ヒッタイト神話しんわ

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着座ちゃくざしたかみ後期こうきヒッタイト帝国ていこく紀元前きげんぜん13世紀せいき

ヒッタイト神話しんわおよびヒッタイト宗教しゅうきょうとは、紀元前きげんぜん1600ねんから紀元前きげんぜん1180ねんにかけて、現在げんざいトルコ中心ちゅうしんとした帝国ていこくきずいたヒッタイトじん宗教しゅうきょうてき信念しんねん実践じっせんである。

ヒッタイトの神話しんわ具現ぐげんした物語ものがたりのほとんどがうしなわれており、ヒッタイトの首都しゅとハットゥシャやそののヒッタイト遺跡いせきから出土しゅつどした石版せきばんなかには、ヒッタイトの宗教しゅうきょうのバランスのとれた見解けんかいあたえる要素ようそけている。このため「せいてんとなる聖典せいてん神学しんがくてき論争ろんそう言説げんせつ個人こじんてき献身けんしんのための補助ほじょてきなものもない」[1]。いくつかの宗教しゅうきょう文書ぶんしょは、わか筆記ひっきしゃ訓練くんれんされ、のこったコーパスの一部いちぶ形成けいせいしており、それらのほとんどは、遺跡いせき最後さいごかれるまえ過去かこすうじゅうねんまえのものである。いくつかのアーカイブがのこっている王権おうけん書記官しょきかん官僚かんりょうであり、今日きょうでは宗教しゅうきょう一部いちぶなされる分野ぶんや王室おうしつ責任せきにん組織そしき維持いじしており、寺院じいん組織そしきカルトてき管理かんり神官しんかん報告ほうこくなどが、現存げんそんするテキストの主要しゅよう部分ぶぶん構成こうせいしていた[2]

ヒッタイトじん神話しんわ理解りかいするには、現存げんそんするいし彫刻ちょうこくくこと、石印せきいんあらわされているイコノロジー解読かいどくすること、寺院じいん平面へいめん解釈かいしゃくすることが重要じゅうようであり、ヒッタイトじんはしばしば、かみ々をあらわフワシせき英語えいごばん使つかってかみ々を崇拝すうはいしていたため、神聖しんせいなものとしてあつかわれていた。かみ々はおおくの場合ばあい、それぞれのしし背中せなかってっている姿すがたえがかれていたり、動物どうぶつ形象けいしょうえがかれていたりしている[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

古代こだいメソポタミアの宗教しゅうきょうもとづいているが、ヒッタイトじんルウィじん宗教しゅうきょうは、さい構築こうちくされたインド・ヨーロッパぞく宗教しゅうきょう顕著けんちょ要素ようそ保持ほじしている。たとえば、かみなりかみであるターハント英語えいごばんと、へびイルルヤンカシュとのかれ対立たいりつは、ヴェーダ神話しんわインドラ宇宙うちゅうへびヴリトラ、または北欧ほくおう神話しんわトールへびヨルムンガンド対立たいりつている。この神話しんわはまた、エジプト神話しんわにおけるラーへびアポフィスあいだ日々ひび闘争とうそうにもている。

ヒッタイト神話しんわはまた、ヒッタイトが位置いちしていたアナトリアちか隣接りんせつする文明ぶんめいであるフルリじん影響えいきょうをより直接的ちょくせつてきけていた。フルリの神話しんわ非常ひじょう密接みっせつ関連かんれんしていたため、オックスフォおっくすふぉド大学どだいがく出版しゅっぱんきょく神話しんわのガイドを公開こうかいし、ヒッタイトとフルリの神話しんわを「ヒッタイト-フルリ」として分類ぶんるいした[4]残念ざんねんながら、ヒッタイトにかんする知識ちしきおおくは、テキストではなく芸術げいじゅつてき情報じょうほうげんからのものであり、このトピックにかんする具体ぐたいてき詳細しょうさい確認かくにんすることは困難こんなんである[5]神話しんわかんするヒッタイトの石版せきばんは、ヒッタイト王国おうこく末期まっきにさかのぼることがおおく、それ以降いこう出典しゅってんはかなりすくない[1]発見はっけんされたヒッタイト文書ぶんしょぐんは「カルト目録もくろく」とばれ、ヒッタイトの神話しんわ実践じっせん日常にちじょう生活せいかつにどのようにふくまれていたかをじょうやく[6]

