ヤハウェ

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ヤーウェから転送てんそう
フェニキア文字もじアラム文字もじ、およびヘブライ活字かつじによるヤハウェの[ちゅう 1]

ヤハウェヘブライ: יהוה‎、フェニキア: 𐤉𐤄𐤅𐤄アラム英語えいごばん: 𐡉𐡄𐡅𐡄英語えいご: Yahweh)は、モーセに啓示けいじされたかみである[1]旧約きゅうやく聖書せいしょ新約しんやく聖書せいしょひとしにおける唯一ゆいいつかみ万物ばんぶつ創造そうぞうしゃでもある。

このはヘブライの4つの子音しいん文字もじ構成こうせいされ、テトラグラマトン古代こだいギリシアで「4つの文字もじ」の)またはせいよん文字もじ[2]ばれる。この名前なまえ正確せいかく発音はつおんかっていない。日本語にほんごではヤーウェヤーヴェエホバひとしとも表記ひょうきされるが、エホバについて現在げんざいではしばしば歴史れきしてき[3]あやまりないし不適切ふてきせつ[4][5][6][7]ひとし位置付いちづけられる。

ほんこうしめとおり、かみ様々さまざま表現ひょうげん存在そんざいするが、とく意図いとがある場合ばあいのぞき、ほんこうでの表記ひょうきつとめてヤハウェに統一とういつする。またほんこうでは、ヤハウェをあらわほかかたりについてもべる。

普通ふつう名詞めいし[編集へんしゅう]

ヤハウェをして、いくつかの普通ふつう名詞めいしもしくはそれにるいするものがもちいられる場合ばあいがある。つぎにヘブライ表現ひょうげんをカタカナで、また対応たいおうする訳語やくご漢字かんじしめす。

あるじ[編集へんしゅう]

日本語にほんごやく聖書せいしょでは今日きょう一般いっぱんに、原文げんぶんにおいて「יהוה(ヤハウェ)」とある箇所かしょを「あるじ」に置換ちかんしている。

消失しょうしつ経緯けいい後述こうじゅつするユダヤじん慣習かんしゅうによる(今日きょうのユダヤじんはヤハウェとまずに、アドナイ(「わがおも」)というべつかたり発音はつおんするためである)。

アドナイ(אֲדֹנַי [’Ăḏōnay][8])のかたりには、「あるじ (Lord)[9]すなわちヤハウェを婉曲えんきょく意味いみのほか、単数たんすうがたのアドニ(אֲדֹנִ֥י)というかたちで「わたし主人しゅじんさま (my master)[10][11][12][13]すなわ奴隷どれい雇用こようぬしなどしゅ一般いっぱん意味いみがある。

カトリックけいの『バルバロわけ』のほか、『口語こうごやく聖書せいしょ』(日本にっぽん聖書せいしょ協会きょうかい)などがこれである。また、口語こうごやく聖書せいしょ後継こうけいする『しん共同きょうどうやく聖書せいしょ』(どう)も、一部いちぶ地名ちめい(『創世そうせいだい22しょう14せつ)(後述こうじゅつ)をのぞき、一貫いっかんして「あるじ」とする。

プロテスタント福音ふくいんけいの『しん改訳かいやく聖書せいしょ』では太字ふとじで「あるじ」とする。これは「文語ぶんごやくではエホバ[ちゅう 2]やくされ、学者がくしゃあいだではヤハウェとされているあるじ御名ぎょめいを」「やくし」た「あるじ」と、これを「代名詞だいめいしなどでけた場合ばあいかまたは通常つうじょうの<おも>を意味いみすることば」とを区別くべつするためである[14]。1893ねん時点じてん日本にっぽんせい公会こうかいも、エホバではなくおもかたりもちいるべきだとしている[15]

おもに「英語えいごけん」・「スラブけん」となるが 実際じっさいの「せいよん文字もじ」の表記ひょうきれいを「いずるエジプト20」からげる。


表記ひょうきれい[編集へんしゅう]

言語げんご 翻訳ほんやく書名しょめい יהוה部分ぶぶん表記ひょうき
英語えいご TANAKH[16] 1985 Lord
英語えいご The Holy Bible in Today's Version 1997 Κυριος
英語えいご Tyndale 1530 Lord
英語えいご Wycliffe 1382 Lord
英語えいご GENEVA 1560 1599 Lord
ラテン語らてんご VULGATAE 1710 Domini
ラテン語らてんご VULGATAE 1985 Domini
英語えいご King James Version 1611 LORD
英語えいご Revised Version 1885 LORD
英語えいご Revised Version Standard American Edition 1901 Jehova
英語えいご American Standard Version 1901 Jehovah
英語えいご New Catholic Edition 1954 Lord
英語えいご THE BIBLE IN BASIC ENGLISH 1949 Lord
英語えいご REVISED STANDARD VERSION 1971 LORD
英語えいご RSV CATHOLIC EDITION 2004 LORD
英語えいご THE MOFFATT TRANSLATION 1972 the Eternal
英語えいご New American Standard Bible 1973 Lord
英語えいご New World Translation 1984 Jehovah
英語えいご NEW REVISED STANDAD VERSION 1989 Lord
英語えいご THE NEW KING JAMES VERSION 1990 LORD
英語えいご THE BIBLE for children 1990 Lord
英語えいご The New Amarican Bible 1992 LORD
英語えいご NEW LIVING TRANSLATION 1997 LORD
英語えいご DOUAY-RHEMS 1900(NT) 2003 2007 Lord
英語えいご Recovery Version 2003 Jehovah
英語えいご ENGLISH STANDARD VERSION 2001 LORD
英語えいご NEW INTERNATIONAL VERSION 1986 2011 LORD
英語えいご New Revised S tandard Version Catholic Edition 2011 LORD
不明ふめい言語げんご Welsh Y BEIBL 1977 2004 ARGLWYDD
ロシア БИБЛИЯ 1948 1993 2000 Господь
ブルガリア БИБЛИЯ 1951 Иеова
ブルガリア БИБЛИЯ 1982 Господ
ウクライナ БИБЛИЯ 1962 1992 2011 Господь
エストニア Biibli Raamat 1945 Jehowa
エストニア PIIBEL 1997 Issand
不明ふめい言語げんご СВЕТО ПИСМО 2009 Господ
ハンガリー SZENT BIBLIA 1957 2008 Ur
ルーマニア Rumanian 1962 Domnul
ポーランド BIBLIA SWIETA 1959 1999 Pan
ポーランド PISMO SWIETA 1994 2011 Pan
セルビア СВЕТО ПИСМО 1953 1998 Господ
クロアチア SVETO PISMO 1962 1997 Gaspodin
チェコ BIBLE SVATA 1991 Hospodin
スロベニア SVETO PISMO 1960 Gospod
ドイツ Die Bibel (M.L) 1962 1975 Herr
ドイツ ZURCHER BIBEL 1971 Herr
ドイツ ZURCHER BIBEL 2007 HERR
ドイツ BIBEL OT 1922 Jahwes
ドイツ Dem Heiligen Seift 1936 1937 Herr
オランダ BIJBEL 1930 HERRE
オランダ BIJBEL 2005 HERR
デンマーク BIBELEN 2006 Herren
ノルウェー BIBELEN 1962 2006 Herren
フィンランド PYHA RAAMATTU 1961 Herra
スウェーデン BIBELEN 1961 HERREN
スウェーデン BIBELN 2000 Herren
アイスランド BIBLIAN 1981 Drottinn
アイスランド BIBLIAN 1998 Drottinn
不明ふめい言語げんご LA SANTA BIBLIA 1960 Jehova
不明ふめい言語げんご La Sainte Bible 1979 l'Eternel
イタリア LA SACRA BIBBIA 1961 Signore
イタリア Italian BIBBIA 1985 Signore

