中国ちゅうごく宇宙うちゅう開発かいはつ

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中国ちゅうごく宇宙うちゅう開発かいはつ(ちゅうごくのうちゅうかいはつ)では中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく宇宙うちゅう開発かいはつ計画けいかく全般ぜんぱんについてべる。現在げんざい中国ちゅうごく宇宙うちゅう計画けいかく中国ちゅうごく国家こっかこうてんきょくによってすすめられている。

中国ちゅうごくにおける宇宙うちゅう技術ぎじゅつはじまりは、1950年代ねんだい後半こうはん弾道だんどうミサイル原子げんしばくだん開発かいはつにまでさかのぼることができる。

中国ちゅうごく本格ほんかくてき有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこうすのはそのすうじゅうねんであったが、2003ねん、ついに楊利えらせたかみぶね5ごうげに成功せいこうする。この成功せいこうにより中国ちゅうごく世界せかいで3番目ばんめに、単独たんどく有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこうげたくにとなった。

2006年度ねんど中国ちゅうごく科技かぎ統計とうけい年鑑ねんかんによると、宇宙うちゅう開発かいはつ予算よさんは119.4おくもと宇宙うちゅう開発かいはつかかわる研究けんきゅうしゃは3.6まんにんである[1]

歴史れきしおよび近年きんねん発達はったつ[編集へんしゅう]

あかり時代じだい[編集へんしゅう]

ワン・フーばれるあきら高官こうかん宇宙うちゅう(当時とうじ宇宙うちゅうぞうでの)を目指めざして47ほん固体こたい燃料ねんりょうロケットエンジンを使用しようした有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう実験じっけんおこなったが、搭乗とうじょうしたワン・フーは発射はっしゃ爆発ばくはつにより死亡しぼうしたとされる伝説でんせつがある。

ちゅう友好ゆうこう同盟どうめい時代じだい[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく朝鮮ちょうせん戦争せんそうなかかく使用しようによる脅迫きょうはくおこなったのち[2]毛沢東もうたくとうはまだ建国けんこくしたての中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく安全あんぜん保障ほしょうにはかく抑止よくしりょく必要ひつよう不可欠ふかけつであると確信かくしんした。さらに、中華民国ちゅうかみんこくが「中国ちゅうごく」としてのあつかいをけていたこともあって、毛沢東もうたくとう中国ちゅうごく世界せかい大国たいこくになることをのぞんだ。

こうして、1955ねん1がつ15にちひらかれた中国共産党ちゅうごくきょうさんとう中央ちゅうおう委員いいんかい会合かいごうで、毛沢東もうたくとう核兵器かくへいきとそれに関連かんれんするミサイルふくめた、中国ちゅうごく独自どくじ戦略せんりゃく兵器へいき開発かいはつ宣言せんげんした。中国ちゅうごく核兵器かくへいき計画けいかくはコードネーム「02」としてあつかわれた。

わが们不ただしようゆうさらてき飞机だい炮,而且还要ゆう原子げんし弹。ざいこんてん这个世界せかいじょうわが们要受人欺侮,就不能ふのうぼつゆう这个东西。
"我々われわれ航空機こうくうき大砲たいほうだけでなく、原子力げんしりょくばくだん必要ひつようとしている。今日きょうのこの世界せかいでは、他国たこくからのしいたげを回避かいひする手段しゅだんかくくしてない。"

赤狩あかがによってアメリカから国外こくがい退去たいきょとなったぜにがくもり所長しょちょうとして、1956ねん10月8にち国防こくぼうだい5研究所けんきゅうじょげん中国ちゅうごくうん火箭かせん技術ぎじゅつ研究けんきゅういん)が設立せつりつされた。研究所けんきゅうじょ中国ちゅうごくはつ弾道だんどうミサイルの開発かいはつはじめ、計画けいかく1956ねん3月1にち最初さいしょの「中国ちゅうごく航空こうくう宇宙うちゅうの12ヵ年かねん計画けいかく」として承認しょうにんされた[3]

1957ねん10月4にちソ連それんによる人類じんるいはつ人工じんこう衛星えいせいスプートニク1ごうげられた。毛沢東もうたくとう1958ねん5月17にち共産党きょうさんとう国民こくみん会議かいぎで、「581計画けいかく」を承認しょうにんし、建国けんこく10周年しゅうねん記念きねん1959ねんまでに人工じんこう衛星えいせい軌道きどうじょうげる(わが们也よう搞人づくり卫星)ことによって、ちょう大国たいこく同等どうとう存在そんざいになるべきだと決定けっていした[4]。この計画けいかくはまず観測かんそくロケット発達はったつさせ、つぎ小型こがた人工じんこう衛星えいせいげ、最後さいご大型おおがた衛星えいせいげるというさん段階だんかいによって達成たっせいされる予定よていだった。

中国ちゅうごくはつのミサイル実験じっけん基地きち20基地きち建設けんせつ1958ねん4がつはじまり、同年どうねん10がつ20日はつかには利用りよう可能かのうとなっていた。

