萬屋よろずや錦之介きんのすけ

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よろずや きんのすけ
萬屋よろずや 錦之介きんのすけ

映画えいが情報じょうほう』1956ねん1がつごうより
屋号やごう 萬屋よろずや
定紋じょうもん きりちょう
生年月日せいねんがっぴ 1932ねん11月20にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1997-03-10) 1997ねん3がつ10日とおか(64さいぼつ
本名ほんみょう 小川おがわ 錦一きんいち(おがわ きんいち)
小川おがわ えり一郎いちろう(おがわ きんいちろう)
襲名しゅうめいれき 1. 初代しょだい中村なかむら錦之助きんのすけ
2. 萬屋よろずや錦之介きんのすけ
出身しゅっしん 東京とうきょう東京とうきょう麻布あざぶ[1]
職業しょくぎょう 歌舞伎かぶき役者やくしゃ映画えいが俳優はいゆう
ジャンル 映画えいが・テレビドラマ・舞台ぶたい
活動かつどう期間きかん 1936ねん - 1997ねん
活動かつどう内容ないよう 俳優はいゆう映像えいぞう制作せいさく会社かいしゃ経営けいえい
ちち さん代目だいめ中村なかむら時蔵ときぞう
はは 小川おがわひな
兄弟きょうだい 代目だいめ中村なかむら歌昇かしょう長兄ちょうけい
よん代目だいめ中村なかむら時蔵ときぞう次兄じけい
初代しょだい中村なかむら獅童しどうさんあに
中村なかむら嘉葎雄かつおおとうと
つま 有馬ありま稲子いねこ (1961ねん - 1965ねん)
淡路あわじ恵子けいこ (1966ねん - 1987ねん)
かぶとにしき (1990ねん - 1997ねん)
しまえいおっと長男ちょうなん淡路あわじ
男子だんし次男じなん淡路あわじ
小川おがわ晃廣あきひろ三男さんなん淡路あわじとの実子じっし
萬屋よろずや吉之よしゆきあきら四男よつお淡路あわじとの実子じっし
たりやく
映画えいが
笛吹うすい童子どうじ菊丸きくまる
源氏げんじ九郎くろう颯爽さっそう源氏げんじ九郎くろう
一心いっしん太助たすけ一心いっしん太助たすけ
宮本みやもと武蔵むさし』シリーズ
まぶたはは番場ばんば忠太郎ちゅうたろう
武士ぶしどう残酷ざんこく物語ものがたり飯倉いいくらななだい
せきわたるふとっぺせき弥太郎やたろう
丹下たんげひだりぜん 飛燕ひえん居合いあい丹下たんげひだりぜん
柳生やぎゅう一族いちぞく陰謀いんぼう柳生やぎゅう宗矩むねのり
テレビドラマ
はる坂道さかみち柳生やぎゅう宗矩むねのり
子連こづおおかみはい一刀いっとう
やぶかさがたなふね悪人あくにんかのうかたなぶね
やぶ奉行ぶぎょう速水はやみ右近うこん
やぶ新九郎しんくろう新九郎しんくろう
長崎ながさき犯科はんかちょう平松ひらまつ忠四郎ちゅうしろう
赤穂あこう浪士ろうし大石おおいし内蔵助くらのすけ
竜馬りょうまがゆく坂本さかもと竜馬りょうま
はならん山名やまな宗全そうぜん
受賞じゅしょう
ブルーリボンしょう
主演しゅえん男優だんゆうしょう
 1963ねん武士ぶしどう残酷ざんこく物語ものがたり

萬屋よろずや 錦之介きんのすけ(よろずや きんのすけ、1932ねん昭和しょうわ7ねん11月20にち - 1997ねん平成へいせい9ねん3がつ10日とおか)は、歌舞伎かぶき役者やくしゃ日本にっぽん時代じだいげき俳優はいゆう

まえめい中村なかむら 錦之助きんのすけ(なかむら きんのすけ)。歌舞伎かぶきかいから映画えいがかいてんじ、当時とうじ代表だいひょうするスターとなり、そのはテレビや舞台ぶたいでも活躍かつやくした。身長しんちょう162cm[2]

中村なかむら錦之助きんのすけ時代じだい屋号やごう播磨屋はりまや定紋じょうもん揚羽蝶あげはちょうで、萬屋よろずや錦之介きんのすけ改名かいめいしてからの屋号やごう萬屋よろずや定紋じょうもんきりちょう愛称あいしょうにしきちゃん(きんちゃん)。中村なかむらプロダクション代表だいひょう(1968ねん - 1982ねん)。東映とうえい俳優はいゆうクラブ組合くみあい委員いいんちょう(1965ねんやく3かげつあいだ)。

本名ほんみょう小川おがわ 錦一きんいち(おがわ きんいち)。小川おがわ えり一郎いちろう(おがわ きんいちろう)に改名かいめいしていた時期じきもある。

概要がいよう[編集へんしゅう]

『サンケイグラフ』1955ねん4がつ10にちごうより

まん4さいになる直前ちょくぜんに、歌舞伎かぶき初舞台はつぶたいみ、以降いこう39さいまで中村なかむら錦之助きんのすけ名乗なのり、1971ねん10月に小川おがわ一門いちもん屋号やごう播磨屋はりまやから「萬屋よろずや」にえた1ねん1972ねん11月、40さいむかえたとき芸名げいめい萬屋よろずや錦之介きんのすけあらためた。

ちちさん代目だいめ中村なかむら時蔵ときぞう伯父おじ初代しょだい中村なかむら吉右衛門きちえもん叔父おじじゅうなな代目だいめ中村なかむら勘三郎かんざぶろうがいる。俳優はいゆう中村なかむら嘉葎雄かつおおとうとで、代目だいめ中村なかむら歌六かろくさん代目だいめ中村なかむら又五郎またごろう代目だいめ中村なかむら時蔵ときぞう代目だいめ中村なかむら錦之助きんのすけ代目だいめ中村なかむら獅童しどうはそれぞれおいにあたる。はは・ひなは、れっだった赤坂あかさか芸者げいしゃ[3]

つまはいずれも女優じょゆう有馬ありま稲子いねこ初婚しょこん)、淡路あわじ恵子けいこ再婚さいこん)、かぶとにしき再々さいさいこん)。長男ちょうなん俳優はいゆうしまえいおっとと、芸能人げいのうじんではない次男じなん淡路あわじである。実子じっし淡路あわじとのあいだ三男さんなん小川おがわ晃廣あきひろ[ちゅう 1]よんなん小川おがわ哲史てつし[ちゅう 2]

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

歌舞伎かぶき役者やくしゃ時代じだい[編集へんしゅう]

暁星ぎょうせい小学校しょうがっこうそつ旧制きゅうせい暁星ぎょうせい中学校ちゅうがっこうを2ねん中退ちゅうたいはつ中村なかむら 錦之助きんのすけちち時蔵ときぞう吉右衛門きちえもん劇団げきだん立女形たておやまで、歌舞伎かぶき役者やくしゃ御曹司おんぞうしとして、1936ねん11がつ歌舞伎座かぶきざ初舞台はつぶたい長兄ちょうけい種太郎たねたろう(のち代目だいめ中村なかむら歌昇かしょう)、次兄じけい梅枝ばいし(のちよん代目だいめ中村なかむら時蔵ときぞう)、さんけい初代しょだい中村なかむら獅童しどう同時どうじで、まん4さいであった。女形おんながた立役たちやく男役おとこやく)ともにつとめて歌舞伎かぶきかいにて役者やくしゃ修業しゅうぎょうんでいた。

