ホンダ・1300

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ホンダ・1300
H1300がた
99 S
クーペ7 S
概要がいよう
製造せいぞうこく 日本の旗 日本にっぽん
販売はんばい期間きかん 1969ねん-1972ねん
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 5めい
ボディタイプ 4ドア セダン
2ドア クーペ
駆動くどう方式ほうしき FF
パワートレイン
エンジン H1300Eがた:1.3L DDAC(空冷くうれい) ちょく4 SOHC
最高さいこう出力しゅつりょく 4キャブ仕様しよう:
115PS/7,500rpm(1969ねん6がつ~12がつ)
110PS/7,300rpm(1969ねん12がつ以降いこう)
1キャブ仕様しよう:
100PS/7200rpm(1969ねん5がつ~12がつ)
95PS/7,000rpm(1969ねん12がつ以降いこう)
AT仕様しよう:
80PS/6,500rpm
最大さいだいトルク 4キャブ仕様しよう:
12.05kgf·m/5,500rpm(1969ねん6がつ~12がつ)
11.5kgf·m/5,000rpm(1969ねん12がつ以降いこう)
1キャブ仕様しよう:
10.95kgf·m/4,500rpm(1969ねん5がつ~12がつ)
10.5kgf·m/4,000rpm(1969ねん12がつ以降いこう)
AT仕様しよう:
10.2kgf·m/4,000rpm
変速へんそく 4そくMT・3そくAT
まえ まえ:マクファーソンストラットしき独立どくりつ懸架けんか+コイルばね
:クロスビームしき独立どくりつ懸架けんか+いたバネ
のち まえ:マクファーソンストラットしき独立どくりつ懸架けんか+コイルばね
:クロスビームしき独立どくりつ懸架けんか+いたバネ
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,250mm
全長ぜんちょう セダン:
3,885mm(前期ぜんきがた)
3,995mm(後期こうきがた)
クーペ:4,140mm
全幅ぜんぷく セダン:1,465mm
クーペ:1,495mm
ぜんこう セダン:1,345mm
クーペ:1,320mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう セダン(いずれも前期ぜんきデラックス):
77 - 885kg
99 - 895kg
オートマチック - 910kg

クーペ(いずれも前期ぜんきデラックス):
クーペ7 - 895kg
クーペ9 - 900kg
オートマチック - 920kg
その
新車しんしゃ登録とうろく台数だいすう累計るいけい 10まん6543だい[1]
系譜けいふ
先代せんだい ホンダ・N600E(事実じじつじょう)
後継こうけい ホンダ・145
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ホンダ・1300(ホンダ・せんさんびゃく)は、本田技研工業ほんだぎけんこうぎょう(ホンダ)が1969ねん昭和しょうわ44ねん)から1972ねん昭和しょうわ47ねん)まで生産せいさん販売はんばいしていた4ドアセダンおよび2ドアクーペ小型こがた乗用車じょうようしゃである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

従前じゅうぜん二輪車にりんしゃ軽自動車けいじどうしゃ主力しゅりょくとしてきたホンダがはじめて市販しはんした小型こがた乗用車じょうようしゃであり、前輪ぜんりん駆動くどう(FF)や空冷くうれいエンジンよんりん独立どくりつ懸架けんかなど、独創どくそうてき技術ぎじゅつまれていた。ボディの種類しゅるいは4ドアセダンとのち追加ついかされた2ドアクーペの2しゅで、型式けいしきはそれぞれH1300およびH1300Cである。700/800シリーズことなり、バンピックアップといった商用しょうようしゃ仕様しよう市販しはんされなかった[ちゅう 1]

1300最大さいだい特徴とくちょうとしては、水冷すいれいよりも空冷くうれい本田ほんだそう一郎いちろう技術ぎじゅつてき信念しんねんにより、このクラスとしては当時とうじでもめずらしくなっていた空冷くうれいエンジンを採用さいようしたてんげられる(詳細しょうさい後述こうじゅつ)。当時とうじ新聞しんぶん広告こうこくでは「HONDA1300は横風おうふうつよい、安全あんぜん設計せっけいです」とうたい、前輪ぜんりん駆動くどう適正てきせい重量じゅうりょう配分はいぶんちょう扁平へんぺいタイヤ、余裕よゆうのあるパワー、独特どくとく独立どくりつ懸架けんか万全ばんぜんのボディであくゆきどうでのするど走破そうはせい、ハイウェイでの横風おうふう黙殺もくさつする走行そうこうせいをアピールしていた[2](これらの実態じったい後述こうじゅつ)。

