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ロータス・カーズ - Wikipedia

ロータス・カーズ

イギリスのスポーツカーメーカー

ロータス・カーズLotus Cars Ltd.)は、イギリスノーフォーク拠点きょてんとするスポーツカーメーカーである。ながらくライトウェイトスポーツ主力しゅりょくモデルとしていたが、中国ちゅうごく吉利よしとし傘下さんかとなってからは路線ろせん大幅おおはば変更へんこうしスポーツEV主体しゅたいのメーカーに変貌へんぼうしている。

ロータス・カーズ
Lotus Cars Ltd.
本社
本社ほんしゃ
種類しゅるい 非公開ひこうかい会社かいしゃ
略称りゃくしょう ロータス
本社ほんしゃ所在地しょざいち イギリスの旗 イギリス
イングランド, ノーフォーク, ヘセル
設立せつりつ 1952ねん
業種ぎょうしゅ 自動車じどうしゃ製造せいぞう
事業じぎょう内容ないよう スポーツカー製造せいぞう販売はんばい
代表だいひょうしゃ 馮青ほう (CEO)
売上うりあげだか 6おく7900まんドル (2023)
従業じゅうぎょう員数いんずう 1385 (2021)
主要しゅよう株主かぶぬし 浙江せっこう吉利よしとしひかえまた集団しゅうだん(51%)
関係かんけいする人物じんぶつ コーリン・チャップマン創業そうぎょうしゃ
外部がいぶリンク Lotus Cars
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会社かいしゃ組織そしき本体ほんたいはグループ・ロータス(Group Lotus plc)であり、乗用車じょうようしゃ製造せいぞう販売はんばいおこなうロータス・カーズ(Lotus Cars Ltd.)、またその傘下さんか自動車じどうしゃ技術ぎじゅつかんするコンサルタントぎょうおこなうロータス・エンジニアリング(Lotus Engineering部門ぶもんがある[1]

1996ねん以降いこうマレーシア国有こくゆう自動車じどうしゃ会社かいしゃプロトン子会社こがいしゃとなり、2017ねん5がつ浙江せっこう吉利よしとしひかえまた集団しゅうだんがロータス・カーズの株式かぶしきの51%を取得しゅとくした[2]

沿革えんかく

編集へんしゅう

創業そうぎょうまで

編集へんしゅう

1947ねん当時とうじロンドン大学だいがく学生がくせいであったコーリン・チャップマン副業ふくぎょうとして中古ちゅうこしゃ販売はんばいぎょういとなんでおり、そこであまりに旧式きゅうしきなためのこった1928ねんがたオースチン・7(セブン)[注釈ちゅうしゃく 1]自分じぶんようレーシングカー改造かいぞうすることをおもいついた。

かれ事業じぎょうパートナーであったコーリン・デア、ディレック・ウェットン、そしてガールフレンドであったヘイゼル・ウィリアムズらとともに旧式きゅうしきシャシはじめとするだい部分ぶぶんつくなおべつくるまってよいほどの大幅おおはば改造かいぞうほどこした。この作業さぎょうはロンドンのミューセル・ヒルにあったウィリアムズの実家じっかのガレージでおこなわれたという。

完成かんせいしたくるまべつくるまとして登録とうろく[注釈ちゅうしゃく 2] され、よく1948ねんにはマイナーレースに参戦さんせんする。しかしチャップマンはこのくるまのベースとなったオースチン・7のエンジンパワーでは本格ほんかくてきなレースに参戦さんせんするのは不充分ふじゅうぶんかんがえており、すぐにより強力きょうりょくフォードせい「フォード8」エンジンを搭載とうさいしたモデルの構想こうそう着手ちゃくしゅする。この次期じきモデルは「ロータス」と名付なづけられ、1949ねん完成かんせいした。これが最初さいしょにロータスとばれたくるまである。

 
マーク2

ロータスはチャップマンが完成かんせいさせた2番目ばんめくるまであることからマーク2とばれ、それにともなって最初さいしょくるまはマーク1とばれることになった。マーク2は完成かんせいしてすぐさらに強力きょうりょくな「フォード10」エンジンへとかわそうされ、レースに参戦さんせんするのはよく1950ねんからとなった。マーク2はたか戦闘せんとうりょく発揮はっきし、チャップマンとヘイゼルの総合そうごう優勝ゆうしょう4かい、クラス優勝ゆうしょう4かい好成績こうせいせきげる。とく同年どうねん6がつ3にちシルバーストン・サーキット開催かいさいされたエイトクラブ主催しゅさいのレースでは、現在げんざいF1マシンにたるグランプリレーサーのブガッティ・タイプ37い、優勝ゆうしょうしてしまう。

相手あいてかた[注釈ちゅうしゃく 3] のGPレーサーとはいえ、無名むめいのガレージ作成さくせいのレーシングカーが勝利しょうりしたことは驚異きょういであり、チャップマンはおおいに注目ちゅうもくされることとなる。マーク2ははつ顧客こきゃくとなるマイク・ローソンに売却ばいきゃくされ、その好成績こうせいせきげた。

チャップマンはより本格ほんかくてきなレーシングカーの開発かいはつ着手ちゃくしゅし、あらたな協力きょうりょくしゃとしてマイケルとナイジェルのアレン兄弟きょうだいむかえ、かれらが所有しょゆうしていた郊外こうがいのガレージで販売はんばい目的もくてきとしたレーシングカー、マーク3、マーク4を完成かんせいさせる。とくにマーク3は当時とうじのイギリスで人気にんきのあったフォーミュラ750カテゴリで無類むるいつよさを発揮はっきし、ロータスの着実ちゃくじつたかまっていった。本格ほんかくてきなレーシングカー製造せいぞう販売はんばい目指めざしていたチャップマンは、マーク3の成功せいこうにより、いよいよ市販しはんモデルの構想こうそう着手ちゃくしゅする。

