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コントラ戦争 - Wikipedia

コントラ戦争せんそう(コントラせんそう)とは、1979ねんサンディニスタ革命かくめいによりサンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん政権せいけんにぎったニカラグア共和きょうわこくとそれに反対はんたいするはん政府せいふゲリラコントラあいだ勃発ぼっぱつした内戦ないせんである[1]。この内戦ないせん当時とうじ東西とうざい冷戦れいせん代理だいり戦争せんそうとなり、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくロナルド・レーガン政権せいけんがコントラを支援しえんし、ぎゃくにニカラグア政府せいふにはソビエト連邦れんぽうキューバ味方みかたした[4]。また親米しんべいてきだったホンジュラスエルサルバドルコスタリカグアテマラひとし中米ちゅうべい諸国しょこく自国じこく領内りょうない軍事ぐんじ基地きち提供ていきょうするなどしてコントラを支援しえん[2]。また当時とうじアメリカと対立たいりつしていたイランイスラエルひとしとおしてアメリカに協力きょうりょくしていたこと判明はんめいするなどしている。

コントラ戦争せんそう

コントラのゲリラ兵士へいしたち
戦争せんそう:ニカラグア内戦ないせん[1]
年月日ねんがっぴ1979ねん7がつ19にち1990ねん[1]
場所ばしょ:ニカラグア[1]
結果けっか大統領だいとうりょう選挙せんきょ中道ちゅうどう右派うは連合れんごう当選とうせんサンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん政権せいけんりたこと停戦ていせん[1]
交戦こうせん勢力せいりょく
ニカラグアの旗 ニカラグア
コントラ
指導しどうしゃ指揮しきかん
ニカラグアの旗 ダニエル・オルテガ ニカラグアの旗 アナスタシオ・ソモサ・デバイレ
ニカラグアの旗 ビオレタ・チャモロ
アメリカ合衆国の旗 ロナルド・レーガン
戦力せんりょく
陸軍りくぐん74,000にん
海軍かいぐん1,000にん
空軍くうぐん3,400にん
けい78,400にん[2]
12,000にん-15,000にん[2]
損害そんがい
けい50,000にん以上いじょう犠牲ぎせい[3] けい50,000にん以上いじょう犠牲ぎせい[3]
冷戦れいせん

サンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん(FSLN)政権せいけんは、1934ねんから1979ねんにかけての45年間ねんかんつづいたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく協力きょうりょくてきソモサ親子おやこ2だい3にん独裁どくさい政権せいけん武力ぶりょく闘争とうそう打倒だとうした政権せいけんである。FSLNをソ連それん支援しえんし、コントラをアメリカが支援しえんしたために、冷戦れいせん時代じだいにおけるべい代理だいり戦争せんそうとなった。

米国べいこく外交がいこう

編集へんしゅう

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく政府せいふ20世紀せいき初期しょきから冷戦れいせん時代じだい末期まっきまで、だいさん世界せかい国家こっかにおいて、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく覇権はけん確立かくりつ維持いじ都合つごう傀儡かいらい政権せいけんが(民主みんしゅてき政府せいふ軍事ぐんじ政権せいけんかに関係かんけいなく)革命かくめい打倒だとうされそのくに国民こくみん自身じしんによる政府せいふ樹立じゅりつされた場合ばあいに、直接的ちょくせつてき軍事ぐんじ介入かいにゅう、または当該とうがいこくたいべい協力きょうりょくしゃ利用りようしてクーデター内戦ないせんこさせ、国民こくみん政権せいけん打倒だとうふたた傀儡かいらい政権せいけん樹立じゅりつするといった、覇権はけん主義しゅぎてき介入かいにゅう干渉かんしょうかえしてきた。

とくに「米国べいこく裏庭うらにわ」とばれるラテンアメリカ諸国しょこくたいして介入かいにゅう度合どあいははげしく、メキシコキューバハイチドミニカ共和国どみにかきょうわこくグアテマラエルサルバドルニカラグアコスタリカパナマグレナダコロンビアベネズエラチリなどにたいして、直接的ちょくせつてき間接かんせつてき武力ぶりょく介入かいにゅう干渉かんしょう政策せいさくかえしてきている。とく代表だいひょうてきなものとしてPBSUCCESS作戦さくせんピッグス湾ぴっぐすわん事件じけんドミニカ侵攻しんこうチリ・クーデターグレナダ侵攻しんこうパナマ侵攻しんこうなどがげられる。

アメリカは1912ねんから1933ねんあいだニカラグアをアメリカ海兵かいへいたい占領せんりょうき、ニカラグアをアメリカの中南米ちゅうなんべい覇権はけんシステムにむために、現地げんちのニカラグア保守党ほしゅとう、ニカラグア自由党じゆうとうなどとともにおたが利用りようしつつされつつもアメリカに協力きょうりょくてき政権せいけん樹立じゅりつ統治とうちしていた。