1950年代ねんだいなか関係かんけい良好りょうこうあいだちゅう友好ゆうこう同盟どうめい相互そうご援助えんじょ条約じょうやく)、ソ連それん中国人ちゅうごくじん学生がくせい育成いくせいR-2ミサイルの提供ていきょうなど、中国ちゅうごくへの技術ぎじゅつ提供ていきょう協力きょうりょくてきであった。中国ちゅうごくはつのミサイルは1958ねん10がつ、R-2をリバースエンジニアリングして複製ふくせいしたミサイルであり、射程しゃていは590 km、重量じゅうりょうは20.5 トン、推進すいしんざい液体えきたい酸素さんそアルコールからなった。なお、R-2も元々もともとソ連それんドイツV2ロケット改良かいりょうしたものである。

中国ちゅうごくはつ観測かんそくロケットT-7は1960ねん2がつ19にちみなみ匯区射場いばよりげられ、成功せいこうした[5]

しかし、ニキータ・フルシチョフスターリン批判ひはんたいべい政策せいさくなどが原因げんいんで、毛沢東もうたくとうソ連それんから徐々じょじょ距離きょりはじめた。それまで友好ゆうこうてきであったなか関係かんけい一転いってんして対立たいりつ状態じょうたいとなり(ちゅう対立たいりつ)、1960ねん対立たいりつソ連それん技術ぎじゅつてき援助えんじょ突如とつじょくなった。

ちゅう対立たいりつ[編集へんしゅう]

ソ連それん専門せんもん中国ちゅうごくはなれたわずか17にち1960ねん9がつ10日とおか中国ちゅうごくせい推進すいしんざい使つかわれたR-2ロケットがげに成功せいこうした。そのヵ月かげつ中国ちゅうごく短距離たんきょり弾道だんどうミサイル東風こち1ごうはつげが1960ねん11月5にちおこなわれ成功せいこうした。1962ねん3月21にちにはじゅん中距離ちゅうきょり弾道だんどうミサイル東風こち2ごうはじめて試射ししゃされたが、失敗しっぱいした。

冷戦れいせん激化げきかしていくなか毛沢東もうたくとうは1963ねん12月に中国ちゅうごくのミサイル防衛ぼうえいシステム能力のうりょく開発かいはつすることを決定けっていする。1964ねん2がつ2にち会議かいぎでは「640指示しじ」(640計画けいかくとしてられる)が承認しょうにんされた[6]。ミサイルの開発かいはつつづけられ、東風こち2ごう改良かいりょうがた東風こち2ごうA発射はっしゃ試験しけん1964ねん6月29にち成功せいこうし、1966ねんには配備はいびはじめられた。

1964ねん7がつ19にち観測かんそくロケットT-7A(S1)げと回収かいしゅう成功せいこう生物せいぶつがくてき実験じっけんのため8ひき白鼠しろねずみ搭載とうさいして、603基地きち安徽あんき广德ちかい节渡中国科学院ちゅうごくかがくいんろくさん基地きち)よりげられた[7]

1964ねん10がつ16にちはつ中国ちゅうごく核兵器かくへいき(コードネーム596)がかく爆発ばくはつ成功せいこうした。同年どうねん10がつ27にち核弾頭かくだんとう装備そうびした東風こち2ごうAミサイルがさけいずみより発射はっしゃされ、20キロトン核弾頭かくだんとうロプノール標的ひょうてき上空じょうくう569mで爆発ばくはつした。1966ねん11月山西さんせいしょう国内こくないヶ所かしょとなる弾道だんどうミサイル発射はっしゃ実験じっけんじょう華北かほくミサイル試験場しけんじょう华北导弹试验场)を建設けんせつすることが決定けっていする。

1966ねん12月26にち中国ちゅうごくはつ中距離ちゅうきょり弾道だんどうミサイル東風こち3ごう試験しけん成功せいこうする。

1967ねん3月、開発かいはつちゅう092がた弾道だんどうミサイル潜水せんすいかんにあわせて、潜水艦せんすいかん発射はっしゃ弾道だんどうミサイルきょなみ1ごう開発かいはつはじめる。

ちょう大国たいこくべいソがつきへの人類じんるい到達とうたつ熾烈しれつ宇宙うちゅう開発かいはつ競争きょうそう頂点ちょうてんたっしているとき、毛沢東もうたくとうしゅう恩来おんらいは1967ねん7がつ14にち中国ちゅうごくおくれをとるべきでなく、中国ちゅうごく独自どくじ有人ゆうじん宇宙うちゅう計画けいかくはじめることを決定けっていした[8]。1968ねん1がつ中国ちゅうごくはつ有人ゆうじん宇宙船うちゅうせん曙光しょこう1ごうづけられた[9]。1968ねん4がつ1日航にっこうてん医学いがく工程こうてい研究所けんきゅうじょ設立せつりつされ、中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいんかい宇宙うちゅう飛行ひこう選定せんてい指令しれいした。また、ソ連それんというあらたな脅威きょうい対応たいおうして、国境こっきょうからはなれた西にしあきら山間さんかんあたらしい射場しゃじょう27基地きち建設けんせつすることが決定けっていした。当時とうじはこの射場しゃじょうから有人ゆうじんロケットを発射はっしゃする予定よていだった。