ヒッタイト神話しんわには、ハッティ、フルリおよびヒッタイトの影響えいきょう混在こんざいしている。メソポタミアカナン影響えいきょうは、フルリの神話しんわとおしてアナトリアの神話しんわはいんだ。ヒッタイトの創造そうぞう神話しんわがどのようなものであったのか、詳細しょうさいはわかっていないが、しん石器せっき時代じだい遺跡いせきであるチャタル・ヒュユクからられている「だい女神めがみ」の概念がいねん関係かんけいがあるとしんじられている。ハッティのははしんがアナトリアのあらしかみ(トール、インドラ、ゼウスなどのほか伝統でんとう同等どうとうかみ々と関係かんけいがあるとかんがえられている)の配偶はいぐうしゃであったのではないかと、学者がくしゃたちは推測すいそくしている[7]

神官しんかん祭儀さいぎ遺跡いせき[編集へんしゅう]

かみ々の世界せかいとと人類じんるい世界せかい密接みっせつむすびつける人物じんぶつヒッタイト王国おうこく時代じだい儀式ぎしきではおう神官しんかんだった。

玄武岩で作られ、骨製の目を持つヒッタイトの神官王の像
ヒッタイトの神官しんかんおうぞう
かみ々、太陽たいようしんあらししんは、おうであるわたし土地とち家庭かていたくしたので、おうであるわたし自分じぶんのために、自分じぶん土地とち家庭かていまもるべきである[8]

ヒッタイトじんは、かみ々をなだめるために定期ていきてき予定よていされた儀式ぎしきおこなわなかったが、わりに困難こんなん時期じきこたえて、または機会きかい見計みはからって儀式ぎしきおこなっていた[1][9]おおくの儀式ぎしき神話しんわもとづいており、しばしば物語ものがたり実演じつえんともなうため、神話しんわ儀式ぎしき密接みっせつ関連かんれんしていた[10]儀式ぎしきおおくは、人間にんげんかみ々のあいだちかさをあらわすために作成さくせいされたピット、とくにクトニオスてきであるか、大地だいち関連かんれんするものでおこなわれた。このタイプのピットの儀式ぎしきは、かれらが冥界めいかいかみ々とまじわり、きている世界せかいかれらを召喚しょうかんしようとしていたので、「くだれいじゅつ」としてられている[9]

ハットゥシャから行軍こうぐん1にち距離きょりにあるアリンナ英語えいごばんまちは、おそらくヒッタイトじん主要しゅよう教団きょうだん中心ちゅうしんであり、dUTU URU Arinna 「アリンナの太陽たいよう女神めがみ」としてられるかれらの主要しゅよう太陽たいようしんだった[11]。カルト目録もくろくつかった記録きろくは、地元じもとのカルトや修行しゅぎょう活発かっぱつであったことをしめしている[6]儀式ぎしき実践じっせんかんする国家こっか基準きじゅんがないため、伝統でんとう地元じもとのカルトの地位ちいえず変化へんかしていた。ちいさな祭儀さいぎ礼拝れいはいさいにはかならずしも神官しんかんおう出席しゅっせき必要ひつようとしなかったので、かみ々を崇拝すうはいするさいには地元じもと場所ばしょほう自由じゆうたかかったが、かみ々とみんたいする義務ぎむであったのでおうかれ土地とちのすべてのカルトサイトと寺院じいん観察かんさつすることをこころがけていた。おう死去しきょすると、おうみんつかえ、忠実ちゅうじつかみ々を崇拝すうはいしたため、神格しんかくされた[1]神官しんかんおうせられた責任せきにん一方いっぽうてきなものではなく、かみ々が適切てきせつ崇拝すうはいされているのであれば、かみ々は人々ひとびとやしなわなければならなかった。かみ々は明白めいはくちからおおくをっていましたが、すべきものからの献身けんしんてき修行しゅぎょう儀式ぎしきがなければ、かみ々は機能きのうすることができなかった。ムルシリ2せいおう農民のうみん生活せいかつくるしくなっていたときに、臣民しんみんわってかみ々に懇願こんがんした。