かみ[編集へんしゅう]

旧約きゅうやく聖書せいしょでは、「かみ」という一般いっぱん名詞めいしであるエル(古典こてんてきなヘブライ発音はつおんエール)やその複数ふくすうがたאלהיםエロヒム)」[ちゅう 3]もヤハウェの呼称こしょうとしてもちいられる。一般いっぱんに、日本語にほんごやく聖書せいしょではこれらの音訳おんやく使用しようせず、これに相当そうとうする箇所かしょかんやく聖書せいしょでの訳語やくご踏襲とうしゅうかみとするものがおおい。「全能ぜんのうたすもの」を意味いみするとされるシャダイのかたりしてエル・シャダイとした箇所かしょは、全能ぜんのうかみなどとやくされる。

上帝じょうてい[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく聖書せいしょには、ほんこうかみについて「かみ」というかたりをあてたもののほか、「上帝じょうてい」となっているものが多数たすう存在そんざいした。今日きょうおお使つかわれる和合本わごうほんという翻訳ほんやく聖書せいしょも、このかたりを「かみ」としたうえで1文字もじぶん空白くうはくをあけ、2文字もじの「上帝じょうてい」とおな文字もじおくりにしたものがおお[ちゅう 4]

かみ」のが、「אלהים」または「אלוהים」、古代こだいギリシャΘεός(テオス)」、英語えいごGod[ちゅう 5]訳語やくごてられたのは、近代きんだい日本にっぽんでのキリスト教きりすときょう宣教せんきょう先行せんこうしていたきよしにおけるキリスト教きりすときょう宣教せんきょう先駆せんくしゃである、ロバート・モリソンによる漢文かんぶん聖書せいしょにおいてであった[17]。しかしながら訳語やくごとしての「かみ」の妥当だとうせいについては、ロバート・モリソン死後しごの1840年代ねんだいから1850年代ねんだいにかけて、きよしにおける宣教せんきょうだんあいだでも議論ぎろんれていた。おおきくけて「上帝じょうてい」をと「かみ」をとが存在そんざいしたが、和訳わやく聖書せいしょのモリソンやくながれをブリッジマン・カルバートソンによる漢文かんぶんやく聖書せいしょ[18][19]は、「かみ」を採用さいようしていた。

多数たすう日本語にほんごやく聖書せいしょはこのながれを[20]、1938ねんには「かみ」という用語ようごについてキリストきょう神学しんがくしゃ前島まえじまきよしろんじることはあった[21]ものの、今日きょういたるまで適訳てきやくであるかどうかをほぼ問題もんだいとせずに「かみ」を翻訳ほんやくとして採用さいようするものが多数たすうとなっている。

固有名詞こゆうめいし[編集へんしゅう]

旧約きゅうやく聖書せいしょすなわちヘブライ聖書せいしょ原文げんぶんには、ヘブライしるされた名前なまえיהוה(ヤハウェ)」[ちゅう 1]が6,859かい登場とうじょうするとされている。

これは4文字もじヘブライ文字もじからなることから、テトラグラマトンΤετραγράμματον,古代こだいギリシアで「よん」の)ともばれる。アラム文字もじでヘブライ記述きじゅつするようになってからも、この4文字もじフェニキア文字もじかれていたとされる[22]。なお、これらはラテン文字もじだと「YHVH」「YHWH」「JHVH」「JHWH」「IHVH」などとこぼしされる。

しん共同きょうどうやく聖書せいしょ付録ふろくには、「神聖しんせいよん文字もじ YHWH」についてつぎのようにしるされている。

このかたり正確せいかくかたからないが一般いっぱんヤーウェまたヤハウェと表記ひょうきされている。このかみめい人名じんめい末尾まつびに「ヤー」というみじかかたち付加ふかされることがおおい(「イザヤ」「エレミヤ」)など) — 『しん共同きょうどうやく聖書せいしょ付録ふろく30ページ「用語ようご解説かいせつおも(しゅ)

なお、同書どうしょでは「旧約きゅうやく聖書せいしょちゅう」とあり、一般いっぱんにこの固有名詞こゆうめいし新約しんやく聖書せいしょには登場とうじょうしない(ただし後述こうじゅつにもあるようにヤハウェの短縮形たんしゅくけいが「ハレルヤ」のかたち新約しんやく聖書せいしょのヨハネの黙示録もくしろく19しょうてくる)。(新約しんやく聖書せいしょにおける固有名詞こゆうめいしくわしい詳細しょうさい以下いかの、新約しんやく聖書せいしょとテトラグラマトン(YHWH)を参照さんしょう)

発音はつおん[編集へんしゅう]

もともとヘブライ母音ぼいん表記ひょうきほうたなかった。語根ごこん子音しいんだけから語形ごけい変化へんか母音ぼいんだけであらわすので、語句ごく文章ぶんしょう子音しいん文字もじのみで記述きじゅつされ、母音ぼいん復元ふくげんはもっぱら語彙ごいちからによった。この方式ほうしきアブジャドといい、現代げんだいアラビアなどにもみられる。

やがて聖書せいしょヘブライ日常にちじょう言語げんごとしては死語しごになり、せいよん文字もじなんむか、正確せいかく発音はつおん消失しょうしつした。消失しょうしつ経緯けいい後述こうじゅつするように、その発音はつおん人々ひとびとくちのぼらなくなっていたのである。

しかしのちに、ニクダーもしくはニクードとばれるいろいろな点々てんてんつことにより、母音ぼいん表記ひょうき可能かのうとなった。

また、すでにユダヤじんは、詠唱えいしょうさいにヤハウェの登場とうじょうする箇所かしょをアドナイ(「わがおも」、消失しょうしつ経緯けいい後述こうじゅつ[8]えるようになっていた。

そのさい、ヤハウェ(の子音しいん)「יהוה」に、アドナイ אֲדֹנָיおなじニクードすなわち -ă -ō -a という母音ぼいんしめ点々てんてんって、そうならわした。

これをそのままむと、イェホワ (יְהֹוָה、YəHōVaH) とめる(文法ぶんぽうじょう、ヘブライ文字もじ y にはじゃく母音ぼいんの「ă」をけられないため、曖昧あいまい母音ぼいんのエ ə変化へんかする)。

日本語にほんごのエホバ(ヱホバ)、英語えいごの「Jehovah」、およびかく言語げんごのそれにるいするかたちは、ここに由来ゆらいするのである。

それらはかくりつてきただしいみに偶然ぐうぜん一致いっちする可能かのうせい完全かんぜんにはてきれないかもしれないが、あくまで可能かのうせいであって、学術がくじゅつてきにはヤハウェと推定すいていする見解けんかい今日きょうほぼ一致いっちしている(異論いろんもある[23])。

日本語にほんごではヤハウェのほかにヤハヴェ YaHVeH(ヘブライ文字もじו [w]は現代げんだいヘブライみで/v/と発音はつおん)、ヤーウェ YaHWe(HのaHを長音ちょうおんとしておとうつし)などの表記ひょうきもちいられることもある。

人名じんめいなどの固有名詞こゆうめいし要素ようそとしてもちいられる יהוה略称りゃくしょうは「ヤ」 ( יָה [yāh])、「ヤフ」 (יָהוּ [yāhû])とうであり、ここから最初さいしょ母音ぼいんはaであったと推測すいそくできる。

また、古代こだい教父きょうふによるギリシア文字もじ転写形てんしゃがたとして Ιいおたαあるふぁοおみくろんυうぷしろんεいぷしろん (イァォウェ)[24]Ιいおたαあるふぁβべーたεいぷしろん (イァベ)[25]があり、これらからYHWHの本来ほんらい発音はつおん英語えいごしき表記ひょうきするところの「Yahweh」あるいは「Yahveh」であったと推測すいそくされている。