とく可憐かれん女形おんながたとして人気にんきあつめるなど評価ひょうかたかかったが[3]よんなんであり、歌舞伎かぶきかい主役しゅやくきゅう俳優はいゆう目指めざすのは困難こんなん状況じょうきょう端役はやくあまんじることがおおかった。すると、当時とうじ美空みそらひばりかかえ、その相手あいてやくとして若手わかて男優だんゆうさがしていたしん芸術げいじゅつプロから映画えいがかいへのスカウトをけ、錦之助きんのすけ転身てんしんかんがえた。しかし歌舞伎かぶき役者やくしゃたちによる「映画えいが転出てんしゅつゆるさない」との抗議こうぎ殺到さっとうしたように、当時とうじ梨園りえんでは「役者やくしゃたちに歌舞伎かぶき映画えいが両方りょうほうでの活動かつどうゆるせば、映画えいが人気にんき若造わかぞうたちに梨園りえん秩序ちつじょをかきみだされる」という見方みかた大勢おおぜいであり、ちち時蔵ときぞうであっても「中途半端ちゅうとはんぱはいけない。映画えいがかいくなら歌舞伎かぶきめてきなさい。もし映画えいが失敗しっぱいしても歌舞伎かぶきもどることはゆるさない」と錦之助きんのすけ決断けつだんせまったといわれている。

映画えいがかい転向てんこう[編集へんしゅう]

1954ねん

結局けっきょく歌舞伎かぶき断念だんねんするみちえらんだ錦之助きんのすけは、1953ねん11月15にち歌舞伎座かぶきざ子供こどもかぶき教室きょうしつきくはたけ』のとらぞうじつうしわかまる歌舞伎かぶき卒業そつぎょう公演こうえんとして、1954ねん2がつ映画えいがかい転向てんこうする。錦之助きんのすけおとうとゆう嘉葎雄かつお)が東映とうえいりすると、さんけい初代しょだい中村なかむら獅童しどう梨園りえんって、おとうとたちを東映とうえいのプロデューサーとしてささえた。波紋はもんんだ錦之助きんのすけ映画えいがへの転身てんしんだったが、この当時とうじにすでにスターだった美空みそらひばりがわ勧誘かんゆうだったことも事態じたいまけ要素ようそとなったといわれる。その証左しょうさに、錦之助きんのすけ映画えいがしてからちちすうほん映画えいが出演しゅつえんさせたが、そのさいちちとく歌舞伎かぶきをやめる必要ひつようはなかったことがげられる。

美空みそらひばりとの共演きょうえんさくしん芸術げいじゅつプロ作品さくひん『ひよどり草紙ぞうし』)で映画えいがデビューののちしん東宝とうほう東映とうえい移籍いせきあまいマスクで注目ちゅうもくされたこともあり同社どうしゃ製作せいさく映画えいが笛吹うすい童子どうじ』、『べに孔雀くじゃく』に出演しゅつえんし、つづけのだいヒットにより一躍いちやくスターとなり全国ぜんこくで「にしきちゃん」ブームがこった[3]以降いこう大川おおかわきょうぞう市川いちかわ雷蔵らいぞうひがしせんだいかいらとともに「スケゾウ」とばれ東映とうえい時代じだいげき看板かんばんスターとなり、日本にっぽん映画えいがかい全盛期ぜんせいきささえた。『一心いっしん太助たすけ』シリーズ、『宮本みやもと武蔵むさし』シリーズはたりやくとなり、とく武蔵むさしやくはライフワークとなった。

ドラマに進出しんしゅつ舞台ぶたい復帰ふっき[編集へんしゅう]

昭和しょうわ30年代ねんだい後半こうはんからテレビに人気にんきうばわれはじめた映画えいが産業さんぎょう斜陽化しゃようかわせて、錦之助きんのすけテレビドラマへの進出しんしゅつはかる。1965ねん東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ東映とうえい俳優はいゆう労働ろうどう組合くみあい結成けっせいされると、後輩こうはいたちから打診だしんされて委員いいんちょう就任しゅうにんした。しかし、よく1966ねん東映とうえい内部ないぶ労働ろうどう争議そうぎ収拾しゅうしゅうできなかったこともあり東映とうえい退社たいしゃ[3]1968ねんに「中村なかむらプロダクション」を設立せつりつして独立どくりつし、本格ほんかくてきにテレビ時代じだいげき世界せかい進出しんしゅつした。このころ出演しゅつえんドラマとして、『子連こづおおかみ』や『やぶかさがたなふね悪人あくにん』、『やぶ奉行ぶぎょう』、『長崎ながさき犯科はんかちょう』、『やぶ新九郎しんくろうとうがある。

1956ねん小川おがわによる地方ちほう巡業じゅんぎょうまつり』『仮名かめい手本てほん忠臣蔵ちゅうしんぐら はちだん道行みちゆき旅路たびじよめいれ』で舞台ぶたい復帰ふっき毎年まいとし6がつ東京とうきょう歌舞伎座かぶきざ定期ていき興行こうぎょうっていた。なお歌舞伎座かぶきざでの興行こうぎょうでありながら、錦之助きんのすけ演目えんもくはほとんどが歌舞伎かぶきではない新作しんさく時代じだいげきであり、歌舞伎かぶきであってもすべてが明治めいじ以降いこうつくられたいわゆる「しん歌舞伎かぶき」であった。本人ほんにん古典こてん伝統でんとう歌舞伎かぶきをやるつもりはなく、「子別こわかれ(浄瑠璃じょうるり歌舞伎かぶき演目えんもくひとつである"恋女房こいにょうぼうしみぶん手綱たづな"のこと)なんてできねぇよ」とっていた。

映画えいがかい舞台ぶたいをつとめた歌舞伎かぶき演目えんもくつぎのとおり。

復帰ふっき狂言きょうげん『おまつり』は、大向おおむこの「ってました!」ごえのち役者やくしゃが「っていたとはありがてえ」という、復帰ふっきにからめたお馴染なじみのもの。『道行みちゆき旅路たびじよめいれ』は本人ほんにんは「ごちそう」(特別とくべつ出演しゅつえん)として一瞬いっしゅん登場とうじょうするだけである。さい晩年ばんねんの1994ねんえんじた『極付きわめつきはたずい長兵衛ちょうべえ』の長兵衛ちょうべえやく代目だいめ吉右衛門きちえもんのを忠実ちゅうじつえんじたが、水野みずのやく片岡かたおか孝夫たかおじゅう代目だいめ仁左衛門にざえもんとは子役こやく時代じだいからの友人ゆうじんである関係かんけいから、錦之介きんのすけは「孝夫たかおちゃんと一緒いっしょにできる」と久々ひさびさ共演きょうえんたのしんでいた。また、レコード歌手かしゅとしてもデビューし、「やくざ若衆わかしゅ」「いろは小唄こうた」などのきょくをリリースし、「にしきちゃんまつり」というライブ・イベントを各地かくち開催かいさいした。

萬屋よろずや錦之介きんのすけへの改名かいめい、さらなる活躍かつやく[編集へんしゅう]

1971ねん10がつ歌舞伎座かぶきざさん代目だいめ中村なかむら時蔵ときぞうじゅうさん回忌かいき追善ついぜん興行こうぎょうで「小川おがわ」で一門いちもんをなすことを宣言せんげんし、屋号やごう萬屋よろずやに、定紋じょうもんきりちょうあらためた。よく1972ねん自身じしん芸名げいめい中村なかむら錦之助きんのすけから「萬屋よろずや 錦之介きんのすけ」とあらためた。このさいうらな姓名せいめい判断はんだん)により「錦之にしきのすけ」を「錦之にしきのかい」とえている。