それまでのワンオフちかいモデルとはことなり、最初さいしょから量産りょうさん想定そうていしたモデルはマーク6ばれ、その実現じつげんのためチャップマンはマイケル・アレンとともに1952ねん1がつ1にち、ロンドンのホーンジー、トテナムどおりにロータス・エンジニアリングを設立せつりつした。

レーシングカー製造せいぞう販売はんばい

編集へんしゅう
 
ロータス マーク6

マーク6はそれまでの市販しはんしゃベースの改造かいぞうではなく、専用せんよう設計せっけいされたシャシを最初さいしょのロータスとなった。プロトタイプ順調じゅんちょう完成かんせいし、テストをねて1952ねん7がつからレースにエントリーするが、そのとしの8がつアレンが公道こうどう運転うんてんちゅうにクラッシュ、これがきっかけとなりアレン兄弟きょうだいはロータスをはなれることになった[3]

創業そうぎょうメンバーの半数はんすううしない、スタートあいだもないロータスは危機ききむかえるが、チャップマンとその婚約こんやくしゃであるヘイゼルを取締役とりしまりやくとし、そしてエンジニアとしてあらたにマイク・コスティン[注釈ちゅうしゃく 4]むか1954ねん1がつ1にち株式会社かぶしきがいしゃとしてさい出発しゅっぱつすることとなる。マイク・コスティンは生産せいさん技術ぎじゅつものとして非凡ひぼん才能さいのう発揮はっきし、生産せいさんがたマーク6はそのとし前半ぜんはんには顧客こきゃくわたされた。

元々もともとレーシングカーであるマーク6は様々さまざまなエンジンを搭載とうさいすることを前提ぜんていとしており、また基本きほんコンポーネント様々さまざまなオプションをわせるかたちキットフォームとして販売はんばいされた[3]軽量けいりょうスペースフレームつマーク6はその高性能こうせいのうとは裏腹うらはらに、どうレベルのライバルしゃくらべて安価あんかであり、プライベートレーサーたち好評こうひょうをもってれられた。マーク6は1955ねんまで製造せいぞうされ、100だいから110だい出荷しゅっかされたが、そのあいだロータスの工場こうじょうはほぼフル生産せいさんであったという[3]

マーク6の成功せいこう充分じゅうぶん資金しきん調達ちょうたつできたロータスは、マーク6をもとに、よりかるいシャシ、より洗練せんれんされたボディをあたらしいレーシングカーの開発かいはつ着手ちゃくしゅする。本格ほんかくてきそらりょく考慮こうりょしたボディは、マイク・コスティンのあにであるフランク・コスティンのによって開発かいはつされた。こののちコスティン兄弟きょうだい開発かいはつ生産せいさんエンジニアとして創成そうせいのロータスをささえることとなる。

 
ロータス11 ル・マン(1957)

マーク8とばれるこのモデルは1954ねん4がつには完成かんせい、そのシーズンのレースにエントリーしている。1955ねん、ロータスはマーク6の成功せいこうによって自動車じどうしゃ製造せいぞう販売はんばい組合くみあい加入かにゅうし、正式せいしき自動車じどうしゃメーカーとして認知にんちされた。これにより同年どうねんアールズ・コートモーターショー出品しゅっぴんみとめられ、ロータスはこのショーにマーク8の発展はってんがた、マーク9のベアシャシを出品しゅっぴんする。マーク9はその発展はってんけいとしてマーク10そしてイレブンまで開発かいはつされる。イレブンは1956ねんのシリーズ1、1957ねんのシリーズ2と総計そうけいして270だい製造せいぞうされた。

GP参戦さんせん市販しはんしゃ開発かいはつ

編集へんしゅう
 
タイプ14(エリート)
 
ロータス・セブン1961

イレブンまでのレーシングカー販売はんばいによって充分じゅうぶん資金しきん調達ちょうたつしたロータスは、つぎのステップである国際こくさい格式かくしきレースへ参戦さんせん本格ほんかくてき市販しはんしゃ製造せいぞう販売はんばいあゆみをすすめる。そして1957ねん10がつのアールズ・コート・モータショーにて市販しはんスポーツカーのセブン、ロータスはつクーペボディをつタイプ14エリート、そしてフォーミュラ2レーシングカーのタイプ12を同時どうじ発表はっぴょう、2つの目標もくひょうおおやけ発表はっぴょうする。

タイプ12はGP参戦さんせんまでを視野しやれた本格ほんかくてきシングルシータレーシングカーであり、ロータス・カーズはそれまでチャップマンらのクラブチームてき存在そんざいであったチーム・ロータス本格ほんかくてきワークス・チームとして再編さいへんし、1957ねんから国際こくさい格式かくしきとして開催かいさいされたフォーミュラ2へ参戦さんせん、そしてよく1958ねん5がつモナコグランプリでチーム・ロータスはついにGPへと参戦さんせんする。

