「もののあはれ」のはんあいだ差分さぶん

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2011ねん11月24にち (木)もく 08:30時点じてんにおけるはん

もののあはれ(もののあわれ、のあわれ)とは、平安へいあん時代じだい王朝おうちょう文学ぶんがくじょう重要じゅうよう文学ぶんがくてき美的びてき理念りねんひとつ。おりれ、みみくものごとに触発しょくはつされてしょうずる、しみじみとした情趣じょうしゅ哀愁あいしゅう日常にちじょうからかけはなれた物事ものごと(=もの)に出会であったときしょうずる、しんそこから「ああ(=あはれ)」とおもなにともいがたい感情かんじょう

「もののあはれ」の発見はっけん

江戸えど時代じだい後期こうき国学こくがくしゃほんきょ宣長のりながが、著作ちょさくむらさきぶん要領ようりょう』や『源氏物語げんじものがたりだましょうくし』において提唱ていしょうし、その頂点ちょうてんが『源氏物語げんじものがたり』であると規定きていした。

江戸えど時代じだいには、幕府ばくふ保護ほご奨励しょうれいした儒教じゅきょうからまれた「勧善懲悪かんぜんちょうあく」の概念がいねん浸透しんとうし、過去かこ平安へいあん時代じだい文学ぶんがくたいしても、その概念がいねん前提ぜんていにして議論ぎろんされかたられた時期じきがあった。この理念りねん発見はっけんはそれを否定ひていし、あたらしい視点してんしたことになる。

時代じだいごとの解釈かいしゃく

西行さいぎょう宮廷きゅうてい生活せいかつ文化ぶんかあこがれていたが、一方いっぽうで、「にて つきをあはれと おもひしは かずよりほかの すさびなりけり」とんだ。西行さいぎょうは、人々ひとびとつきときに、「あはれ」とうのを、それは、すさび=ひまつぶしでしかないとだんじ、自然しぜんから縁遠えんどおじんだから、そのようなことくちにするのだと、じん感性かんせいについてこたえている。いわば、現代げんだいうのところの、自然しぜんゆたかな田舎いなか未開みかいて、あはれだとくちずさむ都会人とかいじん心境しんきょうおなじであると解釈かいしゃくできる。この和歌わかからもかるように、平安へいあん時代じだいころから、宮廷きゅうてい人々ひとびとがモノにたいし、あはれとくちずさみ、そのことについて、西行さいぎょう考察こうさつしているさまかる。

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