1978ねん公開こうかい映画えいが柳生やぎゅう一族いちぞく陰謀いんぼう』で主演しゅえんしたが、錦之介きんのすけが12ねんぶりに東映とうえい復帰ふっきした作品さくひんとなった[5]錦之介きんのすけえんじる柳生やぎゅう但馬たじままもる宗矩むねのりの「ゆめでござる」という台詞せりふ話題わだいになり[6]作品さくひんだいヒットとなった[7]

1979ねんテレビ朝日てれびあさひ開局かいきょく20周年しゅうねん記念きねん番組ばんぐみ赤穂あこう浪士ろうし』で主演しゅえんつとめた。錦之介きんのすけさわ島忠しまちゅうに「45さいになったらかなら大石おおいし内蔵助くらのすけをやります。そのとき監督かんとくをしてしい」と依頼いらいしていたという。この作品さくひん錦之介きんのすけは、舞台ぶたい映画えいが・テレビのすべてで内蔵ないぞうすけえんじたことになった[8][ちゅう 3]

トラブルつづきの晩年ばんねん[編集へんしゅう]

先述せんじゅつとお1968ねんに「中村なかむらプロダクション」を設立せつりつしたが、社内しゃないにしっかりとしたかね管理かんりをできるものがいなかったことにくわえて、ひと信用しんようしすぎる錦之介きんのすけ人柄ひとがらあいまって次第しだい経営けいえいかたむいていく[3]結果けっか、1982ねん2がつに15おくえんもの莫大ばくだい借金しゃっきんかかえて事務所じむしょ倒産とうさん[9]萬屋よろずや別荘べっそう自宅じたく人手ひとでわたった[3]

事務所じむしょ倒産とうさんから3かげつ出演しゅつえんした歌舞伎かぶき公演こうえん最中さいちゅうたおれ、くび筋肉きんにく麻痺まひする重症じゅうしょうすじ無力むりょくしょう診断しんだんされて入院にゅういん。さらに同年どうねん8がつには呼吸こきゅう困難こんなんおちいむね腺腫せんしゅ摘出てきしゅつ手術しゅじゅつをし[ちゅう 4]長期ちょうき入院にゅういん同年どうねん11がつ退院たいいんよく1983ねん重症じゅうしょうすじ無力むりょくしょう克服こくふくし、1984ねんのドラマ「時代じだいげきスペシャル 子連こづおおかみ」で1ねんはんぶりに仕事しごと再開さいかいわるいことはつづ1990ねんには、右目みぎめ角膜かくまく剥離はくり発病はつびょう[3]。また、このあいだ自身じしん不倫ふりん発覚はっかく三男さんなんくなった(#家族かぞくつま子供こどもたち)参照さんしょう)。

1996ねんに、翌年よくねん放送ほうそう予定よていNHK大河たいがドラマ毛利もうり元就もとなり』の尼子あまこ経久つねひさやくでの出演しゅつえんまり製作せいさく発表はっぴょう会見かいけんのぞむも、後日ごじつ咽頭いんとうがん発症はっしょう同役どうやく降板こうばんした[ちゅう 5]。そのしたおおきく切除せつじょする手術しゅじゅつけて、舞台ぶたいつことを夢見ゆめみてリハビリにはげんだ[10][3]。しかし1997ねん3がつ10日とおか1441ふん入院にゅういんさき千葉ちばけんかしわ国立こくりつがんセンターひがし病院びょういん肺炎はいえんのため死去しきょ[11][12]。64さいぼつ墓所はかしょ鎌倉かまくら鎌倉かまくら霊園れいえん

おも受賞じゅしょう[編集へんしゅう]

1958ねん映画えいが一心いっしん太助たすけ 天下でんか一大事いちだいじ』でブルーリボンしょう大衆たいしゅうしょう受賞じゅしょう。1963ねん映画えいが武士ぶしどう残酷ざんこく物語ものがたり』でブルーリボンしょう主演しゅえん男優だんゆうしょう受賞じゅしょう。1982ねん牧野まきの省三しょうぞうしょう受賞じゅしょう。1996ねんには、長年ながねん芸能げいのう活動かつどう文化庁ぶんかちょうから表彰ひょうしょうされる。また、2000ねん発表はっぴょうされた『キネマ旬報きねまじゅんぽう』の「20世紀せいき映画えいがスター男優だんゆうへん」で日本にっぽん男優だんゆうの9どうごうの「読者どくしゃえらんだ20世紀せいき映画えいがスター男優だんゆう」もおなじくだい9になった。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

役者やくしゃとしての姿勢しせい普段ふだん人柄ひとがらなど[編集へんしゅう]

1954ねん

生前せいぜん錦之介きんのすけひとはなし総合そうごうすると、相当そうとうしょうだったとわれる。

子連こづおおかみ』ではい一刀いっとうえんじたときには、どう田貫たぬき使つかである一刀いっとう影響えいきょうされてか、どう田貫たぬき一門いちもんかたなコレクションをはじめ、おおときにはそのかずすうひゃくほんたっしたという。また、うらないにもっていたらしく、『ウルトラセブン』のモロボシ・ダンやくられるもり浩司こうじもり晃嗣こうじ改名かいめいしたのも、うらなきのかれ助言じょげんによるという。

また、自身じしん方位ほういがくり、ひどいときには、方角ほうがくわるいといって、方違かたたがのためにいえかえらず、ホテルにまることもしばしばであったという。その結果けっか女優じょゆうかぶとにしきとの不倫ふりん関係かんけいとなる(後述こうじゅつ)。

演技えんぎへの情熱じょうねつとその研究けんきゅう熱心ねっしん姿すがたから「げいむし」とばれた。時代じだいげき殺陣さつじんは「かたなおもみが表現ひょうげんできていない」として、うごきに説得せっとくりょくたせるため警視庁けいしちょう居合いあいおしえる達人たつじん弟子でしりまでした[3]

台本だいほん台詞せりふ完璧かんぺきあたまれることを重視じゅうししていた。数多かずおお時代じだいげき共演きょうえんしたせんだみつおによると、萬屋よろずや舞台ぶたい千秋楽せんしゅうらく時間じかんつけては大量たいりょうのメモをいた台本だいほんをじっとんでいた。せんだが「おぼえてるんだから、もうまなくていいでしょ」とうと、「ぼくきみにこの台詞せりふうのはいつもはじめてなんだよ」とかえされたとのこと。これは「役者やくしゃ毎日まいにち舞台ぶたいつがきゃくにとってはその舞台ぶたいいちきり。けっしてれがあってはいけない」とのかんがえによるものとされる[3]

テレビ時代じだいげきでは、錦之介きんのすけ午後ごご3までしか撮影さつえいしないのが不文ふぶんりつとなっており、オープン・セットやロケーションのナイト・シーンは、すべて〈ツブシ〉とばれる擬似ぎじ夜景やけいられた。そのため、夜間やかん撮影さつえい錦之介きんのすけ以外いがいのシーンにかぎられ、実際じっさいほとんく、スタッフのあいだでは「はやかえれる」と好評こうひょうだった。

役者やくしゃとしては自分じぶんきびしい試練しれん一方いっぽう普段ふだんはそのあかるくさくで豪快ごうかい性格せいかくから俳優はいゆう仲間なかま裏方うらかたのスタッフなど、おおくのひとたちから「にしきけいィ」(きんにい)「にしきちゃん」としたわれ、したしまれた[3]。また、いえでは非常ひじょう子煩悩こぼんのう性格せいかくだった[3]

対人たいじん関係かんけい[編集へんしゅう]

家族かぞくつま子供こどもたち)[編集へんしゅう]

1961ねん11月27にち有馬ありま稲子いねことの結婚式けっこんしきひらかれた。

3結婚けっこん経験けいけんしており、つまはいずれも女優じょゆう有馬ありま稲子いねこ初婚しょこん)、淡路あわじ恵子けいこ再婚さいこん)、かぶとにしき再々さいさいこん)。