一方いっぽう、タイプ14エリートはFRPフルモノコックフレーム(日本にっぽんフジキャビンつづ史上しじょう2番目ばんめのFRPモノコック市販しはんしゃ)とタイプ12ゆずりの前後ぜんごサスペンション世界せかい最速さいそく消防しょうぼうポンプとうたわれたエンジン、コヴェントリー・クライマックスせいFWAがた[注釈ちゅうしゃく 5]搭載とうさいする高級こうきゅうGTとして発表はっぴょう市販しはんがアナウンスされると同時どうじ驚愕きょうがく絶賛ぜっさんこえびる。そしてマーク6のデザインを安価あんか量産りょうさんスポーツカーとしてセブンも従来じゅうらい顧客こきゃくそうから好評こうひょうをもってれられた。

ファクトリー移転いてんとグループの再編さいへん

編集へんしゅう

ロータスは同時どうじに3しゅのニューモデルに着手ちゃくしゅしたこともあり、エリートの開発かいはつだけでホーンジーでは手狭てぜまとなってしまい、機密きみつ保持ほじ目的もくてきもあってロンドンがわのエドモントンにあらたなデザイン拠点きょてんかまえる。しかしホーンジー、エドモントンともに本格ほんかくてき量産りょうさんしゃ製造せいぞう工場こうじょうとしてはキャパシティが不足ふそくしていることは明白めいはくであった。

チャップマンは当初とうしょホーンジー近辺きんぺん工場こうじょうかまえようとかんがえていたが、イギリスにおける法律ほうりつじょう規制きせいからあきらめざるをえず、わりにハートフォードシャーのチェスハントに生産せいさん開発かいはつ拠点きょてんうつすことになる。この移転いてんとほぼ同時どうじ量産りょうさんしゃ開発かいはつ生産せいさんつ「ロータス・カーズ」、レーシングカーの開発かいはつ生産せいさんつ「ロータス・コンポーネンツ」、そして全体ぜんたい統括とうかつする「ロータス・エンジニアリング」とグループ体制たいせい再編さいへんされる。

GP勝利しょうり財政ざいせい危機きき

編集へんしゅう
 
セブン

セブンは1958ねんはるより、エリートは多少たしょう開発かいはつ手間取てまとりはしたものの、12月にはリリースが開始かいしされた。レーシングカーではタイプ12の後継こうけいであるタイプ16をて、あらたにミッドシップレイアウトを導入どうにゅうしたタイプ18名門めいもんチームであるロブ・ウォーカー・レーシングチーム販売はんばいされ、1960ねん5がつ29にちスターリング・モスによって記念きねんすべきGPはつ勝利しょうり達成たっせいする。

順風じゅんぷうまんえたロータスグループであったが、実際じっさいには経営けいえいじょうきょう悪化あっか一途いっとをたどっていた。GPマシンの開発かいはつとGP参戦さんせんは、それまでとはけたちが費用ひよう必要ひつようとされ、ロータスの財政ざいせい圧迫あっぱくした。一方いっぽうで、収入しゅうにゅうをまかなうはずのセブンとエリートの利益りえきは、けっして充分じゅうぶんなものではなかったのである。

クラブマンけレーサーであったセブンは安価あんかゆえに人気にんきとなったが、シャシ生産せいさんおおくのハンドワーク工程こうてい必要ひつようとし、そのシンプルさとは裏腹うらはらこうコストな商品しょうひんで、利益りえきかぎられていた。一方いっぽう高級こうきゅうGTとして販売はんばいされ、たか利益りえきをもたらすはずであったエリートは、注文ちゅうもんこそ順調じゅんちょうであったが、複雑ふくざつるいをみない製造せいぞう工程こうていおもうように生産せいさん台数だいすうばせず、さらにFRPモノコックとレーシングカーのサスペンションはともに信頼しんらいせいとぼしく、ロータスはクレーム対応たいおうわれ、さらに利益りえきりつ低下ていかした。1959ねん時点じてんでは、エリートは販売はんばいするたびに利益りえきどころか赤字あかじになるような状態じょうたいであった。

エランの成功せいこう

編集へんしゅう
 
タイプ26(エラン)

ロータス・カーズは確実かくじつ利益りえきをもたらす商品しょうひん一刻いっこくはや開発かいはつする必要ひつようせまられた。このような状況じょうきょうあらたに市販しはんモデルのエンジニアとしてロータスにはいったロン・ヒックマンにより、タイプ26エランされる。

当初とうしょロータス・カーズはセブンのえを想定そうていしており、その新型しんがたスポーツカーとエリートとのラインナップを予定よていしていたのである。シャシデザインもエリートのFRPモノコックの流用りゅうよう予定よていしていたが、開発かいはついそ必要ひつようがあったこと、エリートでのトラブル状況じょうきょうから断念だんねん余儀よぎなくされた。

ヒックマンはFRPフルモノコックにわるあたらしいシャシデザインとして、プレス鋼板こうはん溶接ようせつによっててたバックボーンフレームエンジントランスミッションサスペンションなどの主要しゅようASSYをレイアウトし、それらの応力おうりょく負担ふたんしないFRPのボディをかぶせるデザインを考案こうあんした[注釈ちゅうしゃく 6]

バックボーンフレームシャシは、セブンのスペースフレームに比較ひかくして圧倒的あっとうてき製作せいさく時間じかん短縮たんしゅくでき、なによりも精度せいど容易ようい確保かくほすることができた。この生産せいさんせい向上こうじょうこそ、このときロータス・カーズにもっともとめられていた要素ようそである。バックボーンフレームの採用さいようにより開発かいはつ順調じゅんちょうすすみ、本格ほんかくてき開発かいはつ開始かいしからわずか2ねんの1962ねんには量産りょうさんがスタートしている。