1968ねん8がつはつ衛星えいせいげロケット、ふう暴1ごう风暴いちごう)の開発かいはつ上海しゃんはいだい機械きかい電気でんき産業さんぎょうきょく(Shanghai’s 2nd Bureau of Mechanic-Electrical Industry)ではじまる。ロケットの2だん東風こち5ごう利用りようした。数ヵ月すうかげつ、これと平行へいこうするかたちで、東風こち5ごうをベースにした衛星えいせいげロケットちょうせい2ごう開発かいはつ北京ぺきんだいいち宇宙うちゅう学会がっかい(First Space Academy)ではじまる。

東風こち4ごうちょうせい1ごうの1だんと2だん使用しようされ、3だんよう固体こたいロケットモータあらたに開発かいはつした。1969ねん11月16にちったはつ発射はっしゃ失敗しっぱいしてしまう[10]

1970ねん2がつ11にち日本にっぽんはつ人工じんこう衛星えいせいおおすみげられ、日本にっぽんさきされてしまう。やく2ヵ月かげつ4がつ24にちちょうせい1ごうによる中国ちゅうごくはつ人工じんこう衛星えいせい東方とうほうべに1ごう重量じゅうりょう173kg)のげに成功せいこうする。これはソ連それん、アメリカ、フランス、日本にっぽんによって最初さいしょげられたどの衛星えいせいよりもおも衛星えいせいであった。ちょうせい1ごうの3だんには特別とくべつ遠心えんしんりょくによって展開てんかいされる40 m2太陽たいよう反射はんしゃばんけられており、これによって通常つうじょう肉眼にくがんではえにくい衛星えいせいが、東方とうほうべに1ごうかぎっては2から3等級とうきゅうとなってやすくなっている。

1971ねん3がつ3にち最後さいごちょうせい1ごう使用しようして中国ちゅうごく2つ人工じんこう衛星えいせい磁気じきセンサ宇宙うちゅうせん/Xせん検知けんち搭載とうさいした実践じっせん1ごうげた。

核兵器かくへいき開発かいはつ人工じんこう衛星えいせいげに成功せいこうし、自信じしんをつけた中国ちゅうごくは「714計画けいかく」としてられる、曙光しょこう1ごうによって1973ねんまでに2めい宇宙うちゅう飛行ひこう目標もくひょうとした有人ゆうじん宇宙うちゅう計画けいかくを1971ねん4がつ正式せいしき承認しょうにんした。最初さいしょ宇宙うちゅう飛行ひこう選考せんこうは1971ねん3がつ15にちにすでに終了しゅうりょうしており、19めいえらばれていた。しかしこの有人ゆうじん計画けいかく政治せいじてき混乱こんらんによりすぐに中止ちゅうしとなった。

1972ねん8がつ10日とおかあたらしい衛星えいせいげロケットふう暴1ごうげされるが、部分ぶぶんてき成功せいこうわる。ふう暴1ごうちょうせい2ごうていたが、政治せいじてき事情じじょう文化ぶんかだい革命かくめい)が原因げんいん同時どうじ開発かいはつされていた[11]ふう暴1ごう業績ぎょうせきちょうせい2ごうくらべるとあまりにもとぼしく、失敗しっぱいさくといえる。

元々もともと曙光しょこう1ごうげる予定よてい設計せっけいされていたちょうせい2ごうAが1974ねん11月5にちはつ試験しけんされ、中国ちゅうごくはつ回収かいしゅうしき衛星えいせいFSW-0-0かえしかいしき卫星)がげられた。しかしこれは失敗しっぱいする。ちょうせい2ごうAの改良かいりょうがたちょうせい2ごうCが1975ねん11月26にち回収かいしゅうしき衛星えいせいFSW-0-1げに成功せいこうする。

毛沢東もうたくとう死後しご[編集へんしゅう]

1976ねん9月9にち毛沢東もうたくとう死後しご鄧小ひらたすべての職務しょくむ剥奪はくだつされていたが、1977ねん徐々じょじょ中国ちゅうごくあたらしい指導しどうしゃとして復活ふっかつする。1979ねんはつ遠望えんぼうがた衛星えいせい追跡ついせきかん任命にんめいされる。

ちょうただしロケットシリーズのさらなる発展はってんすすめられ、商業しょうぎょう衛星えいせいげも活発かっぱつし、海外かいがい衛星えいせいちあげるようになる。

つぎ有人ゆうじん飛行ひこう計画けいかくは1986ねん3がつに「863-2宇宙うちゅう航空こうくう計画けいかく」として提案ていあんされる。2ねんいくつかのスペースプレーンあん却下きゃっかされ、わりにシンプルな宇宙うちゅうカプセルあん採用さいようされた。このプロジェクトは目標もくひょう達成たっせいすることはなかったが、最終さいしゅうてきに1992ねん921計画けいかくへとつながっていく。

1988ねん7がつ5にち航空こうくうこうてん工業こうぎょう(MOS)が設立せつりつされる[12]

冷戦れいせん終結しゅうけつのち[編集へんしゅう]

1993ねん6がつ中国ちゅうごく国家こっかこうてんきょく中国ちゅうごくこうてん工業こうぎょう公司こうし設立せつりつされる[12]