1927ねん、アメリカに協力きょうりょくてき保守党ほしゅとうのディアス政権せいけんたいして自由党じゆうとうぐん護憲ごけん戦争せんそう開始かいしするが、この戦争せんそうはすぐにアメリカ海兵かいへいたいさい上陸じょうりく選挙せんきょ実施じっし条件じょうけん停戦ていせんしてしまった。しかし、海兵かいへいたいがニカラグアに存在そんざいすること自体じたい国辱こくじょくだとかんがえた自由党じゆうとうぐんアウグスト・セサル・サンディーノ将軍しょうぐんは、武装ぶそう解除かいじょせず、そのままやまこもってアメリカ海兵かいへいたいたいするゲリラ戦争せんそう開始かいしした。

サンディーノはアメリカではなく、南米なんべいのABCさん大国たいこくアルゼンチンブラジルチリ)による選挙せんきょ監視かんしもとめたが、これはみのることなく、国土こくど半分はんぶん占領せんりょうするゲリラせんつづけたのち結局けっきょく1933ねん1がつ、おたがいにがないまま世界せかい恐慌きょうこう経済けいざい疲弊ひへい縮小しゅくしょうしたアメリカは、アメリカ子飼こがいのニカラグア国家こっか警備けいびたいをニカラグアにのこし、サンディーノぐん停戦ていせんして撤退てったいした。アメリカ海兵かいへいたい撤退てったいするとゲリラせんわり、サンディーノぐんやまからりてきた。

1934ねん2がつ、アメリカの協力きょうりょくしゃだったアナスタシオ・ソモサ・ガルシア国家こっか警備けいびたい司令しれいかんだまちによりサンディーノを暗殺あんさつ国家こっか警備けいびたいはサンディーノの家族かぞく武装ぶそう民兵みんぺい集団しゅうだん虐殺ぎゃくさつして、ソモサに抵抗ていこうしそうな勢力せいりょく完全かんぜん排除はいじょされた。こうして1979ねんまで45年間ねんかん継続けいぞくするソモサ親子おやこ2だい3にん独裁どくさい体制たいせい樹立じゅりつした。

ソモサ「王朝おうちょう」は米国べいこくうしたてにして、国家こっかおよび国家こっか経済けいざい産出さんしゅつするとみ一族いちぞく私物しぶつし、左翼さよく反対はんたいしゃ服従ふくじゅうしゃ殺害さつがいまたは収監しゅうかんするという形態けいたい独裁どくさい政権せいけんであり、このような独裁どくさいしゃ政権せいけんドミニカ共和国どみにかきょうわこくラファエル・トルヒーヨ、グアテマラのホルヘ・ウビコやエル・サルバドルのマクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネスなど当時とうじ中米ちゅうべいには多数たすうられた。

当然とうぜんこうした政権せいけんは寡頭支配しはいそうのぞいた国民こくみん多数たすう勢力せいりょくからの支持しじはなく、国際こくさい社会しゃかい評価ひょうかくなかったが、近隣きんりん諸国しょこくのそれとちがってニカラグアでは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく国家こっか警備けいびたいというふたつの支持しじ基盤きばん磐石ばんじゃくにしてっていたがゆえらぐことはなかった。だい世界せかい大戦たいせんなかにソモサドイツけいニカラグアじん地主じぬし所有しょゆう接収せっしゅうし、国内こくないだいいち資産しさんになった。こうして資産しさんなどをソモサ一族いちぞくわせると、最終さいしゅうてきにはニカラグアの国民総生産こくみんそうせいさんのおよそ半分はんぶんにもなったという。さらには1949ねんと1955ねん傭兵ようへいぐん隣国りんごくコスタ・リカ侵攻しんこうにも関与かんよしていた。

このような独裁どくさいへの批判ひはんたかまり、1955ねん、アナスタシオ・ソモサ・ガルシアは詩人しじん暗殺あんさつされたが、このように磐石ばんじゃく基盤きばんっていたソモサは、アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの長男ちょうなんルイス・ソモサ・デバイレ権力けんりょく継承けいしょうして大統領だいとうりょう就任しゅうにんした。1949ねんと1955ねんコスタ・リカにニカラグアから傭兵ようへいぐん侵攻しんこうした事件じけんは、じつアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく手先てさきとなったソモサの指示しじにより、ニカラグア国家こっか警備けいびたいうらあやつっていたなどのくろうわさ当時とうじからいくつもながれた。ニカラグアはアメリカにとって中米ちゅうべいもっと磐石ばんじゃくかつ使つかやす手駒てごまとなったのだった。

