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ハルポクラテス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
プトレマイオスあさ時代じだい青銅せいどうせいハルポクラテースぞうグルベンキアン財団ざいだんリスボン
イシスとセラーピス子供こどものハルポクラテース。(ルーヴル美術館びじゅつかん
ハルポクラテースの青銅せいどうせいしょうぞう。(アフガニスタン Bagram紀元きげん2世紀せいき
ハルポクラテースがたエロースぞう。(ルーヴル美術館びじゅつかん紀元前きげんぜん100ねんから50ねんごろ)

ハルポクラテース古希こき: Ἁρποκράτης, Harpocratēs)はギリシア神話しんわ沈黙ちんもくかみで、古代こだいエジプトホルスかみをギリシアしたものである。古代こだいエジプトのホルスはまれたての太陽たいよう、すなわち毎日まいにちのぼってくる朝日あさひあらわしていた。アレクサンドロス3せいによってエジプトが征服せいふくされたのちヘレニズムに、エジプトHar-pa-khered または Heru-pa-khered (「子供こどものホルス」の)をギリシアしてハルポクラテースとぶようになった。ちょう母音ぼいん省略しょうりゃくしてハルポクラテスとも表記ひょうきされる。

エジプト神話しんわホルスは、イシスオシリスで、ちちしんオシリスはそのおとうとセトころされたため[1]冥界めいかいおうとなった。ギリシアじんはオシリスをギリシア神話しんわ冥界めいかいかみハーデース同一どういつし、習合しゅうごうかみセラーピスした。

エジプトじん成人せいじんしたホルスを毎日まいにちやみはら太陽たいよう勝利しょうりかみとみなしていた。ハイタカあたま姿すがたえがかれることがおおい。これはタカがたかいところをぶことから太陽たいようしんであるホルスへの生贄いけにえささげられたことに由来ゆらいする。ホルスはセトとたたかって最終さいしゅうてき勝利しょうりし、エジプトの支配しはいしゃとなった。エジプトのファラオ基本きほんてきにホルスのまれわりとなされていた。

エジプトの神殿しんでん中庭なかにわにはワニのうえつ Heru-pa-Khered をえがいた石碑せきひがあり、ばしたへびっていた。Heru-pa-Khered にはいやしと祝福しゅくふくちからがあるとされており、その石碑せきひしたみずめられ、そのみずかる儀式ぎしきおこなわれていた。

紀元きげん前後ぜんこうには古代こだいローマふくめて神秘しんぴ信仰しんこう流行りゅうこうし、イシスやセラーピスとともにホルス信仰しんこうひろまっていった。

ハルポクラテース

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ハルポクラテースは子供こどものホルスであり、毎日まいにちのぼってくる太陽たいよう冬季とうき太陽たいようつよさや植物しょくぶつ芽生めばえを人格じんかくしたかみとされた。エジプトでの子供こどものホルスぞうゆびくちにくわえたはだか少年しょうねんである。ゆびをくわえているのはヒエログリフにおける「子供こども」をあらわ文字もじ由来ゆらいしており、ギリシアやローマにおける「沈黙ちんもく」をあらわすポーズとは無関係むかんけいだった。ギリシアやローマの詩人しじんはこれを誤解ごかいして、ハルポクラテースを沈黙ちんもく秘密ひみつかみとした。誤解ごかいむきっかけとなったのはマルクス・テレンティウス・ウァロDe lingua latina にある Caelumそら)と Terra大地だいち)のこうで、つぎのようにしるされていたためである。

「これらのかみ々はエジプトでセラーピスイシスばれているかみ々と同一どういつだが[2]ゆびをくわえたハルポクラテースは沈黙ちんもくあらわしているようにえる。ラティウムにおける同様どうよう原初げんしょかみ々はサートゥルヌスオプスである」

オウィディウスはイシスをつぎのように描写びょうしゃしている。

「イシスのまゆ三日月みかづきがた角笛つのぶえ金色きんいろかがやはだ花冠かかんをつけ、堂々どうどうとした威厳いげんある優美ゆうびさをたたえている。そのそばには、てるアヌビス、まだら模様もようアピス神聖しんせいブバスティス沈黙ちんもくするためにゆびをくわえたかみがいる」[3]