「ハッティの土地とちはすべてほろびつつあり、あなたがた(かみ々)のために犠のパンとさけ用意よういするものはいなくなっている。かつてかみ々のはたけはたらいていた耕作こうさくしゃくなり、もはやかみ々のはたけはたらいたりったりするひとだれもいなくなった。かみ々の犠のパンを準備じゅんびしていたこなくの女性じょせいくなったため、かれらはもはや犠のパンをつくらない。ひつじうし供物くもつ収穫しゅうかくしていたうしいやひつじいはんでしまい、うしがこいやひつじがこいはからっぽになってしまった。そのため、犠のパン、さけ犠牲ぎせい動物どうぶつられてしまいる。かみ々よ,あなたがたはわたしたちのところにて,わたしたちにつみをなすりつけようとしている[1][12]。」

あきらかに、アリンナのような自然しぜん農業のうぎょう密接みっせつ関係かんけいするかみ々との良好りょうこう関係かんけい維持いじすることが不可欠ふかけつであっただろう。もし尊敬そんけい批判ひはんのバランスがおおきくくずれてしまったら、かみ々のには不評ふひょうであり、すくなくとも不運ふうん収穫しゅうかくむかえる可能かのうせいがある。このような危険きけんせいがあったにもかかわらず、ヒッタイトじんはほとんどが非公式ひこうしき方法ほうほうかみ々とコミュニケーションをとっており、儀式ぎしきともなわず、祭司さいしたすけをりずに、何気なにげないときかみにおねがいをすることがおおかった。ヒッタイトじんはまた、古代こだいエジプトじん方法ほうほうかみとのむすびつきを利用りようし、人間にんげん行動こうどう正当せいとうするためにかみ々の意志いし利用りようした[5]

かみ々とその神話しんわ[編集へんしゅう]

神話しんわじょうもの獅子頭ししがしらおとこゆううしあしおとこ

当時とうじほか王国おうこく同様どうように、ヒッタイトじんは、アイン・ダーラの有名ゆうめい寺院じいんいわわれるメソポタミア女神めがみイシュタルなど、かれらが接触せっしょくしたほか神殿しんでんかみ々をれる習慣しゅうかんがあった。ヒッタイトじんかれ自身じしんの「せんかみ々」に言及げんきゅうし、その驚異きょういてきかず碑文ひぶんしるされているが、今日きょうでは名前なまえだけにすぎない[13]。この多様たようせいは、ヒッタイトじん同化どうかへの抵抗ていこう起因きいんしているとかんがえられている:「おおくのヒッタイトじんまちはそれぞれのあらしかみ々を維持いじし、地元じもとかみ々を単一たんいつ国家こっかてき人物じんぶつあらわれとして特定とくていすることを拒否きょひしていた」とゲイリー・ベックマン英語えいごばん観察かんさつしている[14]多様たようせい間違まちがいなく、ヒッタイトの「帝国ていこくない社会しゃかい政治せいじてきローカリゼーションのレベルの人工じんこうぶつであり、簡単かんたんさい構築こうちくすることはできない。たとえば、ヒッタイトじんは、首都しゅとハットゥシャとサピヌワ英語えいごばんきたにある青銅器せいどうき時代じだいのカルトの中心ちゅうしんであるネリック英語えいごばん[15]が、ハットゥシャでまつられていたアリンナの太陽たいようしんであるウルセム英語えいごばん息子むすこである地元じもとあらしかみとして神聖しんせいであるしんじていた。