一人ひとりつま有馬ありま稲子いねことの出会であいは、1958ねん当時とうじ有馬ありまっていた雑誌ざっし対談たいだん記事きじのゲストとして錦之助きんのすけばれたのが最初さいしょ。そこで意気投合いきとうごうしたのち翌年よくねん映画えいが共演きょうえんすると撮影さつえい期間きかんちゅう交際こうさいもうんで有馬ありまうようになり、1961ねん11月に結婚けっこん。しかし結婚けっこん錦之助きんのすけ毎晩まいばん共演きょうえんしゃやスタッフをかえっては自宅じたく宴会えんかい状態じょうたいとなり、有馬ありまとの夫婦ふうふ水入みずいらずの時間じかん全然ぜんぜんなかったことなどが原因げんいんで1965ねん離婚りこん[3]。また、有馬ありまはなしによると、梨園りえんつまであった母親ははおや存在そんざいおおきく、錦之助きんのすけだけでなく、しゅうとである母親ははおや顔色かおいろもうかがわねばならなかったのも原因げんいんひとつとされる。また、屋号やごう萬屋よろずやにしたのは、母親ははおや意向いこうつよかったためともわれている。

1966ねん二人ふたりつま淡路あわじ恵子けいこ再婚さいこんし、錦之助きんのすけ彼女かのじょである長男ちょうなん次男じなんくわえ、彼女かのじょとのあいだにできた実子じっし三男さんなんよんなんけい4にん父親ちちおやとなる。当時とうじ錦之助きんのすけ夫妻ふさい近所きんじょらし家族かぞくぐるみのいがあったもり晃嗣こうじによると、先述せんじゅつの「午後ごご3までしか撮影さつえいしない」理由りゆうひとつとして、錦之助きんのすけは「つまどもたちと夕食ゆうしょくかこみ、かわになってたい」とのおもいがあったとのこと[3]

その淡路あわじは、重症じゅうしょうすじ無力むりょくしょう長期ちょうき入院にゅういんした錦之介きんのすけつまとして献身けんしんてき看病かんびょうしながら金銭きんせんてきにもささつづけ1984ねん俳優はいゆう復帰ふっきつなげた。しかしその錦之介きんのすけは、宝塚歌劇団たからづかかげきだん出身しゅっしん退団たいだん女優じょゆう活動かつどうをしていたかぶとにしきとの不倫ふりん原因げんいんで1987ねん淡路あわじ離婚りこん[3]、1990ねんかぶと再々さいさいこんすることとなった。

ちなみに4にん息子むすこたちはその芸能人げいのうじんにならなかった次男じなんのぞ長男ちょうなんしまえいおっと筆頭ひっとうにいずれも俳優はいゆうになった。しかし三男さんなん小川おがわ晃廣あきひろは、1990ねんにバイク事故死じこし[13]よんなん小川おがわ哲史てつし萬屋よろずや吉之よしゆきあきら芸名げいめい活動かつどうするも2004ねん窃盗せっとうざい家宅かたく侵入しんにゅうざい実刑じっけい判決はんけつけたのち2010ねん自殺じさつしている[4]

そのひととのエピソード[編集へんしゅう]

歌舞伎かぶきかいわかれたのちも、いくつかのかかわりをっている。おい代目だいめ中村なかむら獅童しどう襲名しゅうめい披露ひろうをするさいは、みずか後見人こうけんにんって口上こうじょうべ、歌舞伎かぶきかいうしたてのない獅童しどうちからになろうとした。

世界せかいてきスターである三船みふね敏郎としお取締役とりしまりやく三船みふねプロダクション製作せいさくする映画えいが常連じょうれんであり、三船みふねとの共演きょうえんおおかった。

中村なかむら玉緒たまおのち回想かいそうによると、錦之介きんのすけくなったことをったかつ新太郎しんたろうが「おれ兄弟きょうだい一人ひとりがいなくなってしまった」とかたり、がん闘病とうびょうちゅうだったみずからの体調たいちょう悪化あっかもあって錦之介きんのすけ葬儀そうぎへの参列さんれつたせずに残念ざんねんがっていたという。ちなみにかち錦之介きんのすけくなったわずか3かげつ他界たかいしている。

溺愛できあいする息子むすこたち子供こどもだったころ『仮面かめんライダー』のだいファンだった息子むすこたちから、「とうちゃんはえら役者やくしゃだってうけど、仮面かめんライダーにてないじゃないか!」とわれた。すると錦之助きんのすけは、『仮面かめんライダー』出演しゅつえん本気ほんき東映とうえいにオファーし、東映とうえいのスタッフたち絶句ぜっくさせた。当時とうじはこういった大御所おおごしょ俳優はいゆう特撮とくさつ番組ばんぐみ出演しゅつえんすることはあまり前例ぜんれいがなかったため、出演しゅつえんかなわなかったが[ちゅう 6]息子むすこたちのために、地獄じごく大使たいしえんじていた友人ゆうじん俳優はいゆううしお健児けんじたのんで、その衣装いしょうしおいえてもらったことがあるという。

主演しゅえんドラマ「子連こづおおかみ」の撮影さつえい期間きかんちゅうだい五郎ごろうやくえんじた子役こやく西川にしかわ和孝かずたか毎日まいにちのように自宅じたくまね交流こうりゅうはかった[3]

趣味しゅみ社会しゃかい活動かつどう[編集へんしゅう]

だい野球やきゅうきで、1955ねんみずからのくさ野球やきゅうチーム「にしきちゃん」を結成けっせいした[3]巨人きょじんファンで長嶋ながしま茂雄しげお夫妻ふさい結婚けっこん披露宴ひろうえん出席しゅっせきしたり[3]もとプロ野球やきゅう選手せんしゅおう貞治さだはるとは自宅じたく近所きんじょということから、家族かぞくぐるみのいをするなど交流こうりゅうがあった。一方いっぽうではプロ野球やきゅう阪神はんしんタイガースのファンでもあり、阪神はんしん選手せんしゅとも家族かぞくぐるみのいをしていた。

きでとくモロコりにっており、ときには生態せいたいるため水族館すいぞくかんかよめたほどだった[3]

日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかいにも馬主ばしゅ登録とうろくをしており、中山なかやま金杯きんぱい優勝ゆうしょうしたヨロズハピネスなどを所有しょゆうしていたことでもられる。

愛犬あいけんで、みずかいぬ散歩さんぽをしたほか晩年ばんねん年末年始ねんまつねんし愛犬あいけん2ひきれて沖縄おきなわ与論島よろんとうなどの島々しまじまたびしていた[3]

1967ねん4がつおこなわれた東京とうきょう都知事とちじ選挙せんきょでは、社会しゃかい共産きょうさんりょうとう推薦すいせん美濃部みのべ亮吉りょうきち応援おうえんした。陣営じんえい萬屋よろずやんだ「美濃部みのべ支持しじ」のテープを、同日どうじつ日程にっていおこなわれた議会ぎかい議員ぎいん選挙せんきょ候補者こうほしゃ街宣がいせんしゃみ、「美濃部みのべ美濃部みのべ」の萬屋よろずや連呼れんこ都民とみんみみにこだまさせた[14]

屋号やごう萬屋よろずや[編集へんしゅう]

萬屋よろずや1971ねんあたらしく制定せいていした小川おがわ屋号やごうである。もともとは、小川おがわかめ(よしみおんな)の生家せいか小川おがわ吉右衛門きちえもん屋号やごう萬屋よろずや」)にちなんだものである。小川おがわ吉右衛門きちえもんは、「萬屋よろずや」という屋号やごう代々だいだい市村いちむら芝居しばい茶屋ちゃやをしていた。つまり歌舞伎かぶき関係かんけいしゃであった。

