スーダラぶし

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スーダラぶし
ハナはじめとクレージーキャッツシングル
Aめん スーダラぶし
Bめん こりゃシャクだった
リリース
録音ろくおん 1961ねん7がつ
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょううち[1]
ジャンル 歌謡かようきょく
レーベル 東芝とうしばレコード/東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう
作詞さくし作曲さっきょく 青島あおしま幸男ゆきお作詞さくし
萩原はぎはらあきらあきら作曲さっきょく
ハナはじめとクレージーキャッツ シングル 年表ねんぴょう
-スーダラぶし/こりゃシャクだった
(1961ねん
ドントぶしまんせつ
1962ねん
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全曲ぜんきょく試聴しちょう
植木うえき とう「スーダラぶし」ANALOG RECORD MUSIC - 植木うえきひとし・ハナはじめとクレイジー・キャッツ公式こうしきYouTube

スーダラぶし」(スーダラぶし)は日本にっぽん昭和しょうわ代表だいひょうてき流行りゅうこうである。ハナはじめとクレージーキャッツ、とりわけ植木うえきひとし爆発ばくはつてき人気にんきるきっかけをつくったきょくで、作詞さくし青島あおしま幸男ゆきお作曲さっきょく萩原はぎはらあきらあきらによる。レコードは1961ねん8がつ20日はつか東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょうげんユニバーサル ミュージック合同ごうどう会社かいしゃ)から発売はつばいされた。累計るいけい売上うりあげは80まんまい[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

それまでのレコード制作せいさくレコード会社かいしゃ主導しゅどうだったが、このレコードの原盤げんばん渡辺わたなべプロダクション制作せいさくし、東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう販売はんばいのみ担当たんとうした。芸能げいのうプロがはじめてマスターテープ制作せいさくしたレコードでもある。「いまうインディーズである」(戸井といじゅうがつ[2]

元々もともとは「こりゃシャクだった」のBめんめるためにつくられたきょくであったが、こちらのほうがヒットしてしまい、のちにAめんとBめんえられている[3]。シングルばんのジャケット写真しゃしんには、当時とうじ病気びょうき療養りょうようちゅうであった石橋いしばしエータロー以外いがいの6にんうつっている。このジャケットのデザインは1986ねんの「実年じつねん行進曲こうしんきょく/しんまんせつ」にも引用いんようされ、クレージーのメンバーがオリジナルとおなじポーズをとっている。

作曲さっきょくしゃ萩原はぎはらはステージでの植木うえきのキャラクターにあったきょくづくりのために、まず植木うえき口癖くちぐせでもあった「スイスイスーダララッタ~」のフレーズをメロディーにして、植木うえき承諾しょうだくりつつ、のこりの部分ぶぶんつくった。しかし、非常ひじょう生真面目きまじめ性格せいかく植木うえき青島ちんたおいた歌詞かして、うたうことを躊躇ちゅうちょしたそうだが、浄土真宗じょうどしんしゅう僧侶そうりょであるちち植木うえきとおるまことから「『わかっちゃいるけどやめられない』は人間にんげん矛盾むじゅんをついた真理しんりで、親鸞しんらんおしつうじる」「かならずヒットするぞ」とはげまされた[3][ちゅう 1]

ちちとおり、発売はつばいされるやいなや「スーダラぶし」はだいヒットを記録きろくした(小林こばやし信彦のぶひこは「なぜか名古屋なごやからがついた」とべている[5])。しかし植木うえき自身じしんは「こんながヒットするようではかなしいなぁ」「冗談じょうだんじゃない」「こんなのがヒットするってことは、おれかんがえてる日本にっぽん本物ほんもの日本にっぽんちがうものなのか」とおもなやんでいたと[6]

また、だいヒットをけ、1962ねんには大映だいえいげん角川かどかわ映画えいが)で『スーダラぶし わかっちゃいるけどやめられねえ』が製作せいさくされた。

このほか、1984ねんには朝日あさひ麦酒びーるアサヒビールげんアサヒグループホールディングス)の「アサヒのせい なまとっくり&なまつのだる」のCMソングに起用きようされた。

1990ねん、このうたをメインとした、植木うえきとうおよびクレージーキャッツのヒットメドレー「スーダラ伝説でんせつ」(編曲へんきょく宮川みやがわやすし)が植木うえき歌唱かしょう発売はつばいされ、オリコンチャート最高さいこう10記録きろくするヒットとなる。植木うえき歌手かしゅとしても23ねんぶりに紅白こうはく歌合戦うたがっせん出場しゅつじょうたし、『だい41かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん歌手かしゅべつ視聴しちょうりつ男女だんじょ1となる56.6%(ビデオリサーチ関東かんとう地区ちく調しらべ)を記録きろくした。

