美濃部 亮吉
みのべ りょうきち | |
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マルクス | |
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来歴 ・人物 [編集 ]
1960
1967
1980
年表 [編集 ]
- 1904
年 (明治 37年 )2月 5日 :出生 - 1916
年 (大正 5年 ):東京 高等 師範 学校 附属 小学校 (現 ・筑波大学 附属 小学校 )卒業 - 1921
年 (大正 10年 ):東京 高等 師範 学校 附属 中学校 (現 ・筑波大学 附属 中学校 ・高等 学校 )卒業 - 1923
年 (大正 12年 ):旧制 第 二 高等 学校 卒業 - 1927
年 (昭和 2年 ):東京 帝国 大学 経済学部 卒業 。東京 帝国 大学 助手 - 1929
年 (昭和 4年 ):東京 帝国 大学 農学部 講師 (1932年 まで) - 1935
年 (昭和 10年 ):法政大学 教授 - 1938
年 (昭和 13年 ):人民戦線 事件 で検挙 され法大 教授 を辞任 - 1939
年 (昭和 14年 ):信越化学工業 嘱託 - 1945
年 (昭和 20年 ):毎日新聞 論説 委員 を委嘱 される - 1946
年 (昭和 21年 ):内閣 統計 委員 会 委員 に任命 、事務 局長 を兼任 、持株 会社 整理 委員 会 委員 に就任 - 1949
年 (昭和 24年 ):東京教育大学 教授 を併任 (1967年 まで) - 1950
年 (昭和 25年 ):経済 安定 本部 参与 に就任 - 1952
年 (昭和 27年 ):行政管理庁 統計 基準 部長 (1956年 まで) - 1967
年 (昭和 42年 ):東京 都知事 選挙 に社会党 ・共産党 推薦 で立候補 、自民党 ・民社党 推薦 の松下 正 寿 立教大学 総長 、公明党 推薦 の阿部 憲一 渋沢 海運 社長 を破 り当選 - 1971
年 (昭和 46年 ):社会 ・共産 の推薦 で出馬 、自民党 推薦 の秦野 章 前 警視総監 を破 り再選 - 1975
年 (昭和 50年 ):社会 ・公明 ・共産 の推薦 で出馬 、自民党 推薦 の石原 慎太郎 と民社党 推薦 の松下 正 寿 を破 り3選 - 1979
年 (昭和 54年 ):4選 不 出馬 を表明 。東京 都知事 を退任 - 1980
年 (昭和 55年 ):第 12回 参議院 議員 通常 選挙 に出馬 し、当選 - 1984
年 (昭和 59年 )12月24日 :死去
家族 [編集 ]
東京 都知事 [編集 ]
1967
1971
1975
都知事 としての主 な政策 [編集 ]
老人 医療 費 助成 制度 (マル福 )と心身 障害 者 医療 費 助成 制度 (マル障 )の制定 [5](詳細 は後述 )老人 無料 パスの制定 (現在 の東京 都 シルバーパス)。1973年 に都営 交通 の老人 無料 パスを発行 、翌 1974年 には都内 の民営 バスにも無料 化 を拡充 した[6]。無認可 保育 所 への助成 [7]児童 手当 の創設 [8]東京 ゴミ戦争 の宣言 [9]都 主催 の公営 競技 (公営 ギャンブル)廃止 (詳細 は後述 )公害 防止 条例 と国 に先駆 けた公害 局 (現 :東京 都 環境 局 )の設置 [10]歩行 者 天国 の実施 。1970年 8月 2日 に銀座 ・新宿 ・池袋 ・浅草 の4繁華 街 で初 めて実施 された[11][12]。都電 の撤去 (のちに荒川線 となる27系統 三ノ輪 橋 -王子駅前 と32系統 全線 を除 く。都電 廃止 の方針 自体 は東 龍太郎 前 知事 からの継承 )
また
老人 医療 無料 化 [編集 ]
1969
これを
その
公営 ギャンブル廃止 [編集 ]
この
道路 ・空港 整備 反対 [編集 ]
都立 高校 学校 群 制度 の継承 [編集 ]
北朝鮮 との関係 [編集 ]
1968
1971
中国 との関係 [編集 ]
1971
美濃部 都政 への批判 [編集 ]
後 に東京 都知事 となる石原 慎太郎 は、美濃部 都政 に対 して以下 のように激 しく批判 した。石原 は自著 『歴史 の十字路 に立 って戦後 七 十 年 の回顧 』において、美濃部 都政 時代 に「増税 なきバラマキ政策 を行 ったことで、東京 都 また日本 に無償 福祉 ポピュリズムという悪 しき影響 を与 えた」「東京 都 が都政 初 の財政 赤字 自治体 になったことは負 の遺産 になった」と批判 した[13]。美濃部 都政 下 の公営 ギャンブル廃止 に対 しても、石原 は財源 確保 の面 から批判 しており、パチンコ業界 に反射 的 利益 を与 えた政策 と主張 している[13]。石原 は美濃部 の対 北朝鮮 政策 について「日本 の保守 派 が支持 する韓国 よりも北朝鮮 を正統 な国家 とする美濃部 など革新 派 の思想 が背景 にある、当時 から外部 の人間 に監 視 など移動 制限 を行 う訪朝 したことで北朝鮮 の異常 さも分 からないはずもなく、理解 した後 も支援 していたのだろう」と批判 した[13]。
