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土地区画整理事業 - Wikipedia

土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう

日本にっぽんにおける土地とち区画くかく形質けいしつ変更へんこうおよ公共こうきょう施設しせつ新設しんせつまた変更へんこうかんする事業じぎょう
土地とち区画くかく整理せいりから転送てんそう

土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう(とちくかくせいりじぎょう)とは、日本にっぽんにおいては土地とち区画くかく整理せいりほう昭和しょうわ29ねん法律ほうりつだい119ごう)によって、「都市とし計画けいかく区域くいきうち土地とちについて公共こうきょう施設しせつ整備せいび改善かいぜんおよ宅地たくち利用りよう増進ぞうしんはかるためにおこなわれる、土地とち区画くかく形質けいしつ変更へんこうおよ公共こうきょう施設しせつ新設しんせつまた変更へんこうかんする事業じぎょう」である。

多摩たまニュータウン土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう開発かいはつされた街並まちな

区画くかく整理せいり由来ゆらい

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土地とち区画くかく整理せいりほう自体じたいドイツ法律ほうりつやその法律ほうりつ参考さんこうつくられた制度せいどであるが、その国内こくないおも発展はってんしてきた。災害さいがい復興ふっこう駅前えきまえ整備せいび郊外こうがい宅地たくち造成ぞうせいなどおおくの事例じれいがある。

ドイツで1902ねん明治めいじ35ねん制定せいていアディケスほう場合ばあい施行しこう区域くいきの35パーセント(施行しこう区域くいきの50%以上いじょう所有しょゆうする土地とち所有しょゆうしゃ申請しんせいした場合ばあいは40%)までは、公共こうきょう用地ようちとして無償むしょう公共こうきょう団体だんたい取得しゅとくできるものとしていた[1]

日本にっぽん土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうおこなわれる契機けいきとなったのは、1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさいで、アディケスほう参考さんこうとされた。焼失しょうしつ区域くいき道路どうろ公園こうえん整備せいびするため、土地とちの1わり無償むしょう提供ていきょうするというあんがつくられ、地元じもとから反対はんたいけたが、最終さいしゅうてき帝国ていこく議会ぎかい法案ほうあん可決かけつし、実施じっしできることとなった[2]。また、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう全国ぜんこくてきひろげる契機けいきとなったのは、戦災せんさい復興ふっこう都市とし計画けいかくである。

まちについては、1927ねん昭和しょうわ2ねん)に内務省ないむしょう土地とち区画くかく整理せいり審査しんさ標準ひょうじゅんさだめた。この基準きじゅんによってかく都市とし区画くかく整理せいり事業じぎょうすすむにれて適当てきとうなのかどうか検証けんしょう実地じっちにフィードバック出来できるようになりはじめる。一般いっぱん土地とち価格かかくは、土地とち購入こうにゅうするものと使用しようするもの見込みこ価値かち売買ばいばい価格かかく高低こうていがあるものとして価格かかくめられるが、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう場合ばあいは、受益じゅえきしゃ負担ふたん限界げんかい効用こうよう実費じっぴ弁済べんさい関係かんけい勘案かんあんして、従前じゅうぜん土地とち評価ひょうかがく換地かんち評価ひょうかがく科学かがくてき根拠こんきょもとづいて算定さんていされる必要ひつようがあった。

1919ねん制定せいていをみたきゅう都市とし計画けいかくほうではほう適用てきようされる都市とし計画けいかく区域くいき指定していと、耕地こうち整理せいり事業じぎょう手法しゅほう準用じゅんようさだめてどうほう区画くかく整理せいり事業じぎょう位置いちづけたが、1931ねん昭和しょうわ6ねん)の耕地こうち整理せいりほう改正かいせいされ、これによって都市としにおける宅地たくち目的もくてきとした耕地こうち整理せいり禁止きんしされ、きゅう都市とし計画けいかくほう適用てきようされない地域ちいき土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう実施じっしできないこととしていた。この耕地こうち整理せいりほう改正かいせい趣旨しゅしは、耕地こうち整理せいり施行しこう認可にんか地方ちほう長官ちょうかん、つまり道府県どうふけん知事ちじ権限けんげんのう商務省しょうむしょうけん農政のうせいのための補助ほじょきん使用しようして宅地たくちすることは目的もくてきがい使用しようである、ということだったので、ほう改正かいせい事業じぎょうしゃみずからの買収ばいしゅう土地とち宅地たくち耕地こうち整理せいり実施じっしすることがしばしばられた。

1949ねん昭和しょうわ24ねん)に耕地こうち整理せいりほう廃止はいしされ、1954ねん昭和しょうわ29ねん)、現行げんこうの「土地とち区画くかく整理せいりほう」が公布こうふされた。ただしだい3じょうだい4こうで、「きゅう組合くみあいは、前項ぜんこう規定きていによりしん組合くみあいとなろうとする場合ばあいにおいては、総会そうかい議決ぎけつなければならない。この場合ばあいにおいては、総会そうかい議決ぎけつは、だい10じょう規定きていによる改正かいせいまえ都市とし計画けいかくほうだい12じょうだい2こうにおいて準用じゅんようするきゅう耕地こうち整理せいりほう明治めいじ42ねん法律ほうりつだい30ごうだい50じょう条件じょうけんそなえなければならない」としている。

日本にっぽんでは都市とし計画けいかくほう耕地こうち整理せいりほう二人三脚ににんさんきゃく区画くかく整理せいり事業じぎょう施行しこうしてきたが、過去かこには耕地こうち整理せいり農地のうちがわ)と宅地たくち開発かいはつがうまく整合せいごうせずこまっていたようで、現代げんだいでも建設けんせつ農政のうせいじゅう投資とうしをしていると会計検査院かいけいけんさいんから指摘してきけたり、農業のうぎょう投資とうしをしてきたのにかされていないと指摘してきされたりしている。そのこく財源ざいげん実施じっしされる土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうである都市とし改造かいぞう事業じぎょう創設そうせつされる。この事業じぎょうでは地区ちくない公共こうきょう施設しせつ整備せいびとく道路どうろ整備せいび重点じゅうてんがおかれ、1956ねん昭和しょうわ31ねん)から開始かいしされる道路どうろ整備せいびヵ年かねん計画けいかくで、開通かいつう道路どうろ整備せいび力点りきてんかれていく。

制度せいど仕組しく

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土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうは、おおきくけて、都市とし計画けいかくにおける市街地しがいち開発かいはつ事業じぎょうとして位置付いちづ都市とし計画けいかく事業じぎょうとして実施じっしする土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうと、それ以外いがい民間みんかん開発かいはつ行為こういとして都市とし計画けいかくさだめられた規制きせい誘導ゆうどうそくしておこなわれる土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうとがある。

施行しこうしゃ

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土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう施行しこうするもの施行しこうしゃ)は、以下いかとお法定ほうていされている。

  • 民間みんかん施行しこう
    • 宅地たくちについて所有しょゆうけんしくは借地しゃくちけんゆうするもの - 個人こじん施行しこうしゃ
    • 宅地たくちについて所有しょゆうけんしくは借地しゃくちけんゆうするもの同意どういもの - 同意どうい施行しこうしゃ
    • 土地とち区画くかく整理せいり組合くみあい
      土地とち区画くかく整理せいり組合くみあいは、土地とち所有しょゆうしゃまたは借地しゃくちけんしゃ7にん以上いじょうからなり、都道府県とどうふけん知事ちじ認可にんか必要ひつようとする。認可にんかされると、施行しこう区域くいきない宅地たくち所有しょゆうしゃ借地しゃくちけんしゃ登記とうき借地しゃくちけんしゃは、申告しんこくまたは届出とどけでをしたものかぎる)全員ぜんいんがその組合くみあいいんとなる。事業じぎょう施行しこうちゅう組合くみあいいんから所有しょゆうけん取得しゅとくしたもの組合くみあいいんとなる。
      組合くみあいは、事業じぎょうようする経費けいひてるため、知事ちじ認可にんかけずとも賦課ふかきんとして参加さんか組合くみあいいん以外いがい組合くみあいいんたいして金銭きんせん賦課ふか徴収ちょうしゅうすることができる。組合くみあいいん賦課ふかきん納付のうふについて相殺そうさいをもって対抗たいこうすることができない。
    • 土地とち区画くかく整理せいり会社かいしゃ
      土地とち区画くかく整理せいり会社かいしゃは、地権ちけんしゃ民間みんかん事業じぎょうしゃ共同きょうどう設立せつりつする、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう施行しこうしゅたる目的もくてきとした株式会社かぶしきがいしゃであり、都道府県とどうふけん知事ちじ認可にんか必要ひつようとする。2005ねんほう改正かいせいによって施行しこうしゃあらたにさだめられた。
  • 公的こうてき施行しこう