エンジンは、オールアルミせいの1,298 cc 直列ちょくれつ4気筒きとうSOHC 8バルブクロスフローで、シングルキャブレター仕様しようで100 PS/7,200 rpm、4れんキャブレター仕様しようは115 PS/7,500 rpmを発揮はっき[ちゅう 2]、この出力しゅつりょく当時とうじの1.3 Lきゅうエンジンとしてはきわめて優秀ゆうしゅうであり[ちゅう 3]、1.8 - 2.0L みであった。

最初さいしょ最後さいご採用さいようとなったDDACばれる冷却れいきゃく方式ほうしきは、通常つうじょう空冷くうれいエンジンのシリンダーブロックシリンダーヘッドなかに、水冷すいれいエンジンのウォータージャケットにあたる通路つうろもうけ、そこへ通風つうふうすることから「一体いったいしきじゅう空冷くうれい」のつ。空冷くうれいエンジンを搭載とうさいするF1マシンのRA302からのフィードバック[ちゅう 4]ということと、水冷すいれいエンジンみの冷却れいきゃく効率こうりつがセールスポイントであった。開発かいはつには、騒音そうおんおおきい空冷くうれい弱点じゃくてん克服こくふく目標もくひょうとされた。しかし、こう出力しゅつりょくとDDAC方式ほうしき、アルミせいオイルタンクをドライサンプ機構きこうなど構造こうぞう複雑ふくざつおもく、こうコストとなり、構造こうぞう簡単かんたん軽量けいりょうていコストという空冷くうれいエンジン本来ほんらい長所ちょうしょとはぎゃく結果けっかとなった。

このためフロントまわりの重量じゅうりょう増加ぞうかし、しかも発売はつばい当初とうしょのスプリングレートとダンパーはソフトなもので、77の標準ひょうじゅんタイヤはほそ剛性ごうせいひくいクロスプライのバイアスタイヤであったことから、アンダーステアタックインといった極端きょくたん挙動きょどうあらわれやすかった。1300の極端きょくたんなフロントヘビーをしめ逸話いつわとして、経年けいねん劣化れっかすすむとフロントストラットのアッパーマウントがおもみにえきれずに破断はだんし、ダンパーがボンネットをげて破壊はかいしてしまうというものがある。このようなトラブルは1300以外いがいにはシトロエン一部いちぶ車種しゃしゅ存在そんざいする程度ていどで、通常つうじょう車種しゃしゅではあまりられない欠点けってんである。

のち追加ついかされたクーペやマイナーチェンジのモデルでは最高さいこう出力しゅつりょくげられ、サスペンションもかためられたことで徐々じょじょ改善かいぜんされたが、エンジンのはいねつ利用りようする標準ひょうじゅんヒーター熱量ねつりょう不足ふそくあぶらくさてん[ちゅう 5]おおきい最小さいしょう回転かいてん半径はんけい[ちゅう 6]などの一部いちぶ解決かいけつできなかった。なお、H1300けいPCDが120.0 mmという特殊とくしゅ規格きかくのホイールハブ[ちゅう 7]採用さいようしており、これは145はもとより初代しょだいシビック初代しょだいアコード・TNアクティ/アクティストリート[ちゅう 8]まで継承けいしょうされた。

そう生産せいさん台数だいすうは3ねんきょうあいだやく10まん6,000だい。このうち1053だい日本にっぽん国外こくがい輸出ゆしゅつされた。

1300はエンジンやオイルタンクにアルミ合金ごうきん多用たようされており、DDACという構造こうぞうじょうその使用しようりょうもかなりおおいものであった。アルミのスクラップ価格かかく高価こうかであった当時とうじ社会しゃかい事情じじょうもあり、1300の事故じこしゃ廃車はいしゃ解体かいたいによってさきあらそうように処分しょぶんされたともいわれており、現存げんそんする個体こたい廃車はいしゃたいふくめて非常ひじょうすくなくなっている。

2019ねんから放送ほうそうされているホンダの企業きぎょうCM「GVP Power Products」へんには、とうくるまのマイナーチェンジのセダンが登場とうじょうしている。

初代しょだい H1300がた (1969ねん-1972ねん)[編集へんしゅう]