著書 [編集 ]
- 『
独裁 制 下 のドイツ経済 』福田 書房 、1935年 2月 14日 。NDLJP:1280249。 - 『
苦悶 するデモクラシー』文藝春秋 新 社 、1959年 3月 10日 。NDLJP:2982785。(1959年 :第 13回 毎日 出版 文化 賞 受賞 ) - 『
都知事 12年 』朝日新聞社 、1979年 11月20日 。NDLJP:9773111。
脚注 [編集 ]
- ^
第 3回 国会 衆議院 不当 財産 取引 調査 特別 委員 会 第 12号 昭和 23年 11月15日 - ^ a b c d e f g
正 高 ,近藤 (2017年 4月 15日 ). “ご存知 ですか? 4月 15日 は美濃部 亮吉 都知事 が誕生 した日 です”.文春 オンライン. 2020年 2月 21日 閲覧 。 - ^
服部 敏 良 『事典 有名人 の死亡 診断 近代 編 』付録 「近代 有名人 の死因 一覧 」27頁 、吉川弘文館 、2010年 - ^
中川 右 介 (2016年 7月 18日 ). “一気 にわかる都知事 選 の歴史 と意外 な「勝利 の法則 」”.現代 ビジネス. 2020年 2月 21日 閲覧 。 - ^
近江 宣彦 「東京 都 美濃部 都政 における保育 政策 に関 する先行 研究 の検討 」長崎純心大学 『純 心 人文 研究 』第 9号 、2003年 - ^ 「
来月 から都内 の全 バス お年寄 り無料 に」『朝日新聞 』昭和 49年 (1974年 )10月 16日 朝刊 、13版 、22面 - ^
全国 社会 福祉 協議 会 『戦後 保育 所 の歴史 』1978年 - ^
日比野 登 『美濃部 都政 の福祉 政策 』日本 経済 評論 社 、2002年 - ^
佐島 群 巳 ・木谷 要治 ・小沢 紀美子 著 『環境 教育 指導 事典 』75頁 、国土 社 、1996年 9月 - ^
写真 その他 (5)東京 都 環境 局 - ^
浅井 建 爾 『道 と路 がわかる辞典 』(初版 )日本 実業 出版 社 、2001年 11月 10日 、138頁 。ISBN 4-534-03315-X。 - ^ ロム・インターナショナル(
編 )『道路 地図 びっくり!博学 知識 』河出書房新社 〈KAWADE夢 文庫 〉、2005年 2月 1日 、209頁 。ISBN 4-309-49566-4。 - ^ a b c d
石原 慎太郎 .歴史 の十字路 に立 って戦後 七 十 年 の回顧 . PHP研究所 - ^
柿澤 弘治 『霞ケ関 三 丁目 の大蔵 官僚 はメガネをかけたドブネズミといわれる挫折 感 に悩 む凄 いエリートたちから』学陽書房 、1981年 。ISBN 4-31383011-1 - ^
香山 健一 「『革新 自治体 』時代 の終 り」『月刊 自由 民主 』1975年 3月 、24〜37頁 - ^ “「お
任 せ」の政治 から脱却 するために――革新 自治体 という経験 から学 べること 『革新 自治体 』著者 、岡田 一郎 氏 インタビュー”. SYNODOS(シノドス).株式会社 シノドス (2018年 4月 9日 ). 2020年 2月 21日 閲覧 。 - ^ a b c d e f 『
後期 高齢 者 医療 制度 』はそんなに悪 いか?柏 市議会 議員 上橋 泉 柏 市政 研究 会 - ^ 『
朝日新聞 』2008年 5月25日 付 、朝刊 1頁 社会 面 - ^
公開 シンポジウム東 アジアにおける貧困 と脱 貧困 政策 の課題 佛教大学 総合 研究所 共同 研究 「「脱 貧困 」戦略 の構築 ー共生 社会 のグランドデザイン」プロジェクト佛教 大学 総合 研究所 、平成 27年 12月5日 - ^
老人 医療 無料 化 制度 の形成 と国民 医療 費 呉 世 榮 、佛教大学 大学院 紀要 第 33号 、2005年 3月 - ^ “<1960~70
年代 >キーワード:「“老人 医療 費 無料 化 ”がもたらしたもの」”. ハートネットTV.日本 放送 協会 (2015年 1月 6日 ). 2017年 10月 18日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2019年 12月1日 閲覧 。 - ^ 「
減 らす分 肩代 わり美濃部 宣言 に区 が反逆 」『中國 新聞 』昭和 45年 1月 17日 夕刊 7面 - ^ a b “
元 東京 都知事 美濃部 亮吉 の発言 「橋 の哲学 」の出典 を知 りたい。「・・・橋 を造 るとき住民 の賛成 を得 なければ造 らない」のような文言 だった。”. レファレンス協同 データベース (2008年 6月 13日 ). 2022年 9月 24日 閲覧 。 - ^