換地かんち計画けいかく

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施行しこうしゃは、施行しこう地区ちくない宅地たくちについて換地かんち処分しょぶんおこなうため、換地かんち計画けいかく(かんちけいかく)において以下いか事項じこうさだめなければならない。施行しこうしゃ個人こじん施行しこうしゃ組合くみあい区画くかく整理せいり会社かいしゃ市町村しちょうそんまたは機構きこうとう場合ばあいは、その換地かんち計画けいかくについて都道府県とどうふけん知事ちじ認可にんかけなければならない。

  • 換地かんち設計せっけい
    • 換地かんちさだめる場合ばあいは、換地かんち従前じゅうぜん宅地たくち位置いち地積ちせき土質どしつ水利すいり利用りようじょうきょう環境かんきょうとう照応しょうおうするようにさだめなければならない(換地かんち照応しょうおう原則げんそく)。
    • この照応しょうおうとは、かくしょ事情じじょう総合そうごう勘案かんあんして、換地かんちとその従前じゅうぜん大体だいたいどういち条件じょうけんにあり、換地かんち相互そうごおおむ公平こうへいさだめられることをいうものと解釈かいしゃくされており、まったくのどういち条件じょうけん換地かんちするという意味いみではない。ここから、照応しょうおうしていれば地積ちせき減少げんしょうすることもありるところから、土地とち区画くかく整理せいりほうじょう明文めいぶん規定きていくともげんすことは可能かのうとされている。
  • かくふで換地かんち明細めいさい
  • かくふでかく権利けんりべつ精算せいさんきん明細めいさい
    • 精算せいさんきんは、従前じゅうぜん宅地たくち換地かんち均衡きんこう精算せいさんする金銭きんせんをいう。宅地たくち所有しょゆうしゃ申出もうしでまたは同意どういがあった場合ばあいには、換地かんち計画けいかくにおいて、その宅地たくち全部ぜんぶまたは一部いちぶについて換地かんちさだめないことができる。
    • 換地かんちさだめるさいに、計算けいさんじょう換地かんち面積めんせき権利けんり地積ちせき)どおりに換地かんち過不足かふそくなく配置はいちすることは技術ぎじゅつてきにはまず不可能ふかのうであり、換地かんち相互そうご多少たしょう均衡きんこうしょうじる。その均衡きんこう是正ぜせいは、実際じっさい換地かんちした土地とち評価ひょうか計算けいさんじょう交付こうふすべき土地とち評価ひょうか金額きんがく換算かんさんした精算せいさんきん徴収ちょうしゅうまたは交付こうふあるいは相殺そうさいによっておこなわれる。
  • 保留ほりゅうその特別とくべつじょうをする土地とち明細めいさい
    • 保留ほりゅうは、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう施行しこう費用ひようてるため、換地かんちとしてさだめない一定いってい土地とちをいう。民間みんかん施行しこうしゃにおいては、規約きやく定款ていかんとうさだめる目的もくてきのために保留ほりゅうもうけることもできる。
  • その国土こくど交通こうつう省令しょうれいさだめる事項じこう

都道府県とどうふけん知事ちじは、換地かんち計画けいかく認可にんか申請しんせいがあった場合ばあいにおいては、申請しんせい手続てつづき換地かんち計画けいかく決定けってい手続てつづきおよ内容ないよう法令ほうれい違反いはんしている場合ばあいや、換地かんち計画けいかく内容ないよう事業じぎょう計画けいかく内容ないよう抵触ていしょくしているとみとめる場合ばあい以外いがいでは、その認可にんかをしなければならない。

認可にんかとう公告こうこく換地かんち処分しょぶん公告こうこくがあるまでは、施行しこう区域くいきないにおいて事業じぎょう施行しこう障害しょうがいとなるおそれのある土地とち形質けいしつ変更へんこう建築けんちくぶつその工作こうさくぶつ新築しんちく改築かいちく増築ぞうちくなどをおこなおうとするものは、国土こくど交通こうつう大臣だいじん施行しこう場合ばあい国土こくど交通こうつう大臣だいじん、その場合ばあい都道府県とどうふけん知事ちじ許可きょかけなければならない。この規制きせいかり換地かんちであっても適用てきようされる。規制きせい違反いはんして建築けんちくされた建築けんちくぶつとうについて、国土こくど交通こうつう大臣だいじんまた都道府県とどうふけん知事ちじはこれらのものたいして相当そうとう期限きげんさだめて原状げんじょう回復かいふくとうめいずることができる。

道路どうろ公園こうえんなどの公共こうきょう施設しせつ整備せいびのために必要ひつよう公共こうきょう用地ようちと、事業じぎょうすために必要ひつよう保留ほりゅうは、地権ちけんしゃから土地とち一部いちぶ提供ていきょうさせることにより確保かくほする。これにより土地とち減少げんしょうすることげん(げんぶ)とぶ(ただし土地とち区画くかく整理せいりほうには、照応しょうおう原則げんそくさだめるのみで、げんという用語ようご自体じたいい)。

げんには、公共こうきょう用地ようちのためのげん公共こうきょうげん)、保留ほりゅうのためのげん保留ほりゅうげん)があり、両者りょうしゃ合計ごうけいしたものを合算がっさんげんぶ。土地とち収用しゅうよう場合ばあいことなり、げんそのものにたいする金銭きんせんによる補償ほしょうはない(精算せいさんきん減価げんか補償ほしょうきんげんそのものにたいするものではない)。これは、事業じぎょうのためにげんされて土地とち評価ひょうか土地とち経済けいざいてき価値かちではなく施行しこうしゃ算出さんしゅつした評価ひょうかてん)が地積ちせき減少げんしょうしたぶんがっても、事業じぎょう完成かんせいによる「土地とち利用りよう増進ぞうしん」があるので、結果けっかとしては事業じぎょうまえおな評価ひょうかとなって財産ざいさんけん侵害しんがいしないというかんがかたによる。

かり換地かんち指定してい

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施行しこうしゃは、換地かんち処分しょぶんおこなまえにおいて、工事こうじまたは換地かんち処分しょぶんおこなうため必要ひつようがある場合ばあいにおいては、施行しこう地区ちくない宅地たくちについてかり換地かんち指定していすることができる。

かり換地かんち指定していしようとする場合ばあい個人こじん施行しこうしゃ従前じゅうぜん宅地たくちおよびかり換地かんちとなるべき宅地たくち所有しょゆうしゃおよびその使用しよう収益しゅうえきけんしゃ同意どういなければならない。組合くみあい総会そうかいとう同意どういなければならない。その施行しこうしゃ土地とち区画くかく整理せいり審議しんぎかい意見いけん必要ひつようがある。

かり換地かんち指定していは、そのかり換地かんちとなるべき土地とち所有しょゆうしゃ従前じゅうぜん宅地たくち所有しょゆうしゃたいし、かり換地かんち位置いち地積ちせき指定してい効力こうりょく発生はっせい通知つうちしておこなう。かり換地かんち指定していされた場合ばあい従前じゅうぜん土地とち使用しよう収益しゅうえきけんしゃは、換地かんち処分しょぶん公告こうこくがあるまでかり換地かんち使用しよう収益しゅうえきができるようになり、従前じゅうぜん土地とち使用しよう収益しゅうえきけんうしなう。しかし、この時点じてんでは従前じゅうぜん宅地たくち所有しょゆうけんうしなうわけではなく、換地かんち処分しょぶん公告こうこくがあるまでは施行しこうしゃ管理かんりする。ここでいう「使用しよう収益しゅうえきけんしゃ」については、地上ちじょうけんえい小作こさくけん賃借ちんしゃくけんしつけんふくまれるが抵当ていとうけんふくまれない。施行しこうしゃ必要ひつようがあるとみとめるときは、かり精算せいさんきん徴収ちょうしゅうまたは交付こうふすることができる。

換地かんち処分しょぶん

編集へんしゅう

土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうによって、従前じゅうぜん宅地たくちあたらしい土地とちえることを換地かんち処分しょぶんという。換地かんち処分しょぶんは、関係かんけい権利けんりしゃ換地かんち計画けいかくにおいてさだめられた関係かんけい事項じこう通知つうちしてするものとする。そのうえで、都道府県とどうふけん知事ちじ(または国土こくど交通こうつう大臣だいじん)が公告こうこくをおこなう。換地かんち処分しょぶんは、別段べつだんさだめがある場合ばあいのぞき、換地かんち計画けいかくかか区域くいき全部ぜんぶについて工事こうじ完了かんりょう遅滞ちたいなくおこなわなければならない。