カシュカの人々ひとびと英語えいごばんがネリクの自分じぶんたちのものにしてしまったので、ネリクのあらししんのための供物くもつと、ネリクのかみ々のための供物くもつをḪakmiššaのまちハットゥシャに継続けいぞくてきおくつづけているのですが、それはあつパン、さけうしひつじのことをしています[16]

天候てんこうかみは、ネリクのちかくにあるザリヤヌさん同一どういつされ、都市とし農地のうちあめてた。

人々ひとびとなかには、地元じもとひとよりも目立めだ人物じんぶつがおり、タルフントには息子むすこテリピヌむすめイナラ英語えいごばんがいる。イナラはプルリ英語えいごばんはるまつりにかかわる守護神しゅごじんdLAMMA)である。イシャラ英語えいごばんちかいの女神めがみであり、条約じょうやく神聖しんせい証人しょうにんのリストは、ヒッタイトのパンテオンをもっと明確めいかくあらわしているようだが[17]、いくつかのよくられたかみ々は説明せつめいがつかないほど欠落けつらくしている。かれ伴侶はんりょハッティ太陽たいようしんである。このかみ夫婦ふうふは、おそらくハットゥシャの最大さいだい神殿しんでん一対いっついセラ崇拝すうはいされていたとおもわれる[14]

12はしら冥界めいかいかみえがいたハットゥシャの聖域せいいきヤズルカヤのレリーフ

紀元前きげんぜん13世紀せいきには、シンクレティズムけたいくつかの明示めいじてきなジェスチャーが碑文ひぶんあらわれる。女王じょおうであり巫女ふじょであったプドゥヘパは、彼女かのじょ臣民しんみん宗教しゅうきょう組織そしき合理ごうりんだ[18]彼女かのじょ碑文ひぶん

アリンナの太陽たいよう女神めがみよ、わたし女性じょせいよ、あなたはすべての土地とち女王じょおうです!ハッティのでは、アリンナの太陽たいようしん名前なまえをとっていますが、あなたがすぎつくった土地とちかんしては[19]、あなたはヘバト英語えいごばん名前なまえをとっています[20]

クマルビ英語えいごばんはタルフントのちちであり、『クマルビのうた』におけるかれ役割やくわりは、ヘーシオドスかみみつるにおけるクロノス役割やくわり彷彿ほうふつとさせる。ウルリクムミは、ヘシオドスのテュポーン彷彿ほうふつとさせるクマルビのちちであるいし怪物かいぶつである。

ルウィの天候てんこう稲妻いなづまかみピハッサッサ英語えいごばんはギリシャのペガサス起源きげん可能かのうせいがある。混成こんせい動物どうぶつヒッポグリフキマイラなど)の描写びょうしゃは、この時代じだいのアナトリア美術びじゅつ典型てんけいてきなものである。テリピヌの神話しんわでは、農業のうぎょう豊饒ほうじょうかみであるテリピヌの失踪しっそうにより、植物しょくぶつ動物どうぶつ両方りょうほうのすべての繁殖はんしょく失敗しっぱいする。その結果けっかかみ々と人間にんげんあいだ荒廃こうはい絶望ぜつぼうしょうじる。この混乱こんらん荒廃こうはいめるために、かみ々はテリピヌをさがしますが、かれつけることができない。女神めがみハンナハンナ英語えいごばんからおくられたミツバチだけがテリピヌをつけ、ますためにかれす。しかし、これはテリピヌをさらに激怒げきどさせ、かれは「かわながれをそらし、いえこわしてしまう」。結局けっきょく女神めがみカムルセパ英語えいごばんいやしと魔法まほう使つかってテリピヌをかせ、かれいえかえって植生しょくせい豊饒ほうじょう回復かいふくさせる。参考さんこう文献ぶんけんでは、テリピヌのいかりのすべてがなにものもすことのできない冥界めいかい青銅せいどう容器ようきおくられることをいのるのはすべき司祭しさいであるとされている[21]。ヒッタイトじん神話しんわおおくは、問題もんだい広範囲こうはんい影響えいきょうおよぼすため、全員ぜんいんまれるという理由りゆうで、フルキャストの登場とうじょう人物じんぶつ登場とうじょうする。 通常つうじょう解決かいけつさく問題もんだい克服こくふくするために協力きょうりょくすることによってのみつけることができるが、これらはそれほど健全けんぜん倫理りんりてきストーリーではなく、アンサンブルキャストによるよりアクションベースの叙事詩じょじしである。