1962ねんのアールズ・コート・モーターショーに出品しゅっぴんされたエランは、完成かんせいしゃで1,495ポンド、キットカーフォームで1,095ポンドと発表はっぴょうされ、そのセブンなみ価格かかくおおいに話題わだいとなり、オーダーは順調じゅんちょうびていった。エランはシリーズ4まで発展はってんし、1973ねんまで12ねんわたって販売はんばいされ、総数そうすう12,000だい以上いじょうがデリバリーされた。

エランで確立かくりつしたバックボーンシャシデザインは、こののち35ねんわたってぜんロータスプロダクションモデルの基本きほんデザインとして採用さいようされることになる。

エランは北米ほくべいにも多数たすう輸出ゆしゅつされ、ロータスは国際こくさいてき認知にんちたかめた。また、その生産せいさんせいたかさは製造せいぞうコストをおさえ、安定あんていした利益りえきをロータスにもたらした。

コーティナの成功せいこうあらたなビジネス

編集へんしゅう
 
タイプ28(コーティナ・ロータス

エリートの商業しょうぎょうてき失敗しっぱいおおきく、ロータスの財政ざいせいてき回復かいふくはまだ充分じゅうぶんとはえなかったが、この危機ききをロータスはまったくあたらしいビジネスにより克服こくふくする。

1960ねん前半ぜんはん、アメリカのフォードモータースポーツによる企業きぎょうイメージの向上こうじょう目的もくてきとして、当時とうじ隆盛りゅうせいであったサルーンカーレースに参戦さんせんすることを計画けいかくしていた。しかし、自社じしゃ充分じゅうぶんなノウハウをわせていなかったフォードは、自社じしゃくるまをベースに大幅おおはばチューンほどこしたレースよう専用せんようモデルの開発かいはつ生産せいさんをロータスに依頼いらいしたのである。

ベースとなる車両しゃりょうにはコンサル・コーティナえらばれ、その高性能こうせいのうバージョンであるコーティナGTをさらにチューンし、1,000だい生産せいさん規定きてい台数だいすう所得しょとくできた、当時とうじFIAグループ2のホモロゲーションけるプランがスタートした。

最終さいしゅうてきにロータスはコーティナのチューンはもちろん、レーシングバージョンの開発かいはつ、さらにはプロダクションモデルの生産せいさんまでをったのである。

正式せいしきにロータスのナンバー、タイプ28があたえられたコーティナ・ロータス[注釈ちゅうしゃく 7] はチェスハントの工場こうじょうてがおこなわれ、1966ねんまでの3年間ねんかんで2,800だいあまりをラインアウトさせた。コーティナ・ロータスは、当初とうしょ目的もくてきであったレースでも実力じつりょくをいかんなく発揮はっきし、そのおとなしいサルーンの外観がいかんつかわしくない高性能こうせいのうぶりから、「ひつじかわた(またはこうむった)おおかみ」とたとえられた[注釈ちゅうしゃく 8]

この成功せいこうは、実質じっしつてきにエランしか収入しゅうにゅうげんがなかったロータスにおおきな財政ざいせいてき安定あんていをもたらし、「レーシングエンジニアリングのコンサルタント」というあらたなビジネスをも開拓かいたくしたのである。またレースフィールドにまらず、あらゆる分野ぶんやにおけるエンジニアリングコンサルティングというロータスの3番目ばんめのビジネスをのち確立かくりつするいしずえともなった。

GP制覇せいはとヨーロッパ発売はつばい

編集へんしゅう
 
タイプ54(ヨーロッパS2)

エランとコーティナ・ロータスの成功せいこうにより経済けいざいてき余裕よゆうたロータスは、GPにおいてもかい進撃しんげきせる。はつ参戦さんせんから5ねんの1963ねん革新かくしんてき軽量けいりょうモノコックシャシを採用さいようしたタイプ25名手めいしゅジム・クラークようしてコンストラクタ・タイトルを獲得かくとく。そのインディ500制覇せいはし、コスワースとんでめいもとDFVエンジン開発かいはつするなど、モータースポーツかい象徴しょうちょうする名門めいもんチームのひとつに成長せいちょうした。

1966ねん、ロータスは自身じしん本格ほんかくてきにGPにみ、そのレーシングフィールドではセオリーとして定着ていちゃくしつつあった、ミッドシップレイアウトを採用さいようした量産りょうさんスポーツカーを発表はっぴょうした。イギリス以外いがいのヨーロッパ大陸たいりくをメインターゲットとして、当初とうしょひだりハンドル仕様しようのみとされたタイプ46ヨーロッパは、かつてのセブン同様どうよう、レーシングカーの技術ぎじゅつをロードカーにんだ安価あんかなスポーツカーというコンセプトのもと開発かいはつされた。

ヨーロッパはヨーロッパ大陸たいりく北米ほくべいをメインターゲットとして、エランでげられなかったセブンの後継こうけいモデルとして位置いちづけがなされたのである。軽量けいりょうすぐれたハンドリングを発揮はっきしたヨーロッパは人気にんきはくし、1968ねんからのシリーズ2ではイギリス国内こくないけのみぎハンドルもデリバリーが開始かいしされた。

GT構想こうそう復活ふっかつ

編集へんしゅう

ヨーロッパのデビューに先立さきだつ1965ねん、ロータス・カーズはモーターショーに、エランのシャシをストレッチしてクーペボディをそうした2+2のショーモデルを発表はっぴょう委託いたく生産せいさんのコーティナ以外いがいすべて2シーターモデルのみであったロータスにとって、はつの4シーターモデルであった。