小川おがわ吉右衛門きちえもんむすめであるかめは、さん代目だいめ中村なかむら歌六かろくつまであり、初代しょだい中村なかむら吉右衛門きちえもん波野なみのぐ)、さん代目だいめ時蔵ときぞう小川おがわぐ)のははであり、錦之介きんのすけ小川おがわ5兄弟きょうだい祖母そぼである。次男じなんさん代目だいめ時蔵ときぞうのみあえてはは実家じっかせい名乗なのった。さん代目だいめ時蔵ときぞうはそればかりでなく、小川おがわごと「播磨屋はりまや」をだっして単独たんどく屋号やごう萬屋よろずや」を名乗なのりたい意向いこうっていたが、自身じしんたせなかった。錦之介きんのすけ遺児いじたちが1971ねんに「萬屋よろずや」を名乗なのったのは、両家りょうけがもはや一門いちもんをなさないという主張しゅちょうであり、吉右衛門きちえもんへの対抗たいこう意識いしきによる。

萬屋よろずや」はそもそも中村なかむら吉右衛門きちえもん小川おがわ共通きょうつうのルーツである。このことは中村なかむら吉右衛門きちえもんつよ意識いしきしていた。代目だいめ中村なかむら吉右衛門きちえもんはつ中村なかむらまんこれすけ名乗なのった。また吉右衛門きちえもん弟子でしすじにも「まんまん)」のをつけさせた(中村なかむらよろずすすむなど)。しかし、小川おがわが「萬屋よろずや」となったのちは、中村なかむら吉右衛門きちえもんは「まん」の使つかわないようになったのである(れい中村なかむらよろずすすむ中村なかむら吉之丞きちのじょうあらためた)。

しかし2010ねん9月、前年ぜんねん代目だいめ中村なかむら又五郎またごろう他界たかいしたため、本家ほんけともいえる播磨屋はりまや代目だいめ吉右衛門きちえもんとその門弟もんていだけになるという状況じょうきょうとなり、播磨屋はりまや衰退すいたい危惧きぐした代目だいめ中村なかむら歌六かろくさん代目だいめ中村なかむら又五郎またごろう兄弟きょうだい一門いちもんは、ふたたび屋号やごう播磨屋はりまやもどしている。

名跡みょうせき中村なかむら錦之助きんのすけ[編集へんしゅう]

錦之助きんのすけ生前せいぜんはは小川おがわひなから、ちち早世そうせいしたあに名跡みょうせきである「中村なかむら時蔵ときぞう」を襲名しゅうめいしてその代目だいめとなるように再三さいさん懇願こんがんされたが、本人ほんにん拒否きょひつらぬいた。錦之助きんのすけ本名ほんみょうの「にしきいち」に由来ゆらいするもので、過去かこでの歌舞伎かぶき由来ゆらいたない、まったく本人ほんにん独自どくじのものである。もちろん初代しょだいである。この歌舞伎かぶき映画えいが俳優はいゆう時代じだいつうじて名乗なのつづけ、1972ねん萬屋よろずや錦之介きんのすけ改名かいめいした。

かれ息子むすこ歌舞伎かぶきかいにははいらず、映画えいがかいはいったものの大成たいせいせず、三男さんなん交通こうつう事故死じこしよんなん不祥事ふしょうじすえ自殺じさつという結末けつまつだった。 そうとなれば、「中村なかむら錦之助きんのすけ」を名跡みょうせきとして復活ふっかつさせるには他人たにん名乗なのるしかない。しかし、この歌舞伎かぶき松竹しょうちくからはな映画えいがかいてんじてから、しかも映画えいが舞台ぶたい興行こうぎょう会社かいしゃとして松竹しょうちくとは競合きょうごう関係かんけいにある東映とうえい大成たいせいしたである。それゆえに、歌舞伎かぶき仕切しき松竹しょうちくがタッチしたがらない名前なまえ、いわば永久えいきゅう欠番けつばんてき存在そんざいである、とながらくわれつづけていた。歌舞伎かぶきにおけるかる位置いちづけと裏腹うらはらに、映画えいがかいではこの存在そんざいかんがあまりにおもぎるため、このこともまた名跡みょうせき復活ふっかつにあたってかべになるかもしれないという懸念けねんながらくささやかれていた。

結局けっきょく中村なかむら錦之助きんのすけ」のは、死後しご10ねんった2007ねん4がつ2にち東京とうきょう歌舞伎座かぶきざだい歌舞伎かぶき興行こうぎょうで、次兄じけいよん代目だいめ中村なかむら時蔵ときぞう次男じなんで、自身じしんおいである中村なかむら信二郎しんじろうが、『おにいち法眼ほうげんさんりゃくまききくはたけ』のとらぞうじつうしわかまると『そう蝶々ちょうちょう曲輪くるわ日記にっき角力すもうじょう(すもうば)』の長吉ちょうきち与五郎よごろう代目だいめ錦之助きんのすけ襲名しゅうめいした。「きくはたけ」のとらぞうじつうしわかまる初代しょだい歌舞伎かぶき役者やくしゃ時代じだい最後さいごつとめたゆかりあるやくどころである。

代目だいめ錦之助きんのすけはこの「錦之助きんのすけ」の名跡みょうせきを「歌舞伎かぶきではたいしたことのない名前なまえ」とかたる。「中村なかむら錦之助きんのすけ」という前述ぜんじゅつとお映画えいがかいでは威厳いげんある名前なまえであるが、歌舞伎かぶきかいにおいてはまったかるいものである。しかし代目だいめは「(映画えいがかいにおいて大成たいせいした)中村なかむら錦之助きんのすけという歌舞伎かぶきもどすのがわたし役割やくわり」とかたる。まさに前例ぜんれいがないこころみであり、代目だいめにとってみても生涯しょうがいいどむべき目標もくひょうともえる。萬屋よろずや新興しんこう一門いちもんであるにもかかわらず、男子だんしめぐまれており、歌舞伎かぶき俳優はいゆうとなったものおおかったことから、「錦之助きんのすけ以外いがいのゆかりある名跡みょうせき名前なまえ現在げんざいすべ使つかわれている。