安価あんかなテラコッタせいハルポクラテースぞう個人こじんたく祭壇さいだんようつくられており、マ帝国まていこく各地かくちつかっている。したがってアウグスティヌスはハルポクラテースぞう姿すがたっていたとおもわれるが、よきキリスト教きりすときょう信者しんじゃとしてエウヘメロスてき神話しんわ解釈かいしゃくをウァロにかえしている。

「そしてセラピスとイシスをまつった神殿しんでんには、ほぼかならゆびくちにくわえ沈黙ちんもくあらわしたようにえるぞうがあった。ウァロはそのように解釈かいしゃくしたが、ひとならぬものであるから人間にんげん同様どうよう解釈かいしゃくすべきではない」[4]

マルティアヌス・カペッラ寓話ぐうわてき著作ちょさく中世ちゅうせいによくまれたが、そのなかで「ゆびくちにくわえた少年しょうねん」についての言及げんきゅうはあるが、そのがハルポクラテースであることはしるしていなかった。そのため、その少年しょうねんクピド解釈かいしゃくされた[5]実際じっさい古代こだいローマにおいてもハルポクラテスがたのクピドぞう写真しゃしん参照さんしょう)がすで存在そんざいしていた。

プルタルコスによれば、ハルポクラテースはイシスの2番目ばんめ息子むすこで、まれつきあし不自由ふじゆうだったという。子供こどものホルスは子供こどもやその母親ははおや特別とくべつ守護神しゅごじんとなった。また、毒蛇どくへびにかまれたさいラーなおしてもらったことから、受難じゅなんのち希望きぼうあらわかみとされた[6]

20世紀せいきにおける参照さんしょう

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1920年代ねんだいから1950年代ねんだいにかけて活躍かつやくしたマルクス兄弟きょうだい1人ひとりハーポ・マルクスについて、グルーチョはそのがハルポクラテースにちなんだものだと冗談じょうだんめかしてかたっている。実際じっさいにはハープを演奏えんそうしていたことからハーポと名乗なのっていた[7]

現代げんだいオカルト主義しゅぎしゃ用法ようほう

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現代げんだいオカルト主義しゅぎでは、ハルポクラテースをグノーシス主義しゅぎむすけている。たとえばアレイスター・クロウリー著書ちょしょにそのような記述きじゅつがある。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ ギリシアじんはセトをテューポーンまたはカオス比定ひていした。(Interpretatio graeca
  2. ^ interpretatio romana による。
  3. ^ オウィディウス、『変身へんしん物語ものがたり』 9:688 - 9:692.
    aut stetit aut visa est. inerant lunaria fronti
    cornua cum spicis nitido flaventibus auro
    et regale decus; cum qua latrator Anubis,
    sanctaque Bubastis, variusque coloribus Apis,
    quique premit vocem digitoque silentia suadet;
    (Metamorphoses on-line)
  4. ^ アウグスティヌス、『かみくに』 XVIII.
  5. ^ Dale Kinney, "Spolia from the Baths of Caracalla in Sta. Maria in Trastevere" The Art Bulletin 68.3 (September 1986:379-397, "Isis and Serapis in medieval mythography" p. 391 note 73.
  6. ^ "Egyptian Mythology", Geraldine Pinch, p. 147, Oxford University Press US, 2004, ISBN 0195170245
  7. ^ Marx, Harpo; Rowland Barber (1988). Harpo Speaks!. New York, NY: Limelight Editions. ISBN 0879100362 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Franz Cumont, The Oriental Religions in Roman Paganism, Dover Publications, 1956.
  • Harry Thurston Peck, Harper's Dictionary of Classical Antiquities, 1898: "Harpocrates."
  • David Sacks, Language Visible: Unraveling the Mystery of the Alphabet, Random House 2003.

外部がいぶリンク

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