うたわれている映画えいが[編集へんしゅう]

メインタイトルとエンディングでうたわれる。メインタイトルでは歌詞かし関係かんけい場面ばめんがバックにうつされ(1:バーのネオンサイン、2:競馬けいば、3:女性じょせいあし)、EDではクレージーがアカペラでうたう。なおメインタイトルでは、サビの部分ぶぶん短縮たんしゅくされている。
下宿げしゅくかえった平均へいきん植木うえき)が、はず馬券ばけんてて、背広せびろなおしながら2ばんうたう。これもサビは短縮たんしゅく
クレージーふんする「荒木あらきプロ」の面々めんめんが、旅行りょこうさき伊豆いずうたう。
犯人はんにんグループの一人ひとり潜伏せんぷくさき建物たてもので1ばんくちずさんでいるが、うた途中とちゅう警察けいさつ確保かくほされる。

これらのほかにも、『サラリーマン清水港しみずこう』『ぞくサラリーマン清水港しみずこう』(双方そうほうとも1962ねん/松林しょうりんそうめぐみ監督かんとく)の冒頭ぼうとう新聞しんぶん配達はいたつじん大沢おおさわ健三郎けんざぶろう)が自転車じてんしゃぎながらこのうたうたっている。

カバー[編集へんしゅう]

スーダラぶし

その

  • pop'n music シリーズ
  • コナミの音楽おんがくゲームシリーズ。家庭かていよう11さくに『スーダラぶし平成へいせいばんラガ&ジャングルMIX)』のタイトルでカバーばん収録しゅうろくされた。どうさく店舗てんぽ購入こうにゅう特典とくてん配布はいふされた非売品ひばいひんCDにロングバージョンが収録しゅうろくされている。また、DANCE 86,

エピソード[編集へんしゅう]

このきょくの2ばんは、競馬けいば大穴おおあなねらうも最終さいしゅうレースまではずれ、ボーナスをスッてしまうという内容ないよう歌詞かしになっている。

1992ねん有馬ありま記念きねん[ちゅう 2]終了しゅうりょう植木うえき中山なかやま競馬けいばじょうひらかれたミニコンサートでこのきょく披露ひろうしたところ、競馬けいばファンがサビの部分ぶぶんだい合唱がっしょうするまでにがったという(通常つうじょう馬券ばけんうために競馬けいばじょうおとずれる競馬けいばファンが、コンサートのような場内じょうないイベントに興味きょうみしめすことはあまりいとされる[14])。

都知事とちじ時代じだい青島ちんたお歌詞かし一部いちぶ漢詩かんしにしたためたしょのこされており、2007ねん追悼ついとうてん一般いっぱん公開こうかいされた[15]

映画えいが[編集へんしゅう]

サラリーマンどんとぶし 気楽きらく稼業かぎょうたもんだ
監督かんとく 弓削ゆげ太郎たろう
脚本きゃくほん 高橋たかはし二三ふみ
原作げんさく 青島あおしま幸男ゆきお
製作せいさく 竹谷たけたに豊一郎とよいちろう(「企画きかく名義めいぎ
出演しゅつえんしゃ 川口かわぐちひろし
川崎かわさき敬三けいぞう
藤原ふじわら礼子あやこ
ハナはじめ
植木うえきひとし
音楽おんがく 萩原はぎはらあきらあきら
主題歌しゅだいか 『スーダラぶし』(植木うえきひとし
撮影さつえい 秋野あきの友宏ともひろ
製作せいさく会社かいしゃ 大映だいえい
公開こうかい 日本の旗1962ねん3月25にち
上映じょうえい時間じかん 69ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本の旗日本語にほんご
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1962ねんうたのヒットを大映だいえいで『スーダラぶし わかっちゃいるけどやめられねえ』が映画えいが製作せいさくされ公開こうかいされた。1962ねん3がつ25にち公開こうかい。カラー・大映だいえいスコープ上映じょうえい時間じかん69ふん

この映画えいがをきっかけに、有給ゆうきゅう休暇きゅうかとうのぞいて毎日まいにち欠勤けっきんしないで出勤しゅっきんしているが、社内しゃない仕事しごとをせずにあそんでいる社員しゃいんす『スーダラ社員しゃいん』という言葉ことばまれた。

キャスト[編集へんしゅう]

スタッフ[編集へんしゅう]

同時どうじ上映じょうえい[編集へんしゅう]