メティエとばれたこのプロトタイプは2ねん開発かいはつ期間きかんて、1967ねん、タイプ50エラン+2として発売はつばいされた。エリートの商業しょうぎょうてき失敗しっぱいにより途絶とだえていたGTを、エランのシャシをベースに復活ふっかつさせ、あらたな顧客こきゃくそうをも開拓かいたくしたのである。エラン+2はエランよりもながく1974ねんまで生産せいさんされ、やく5,000だいがデリバリーされた。

ヘセルウイッチ移転いてん成功せいこう

編集へんしゅう

ヨーロッパ、エラン、エラン+2と、小規模しょうきぼながらラインナップを整備せいびしたロータス・カーズは、生産せいさん台数だいすう増加ぞうかからチェスハントの工場こうじょうでは手狭てぜまとなり、あらたな根拠地こんきょちもとめることになる。

チャップマンのまったのはノーフォーク、ヘセルノリッチで、だい世界せかい大戦たいせんとき使用しようされていたイギリス空軍くうぐん飛行場ひこうじょうであった。ロータスは飛行場ひこうじょうあと半分はんぶんゆず[注釈ちゅうしゃく 9]滑走かっそう周辺しゅうへんをテストコースとして流用りゅうようし、あらたな設備せつび整備せいびした。

そして1966ねん工場こうじょう、チーム・ロータスをふくむ、ロータスのすべての機能きのうをチェスハント、ホーンジーからヘセルウイッチに移転いてんさせる。この移転いてんにおいてロータスは、スタッフの喪失そうしつ極力きょくりょくおさえ、半数はんすう以上いじょうれてくことに成功せいこうした。これは、100km以上いじょうはなれた全面ぜんめん移転いてんするようなケースでは記録きろくてきわれている。また移転いてん先立さきだってフォードからデニス・オースチンをマネージャーとしてむかえ、かれをチーフとして周到しゅうとう計画けいかく準備じゅんびすすめられた。その結果けっか週末しゅうまつ実施じっしされた全面ぜんめん移転いてんのち、ヘセル工場こうじょうてられた最初さいしょ車両しゃりょう工場こうじょうたのはつぎ月曜日げつようびであったとわれている。あらたな根拠地こんきょちて、生産せいさんりょく開発かいはつりょくたかめたロータス・カーズは順調じゅんちょう業績ぎょうせきばし、1968ねんには株式かぶしき公開こうかいたした。名実めいじつともに自動車じどうしゃメーカーとしてみとめられたのである。

チャップマン時代じだい終焉しゅうえん

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タイプ79(エスプリ)

1970年代ねんだい後半こうはんはいると、タイプ75エリート、タイプ76エクラ、タイプ79エスプリの3Eとばれるモデルを中心ちゅうしんに、従来じゅうらいとはことなる高級こうきゅう路線ろせんをとる。

技術ぎじゅつ協力きょうりょくでは1972ねん発表はっぴょうジェンセン・ヒーレーようのエンジン開発かいはつ、グループ4ホモロゲーションモデルのタルボットサンビーム・ロータスの開発かいはつデロリアン・DMC-12開発かいはつセリカXX開発かいはつ協力きょうりょくや、ランドクルーザーハイラックスサーフようハードトップ真空しんくう成形せいけいFRPにかんする技術ぎじゅつ供与きょうよおこなう。とくトヨタとは資本しほん関係かんけいち、チャップマンみずからセリカXXのテレビCM(1981ねんごろ)に出演しゅつえんしていた。

しかし、チャップマンは1982ねんすえ心臓しんぞう発作ほっさでこのってしまう。デロリアンの生産せいさんげに難航なんこうし、英国えいこく政府せいふとの板挟いたばさみとなったことがおおきいとわれている。

オーナーの交代こうたい

編集へんしゅう

1982ねんにチャップマンが54さい急逝きゅうせいしたのち経営けいえいなん深刻しんこくし、経営けいえいはチャップマンから事業じぎょうのデビッド・ウィッケンスにうつった。この時期じきにエンブレムが変更へんこうされ、チャップマンのイニシャルであるACBCの文字もじ削除さくじょされた。トヨタは株主かぶぬしとして関係かんけいふかめていき、エクラ・エクセルにはトヨタせい部品ぶひん供給きょうきゅうされた。1984ねんのバーミンガムショーでは、しん開発かいはつV8エンジンを搭載とうさいし、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインによるコンセプトカー「エトナ」を発表はっぴょうしたが、市販しはんにはいたらなかった。

1986ねんにはゼネラルモーターズ (GM) の傘下さんかはいり、カーエンブレムおよやしろあきらにACBCのイニシャルが復活ふっかつ。グループないのスポーツカーメーカーとしてシボレー・コルベットZR-1のエンジン設計せっけいや、オペル・オメガいすゞ・ピアッツァいすゞ・ジェミニいすゞ・ビッグホーンスバル[4]2代目だいめビッグホーンホンダホライゾンなどもふくむ)などのチューニングを担当たんとうした。1989ねん発売はつばいされた2代目だいめエラン(タイプM100)では、GMグループないのメーカーからエンジン&トランスミッション(いすゞ)、パーツ(ACデルコなど)を調達ちょうたつしていた。

1993ねん高級こうきゅうスポーツカーブランドのブガッティ所有しょゆうするロマーノ・アルティオーリに売却ばいきゃくされその傘下さんかはいったがブガッティは1995ねん破産はさんし、1996ねんよりマレーシアの国営こくえい自動車じどうしゃメーカー、プロトン傘下さんかとなる。