このプロットのスタイルを反映はんえいしたもうひとつの神話しんわは、「ドラゴンの殺害さつがい」である[5]。この神話しんわは、来年らいねん農業のうぎょう繁栄はんえい祈願きがんしておこなわれた新年しんねん儀式ぎしきあいだ暗唱あんしょうされていた。神話しんわは、「あく勢力せいりょく」をあらわし、たたかいであらしかみかすへび(またはドラゴン)を中心ちゅうしんにしている。女神めがみイナラはへびをだましてころ計画けいかくて、人間にんげんのフパシヤ(Ḫupašiya)にたすけをもとめる。もちろん、フパシヤはなんらかの見返みかえりなしでは支援しえんすることに消極しょうきょくてきであるため、計画けいかく実行じっこうするまえに、かれはイナラとよるともごす。その、イナラはへび招待しょうたいし、一緒いっしょにごちそうをべてへびぱらっわせてフパシヤがへびしばることができるようになりる。そのあらしかみ登場とうじょうし、へびみずか殺害さつがいする。

テリピヌの神話しんわおなじように、人間にんげんかみ々の陰謀いんぼうたすけるために使つかい使つかわれていたが、それはすべきものかみあいだのよくられた関係かんけいをさらに強調きょうちょうしている。すべきもの物語ものがたりなかであまり役割やくわりたしていないが、かれ存在そんざい障害しょうがいというよりはむしろたすけとなっています。また、女神めがみ神話しんわ生活せいかつなかたした役割やくわり強調きょうちょうされている。強力きょうりょくかみ々はたたかいをこしたり、なにのことをしてかく神話しんわ中心ちゅうしんてき問題もんだいこし、その女神めがみたちが後始末あとしまつをして知性ちせいですべてを解決かいけつしていく。残念ざんねんなことに、かれらのたすけによる干渉かんしょうにもかかわらず、自然しぜんは、かみ正常せいじょうせい定着ていちゃくするまえ最後さいごのステップを完了かんりょうするまで、現状げんじょうもどることができない。かれまして任務にんむ再開さいかいするか、ししころすか、またはかれちからのすべてのものをえていることを証明しょうめいするほか行動こうどうをしなければならない。

もともとヒッタイトではなかったかみ々にかんする神話しんわは、しばしば翻案ほんあんされ、同化どうかされた。メソポタミア神話しんわ女神めがみイシュタルは、たようなかみ々との関係かんけい神話しんわ調整ちょうせいつうじてヒッタイトのパンテオンに同化どうかされたおおくの採用さいようされたかみ々のいちはしらだった神話しんわはヒッタイトのカルトの実践じっせんだい部分ぶぶんだったので、イシュタルのちから歴史れきし理解りかいすることは、彼女かのじょ儀式ぎしき呪文じゅもん発展はってん不可欠ふかけつだった[10]。このような微妙びみょう変化へんかは、女神めがみ、すなわちアンジリ英語えいごばんシャウシュカ英語えいごばんゲシュティアンナ英語えいごばん彼女かのじょによる吸収きゅうしゅう密接みっせつむすびつけることによって可能かのうとなった。複数ふくすうほか女神めがみ人格じんかくてき特徴とくちょうつことで、イシュタルのちからは、彼女かのじょ人気にんき同様どうよう成長せいちょうしていった。彼女かのじょ利用りようされた革新かくしんてき方法ほうほうひとつは、メソポタミアの神話しんわのように、冥界めいかいへの彼女かのじょ親和しんわせい利用りようされ、読者どくしゃ利益りえきをもたらし、犠牲ぎせいしゃではなく保護ほごしゃとして彼女かのじょ投影とうえいする方法ほうほうでのアライチュラヒ(Allaiturahhi)のもののような浄化じょうか儀式ぎしき英語えいごばんである。イシュタルの冥界めいかいとの関係かんけいはまた、戦争せんそうせい魔術まじゅつたいする親和しんわせい考慮こうりょした場合ばあいにはとくに、イシュタルを貴重きちょうせいなるかみとした。大地だいち肥沃ひよくさはヒッタイトじんにとってもっと基本きほんてき優先ゆうせん事項じこうの1つであったため、これらの特徴とくちょうわせが彼女かのじょ影響えいきょうりょく大幅おおはばたかめることになった[9][10]。ヒッタイトじんは、彼女かのじょ文化ぶんかでかなり著名ちょめいであることを認識にんしきしており、「彼女かのじょ国際こくさいてき女神めがみとしてあつかう」儀式ぎしき作成さくせいしました[22]彼女かのじょがヒッタイトの目的もくてき使つかわれていたとしても、イシュタルのような外部がいぶかみ々のあいだちがいは尊重そんちょうされていた。

