛好あいこうかい集団しゅうだん暴行ぼうこう事件じけん都内とない中学校ちゅうがっこうかよ女子じょしバスケットボール部員ぶいんへの暴行ぼうこう事件じけんはスポーツ根性こんじょう関連付かんれんづけてほうじられた[181][182]。また、1968ねん発生はっせいしたマラソン選手せんしゅ円谷つぶらや幸吉こうきち自殺じさつについても、根性こんじょう礼賛らいさんなかまれた事件じけんとしてほうじられた[181][183]

ただし、日本にっぽん国内こくないのスポーツ競技きょうぎにおける集団しゅうだん主義しゅぎ精神せいしん主義しゅぎは、明治めいじ時代じだい政府せいふがスポーツを奨励しょうれいしたことを契機けいきかく学校がっこうない体育たいいくかい組織そしきされた当時とうじから形成けいせいされてきたものである[175]組織そしきない上下じょうげ関係かんけい背景はいけいとした指導しどうや、ひたすら鍛錬たんれん勝利しょうりのみを追求ついきゅうする価値かちかんだい世界せかい大戦たいせん民主みんしゅながれのなかでも温存おんぞんされ[184]、スポ作品さくひん支持しじた1960ねんから1970年代ねんだい当時とうじ日本にっぽんのスポーツかいではきびしい指導しどう常態じょうたいしていた[6]。こうした経緯けいいから、漫画まんが編集へんしゅうしゃ角南すなみおさむは「是非ぜひはともかく、スポ全盛期ぜんせいきはどこの活動かつどうやプロ競技きょうぎでもしごきや体罰たいばつ蔓延まんえんしていた。そうした世相せそう描写びょうしゃ反映はんえいされた」とひょうしている[6]。また東京女子体育大学とうきょうじょしたいいくだいがく教授きょうじゅおもねこう美恵子みえこは「しごきや体罰たいばつによって結果けっかした選手せんしゅ現実げんじつにはいち定数ていすういる。そうした選手せんしゅ指導しどうしゃがわとなってみずか経験けいけんした指導しどうほうさい生産せいさんした側面そくめんはある。しかし、それは漫画まんが影響えいきょうというより、成果せいか意識いしきしたプレッシャーや指導しどうしゃ能力のうりょく不足ふそく起因きいんする」と指摘してきしている[6]

1980年代ねんだい以降いこう科学かがくてき分析ぶんせきもとづく効率こうりつてきなトレーニング方法ほうほう導入どうにゅうによりスポーツかい内情ないじょう変化へんかげているが[6]一部いちぶ現場げんばでは「しごき」の強要きょうようといった古典こてんてき指導しどうほうのこされている[184]。2013ねん5がつ文部もんぶ科学かがくしょう有識者ゆうしきしゃ会議かいぎ大阪おおさか市立しりつ桜宮さくらみや高等こうとう学校がっこうのバスケットボール部員ぶいん指導しどうしゃから体罰たいばつけたことを自殺じさつした事件じけんけて、活動かつどうちゅうにおいて指導しどうしゃ部員ぶいんたいして過度かど肉体にくたいてき精神せいしんてき負荷ふかあたえる行為こうい禁止きんしするガイドラインをしめした[185][186]。このガイドラインについて『スポーツニッポンは「往年おうねんの『巨人きょじんほし』のような限度げんどえたスポヒーローの出現しゅつげんむずかしくなった」とほうじた[185]

文化ぶんかてき影響えいきょう

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手塚てづか治虫おさむ
漫画まんが手塚てづか治虫おさむ生涯しょうがいわたって様々さまざま題材だいざい漫画まんが作品さくひん発表はっぴょうしたが、スポーツや格闘技かくとうぎ世界せかいえがくことはなかった[187][188]。その背景はいけいには熱血ねっけつスポーツものの源流げんりゅうとなった福井ふくい英一ひでかずへの対抗心たいこうしん[189]庶民しょみんてきかつ大衆たいしゅう娯楽ごらくてき価値かちかんへの忌避きひかんがあったといわれる[187]手塚てづか自身じしん戦前せんぜん戦後せんご価値かちかんおおきく転換てんかんしたことへのあきらめの感情かんじょうから、主人公しゅじんこう深入ふかいりできなくなりシラケてしまうことを理由りゆうげている[190]。また、手塚てづか弟子でしにあたるトキワそうグループについても、そのおおくがSF作品さくひん手掛てがけていたことや、梶原かじはらとコンビを作家さっかおおくが劇画げきが漫画まんがだったこともあり、梶原かじはらとの接点せってんはなかった[191]