エリーゼの成功せいこう

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1995ねん登場とうじょうしたタイプ111エリーゼだい成功せいこうとなり、ロータス・カーズは経営けいえい危機ききからだっした。エリーゼは当初とうしょローバーエンジンからトヨタエンジンへ変更へんこうしつつ、クーペボディのエキシージ、GMせいターボエンジンを搭載とうさいしたヨーロッパSなどの派生はせい車種しゃしゅ展開てんかいした。2009ねんには上級じょうきゅう車種しゃしゅとして、14ねんぶりのブランニューモデルとなるエヴォーラ発売はつばいするまでにいたった。

ダニー・バハーの拡張かくちょう路線ろせん

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2009ねんフェラーリふく社長しゃちょうだったダニー・バハーがCEOに就任しゅうにんし、シトロエン・C3フェラーリ・458イタリア手掛てがけたドナート・ココをデザインディレクターにむかえた[5]。2010ねんパリ・モーターショーでは、エスプリ、エラン、エリート、エリーゼ、エテルネ(Eterne)の5モデルものコンセプトカーを発表はっぴょう。ライトウェイト・スポーツから高級こうきゅうスポーツカーまで車種しゃしゅそろえる意欲いよくせた。

2012ねん、プロトンがDRB-ハイコム傘下さんか買収ばいしゅうされると、赤字あかじ計上けいじょうつづけるロータスの売却ばいきゃくうわさされるようになり[6][7]、6がつにはバハーがCEOを解任かいにんされた[8]今後こんご事業じぎょう計画けいかく縮小しゅくしょうし、5モデルのうちエスプリ以外いがい計画けいかく中止ちゅうしになるのではないかとられる[9]。2017ねん5がつには中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく浙江せっこう吉利よしとしひかえまた集団しゅうだんが、プロトン・ホールディングスの株式かぶしき49.9%を取得しゅとくしDRB-ハイコムに株主かぶぬしとなり、ロータスの株式かぶしきも51%を取得しゅとくして筆頭ひっとう株主かぶぬしとなった[2]

車種しゃしゅ一覧いちらん

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現行げんこう車種しゃしゅ

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エミーラ

過去かこおも車種しゃしゅ

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エリーゼS1

コンセプトカー

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社名しゃめいくるまめい

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タイプ108(トラックレーサー)

ロータス (Lotus) とは、英語えいごで「はちす」を意味いみする。グループエンブレムのなかにもかくまる三角さんかくとしてえがかれており、創業そうぎょうしゃコーリン・チャップマン仏教ぶっきょう思想しそうれ、「俗世ぞくせくるしみから解放かいほうされてゆめがかなう」とされるはちすにちなんで名付なづけたとのせつ有力ゆうりょくである。エンブレムの「A・C・B・C」は、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンのイニシャルである。

レーシングカー、スポーツカー、サルーンカーなどをふくめて、すべてのロータスしゃにはタイプナンバーとばれるとお番号ばんごうあたえられている。初期しょきは「マーク○○」というかただったが、1956ねんのイレブン以降いこうは「タイプ○○」となっている。くるまめいについては、レーシングカー場合ばあいはそのままタイプナンバーでばれるが、市販しはんしゃ場合ばあいはこれにペットネームくわえられる。ペットネームは伝統でんとうてきにイニシャルがEはじまる。

なお、タイプ76(76エクラ)、タイプ79(79エスプリ)、タイプ100(100TとM100けいエラン)のように、チーム・ロータスのF1マシンとロータス・カーズの市販しはんしゃでナンバーが重複じゅうふくするケースもある。

自動車じどうしゃ以外いがいものにもタイプナンバーがけられている。

日本にっぽんでの販売はんばい

編集へんしゅう
 
原宿はらじゅくショウルーム

東京とうきょう新橋しんばし商社しょうしゃメッサーシュミットあつかっていた芙蓉ふよう貿易ぼうえきがセブンや初代しょだいエリートを輸入ゆにゅうしていた。1960年代ねんだいなかばには東急とうきゅう商事しょうじ東京とうきょう大田おおた)が輸入ゆにゅう代理だいりてんとなり、エランや初期しょきヨーロッパ輸入ゆにゅうした。1972ねんからはアトランテック商事しょうじげんアトランティックカーズ)が正規せいき輸入ゆにゅうしゃとなったが、1990年代ねんだい中盤ちゅうばんにはあつかいをやめてしまい、そのため初期しょきがたの111エリーゼのほとんどは並行輸入へいこうゆにゅうとなった。1999ねんから2002ねんまではケイアンドエムが輸入ゆにゅうけんゆうしていた [1]

2003ねん2がつオートトレーディングルフトジャパンが、子会社こがいしゃエルシーアイ」を設立せつりつし、輸入ゆにゅう販売はんばい開始かいしした。エルシーアイは2005ねん4がつ株式かぶしきの51%を取得しゅとくしたVTホールディングス傘下さんかとなった。

なお日本にっぽん国内こくないには、1975ねん設立せつりつされた自動車じどうしゃ整備せいび業者ぎょうしゃ全国ぜんこく組織そしきロータスクラブ」(LOTAS CLUB)があるが、商号しょうごうつづりもことなり、ロータス・カーズとは無関係むかんけいである。

モータースポーツ

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ロータス・78グラウンド・エフェクト技術ぎじゅつ先駆さきがけとなり、現代げんだいてきそらりょく思想しそういしずえきずいた