  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん
    • 10月21にち - 報道ほうどう関係かんけいしゃ公開こうかいされ、東京とうきょうモーターショーにセダンとライトバンが参考さんこう出品しゅっぴんされた。
  • 1969ねん昭和しょうわ44ねん
    • 4がつ15にち - ホンダはつの4ドアセダンとして5がつ下旬げじゅん発売はつばい記者きしゃ発表はっぴょうされたが、実際じっさいは6がつごろからの発売はつばいとなった[ちゅう 9]。モーターショー出品しゅっぴんしゃ比較ひかくしてリアエンドがばされた。
      シングルキャブモデルは「77」(Seventy Seven)、4れんキャブモデルは「99」(Ninety Nine)とばれ、77のみとなる「スタンダード」のほか、それぞれに「デラックス」、「カスタム」、「S」があった。三重みえけん鈴鹿すずか工場こうじょうわた現金げんきん価格かかくは「77 スタンダード」が48.8まんえんもっと高価こうかな「99 カスタム」が71.0まんえんであった。また、9.8まんえんだかでクーラー(ホンダエアコン[ちゅう 10])、4.5まんえんだかATホンダマチック[ちゅう 11])も全車ぜんしゃ装備そうび可能かのう発表はっぴょうされたが、実際じっさいにはこの時点じてんではATは市販しはんされなかった。なお、ライトバンは最後さいごまで市販しはんされなかった。
    • 12月 - エンジンのなか低速ていそくいき[ちゅう 12]トルクを重視じゅうしするため、77シリーズは95 PSに、99シリーズは110 PSにそれぞれ最高さいこう出力しゅつりょくげられ、同時どうじにサスペンションセッティングも安定あんてい方向ほうこうかためられた。
  • 1970ねん昭和しょうわ45ねん
    • 2がつ - セダンをベースにした2ドアクーペを追加ついかポンティアックふう分割ぶんかつフロントグリルまるがた4とうしきヘッドランプ精悍せいかんかおつきをつスポーティーカーで、95 PS仕様しようは「クーペ7」、110 PS仕様しようは「クーペ9」とばれた。内装ないそう専用せんよう設計せっけいで、インストゥルメントパネルのセンター部分ぶぶんがドライバーきにオフセットされている「フライト・コックピット」(航空機こうくうき操縦そうじゅうせき)を特徴とくちょうとした。
    • 3月 - 77 / クーペ7に3そくATしゃ追加ついかされた。AT仕様しようの77 / クーペ7は、横長よこなが扇形せんけいスピードメーターと2ほんスポークタイプのステアリングホイール装備そうびした。エンジンは80 PSにデチューンされていた。
    • 11月 - セダンがマイナーチェンジされ、全車ぜんしゃまるがた2とうしきヘッドランプになる。フロント / リヤセクションおよびインストルメンタルパネルを大幅おおはば変更へんこうする大掛おおがかりなマイナーチェンジとなる。同時どうじに110 PS仕様しようの99シリーズは廃止はいしされ、95 PSの77シリーズのみとなり、1300のはいされ、たんに「ホンダ 77 」とばれるようになる。
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん
    • 6がつ - クーペがマイナーチェンジをけ、セダン同様どうよう1300のはいされ「ホンダ クーペ○○(○○はグレードめい) 」とばれるようになる。従来じゅうらいがたまるがた4とうヘッドランプしゃは「ダイナミックシリーズ」に編成へんせいされ、「SL」、「GL」、「GT」、「GTL」のグレードめいあたえられ、セダンとおなじフロントグリルをつ「ゴールデンシリーズ」には「スタンダード」、「デラックス」、「カスタム」が設定せっていされた。110 PSの4れんキャブレター仕様しようのグレードはダイナミックシリーズの「GTL」のみとなり、それ以外いがいは95 PS仕様しよう(ATしゃは80 PS)となった。ちなみに「GTL」は警視庁けいしちょう道路どうろじょう交通こうつう監視かんしするのを目的もくてき交通こうつう取締とりしまりようパトカーが配備はいびされ、助手じょしゅせき開閉かいへいしき屋根やね昇降しょうこうづけ赤色あかいろとう装備そうびしていた。
  • 1972ねん昭和しょうわ47ねん
    • 9月 - 生産せいさん中止ちゅうし
    • 11月 - 水冷すいれいちょく4 SOHC 1,433 ccエンジン(EB5がた)を搭載とうさいした後継こうけいしゃの、「ホンダ・145/145クーペ」が登場とうじょう

空冷くうれい[編集へんしゅう]

ほんしゃと、F1しゃRA302のエンジンが空冷くうれいであることは、本田ほんだそう一郎いちろう現役げんえき晩年ばんねんのエピソードとしてしばしばかたられる。

DDAC[編集へんしゅう]

DDACDuo Dyna Air Cooling system:デュオ ダイナ エア クーリング システム)のりゃく1968ねん昭和しょうわ43ねん)に本田技研工業ほんだぎけんこうぎょう発表はっぴょうした空冷くうれい方式ほうしきである。日本語にほんごでは一体いったい構造こうぞうじゅうかべ空冷くうれい方式ほうしき、または一体いったいしきじゅう空冷くうれいエンジンとばれる。