消失しょうしつ経緯けいい[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつとおりユダヤじんは、詠唱えいしょうさいもアドナイとえるなどして、ヤハウェの発音はつおんけてきた。現在げんざいもユダヤじん一般いっぱん生活せいかつにおいて、ヤハウェをヤハウェとばず、アドナイあるいはハッシェム(הַשֵּׁם [haš Šēm])などとぶ。これらは、ヤハウェとはべつかたりである。

理由りゆうのひとつとして、エジプトさるいのちなどにみられるモーセの十戒じっかいのうちつぎげるものについて、直接ちょくせつかみくちにすることはおそおお禁忌きんきである、との解釈かいしゃく後代こうだい成立せいりつしたためではないかとかんがえられている(同一どういつ箇所かしょである。また、ヱホバとはヤハウェのことである)。

なんじかみヱホバのを妄にくちにあぐべからずヱホバはおのれのを妄にあぐるしゃばっせではおかざるべし
あなたは、あなたのかみおもを、みだりにとなえてはならない。あるじは、みをみだりにとなえるものを、ばっしないではかないであろう。

これは本来ほんらいそのみだりにとなえ、くちにあげること(ヤハウェの連呼れんこして呪文じゅもんとすること、もしくはヤハウェのくちにあげてちかっておきながら実際じっさいにはうそをつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」とおしえるものであって、発音はつおんきんずる趣旨しゅしではないというせつがある。

ふるくはこの自由じゆうくちにされていたようである。みなみユダ王国おうこく崩壊ほうかいからバビロンしゅうまでの時代じだいかれた『ラキシュ書簡しょかん』にも יהוה頻繁ひんぱんあらわれており、このがこの時代じだいいたってもなおくちにされていたことがわかる。また、それ以後いごにもこれをしるした史料しりょう散見さんけんされる。

だが、だい神殿しんでん時代じだいに、おおやけでヤハウェの名前なまえはなすことはタブーとなされるようになり[26]わりにユダヤじんはその名前なまえをアドナイ(אֲדֹנָי、「わたしあるじ」)という言葉ことばはじめた。 ローマ時代じだい、エルサレム包囲ほういせんとその神殿しんでん破壊はかいつづいて、西暦せいれき70ねんに、かみ名前なまえもと発音はつおん完全かんぜんわすれられた[26]。タブーされたため、当時とうじ成立せいりつした福音ふくいんしょによれば、かみイエスもこれをはばかって「てんちち」などと表現ひょうげんしたというせつがあった。

これまで、紀元前きげんぜん3世紀せいきはじめごろから翻訳ほんやくはじまった『ななじゅうにんやく聖書せいしょ』(旧約きゅうやく聖書せいしょのギリシャやく)では、原語げんごのヘブライでの「יהוה(ヤハウェ)」がえられ、ほとんどの箇所かしょで「あるじ」を意味いみする「Κύριος(キュリオス)」とやくされているとされてきた。なぜなら、4世紀せいきころのものとおもわれるななじゅうにんやく聖書せいしょふる写本しゃほんには、かみてくる部分ぶぶんで「あるじ」という言葉ことばへのえがなされているからである。

しかし、1940年代ねんだいにパピルス・ファド266ごう名付なづけられた写本しゃほん断片だんぺんがエジプトで発見はっけんされ、その年代ねんだいまえ1世紀せいきのものであることがわかった。この最古さいこ部類ぶるい写本しゃほん断片だんぺんちゅうには、てくるべきすべての箇所かしょかみがヘブライふる方形ほうけい文字もじあらわされていた。(パピルス・ファド266ごう現在げんざいカイロのエジプト・パピルスがく協会きょうかい所蔵しょぞう

また、発見はっけんされたうみ文書ぶんしょ一部いちぶであるぜん1世紀せいきのレビ26しょうのギリシャ断片だんぺん4Q120には、かみのギリシャ語形ごけいとしてιいおたαあるふぁωおめが(イアオ)とこぼしされている。

さらに、1961ねんにナハル・へベルで発見はっけんされた1世紀せいきななじゅうにんやく写本しゃほん断片だんぺんであるななじゅうやくVTS10aとななじゅうやくVTS10b、ななじゅうやくIEJ12にも古代こだいヘブライかみしるされていた[27]

またエジプトのオクシリンコスで発見はっけんされたP3522断片だんぺんは1世紀せいきのもので、ヨブ42しょう11,12せつしるされており、そこにかみ古代こだいヘブライ文字もじかれていた。このような最古さいこ写本しゃほん断片だんぺん研究けんきゅう結果けっかもとづき、以下いかろんされた。

オックスフォおっくすふぉド大学どだいがくのパウル・E・カール博士はかせは「クリスチャン時代じだい以前いぜんのユダヤじんのためにユダヤじんによってやくされたギリシャやく聖書せいしょすべては、かみとしてヘブライ文字もじのテトラグラマトンをもちいていた」とべている[28]

新約しんやく神学しんがくしん国際こくさい辞典じてんはこういている「本文ほんぶんかんする最近さいきん発見はっけんは、ななじゅうにんやくへんさんしゃたちがよん文字もじYHWHをやくさいキュリオスというかたりもちいたとするかんがえにうたがいをとうじた。今日きょう我々われわれにすることのできるななじゅうにんやく最古さいこしょ写本しゃほんには、よん文字もじがギリシャ本文ほんぶんちゅうにヘブライ文字もじしるされている。この習慣しゅうかん旧約きゅうやく翻訳ほんやくした後代こうだいのユダヤじん翻訳ほんやくしゃたちによって1世紀せいきがれた」[29]

(この議論ぎろんかんする詳細しょうさいは、以下いか新約しんやく聖書せいしょとテトラグラマトン(YHWH)を参照さんしょう

語源ごげん[編集へんしゅう]

ふるくからヤハウェのは、「存在そんざい」を意味いみする語根ごこん(√היה [√hyh])と関連かんれんづけて解釈かいしゃくされてきた。これは『いずるエジプトだい3しょうだい14せつで、ヤハウェがモーセにこたえて「わたしりてるものである」 (אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה [’ehyeh ’ăšer ’ehyeh])と名乗なのったこと由来ゆらいする。

この「わたしる」(אֶהְיֶה [’ehyeh])という一人称いちにんしょう単数たんすう完了かんりょうしょう動詞どうし三人称さんにんしょう単数たんすう男性だんせい完了かんりょうそうかたちかれる」にするとיִהְיֶה [yihyeh]となり、יהוהかたちになる。ここから、ヤハウェのはイヒイェの転訛てんかで「『いずるエジプト』に一言ひとこと 」「かれりてるものである」「実在じつざいするもの」「ありありとまえり、られるもの」などの意味いみだと解釈かいしゃくされてきた。

ヘブライじん誓言せいげんときに「おもきておられる」というまり文句もんく使つかっていたが、ここからもかれらがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々なまなましく実在じつざいするもの」ととらえていたことがわかる。はっきりしているのは、創世そうせい冒頭ぼうとうにより、ユダヤじんキリスト教徒きりすときょうとムスリム)は、やみしゅ要素ようそとなる宇宙うちゅう空間くうかん構築こうちくした正体しょうたいを、ヤハウェ(ゴッドアッラー)であるとかんがえているてんである。エロヒム (אלהים) はアラハヤム(アラー)ともめる。また、ヘブライではエジプトの太陽たいようしんのことをアラー (אל) と表記ひょうきする[ちゅう 6]