1960ねん、ソモサ政権せいけん打倒だとうとニカラグアの民主みんしゅとニカラグア経済けいざい産出さんしゅつするとみ付加ふか価値かち国民こくみん還元かんげんすることを目指めざ学生がくせい労働ろうどう組合くみあいなどの勢力せいりょくとくカルロス・フォンセカトマス・ボルヘらが中心ちゅうしんとなってソモサ政権せいけん打倒だとう革命かくめい政権せいけん樹立じゅりつのための勢力せいりょく統合とうごうし、アウグスト・セサル・サンディーノのかんしたサンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん(FSLN)を結成けっせいした。そしてかれらは武装ぶそう闘争とうそう開始かいししたが、この抵抗ていこう運動うんどうはすぐにやぶれてしてしまい、そのサンディニスタはさん分裂ぶんれつした。

しかし、1967ねんルイス・ソモサ・デバイレ病死びょうしし、アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの二男じなんおとうとアナスタシオ・ソモサ・デバイレ権力けんりょく継承けいしょうして大統領だいとうりょうになるとふたたばなしわってきた。ルイスは様々さまざま物事ものごと一部いちぶ自由じゆうし、ルイス時代じだいには経済けいざい拡大かくだいし、福祉ふくし多少たしょう増大ぞうだいするなどあるしゅポプリスモてきなところがあったゆえ国民こくみん支持しじ多少たしょうはあったが、アナスタシオII政治せいじ国家こっか警備けいびたいちから最大限さいだいげん活用かつようした純然じゅんぜんたるちから政治せいじであり、1972ねんマナグアだい地震じしんさい壊滅かいめつした首都しゅとマナグアを再建さいけんするためにぜん世界せかいからあつめられた義捐ぎえんきんを「すべ着服ちゃくふくし、挙句あげく被災ひさいしゃ救助きゅうじょするための国家こっか警備けいびたい略奪りゃくだつくわわるなどの様相ようそうせるといよいよ国民こくみん失望しつぼうめられなくなった。

だいいちニカラグア内戦ないせん

編集へんしゅう

そしてだいいちニカラグア内戦ないせんはじまる。革命かくめい方針ほうしんめぐってさん分裂ぶんれつしていたFSLNは、創始そうししゃのカルロス・フォンセカが1976ねん死亡しぼうすると、トマス・ボルヘダニエル・オルテガエデン・パストラらを中心ちゅうしんひとつにまとまり、国民こくみんてき支持しじによってゲリラ戦争せんそう激化げきかさせた。ソモサ政権せいけん東側ひがしがわ諸国しょこくのみならず、西側にしがわ諸国しょこくからも強烈きょうれつ非難ひなんび、とくにラテンアメリカ諸国しょこくからの非難ひなんはげしいものがあり、パナマからは現職げんしょく閣僚かくりょうがFSLNに合流ごうりゅうしてはんソモサ戦争せんそうくわわった。

1978ねん8がつにはエデン・パストラ司令しれいかんにしたFSLNのコマンドはマナグア国家こっか宮殿きゅうでん占領せんりょうし、仲間なかま釈放しゃくほうとキューバへの亡命ぼうめい身代金みのしろきんにしてっていった。マナグアは一時いちじ解放かいほう同然どうぜんとなり、国民こくみんのサンディニスタへの支持しじあきらかになっていた。

しかし、ソモサはなおも権力けんりょくにしがみつき、国家こっか警備けいびたいもソモサのめいじるままに虐殺ぎゃくさつつづけた。1978ねん9がつにはFSLNの拠点きょてんになったエステリ奪回だっかいするさいに、市内しないのこっていた3,000にんちか市民しみん無差別むさべつ殺害さつがいし(エステリ虐殺ぎゃくさつ)、これがニカラグアのはんソモサ糾合きゅうごうした。

1979ねん6がつ20日はつか、マナグアの路上ろじょうで、白昼はくちゅう堂々どうどう国家こっか警備けいびたいにより、米国べいこくABCテレビビル・スチュアート特派とくはいん暴行ぼうこうされ射殺しゃさつされたまさにその瞬間しゅんかんぜん世界せかいにテレビ放映ほうえいされたことにより、「おや米国べいこく」ニカラグアの実態じったい暴露ばくろされ、つい米国べいこく世論せろんはんソモサにかたむいた(この事件じけんは、ニック・ノルティ主演しゅえんアンダー・ファイア』として映画えいがされている)。

ここに米国べいこくはようやくソモサを見捨みすてて、米州べいしゅう機構きこう(OAS)はソモサ辞職じしょく勧告かんこく提出ていしゅつしたが、それでも米国べいこくはOAS平和へいわ維持いじぐん派遣はけんするあんして「ソモサなきソモサ体制たいせい」の維持いじをはかった。しかしこれもラテンアメリカ諸国しょこく反対はんたいのために失敗しっぱいしたため、FSLNの勝利しょうり目前もくぜんとなり、ついにソモサは自家用じかようマイアミ亡命ぼうめいした。