手塚てづかは1960年代ねんだい後半こうはんのスポブームのさい室町むろまち時代ときよ舞台ぶたいとした『どろろ』を連載れんさいした。この作品さくひんにおいて、ちち醍醐だいごけいこう権威けんいよくのためにまれながらに全身ぜんしん48かしょ部位ぶいうしな身体しんたいてきなハンデ背負せおった主人公しゅじんこうひゃく鬼丸おにまる登場とうじょうさせ、妖怪ようかいとのたたかいのなかかく部位ぶいもどすとともに自己じこ確立かくりつさせていく姿すがたえがいた[192]社会しゃかい学者がくしゃ桜井さくらい哲夫てつおは、けいこうひゃく鬼丸おにまる関係かんけいは『巨人きょじんほし』の一徹いってつゆう関係かんけいへの皮肉ひにくであり、かくされた執筆しっぴつ動機どうきではないかと指摘してきしている[193]。さらに、この時期じきさかいあいだひさ緑郎ろくろうをはじめ父権ふけんてき価値かちかんはんする登場とうじょう人物じんぶつえが傾向けいこうつよまったといわれる[193]
料理りょうり・グルメ漫画まんが
料理りょうり・グルメ漫画まんがにおける「公開こうかいでの料理りょうり対決たいけつやその模様もよう実況じっきょう中継ちゅうけいというかたち解説かいせつする」といった手法しゅほう従来じゅうらい野球やきゅう漫画まんがから伝播でんぱしたもので[194]、1970年代ねんだいに『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』で連載れんさいされた『包丁ほうちょうじんあじたいら』(原作げんさくぎゅう次郎じろう作画さくがビッグじょう)などで導入どうにゅうされたのち、1990年代ねんだい料理人りょうりにん同士どうし対決たいけつあつかったバラエティテレビ番組ばんぐみ料理りょうり鉄人てつじん』にがれた[194]
また、スポにおける「問題もんだい解消かいしょうするために特訓とっくんかえし、その成果せいかとして必殺ひっさつわざす」といった手法しゅほう実況じっきょう中継ちゅうけい手法しゅほうつづいて伝播でんぱした[195]。「魔球まきゅう」や「必殺ひっさつわざ」の要素ようそは「アイデア料理りょうり」「アイデア料理りょうりほう」へとかたちえ1980年代ねんだいに『月刊げっかん少年しょうねんマガジン』で連載れんさいされた『スーパーくいしんぼう』(原作げんさくぎゅう次郎じろう作画さくが:ビッグじょう)や、『週刊しゅうかん少年しょうねんマガジン』で連載れんさいされた『ミスターあじ』(寺沢てらさわ大介だいすけ)などの作品さくひんがれた[195]
特撮とくさつ
東映とうえい制作せいさく特撮とくさつ番組ばんぐみではスポ影響えいきょうけ『タイガーマスク』のような子供こども変身へんしん願望がんぼうたす仮面かめんヒーロー作品さくひん企画きかく[196]1971ねんから1973ねんにかけて毎日放送まいにちほうそうNET系列けいれつで『仮面かめんライダー』が放送ほうそうされた。この作品さくひんではすぐれた身体しんたい能力のうりょくゆうする主人公しゅじんこう本郷ほんごうたけし国際こくさいてき秘密ひみつ組織そしきショッカー改造かいぞう手術しゅじゅつけたことにより人間にんげんばなれした能力のうりょくにしたが、だい13のトカゲロンせんでは未知みち能力のうりょく手段しゅだんとして立花たちばなふじ兵衛ひょうえした特訓とっくんいど姿すがたえがかれた[197]。そのだい31のアリガバリせんでは一文字いちもんじ隼人はやと[198]だい94ショッカーライダーせんでは両者りょうしゃ特訓とっくんいど姿すがたえがかれた[197]。ただし、作品さくひん自体じたいはスポものだけでなく既存きそん怪獣かいじゅうもの妖怪ようかいものの要素ようそれたもので、以降いこう仮面かめんライダーシリーズにおいても視聴しちょうしゃそう少年しょうねんたちこの様々さまざま要素ようそれられた[199]