1995ねん1がつ26にち西にしあきら衛星えいせい発射はっしゃセンターよりげられたちょうせい2Eがた直後ちょくご爆発ばくはつすくなくとも20にん村民そんみん死亡しぼうしている[13]1996ねん2がつ15にち西にしあきら衛星えいせい発射はっしゃセンターちょうせい3ごうBはつちゅうに、ロケットが突然とつぜん進路しんろからおおきくはずれ、げから22びょう衝突しょうとつした。発射はっしゃだいから1,000 m はなれた協調きょうちょうだいろうのとなりにみ、公式こうしき発表はっぴょうによれば80の民家みんか破壊はかいされ、すくなくとも技術ぎじゅつしゃにん死亡しぼうした。この事件じけん以降いこう中国ちゅうごくちょうせいロケットはなが成功せいこうつづけていたが、2011ねん8がつ18にち実践じっせん11ごう04ほしをのせたちょうせい2ごうC打上うちあげに失敗しっぱいする。中国ちゅうごくげたすべてのちょうせいロケットの記録きろくについてはちょうただしロケットの一覧いちらん参照さんしょう

1999ねん10月14にちにはブラジル国立こくりつ宇宙うちゅう研究所けんきゅうじょ共同きょうどう開発かいはつ資源しげん探査たんさ衛星えいせい中国ちゅうごく・ブラジル地球ちきゅう資源しげん衛星えいせい)の1ばん資源しげん1ごう01ほしげられた。ブラジルとの協力きょうりょく関係かんけい現在げんざいつづき、2003ねんと2007ねんにも資源しげん1ごうの2ばん、3ばんげられている[14]

1999ねん11がつ20日はつか中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく建国けんこく50周年しゅうねん記念きねん中国ちゅうごくかみぶね1ごうげ、その21あいだ回収かいしゅうされた。

2003ねん10月15にち宇宙うちゅう飛行ひこう楊利えらせたかみぶね5ごう世界せかいで3番目ばんめ自力じりき有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう成功せいこうしたくにとなった。2008ねん9月25にちげられたかみぶね7ごうでは宇宙うちゅう遊泳ゆうえいおこなわれた。

2007ねん1がつ11にち自国じこく老朽ろうきゅうした気象きしょう衛星えいせい風雲ふううん1ごうCがた衛星えいせい攻撃こうげき兵器へいき破壊はかいし、大量たいりょうスペースデブリ発生はっせいさせたとして、各国かっこくから懸念けねんつたえられた[15]

2007ねん10がつ24にちには嫦娥じょうが計画けいかくのもとはつつき探査たんさ嫦娥じょうが1ごうげられ、つき軌道きどう到達とうたつした5番目ばんめくにとなった。

2011ねん9がつ29にちには宇宙うちゅうステーション雛形ひながたである天宮てんぐう1ごうげられる。中国ちゅうごくは2020ねんまでに宇宙うちゅうステーション完成かんせい目指めざしている(天宮あまみや計画けいかく)。

2013ねん12月14にちには、つき探査たんさ嫦娥じょうが3ごう月面げつめん軟着陸なんちゃくりく成功せいこうした3番目ばんめくにとなった。

2014ねん10月24にちには、「嫦娥じょうが5ごう」の試験しけん嫦娥じょうが5ごうT1」が成功せいこうつき裏側うらがわ経由けいゆして地球ちきゅう帰還きかんする自由じゆう帰還きかん軌道きどう英語えいごばん)にはいる。

2014ねん11月1にちには、 「嫦娥じょうが5ごうT1」が大気圏たいきけんさい突入とつにゅう実施じっしうちモンゴルへの着陸ちゃくりく成功せいこう

2016ねん10月17にちには、「かみぶね11ごう」が打上うちあげ。乗組のりくみいんけいうみおおとりひねふゆ2人ふたり。10月19にち天宮てんぐう2ごうとの自動じどうドッキング成功せいこうした。11月18にち午後ごご中国ちゅうごく内モンゴル自治うちもんごるじちうち無事ぶじ帰還きかんした。

2018ねん12月には、つき裏側うらがわ撮影さつえいすることを目的もくてきに、「嫦娥じょうが4ごう」がげられ、2019ねん1がつ3にち軟着陸なんちゃくりく

2020ねん11月には、「嫦娥じょうが5ごう」がげられ、12月6にち   中国ちゅうごくはつの、つき軌道きどうじょうでのドッキングに成功せいこう、12月17にち帰還きかん地球ちきゅう着陸ちゃくりくし、合計ごうけい1731gのサンプルが確認かくにんされ、中国ちゅうごくはつのサンプルリターンに成功せいこうした。

2020ねん7がつ23にちには、火星かせい探査たんさてんとい1ごう」が 海南かいなんしょうぶんあきら衛星えいせい発射はっしゃじょうからちょうせい5ごうによりげられ、2021ねん2がつ10日とおか火星かせい周回しゅうかい軌道きどうった。2021ねん5がつ14にち着陸ちゃくりくせん(ランダー)がユートピア平原へいげん南部なんぶにある着陸ちゃくりく予定よてい地点ちてん無事ぶじ着陸ちゃくりくした。ランダーと探査たんさしゃ祝融しゅくゆう」をんだ大気圏たいきけん突入とつにゅうカプセルが大気圏たいきけん突入とつにゅう、パラシュートをひら減速げんそくぎゃく噴射ふんしゃて、ランダーは予定よてい地点ちてんにソフトランディングした。