公告こうこく終了しゅうりょうにおいて、かり換地かんち指定してい効力こうりょく建築けんちく行為こういとう制限せいげん換地かんちさだめなかった従前じゅうぜん宅地たくちそんする権利けんり事業じぎょう施行しこうにより行使こうし利益りえきがなくなった地役ちえきけん消滅しょうめつする。

換地かんち計画けいかくにおいてさだめられた換地かんちはその公告こうこくがあった翌日よくじつから、従前じゅうぜん宅地たくちとみなされ、所有しょゆうけんとう移転いてんし、精算せいさんきん確定かくていする。また、保留ほりゅう施行しこうしゃ取得しゅとくし(換地かんち計画けいかくにおいて取得しゅとく希望きぼうしゃ所有しょゆうけん帰属きぞくさせるむねさだめはできない)、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう施行しこうにより設置せっちされた公共こうきょう施設しせつが、別段べつだんさだめのないかぎりその所在しょざいする市町村しちょうそん管理かんりぞくする。

施行しこうしゃは、換地かんち処分しょぶん公告こうこくがあった場合ばあいにはすぐにそのむねを、換地かんち計画けいかく区域くいき管轄かんかつする登記とうきしょ通知つうちしなければならない。また施行しこうしゃは、事業じぎょう施行しこうによって、施行しこう区域くいきない土地とち建物たてもの変動へんどうがあったときは遅滞ちたいなく、その変動へんどうかか登記とうき申請しんせいまたは嘱託しょくたくしなければならない。公告こうこくであっても、この変動へんどう登記とうきをするまでは、原則げんそくとして施行しこう区域くいきない土地とち建物たてものについてほか登記とうきをすることはできない。

土地とち区画くかく整理せいり事務所じむしょ

編集へんしゅう

事業じぎょう推進すいしん関係かんけい権利けんりしゃ利便りべんせい向上こうじょうはかるために、事業じぎょう施行しこう地区ちくないなどに事業じぎょう期間きかん開設かいせつする事務所じむしょ土地とち区画くかく整理せいりほうだい53じょう昭和しょうわ29ねん法律ほうりつだい119ごう)の規定きていもとづく条例じょうれい施行しこう規程きていは、当該とうがい都道府県とどうふけんまた市町村しちょうそん条例じょうれいさだめる)により、必要ひつよう事項じこう処務しょむかん事務所じむしょ所在地しょざいちとうさだめる。通常つうじょう組合くみあい施行しこう場合ばあい土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう支援しえん業務ぎょうむおこなう。

適用てきようれい

編集へんしゅう

適用てきようれいとして、駅前えきまえ広場ひろばやアクセス道路どうろ整備せいびするもの、山林さんりん農地のうちなどを宅地たくちするもの、既成きせい市街地しがいちないてい利用りよう集約しゅうやくするもの、工場こうじょう閉鎖へいさなどのだい規模きぼ跡地あとち開発かいはつするもの、道路どうろ幅員ふくいんせま既成きせい市街地しがいち再編さいへんしようとするものなどのほか災害さいがい復興ふっこうのために実施じっしされるものがある。

大正たいしょう時代じだいきゅう都市とし計画けいかくほう以来いらい2004ねん平成へいせい16ねんまつまでに、1まん1808の地区ちくで39まん4484 haの事業じぎょうおこなわれている(事業じぎょう施行しこうちゅうふくむ)[1]

災害さいがい復興ふっこうへの適用てきよう

編集へんしゅう

日本にっぽんではだい規模きぼ災害さいがいこうむった地域ちいき災害さいがい復興ふっこう目的もくてきに、公共こうきょう団体だんたい施行しこう中心ちゅうしんとして実施じっしされてきた。たとえば銀座ぎんざ大火たいか1872ねん明治めいじ5ねん))が銀座ぎんざ煉瓦れんががいけん発行はっこうしてぜん焼失しょうしつ地域ちいき買収ばいしゅうし、区画くかく整理せいりおこなったのちきゅう地主じぬしきゅう値段ねだんはらげるという布告ふこく対処たいしょしている。

きゅう都市とし計画けいかくほう制定せいていまでは法的ほうてき制度せいどとして整備せいびされておらず、災害さいがい復興ふっこうにあたっての区画くかく整理せいりも、地元じもと有志ゆうし自治体じちたいなどの任意にんい事業じぎょうである。

1881ねん明治めいじ14ねん4がつ25にち、1785いえ焼失しょうしつするだい火災かさい見舞みまわれた福島ふくしま福島ふくしま大火たいか甚兵衛じんべえ火事かじ)とばれる大火たいか復興ふっこうとして道路どうろ拡幅かくふく工事こうじなどをすすめる市区しく改正かいせい事業じぎょう実施じっしした。工費こうひ7000えん以上いじょうというその費用ひようほとんどを鐸木すずき三郎兵衛さぶろべえ有力ゆうりょくしゃ私財しざいでまかなっている。

明治めいじ初期しょきから北海道ほっかいどう函館はこだて大火たいか相次あいつぎ、「市区しく改正かいせい順序じゅんじょ」をさだめて幅員ふくいん12あいだ(22 m)の大通おおどおりや小路こうじ6あいだ整備せいび沿道えんどうでの石造せきぞう煉瓦れんがみやつこ土蔵どぞう社寺しゃじ移転いてんとう実施じっしし、1879ねん明治めいじ12ねん)12月の大火たいかでも幅員ふくいん20あいだ(36 m)の道路どうろ不燃ふねんへの融資ゆうしとう実施じっししているが以後いご1899ねん明治めいじ32ねん)、1907ねん明治めいじ40ねん)、1913ねん大正たいしょう2ねん)、1916ねん大正たいしょう5ねん)、1921ねん大正たいしょう10ねん)と大火たいかがありそのつど消防しょうぼうりょく強化きょうか防火ぼうか道路どうろ整備せいび沿道えんどう不燃ふねん促進そくしんおこなわれている。1934ねん昭和しょうわ9ねん3月21にち焼失しょうしつ面積めんせき400 ha焼失しょうしつ2まん4186死者ししゃ2716にん火災かさい発生はっせいしたさい北海道庁ほっかいどうちょう内務省ないむしょうは16にち復興ふっこう計画けいかくあん大綱たいこう」を決定けっていする。土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうによる街路がいろ整備せいびはもちろんのこと緑樹りょくじゅたいはば55 m 6路線ろせん直行ちょっこうする36 mはば1路線ろせん)を配置はいちして市街しがい防火ぼうかブロックを形成けいせい要所ようしょ公園こうえん耐火たいか建築けんちくぶつ小学校しょうがっこう)を配置はいちした。路線ろせん沿いの防火ぼうか地区ちく指定してい不燃ふねん促進そくしん消防しょうぼう水利すいり強化きょうか避難ひなん広場ひろばとなる公園こうえん整備せいびなど、体系たいけいだてて防災ぼうさい重視じゅうしした都市とし復興ふっこう計画けいかくした。函館はこだて夜景やけいはこの防火ぼうかたい街路がいろ照明しょうめいひかりおびであるほか、函館はこだて西部せいぶ地区ちく町並まちな形成けいせいされていった。このだい火災かさい惨事さんじからの復興ふっこう道庁どうちょう都市としにかかわる職員しょくいんほとんどと全国ぜんこくからの技術ぎじゅつしゃ応援おうえんながら、実質じっしつ施行しこうしゃになる10の組合くみあい結成けっせい実施じっししていくが、これは、この時点じてんまで事業じぎょう計画けいかく認可にんかすぐの公共こうきょう団体だんたいによる施行しこうみとめられておらず、やむなく組合くみあい施行しこうとしたものである。函館はこだて大火たいか復興ふっこうはある意味いみではそれまでなんとなく大火たいか経験けいけんしていた函館はこだてにとって復興ふっこうそう仕上しあげであり、いわば復興ふっこう文化ぶんかができていたといういいかたもされている。

川越かわごえ1638ねん寛永かんえい15ねん)におこる寛永かんえい大火たいかでこのときに川越かわごえじょう拡張かくちょうし、焼野原やけのはらとなった城下町じょうかまちじゅうまちよん門前もんぜんといわれる城下町じょうかまちわり決定けっていし、行政ぎょうせい区画くかく整理せいりしていた。このため、川越かわごえ大火たいか1893ねん明治めいじ26ねん))では建物たてもの不燃ふねん復興ふっこう対処たいしょでき、今日きょうのまちなみを形成けいせいすることとなる。