ロータスのレース活動かつどうは1954ねん発足ほっそくしたチーム・ロータスおこなっていたが、グループ・ロータスのなかでもチャップマンの家族かぞく経営けいえいてき組織そしき位置いちづけられていた。グループないでレーシングカー開発かいはつ製造せいぞうおこなっていたロータス・コンポーネンツは1971ねん閉鎖へいさされ、スタッフはシャシーコンストラクターの「グループ・レーシング・デベロップメント (GRD) 」を設立せつりつした。

1982ねんのコーリン・チャップマンの死後しご遺族いぞくはグループ・ロータスを売却ばいきゃくしたが、チーム・ロータスは手元てもとのこした。その、チャップマンはチーム運営うんえいからもき、1992ねん長男ちょうなんのクライブ・チャップマンがヒストリックレーサーのメンテナンス事業じぎょうおこなう「クラシック・チーム・ロータス[10]」を設立せつりつした。チーム・ロータスは資金しきんなんにより1994ねん消滅しょうめつした。

 
ロータスGT1

このころのグループ・ロータス(ロータス・カーズ)本体ほんたいのレース活動かつどうとしては、1997〜1998ねんFIA GT選手権せんしゅけんル・マン24あいだレースへの、GT1車両しゃりょうによる参戦さんせんがある(チームめいは「ロータス・レーシング」)。

2009ねんにダニー・バハーがしんCEOに就任しゅうにんしたのち積極せっきょくてきにモータースポーツに関与かんよするようになった。バハーは以前いぜんレッドブルのF1計画けいかくかかわり、フェラーリでブランドイメージ戦略せんりゃく担当たんとうした経験けいけんつ。また、モータースポーツディレクターにはスクーデリア・フェラーリもと広報こうほう部長ぶちょうだったクラウディオ・ベロが就任しゅうにんした。

この時期じき活動かつどうは、既存きそんチーム(メーカー)への支援しえんもしくは提携ていけいというかたちで、レース分野ぶんや幅広はばひろくカバーしているのが特徴とくちょうである。車体しゃたいは1960年代ねんだいのブリディッシュ・グリーン&イエローのワークスカラーか、1970〜1980年代ねんだいJPSカラーをおもわせるブラック&ゴールドにペイントされ、名門めいもんロータスの再生さいせいをアピールしている。しかし2012ねんにバハーが解任かいにんされると、かくカテゴリで一気いっきかれた。

現在げんざい市販しはんしゃをベースとしたカテゴリに小規模しょうきぼ供給きょうきゅうおこなっているにとどまっている。以下いかは2009ねんから現在げんざいまでのモータースポーツ活動かつどう記録きろくである。

 
KVレーシングの佐藤さとう琢磨たくま(2011ねんインディ・ジャパン300)
 
ロータスF1チームキミ・ライコネン(2012ねん
インディカー
2010〜2011ねんにはインディカー・シリーズKVレーシング・テクノロジーのスポンサーとなり、佐藤さとう琢磨たくまのマシンがブリティッシュ・グリーンにられた。2012ねんにはジャッド提携ていけいしてインディカーにエンジンサプライヤーとして参入さんにゅうし、ブランド大使たいしつとめるジャン・アレジインディ500にスポット参戦さんせんした[11]。しかしエンジンが競争きょうそうレベルになく、1ねんかぎりで撤退てったいした。
F1
F1では2011ねんルノーのメインスポンサーになり、チームめいは「ロータス・ルノーGP」とされた。その一方いっぽうで、いちねんはや参戦さんせんしていた新生しんせいチーム・ロータス(よく2012ねんからケータハムF1チーム変更へんこう)にたいして「ロータス」の名称めいしょう使用しよう停止ていしもとめる訴訟そしょうこした。この1シーズンのあいだは、「ロータス」のつチームがF1に2つ存在そんざいするという奇妙きみょう状況じょうきょうつづいた。
ロータス・ルノーGPは2012ねんよりロータスF1チーム改称かいしょうしたが、同年どうねん4がつにグループ・ロータスがスポンサーをりることがまった。ただし、すくなくとも2017ねんまではロータスのもちいるとされていた[12] ものの、資金しきんなんにより2015ねんのシーズン終了しゅうりょうにルノーに買収ばいしゅうされたため、「ロータス」の名称めいしょうふたたびF1から消滅しょうめつした。
GP2・GP3
ARTグランプリとのジョイント体制たいせいき、2011ねんに「ロータス・ART」、2012ねんに「ロータスGP」のGP2GP3参戦さんせんした。
スポーツカー
 
ロータス・CLM P1/01(2014ねん
2011ねんのインターコンチネンタル・ル・マン・カップ (ILMC) のLM-GTE Proクラスに「ロータス・ジェットアライアンス」のエヴォーラ参戦さんせん
2012ねんコリン・コレスひきいるコデワんでFIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん (WEC) のLMP2クラスに参戦さんせん(シャシーはローラ・B12/80、エンジンはBMWベース[13])。2013ねんにオリジナルシャシー、T128[14]出走しゅっそうさせた。2014ねん新型しんがたCLM P1/01投入とうにゅう。ロータスとしての参戦さんせんはこのとしかぎりとなった。
GT
 