また、היהのヒフイル(使役しえきたい三人称さんにんしょう単数たんすう男性だんせい完了かんりょうしょうかたちが、יַהְיֶה[yahyeh]となり、ちょうど「ヤハウェ」とおな母音ぼいんわせになる。ここからそのを「らしめるもの」「創造そうぞうしん」とする解釈かいしゃくもある。


短縮形たんしゅくけい[編集へんしゅう]

ほんこうかみたたえるさいはっするヘブライハレルヤ」(Hallelujah)の末尾まつびの「ヤ」(ヤハJah)はその短縮形たんしゅくけい旧約きゅうやく聖書せいしょ新約しんやく聖書せいしょのヨハネの黙示録もくしろくてくる表現ひょうげんである。ジャマイカ発生はっせいしたラスタファリ運動うんどうにおいても「ジャー」(Jah) というかたちることができる。

ヤハウェ[編集へんしゅう]

#発音はつおんのセクションでべたとおり、今日きょう推定すいていされるみのひとつ。中沢なかざわひろしじゅによる旧約きゅうやく聖書せいしょ[30]では「ハ」を小書こがきにしたヤㇵウェがもちいられている。

ヤーウェ[編集へんしゅう]

#発音はつおんのセクションでべたとおり、今日きょう推定すいていされるみのひとつ。聖書せいしょ研究けんきゅうさかんな英語えいごけんでは"Yahweh"を一般いっぱんに「ヤーウェ/ˈjɑːwe/[31]発音はつおんする。

カトリックの『フランシスコかいやく聖書せいしょ』で使用しようされるみである。

あるじ前述ぜんじゅつとおり、『しん共同きょうどうやく』ではこのかみをほぼ一貫いっかんして「あるじ」とび、『創世そうせいだい22しょう14せつでのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆるイサクの燔祭おこなわれた「ヤーウェ・イルエ」の地名ちめい説明せつめいするために発音はつおんしめしたものである。

なお、この箇所かしょパブリックドメインしたほか聖書せいしょではこうなっている。

アブラハム其處をヱホバエレ(ヱホバあずか備たまはん)とえん今日きょうもなほ人々ひとびとやまにヱホバあずか備たまはんといふ
それでアブラハムはそのところをアドナイ・エレとんだ。これにより、人々ひとびと今日きょうもなお「おもやまそなえあり」とう。
アブラハムはそのところを「ヤーウェ・イルエ」とづけた。それで今日きょうでもなお、「ヤーウェのやまはからわれる」とわれている。

ヤハヴェ[編集へんしゅう]

おなじく学術がくじゅつてき推定すいていされるみである。教会きょうかい関根せきね正雄まさおによる旧約きゅうやく聖書せいしょなどに登場とうじょうする。

ヱホバ[編集へんしゅう]

日本にっぽん国語こくごとして伝統でんとうてきかたちである。『明治めいじもとわけ聖書せいしょ』とともに普及ふきゅうし、ひろ日本にっぽん思想しそう文学ぶんがく影響えいきょうあたえた[32]。 『明治めいじもとわけ聖書せいしょ』はヘボンらによって1887ねん完成かんせいし、旧約きゅうやく聖書せいしょ部分ぶぶんにこのかたりもちいられている。 エホバの証人しょうにんも、しん世界せかいやく聖書せいしょもちいるようになるまでこのかたり登場とうじょうするこの翻訳ほんやく使用しようしてきた。 静岡しずおかけん富士宮ふじのみやふもとには、日本にっぽんヱホバ教団きょうだんという文部もんぶ科学かがく大臣だいじん所轄しょかつ包括ほうかつ宗教しゅうきょう法人ほうじん所在しょざいすることが指摘してきされている[33]

エホバ[編集へんしゅう]

ノルウェーの教会きょうかいかかげられている「IEHOVA」の文字もじ

歴史れきしてき仮名遣かなづかいかれたヱホバを戦後せんご現代げんだい仮名遣かなづかなおしたもの。

「エホバ」もしくは「ヱホバ」のみ(表記ひょうき)は、日本にっぽん文学ぶんがくにおいてもふるくからこのまれてきた。れいとして、カトリック俳人はいじん阿波あわあおうね俳句はいくがある。

銀河ぎんがよりかむエホバのささやきを — あおうね

なお、前掲ぜんけい底本ていほんはその弟子でしである日本にっぽんイエス・キリスト教団きょうだん 明石あかし人丸ひとまる教会きょうかいのプロテスタント俳人はいじんやまだみのるによるウェブサイトの秀句しゅうく鑑賞かんしょうのページによったが、このにはつぎのようなかたちもあり、どうサイトあおうね俳句はいく研究けんきゅうのページでは後者こうしゃ鑑賞かんしょうおこなわれている。

銀河ぎんがよりかむエホバのひとりごと — あおうね


なお、現存げんそんする新約しんやく聖書せいしょ写本しゃほんにはかみ使用しようされている翻訳ほんやくつかっていない。しかし、ヘブライ語学ごがく教授きょうじゅのエリアス・フッターは、12の言語げんご (ヘブライ、ギリシャ、シリアラテン語らてんご英語えいご、ドイツフランス語ふらんすご、イタリア、スペイン、デンマーク、ボヘミア、ポーランド) を対訳たいやくしたニュルンベルク多国たこく対訳たいやく聖書せいしょ[34]作成さくせいし、新約しんやく聖書せいしょのヘブライらんで、かみיהוהを200かい以上いじょうもちいた。 この聖書せいしょはその聖書せいしょ学者がくしゃたちの資料しりょうとなっている。また、1864ねんにハーマン・ハインフェッターは「新約しんやく聖書せいしょ」を出版しゅっぱんし、新約しんやく聖書せいしょにおいてかみ御名ぎょめいを「Jehovah」(エホバ)とやくして100かい以上いじょうもちいている。現代げんだいいたるまで、英語えいご、ドイツ、スペインなど120以上いじょう言語げんごで、新約しんやく聖書せいしょちゅうかみもちいられている聖書せいしょ出版しゅっぱんされている。

エホバの証人しょうにん翻訳ほんやくによる『しん世界せかいやく聖書せいしょ』でも、「クリスチャンーギリシャ聖書せいしょ」(一般いっぱん新約しんやく聖書せいしょ)でも「エホバ」をもちいている。新約しんやくのそのようなやくかたについて「かみのみ復元ふくげんしている」とし、「これらのやくかた支持しじする様々さまざま資料しりょう」をげている[証人しょうにん 1]一方いっぽう懐疑かいぎてき見解けんかいせる専門せんもんは、信頼しんらいある校訂こうてい本文ほんぶん古代こだいやく教父きょうふ文書ぶんしょにもかみがないことなどを指摘してきし、『しん世界せかいやく』の「資料しりょう」に問題もんだいがあることを5箇条かじょうにまとめてしめし、新約しんやくで「エホバとやくしたこと、これは正当せいとう根拠こんきょがない」としている[35]

日本にっぽんにおいて、エホバの証人しょうにん源流げんりゅうおなじくする灯台とうだいしゃ燈臺とうだいしゃいん戦時せんじちゅう明石あかし順三じゅんぞう主幹しゅかんわけによって「エホバのあかししゃ」としょうされた。そして戦後せんごしばらくして、このはエホバの証人しょうにんあらためられ、現在げんざいいたる。

新約しんやく聖書せいしょとテトラグラマトン(YHWH)[編集へんしゅう]

テトラグラマトン(YHWH)は、現存げんそんする新約しんやく聖書せいしょ写本しゃほんにはられない。これらはすべて、テトラグラマトンがふくまれているヘブライ旧約きゅうやく聖書せいしょからの引用いんようにKyrios/κύριος(あるじ)またはTheos/θεός(かみ)という単語たんごふくまれている。