現在げんざい中国ちゅうごく国際こくさい連合れんごう宇宙うちゅう空間くうかん平和へいわ利用りよう委員いいんかい一員いちいんであり、国連こくれん宇宙うちゅう関連かんれん条約じょうやく協定きょうていすべ署名しょめいしている。

組織そしき[編集へんしゅう]

当初とうしょ中国ちゅうごく宇宙うちゅう計画けいかく中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐん、とりわけだい砲兵ほうへい部隊ぶたいした計画けいかくされた。しかし、1990年代ねんだいになると中国ちゅうごく軍需ぐんじゅ産業さんぎょう全体ぜんたいさい編成へんせい一環いっかんとして宇宙うちゅう計画けいかく編成へんせいしなおされた。

中国ちゅうごく国家こっかこうてんきょく中国ちゅうごく宇宙うちゅう機関きかん衛星えいせいげを担当たんとうしている。ちょうただしロケット製造せいぞう中国ちゅうごくうん火箭かせん技術ぎじゅつ研究けんきゅういんが、人工じんこう衛星えいせい製造せいぞう中国ちゅうごくこうてん工業こうぎょう公司こうしがそれぞれっている。後者こうしゃ2つの企業きぎょう国防こくぼうだい5研究けんきゅういんから発展はってんした[1]国営こくえい企業きぎょうである。そのほかの重要じゅうよう研究けんきゅう機関きかんとして、さけいずみ西にしあきらふとしはら発射はっしゃセンターを管理かんりする中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐんそう装備そうび遠望えんぼうがた衛星えいせい追跡ついせきかん保有ほゆうする中国ちゅうごく衛星えいせい海上かいじょうはかひかえなどがある[1]

大学だいがく研究所けんきゅうじょ[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく宇宙うちゅう計画けいかく以下いか組織そしきとも密接みっせつなかかわりがある。

宇宙うちゅう都市とし[編集へんしゅう]

衛星えいせい施設しせつ[編集へんしゅう]

ロケットじょう[編集へんしゅう]

  • みなみ匯区ろうみなと東進とうしんむら):1960ねん2がつ19にち観測かんそくロケットT-7Mのげにはじめて成功せいこうした[5]
  • 603基地きち安徽あんき广德ちかい节渡中国科学院ちゅうごくかがくいんろくさん基地きち):広徳ひろのり発射はっしゃじょう广德发射场)としてもられる[20]。1964ねん7がつ19にち生物せいぶつがく実験じっけんよう観測かんそくロケットT-7A(S1)のげにはじめて成功せいこうした[21]

監視かんし・コントロールセンター[編集へんしゅう]

国内こくない衛星えいせい追跡ついせき施設しせつ[編集へんしゅう]

  • あたらしく統合とうごうされた地上ちじょう基地きちによる宇宙うちゅう監視かんしコントロールネットワークきょく中国ちゅうごく北西ほくせいカシュガル中国ちゅうごく北東ほくとうジャムス、および中国ちゅうごく南部なんぶさんによる巨大きょだい三角形さんかっけい構成こうせいされる[26]

海外かいがい衛星えいせい追跡ついせき施設しせつ[編集へんしゅう]

およびフランスブラジルスウェーデンオーストラリア共有きょうゆうする衛星えいせい追跡ついせき施設しせつタラワにも存在そんざいしたが、キリバス中華民国ちゅうかみんこく承認しょうにんしたため、2003ねん閉鎖へいさされた。

有人ゆうじん宇宙うちゅう着陸ちゃくりく[編集へんしゅう]

有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう計画けいかく[編集へんしゅう]

714計画けいかく[編集へんしゅう]

ちょう大国たいこくべいソがつきへの人類じんるい到達とうたつ熾烈しれつ宇宙うちゅう開発かいはつ競争きょうそう頂点ちょうてんたっしているとき、毛沢東もうたくとうしゅう恩来おんらいは1967ねん7がつ14にち中国ちゅうごくおくれをとるべきでなく、中国ちゅうごく独自どくじ有人ゆうじん宇宙うちゅう計画けいかくはじめることを決定けっていした[8]

重要じゅうよう機密きみつであった714計画けいかく目的もくてき2人ふたり宇宙うちゅう飛行ひこうを1973ねんまでに曙光しょこう1ごうによって宇宙うちゅうはこぶことであった。中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐん空軍くうぐん所属しょぞくの19にんパイロットがこの目標もくひょうのため1971ねん3がつえらばれた。ちょうせい2ごうAによってげられる予定よていだった曙光しょこう1ごう2人ふたり搭乗とうじょう可能かのう設計せっけいだった。文化ぶんかだい革命かくめいであることもあって、この計画けいかく1972ねん5月に経済けいざいてき理由りゆう公式こうしき中止ちゅうしされた。