円谷つぶらやプロダクション制作せいさく特撮とくさつ番組ばんぐみでも1970年代ねんだい当時とうじの「スポブーム」の影響えいきょうけて、1971ねんから1972ねんにTBS系列けいれつ放送ほうそうされた『かえってきたウルトラマン』のだい4では主人公しゅじんこうごう秀樹ひでき特訓とっくんすえしん必殺ひっさつわざてき怪獣かいじゅう弱点じゃくてんいて勝利しょうりする場面ばめんえがかれた[200]。また、1974ねんから1975ねん放送ほうそうされた『ウルトラマンレオ』では、主人公しゅじんこう・おゝとりゲンが特訓とっくんかさねて必殺ひっさつわざけるととも精神せいしんてき成長せいちょうする姿すがたえがかれるなどスポてき手法しゅほう定番ていばんとなっており[200]おにコーチやくモロボシ・ダンからせられる「ブレーキのきがあまジープいかけられる」などの過酷かこく特訓とっくんシーンはかたぐさとなっている[201]
音楽おんがく芸能げいのうもの
スポーツと芸能げいのうかいという舞台ぶたい一見いっけんすると接点せってんはないが、だい舞台ぶたいでの熾烈しれつ主導しゅどうけんあらそいや、ライバルとの競争きょうそうくために努力どりょくという代価だいか支払しはらわれる、といった競争きょうそう原理げんりにおいてあいつうずるといわれる[202]。アニメでは、スポにおける「困難こんなん環境かんきょうにあってもくっすることなくがる」要素ようそ全面ぜんめん薄幸はっこう少女しょうじょ歌手かしゅとして成功せいこうするまでをえがいた「音楽おんがく根性こんじょうもの」が企画きかくされ1971ねんに『さすらいの太陽たいよう』が放送ほうそうされた[203]。この作品さくひん音楽おんがくアニメの先駆さきがけとなった作品さくひんとされており[204]日本にっぽんではぜん26りとなったがフランスイタリア人気にんき獲得かくとくした[203]。その音楽おんがく芸能げいのうかいあつかったアニメ作品さくひん様々さまざま変遷へんせんをたどるが、どう作品さくひんした様々さまざま試練しれん悲劇ひげきせい前面ぜんめんしたストーリー展開てんかいは、サクセスストーリーをえがうえかせないものとして定型ていけいした[205]
少女しょうじょ漫画まんがでは1976ねんから演劇えんげき題材だいざいとした『ガラスの仮面かめん』(美内みうちすずえ)が連載れんさいされているが、少女しょうじょゆめ魅力みりょく中心ちゅうしんえがきながらも、スポ作品さくひん物語ものがたり構造こうぞう人物じんぶつ設定せってい換骨奪胎かんこつだったいした作品さくひんひょうされている[206]
戦闘せんとう美少女びしょうじょ
フィクション作品さくひんには戦闘せんとう美少女びしょうじょというキャラクター類型るいけいがあるが[207]、『アタックNo.1』をはじめとした女子じょし競技きょうぎあつかったスポ作品さくひんもその類型るいけいふくまれるとされている[207]戦闘せんとう美少女びしょうじょあつかった作品さくひん1988ねんガイナックスにより『トップをねらえ!』というSFロボットアニメ制作せいさくされ、美少女びしょうじょ巨大きょだいロボット・スポという3つの要素ようそわせた作品さくひんとなったが[208]、この作品さくひんにおいて登場とうじょう人物じんぶつ健気けなげ可愛かわいらしさといった「少女しょうじょらしさ」を犠牲ぎせいにすることなくたたか姿すがたえがいたことで戦闘せんとう美少女びしょうじょという表現ひょうげん可能かのうせいひろげることになったとひょうされている[207]
ギャグ漫画まんが
1970年代ねんだい後半こうはんはいりスポにおけるシリアスな展開てんかい芝居しばいがかった演出えんしゅつ精神せいしん主義しゅぎ野球やきゅう漫画まんが1・2のアッホ!!』(コンタロウ)や『すすめ!!パイレーツ』(江口えぐち寿史ひさし)などの作品さくひんによりわら対象たいしょうとなったが[110]漫画まんが島本しまもと和彦かずひこ学園がくえん漫画まんがほのお転校生てんこうせい』において、根性こんじょう冷笑れいしょうてきにとらえるのではなくリスペクトをまえつつ過剰かじょうえがんだ[209][210]。その島本しまもとは『逆境ぎゃっきょうナイン』や『えよペン』などの作品さくひん読者どくしゃわらいと熱気ねっき双方そうほう提供ていきょうする「熱血ねっけつギャグ」の作風さくふう確立かくりつしている[209]島本しまもとのちにゲームパワプロアプリでも熱血ねっけつギャグスポ手掛てがけている。[211]