水冷すいれいエンジンでいうところの「ウォータージャケット」に類似るいじした構造こうぞう空冷くうれいエンジンに導入どうにゅうしたもので、シリンダーブロックの外壁がいへきを「一体いったい鋳造ちゅうぞう成型せいけいじゅう構造こうぞうにし、そのあいだ空間くうかん冷却れいきゃくふうとおみちとした。そこに強制きょうせい冷却れいきゃくファンでかぜおくむと同時どうじに、エンジンの外側そとがわにもふうがあたるようにして冷却れいきゃくをする構造こうぞうである。その構造こうぞうゆえに重量じゅうりょうかさみ、オールアルミせいのエンジンにもかかわらず、エンジン単体たんたい整備せいび重量じゅうりょうだけで180kgにたっしたこのエンジンは、空冷くうれいのメリットである「かるさ」が完全かんぜんされてしまうという結果けっかとなった。また、フロントヘビーな重量じゅうりょう配分はいぶんはハンドリングにも悪影響あくえいきょうおよぼした[3]

非常ひじょうにユニークな発想はっそうではあったが、このエンジンを搭載とうさいした1300は商業しょうぎょうてき失敗しっぱいきっし、ホンダの4りんしゃようエンジンが空冷くうれいから水冷すいれいへ、こう回転かいてんだか出力しゅつりょくがたから実用じつよういきでのトルク重視じゅうししたものへと一斉いっせい転換てんかんするきっかけとなった。

本田ほんだそう一郎いちろう空冷くうれい[編集へんしゅう]

ホンダが1300の販売はんばい不振ふしんなやまされていた1970ねん昭和しょうわ45ねんごろ本田ほんだそう一郎いちろう若手わかて技術ぎじゅつしゃたちはエンジンの冷却れいきゃく方法ほうほうについてはげしく対立たいりつしていた。

内燃ないねん機関きかんでは、ねつ集中しゅうちゅうてき発生はっせいする。つてねつ特性とくせい液体えきたい一旦いったんねつうつし、ラジエータのひろ面積めんせきからねつてるという構造こうぞう合理ごうりてきであり、若手わかて中心ちゅうしんとして技術ぎじゅつしゃたちは「水冷すいれいのほうがエンジン各部かくぶ温度おんど制御せいぎょしやすい」と主張しゅちょうした。しかし、本田ほんだは「エンジンをみずやしても、そのみず空気くうきやすのだから、最初さいしょからエンジンを空気くうきやしたほうが無駄むだがない[ちゅう 13]としてがんとしてゆずらなかった。両者りょうしゃはげしくぶつかりい、当時とうじ技術ぎじゅつしゃであった久米くめただしこころざしの3代目だいめ社長しゃちょう)が辞表じひょうのこして出社しゅっしゃ拒否きょひをしたほどであった。

技術ぎじゅつしゃたちふく社長しゃちょう藤沢ふじさわ武夫たけおに、あくまで空冷くうれいにこだわる本田ほんだ説得せっとく依頼いらいし、藤沢ふじさわ電話でんわ本田ほんだに「あなたは社長しゃちょうなのか技術ぎじゅつしゃなのか、どちらなんだ?」といただした。設立せつりつ以来いらい経営けいえいになってきたほかでもない藤沢ふじさわのこの言葉ことば本田ほんだれ、ようやく若手わかて技術ぎじゅつしゃたちの主張しゅちょうみとめた。そして、1300の生産せいさん中止ちゅうしともに1971ねん昭和しょうわ46ねん)の初代しょだいライフ皮切かわきりに、初代しょだいシビック、145と水冷すいれいエンジン搭載とうさいしゃ次々つぎつぎとホンダからおくされるようになり、本田ほんだ執念しゅうねんやした空冷くうれいエンジン乗用車じょうようしゃはホンダのラインナップから消滅しょうめつした[ちゅう 14]