出演しゅつえん作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

『あばれ振袖ふりそで』(1955ねん
日本にっぽん侠客きょうかくでん』(1964ねん
沓掛くつかけ時次郎ときじろう 遊侠ゆうきょういちひき』(1966ねん
  1. 1954ねん02がつ10日とおか ひよどり草紙ぞうし / 制作せいさくしん芸術げいじゅつプロ
  2. 1954ねん03月24にち 花吹雪はなふぶき御存ごぞんななにんおとこ / 制作せいさくしん東宝とうほう
  3. 1954ねん04がつ27にち しん諸国しょこく物語ものがたり 笛吹うすい童子どうじ だい一部いちぶどくろのはた / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい菊丸きくまる
  4. 1954ねん05月03にち うたしぐれ おしどり若衆わかしゅ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  5. 1954ねん05月03にち しん諸国しょこく物語ものがたり 笛吹うすい童子どうじ だいようじゅつ闘争とうそう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい菊丸きくまる
  6. 1954ねん05がつ10日とおか しん諸国しょこく物語ものがたり 笛吹うすい童子どうじ だいさん満月まんげつじょう凱歌がいか / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい菊丸きくまる
  7. 1954ねん05月31にち 里見さとみ八犬伝はっけんでん だい一部いちぶ 妖刀ようとう村雨むらさめまる / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  8. 1954ねん06がつ08にち 里見さとみ八犬伝はっけんでん だい 芳流閣ほうりゅうかく龍虎りゅうこ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  9. 1954ねん06月15にち 里見さとみ八犬伝はっけんでん だいさん かいねこ乱舞らんぶ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  10. 1954ねん06月22にち 里見さとみ八犬伝はっけんでん だいよん 血盟けつめいはち剣士けんし / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  11. 1954ねん06月29にち 里見さとみ八犬伝はっけんでん 完結かんけつへん あかつき勝鬨かちどき / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  12. 1954ねん08がつ01にち うたごよみいろは若衆わかしゅ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい稲葉いなば弥之助やのすけ
  13. 1954ねん09月07にち 八百屋やおやしち ふりそで月夜づきよ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  14. 1954ねん09月21にち坊主ぼうず天狗てんぐ まえへん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  15. 1954ねん10がつ12にち坊主ぼうず天狗てんぐ へん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  16. 1954ねん11月08にち 満月まんげつたぬきばやし / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめいまめ太郎たろう、絃之かい
  17. 1954ねん11月22にち 新選しんせんぐみおに隊長たいちょう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  18. 1954ねん12月27にち しん諸国しょこく物語ものがたり べに孔雀くじゃく だいいちへん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  19. 1955ねん01がつ03にち しん諸国しょこく物語ものがたり べに孔雀くじゃく だいへん のろいのふえ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  20. 1955ねん01がつ09にち しん諸国しょこく物語ものがたり べに孔雀くじゃく だいさんへん がつ白骨はっこつじょう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  21. 1955ねん01がつ15にち せいぞろい喧嘩げんか若衆わかしゅ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  22. 1955ねん01がつ15にち しん諸国しょこく物語ものがたり べに孔雀くじゃく だいよんへん けんめくら浮寝うきねまる / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  23. 1955ねん01がつ21にち しん諸国しょこく物語ものがたり べに孔雀くじゃく 完結かんけつへん 廃墟はいきょ秘宝ひほう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  24. 1955ねん02がつ13にち 越後獅子えちごじしさい やくざ若衆わかしゅ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  25. 1955ねん04がつ19にち 青春せいしゅん航路こうろ うみ若人わこうど / 制作せいさく東映とうえい東京とうきょう 役名やくめい山里やまざと英一郎えいいちろう
  26. 1955ねん05月24にち あばれまといせんりょうはだ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  27. 1955ねん07がつ30にち 源義経みなもとのよしつね / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  28. 1955ねん09がつ20日はつか 紅顔こうがん若武者わかむしゃ 織田おだ信長のぶなが / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  29. 1955ねん10がつ09にち 獅子ししまる一平いっぺい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  30. 1955ねん10がつ17にち ぞく獅子ししまる一平いっぺい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  31. 1955ねん11月22にち あばれ振袖ふりそで / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  32. 1956ねん01がつ03にち 羅生門らしょうもんの妖鬼 / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい平三郎へいざぶろうあつししょうひゃくごう茨木いばらぎそうさとし
  33. 1956ねん01がつ15にち 晴姿はれすがたいちばんまとい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  34. 1956ねん01がつ15にち 赤穂あこう浪士ろうし てんまき まき / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめいしょう山田庄やまだのしょう左衛門さえもん
  35. 1956ねん02がつ11にち 獅子ししまる一平いっぺい だいさん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  36. 1956ねん03月15にち ぞく源義経みなもとのよしつね / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  37. 1956ねん04がつ19にち 悲恋ひれん おかる勘平かんぺい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  38. 1956ねん04がつ25にち 異国いこく物語ものがたり ヒマラヤの魔王まおう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  39. 1956ねん05月03にち 異国いこく物語ものがたり ヒマラヤの魔王まおう 双竜そうりゅうへん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  40. 1956ねん05月11にち 異国いこく物語ものがたり ヒマラヤの魔王まおう 日月じつげつへん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  41. 1956ねん07がつ05にちうすゆき太夫たゆう」より 怪談かいだん 千鳥ケ淵ちどりがふち / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい美之みゆきすけ
  42. 1956ねん08がつ08にち 青年せいねん安兵衛やすべえ べにだすきもと浪人ろうにん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  43. 1956ねん10がつ09にち 危し!獅子ししまる一平いっぺい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  44. 1956ねん10がつ17にち 曽我そが兄弟きょうだい 富士ふじ夜襲やしゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  45. 1956ねん10がつ24にち 獅子しし丸一まるいちひら 完結かんけつへん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  46. 1956ねん12月26にち しん諸国しょこく物語ものがたり ななつのちか くろ水仙すいせんまき / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  47. 1957ねん01がつ03にち しん諸国しょこく物語ものがたり ななつのちか奴隷どれいせんまき / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  48. 1957ねん01がつ03にち 任侠にんきょう清水港しみずこう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  49. 1957ねん01がつ09にち しん諸国しょこく物語ものがたり ななつのちか凱旋がいせんまき / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  50. 1957ねん02がつ12にち 青雲せいうんおに / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  51. 1957ねん03月20にち 花笠はながさ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  52. 1957ねん04がつ16にち 源氏げんじ九郎くろう颯爽さっそう がみ二刀流にとうりゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい源氏げんじ九郎くろう
  53. 1957ねん04がつ30にち 隼人はやとぞく叛乱はんらん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめいかつらはら主税ちからかい
  54. 1957ねん07がつ13にち 大菩薩峠だいぼさつとうげ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい宇津木うつき兵馬へいば
  55. 1957ねん08がつ11にち 水戸黄門みとこうもん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい:宇之きち
  56. 1957ねん09月15にち ゆうれいせん 怒濤どとうへん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  57. 1957ねん09月23にち ゆうれいせん へん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  58. 1957ねん11がつ10日とおか 恋風こいかぜ道中どうちゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  59. 1958ねん01がつ03にち 任侠にんきょう東海道とうかいどう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい桶屋おけやおにきち
  60. 1958ねん01がつ15にち おしどりかご / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  61. 1958ねん02がつ05にち 江戸えど名物めいぶつおとこ いちしん太助たすけ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  62. 1958ねん03月11にち 源氏げんじ九郎くろう颯爽さっそう 白狐びゃっこ二刀流にとうりゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい源氏げんじ九郎くろう
  63. 1958ねん04がつ15にち ふうおんなたびからす / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい風間かざま銀次ぎんじ
  64. 1958ねん04がつ21にち 大菩薩峠だいぼさつとうげ だい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい宇津木うつき兵馬へいば
  65. 1958ねん06月29にち 清水港しみずこう名物めいぶつおとこ 遠州森えんしゅうもり石松ひかげのかずら / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  66. 1958ねん07がつ13にち 殿とのさま弥次喜多やじきた 怪談かいだん道中どうちゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい徳川とくがわ宗長そうちょう
  67. 1958ねん08がつ12にち 旗本はたもと退屈たいくつおとこ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい揚羽あげはちょう
  68. 1958ねん09月03にち けんっていた 紅顔こうがん無双むそうりゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  69. 1958ねん10がつ01にち 隠密おんみつななせい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  70. 1958ねん10がつ22にち 一心いっしん太助たすけ 天下でんか一大事いちだいじ/ 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい一心いっしん太助たすけ徳川とくがわ家光いえみつ