新約しんやく聖書せいしょのヘブライ聖書せいしょからの引用いんようは、一般いっぱんてきななじゅうにんやく聖書せいしょからられており、現存げんそんするすべての新約しんやく聖書せいしょ写本しゃほんでは、ほとんどギリシャのκύριος(「あるじ」)が使用しようされている。まれにギリシャのθεός(「かみ」)が使用しようされているが、テトラグラマトン自体じたいや、ιαωへの絶対ぜったい使用しようしていない。たとえば、ルカによる福音ふくいんしょだい4しょう17せつは、イエスがナザレの会堂かいどうでイザヤの巻物まきものからイザヤ61:1–2をどのようにんだかをかたるときにκύριοςを使用しようしている[36]

現存げんそんする新約しんやく聖書せいしょ写本しゃほんにはテトラグラマトンがかれていないため、原本げんぽん新約しんやく聖書せいしょにもテトラグラマトンはかれていないとかんがえられた。しかし、20世紀せいきなかば、また最近さいきん発見はっけんされたうみ写本しゃほんは、さらふる西暦せいれき1世紀せいきころのななじゅうにんやく聖書せいしょ写本しゃほんふくんでおり、そこにかみיהוה(ヤハウェ)」がてくることから、かみ新約しんやく聖書せいしょにも当初とうしょ使用しようされたとされる研究けんきゅう結果けっかされていた[37][ちゅう 7]

George Howardの仮説かせつ[編集へんしゅう]

このてんかんし、George Howardは1977ねん聖書せいしょ文献ぶんけんジャーナル以下いか仮説かせつ[ちゅう 8]発表はっぴょうした。

「クリスチャン時代じだい以前いぜんのユダヤじんのために,ユダヤじんによってやくされたギリシャやく聖書せいしょすべては,かみとして,ヘブライ文字もじのテトラグラマトンをもちいていたにちがいない。そして,ななじゅうにんやく聖書せいしょのクリスチャンによる写本しゃほんられるように,キュリオスおよびその略号りゃくごう使つかわれるようなことはなかった」と指摘してきされている[38]。さらに「初期しょき教会きょうかい聖書せいしょはギリシャ聖書せいしょ写本しゃほんであるが,そのなかになおよん文字もじ<テトラグラマトン>がかれていた以上いじょう新約しんやく筆者ひっしゃ聖書せいしょから引用いんようするとき,聖書せいしょ本文ほんぶんちゅうよん文字もじ<テトラグラマトン>を保存ほぞんしたことは当然とうぜんかんがえられる。……しかしそれがギリシャ旧約きゅうやく[聖書せいしょ]からのぞかれたとき新約しんやく[聖書せいしょ]ちゅう引用いんようされた旧約きゅうやく[聖書せいしょ]のひじりからもそれはのぞかれてしまった。それで2世紀せいきはじめごろに,よん文字もじ<テトラグラマトン>は,代用だいようのために新旧しんきゅうやく両方りょうほう聖書せいしょからされてしまったにちがいない」との見解けんかいべている[39]

Howardがてた仮説かせつは、ギリシャ旧約きゅうやく聖書せいしょバージョンには、当時とうじ、その用語ようごκύριοςがふくまれていなかったという提案ていあんもとづいている。κύριοςは、ななじゅうにんやく聖書せいしょ全文ぜんぶん現存げんそんする写本しゃほんられるが、それらはすべて後年こうねんのものである。しかし、写本しゃほんにはつねにテトラグラマトン自体じたい存在そんざいしており、それはヘブライ文字もじ(יהוה)または旧約きゅうやく聖書せいしょ文字もじ(𐤉𐤄𐤅𐤄)でかれているか、代替だいがえとして、音声おんせいによるギリシャ音訳おんやくιいおたαあるふぁωおめがあらわされている。

George Howardの仮説かせつたいする批判ひはん[編集へんしゅう]

Robert J. WilkinsonはHowardの仮説かせつ否定ひていしている。「すべてのユダヤじんのギリシャ聖書せいしょ写本しゃほんがテトラグラマトンをっていたと主張しゅちょうすることは不可能ふかのうである。また、聖書せいしょのテキストでテトラグラマトンをんでいるひとが、べつのテキストに転写てんしゃするさい必然ひつぜんてきにそれを、たとえばκύριος [...]のように転記てんきすることもない。この推測すいそくされた説明せつめいでは、キリスト教徒きりすときょうと最初さいしょにキリストとYhwhを明確めいかく区別くべつするために、かれらの著作ちょさく聖書せいしょしょ文章ぶんしょう引用いんようし、それからかれ自身じしん著作ちょさくからテトラグラマトンを排除はいじょすることをめることによって「混乱こんらん」をまねいている。 なぜ、いつ、そんなことをしたのかとたずねるひともいるかもしれない」[40]

また、Robert J. Wilkinsonは、Howardの記事きじ特定とくていの「宗派しゅうは利益りえき」にかんして影響えいきょうりょくっていたとべている。かれは、エホバの証人しょうにん熱狂ねっきょうてき反応はんのうは、「回収かいしゅうされた初期しょきキリスト教きりすときょうギリシャ新約しんやく聖書せいしょすべての写本しゃほんおよ本文ほんぶんのヘブライテトラグラマトンの完全かんぜん欠如けつじょ」の状況じょうきょう明確めいかくさ(それらは宗派しゅうは立場たちばとは相容あいいれない)をおそらく幾分いくぶんおおかくした、とべている[41]

Larry W. Hurtadoは、「少数しょうすう人々ひとびと(たとえば、George Howard)の主張しゅちょうはんして、これらの注目ちゅうもくあたいする発展はってん(「非常ひじょうはや時期じきに、とうといイエスはYHWHに関連付かんれんづけられたため、元々もともとYHWHに適用てきようされていた実践じっせんとテキストは、イエスをさらなる指示しじ対象たいしょうしゃとしてふくむように(いわば)拡張かくちょうされた」)は、YHWHのわりに「κύριος(あるじ)」とくという、のちの書写しょしゃしゃ実行じっこうによってもたらされたあるしゅのテキストの混乱こんらんすることはできない。問題もんだい発展はってん非常ひじょうはやくそして非常ひじょう迅速じんそく激増げきぞうしたため、そのような提案ていあん無意味むいみなものになった」と発言はつげんしている[42]

Albert Pietersmaは、Howardの主張しゅちょう異議いぎとなえている。「いまでは、かみであるיהוהは、キリストきょう以前いぜん聖書せいしょではκύριοςによって表現ひょうげんされたものではないとほぼ確実かくじつうことができる」  また、Albert Pietersmaは、ななじゅうにんやく聖書せいしょにはもともとκύριοςがふくまれており、いくつかのコピーにテトラグラマトンを挿入そうにゅうすることは「LXXの伝統でんとうへのてきかつ外国がいこく侵入しんにゅう」となすことができるとかんがえている[43]

2013ねん、Larry Weir Hurtadoはつぎのようにべている。「ななじゅうにんやく聖書せいしょ西暦せいれき3世紀せいき以降いこう)では、「κύριος」(ギリシャ:「あるじ」)がかなり頻繁ひんぱん使用しようされている。 しかし、初期しょき慣習かんしゅう一貫いっかんしてYHWHを「Kyrios」(κυριος)で翻訳ほんやくしたというひとたち、ヘブライかみ名前なまえ最初さいしょΙいおたΑあるふぁΩおめが(「Iao」)と発音はつおんして表現ひょうげんされたというひとたち、かみ名前なまえはもともとヘブライ文字もじ保持ほじされていたというひとたちがいる。わたしかぎり、この問題もんだいかんする最新さいしん議論ぎろんは、MartinRöselによる最近さいきんのジャーナル記事きじである」[44]