本田ほんだ藤沢ふじさわよく1973ねん昭和しょうわ48ねん)に引退いんたいしたが、この空冷くうれい水冷すいれいいちけん決定けっていであったとされている[ちゅう 15]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは『カーグラフィックが1969ねん8がつごうから70ねん3がつごうけて、1300・77デラックスの長期ちょうきロードテストをおこなっており、H1300Eエンジンにたいしては「パワフルで8000回転かいてんまでスムーズにがる。静粛せいしゅくせいこう回転かいてんいきでもたかく、他社たしゃの1600ccきゅうGTしゃ比肩ひけんする」との評価ひょうかあたえているが、一方いっぽう燃費ねんぴ平均へいきんやく7.5km/リットル程度ていどカーヒーターデフォッガー性能せいのう十分じゅうぶんとはえないと評価ひょうかしている。操縦そうじゅうせいについては、61.7たい38.3という極度きょくどにノーズヘビーの重量じゅうりょう配分はいぶん[ちゅう 16]ため直進ちょくしん安定あんていせいすぐれているが、過度かどのアンダーステアでありサスペンションはやわらかすぎるという否定ひていてき評価ひょうかくだしており、このようなおもいエンジンを開発かいはつしてまで1300ccに空冷くうれい採用さいようする意義いぎについての疑念ぎねんまでていしていた。ただし、標準ひょうじゅん装着そうちゃくタイヤである6.2S-13-4PR[4]を、99S標準ひょうじゅんの6.2H-13-4PR[5]かわそうしたところ、それだけで操縦そうじゅうせいが5わりかた向上こうじょうしたとも附記ふきしていた[6]

カーグラフィックは1970ねん4がつごうにて1300・クーペ9Sもレビューしているが、セダンにおとらない居住きょじゅうせい無類むるいのパワーの4キャブレターエンジンの評価ひょうか同時どうじに、かためられたサスペンションによりあしまわりの性能せいのうようやくエンジンにき、操縦そうじゅうせいも77デラックスと比較ひかくにならないほど向上こうじょうしたという評価ひょうかくだしており、シングルキャブよりも燃費ねんぴ結果けっかあいまって、77デラックスとはまったべつくるま仕上しあがっているとの結論けつろんくだしている[7]

1300の輸出ゆしゅつおこなわれたオーストラリアでも、『ホイールズ (雑誌ざっし)英語えいごばんなどが1300のかくグレードのロードテストを実施じっしし、おおむねカーグラフィック類似るいじした評価ひょうかのこしているが、ブロアファンが標準ひょうじゅんでは搭載とうさいされていないためベンチレーター三角さんかくまどだけでは車内しゃないれやすく、エンジンの冷却れいきゃくふう直接ちょくせつ利用りようするデフロスターは強力きょうりょくであるが夏場なつば不快ふかいこと。トランクルームのひろさにたいして開口かいこうちいさすぎることなどを欠点けってんとして指摘してきする一方いっぽうで、ホンダが独自どくじ採用さいようしていたダッシュボードから直接ちょくせつ着脱ちゃくだつ可能かのうな「クリップイン・ヒューズボックス」にたいしては一種いっしゅ盗難とうなん防止ぼうし装置そうちとして活用かつようできること好意こういてき評価ひょうかしていた[8]

また、日本にっぽん国内こくないでは直線ちょくせんでは無類むるいはやさをせるがコーナーではアンダーステアでがらない1300の特性とくせいを、よりぞく表現ひょうげんとして「直線ちょくせん番長ばんちょう」とんでいた[9]

モータースポーツ活動かつどう[編集へんしゅう]

ホンダ1300発売はつばい当初とうしょ、RSC(レーシング・サービス・センター、現在げんざいホンダ・レーシング前身ぜんしんひとつ)によって同車どうしゃのエンジンを流用りゅうようしたR1300[ちゅう 17]ばれるレーシングマシンが開発かいはつされていた。

RSCは1969ねん4がつ鈴鹿すずか500km自動車じどうしゃレースにブラバム・ホンダのフォーミュラ・シャーシ[ちゅう 18]一部いちぶ改良かいりょうしFRPボディをかぶせたボディに、ホンダ・S800のAS800Eエンジンとヒューランドせいギアボックスをわせて製作せいさくした独自どくじのレーシングカー、ホンダ・R800出場しゅつじょうし、だい排気はいきりょうトヨタ・7総合そうごう2という好成績こうせいせきおさめていた。

この吉報きっぽうみみにした藤澤ふじさわ武夫たけおふく社長しゃちょうは、RSCを直接ちょくせつ訪問ほうもんしてR800を視察しさつし、この車体しゃたいにホンダ1300のH1300Eエンジンを搭載とうさいして同年どうねん6がつ鈴鹿すずか1000km出場しゅつじょうする計画けいかくをRSCがわ打診だしんした。このような経緯けいいにより開発かいはつがスタートしたR1300は、R800のエンジンをかわそうするかたち改修かいしゅうされたものと、新規しんきにシャーシ・ボディを製造せいぞうしたものの2だい製作せいさくされることになり、初期しょきがた99ようのエンジンに軽度けいどのチューンをほどこ[ちゅう 19]ミッドシップ搭載とうさいする型式けいしきられた。