1910ねん明治めいじ43ねん)5がつ3にち青森あおもりでは5,000あまり焼失しょうしつし、死者ししゃ26めい負傷ふしょうしゃ160めい甚大じんだい被害ひがいをもたらした火災かさいをきっかけに、火災かさいつよまち建設けんせつする必要ひつようせい認識にんしきされ「青森あおもり建築けんちく取締とりしま規則きそく制定せいていほか市街地しがいち区画くかく整理せいり事業じぎょう実施じっしひろ防火ぼうかもう完成かんせいさせる。1919ねん大正たいしょう8ねん)におきた横浜よこはま大火たいかでは3100焼失しょうしつ市区しく改正かいせい実施じっし道路どうろ拡張かくちょう義捐ぎえんきん市営しえい住宅じゅうたくを74建設けんせつし、被災ひさいしゃ優先ゆうせん入居にゅうきょさせている。

1919ねん大正たいしょう8ねん)、米沢よねざわでおきた米沢よねざわ大火たいかのち区画くかく整理せいり実施じっし現在げんざいのこきちていくら区画くかく整理せいりをするまえっていたため、拡張かくちょうした表通おもてどお白布しろぬの街道かいどうすぐわきつようにち、結果けっかとして現在げんざい城下町じょうかまち風情ふぜいたも景観けいかんゆうする。

1921ねん大正たいしょう10ねん)、消失しょうしつ面積めんせき2まんつぼ戸数こすう604四谷よつや浅草あさくさ地区ちく大火たいか復興ふっこう東京とうきょう施行しこうおこなわれている。四谷よつや事業じぎょう災害さいがい復興ふっこう旧法きゅうほうによる土地とち区画くかく整理せいりもちいられた最初さいしょ事例じれいとされている。

ほかに復興ふっこう事業じぎょうをあげると、関東大震災かんとうだいしんさい(3400 ha)や八戸はちのへ大火たいか(1924ねん大正たいしょう13ねん5月21にち 八戸はちのへまち)、石岡いしおか大火たいか1929ねん昭和しょうわ4ねん3月14にち)、1934ねん昭和しょうわ9ねん)の室戸むろと台風たいふう静岡しずおか大火たいか1940ねん昭和しょうわ15ねん)、100 ha規模きぼ)などがある。1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ発生はっせいした関東大震災かんとうだいしんさいによる甚大じんだい被害ひがい復興ふっこうするため、同年どうねん発布はっぷされた「特別とくべつ都市とし計画けいかくほう」では、帝都ていと復興ふっこう事業じぎょうとして土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうしゅとしてもちいることとした。その各地かくち戦災せんさい復興ふっこう(27900ha)に利用りようされているが、このなかには山手やまてせん主要しゅよう駅前えきまえ広場ひろばほとんどがふくまれている。

1929ねん昭和しょうわ4ねん)の宮城みやぎけんきゅう気仙沼けせんぬままち大火たいかでは895、6.5まんつぼ焼失しょうしつ同年どうねん4がつ旧法きゅうほう適用てきようによる建築けんちくせん設定せっていおこない、これにともな耕地こうち整理せいりほう復興ふっこう区画くかく整理せいり実施じっし1931ねん昭和しょうわ6ねん)、石川いしかわけん山中さんちゅうまち大火たいかでは温泉おんせんがいの852焼失しょうしつし、同年どうねん6がつ建築けんちくせん指定していまち独自どくじ区画くかく整理せいり条例じょうれい制定せいていし、復興ふっこう事業じぎょう実施じっしした。1933ねん昭和しょうわ8ねん)からは旧法きゅうほう改正かいせいともな事業じぎょう適用てきようけ、1935ねん旧法きゅうほうもとづく区画くかく整理せいり事業じぎょうとして追認ついにんされている。1932ねん昭和しょうわ7ねん)5がつ松江まつえでおきた大火たいかでは74まち、800、3.9まんつぼ焼失しょうしつし、組合くみあい施行しこう面積めんせき13ヘクタールの復興ふっこう事業じぎょう実施じっしされ、これが繁華はんかがい東本ひがしほんまちとなる。事業じぎょうくに補助ほじょはなく、負担ふたんした。同年どうねん10がつ石川いしかわけん小松こまつまちでの大火たいかでは、1,100焼失しょうしつ。このため町長ちょうちょう組合くみあいちょうとして組合くみあい施行しこう面積めんせき1.0ヘクタールの復興ふっこう事業じぎょう実施じっしした。1934ねん昭和しょうわ9ねん)に青森あおもりけん脇野沢わきのさわむらでおきた大火たいかでは集落しゅうらく大半たいはん焼失しょうしつし、旧法きゅうほう適用てきようで4.8ヘクタールの事業じぎょう実施じっしした。

1934ねん昭和しょうわ9ねん)の室戸むろと台風たいふうによる被害ひがい復興ふっこうさいしては、1935ねん昭和しょうわ10ねん)4がつさかい施行しこう三宝さんぼう地区ちくとう事業じぎょう面積めんせき135 Ha、同年どうねん5がつ兵庫ひょうごけん尼崎あまがさき施行しこう大庄だいしょう地区ちくが312.9 Haで災害さいがい復旧ふっきゅう臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい造成ぞうせいねてという両者りょうしゃだい規模きぼおこなわれている。防潮ぼうちょうつつみ整備せいび臨海りんかい地盤じばんかさげを同時どうじ実施じっし復興ふっこう事業じぎょう活躍かつやくした技術ぎじゅつしゃは、戦後せんご最大さいだい土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう適用てきようした戦災せんさい復興ふっこう都市とし計画けいかく中核ちゅうかくとして活躍かつやくすることになる。

1938ねん昭和しょうわ13ねん)9がつ富山とやまけん氷見ひみまちでの大火たいかでは1500焼失しょうしつし、まち施行しこう復興ふっこう区画くかく整理せいり事業じぎょう実施じっし、1939ねん昭和しょうわ14ねん)5がつ長野ながのけん上松うえまつまちでの大火たいかでは1000焼失しょうしつし、組合くみあい施行しこう面積めんせき5.5 Haの整理せいり事業じぎょう実施じっししている。

1940ねん昭和しょうわ15ねん1がつ15にち静岡しずおか昼間ひるま大火たいか発生はっせいし、中心ちゅうしんのおよそ100 haが焼失しょうしつした静岡しずおか大火たいかでは、静岡しずおかけん16にちなか内務省ないむしょう関係かんけいしゃ連絡れんらくをとり復興ふっこう着手ちゃくしゅし、1がつ19にち静岡しずおか火災かさい地区ちくバラック建築けんちく規則きそく」により建坪たてつぼ制限せいげんして2がつ2にち都市とし計画けいかく地方ちほう委員いいんかい土地とち区画くかく整理せいり公園こうえん街路がいろ駅前えきまえ広場ひろば防火ぼうかよう水利すいり施設しせつじくとした計画けいかく提案ていあんし、2がつ14にち告示こくじされた。計画けいかくでは恒常こうじょうふう直角ちょっかく方向ほうこうに36mはば幅員ふくいん30m道路どうろ2路線ろせん配置はいちしている。36m道路どうろ中央ちゅうおうはば18mの植樹しょくじゅたい両側りょうがわに9mはば車道しゃどうをとり,植樹しょくじゅたい中央ちゅうおうにははば3m・ふかさ2mの水路すいろ貫流かんりゅうさせたほか市街地しがいち建築けんちくぶつほう緩和かんわをとりやめ防空ぼうくう建築けんちく規則きそく適用てきようして防火ぼうか改修かいしゅう督励とくれいしたほか、墓地ぼち移転いてん上下水道じょうげすいどう電力でんりょくとう復興ふっこう事業じぎょうもあわせておこなわれた。このとき防火ぼうか改修かいしゅうすすめるパンフレット発行はっこう現場げんばでの指導しどう静岡しずおか復興ふっこう建築けんちく奨励しょうれいきん給付きゅうふなどもおこなわれている。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)に岩手いわてけん大船渡おおふなとまちでの火災かさい復興ふっこうまち施行しこう面積めんせき規模きぼ8.9 Haの区画くかく整理せいり実施じっし、1944ねん昭和しょうわ19ねん)におきたみなみ伊勢湾いせわん地方ちほう大津おおつでは尾鷲おわせまちほか5町村ちょうそん復興ふっこう区画くかく整理せいり実施じっししている。