このつぎの、短命たんめいわった「だい有人ゆうじん計画けいかく」は回収かいしゅうしき衛星えいせいによってつちかわれた技術ぎじゅつもとづいていた。1978ねんには写真しゃしんふくめた詳細しょうさい情報じょうほうなん公開こうかいしたが、1980ねん突如とつじょ中止ちゅうしとなる。このだい2有人ゆうじん計画けいかくプロパガンダのためにつくされたものであり、けっして結果けっかすつもりはかったのではないかという議論ぎろんがある[27]

一方いっぽうそのころ欧米おうべいでは、「おおくのふう暴1ごうちょうせい2ごうによる成功せいこう回収かいしゅうしき衛星えいせいの4成功せいこうのち中国ちゅうごくは1978ねん12月に最初さいしょ有人ゆうじん宇宙船うちゅうせんげたが、失敗しっぱい宇宙うちゅう飛行ひこううしなったため計画けいかく終了しゅうりょうしたのではないか」とうわさがあった[28]

863計画けいかく[編集へんしゅう]

あたらしい有人ゆうじん宇宙うちゅう計画けいかくが1986ねん3がつ中国科学院ちゅうごくかがくいんより「863-2宇宙うちゅう航空こうくう計画けいかく」として提案ていあんされた。これは宇宙うちゅうステーション(863-205計画けいかく)と宇宙うちゅう飛行ひこう宇宙うちゅうステーションにはこ有人ゆうじん宇宙うちゅう(863-204計画けいかく)から構成こうせいされる。同年どうねんの9がつには訓練くんれんちゅう宇宙うちゅう飛行ひこう中国ちゅうごくメディアによって紹介しょうかいされた。提案ていあんされた有人ゆうじん宇宙船うちゅうせんおおくはスペースプレーンがたであった。863計画けいかく最終さいしゅうてきに1992ねんの「921計画けいかく」へと発展はってんした。

921計画けいかく[編集へんしゅう]

かみぶね5ごうさい突入とつにゅうモジュール

宇宙うちゅうカプセル[編集へんしゅう]

1992ねん有人ゆうじん宇宙うちゅうげる「921計画けいかく」のだいいち段階だんかいのための承認しょうにん資金しきん支出ししゅつおこなわれた。かみぶね計画けいかくは4無人むじん試験しけん飛行ひこうと2有人ゆうじん計画けいかくからなる。最初さいしょかみぶね1ごうは1999ねん11がつ20日はつかかみぶね2ごうは2001ねん1がつ9にちにそれぞれ試験しけん動物どうぶつせてげられた。2001ねんにはかみぶね3ごうかみぶね4ごうがダミー人形にんぎょうせてげられた。これらの成功せいこうのち、2003ねん10がつ15にち楊利えらをのせたかみぶね5ごうげられ、軌道きどうじょうに21あいだ滞在たいざいした。この成功せいこうにより中国ちゅうごく独自どくじ有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう世界せかいさん番目ばんめ達成たっせいしたくにとなった。そのねんかみぶね6ごうによって921計画けいかくだいいち段階だんかい終了しゅうりょうする。この6すべさけいずみ衛星えいせい発射はっしゃセンターからちょうせい2ごうFによってげられた。

宇宙うちゅう実験じっけんしつ[編集へんしゅう]

921計画けいかくだい段階だんかい中国ちゅうごくはつ宇宙うちゅう遊泳ゆうえい計画けいかくかみぶね7ごうによってはじまる。そしてはつ中国ちゅうごく宇宙うちゅう実験じっけんしつ有人ゆうじん計画けいかく実行じっこううつされる。中国ちゅうごく当初とうしょかみぶね宇宙船うちゅうせんをロシアからのドッキング技術ぎじゅつもと設計せっけいしていたので、国際こくさい宇宙うちゅうステーションとの互換ごかんせいがある。無人むじん宇宙うちゅう実験じっけんモジュールかみぶね8ごう有人ゆうじんかみぶね9ごうかみぶね10ごうは、いずれも小型こがた宇宙うちゅうステーション天宮てんぐう1ごうとのドッキングに成功せいこうした。 かみぶね11ごうは2016ねん10がつ17にちげられ、地球ちきゅう周回しゅうかい軌道きどうった。10月19にちに、同年どうねん9がつ15にちげられた宇宙うちゅう実験じっけんしつ天宮てんぐう2ごう」とドッキングした。飛行ひこう天宮てんぐう2ごう利用りようして、実験じっけんをおこなった。同年どうねん11月18にち午後ごご2ごろ内モンゴル自治うちもんごるじち帰還きかんし、かみぶね10ごうの15日間にちかんえる33日間にちかん天宮てんぐう2ごうでの滞在たいざいは30日間にちかん)の宇宙うちゅう滞在たいざいとなった。中国ちゅうごくは、かみぶね11ごう有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう実験じっけん段階だんかい終了しゅうりょうしたとしている。

大型おおがた宇宙うちゅうステーション[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく宇宙うちゅうステーション