H1300Eエンジンは、BT16AやBT18が本来ほんらい想定そうていしていたコヴェントリー・クライマックス・FPFエンジンやフォード・コスワース・FVAエンジンと比較ひかくしても50kg以上いじょうおもたかったが[10]最終さいしゅうてきにはシャーシの改良かいりょうによりR1300のくるまじゅうはBT16[11]とほぼ同等どうとうの490kgにおさえられた[12]

1969ねん昭和しょうわ44ねん)5がつ31にち鈴鹿すずか1000km耐久たいきゅうレースに松永まつながたかし/永松ながまつくにしんの11号車ごうしゃこう武富たけとみ久美くみ/木倉きのくら義文よしふみの12号車ごうしゃの2だいのR1300がはつ参戦さんせん予選よせんではR1300よりはるかに排気はいきりょうおおきいローラT40、ポルシェ・カレラ6いで3と4のタイムを記録きろくする。決勝けっしょうでは2だいともにポルシェ・カレラ6とトップあらそいをひろげたが、59ラップに12号車ごうしゃが、つづいて113ラップに11号車ごうしゃがそれぞれプライマリーチェーンれによりリタイヤした。

藤澤ふじさわ鈴鹿すずか1000kmでの健闘けんとうて、つぎせん鈴鹿すずか12あいだ成績せいせき次第しだいではル・マン24あいだ参戦さんせんする計画けいかく検討けんとうしていたという。

つづく8がつ10日とおか鈴鹿すずか12あいだ耐久たいきゅうレースにこう武富たけとみ久美くみ/木倉きのくら義文よしふみの6号車ごうしゃ松永まつながたかし/田中たなかひろしの7号車ごうしゃの2だいのR1300が参戦さんせんした。6号車ごうしゃはトップを快走かいそうしながらも118ラップガスかけによりリタイヤしてしまう。7号車ごうしゃきつかれつの展開てんかいひろげながらもいちまもったが、レース開始かいしから11あいだ経過けいかした225ラップスプーンコーナーでスピン、現場げんばかった周回しゅうかいおくれの後続こうぞくしゃ追突ついとつだいとも炎上えんじょうした。7号車ごうしゃっていた松永まつながたかし全身ぜんしんだい火傷かしょうい、事故じこから25にち同年どうねん9がつ4にち死亡しぼうした。

この事故じこは、前述ぜんじゅつおなじく「空冷くうれい」F1のRA302が、やくいちねんまえにフランス ルーアン・レゼサールこした事故じこ結末けつまつともえ、空冷くうれいエンジンしゃたいするイメージダウンをおそれたためか、R1300はたかいポテンシャルをゆうしながらもわず参戦さんせんをもって開発かいはつられた。のこされた6号車ごうしゃ現在げんざい行方ゆくえ不明ふめいとされている。

余波よは[編集へんしゅう]

H1300Eエンジンのポテンシャルはどう時期じきいくつかのレーシングガレージでも着目ちゃくもくされており、RSCのR1300とどう時期じき鈴鹿すずか近郊きんこう活動かつどう拠点きょてんとしていたワールドモーター(げんTSR (オートバイ))により、R1300とほとんおなじレイアウト[ちゅう 20]のレーシングカーであるワールド・AC7[13]製作せいさくされている。ワールド・AC7は1970ねん3がつ全日本ぜんにほん鈴鹿すずか自動車じどうしゃレース選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうなどの好成績こうせいせき記録きろく[14]し、高原たかはらたかしたけもキャリアの初期しょき搭乗とうじょうしていた[15]事績じせきられる。

その、ワールド・AC7は日本にっぽんトランペット商事しょうじ(げんユニペックス)のスポンサードでニットラ・AC7[16]改名かいめい田中たなかひろし (モータースポーツ)搭乗とうじょう国内こくない各地かくち耐久たいきゅうレース参戦さんせんした[17][18]

1971ねんごろには日本にっぽんレーシングマネージメント(JRM)の菅原すがわら義正よしまさもAC7を購入こうにゅうしており、国内こくないレースのほか[19]見崎みさき清志きよし搭乗とうじょうで1971ねんマカオグランプリフォーミュラ・リブレ出走しゅっそう[20]総合そうごう3結果けっかおさめている[21]。このレースで見崎みさき搭乗とうじょうしたAC7の映像えいぞうは、1972ねん映画えいが『ヘアピン・サーカス』にて使用しようされている[22]