4まんにん死者ししゃすうじゅうまんにん難民なんみんした内戦ないせんえて、1979ねん7がつ19にち国民こくみん広範こうはん支持しじけたFSLNはついにマナグアに入城にゅうじょうした。ジミー・カーター合衆国がっしゅうこく大統領だいとうりょう人権じんけん外交がいこうしたでソモサを見放みはなし、こうして最大さいだい支援しえんしゃうしなったソモサ政権せいけん滅亡めつぼうした。

ソモサ政権せいけん打倒だとう、FSLNは宗教しゅうきょう勢力せいりょくブルジョワジーなどからなる国家こっか再建さいけん暫定ざんてい政府せいふ国家こっか再建さいけん暫定ざんてい議会ぎかい樹立じゅりつし、ダニエル・オルテガ国家こっか再建さいけん暫定ざんてい議会ぎかい議長ぎちょう就任しゅうにんした。 サンディニスタ政権せいけんしん憲法けんぽう制定せいていし、ソモサ政権せいけん時代じだい国民こくみん利益りえき無視むしした国家こっか私物しぶつ廃止はいしし、民主みんしゅともに、とみ付加ふか価値かち社会しゃかいへのさい分配ぶんぱいと、福祉ふくし社会しゃかい保障ほしょう保健ほけん医療いりょう教育きょういく制度せいど整備せいびによる貧困ひんこん解消かいしょう機会きかい平等びょうどうをめざし、農地のうち改革かいかく地主じぬし小作こさく制度せいど廃止はいしして、地主じぬし保有ほゆうしていた土地とち小作こさくじん分配ぶんぱいし、ソモサ一族いちぞく財産ざいさん完全かんぜん没収ぼっしゅうして国有こくゆうした。外交がいこう政策せいさくではソモサ政権せいけん時代じだい実質じっしつてきなアメリカの傀儡かいらい状態じょうたいから、アメリカもふくめてぜん世界せかい諸国しょこくとの平等びょうどう対等たいとう外交がいこう関係かんけいをめざした。

この革命かくめいイギリスパンク・ロックバンド、ザ・クラッシュあたらしいアルバムに『サンディニスタ!』とづけたように、当初とうしょアメリカをふくぜん世界せかいから祝福しゅくふくされ、こうしてニカラグアはあたらしい国家こっかとしてさいスタートをすことになった。サンディニスタ政権せいけんには様々さまざま困難こんなん直面ちょくめんしており、それまで国家こっかすべてを私物しぶつしていたソモサ王朝おうちょうの43年間ねんかん独裁どくさい支配しはいと、だいいちニカラグア内戦ないせん結果けっかにより、くに産業さんぎょう経済けいざい疲弊ひへい困窮こんきゅうし、くに財産ざいさんはソモサ一族いちぞく収奪しゅうだつされて資産しさん預貯金よちょきんまったく、4まんにん死者ししゃ遺族いぞく負傷ふしょうしゃ亡命ぼうめいしゃ、そしてソモサののこした莫大ばくだい対外たいがい累積るいせき債務さいむだけがのこっている状態じょうたいだった。 こうした状況じょうきょう考慮こうりょして、国家こっか再建さいけんのためにサンディニスタは当初とうしょ同盟どうめい外交がいこう複数ふくすう政党せいとうせい混合こんごう経済けいざい現実げんじつてき目標もくひょうかかげ、この時点じてんではソ連それんやキューバのような全体ぜんたい主義しゅぎ国家こっかになるつもりは毛頭もうとうなく、カーター合衆国がっしゅうこく大統領だいとうりょうもそのつもりで最終さいしゅうてきにソモサとったのだった。

1980ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ

編集へんしゅう

しかし、アメリカでタカロナルド・レーガン合衆国がっしゅうこく大統領だいとうりょうになると状況じょうきょうわってきた。サンディニスタ政権せいけんはレーガンによってそれまで国家こっか再建さいけんのためにけていたアメリカからの経済けいざい援助えんじょめられ、ぎゃく経済けいざい制裁せいさいけたことと、当時とうじ冷戦れいせん末期まっき国際こくさい環境かんきょう考慮こうりょし、ソ連それんキューバひがしヨーロッパ諸国しょこく支援しえんけて革命かくめい政権せいけん政策せいさく目標もくひょう追求ついきゅうしようとした。しかし、このことはレーガンに反共はんきょうのためのたたかいという理念りねんあたえることになる。