Martin Röselは、ななじゅうにんやく聖書せいしょがヘブライテキストのテトラグラマトンをあらわすためにκύριοςを使用しようし、ななじゅうにんやく聖書せいしょのいくつかのコピーにヘブライテトラグラマトンが出現しゅつげんしたのは、うしろもとのκύριοςをえたためであるとかんがえている。

「ギリシャばんモーセしょによる聖書せいしょ釈義しゃくぎ観察かんさつによって、ななじゅうにんやく聖書せいしょ翻訳ほんやくしゃはすでにテトラグラマトンの適切てきせつ表現ひょうげんとして「あるじ」(κύριος)を選択せんたくしていることがあきらかになった。よって、一部いちぶのギリシャ写本しゃほんにおけるヘブライのテトラグラマトンへのえはオリジナルではない」[45]

Röselは、κύριοςはあきらかに初期しょきのクリスチャンがギリシャ聖書せいしょんだ名前なまえでしたが、「AquilaとSymmachus、およびいくつかのななじゅうにんやく聖書せいしょ写本しゃほんふくむ、ギリシャ聖書せいしょのユダヤじんばん」には、ヘブライ文字もじのテトラグラマトン、または、ヘブライのיהוהを模倣もほうしたフォームΠΙΠΙがあり、ギリシャ発音はつおん記号きごうΙいおたΑあるふぁΩおめが(文字もじ:ιいおたαあるふぁωおめが)の独創どくそうせいたいする議論ぎろん想起そうきしている[46]原稿げんこう分析ぶんせき決定的けっていてき性質せいしつ考慮こうりょして、Röselはななじゅうにんやく聖書せいしょ内部ないぶにある証拠しょうこ提案ていあんし、「κύριοςは最初さいしょ翻訳ほんやくしゃもと表現ひょうげんである」ことを示唆しさしている。 これらはもっと初期しょきのものであり、翻訳ほんやくしゃ神学しんがくてき思考しこう垣間見かいまみることができる[47]かれ以前いぜんべたように、「ななじゅうにんやく聖書せいしょ翻訳ほんやくしゃは、かみ名前なまえ相当そうとうするものをえらぶときに神学しんがくてき考察こうさつ影響えいきょうされた」からだとべている[48]。いくつかの文脈ぶんみゃくでは、κύριοςがわ公正こうせいきびしさの印象いんしょうあたえることをけるため、それらのわりにθεόςでテトラグラマトンをあらわしている[49]。したがって、直接ちょくせつ文脈ぶんみゃくでは、目下もっか翻訳ほんやくにκύριοςをちいることを回避かいひするためのθεόςの使用しようについて「筆記ひっきしゃがヘブライのテトラグラマトンまたはギリシャΙいおたΑあるふぁΩおめが(ιいおたαあるふぁωおめが)をὁθεόςの形式けいしき変更へんこうする必要ひつようがあるとはかんがえられない」と説明せつめいしている[50]。ヘブライから翻訳ほんやくされていないだいせいてんや、元々もともとギリシャで(新約しんやく聖書せいしょのように)作曲さっきょくされたほんやPhiloの作品さくひんにκύριοςが存在そんざいすることから、Röselは、「κύριοςをיהוהの表現ひょうげんとして使用しようすることは、キリストきょう以前いぜん起源きげんでなければならない」とべている[51]

Röselは、この使用しようはユダヤじんあいだ普遍ふへんてきではなかったとくわえた。これは、のちもとななじゅうにんやく聖書せいしょにあるκύριοςが、ヘブライのテトラグラマトンにえられたことからも理解りかいされる。 そして「聖書せいしょ写本しゃほん4QLXXLevbのΙいおたΑあるふぁΩおめが(ιいおたαあるふぁωおめが)のみは、まだ説明せつめいされていないなぞである。うことができるのは、そのようなみがオリジナルであると主張しゅちょうすることはできないということである」[51]

エホバの証人しょうにんしん世界せかいやく聖書せいしょ[編集へんしゅう]

Robert J. Wilkinsonが指摘してきしているように、エホバの証人しょうにん翻訳ほんやくによる『しん世界せかいやく聖書せいしょ』は、George Howardの論文ろんぶん根拠こんきょに「ヘブライ-アラム聖書せいしょ」(一般いっぱんにいう旧約きゅうやく聖書せいしょ)のみならず、つづく「クリスチャンーギリシャ聖書せいしょ」(一般いっぱん新約しんやく聖書せいしょ)でもかみ復元ふくげんし、これらのやくかた支持しじする様々さまざま資料しりょうげている[証人しょうにん 2]

しかし、上記じょうきかれているMartin Röselによる研究けんきゅう結果けっかは、George Howardの仮説かせつはんして、オリジナルのななじゅうにんやく聖書せいしょはテトラグラマトンを使用しようせず、κύριοςを使用しようしていると結論けつろんけている。

発音はつおん記号きごうΙいおたΑあるふぁΩおめがとその文字もじιいおたαあるふぁωおめがについて[編集へんしゅう]

この発音はつおん記号きごうΙいおたΑあるふぁΩおめがとその文字もじιいおたαあるふぁωおめがについては、Frank ShawがThe Earliest Non-Mystical Jewish Use of Ιいおたαあるふぁωおめがにおいてろんじた。Frank Shawの想定そうていする可能かのうせい(「っていたかもしれない」)との暫定ざんていてき合意ごういは、Pavlos D. Vasileiadisによって表現ひょうげんされている。

「ギリシャ聖書せいしょのコピーのいくつかは、明示めいじてきおよび暗黙あんもくてきに、説得せっとくりょくのある証拠しょうこがある。リヨンのエイレナイオス、オリゲネス、カエサレアのエウセビオス、テルトゥリアヌス、ヒエロニムス、Ps-John Chrysostomなどのクリスチャンがんだように、テトラグラマトンにΙいおたαあるふぁωおめが使用しようした。この結論けつろん有効ゆうこうである場合ばあい、これは、かず世紀せいきあいだ分散ぶんさんしたキリスト教きりすときょう共同きょうどうたいによってまれた聖書せいしょのコピーのなかにヘブライのテトラグラマトンと、ますます優勢ゆうせいとなったノミナサクラの表現ひょうげんならんでΙいおたαあるふぁωおめがひろ存在そんざいしていたことを意味いみする。その結果けっかかんがえられる結果けっかは、Ιいおたαあるふぁωおめが(または、より可能かのうせいひくいが、同様どうようのギリシャ)がもとのNTコピーにあらわれた可能かのうせいがあるということである」[52]

ユダヤきょう成立せいりつのヤハウェ[編集へんしゅう]

旧約きゅうやく聖書せいしょけるヤハウェは唯一ゆいいつかみでありぜん世界せかい創造そうぞうしんとされ「宇宙うちゅう最高さいこう原理げんり」のようなもので、預言よげんしゃのぞいた一般人いっぱんじんにとっては、はっきりしない存在そんざいであるが、むしろみずか人間にんげんたちに積極せっきょくてきかたりかけ、「ねたむ」と自称じしょうするほど人類じんるいみずからの作品さくひんとしてあいし、創世そうせいのとおり人類じんるい内面ないめんをヤハウェにせてつくられたことがうかがえる。ただし、広義こうぎでは生物せいぶつ物質ぶっしつ人類じんるい性質せいしつており、人類じんるいがヤハウェにていることは宇宙うちゅう空間くうかん全体ぜんたい事象じしょう帰納きのうできる。また、『創世そうせいだい32しょうだい31せつ~や『エジプトだい4しょうだい24せつ~などにはみずか預言よげんしゃたちに試練しれんあたえる場面ばめんもあり、ヘブライじんたちがヤハウェをけっしてはっきりしないというだけではなく、預言よげんしゃつうじて実在じつざいかんのある存在そんざいとらえていたことがわかる。