ワールド・モーターのほかには、富士ふじドライブショップ(げんオートバックスセブン)が1969ねん日本にっぽんグランプリ (4りん)参戦さんせんする目的もくてきで、ハヤシレーシング製作せいさく委託いたくしたカーマン・アパッチ[23]も、R1300やAC7に類似るいじしたミッドシップのレイアウトでH1300Eエンジンを採用さいようしていた。カーマン・アパッチの活動かつどう期間きかんは1969ねんちゅうのみとみじかかったが、このときにハヤシレーシングがアパッチのため製造せいぞうしたアルミホイールが、後年こうねん同社どうしゃのロングセラー商品しょうひんであるハヤシ・ストリートとおなじデザインであった[24]。カーマン・アパッチ自体じたいはオートバックスが所有しょゆう継続けいぞくしており、2022ねん現在げんざい同社どうしゃ創業そうぎょうである大阪おおさかうちのオートバックス出入でいりきょうビルない展示てんじされている[25]

1969ねん日本にっぽんグランプリにはほかにも、大久保おおくぼつとむひきいるリキ・レーシング・ディベロップメントが、三村みつむら建治けんじがエヴァ・カーズで設計せっけいしたエヴァ・カンナム2AにH1300Eエンジンを搭載とうさいしたエヴァ・カンナム2B製作せいさくして出走しゅっそうしているが、燃料ねんりょう系統けいとうのトラブルによりリタイヤしている。大久保おおくぼ述懐じゅっかいによると、「空冷くうれいだからけいいにちがいない」と1300の新車しんしゃってきて早速さっそくエンジンをろしたところ、あまりにもエンジンがおもたかったためあたまかかえることになり、それをかねたRSCがワークス仕様しようのエンジンとミッションを供給きょうきゅうしてくれたという[26]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ただしライトバンは試作しさくしゃ製作せいさくされており、東京とうきょうモーターショーに参考さんこう出品しゅっぴんされている。
  2. ^ 市販しはん開始かいし直後ちょくご(1969ねん昭和しょうわ44ねん〉12がつまで)の数値すうち
  3. ^ 初期しょきの99のカタログスペックは0 - 400 m加速かそくが16.9びょう(77は17.5びょう)、最高さいこう速度そくど185 km/h(77は175 km/h)であった。
  4. ^ 1300と基本きほんてきおな冷却れいきゃく方式ほうしきつRA302が唐突とうとつ出現しゅつげんしてから1300が市販しはん開始かいしされるまでに1ねんほどしか経過けいかしておらず、市販しはんしゃ開発かいはつ競技きょうぎしゃ開発かいはつのどちらが先行せんこうしていたかはさだかでない。
  5. ^ 北海道ほっかいどうけの車両しゃりょうにはエキゾーストマニホールドはいねつをブロアファンで強制きょうせいてき室内しつない強力きょうりょくヒーターとグリルカバーが標準ひょうじゅん装備そうびされた。
  6. ^ ほぼどう時期じき販売はんばいされていた国産こくさん前輪ぜんりん駆動くどうしゃであるスバル・1000最小さいしょう回転かいてん半径はんけい(4.8 m)とおなじであった。初期しょきのFFしゃとしては平均へいきんてき性能せいのうである。
  7. ^ ホンダ以外いがいでは日野ひの・コンテッサ1300、マツダ・コスモスポーツなども採用さいよう
  8. ^ 2WDしゃでの場合ばあい。ただし、のち追加ついかされた4WDしゃ当初とうしょからPCDは100.0mmだった。
  9. ^ どう時期じきけい乗用車じょうようしゃN360たいして欠陥けっかんしゃという指摘してきがあり(詳細しょうさいユーザーユニオン事件じけん参照さんしょう)、その対応たいおうわれていたため。
  10. ^ コンプレッサーはカムシャフトから直接ちょくせつ動力どうりょくすという特殊とくしゅ形式けいしきであった。
  11. ^ 1300にもちいられたATは、3そく自動じどう変速へんそくするもので、機能きのうとしては他社たしゃ一般いっぱんてきなATとおなじものであり、145シビックもちいられた2そく自動じどう変速へんそくしないものとはことなる。ただし、遊星ゆうせいギアもちいないなど、ホンダ独自どくじ構造こうぞう両者りょうしゃ共通きょうつうしており、ともに「ホンダマチック」を名乗なのっている。
  12. ^ エンジン回転かいてんすう正式せいしき名称めいしょうはエンジン回転かいてん速度そくど。 JIS B 0108-1による。
  13. ^ そのにも「モーターサイクル空冷くうれいであるから」など、本田ほんだ主張しゅちょう思想しそうかんしては諸説しょせつがある。
  14. ^ けいトラックTNシリーズは1977ねんまで生産せいさんつづいた。
  15. ^ 後日ごじつだんとして、本田ほんだ社長しゃちょうしょくから退しりぞくまでのあいだほん車種しゃしゅ通勤つうきんよう使用しようつづけていたという。
  16. ^ 77デラックスの場合ばあいしゃじゅうが885kgのためぜんじく荷重かじゅうやく546kg、こうじく荷重かじゅうやく334kgということになるが、このぜんじく荷重かじゅうのうちやく200kgがエンジンである。
  17. ^ JAFのJAFの公式こうしきリザルトでは「ホンダ1300R」とされている。
  18. ^ 資料しりょうによっては「ブラバムのF3シャーシ」と記述きじゅつされることおおく、一般いっぱんてきにはブラバム・BT16A英語えいごばんとされているが、R1300のJAFの公式こうしきリザルトでは「BT18あらため」とされていることから、ブラバム・ホンダ BT18または、ホンダがレーシングスクールようとして特注とくちゅうさせたブラバム・BT18B英語えいごばんがベースともいわれている。
  19. ^ エンジンとトランスミッションの位置いち関係かんけい、ドライサンプの採用さいようなどレース仕様しようへの転用てんようてきしていた。カムプロフィールの変更へんこうクランクシャフト軽量けいりょうおよびバランスり、こう圧縮あっしゅく純正じゅんせいCVキャブレターをもちいた軽微けいびなチューンにより130 PS/7,500 rpmをた(CRキャブレターの装着そうちゃくで140 PS/8,500 rpmも可能かのうであったとされる)。トランスミッションは標準ひょうじゅんシンクロメッシュ4そくわって、コンスタントメッシュ5そく製作せいさくされた。
  20. ^ ホンダからR1300をはらげられたともわれている