美濃部 亮吉 『都知事 12年 』朝日新聞社 、1979年 、90頁 。NDLJP:9773111/50 - ^
八幡 和郎 『歴代 知事 三 〇〇人 日本 全国 「現代 の殿 さま」列伝 』光文社 新書 、光文社 、2007年 。ISBN 978-4-33403404-7[要 ページ番号 ] - ^
大石 久和 (2014年 9月 9日 ). “都知事 ・美濃部 のコスト”. www.jice.or.jp.一般 財団 法人 国土 技術 研究 センター. 2019年 1月 8日 閲覧 。 - ^
田口 正 己 「「東京 湾 横断 」建設 の理想 と現実 ―大 規模 「国家 プロジェクト」の研究 (1)」『立正大学 社会 福祉 研究所 年報 』第 7号 、2005年 3月 31日 、161-183頁 。 - ^
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榊原 英資 . “母校 ・日比谷 高校 を凋落 させた「学校 群 制度 」という愚行 ”.論 座 (RONZA).朝日新聞社 . 2021年 11月20日 閲覧 。 - ^ “ノーベル
賞 受賞 者 、都内 高 卒 は1人 開成 、筑駒はゼロ”. NIKKEI STYLE.日本経済新聞社 (2021年 10月 17日 ). 2021年 11月20日 閲覧 。 “利根川 氏 が在籍 した時代 の日比谷 高 は、旧制 東京 府立 一 中 の流 れをくむ全国 トップの進学校 として知 られた。1960年代 後半 に都 の学校 群 制度 の導入 により低迷 したが、2012年 に武内 氏 が校長 に就任 し、東大 合格者数 で公立 校 トップに返 り咲 いた。” - ^ おおたとしまさ (2021
年 11月17日 ). “中学 受験 「いい大学 へ行 くため」の考 えが危 ない訳 ”.東洋 経済 オンライン. 2021年 11月20日 閲覧 。 - ^
大村 秀章 . “知事 のページ:知事 の記者 会見 ”. www.pref.aichi.jp.愛知 県 . 2021年 11月20日 閲覧 。 “あれは、学校 群 はね、東京 都 が昭和 40年代 前半 にね、都立 高校 のあまりにも、何 といいますか、有名 校 に偏重 しているという受験 競争 の激化 というところで。シンボルはあれですわね、私 も当時 子供 だったのでよく覚 えておりませんが、日比谷 高校 を解体 するんだとかいうようなことで、あれ美濃部 都政 か何 かで行 われたんですかね。それに日本 全国 、大体 右 へ倣 えと、東京 に従 っとりゃええわというような話 でですね、全国 に広 がっていったと。愛知 県 もそれで倣 ったというふうに認識 をいたしております。” - ^ “【
産経 抄 】朝鮮大学校 認可 小池 百合子 都知事 は過去 の知事 の過 ちを正 すか”.産経 ニュース (産経新聞 ). (2016年 9月 21日 ) 2016年 10月 25日 閲覧 。 - ^ a b c “【
朝鮮大学校 60年 の闇 (中 )】美濃部 亮吉 都知事 が「援護 射撃 」慎重 論 押 し切 り学校 認可 金 日成 氏 への“手土産 ””.産経 ニュース (2016年 5月 7日 ). 2019年 5月 15日 閲覧 。 - ^ “
日 中 関係 打開 めざした「保利 書簡 」 「いぶし銀 の調整 役 」保利 茂 (7)”.日本経済新聞 . (2011年 10月 30日 ) 2017年 5月 3日 閲覧 。 - ^
姉妹 友好 都市 関係 樹立 文書 ・合意 書 東京 都 政策 企画 局 - ^
鈴木 俊一 名誉 顧問 (元 都知事 )が死去 |認定 NPO法人 東京 都 日本 中国 友好 協会 |日 中 友好 協会 - ^
池田 信夫 (2017年 2月 17日 ). “高校 無償 化 で「バラマキ教育 」の競争 が始 まる”. archive.is. BIGLOBEニュース. 2019年 12月1日 閲覧 。
関連 項目 [編集 ]
美濃部 達吉 -父 美濃部 洋次 -従兄 箕作 家 浅田 孝 木村 禧八郎 - やさしい
経済 教室 東京 ゴミ戦争 革新 自由 連合 革新 都政 をつくる会 -美濃部 が推進 した革新 共闘 の流 れを標榜 する。走 れコウタロー -都知事 時代 の「公営 ギャンブル廃止 」公約 に由来 する、美濃部 の声帯 模写 の台詞 がある。都営 バス#車両 -在任 中 に車体 色 として採用 されたクリーム地 に水色 の塗装 は「美濃部 カラー」と呼 ばれた。筑波大学 附属 中学校 ・高等 学校 の人物 一覧
外部 リンク[編集 ]
- ゆかりの
人物 美濃部 達吉 -高砂 市 美濃部 革新 都政 誕生 - NHK放送 史 - 『
美濃部 亮吉 』 - コトバンク 参院 選 選挙 公報 全国 区 ・みのべ亮吉 (無所属 ・1980年 )
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