コントラ戦争せんそう推移すいい

編集へんしゅう

だいニカラグア内戦ないせん

編集へんしゅう

1980ねんエルサルバドルではサンディニスタ革命かくめい影響えいきょうけてファラブンド・マルティ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん政府せいふぐん内戦ないせんはじまろうとしていたが、レーガンは「エルサルバドル死守ししゅ」をかかげてサンディニスタ政権せいけん打倒だとうし、アメリカにとっての都合つごう親米しんべいてき政権せいけんふたた樹立じゅりつするために、アメリカ中央ちゅうおう情報じょうほうきょく(CIA)を使つかってソモサ政権せいけん残存ざんそん勢力せいりょく、サンディニスタ政権せいけん不満ふまん勢力せいりょくたいして資金しきん武器ぶき供給きょうきゅうして、はん革命かくめい傭兵ようへいぐんコントラ結成けっせいした。

エデン・パストラひきいるFSLNの一部いちぶ組織そしき内部ないぶ対立たいりつによりコントラに合流ごうりゅうし、コントラはサンディニスタ政権せいけん打倒だとうざして革命かくめい政権せいけんたいして武力ぶりょく闘争とうそう仕掛しかけた。コントラはおもニカラグア隣国りんごくホンジュラス中心ちゅうしんにして組織そしきされ、そこにコスタリカからのエデン・パストラの部隊ぶたい民主みんしゅ革命かくめいぐん ARDE)と、ニカラグアの大西洋たいせいようがわモスキート海岸かいがん先住民せんじゅうみんミスキートぞく(MISURASATA)がくわわって、さんかれて出撃しゅつげきした。こうしてアメリカは1989ねん内戦ないせん終結しゅうけつまでおもにホンジュラスのコントラを支援しえんし、操作そうさした。こうした勢力せいりょく訓練くんれんには国内こくないきたな戦争せんそう経験けいけんんでいたアルゼンチン陸軍りくぐんや、さらにはイスラエル国防こくぼうぐんたずさわっていたとされている。

FSLNないでの路線ろせん対立たいりつや、新聞しんぶんしゃラ・プレンサかみビオレータ・チャモロ政権せいけんからり、最初さいしょ国家こっか指導しどうをしたにんうちブルジョワさんにんえて、のこった二人ふたり本来ほんらい軍事ぐんじ部門ぶもんであったはずのFSLNだけになった。また、内戦ないせんすすむにつれて言論げんろん弾圧だんあつや、祖国そこく防衛ぼうえいのための徴兵ちょうへいせいなどもかれ、次第しだいにニカラグア国民こくみんあいだにFSLNに裏切うらぎられたというおもいが蔓延まんえんしてきた。

その一方いっぽうでアメリカはうみ空軍くうぐん使つかってニカラグアにたいして直接ちょくせつてき武力ぶりょく攻撃こうげきかえした。べいぐんは1983ねん9がつから1984ねん4がつあいだプエルト・サンディーノコリント英語えいごばんサン・フアン・デル・スルサン・フアン・デル・ノルテポトシ英語えいごばんにあったニカラグアのしゅ要港ようこう海軍かいぐん基地きち空襲くうしゅうした。

1983ねん10がつ10日とおか太平洋たいへいようがんのコリントこうべいぐん機雷きらい敷設ふせつし、燃料ねんりょう320まんガロンうしなわれた。この作戦さくせんCIA指揮しきされたネイビーシールズによっておこなわれたとされている。

1983ねん7がつメキシコパナマコロンビアベネズエラ大統領だいとうりょうはパナマのコンタドーラ大統領だいとうりょう会議かいぎ開催かいさいし、ニカラグア内戦ないせんグアテマラ内戦ないせんエルサルバドル内戦ないせん終結しゅうけつ協議きょうぎした。このコンタドーラ・グループ協議きょうぎ結論けつろんとして、ちょう大国たいこく直接的ちょくせつてき間接かんせつてき介入かいにゅう干渉かんしょう排除はいじょし、ラテンアメリカ問題もんだい基本きほん原則げんそくとしてはラテンアメリカ自身じしん努力どりょく解決かいけつし、ちょう大国たいこく大国たいこく域外いきがいこくからの支援しえん補助ほじょてき限定げんていてきにすること、戦闘せんとう終結しゅうけつ民兵みんぺい勢力せいりょく武装ぶそう解除かいじょ自国じこく領土りょうどないへの外国がいこく軍隊ぐんたい禁止きんし政府せいふ民兵みんぺい集団しゅうだん対話たいわ和解わかい提案ていあんしたが、ニカラグア内戦ないせん、グアテマラ内戦ないせん、エルサルバドル内戦ないせん終結しゅうけつにはいたらなかった。