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ デアゴスティーニジャパン週刊しゅうかん日本にっぽん名車めいしゃだい27ごう3ページより。
  2. ^ 全面広告ぜんめんこうこく朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ44ねん(1969ねん)10がつ6にち朝刊ちょうかん、4めん
  3. ^ 最速さいそくのファミリーカー」を目指めざした昭和しょうわホンダ! 失敗しっぱいからまれた名車めいしゃをごぞんじか”. merkmal (2022ねん11月22にち). 2022ねん11月22にち閲覧えつらん
  4. ^ ホンダ1300・77 - 名車めいしゃ文化ぶんか研究所けんきゅうじょ
  5. ^ 昭和しょうわ名車めいしゃ 24】ホンダ 1300 99S(昭和しょうわ44ねん:1969ねん - Webモーターマガジン
  6. ^ だい34かい:『偉大いだいなる失敗しっぱいさく』ホンダ1300(1969〜1972)(その3) 【これっきりですカー】 - webCG
  7. ^ だい35かい:『偉大いだいなる失敗しっぱいさく』ホンダ1300(1969〜1972)(その4) 【これっきりですカー】 - webCG
  8. ^ Road Tests - Honda 1300 Coupe Register
  9. ^ だい8かいクラシックカーフェスティバル in 桐生きりゅう」の会場かいじょうから ビジュアル30まい画像がぞう写真しゃしん - webCG
  10. ^ [1] - Grand Prix Engine Development 1906-2000
  11. ^ 1965 Brabham BT16 - PENRITEOIL - Shannons Club
  12. ^ Honda R1300 1969 - GTPlanet
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  14. ^ 全日本ぜんにほん鈴鹿すずか自動車じどうしゃレース 選手権せんしゅけん大会たいかい 全日本ぜんにほん-I (R) リザルト - JAFモータースポーツ]
  15. ^ 全日本ぜんにほん富士ふじ1000kmレース 1000km (R1) リザルト - JAFモータースポーツ]
  16. ^ ニットラ(ワールド) AC7 - ゆうじん-BEAT
  17. ^ 全日本ぜんにほん富士ふじ1000kmレース 1000km (R1) リザルト - JAFモータースポーツ
  18. ^ 日本にっぽんグランプリレース大会たいかい レーシングジュニア リザルト - JAFモータースポーツ
  19. ^ 全日本ぜんにほん鈴鹿すずか自動車じどうしゃレース大会たいかい 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんII (G) リザルト - JAFモータースポーツ]
  20. ^ XVIII Macau Grand Prix 1971 standings - Driver Database
  21. ^ 貨車かしゃはし天涯てんがい】HINOたち卡王──菅原すがわら義正よしまさせんいたななじゅうなな. Text: John Chan | by PowerPlay HK - Medium
  22. ^ HairpinCircusMisaki
  23. ^ 沿革えんかく | 会社かいしゃ情報じょうほう - 株式会社かぶしきがいしゃオートバックスセブン
  24. ^ ハヤシレーシング ヒストリー - ハヤシレーシング
  25. ^ Hayashi Carman Apache 1969 - GTPlanet
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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]