大型おおがた宇宙うちゅうステーション基本きほんがたそら间站)が921計画けいかくだいさん段階だんかいであり、最後さいご段階だんかいでもある。そう質量しつりょうは100トン以下いかで、船員せんいん居住きょじゅうである20トンをえるコアモジュール(核心かくしん)をそなえる。これにはかみぶね貨物かもつせん货运飞船)と有人ゆうじんかみぶね実験じっけんモジュール(实验舱)がふくまれる[29]2021ねん天和てんわコアモジュールが、2022ねんのこ実験じっけんモジュールがげられ、建設けんせつ完了かんりょうした[30]

実績じっせき[編集へんしゅう]

探査たんさ計画けいかく[編集へんしゅう]

つき探査たんさ[編集へんしゅう]

2004ねん2がつ中国ちゅうごく公式こうしきつき探査たんさ計画けいかく実施じっし段階だんかいはいる。中国ちゅうごく国家こっかこうてんきょく局長きょくちょうまごらいつばめによると、中国ちゅうごくつき探査たんさ計画けいかくにはつき周回しゅうかい軟着陸なんちゃくりく、サンプルリターンのさん段階だんかい存在そんざいするという。それによると、だいいち段階だんかいには14おくげん支出ししゅつされる予定よていで、2007ねんまでにつき周回しゅうかい軌道きどう探査たんさおくむ。だい段階だんかい2010ねんまでに着陸ちゃくりくおくみ、だいさん段階だんかい2020ねんまでにつき土壌どじょうサンプルを地球ちきゅうかえ予定よていとされた。

2005ねん11月27にち有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう計画けいかく代理だいり責任せきにんしゃが2020ねんまでに中国ちゅうごく宇宙うちゅうステーションとつき有人ゆうじん探査たんさ完遂かんすいする計画けいかくであると公表こうひょうした。それに先立さきだち、2012ねんまでに宇宙うちゅう遊泳ゆうえいとドッキングを完璧かんぺきたす予定よていとされていた。宇宙うちゅう遊泳ゆうえい2008ねんかみぶね7ごうで、ドッキングは2012ねんかみぶね9ごうでそれぞれ実現じつげんし、予定よていどおりに遂行すいこうさせた。

2006ねん会議かいぎではちょうせい2ごうちょうせい4ごうAのロケットエンジンを開発かいはつした工学こうがくしゃちょう貴田きだ张贵)はあたらしいつきへのロケットの開発かいはつについて議論ぎろんした[31][32][33]

中国ちゅうごく国家こっかこうてんきょく中国ちゅうごく国防こくぼう科学かがく技術ぎじゅつ工業こうぎょう委員いいんかい2007ねん4がつ1にち、「だい3かいちゅうえい宇宙うちゅう科学かがく技術ぎじゅつ共同きょうどう研究けんきゅう討論とうろんかい」のなかで、中国ちゅうごくはつとなる無人むじん月面げつめんしゃのプロトタイプを公開こうかいした[34]

2007ねん10月24にちちょうせい3ごうAにより嫦娥じょうが1ごう[35]、11月5にちつき周回しゅうかい軌道きどう投入とうにゅう、11月20にちから月面げつめん観測かんそく開始かいしした[36]。2009ねん3がつ1にち高度こうどげ、月面げつめん衝突しょうとつさせて任務にんむえた[37]

2010ねん10月1にちには嫦娥じょうが2ごうげられた。[38]嫦娥じょうが2ごう嫦娥じょうが1ごうとほぼどう設計せっけいであり、着陸ちゃくりくおこなわれなかった[39]

2013ねん12月に嫦娥じょうが3ごうげられ、12月14にちあめうみへの軟着陸なんちゃくりく成功せいこうした。

2014ねん10月24にちには、「嫦娥じょうが5ごう」の試験しけん嫦娥じょうが5ごうT1」が成功せいこうつき裏側うらがわ経由けいゆして地球ちきゅう帰還きかんする自由じゆう帰還きかん軌道きどう英語えいごばん)にはいる。

2014ねん11月1にちには、 「嫦娥じょうが5ごうT1」が大気圏たいきけんさい突入とつにゅう実施じっしうちモンゴルへの着陸ちゃくりく成功せいこう

2018ねん12月には、つき裏側うらがわ撮影さつえいすることを目的もくてきに、「嫦娥じょうが4ごう」がげられ、2019ねん1がつ3にち軟着陸なんちゃくりく

2020ねん11月に「嫦娥じょうが5ごう」がげられ、12月06にち中国ちゅうごくはつの、つき軌道きどうじょうでのドッキングに成功せいこう、12月17にち帰還きかん地球ちきゅう着陸ちゃくりくし、合計ごうけい1731gのサンプルが確認かくにんされ、中国ちゅうごくはつのサンプルリターンに成功せいこうした。

火星かせい探査たんさ[編集へんしゅう]

2006ねん7がつ20日はつか中国ちゅうごく国家こっかこうてんきょく局長きょくちょうまごらいつばめ中国ちゅうごく今後こんご5年間ねんかん火星かせいけたふか宇宙うちゅう探査たんさ計画けいかくはじめるとかたった[40]