1984ねん11月に国連こくれん監視かんしおこなった大統領だいとうりょう選挙せんきょダニエル・オルテガ大統領だいとうりょう当選とうせんした。野党やとうはこの選挙せんきょをボイコットし、実質じっしつてき国民こくみん半数はんすう支持しじることは出来できなかったとはいえ(オルテガの得票とくひょうりつ41%)、この選挙せんきょによりサンディニスタの民主みんしゅてき正当せいとうせい確保かくほされたことになる。しかし、こののち米国べいこくはコントラを援助えんじょして内戦ないせんつづけさせたのである。

1985ねんにコントラの一部いちぶだった大西洋たいせいようがわ先住民せんじゅうみんミスキートぞく部隊ぶたいミスラサタとの停戦ていせんがなされた。これは前年ぜんねんにサンディニスタがミスキートぞく自治じちおこな権利けんり憲法けんぽうみとめたからである。

1985ねん4がつ、メキシコ、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、ブラジルアルゼンチンウルグアイペルー大統領だいとうりょうはコロンビアのカルタヘナ大統領だいとうりょう会議かいぎ開催かいさいし、中米ちゅうべい諸国しょこく内戦ないせん終結しゅうけつ提案ていあんしたが、それでもニカラグア内戦ないせん終結しゅうけつにはいたらなかった。当時とうじ冷戦れいせん末期まっきだったが、冷戦れいせん終結しゅうけつまえであり、米国べいこくソ連それん冷戦れいせん時代じだい最終さいしゅう局面きょくめん勢力せいりょくあらそいをかえし、米国べいこくはコントラを支援しえんし、ソ連それんはサンディニスタを支援しえんした。アンゴラなどのほかおおくの開発途上国かいはつとじょうこく内戦ないせん同様どうように、ニカラグア内戦ないせんもニカラグア国民こくみんだけの戦争せんそうではなく、大国たいこくによって中小ちゅうしょう規模きぼ国家こっかがその勢力せいりょくあらそいのとなるという、べいソの代理だいり戦争せんそうという側面そくめんふくんでいた。

1986ねん2がつ国際司法裁判所こくさいしほうさいばんしょはアメリカがコントラに武器ぶき資金しきん支援しえんして、サンディニスタ政権せいけんたいする武力ぶりょく攻撃こうげきおこなわせていることおよび、アメリカぐんがニカラグアを空襲くうしゅうしたことにたいして、他国たこく国家こっか主権しゅけんたいする侵害しんがい他国たこく内政ないせいたいする強制きょうせいてき干渉かんしょう他国たこくたいする侵略しんりゃくてき武力ぶりょく行使こうし国際こくさい連合れんごう憲章けんしょう違反いはんであると認定にんていし、前記ぜんき侵略しんりゃく介入かいにゅう干渉かんしょう行為こうい即時そくじ停止ていしと120おくドルの賠償金ばいしょうきん支払しはらいをめいじたが、米国べいこく政府せいふ判決はんけつれを拒否きょひした(ニカラグア事件じけん参照さんしょう)。 1986ねん11月、国連こくれん総会そうかい米国べいこくたいして、(拘束こうそくりょくいが)国際司法裁判所こくさいしほうさいばんしょ判決はんけつれるようにもとめる決議けつぎ賛成さんせい94、反対はんたい3、棄権きけん47で採択さいたくした。決議けつぎ反対はんたいひょうとうじたのはアメリカ、イスラエル、エルサルバドル(極右きょくう政権せいけんによる支配しはい)の3ヶ国かこくだけである。

内戦ないせん終結しゅうけつ

編集へんしゅう

1979ねんから継続けいぞくする内戦ないせんおおくの国民こくみん死傷ししょうし、自然しぜん環境かんきょう社会しゃかい資本しほん生活せいかつ基盤きばん破壊はかいされ、くわえてアメリカの経済けいざい制裁せいさいもあり経済けいざい破綻はたんし、ハイパーインフレ発生はっせいし、国家こっか社会しゃかい国民こくみんもサンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせんもコントラも、ニカラグアのだれもがいちじるしく疲弊ひへいし、肉体にくたいてき精神せいしんてき経済けいざいてき社会しゃかいてきえうる限度げんどえ、国家こっか崩壊ほうかい危機きき直面ちょくめんしていた。 その一方いっぽうくるしむ国民こくみん尻目しりめしろベンツまわすなどサンディニスタ幹部かんぶ腐敗ふはい顕在けんざいした。[よう出典しゅってん]