エキシージGT3
グループGT3規定きてい発足ほっそくしたばかりの2006ねんに、ロータス・カーズの高性能こうせいのうしゃ部門ぶもんであるロータス・スポーツが開発かいはつしたエキシージGT3を投入とうにゅうしている[15]。2021ねんには英国えいこくのレーシングコンストラクターであるレイ・マロック・リミテッド(RML)しゃとの共同きょうどう事業じぎょうにより、エミーラのグループGT4車両しゃりょう供給きょうきゅう開始かいしした。
日本にっぽんSUPER GTのGT300クラスでは、ムーンクラフトしゃマザーシャシーもちいてエヴォーラをベースとしたマシンを開発かいはつし、カーズ東海とうかい21運用うんよう。フロントエンジンが前提ぜんていのマザーシャシーをミッドシップにしたゆえの苦労くろうかさねたが、予選よせんでは多数たすうのポールポジションを獲得かくとく艱難辛苦かんなんしんくすえに2020ねん富士ふじはつ勝利しょうりかざった[16]
ラリー
グループR-GT規定きてい発足ほっそくした当初とうしょから開発かいはつおこない、エキシージのラリーカー供給きょうきゅうおこなっている[17]

あししゃく

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 登録とうろくナンバーPK3493。
  2. ^ 登録とうろくナンバーOX9292。
  3. ^ タイプ37は1928ねん、そのベースとなったタイプ35は1924ねん設計せっけいであり、充分じゅうぶんにクラシックカーではある。
  4. ^ のちにキース・ダックワースとともにコスワースげ、手腕しゅわんるった。
  5. ^ 元来がんらい消防しょうぼうポンプよう動力どうりょく
  6. ^ 一説いっせつにはチャップマン自身じしん考案こうあんしたとされる。
  7. ^ ロータス・コーティナともばれる。
  8. ^ 新約しんやく聖書せいしょからの引用いんようで、自動車じどうしゃではプリンス・スカイライン 2000GTや(1965ねんBMW 2002 TI(1966ねん)にも使つかわれている。
  9. ^ 半分はんぶん徴用ちょうよう地主じぬし返還へんかんされた。

出典しゅってん

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  1. ^ Group Lotus
  2. ^ a b 中国ちゅうごく吉利よしとし汽車きしゃ、マレーシアのプロトンかぶの49%取得しゅとく” (2017ねん5がつ24にち). 2017ねん5がつ24にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c 『ワールド・カー・ガイド8ロータス』p.35。
  4. ^ スバル・ビッグホーン発売はつばいされていた当時とうじ同社どうしゃ正式せいしき社名しゃめい富士重工業ふじじゅうこうぎょうだった。
  5. ^ 大矢おおやアキオ (2011ねん5がつ27にち). “だい195かい:「シトロエンC3」から「ロータス」まで デザイナー・ココさん、ココにあり”. マッキモ あらモーダ!. web CG. 2012ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  6. ^ 森脇もりわきみのる (2012ねん1がつ31にち). えいロータス、あらたな出資しゅっしパートナーと交渉こうしょうか”. レスポンス. http://response.jp/article/2012/01/31/169221.html 2012ねん4がつ23にち閲覧えつらん 
  7. ^ 首相しゅしょうがロータスの国内こくない生産せいさん継続けいぞくもとめる -”. 英国えいこくニュースダイジェスト. (2012ねん4がつ20日はつか). http://www.news-digest.co.uk/news/news/uk-news/8868-2012-04-20.html 2012ねん4がつ23にち閲覧えつらん 
  8. ^ 森脇もりわきみのる (2012ねん6がつ8にち). えいロータスカーズのダニー・バハーCEO…正式せいしき解任かいにん. レスポンス. http://response.jp/article/2012/06/08/175748.html 2012ねん6がつ27にち閲覧えつらん 
  9. ^ ロータス、事業じぎょう計画けいかく大幅おおはば縮小しゅくしょう - AUTOCAR JAPAN(2012ねん7がつ26にち)2012ねん12月15にち閲覧えつらん
  10. ^ Classic Team Lotus英語えいご
  11. ^ “アレジ、インディ500参戦さんせんはニューマン/ハースから”. オートスポーツ. (2012ねん4がつ6にち). https://www.as-web.jp/past/%e3%82%a2%e3%83%ac%e3%82%b8%e3%80%81%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%87%e3%82%a3500%e5%8f%82%e6%88%a6%e3%81%af%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%83%8f%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%81%8b%e3%82%89 2012ねん4がつ23にち閲覧えつらん 
  12. ^ “ロータス、すくなくとも2017ねんまでF1チームめい継続けいぞく. F1-Gate.com. (2012ねん4がつ10日とおか). http://f1-gate.com/lotus/f1_14894.html 2012ねん4がつ23にち閲覧えつらん 
  13. ^ “ロータス、コレスのチームとみWECのLMP2に参戦さんせん. オートスポーツ. (2012ねん2がつ1にち). https://www.as-web.jp/past/%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%82%b9%e3%80%81%e3%82%b3%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%81%ae%e3%83%81%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%81%a8%e7%b5%84%e3%81%bfwec%e3%81%aelmp2%e3%81%ab%e5%8f%82%e6%88%a6 2012ねん4がつ23にち閲覧えつらん 
  14. ^ 2011ねんにチーム・ロータス(ケータハムF1チーム)が同名どうめいT128制作せいさくしたがまった別物べつものである
  15. ^ 2006 Lotus Sport Exige GT3
  16. ^ ロータス・エヴォーラがチーム10ねんぶりの勝利しょうり!【スーパーGT Rd02富士ふじSW GT300クラス】
  17. ^ ロータス エキシージ新型しんがた、ラリーマシンのシェイクダウン完了かんりょう

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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