キリスト教きりすときょうにおけるヤハウェ[編集へんしゅう]

Ἐγώ εいぷしろんἰµιいおた ὁ ὤνにゅー(エゴー・エイミ・ホ・オーン)」(わたしるものである)はイエスとヤハウェをむすけ、その神性しんせいあらわ意図いと多用たようされている。これはセプトゥアギンタの『いずるエジプトだい3しょうだい14せつでヤハウェが「わたしるものである」と名乗なのったので、イエスはこれを多用たようして自分じぶんがヤハウェと密接みっせつ関係かんけいにあることあんしめしたとされる(『ヨハネによる福音ふくいんしょだい8しょうだい58せつなど)。

三位一体さんみいったいきょうせつ成立せいりつして以降いこう、ヤハウェをたんかみとするにとどまらず、特定とくていかくむすびついたとしてとらえる論考ろんこうあらわれる。一般いっぱんに、西方せいほう教会きょうかいにおいてはヤハウェ(ラテン語らてんご文献ぶんけんではおおく「エホバ」)をちちなるかみ同一どういつすることがおおく、たいして東方とうほう教会きょうかいにおいてはヤハウェはイエス・キリスト神格しんかくにおけるであるとかんがえられることがある[だれによって?]

最近さいきん動向どうこうとして、2008ねん6がつ29にちづけでバチカンの教皇きょうこうちょう典礼てんれい秘跡ひせきしょうは「教皇きょうこう指示しじにより神聖しんせいよん文字もじ表記ひょうきされているかみ典礼てんれいにおいてもちいたり発音はつおんしたりしてはならない」との指針ししんしめした[53]教皇きょうこうちょうはこの指針ししんなかで、近年きんねんかみ固有こゆうめい発音はつおんする習慣しゅうかん増加ぞうかしている事態じたいたいして懸念けねん表明ひょうめいし、神聖しんせいよん文字もじについては「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「あるじ」とやくさなければならないとべ、かみ削除さくじょするようもとめている。これをけて日本にっぽんのカトリック司教しきょう協議きょうぎかいは、いのりや聖歌せいかにおいて「ヤーウェ」を使用しようしてきた箇所かしょ原則げんそくとして「あるじ」にえることを決定けっていした(いちれいとして「しゅヤーウェよ」とびかける部分ぶぶんは「かみであるおもよ」とされた)。

キリスト教きりすときょう神学しんがくにおける、聖書せいしょちゅうられるかみ属性ぞくせい性質せいしつ[編集へんしゅう]

キリスト教きりすときょう神学しんがくにおける、聖書せいしょちゅうられるかみ(ただし三位一体さんみいったい概念がいねんから「ちち(ヤハウェ)」と「キリスト)」と「聖霊せいれい」を意味いみする)の属性ぞくせい性質せいしつついての研究けんきゅうとして以下いかがある。

宗教しゅうきょう改革かいかくしゃジャン・カルヴァン著書ちょしょ[54]において、聖書せいしょにおけるかみについて「唯一ゆいいつにして永遠えいえんなるかみ」「生命せいめい知恵ちえちからぜんいつくしみとの源泉げんせん」「すべてのきものは例外れいがいなくかみよりたり、すべての賛美さんびもただしくかみすべき」とべている。

ヘンリー・シーセンは著書ちょしょ[55]においてかみ属性ぞくせいとして以下いか分類ぶんるいおこなっている。

  • 道徳どうとくてき属性ぞくせい」…①遍在へんざいせい全知ぜんちせい全能ぜんのうせい不変ふへんせい
  • 道徳どうとくてき属性ぞくせい」…⑤しんのきよさ⑥しん正義せいぎぜん真実しんじつ

またかみ性質せいしつとして「統一とういつせい」「三位一体さんみいったいせい」をげている。

エル・ベルコフは著書ちょしょ[56]においてかみ属性ぞくせいとして以下いか分類ぶんるいおこなっている

  • 絶対ぜったいてき属性ぞくせい・・・①しんどくそんせいまたは自存じそんせいしん不変ふへんせいしん無限むげんせいしん単一たんいつせい
  • 相似そうじせる属性ぞくせい人間にんげん属性ぞくせいとの類比るいひ。ただし完全かんぜんなるかみ不完全ふかんぜんなる人間にんげん類比るいひである。)・・・①しん知識ちしきしん知恵ちえしんぜんしんあいしんせいしんしんしん主権しゅけん

フロイド・ハミルトンは著書ちょしょ[57]において、かみ概念がいねんについて、近代きんだい自由じゆう主義しゅぎ神学しんがくしゃ傾向けいこうである「旧約きゅうやく聖書せいしょかみ概念がいねん軽視けいし新約しんやく聖書せいしょほうがまさってかみ概念がいねんしめしている)」を背信はいしんてきであるとし、旧約きゅうやくおよび新約しんやく聖書せいしょにおけるかみ一致いっちせい指摘してきしている。「新約しんやく聖書せいしょかみあいかみで、旧約きゅうやく聖書せいしょかみ残酷ざんこく復讐ふくしゅうかみである」ということを是認ぜにんできないとし、旧約きゅうやく聖書せいしょにおける「あいかみ」、新約しんやく聖書せいしょにおける「かみいかり」をしる言葉ことばをあげ、聖書せいしょにおけるかみ概念がいねん統一とういつせい指摘してきしている。

イスラム教いすらむきょうにおけるヤハウェ(かみ[編集へんしゅう]

イスラム教いすらむきょうではヤハウェについてアッラーフあるいはアラー、アッラーのアラビア呼称こしょうもちいる。

以下いか アッラーフ#イスラームきょうにおけるアッラーより加筆かひつ引用いんよう

イスラム書法しょほうにおけるアッラーフ

かみクルアーンさづけたとされるムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ以下いか「ムハンマド」)は、かみより派遣はけんされただい天使てんしガブリエルからかみ受託じゅたくアラビアかたった使徒しとであり、最後さいごにして最大さいだい預言よげんしゃとされる。ムハンマドはくまでかみから造物ぞうぶつである人類じんるいのために人類じんるいのなかからえらばれた存在そんざいぎない。そもそもかみ自体じたいが「みもせず、まれもしない」[58]、つまり時間じかん空間くうかん超越ちょうえつした絶対ぜったい固有こゆうであるため、キリスト教きりすときょう神学しんがくにおけるイエス・キリストぞうのように、ムハンマドを「かみ」となすような信仰しんこうてき神学しんがくてき位置付いちづけもされていない。

唯一ゆいいつ絶対ぜったいにして全知全能ぜんちぜんのうであり、すべてを超越ちょうえつする。「くしてみみくしてき、くちくしてかたる」とされる(意思いしだけの)存在そんざいであるため、あらゆるときにあらゆるにありて(遍在へんざい)、絵画かいが彫像ちょうぞうあらわすことはできない。イスラームきょうがイメージをもちいた礼拝れいはいを、偶像ぐうぞう崇拝すうはいとして完全かんぜん否定ひていしているのも、このためである。

イスラームのおしえは先行せんこうするユダヤきょうキリスト教きりすときょう確証かくしょうするものであるとされるため、アッラーはユダヤきょうキリスト教きりすときょうのヤハウェとおなじであるとされる[59]。(ユダヤきょう、キリストきょうはこれをみとめていない。)したがってかみろく日間にちかん天地てんち創造そうぞうしており、また最後さいごにはぜん人類じんるい死者ししゃまでも復活ふっかつさせ、最後さいご審判しんぱんおこなう「終末しゅうまつ」をつかさどる。