2010年代ねんだい状況じょうきょう
2010年代ねんだいはいり、オタクけいコンテンツでは従来じゅうらい空気くうきけいわり、学園がくえんものにスポてき要素ようそれた『ラブライブ!』や『ガールズ&パンツァー』などの作品さくひん支持しじあつめている[212][213]評論ひょうろんさやわかは『ラブライブ!』について「これまでの要素ようそくわえ、登場とうじょう人物じんぶつたち努力どりょくする姿すがた応援おうえんするものとして発展はってんしたことで、従来じゅうらいとはことなるファンそう獲得かくとくすることに成功せいこうした」とひょうしている[212]
携帯けいたいがたゲーム
携帯けいたいがたゲームにおいても野球やきゅうゲームのひとつであるパワプロクンポケットシリーズにおいては、スポてき要素ようそれられているが、その要素ようそかたいちひねりされたものである。つまり、従来じゅうらい主人公しゅじんこうとライバルの関係かんけい逆転ぎゃくてんしているのである。
たとえばパワプロクンポケット13逆襲ぎゃくしゅう球児きゅうじへん」にいては、野球やきゅうエリートとしてめぐまれた人生じんせいおくってきた主人公しゅじんこう[214]僻地へきち分校ぶんこう転校てんこうさせられ、根性こんじょうがろうとする。[215]つまりきょじんほしえば主人公しゅじんこうのライバル・花形はながた相当そうとうする人物じんぶつ主人公しゅじんこうになっている。その主人公しゅじんこう逆境ぎゃっきょうおちいり、それを克服こくふくすることが主題しゅだいになっている。ぎゃく主人公しゅじんこう敵役かたきやくとして実力じつりょくはないが努力どりょく主人公しゅじんこういつこうとする餅田もちだひろし登場とうじょうし、主人公しゅじんこうまえちはだかる。このゲームを開発かいはつしたゲームクリエイターの西川にしかわ直樹なおきは「むかしの(スポ野球やきゅう漫画まんがであればかれ餅田もちだ)が主役しゅやくでいける」[216]はなしており、意図いとてき従来じゅうらいがたスポ逆転ぎゃくてんさせようとしていたことがわかる。

おも作品さくひん

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作品さくひんめい 種目しゅもく 連載れんさい期間きかん ドラマ アニメ 出典しゅってん
あかのイレブン サッカー 1970-1971 - 1970-1971 [1][6]
あしたのジョー ボクシング 1968-1973 - 1970-1971 ほか [1][6]
アストロ球団きゅうだん 野球やきゅう 1972-1976 2005 - [6]
アタックNo.1 バレーボール 1968-1970 2005 1969-1971 [1][4][6]
アニマル1 レスリング 1967-1968 - 1968 [217]
うつくしきチャレンジャー ボウリング 1971 1971 - [200]
エースをねらえ! テニス 1973-1980 2004 1973-1974 ほか [1][6]
おとこどアホウ甲子園こうしえん 野球やきゅう 1970-1975 - 1970-1971 [217]
空手からてバカいちだい 空手からて 1971-1977 - 1973-1974 [6][175]
キックのおに キックボクシング 1969-1971 - 1970-1971 [1]
巨人きょじんほし 野球やきゅう 1966-1971 - 1968-1971 ほか [1][2][6]
きんメダルへのターン! 水泳すいえい 1969-1970 1970-1971 - [1][4]
くたばれ!!なみだくん サッカー 1969-1970 - - [4]
コートにかける青春せいしゅん
スマッシュをきめろ!