  71. 1958ねん12月02にち 浅間あさまあばれんぼう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  72. 1959ねん01がつ03にち 殿とのさま弥次喜多やじきた 捕物とりもの道中どうちゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  73. 1959ねん01がつ15にち 忠臣蔵ちゅうしんぐら 櫻花おうかまき菊花きっかまき / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい浅野内匠頭あさのたくみのかみ
  74. 1959ねん02がつ24にち 美男びなんじょう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  75. 1959ねん04がつ01にち 役者やくしゃぶんなな捕物とりものれき 蜘蛛くも屋敷やしき / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい:お役者やくしゃぶんなな
  76. 1959ねん04がつ28にち 大菩薩峠だいぼさつとうげ 完結かんけつへん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい宇津木うつき兵馬へいば
  77. 1959ねん05月25にち 独眼竜どくがんりゅうせいむね / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  78. 1959ねん07がつ12にち 水戸黄門みとこうもん 天下でんかふく将軍しょうぐん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  79. 1959ねん08がつ09にち すい滸伝 怒濤どとう対決たいけつ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  80. 1959ねん09月13にち 浪花なにわこい物語ものがたり / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  81. 1959ねん10がつ25にち 風雲児ふううんじ 織田おだ信長のぶなが / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  82. 1959ねん11月29にち 一心いっしん太助たすけ おとこなかおとこいちひき / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  83. 1960ねん01がつ03にち 任侠にんきょう中仙道なかせんどう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  84. 1960ねん01がつ15にち 殿とのさま弥次喜多やじきた / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  85. 1960ねん02がつ23にち 弥太郎やたろうかさ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  86. 1960ねん06がつ05にち あばれんぼう兄弟きょうだい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  87. 1960ねん06月21にち 親鸞しんらん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  88. 1960ねん08がつ07にち 水戸黄門みとこうもん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめいこま四郎吉しろうきち
  89. 1960ねん09月27にち ぞく 親鸞しんらん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  90. 1960ねん11月22にち もり石松ひかげのかずらおによりこわい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  91. 1960ねん12月27にち わか次郎じろうちょう 東海とうかい顔役かおやく / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  92. 1961ねん01がつ03にち 家光いえみつと彦左と一心いっしん太助たすけ/ 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  93. 1961ねん03月12にち 江戸えど奉行ぶぎょう 天下でんかおとこ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  94. 1961ねん03月28にち 赤穂あこう浪士ろうし / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい脇坂わきさか淡路あわじまもる
  95. 1961ねん05月27にち 宮本みやもと武蔵むさし / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい新免しんめん武蔵むさし
  96. 1961ねん06月21にち わか次郎じろうちょう 東海とうかいいちわか親分おやぶん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  97. 1961ねん08がつ26にち 江戸えど繁昌はんじょう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  98. 1961ねん11月08にち 反逆はんぎゃく / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい三郎さぶろう信康のぶやす
  99. 1962ねん01がつ03にち わか次郎じろうちょう 東海道とうかいどうのつむじかぜ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  100. 1962ねん01がつ14にち まぶたはは / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい番場ばんば忠太郎ちゅうたろう
  101. 1962ねん03がつ07にち 源氏げんじ九郎くろう颯爽さっそう けん揚羽あげはちょう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい源氏げんじ九郎くろう 初音はつね
  102. 1962ねん03月25にち 千姫せんひめ秀頼ひでより / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  103. 1962ねん06がつ10日とおか ちいさこべ だい一部いちぶ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい大留おおどめ茂次しげじ
  104. 1962ねん06がつ10日とおか ちいさこべ だい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい大留おおどめ茂次しげじ
  105. 1962ねん09月22にち 次郎じろうちょうしょう天狗てんぐ なぐ甲州こうしゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  106. 1962ねん11月17にち 宮本みやもと武蔵むさし 般若はんにゃざかけつ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい宮本みやもと武蔵むさし
  107. 1963ねん01がつ03にち 勢揃せいぞろ東海道とうかいどう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  108. 1963ねん01がつ15にち 一心いっしん太助たすけ おとこいちひき道中どうちゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  109. 1963ねん04がつ28にち 武士ぶしどう残酷ざんこく物語ものがたり /Bushido - Sie lieben und sie töten/ ベルリン国際こくさい映画えいがさいグランプリ(きむくましょう受賞じゅしょう作品さくひん制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  110. 1963ねん06がつ02にち 真田さなだ風雲ふううんろく / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめいはなれざる佐助さすけ
  111. 1963ねん08がつ14にち 宮本みやもと武蔵むさし 二刀流にとうりゅう開眼かいがん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい宮本みやもと武蔵むさし
  112. 1963ねん11月20にち せきわたるふとっぺ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめいせき弥太郎やたろう
  113. 1964ねん01がつ01にち 宮本みやもと武蔵むさし 一乗寺いちじょうじけつ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい宮本みやもと武蔵むさし
  114. 1964ねん06月27にち さめ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  115. 1964ねん08がつ13にち 日本にっぽん侠客きょうかくでん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  116. 1964ねん11月01にち 仇討あだうち / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  117. 1965ねん01がつ03にち 徳川とくがわ家康いえやす / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい織田おだ信長のぶなが
  118. 1965ねん04がつ10日とおか 冷飯ひやめしとおさんとちゃん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい柴山しばやまだいよんろうまいりふとし大工だいく)、重吉しげよし火鉢ひばち職人しょくにん
  119. 1965ねん05月22にち 股旅またたびさんにんやくざ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  120. 1965ねん09月04にち 宮本みやもと武蔵むさし 巌流島がんりゅうじまけつ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい宮本みやもと武蔵むさし
  121. 1965ねん11月20にち はなりゅう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい玉井たまい金五郎きんごろう
  122. 1966ねん01がつ13にち ぞくはなりゅう 洞海湾どうかいわんけつ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい玉井たまい金五郎きんごろう
  123. 1966ねん04がつ01にち 沓掛くつかけ時次郎ときじろう 遊侠ゆうきょういちひき/ 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい沓掛くつかけ時次郎ときじろう
  124. 1966ねん05月21にち 丹下たんげひだりぜん 飛燕ひえん居合いあい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  125. 1968ねん11月23にち 祇園祭ぎおんまつり / 制作せいさく日本にっぽん映画えいが復興ふっこう協会きょうかい 役名やくめい新吉しんよし染物そめもの職人しょくにん
  126. 1969ねん03がつ01にち 風林火山ふうりんかざん / 原作げんさく井上いのうえやすし制作せいさく三船みふねプロ 役名やくめい武田たけだ信玄しんげん
  127. 1969ねん05月01にち 用金ようきん / 制作せいさく:フジテレビジョン=東京とうきょう映画えいが
  128. 1969ねん09月13にち しり啖え孫市まごいち / 制作せいさく大映だいえい京都きょうと 役名やくめい雑賀さいか孫市まごいち
  129. 1969ねん09がつ20日はつか 地獄変じごくへん / 制作せいさく東宝とうほう
  130. 1969ねん12月05にち 新選しんせんぐみ / 制作せいさく三船みふねプロ 役名やくめい有馬ありま勝太かつた
  131. 1970ねん02がつ14にち 幕末ばくまつ/ 制作せいさく中村なかむらプロ 役名やくめい坂本さかもと竜馬りょうま
  132. 1970ねん03月21にち / 制作せいさく三船みふねプロ 役名やくめい伊吹いぶき兵馬へいば
  133. 1970ねん10がつ17にち 商魂しょうこんいちだい 天下でんかあばれんぼう / 制作せいさく東宝とうほう
  134. 1971ねん02がつ20日はつか 真剣しんけん勝負しょうぶ / 制作せいさく東宝とうほう 役名やくめい宮本みやもと武蔵むさし
  135. 1971ねん05月22にち あかつき挑戦ちょうせん / 制作せいさく:フジテレビジョン=新国劇しんこくげき映画えいが
  136. 1978ねん01がつ21にち 柳生やぎゅう一族いちぞく陰謀いんぼう / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと東映太秦映画村とうえいうずまさえいがむら 役名やくめい柳生やぎゅう但馬たじままもる宗矩むねのり
  137. 1978ねん10がつ28にち 赤穂あこうじょう断絶だんぜつ / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと東映太秦映画村とうえいうずまさえいがむら 役名やくめい大石おおいし内蔵助くらのすけ
  138. 1979ねん03がつ10日とおか 日蓮にちれん / 制作せいさく永田ながたプロ 役名やくめい日蓮にちれん
  139. 1979ねん09月01にち 真田さなだ幸村ゆきむら謀略ぼうりゃく / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  140. 1980ねん05月24にち 徳川とくがわ一族いちぞく崩壊ほうかい / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい松平まつだいら容保かたもり
  141. 1981ねん04がつ11にち ちゃんばらグラフィティー る! / (※過去かこのさまざまな東映とうえい時代じだい劇映画げきえいが総集編そうしゅうへん)。制作せいさく東映とうえい京都きょうと
  142. 1981ねん04がつ11にち 仕掛しかけじん梅安ばいあん / 制作せいさく東映とうえい東映太秦映画村とうえいうずまさえいがむら
  143. 1982ねん01がつ23にち 青春せいしゅんもん 自立じりつへん / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめい二木ふたき英治えいじ
  144. 1985ねん11月16にち 最後さいご博徒ばくと / 制作せいさく東映とうえい京都きょうと 役名やくめいきよししま春信はるのぶ
  145. 1989ねん10がつ07にち 千利休せんのりきゅう もとさとしぼう遺文いぶん / ヴェネツィア国際こくさい映画えいがさいサン・マルコぎん獅子しししょう受賞じゅしょう作品さくひん制作せいさく西友せいゆう 役名やくめい織田有楽斎おだうらくさい