なお、一切いっさい超越ちょうえつした全能ぜんのうかみ(アッラーフ)が休息きゅうそくなどするはずがない[60]、という観点かんてんから、創造そうぞうろく日間にちかんのちかみ休息きゅうそくいたことを否定ひていするなどちがいはある。これはイスラームがユダヤきょうキリスト教きりすときょうおなじ「けいてん宗教しゅうきょう」として尊重そんちょうしながらも、それらのおしえに人為じんいてき改変かいへんあり、となしてきたことの顕著けんちょれいでもある。クルアーン現在げんざいかたちになったのはムハンマドの死後しごであるが、イスラム教徒きょうとかみつかわせただい天使てんしガブリエルからムハンマドにわせた言葉ことば現在げんざいのクルアーンに、完全かんぜん再現さいげんされているとかんがえている。

アッラーフ#イスラームきょうにおけるアッラーからの引用いんようわり。

起源きげんかんする諸説しょせつ[編集へんしゅう]

この旧約きゅうやく聖書せいしょなかはじめててくるのは創世そうせい2しょうであり、ユダヤきょうキリスト教きりすときょうにおいてヤハウェは人間にんげん創造そうぞうしゃとして人間にんげん歴史れきしはじまりから崇拝すうはいされていた唯一ゆいいつかみとされている。

一方いっぽう聖書せいしょ批評ひひょうによると、ユダヤきょう成立せいりつ以前いぜん信仰しんこうをヤハウェ信仰しんこう、あるいはエロヒム信仰しんこうとよぶが、両者りょうしゃかならずしも同一どういつ信仰しんこうではなく、よん資料しりょうせつにおいて、エル(普通ふつう名詞めいしかみ)やその複数ふくすうがたであるエロヒムをかみ呼称こしょうとする「E資料しりょう」、ヤハウェをかみとする「J資料しりょう」が想定そうていされている。両者りょうしゃはかなり性質せいしつことなるべつ系統けいとうかみ々だったが、ただ一神教いっしんきょうする過程かてい混同こんどうされ、同一どういつしんとみなされるようになった。エロヒムはヤハウェにくらべてよりふる信仰しんこうであり、もともとはセムけいしょ民族みんぞくにみられる多神教たしんきょうにおける最高さいこうしんで、抽象ちゅうしょうてき観念かんねんてきてんかみであった。イスラエルにおいてはサマリアガリラヤなど北部ほくぶ信仰しんこうされた。これにたいし、ヤハウェの起源きげんはエロヒムの起源きげんくらべるとやや時代じだいくだり、ヤハウェは、抽象ちゅうしょうてきなエロヒムとことなり、具体ぐたいてき人格じんかくしんで、慈愛じあいだけでなくいかりやねたみ(ほかのかみ々に傾倒けいとうしてゆくみんたいしての感情かんじょうをねたみと表現ひょうげんした)もあらわ感情かんじょうゆたかなかみであり、もともとはヘブロン中心ちゅうしんとしたイスラエル南部なんぶ信仰しんこうで、王国おうこく時代じだいにはエロヒムとことなりヤハウェの祭儀さいぎ祭司さいし階級かいきゅうであるレビぞくになわれた。ただいち絶対ぜったいかみ性格せいかくびるようになった。ただし、ただ一神教いっしんきょうした時代じだいをよりふる見積みつもるせつでは、エジプトころヘブライじん古代こだいエジプトのアテンかみ信仰しんこうしており、そのためアテン信仰しんこうはいされたのち弾圧だんあつされ、エジプトを脱出だっしゅつしたのではないかとするせつもある[61]

その[編集へんしゅう]

ニュージーランドマオリでは、固有名詞こゆうめいしとしてではなく「あるじ」の訳語やくごとして“ihowā”(イホワー)がもちいられる[ちゅう 9]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b ヘブライみぎからひだり
  2. ^ 原文げんぶんまま。まさしくは歴史れきしてき仮名遣かなづかいで「ヱホバ」。
  3. ^ 「エローヒーム」「エロヒーム」ともむ。
  4. ^ 一時期いちじき上帝じょうていはん聖書せいしょ席巻せっけんして、かみばん聖書せいしょ駆逐くちくして、そのかみというひじりれた聖書せいしょ出来できたので、一文字ひともじいているという状態じょうたい
  5. ^ 大文字おおもじはじまることに注意ちゅうい
  6. ^ イスラムのかみ「アラー」はアラビアで「ALLH」であり「アルラー」または「アッラー」と表記ひょうきする(Q'ran)。またエジプトでは太陽たいようしんを「Ra」とし「ラー」とぶことに注意ちゅういしたい(エジプト辞典じてん たいりゅうしゃ 1994))
  7. ^ 「エホバの証人しょうにん」のしょである、"New World Translation 1984":Mt 1-20で"Jehova's angel"、「しん世界せかいやく 1982」マタイ 1-20で「エホバのみ使つかいが」というように かれらによれば「新約しんやく聖書せいしょちゅうやく30れい使用しようしている。ヘブライあらたにおこした新約しんやく聖書せいしょでは、どう箇所かしょを"יהוה מלאך "(THE NEW COVENANT IN HEBREW 1966)と記述きじゅつしている。英語えいごけんユダヤじんよう新約しんやく聖書せいしょでは、どう箇所かしょを"angel of Adonai"(JEWISH NEW TESTAMENT 1989)と記述きじゅつしている。
  8. ^ 以下いか論文ろんぶんはGeorge Howard だけでなく、P. E. Kahleの1960ねん掲載けいさいした論文ろんぶんもあるが、テトラグラマトンにかんしてべていることは共通きょうつうしている。また、George Howardだけではなく、P. E. Kahleの論文ろんぶん学者がくしゃから批判ひはんされている。
  9. ^ かみよニュージーランドをまもたま」のマオリばん(“Aotearoa”)のはじめのほう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん「ヤハウェ」の解説かいせつ”. 2022ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  2. ^ コトバンク「ヤハウェ百科ひゃっか事典じてんマイペディア、世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん解説かいせつより
  3. ^ 広辞苑こうじえんだい6はん
  4. ^ しん共同きょうどうやく 聖書せいしょ辞典じてんだい2はん新教しんきょう出版しゅっぱんしゃ、2005ねん、p.466
  5. ^ 平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんだい2はん「ヤハウェ」の解説かいせつ”. 2022ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  6. ^ しん共同きょうどうやく 聖書せいしょ辞典じてん』キリスト新聞しんぶんしゃ、1995ねん、p.555
  7. ^ 加藤かとうたかし旧約きゅうやく聖書せいしょ誕生たんじょう』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2011ねん、pp.70-72
  8. ^ a b אדני
  9. ^ אדני(Lord)-Genesis 15:8
  10. ^ אדני(my master)-Genesis 24:35,אדני(my master's)-Genesis 24:36,אדני(is my master)-Genesis 24:65
  11. ^ H113 adon
  12. ^ H113 'adown
  13. ^ H113 'adown
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  16. ^ 英語えいごけんユダヤ教徒きょうとよう英訳えいやく
  17. ^ やなぎちちあきら『ゴッドと上帝じょうてい筑摩書房ちくましょぼう1986ねん、120〜131ページ、ISBN 4480853014
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  20. ^ やなぎちちあきら『ゴッドと上帝じょうてい筑摩書房ちくましょぼう1986ねん、160〜162ページ、ISBN 4480853014
  21. ^ やなぎちちあきら『ゴッドと上帝じょうてい筑摩書房ちくましょぼう1986ねん、122ページ、ISBN 4480853014
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特定とくてい新興しんこう宗教しゅうきょう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]