テニス 1969 1971-1972 - [4]
サインはV バレーボール 1968-1970 1969-1970 ほか - [1][4][6]
さむらいジャイアンツ 野球やきゅう 1971-1974 - 1973-1974 [6]
柔道じゅうどう一直線いっちょくせん 柔道じゅうどう 1967-1971 1969-1971 - [1][4]
柔道じゅうどう讃歌さんか 柔道じゅうどう 1972-1975 - 1974 [218]
タイガーマスク プロレス 1968-1971 - 1969-1971 [1][6]
ビバ!バレーボール バレーボール 1968-1971 - - [219]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ どうさく熱血ねっけつものやスポものに終止符しゅうしふった作品さくひん、アンチスポ代表だいひょうかく[72][124][129]高校こうこう野球やきゅう背景はいけいにしたラブコメもの[130]とらえられているが、2010年代ねんだいごろから一部いちぶ評価ひょうか見直みなおうごきがある[72]。マンガ研究けんきゅう岩下いわしたともどうさくについて、理想りそうてき存在そんざい喪失そうしつ動機付どうきずけとなっているてんなどから、『がんばれ元気げんき以来いらいのスポ解体かいたいさい構築こうちく系譜けいふつらなる作品さくひんている[72]もと漫画まんが編集へんしゅうしゃでライターの島田しまだ一志かずしは、過去かこ作品さくひんより恋愛れんあい比重ひじゅうおおきく、魔球まきゅう登場とうじょうしないとしつつ、「おに監督かんとくによる理不尽りふじんなしごきにえたり、ゆびから流血りゅうけつしながらボールをげる」などの柏葉かしわば英二郎えいじろう監督かんとく代行だいこう登場とうじょう以降いこうのシーンなどを「むかしながらのスポ漫画まんが定型ていけい」と表現ひょうげん[131]、「きわめて80年代ねんだいてきなスポ漫画まんがだった、とかんがえたほうがいいのではないだろうか」とひょうした[132]
  2. ^ 「ブラックシューズ」「ブラックシューズ、両手りょうて両足りょうあしこしにバネ」「だいリーグ養成ようせいギプス」のような筋力きんりょくトレーニングによって、ボディビルのような強固きょうこ筋肉きんにくにつけたとしても技術ぎじゅつ向上こうじょうにはむすびつかないことが指摘してきされている[159][162]。また「千本せんぼんノック」のような反復はんぷく練習れんしゅうかんしては初心者しょしんしゃ技術ぎじゅつ習得しゅうとくするじょうでは有効ゆうこうであり[163]かえおこなうことで基礎きそ技術ぎじゅつ習得しゅうとく可能かのうとなるが[160][163]目的もくてき意識いしきもなく漠然ばくぜん反復はんぷく練習れんしゅうかえせばフォームが固定こていされてしまい想定そうていがい事態じたい対応たいおうできなくなるおそれがある[160]
  3. ^ おおきな負荷ふかのかかる運動うんどうつづ疲労ひろう状態じょうたいにあるのにもかかわらずトレーニングを継続けいぞくし、なおかつ栄養えいよう補給ほきゅう休養きゅうよう不十分ふじゅうぶん場合ばあいには「集中しゅうちゅうりょく記憶きおくりょく低下ていか」「不眠症ふみんしょう」「食欲しょくよく低下ていか」「心拍しんぱくすう血圧けつあつ上昇じょうしょう」などといった症状しょうじょうオーバートレーニング症候群しょうこうぐん発症はっしょうするおそれがある[155]。オーバートレーニング症候群しょうこうぐん発症はっしょうした場合ばあいには競技きょうぎ成績せいせき練習れんしゅう効果こうか低下ていかし、重症じゅうしょう場合ばあいには休養きゅうよう長期間ちょうきかん競技きょうぎへの復帰ふっき困難こんなんとなるおそれもある[155]

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく

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