テレビドラマ[編集へんしゅう]

CM[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ もと俳優はいゆう。1990ねんにバイク事故死じこし
  2. ^ 萬屋よろずや吉之よしゆきあきら芸名げいめいもと俳優はいゆう。2004ねん窃盗せっとうざいおよ家宅かたく侵入しんにゅうざい実刑じっけい判決はんけつ。2010ねん自殺じさつ[4]
  3. ^ 錦之介きんのすけ前年ぜんねんの1978ねん公開こうかい映画えいが赤穂あこうじょう断絶だんぜつ』でも大石おおいし内蔵助くらのすけえんじている。
  4. ^ 腫瘍しゅようおおきさはにわとりたまごほどだったとされ、8あいだわただい手術しゅじゅつとなった[3]
  5. ^ のち尼子あまこ経久つねひさ やく緒形おがたけん担当たんとうした。
  6. ^ 後年こうねんの『スーパー戦隊せんたいシリーズ』『平成へいせいれい仮面かめんライダーシリーズ』では、『バトルフィーバーJ』にひがしせんだいかい出演しゅつえんするなど、大御所おおごしょふくめたベテランを脇役わきやくじゅんレギュラーあつかいで起用きようするれい増加ぞうかしている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 没後ぼつごじゅうねん 三船みふね敏郎としお かつ新太郎しんたろう 中村なかむら錦之助きんのすけ” (PDF). しん文芸ぶんげいすわ. しん文芸ぶんげいすわ. p. 1. 2018ねん7がつ14にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん7がつ14にち閲覧えつらん
  2. ^ 1955ねん増刊ぞうかん日本にっぽん映画えいが大鑑たいかん映画えいがじんへん」。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 週刊しゅうかん現代げんだい 2021ねん5がつ15にちごう.
  4. ^ a b 淡路あわじ恵子けいこ自殺じさつよんなん葬儀そうぎ出席しゅっせきせず”. nikkansports.com. 日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ (2010ねん6がつ19にち). 2023ねん1がつ18にち閲覧えつらん
  5. ^ 証言しょうげん 製作せいさく現場げんばから 『柳生やぎゅう一族いちぞく陰謀いんぼう企画きかく だかいわあわ」『クロニクル東映とうえい:1947-1991』1、東映とうえい、1992ねん、pp. 282-283
  6. ^ 深作ふかさく欣二きんじ山根やまね貞男さだお映画えいが監督かんとく 深作ふかさく欣二きんじ』 ワイズ出版しゅっぱん、2003ねん、pp. 353-354。ISBN 489830155X
  7. ^ 惹句じゅつ映画えいがのこころ』 講談社こうだんしゃ、1986ねん、90ぺーじISBN 406202005X
  8. ^ ペリー荻野おぎの (2012ねん5がつ4にち). “赤穂あこう浪士ろうし萬屋よろずや錦之介きんのすけが「45さいでこの作品さくひんを」とちかった念願ねんがん大作たいさく。あのひと浅野内匠頭あさのたくみのかみにも注目ちゅうもく”. 時代じだいげき専門せんもんチャンネル. 2017ねん8がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2017ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  9. ^ 骨肉こつにく裁判さいばん事故死じこし自殺じさつ淡路あわじさん80ねん”. nikkansports.com. 日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ (2014ねん1がつ12にち). 2023ねん1がつ18にち閲覧えつらん
  10. ^ 萬屋よろずや錦之介きんのすけさい入院にゅういん - ウェイバックマシン(1997ねん7がつ14にちアーカイブぶん
  11. ^ 錦之介きんのすけさん波乱はらん生涯しょうがい - ウェイバックマシン(1997ねん7がつ14にちアーカイブぶん
  12. ^ 史上しじょうはつだい調査ちょうさ著名ちょめいじん100にん最後さいごたよった病院びょういんあなたの病院びょういんえらびは間違まちがっていませんか(週刊しゅうかん現代げんだい”. 現代げんだいビジネス. 講談社こうだんしゃ (2011ねん8がつ17にち). 2023ねん1がつ18にち閲覧えつらん
  13. ^ 息子むすこ2にんくした淡路あわじ恵子けいこ女優じょゆう子供こどもむもんじゃない」”. NEWSポストセブン. 小学しょうがくかん (2014ねん1がつ19にち). 2023ねん1がつ18にち閲覧えつらん女性じょせいセブン2014ねん1がつ30にちごうより。
  14. ^ 田中たなか角栄かくえい自民党じみんとう反省はんせい」 『中央公論ちゅうおうこうろん』1967ねん6がつごう、284-293ぺーじ
  15. ^ 番組ばんぐみエピソード 大河たいがドラマ『はる坂道さかみち”. NHKアーカイブス. 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい. 2023ねん1がつ18にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 昭和しょうわ怪物かいぶつ 研究けんきゅうその117 萬屋よろずや錦之介きんのすけとくらなかったひと」」『週刊しゅうかん現代げんだい』2021ねん5がつ15にちごう講談社こうだんしゃ、2021ねん5がつ7にち、181-188ぺーじJAN 4910206430517 


関連かんれん書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • 萬屋よろずや錦之介きんのすけ『わが人生じんせい(みち)いなくおごりなく』 東京とうきょう新聞しんぶん出版しゅっぱんきょく、1995ねん
  • 萬屋よろずや錦之介きんのすけ 芸道げいどうろくじゅうねん回顧かいこ写真しゃしんしゅう東京とうきょう新聞しんぶん出版しゅっぱんきょく、1997ねん - 錦之介きんのすけ本人ほんにん企画きかくしたが、はからずも追悼ついとう出版しゅっぱんとなった
  • 錦之介きんのすけ映画えいが研究けんきゅうかいへん中村なかむら錦之助きんのすけ 東映とうえいチャンバラ黄金おうごん時代じだいワイズ出版しゅっぱん、1997ねん - 追悼ついとう出版しゅっぱん
  • 萬屋よろずや錦之介きんのすけ勁文しゃ、1978ねん中村なかむらプロ監修かんしゅう写真しゃしんしゅう
  • しまえいおっと親父おやじなみだ 萬屋よろずや錦之介きんのすけ集英社しゅうえいしゃ、1999ねん
  • 錦之助きんのすけ映画えいがファンのかいへん『オマージュ中村なかむら錦之助きんのすけ萬屋よろずや錦之介きんのすけ』 エコール・セザム、2009ねん - シリーズ・ブックレット(4かんまで刊行かんこう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]