1987ねん8がつ、ニカラグアのだれもが疲弊ひへいし、国家こっか崩壊ほうかい危機きき直面ちょくめんしていた状況じょうきょうで、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドルの大統領だいとうりょうはグアテマラのエスキプラス大統領だいとうりょう会議かいぎ開催かいさいし、ニカラグア内戦ないせん和平わへい停戦ていせん協議きょうぎした。コスタリカアリアス大統領だいとうりょう提案ていあんした和平わへい調停ちょうていにより、サンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん政権せいけんとコントラの戦闘せんとう終結しゅうけつ国民こくみん和解わかい融和ゆうわ、コントラの武装ぶそう解除かいじょとコントラへの支援しえんり、政府せいふぐん軍縮ぐんしゅく民主みんしゅてき選挙せんきょ実施じっし議会ぎかい大統領だいとうりょう選出せんしゅつれるエスキプラス合意ごうい成立せいりつした。

べいソの冷戦れいせん終結しゅうけつし、ソ連それんからサンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせんへの支援しえんも、アメリカからコントラへの支援しえんられ、サンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん政権せいけんとコントラは1989ねん8がつ戦闘せんとう停止ていし内戦ないせん終結しゅうけつした。

内戦ないせん終結しゅうけつ状況じょうきょう

編集へんしゅう

10ねんちかつづいた内戦ないせんはニカラグアにふか傷跡きずあとのこした。それは現在げんざい経済けいざい崩壊ほうかい治安ちあん極端きょくたん悪化あっかとして顕在けんざいしている。膨大ぼうだい犠牲ぎせいえにニカラグアがれたのは、民主みんしゅ主義しゅぎだけだった。

1990ねん2がつ国連こくれん監視かんし大統領だいとうりょう選挙せんきょおこなわれ、国民こくみん野党やとう連合れんごう(UNO)ビオレータ・チャモロ当選とうせんし、1990ねん4がつ大統領だいとうりょう就任しゅうにんした。チャモロ政権せいけん内戦ないせん疲弊ひへいしたインフラ・経済けいざい再建さいけん、ハイパーインフレの終結しゅうけつ実現じつげんした。チャモロ政権せいけん樹立じゅりつにより米国べいこくはようやくニカラグアにたいする経済けいざい制裁せいさいとコントラへの支援しえん解消かいしょうした。

1996ねん11月、大統領だいとうりょう選挙せんきょ立憲りっけん自由党じゆうとう(PLC)のアルノルド・アレマン当選とうせんし、1997ねん1がつ大統領だいとうりょう就任しゅうにんした。アレマン政権せいけん経済けいざい規制きせい緩和かんわ自由じゆう競争きょうそう推進すいしんにより経済けいざい発展はってんざすとともに、サンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせんとの政策せいさく協定きょうていにより憲法けんぽう選挙せんきょほう改正かいせいした。

2001ねん11月、大統領だいとうりょう選挙せんきょ立憲りっけん自由党じゆうとう(PLC)のエンリケ・ボラーニョス当選とうせんし、2002ねん1がつ大統領だいとうりょう就任しゅうにんした。ボラーニョス政権せいけん汚職おしょく摘発てきはつみ、アレマンぜん大統領だいとうりょう逮捕たいほし、アレマンぜん大統領だいとうりょう懲役ちょうえき20ねん判決はんけつけた。2006ねん4がつ、ニカラグアはアメリカ・中米ちゅうべいドミニカ共和国どみにかきょうわこく自由じゆう貿易ぼうえき協定きょうてい(DR-CAFTA)に加盟かめいした。

1990ねんから2006ねんあいだ、サンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせんは3かい大統領だいとうりょう選挙せんきょ(出馬しゅつばしたのはさんかいともダニエル・オルテガだった)では敗北はいぼくしたが、政治せいじ勢力せいりょくとしてほろびたわけではなく、ぐんのトップはオルテガ兄弟きょうだいによって維持いじされ、ニカラグアの政治せいじ勢力せいりょく議会ぎかい野党やとうとして、政権せいけん政策せいさくたいする建設けんせつてき創造そうぞうてき対案たいあん提案ていあんや、個別こべつ政策せいさく分野ぶんやでは政府せいふ協力きょうりょくすることにより、ニカラグアの復興ふっこう努力どりょくし、野党やとうではあったが国民こくみんからの広範こうはん支持しじうしなったわけではなく、国民こくみんからの支持しじもニカラグアの政治せいじたいする影響えいきょうりょく維持いじしていた。