戦後せんごでもだい火災かさいによる被害ひがい復興ふっこうさいしておこなわれている。

1947ねん昭和しょうわ22ねん4がつ20日はつか1140ふんごろ長野ながのけん飯田いいだ市街地しがいち南部なんぶから出火しゅっかし、はる南西なんせいふうのもと罹災りさい面積めんせきやく60haの大火たいかとなった飯田いいだ大火たいかでは、よく21にち早朝そうちょうから復興ふっこうへのみがはじまり、「飯田いいだ火災かさい復興ふっこう都市とし計画けいかく事業じぎょう」が当日とうじつ協議きょうぎにより決定けっていした。それを罹災りさい区域くいき関係かんけい連絡れんらくいん発表はっぴょうし、実施じっし測量そくりょうおこな完了かんりょうしようとしたとき突如とつじょ進駐軍しんちゅうぐん司令しれいから幹線かんせん道路どうろ幅員ふくいん拡張かくちょう指示しじされる。議会ぎかいでは中央ちゅうおうどお2路線ろせん拡張かくちょうと、にしきまちせんなど2路線ろせん道路どうろ後退こうたいをもって了解りょうかいしてもらい、復興ふっこう計画けいかく確定かくてい全面ぜんめんてき土地とち区画くかく整理せいりのほか、段丘だんきゅう突端とったん公園こうえんまた緑地りょくち設置せっちし、さんほん防火ぼうかたい中央ちゅうおう防火ぼうか用水ようすいよう水路すいろならびに貯水ちょすいそう設置せっちする。用水ようすい貯水池ちょすいち整備せいび街路がいろ公園こうえんとう公共こうきょう市街地しがいち面積めんせきの25%程度ていどで劃地のうら界線かいせん連続れんぞくさせはば2mの通路つうろもうけるなどの計画けいかく策定さくていしている。当時とうじ進駐軍しんちゅうぐん支配しはいにあり、計画けいかくどお進行しんこうしたが、有名ゆうめいな「りんご並木なみき街路がいろじゅ」の中学生ちゅうがくせいたちの活動かつどう1952ねん昭和しょうわ27ねん)からはじまる。

1950ねん昭和しょうわ25ねん4がつ13にち1715ふん中心ちゅうしん東端ひがしばた海沿うみぞいの東町ひがしまちなぎさから出火しゅっかした熱海あたみ大火たいかでは温泉おんせんがい中央ちゅうおう10.1haと市役所しやくしょ庁舎ちょうしゃ焼失しょうしつ当時とうじ市長しちょうむね秋月しゅうげつ市会しかい議員ぎいん全員ぜんいんをつれて国会こっかいにいき、大臣だいじんしつりて市議会しぎかいひらくなど苦心くしんして復興ふっこう計画けいかくをつくる。市街地しがいち全体ぜんたい13.7 km2都市とし計画けいかく区域くいきにし、土地とち区画くかく整理せいり罹災りさい区域くいき中心ちゅうしんやく13.2 haと駅前えきまえ地区ちくどう1.0 haに計画けいかくした。かぶと防地ぼうじにTじょう延長えんちょう420mの銀座ぎんざどおりと海岸かいがんどおりを設置せっち道路どうろ中心ちゅうしんより15 mを防火ぼうかたいとし耐火たいか建築けんちく促進そくしんほう適用てきようし、ほとんどの市街地しがいちじゅん防地ぼうじ指定していした。銀座ぎんざどおりは当初とうしょ幅員ふくいんは15m・沿道えんどうじゅん防火ぼうか計画けいかくしたが土産物みやげもの店舗てんぽがい拡幅かくふくへの反対はんたいもあり、幅員ふくいんは9 m・沿道えんどうかぶと防地ぼうじとする。おなねん8がつ1にち熱海あたみ国際こくさい観光かんこう温泉おんせん文化ぶんか都市とし建設けんせつほう」が公布こうふされる。熱海あたみ明治めいじ以降いこう大火たいかはなく戦争せんそうちゅう空襲くうしゅうけなかったためか戦後せんご進駐軍しんちゅうぐん行楽こうらく遊覧ゆうらんきゃくにぎわっていたが、温泉おんせん旅館りょかんなどの木造もくぞう建物たてもの密集みっしゅうしていた。替地かえちがなく道路どうろ拡張かくちょう新設しんせつ予定よていどおりいかなかったことや、火災かさい和風わふう木造もくぞう建築けんちくにこだわりがあったこと、中心ちゅうしん緑地りょくちたい確保かくほできなかったこと、銀座ぎんざどおりが幅員ふくいん9 mでは歩道ほどうもないことなどにより、復興ふっこう部分ぶぶんてき対処たいしょてきであったという意見いけんがある。熱海あたみえき周辺しゅうへんでは2大火たいかによって、復興ふっこう区画くかく整理せいり事業じぎょう駅前えきまえ交通こうつう整備せいびおこなわれている。渋滞じゅうたい交通こうつう麻痺まひし、観光かんこうきゃく地元じもと住民じゅうみん生活せいかつにも支障ししょうきたようになったために熱海あたみモノレール設置せっち計画けいかくされたが実現じつげんしなかった。

1951ねん昭和しょうわ26ねん)には小田原おだわらまんねん地区ちく現在げんざい浜町はまちょうよん丁目ちょうめ)に焼失しょうしつ面積めんせき2.8 haの大火たいかがあり、復興ふっこう対策たいさくとして周辺しゅうへんふくめたまんねん土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう実施じっしされている。1951ねんから4事業じぎょう実施じっししている大館おおだてはそのつどに広範囲こうはんい市街しがい焼失しょうしつ事業じぎょうそう面積めんせきは67ヘクタールにおよぶ。1955ねん昭和しょうわ30ねん)、奄美あまみでは名瀬なぜ市街地しがいち大火たいか契機けいきに、本格ほんかくてき土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうによる市街地しがいち整備せいび実施じっししている。

1952ねん昭和しょうわ27ねん4がつ17にち1455ふん鳥取とっとり最南端さいなんたん鳥取とっとりえきちか南端なんたん市営しえいどうげん温泉おんせん付近ふきんから出火しゅっかしておきた鳥取大とっとりだいでは蒸気じょうき機関きかんしゃ原因げんいんとされ、フェーン現象げんしょうした強風きょうふうにのって市街地しがいちくし罹災りさい面積めんせき50まんつぼ(165ha)という被害ひがいをだしている。よく4がつ18にち15には建設省けんせつしょうから計画けいかく局長きょくちょう以下いか到着とうちゃく鳥取とっとりけん協議きょうぎして「鳥取とっとり火災かさい復興ふっこう対策たいさく要綱ようこう」をさだめている。復興ふっこう計画けいかく方針ほうしん

  1. やく55まんつぼ土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう実施じっし
  2. 若桜わかさ街道かいどうふくろがわ防火ぼうか線路せんろ市内しないを4分割ぶんかつ
  3. 墓地ぼち移転いてんはかえん公園こうえん造成ぞうせい
  4. 官庁かんちょう学校がっこうとう不燃ふねん

などを3かねん事業じぎょうおこなうものとしている。認可にんかまえであったが土地とち区画くかく整理せいりけてすぐさま基本きほん測量そくりょう東京とうきょう測量そくりょう会社かいしゃ発注はっちゅう換地かんち設計せっけいについても兵庫ひょうごけん東京とうきょう会社かいしゃ委託いたく各社かくしゃすうじゅうめい動員どういんして作業さぎょうはいった。大火たいか1週間しゅうかんほどの調査ちょうさ結果けっかをもって、1952ねん昭和しょうわ27ねん4がつ26にちけで都市とし計画けいかく鳥取とっとり地方ちほう審議しんぎかいし、5月2にちには建設けんせつ大臣だいじん告示こくじけん施行しこう命令めいれいされた。その、バラック退きとあとビルの措置そち訴訟そしょうなど苦労くろう多々たたあったとされている。この事業じぎょう有名ゆうめいなのは「防火ぼうか建築けんちくたい」の整備せいびで、街道かいどうかわ市内しないを4ブロックに区画くかくし、沿道えんどう不燃ふねんはかった。これは「耐火たいか建築けんちく促進そくしんほう」による防火ぼうか建築けんちくたい造成ぞうせい事業じぎょうだい1ごうでもあった。鳥取とっとり火災かさい復興ふっこう1943ねん昭和しょうわ18ねん)の鳥取とっとり地震じしん復興ふっこう反省はんせいから円滑えんかつすすんだようである。