ヒッタイトのかみ々の一覧いちらん[編集へんしゅう]

原典げんてん[23][9][24]

  • アアス(A'as) – 知恵ぢえかみメソポタミアかみエンキからの派生はせい
  • アセルドゥス(Aserdus) – 豊穣ほうじょう女神めがみにしてエルクニルサのつまアシェラからの派生はせい
  • アドゥンタリ(Aduntarri) - うらな地下ちかかみ
  • アヌ(Anu) - 原初げんしょ天空てんくうしん
  • アパリウナス(Apaliunas) – ウィルサのまち守護神しゅごじん
  • アーピ(Āpi) - 地下ちかかみ
  • アムンキ(Amunki) - 地下ちかかみ
  • アラル(Alalu) – 原始げんしてき実体じったい
  • アランザー/アランザハス(Aranzah/Aranzahas) – ティグリスがわ擬人ぎじん
  • アリティ(Arinniti) – 太陽たいよう女神めがみ、おそらくアリンナ太陽たいよう女神めがみ別名べつめい紀元前きげんぜん14世紀せいき後半こうはんムルシリ2せいおうはアリティにとく忠実ちゅうじつだった[25]
  • アリンナの太陽たいよう女神めがみ(The sun goddess of Arinna) - *アルナ(Aruna)、カムルセパのうみ太陽たいようかみ
  • アルマ(Arma) – 目立めだたないつきかみ(ルウィ)
  • アンジリ/エンジリ(Anzili/Enzili – 天候てんこうかみ配偶はいぐうしゃ出産しゅっさんたすけるためにされる