映像えいぞうソフト[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ このエピソードは、植木うえきひとし自身じしん著書ちょしょではことなったかたち紹介しょうかいされており、とおるまこと当初とうしょひとし映画えいが出演しゅつえんなどに冷淡れいたん態度たいどっていたが、映画えいがも『スーダラぶし』もヒットしたのちに、「しろっとして」親鸞しんらんつうじるむねはなしをした、としている。[4]
  2. ^ このときのメジロパーマー皮肉ひにくにも16とうちゅう15ばん人気にんき馬連ばれん315ばい大穴おおあなレース(2021ねん現在げんざいでも有馬ありま記念きねん史上しじょう最高さいこうがくである)であった。ちなみに2ちゃく翌年よくねんジャパンカップせいしたレガシーワールド

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b よみがえ経済けいざい秘史ひし>うたものがたりへん スーダラぶし、『東京とうきょう新聞しんぶん』2015ねん8がつ28にちづけ朝刊ちょうかん
  2. ^ 戸井といじゅうがつ植木うえきとうでん 「わかっちゃいるけどやめられない!」』(小学館しょうがくかんISBN 9784093797795
  3. ^ a b 東京とうきょう新聞しんぶん 2015ねん8がつ4にち夕刊ゆうかん戦前せんぜん戦中せんちゅう戦後せんご70ねん むニッポン」(佐藤さとう利明としあき 連載れんさい
  4. ^ 植木うえきとうゆめいつづけたおとこ おやじてっまこと一代記いちだいき』(2018ねん 筑摩書房ちくましょぼう<ちくま文庫ぶんこ> ISBN 978-4-480-43499-9)pp248-249
  5. ^ 小林こばやし信彦のぶひこ 『新編しんぺん われわれはなぜ映画えいがかんにいるのか』(キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ 2013ねん)より植木うえきとの対談たいだん
  6. ^ NHK教育きょういくテレビで2007ねん4がつ8にち放送ほうそうされた植木うえき追悼ついとう番組ばんぐみ『スーダラ伝説でんせつゆめつづけたおとこ』(元々もともと植木うえき生前せいぜん製作せいさくされたBSハイビジョンの特別とくべつ番組ばんぐみ)での植木うえきのインタビューより
  7. ^ ディスコ スーダラぶし リリース情報じょうほう、Discogs、2022ねん11月13にち閲覧えつらん
  8. ^ “チャラン・ポ・ランタン、エイベックスとメジャー契約けいやく. 音楽おんがくナタリー (株式会社かぶしきがいしゃナターシャ). (2014ねん5がつ9にち). https://natalie.mu/music/news/116299 2019ねん8がつ8にち閲覧えつらん 
  9. ^ 加山かやま雄三ゆうぞう、カバーしゅう植木うえきとうと「スーダラぶし」デュエット”. 音楽おんがくナタリー. (2013ねん7がつ2にち). https://natalie.mu/music/news/94110 2017ねん1がつ1にち閲覧えつらん 
  10. ^ 氷川ひかわきよし「スーダラぶし」カバーふくむニューアルバム発売はつばい. 音楽おんがくナタリー. (2016ねん5がつ25にち). https://natalie.mu/music/news/188334 2016ねん5がつ25にち閲覧えつらん 
  11. ^ はらかい彦さん(V6)、横山よこやまひろしさん(せきジャニ∞)、しゅこし祐也ゆうやさん(NEWS)によるしんユニット「トリオ DE つけひた」登場とうじょう!〜「クノール® カップスープ」しんTVCM「4カウントつけパン」へん、「ほうれんそう DE ひたパン」へん、「トマト DE つけパン」へん2012ねん9がつ22にち)よりスタート!あじもと、2012ねん9がつ19にち
  12. ^ せきジャニ∞そっくりなプレキン∞がうたうプレミアムフライデー応援おうえんソング、本日ほんじつ13よりMV公開こうかい、MUSICMAN-NET、2017ねん9がつ25にち 11:12。
  13. ^ ダウンタウン浜田はまだCDO出演しゅつえん、「出前でまえかんしんTVCM”. プレスリリース・ニュースリリース配信はいしんシェアNo.1|PR TIMES. 2020ねん8がつ10日とおか閲覧えつらん
  14. ^ 須田すだ鷹雄たかお 『「競馬けいばどおり」へのウマ講座こうざ 初級しょきゅうから上級じょうきゅうまでの見栄みえマニュアル』 (ワニブックス)
  15. ^ 20日はつかから青島あおしま幸男ゆきおてん漢詩かんしでスーダラぶし日刊にっかんスポーツ、2007ねん12月20にち
  16. ^ a b c d kinenote.
  17. ^ a b c d スーダラぶし わかっちゃいるけどやめられねぇ”. 角川かどかわ映画えいが. 2016ねん7がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん9がつ9にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]