1953ねん昭和しょうわ28ねん5月23にち江別えべつ大火たいかは、まち中心ちゅうしん市街地しがいちにおける火災かさいで、焼失しょうしつした住宅じゅうたくわせてやく250罹災りさい人口じんこうやく1,300にんだい惨事さんじとなったため、これを町内ちょうない家屋かおく密集みっしゅう解消かいしょうまち区内くない通路つうろおよ防火ぼうか用水ようすいとう整備せいび防災ぼうさい対処たいしょした市街地しがいち形成けいせい目指めざして復興ふっこう即応そくおうした。復興ふっこう計画けいかくにおいては幹線かんせん街路がいろ避難ひなん広場ひろばそなえた公園こうえんとう適所てきしょ配置はいちし、建設けんせつ大臣だいじん認可にんか自治体じちたい施行しこう土地とち区画くかく整理せいり公告こうこく公共こうきょうげんりつ20.9 %、住宅じゅうたく施行しこう面積めんせき5.0ha、保留ほりゅうげんはおこなわず、そう事業じぎょう850まんえん公共こうきょう用地ようちりつ48.0 %で都市とし計画けいかく決定けってい1955ねん昭和しょうわ30ねん1がつ22にちから、1956ねん昭和しょうわ31ねん)9がつまでに換地かんち処分しょぶん実施じっしし、都市とし計画けいかく道路どうろ0.9 ha(0.7 km)、区画くかく道路どうろ1.4 ha(1.4 km)を整備せいび

1954ねん昭和しょうわ29ねん)、北海道ほっかいどう岩内いわうちまちでは洞爺とうやまる台風たいふうによる強風きょうふうぜん家屋かおくの80 %をうしな岩内いわうち大火たいか見舞みまわれ、火災かさい復興ふっこう区画くかく整理せいりとして137 haを施行しこうした。

1955ねん昭和しょうわ30ねん10月1にち255ふん新潟にいがたけん教育庁きょういくちょう木造もくぞう2かいてから出火しゅっかした新潟にいがた大火たいかでは台風たいふう強風きょうふうにあおられて市街地しがいち5.8まんつぼ(19 ha)が焼失しょうしつした。建設省けんせつしょうは、4めい技官ぎかん派遣はけんし、2にちにはけんをまじえて土地とち区画くかく整理せいりおもにして防火ぼうか建築けんちくたいなどをふく方針ほうしん提起ていきした。3にちには建築けんちく基準きじゅんほう84じょうによる建築けんちく制限せいげんをかけ、4にちには議会ぎかいとう協議きょうぎもへて基本きほん方針ほうしん決定けっていした。土地とち区画くかく整理せいり街路がいろもう整備せいび水路すいろ埋立うめたてによる街路がいろ緑地りょくちたい整備せいびのほか墓地ぼち整理せいりによる公園こうえん確保かくほ防火ぼうか水槽すいそう設置せっちなどの事業じぎょう計画けいかくをたて11月21にちには大臣だいじん認可にんかた。その事業じぎょう展開てんかいされたが紛糾ふんきゅうしたのは墓地ぼち移転いてん公園こうえんで、1957ねん昭和しょうわ32ねん9がつ10日とおか半数はんすう寺院じいん改葬かいそう公告こうこくがだされている。

1956ねん昭和しょうわ31ねん)には昭和しょうわ31ねん台風たいふうだい12ごうフェーン現象げんしょうなどで日本海にほんかいがわ能代のしろ芦原あしはらまち大館おおだて魚津うおづ魚津うおづ大火たいかなど大火たいか相次あいつぎ、いずれも土地とち区画くかくせい事業じぎょうおもとした復興ふっこう迅速じんそくおこなわれた。魚津うおづは1943ねん市街地しがいち西部せいぶでも大火たいか経験けいけんし、中央ちゅうおうどお商店しょうてんがい村木むらき地区ちくは、大火たいか焼失しょうしつしたのちさい整備せいびされたまちである。なお能代のしろは1949ねん昭和しょうわ24ねん)にも83ha焼失しょうしつし、1956ねん昭和しょうわ31ねん)が31.5 haをいた。こののち能代のしろ焼失しょうしつふく土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう推進すいしんした結果けっか今日きょう市街地しがいち面積めんせきのほとんどが基盤きばん整備せいびされたまちになっている。

1957ねん昭和しょうわ32ねん)、新潟にいがたけん分水ぶんすいまちで050ふんごろ九蔵くぞう小路こうじから出火しゅっかおりからの西南せいなん12mの突風とっぷうにあおられひろがり、本町ほんまちさかえまちあさひまち大武おおたけだい部分ぶぶん焦土しょうどした地蔵堂じぞうどう大火たいかでは住宅じゅうたく密集みっしゅうし、水利すいり不便ふべんさ、消火しょうか機械きかい不足ふそく気象きしょう条件じょうけん悪化あっか悪条件あくじょうけんかさなった。このため大火たいかふく きょう土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう認可にんかされ、市街地しがいち道路どうろ整備せいびおこなわれた。

1961ねん昭和しょうわ36ねん)に、放火ほうかによってだい規模きぼ火災かさい発展はってんし1000むね以上いじょう全焼ぜんしょうした青森あおもりけん八戸はちのへ白銀しらかねまち白銀はくぎん大火たいか災害さいがい復興ふっこう目的もくてき区画くかく整理せいり事業じぎょうおこなわれ、現在げんざい区画くかく住所じゅうしょ表示ひょうじとなった。

1965ねん昭和しょうわ40ねん)に伊豆いず大島おおしま大島おおしま大火たいかにより元町もとまちがほぼ全焼ぜんしょう壊滅かいめつ東京とうきょう復興ふっこう事業じぎょうにより区画くかく整理せいりがなされ、近代きんだいてきあたらしいまちとして復興ふっこうたした。

1971ねん昭和しょうわ46ねん)におきた鳥取とっとりえきぜん大火たいかでは、最後さいごまで区画くかく整理せいり事業じぎょう着手ちゃくしゅであった鳥取とっとりえき周辺しゅうへん整理せいり結果けっかてき実施じっしし、ここから市街地しがいち道路どうろ整備せいびえき連続れんぞく立体りったい交差こうさなどがすすめられ、中心ちゅうしん市街地しがいち基盤きばん整備せいび昭和しょうわ50年代ねんだいにはだい部分ぶぶん完了かんりょうする。

1976ねん昭和しょうわ51ねん10月29にち1740ふんごろ酒田さかた繁華はんかがい一角いっかく映画えいがかんから出火しゅっかした酒田さかた大火たいかでは15.2 haが消失しょうしつ残火ざんかがくすぶる31にち早朝そうちょうから市役所しやくしょにおいて建設省けんせつしょう山形やまがたけん酒田さかた都市とし計画けいかくなどが一体いったいとなって復興ふっこう都市とし計画けいかく作業さぎょう開始かいしされ、徹夜てつや作業さぎょうすえ火災かさい3にち11月1にち夜半やはん復興ふっこう都市としづくりの計画けいかく概要がいよう完成かんせいさせた。この復興ふっこう計画けいかく原案げんあん酒田さかた都市とし計画けいかく審議しんぎかい了承りょうしょうをえたあと1週間しゅうかん市民しみん公表こうひょうされた。「防災ぼうさい都市とし建設けんせつ」をめざしたもので、幹線かんせん道路どうろ整備せいび近代きんだいてき魅力みりょくある商店しょうてんがい形成けいせい住宅じゅうたく生活せいかつ環境かんきょう改善かいぜんなどをあげているが全体ぜんたいには土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうをかけ、商店しょうてんがいには商店しょうてんがい近代きんだい事業じぎょう制度せいど利用りようし、建物たてものみちから1.5 m後退こうたいさせ1.5 mぶんひさし市道しどうして歩道ほどうひろくし、全国ぜんこくれいないショッピングモール完成かんせいしたほか、西側にしがわまち面積めんせきやく1.2 ha は市街地しがいちさい開発かいはつとし、1977ねん昭和しょうわ52ねん4がつ21にち準備じゅんび組合くみあい発足ほっそくさせ12月に着工ちゃっこうする。こうして迅速じんそく復興ふっこう都市としづくりがおこなわれたが自動車じどうしゃ普及ふきゅう経済けいざい環境かんきょう変化へんかによって、まもなく中心ちゅうしん商業しょうぎょう不振ふしん郊外こうがいというながれがせている。

また阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいひとし復興ふっこうさいしても土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうおこなわれている。

災害さいがい復興ふっこう以外いがい実施じっしれい

編集へんしゅう
 
静岡しずおかけん袋井ふくろい彦島ひこじまにある案内あんないばん

大阪おおさかでははやくから独自どくじに、1871ねん明治めいじ4ねん)に大阪おおさかれいとして「道路どうろ狭隘きょうあいナラシムラサルけん」にはしはっ市町村しちょうそん連携れんけいして街路がいろ事業じぎょうとして「みちはば整理せいり」を実施じっしし、これは1940ねん昭和しょうわ15ねん)まで継続けいぞくした。また1910ねん明治めいじ43ねん)に施行しこうした府内ふない今宮いまみやだいいち耕地こうち整理せいり事業じぎょうで、日本にっぽん最初さいしょ宅地たくち目的もくてき耕地こうち整理せいり事業じぎょう実施じっしした。耕地こうち整理せいり事業じぎょう自体じたい1870ねん明治めいじ3ねん)に、現在げんざい静岡しずおかけん袋井ふくろいきゅう磐田いわたぐん田原たはらむら彦島ひこじま名倉なくら太郎たろう施行しこうしていたが、のう商務省しょうむしょう耕地こうち整理せいりたい補助ほじょきん交付こうふ開始かいしするのは1908ねん明治めいじ41ねん)からである。そのため埼玉さいたまけんなどは1901ねん明治めいじ34ねん)から独自どくじ補助ほじょきん交付こうふ、これは同年どうねん県内けんない鴻巣こうのすまち常光じょうこうむらにおける耕地こうち整理せいり着工ちゃっこうさせるためで、このときもちいられた方式ほうしき鴻巣こうのすしきばれ以後いご全国ぜんこくてきもちいられた。耕地こうち整理せいりほう1905ねん明治めいじ38ねん)に改正かいせいしかんがい排水はいすい事業じぎょうまで事業じぎょう対象たいしょうひろげるが、1909ねん明治めいじ42ねんほう改正かいせいでは、かんがい排水はいすいしゅ目的もくてきとなっていた。戦前せんぜんではこのほか、広島ひろしまなどはくれで、海軍かいぐん施設しせつ建設けんせつともない、1887ねん明治めいじ20ねん)にくれこう家屋かおく制限せいげんほうという県令けんれい制定せいていしたほか、地元じもとむら市街しがい整理せいりしょうしつらえいんなる人員じんいん設置せっちしたり、市街しがいちく調ちょう規約きやくさだめ、これにもとづいての区画くかく整理せいり1898ねん明治めいじ31ねん)に事業じぎょう完成かんせいをみている。

また、新興しんこう工業こうぎょう都市とし計画けいかくぐん計画けいかく神奈川かながわけん相模原さがみはら事業じぎょう当時とうじ最大さいだい規模きぼ)にさいして、また駅前えきまえとう整備せいび公共こうきょう団体だんたい施行しこうなどは東京とうきょうが、1930ねん昭和しょうわ5ねん)から1943ねん昭和しょうわ18ねん)にかけて、郊外こうがい全域ぜんいき幅員ふくいん8 - 15m、そう延長えんちょう146kmの生活せいかつ道路どうろもう都市とし計画けいかく決定けっていし、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう奨励しょうれいする。これにより郊外こうがい電車でんしゃえき駅前えきまえ広場ひろばふくえき周辺しゅうへん整備せいびや、練馬ねりま平和へいわだい氷川台ひかわだい地区ちくなどにおいてほそ街路がいろもう整備せいびすすんだ。

土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう1919ねん大正たいしょう8ねん制定せいていきゅう都市とし計画けいかくほう法的ほうてき事業じぎょうをみたが、旧法きゅうほうではだい12じょう個人こじん施行しこう組合くみあい施行しこうだい13じょう公共こうきょう団体だんたい施行しこううたわれていた。小栗おぐり忠七ちゅうしち自著じちょ土地とち区画くかく整理せいり歴史れきし法制ほうせい」(いわおまつどう書店しょてん、1935ねん昭和しょうわ10ねん))で、旧法きゅうほう法制ほうせいされて13じょうはつ適用てきよう事業じぎょうは1929ねん昭和しょうわ4ねん認可にんか富山とやま神通川じんづうがわはいがわ跡地あとち区画くかく整理せいりとしている。1883ねん明治めいじ16ねん)、洪水こうずい問題もんだいをきっかけに石川いしかわけんから分離ぶんりして富山とやまけん誕生たんじょう富山とやまでは当時とうじ神通川じんづうがわかわどうひがしおおきく曲折きょくせつして洪水こうずい原因げんいんとなっていたため、1901ねん明治めいじ34ねん)からの神通川じんづうがわの2改修かいしゅうでオランダじん技師ぎしヨハネス・デ・レーケ提案ていあん直線ちょくせん放水ほうすいはば2メートル、ふかさ1.5メートルのほそ水路すいろつくり、洪水こうずいちから土砂どしゃけずあたらしいかわどうつくりだすはせえつ工法こうほうによって建設けんせつした。この工事こうじ結果けっか、1922ねん大正たいしょう11ねんごろ現在げんざいかわどうきゅうはせえつ水路すいろあたらしい神通川じんづうがわとした。しかし、きゅうかわどう富山とやま市街地しがいち分断ぶんだんするかたちのこることとなり、都市とし発展はってんおおきな障害しょうがいとなる。このためさらにけんは1928ねん昭和しょうわ3ねん)、とみがん運河うんが新設しんせつし沿川に工場こうじょう誘致ゆうち運河うんがった土砂どしゃ神通川じんづうがわ跡地あとちててしん市街地しがいち整備せいびのこ土砂どしゃ東岩瀬ひがしいわせこう岸壁がんぺき埠頭ふとう用地ようち整備せいびするといった画期的かっきてき都市とし計画けいかく決定けっていおこな実施じっしした。この事業じぎょう富山とやまけんではじめての都市とし計画けいかく事業じぎょうとして、1930ねん昭和しょうわ5ねん)から建設けんせつおこなわれることとなった。

そのほかは耕地こうち整備せいびおもで、組合くみあい設立せつりつ事業じぎょう実行じっこうしていく。結果けっか事業じぎょう尽力じんりょくした人々ひとびと努力どりょくにより道路どうろ整備せいびされ整然せいぜんとした街並まちなみができていくことになる。組合くみあい土地とち整備せいび所有しょゆうしゃわたすという方法ほうほうおおおこなわれた。

大阪おおさかでは大阪おおさかえきまえやく4haの狭隘きょうあい駅前えきまえ地区ちくにおいて駅前えきまえ広場ひろば造成ぞうせい過小かしょう宅地たくち整理せいりによるビル用地ようち整備せいびおこなわれる。

1937ねん昭和しょうわ12ねん以降いこうになると戦時せんじ体制たいせい国土こくど計画けいかくもとづく地域ちいき開発かいはつ手段しゅだんとして新興しんこう工業こうぎょう都市とし建設けんせつ事業じぎょう駅前えきまえさい開発かいはつ土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうがいっそう活用かつようされ、公共こうきょう団体だんたい施行しこう増加ぞうかしていく。ただし、1954ねん昭和しょうわ29ねん)に「土地とち区画くかく整理せいりほう」が制定せいていされるまえのこうした事業じぎょうでは、きゅう都市とし計画けいかくほうにより耕地こうち整理せいりほう準用じゅんようして土地とち区画くかく整理せいり実施じっししていた。