太陽たいよう女神めがみであり、タルフントの配偶はいぐうしゃ

  • イシャラ(Ishara) – 誓約せいやくあい女神めがみ
  • イシュタル(Ištar) – シャウシュカ(Šauška)とおな女神めがみ(メソポタミア)
  • イスタヌ(en:Istanu) – 太陽たいようおよび審判しんぱんかみ(ハッティのエシュタンから)
  • イストゥスタヤとパパヤ(Istustaya and Papaya) – 運命うんめい女神めがみ人生じんせいいとつむぐ(ハッティ)
  • イナラ(Inara) – ステップの野生やせい動物どうぶつ女神めがみ(ハッティ)
  • イルシルラ(Irsirra) – 助産じょさん女神めがみ集団しゅうだん
  • イルピティガ(Irpitiga) - 大地だいちおも、クトニック
  • ウベルリ(Ubelluris) – そら西にしえんかたかついでいる山岳さんがくしん
  • ウリリヤッシス(Uliliyassis) – せいてき不能ふのうのぞちいさなかみ
  • ウルカッテ(Wurrukatte) – せんかみ(ハッティのウルンカッテ)
  • エルクニスラ(Elkunirsa) – 創造そうぞうしんにしてアセルドゥスのおっとエールからの派生はせい
  • エレル(Ellel) – そらかみエリルしん英語えいごばんからの派生はせい誓約せいやく守護しゅごしゃとしてくに条約じょうやくされる[26]
  • カスクー(Kaskuh; Kaškuḫ; Kašku) – がつかみ(フルリの Kuşuh)。ルウィの人々ひとびとからはアルマ英語えいごばんばれた。
  • カムルセパ(Kamrusepa) – いやし、医薬いやくおよび魔術まじゅつ女神めがみ
  • キパ/ケベ(en:KhipKhipa/Khebe) – 守護神しゅごじん
  • クマルビ(Kumarbi) – タルフントのちち(フルリ)
  • クリウィシュナのあらしかみ(Storm god of Kuliwišna)
  • グル・セス(Gul Ses) – 運命うんめい女神めがみモイライおな
  • クルンタ(Kurunta) – 野生やせい動物どうぶつ狩猟しゅりょうかみ牡鹿おじか象徴しょうちょうされる
  • ザシャプーナ(Zašḫapuna) – カシュタマのまち守護神しゅごじん
  • サラ(Sala) – 「やま貴婦人きふじん」、豊作ほうさく農耕のうこう女神めがみとなった
  • ザババ/ザママ(Zababa/Zamama) – せんかみ、おそらくウルカッテの別名べつめい
  • ザリヤヌ(Zaliyanu) – ザリヤヌやま神格しんかく
  • サルマ(Sarruma) – 山岳さんがくかみ、テシュブとヘバトの息子むすこひょう関連かんれん*サンダス(Sandas) – 獅子しししん
  • サリッサの天候てんこうかみ(The weather god of Šarišša) – 天候てんこうしん

けられている(フルリ)