2006ねん11月、大統領だいとうりょう選挙せんきょでサンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせんのダニエル・オルテガが当選とうせんし、2007ねん1がつ就任しゅうにんした。オルテガ政権せいけんは1990ねん以後いご政権せいけん経済けいざい外交がいこう政策せいさく変更へんこうし、貧困ひんこん解消かいしょう貧富ひんぷいちじるしい格差かくさ解消かいしょうざし、ベネズエラ政府せいふチャベス大統領だいとうりょう提唱ていしょうする米州べいしゅうボリーバル代替だいたい統合とうごう構想こうそう(ALBA)への参加さんか表明ひょうめいした。オルテガは、ニカラグアからはもはや富裕ふゆうそうげていくことはなくげていくのは貧困ひんこんだけだとべ、貧困ひんこん撲滅ぼくめつたいする意気込いきごみをかたっている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e ニカラグア内戦ないせん”. コトバンク. 2023ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c (7)ちゅうべい紛争ふんそう”. 外務省がいむしょう (1988ねん). 2023ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  3. ^ a b Ometepe Island, NICARAGUA”. 朝日新聞あさひしんぶん (2010ねん10がつ24にち). 2023ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  4. ^ ニカラグア”. 世界せかいまど. 2023ねん7がつ4にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • アドルフォ・ヒーリー『革命かくめいのニカラグア 過渡かと社会しゃかいとサンディニスタの挑戦ちょうせん柘植つげ書房しょぼうしんしゃ
  • 藤井ふじいみつる『ニカラグアをある革命かくめい内戦ないせん今昔こんじゃく日本にっぽん図書としょ刊行かんこうかい
  • 岡部おかべ広治ひろじ『たたかうニカラグア』しん日本にっぽん出版しゅっぱんしゃ
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  • 相模さがみとり『そりゃないぜ同志どうし(コンパニェーラ) キューバ・ニカラグア・メキシコ革命かくめいたずねて』新風しんぷうしゃ
  • 高橋たかはしひとし『サンディーノ戦記せんき弘文こうぶんどう
  • 滝本たきもと道生みちお中米ちゅうべいゲリラ戦争せんそう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ
  • 福田ふくだゆたか『ラテンアメリカの革命かくめいはん革命かくめい』ありえす書房しょぼう
  • 寿ことぶきさと順平じゅんぺい中米ちゅうべい 干渉かんしょう分断ぶんだん軌跡きせき東洋とうよう書店しょてん
  • 細野ほその昭雄あきお田中たなかだかおそ野井のい茂雄しげお中米ちゅうべい・カリブ危機きき構図こうず 政治せいじ経済けいざい国際こくさい関係かんけい有斐閣ゆうひかく
  • 山本やまもとすすむ中南米ちゅうなんべい ラテン・アメリカの政治せいじ経済けいざい岩波書店いわなみしょてん
  • 後藤ごとう政子まさこしん現代げんだいのラテンアメリカ』時事通信じじつうしん
  • 染田そめだしゅうふじ『ラテンアメリカ 自立じりつへのみち世界せかい思想しそうしゃ
  • グスタボ・アンドラーデ『変動へんどうするラテンアメリカ社会しゃかい うしなわれた10ねん再考さいこうする』いろどりりゅうしゃ
  • 国本くにもと伊代いよ概説がいせつラテンアメリカしん評論ひょうろん
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  • おそ野井のい茂雄しげお田島たじまひさとし田中たなかだか『ラテンアメリカ世界せかいきる』しん評論ひょうろん
  • 加茂かも雄三ゆうぞう『ラテンアメリカ ニュースを現代げんだいから理解りかいする』自由じゆう國民こくみんしゃ
  • 加賀かがよし充洋みつひろ細野ほその昭雄あきお『ラテンアメリカの産業さんぎょう政策せいさく』アジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ
  • 三田みた千代子ちよこ小坂こさかまことゆうおそ野井のい茂雄しげお図説ずせつラテンアメリカ 開発かいはつ軌跡きせき展望てんぼう
  • 堀坂ほりさか浩太郎こうたろう細野ほその昭雄あきお『ラテンアメリカ民営みんえいろん 先駆せんくてき経験けいけん企業きぎょう社会しゃかい変貌へんぼう日本にっぽん評論ひょうろんしゃ
  • 堀坂ほりさか浩太郎こうたろう古田島こたじま秀輔ひですけ細野ほその昭雄あきお『ラテンアメリカ国籍こくせき企業きぎょうろん 変革へんかくだつ民族みんぞく試練しれん日本にっぽん評論ひょうろんしゃ
  • 西島にししま章次しょうじ細野ほその昭雄あきお『ラテンアメリカ経済けいざいろん現代げんだい世界せかい経済けいざい叢書そうしょ)』ミネルみねるァ書房ぁしょぼう
  • 飯島いいじまみどり、堀坂ほりさか浩太郎こうたろう加茂かも雄三ゆうぞう『ラテンアメリカ(国際こくさい情勢じょうせいベーシックシリーズ)』自由じゆう國民こくみんしゃ
  • 大貫おおぬき良夫よしお落合おちあいはじめたい福嶋ふくしま正徳まさのり『ラテン・アメリカを事典じてん平凡社へいぼんしゃ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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