蛍火ほたるび1ごう2009ねん10月にロシアのフォボス・グルントとも予定よていであったが[41]、ロシアがわ延期えんき決定けっていにより、蛍火ほたるび1ごうげも2011ねん延期えんきされることとなった[42]蛍火ほたるび1ごう2011ねん11月9にちバイコヌール宇宙うちゅう基地きちからげられたが地球ちきゅう軌道きどうからの離脱りだつ失敗しっぱい[43]、11月22にちにロシア宇宙うちゅうちょう事実じじつじょう計画けいかく失敗しっぱい発表はっぴょうした[44]

2010ねん3がつ10日とおか嫦娥じょうが1ごうそう設計せっけいしゃであるかのうつちかえけん2013ねん独自どくじ火星かせい探査たんさ計画けいかく実施じっし可能かのうせい示唆しさした[45]

2020ねん7がつ2028ねんかい火星かせい探査たんさおく予定よていである[46]。また、2020ねんげた探査たんさてんとい1ごうは2021ねん2がつ10日とおか20ごろ (CST) - 火星かせい周回しゅうかい軌道きどう投入とうにゅう、5月15にち午前ごぜん-火星かせいへの軟着陸なんちゃくりく成功せいこうし、探査たんさしゃ祝融しゅくゆう」で、火星かせい表面ひょうめん気候きこう土壌どじょうなどを調査ちょうさする予定よていである。

火星かせいへの有人ゆうじん探査たんさ2040ねんから2060ねんあいだおこなわれるとされる[47]。さらに、火星かせいけた安全あんぜん有人ゆうじん航行こうこうにも利用りよう可能かのう宇宙うちゅう天気てんき予報よほうシステムの完成かんせいを2012ねんまでに夸父衛星えいせい[48]ラグランジュてんL1におくことによって実現じつげんさせる予定よていとされていた[49]が、この衛星えいせいげは2012ねん時点じてんでは2017ねん予定よていとされている。

目標もくひょう[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく宇宙うちゅう計画けいかくにはいくつかの目標もくひょうがあり、中国ちゅうごく宇宙うちゅう開発かいはつ白書はくしょ要約ようやくすると

長期ちょうきてき計画けいかくとして

  • 宇宙うちゅう科学かがく分野ぶんやにおける中国ちゅうごく地位ちい向上こうじょう
  • 有人ゆうじん宇宙うちゅうステーションの設置せっち
  • つきへの有人ゆうじん宇宙うちゅう計画けいかく
  • 有人ゆうじん月面げつめん基地きち設置せっち

現在げんざい進行しんこうちゅう計画けいかくちゅう一覧いちらん[編集へんしゅう]

人工じんこう衛星えいせい計画けいかく[編集へんしゅう]

衛星えいせいげセンター[編集へんしゅう]

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  • 開拓かいたくしゃシリーズ: 開拓かいたくしゃ1ごう开拓しゃいちごう)、開拓かいたくしゃ1ごうA(开拓しゃいちごうかぶと)、開拓かいたくしゃ1ごうB(开拓しゃいちごうおつ[55]あたらしい衛星えいせい固体こたい燃料ねんりょうロケット。
  • かいふね: 新型しんがた小型こがた衛星えいせいげロケット。
  • ちょうせい2ごうE(A): 中国ちゅうごく宇宙うちゅうステーションようのロケット。12のロケットエンジンでてい軌道きどうへの能力のうりょくは14トン[56]
  • ちょうせい2ごうF/G: ちょうせい2ごうF脱出だっしゅつ装置そうちはずしたもの。無人むじん宇宙うちゅうげにもちいられる[57]
  • ちょうせい3ごうB(A): 大型おおがた液体えきたい補助ほじょ推進すいしんモータによる強力きょうりょくばん。LEOに能力のうりょく最大さいだい13トン。
  • ちょうせい4ごう: 3段式だんしきロケット、ごく軌道きどう太陽たいよう同期どうき軌道きどう人工じんこう衛星えいせい投入とうにゅうする目的もくてき設計せっけいされた
  • ちょうせい5ごう: 次世代じせだい衛星えいせいげロケット。
  • ちょうせい6ごう: 小型こがた衛星えいせいげニーズにこたえるてい価格かかくこう品質ひんしつなロケット、2015ねん9がつ20日はつかはつげに成功せいこうした 。[58][59][60]
  • ちょうせい7ごう: 嫦娥じょうがだい4段階だんかい使用しようされるロケット[61]、2016ねん6がつはじめてげられた。
  • ちょうせい11ごう: 固体こたい燃料ねんりょう。2015ねん9がつ25にちはつげをおこな成功せいこうした。2019ねんには、海上かいじょうから船舶せんぱく利用りようしたげにも成功せいこうした。
  • ちょうせい8ごう: 新型しんがた中型ちゅうがたキャリアロケット、2020ねん12月22にち1337ふん(日本にっぽん時間じかん)、海南かいなんとうにあるぶんあきらこうてん発射はっしゃじょうから、はつげに成功せいこうした。
  • ちょうせい9ごう: 直径ちょっけい10メートルサイズで4のブースターを搭載とうさいする地球ちきゅうてい軌道きどう(LEO)に140トンの能力のうりょくちょう大型おおがたロケット、2030ねんまでのげが予定よてい

宇宙うちゅう探査たんさ[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]