  • ジッパランダの天候てんこうしんWeather god of Zippalanda
  • シャウシュカ(Šauška) – 豊穣ほうじょう戦争せんそういやしのの女神めがみ(フルリ)
  • ジャルリ(Jarri) – やくわざわい疫病えきびょうかみ、「ゆみあるじ
  • シュワリヤト(Šuwaliyat) – テシュブの兄弟きょうだい戦士せんしあらしかみ
  • ジントゥーヒ(Zintuḫi) – メズラのむすめ
  • ズッキ(Zukki) – 子供こども出生しゅっしょうたすける、アンジリと関連付かんれんづけられている
  • ステク(Sutekh) – 天候てんこうかみ、おそらくテシュブの別名べつめい
  • ズルキ(Zulki) - ゆめ翻訳ほんやくしゃ、クトニック
  • 大地だいち太陽たいよう女神めがみSun goddess of the Earth) – 地下ちか世界せかい女神めがみ地上ちじょうのすべてのあく不純ふじゅんやまいみなもと
  • タシュミシュ(Tašmišu) – あらし疫病えきびょうおよびせんかみ
  • タラワ(Tarawa) – 育児いくじ女神めがみ集団しゅうだん
  • タルフンナ(en:Tarḫunna) – 天候てんこうかみ(ヒッタイト)
  • タルフント(Tarhunt) – かみなりかみ(ルウィ)
  • タル(Taru) – 天候てんこうしん(ハッティ)
  • ティラ(Tilla) – おすうしかみ天候てんこうしんテシュブのびとけんもの(フルリ)
  • テシミ/タシメット(Tešimi/Tasimmet) – 「王宮おうきゅう貴婦人きふじん」、天候てんこうしんつま
  • テシュブ(Teshub) – そら天候てんこうおよびあらしかみ(フルリ)
  • テリピヌ(Telipinu) – 耕作こうさくかみ(ハッティ)
  • 天空てんくう太陽たいようかみSun god of Heaven) – 太陽たいようかみ
  • ナムシャラ(Namšarā) - クトニック
  • ナラ(Narā) - クトニック
  • ネリクの天候てんこうしんWeather god of Nerik
  • ハサメリ(Hasameli) – 金属きんぞく加工かこうしゃ職人しょくにんかみ(ハッティ)
  • ハッジ(Hazzi) – さん天候てんこうかみ(フルリ)
  • ハテプナ(Hatepuna) – うみむすめ(ハッティ)
  • ハパンタリ(Hapantali) – 田園でんえん女神めがみ
  • ハルキ(Halki) – 穀物こくもつかみ
  • ハンナハンナ(Hannahannah ) – ははなる女神めがみ(フルリ)
  • ハンワスイト(Hanwasuit) – 支配しはいけん女神めがみ英語えいごばん
  • ピハサッサ(Pihassassa) – 天候てんこう稲光いなびかりかみ(ルウィ)
  • ピルワ/ペルワ(Pirwa/Peruwa) – 不確ふたしかな自然しぜんかみうま関連付かんれんづけられている
  • フッテルルルラ(Huttellurra) – 助産じょさん女神めがみ集団しゅうだん
  • ミヤタンジパ(Miyatanzipa) – サンザシのしたすわテリピヌ帰還きかんかみ々のいちはしら
  • ミンキ - クトニック
  • メズラ(Mezulla) – アリンナの太陽たいよう女神めがみむすめ(ハッティ)
  • ルンダス(Rundas) – 狩猟しゅりょう幸運こううんかみわし象徴しょうちょうされる
  • レルワニ(Lelwani) – 地下ちか世界せかいかみ、もともとは男神おかみだったが、のちに女神めがみとなった(ハッティ?)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e Gary Beckman, "The Religion of the Hittites", The Biblical Archaeologist 52.2/3, (June - September 1989:98-108) noting E. Laroche, Catalogue des textes hittites 1971, and K. Bittel, Hattusa, the Capital of the Hittites, 1970.
  2. ^ J. G. Macqueen, '"Hattian Mythology and Hittite Monarchy'", Anatolian Studies (1959).
  3. ^ R.Lebrun, "Le zoomorphisme dans la religion hittite," L'Animal, l'homme, le dieu dans le Proche-Orient ancien, (Leuven) 1985:95-103, noted in Beckman 1989.
  4. ^ Leeming, David. "Hittite-Hurrian Mythology." The Oxford Companion to World Mythology. Oxford: Oxford University Press, 2005. 185-7.
  5. ^ a b c Ünal, Ahmet. "The Power of Narrative in Hittite Literature." Across the Anatolian Plateau. Boston, MA: American Schools of Oriental Research, 2001. 99-121.
  6. ^ a b Cammarosano, Michele. "Hittite Cult Inventories — Part One: The Hittite Cult Inventories as Textual Genre." Die Welt Des Orients 43, no. 1 (2013): 63-105.
  7. ^ Leeming, David A.. Creation Myths of the World. p. 39 
  8. ^ Quoted in Beckman 1985:101.
  9. ^ a b c d Collins, Billie Jean. "Necromancy, Fertility, and the Dark Earth: The Use of Ritual Pits in Hittite Cult." In Magic and Ritual in the Ancient World, Edited by Paul Mirecki and Marvin Meyer, 224-241. Leiden, Netherlands: Brill, 2002.
  10. ^ a b c Bachvarova, Mary R. "Adapting Mesopotamian Myth in Hurro-Hittite Rituals at Hattuša: Ištar, the Underworld, and the Legendary Kings," in Beyond Hatti: A Tribute to Gary Beckman, edited by Billie Jean Collins and Piotr Michalowski. Atlanta, Ga.: Lockwood Press, 2013. 23-44.
  11. ^ Burney, Charles Allen (2004). Historical dictionary of the Hittites. Scarecrow Press. p. 28. ISBN 9780810849365. https://books.google.com/books?id=74IJytg2XuUC&q=arinna+hittite+city+located&pg=PA28 
  12. ^ Quote from KUB 24.3 ii 4'-17'
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  14. ^ a b Beckman 1985:99.
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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