1949ねん昭和しょうわ24ねん)のシャウプ税制ぜいせい勧告かんこくにより翌年よくねん地方ちほう税法ぜいほう改正かいせいされ、都市とし計画けいかくぜいがいったん廃止はいしされたのち、1956ねん昭和しょうわ31ねん)4がつ地方ちほう税法ぜいほう改正かいせい復活ふっかつしたが固定こてい資産しさんぜいのみに付加ふかされたため徴税ちょうぜい範囲はんいせばまり有力ゆうりょく財源ざいげんとならなくなる。このため、1956ねん昭和しょうわ31ねん)3がつ道路どうろ整備せいび特別とくべつ措置そちほう1958ねん昭和しょうわ33ねん)3がつ道路どうろ整備せいび緊急きんきゅう措置そちほう制度せいどされた揮発きはつぜい道路どうろ整備せいび特別とくべつ会計かいけい都市とし整備せいび有力ゆうりょく財源ざいげんとなった。1957ねん昭和しょうわ32ねん)7がつ建設省けんせつしょう計画けいかく局長きょくちょう通達つうたつ都市とし改造かいぞう事業じぎょうについて」で都市とし改造かいぞう事業じぎょう基本きほん方針ほうしんさだめているが、5ha以上いじょう地区ちくないにおける幅員ふくいん11m以上いじょう街路がいろ整備せいび目的もくてきとして、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう施行しこうされることとなっている。こうして、都市とし改造かいぞう事業じぎょう制定せいていされてからは、1956ねん昭和しょうわ31ねん)にだい阪神国道はんしんこくどう国道こくどう43ごう浜手はまて幹線かんせん整備せいびのために浜手はまて土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう東京とうきょうえき八重洲やえすこう駅前えきまえ広場ひろばのための八重洲やえすこう周辺しゅうへん整備せいび事業じぎょうによる広場ひろば整備せいび開始かいしされている。1957ねん昭和しょうわ32ねん)から博多はかたえき周辺しゅうへん地区ちく名古屋なごやえき西口にしぐち地区ちくなど4地区ちく採用さいようされて以降いこう国費こくひによって道路どうろ整備せいび中心ちゅうしん土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうおこなわれていくことになる。

最近さいきん事業じぎょう動向どうこう

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戦後せんごからバブルまでの土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうは、とく組合くみあい施行しこうにおいては、日本にっぽん高度こうど経済けいざい成長せいちょうという社会しゃかい情勢じょうせいで、純粋じゅんすい事業じぎょう効果こうかよりも社会しゃかい全体ぜんたいインフレーションともな地価ちか上昇じょうしょう依存いぞんした安定あんていした事業じぎょう運営うんえい権利けんりしゃ利益りえき傍受ぼうじゅへの期待きたいからるモチベーションにより発展はってんしてきたとえる。

しかしながら、バブル以降いこうてい成長せいちょうにおいては、デフレーションによる地価ちか下落げらく保留ほりゅう販売はんばい不振ふしん影響えいきょうにより、事業じぎょう採算さいさん確保かくほしづらい状況じょうきょうとなった組合くみあいもあり、経営けいえい破綻はたんおちいったれいもある。これら組合くみあいにおいては、地権ちけんしゃからの賦課ふかきん徴収ちょうしゅうなどの再建さいけんさくられる場合ばあいがあるが、実際じっさい徴収ちょうしゅう困難こんなん場合ばあいおおく、特定とくてい調停ちょうてい民事みんじ再生さいせいなどの法的ほうてき整理せいり申請しんせいした組合くみあいもある。ただし、すべての組合くみあい破綻はたんしているわけではなく、適正てきせい事業じぎょう運営うんえいおこなっている組合くみあい昨今さっこん地価ちか回復かいふく傾向けいこう影響えいきょうにより順調じゅんちょうすすめられている事業じぎょうもまたおおい。いずれにしても、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうとく組合くみあい施行しこう)は、外的がいてき経済けいざい影響えいきょうけやすい収支しゅうし構造こうぞうっているとえ、てい成長せいちょうがた経済けいざい情勢じょうせいにおいて、事業じぎょう仕組しくみを構築こうちくする転換期てんかんきとなっているとかんがえられる。

資産しさん価値かちたいする影響えいきょう

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施行しこうしゃがわからは「げんにより土地とち面積めんせきっても、周辺しゅうへん基盤きばん整備せいびおこなわれて土地とち利用りよう価値かちし、土地とち価格かかく上昇じょうしょうするため、資産しさん価値かち減少げんしょうしない」という説明せつめいがなされる場合ばあいおおい。しかしながら、事業じぎょうがい要因よういんであるデフレーションなどにより、土地とち価格かかく下落げらく結果けっかてき資産しさん価値かち減少げんしょうする場合ばあいがある。一方いっぽう事業じぎょうない要因よういんのみによっても整理せいり宅地たくち全体ぜんたい資産しさん価値かちが、整理せいりまえくらべて減少げんしょうするケースもある(事業じぎょう地価ちか上昇じょうしょう見込みこめない地区ちく場合ばあい)。この場合ばあい土地とち区画くかく整理せいりほうだい109じょう規定きていにより減価げんか補償ほしょうきん支払しはらうことになるが、実務じつむじょう減価げんか補償ほしょうきん整理せいりまえにおいて減価げんか補償ほしょうきん交付こうふすることにえて、宅地たくちさきいする手法しゅほう使つかわれる。さきいすることでかく宅地たくちげん緩和かんわでき、整理せいり宅地たくち資産しさん価値かちが、整理せいりまえより減少げんしょうしないようにできるとかんがえられている。

浜松はままつ上島うえじまえき周辺しゅうへん区画くかく整理せいり訴訟そしょう

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浜松はままつちゅう (げん:中央ちゅうおう)(鈴木すずき康友やすとも市長しちょう)の上島うえじまえき周辺しゅうへん土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうにおいて反対はんたいする地権ちけんしゃ同市どうしたいして事業じぎょう計画けいかく決定けっていしをうったえた行政ぎょうせい訴訟そしょう上告じょうこくしんで、最高裁判所さいこうさいばんしょだい法廷ほうてい2008ねん平成へいせい20ねん9がつ10日とおか土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう事業じぎょう計画けいかく決定けってい行政ぎょうせい処分しょぶんであるとの判決はんけつくだ[3]、「事業じぎょう計画けいかく決定けってい行政ぎょうせい処分しょぶんとみなされず、訴訟そしょうみとめられない」とする1966ねん昭和しょうわ41ねん)の最高裁さいこうさい判例はんれい変更へんこうした。

判例はんれい変更へんこうにより、土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょうたいして早期そうき計画けいかく決定けっていしのうったえをこすことができるため、住民じゅうみん意志いしにより無駄むだ公共こうきょう事業じぎょうめ、早期そうき段階だんかい司法しほう行政ぎょうせいたいするチェック機能きのうはたらかせることができるようになる[4]

ただしこの最高さいこう裁判所さいばんしょ判決はんけつは、訴訟そしょう要件ようけんせいなしとして却下きゃっかした下級かきゅうしん判決はんけつ破棄はきして、実質じっしつてき審理しんりをさせるために1しんもどした判決はんけつであり、当該とうがい都市とし計画けいかく事業じぎょう自体じたい当否とうひ判断はんだんしたものではなく、そのため、市役所しやくしょがわ代表だいひょうしゃとして都市とし計画けいかく部長ぶちょう柴田しばた邦弘くにひろは「粛々しゅくしゅく事業じぎょうをすすめていく」と、事業じぎょう継続けいぞく実施じっし表明ひょうめいした。

その差戻さしもどしだいいちしん静岡しずおか地方裁判所ちほうさいばんしょにおいて2011ねん平成へいせい23ねん)2がつ25にちにあり、地裁ちさい浜松はままつ事業じぎょう計画けいかく決定けってい裁量さいりょうけん逸脱いつだつ濫用らんようしたものではないとし、地権ちけんしゃがわ敗訴はいそしている。

関連かんれんする制度せいど

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土地とち改良かいりょう

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市街地しがいちさい開発かいはつ

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駅前えきまえ密集みっしゅう地域ちいきなどで街並まちなみの整備せいびおこなおうとしても、敷地しきちすで狭小きょうしょうげん困難こんなんだったり、借地しゃくちけんしゃ多数たすう存在そんざいしており、権利けんり関係かんけい複雑ふくざつしている場合ばあいがある。このため、比較的ひかくてき小規模しょうきぼ範囲はんいで、中高層ちゅうこうそうさい開発かいはつビル(施設しせつ建築けんちくぶつ)を建設けんせつし、そのなか権利けんりしゃ入居にゅうきょしてもらうことにより土地とち高度こうど利用りようはかるという制度せいどかんがえられ、市街地しがいち改造かいぞうほう1961ねん昭和しょうわ36ねん))、都市としさい開発かいはつほう1979ねん昭和しょうわ54ねん))が制定せいていされた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 帝都ていと復興ふっこういん計画けいかくきょく、『アディケスほう』(1923ねん11月)のだい13じょうによる。
  2. ^ 日本にっぽん建築けんちく学会がっかいへん近代きんだい日本にっぽん建築けんちくがく発達はったつ』p.1023
  3. ^ 最大さいだいばん平成へいせい20ねん9がつ10日とおか 平成へいせい17(くだりヒ)397
  4. ^ Kyodo News (2008ねん9がつ11にち). “Hamamatsu residents win rezoning challenge”. Japan Times. http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20080911a4.html 2008ねん10がつ12にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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