野本のもとひんきち

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野本のもと ひんきち(のもと しなきち、1893ねん3月15にち[1] - 1968ねん1がつ28にち)は、日本にっぽん政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(1)、参議院さんぎいん議員ぎいん(2)。日本にっぽん退職たいしょく公務員こうむいん連盟れんめい会長かいちょう[2]国民党こくみんとう国民こくみん協同きょうどうとう自由民主党じゆうみんしゅとうわたあるいた。協同きょうどう組合くみあい主義しゅぎしゃ

来歴らいれき[編集へんしゅう]

群馬ぐんまけん出身しゅっしん[3]1913ねん群馬ぐんまけん師範しはん学校がっこう本科ほんかだい卒業そつぎょう[3]群馬ぐんま小学校しょうがっこう校長こうちょう青年せいねん学校がっこうちょう視学しがく歴任れきにん[3]1946ねんだい22かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ群馬ぐんまけん選挙せんきょから無所属むしょぞく出馬しゅつばし、当選とうせん。その早川はやかわたかし笹森ささもりじゅんづくりらとともに中道ちゅうどう政治せいじ実現じつげん目指めざし、国民党こくみんとう結成けっせい参画さんかくし、中央ちゅうおう常任じょうにん委員いいん就任しゅうにんした。のちに三木みき武夫たけお岡田おかだぜいいちらとともに国民こくみん協同きょうどうとう所属しょぞくした。1947ねんだい23かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょにて群馬ぐんまけんだい2から国民こくみん協同きょうどうとう公認こうにんふたた出馬しゅつばし、社会党しゃかいとう和田わだみさおらをおさえて定数ていすう3のところ、3当選とうせんした。1949ねんだい24かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょでは、長谷川はせがわ四郎しろうらにされるかたち落選らくせん1953ねんだい3かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょ全国ぜんこく当選とうせん1959ねんだい5かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょでも全国ぜんこく当選とうせんした。1965ねんだい7かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょにはず、政界せいかい引退いんたい同年どうねんあき叙勲じょくんくんとう瑞宝章ずいほうしょう受章じゅしょうくんろくとうからの昇叙しょうじょ[4]

国会こっかい議員ぎいんとしては、参議院さんぎいん文教ぶんきょう委員いいんちょう参議院さんぎいん法務ほうむ委員いいんちょう参議院さんぎいん自民党じみんとう政策せいさく審議しんぎかいふく会長かいちょう歴任れきにんした[3]。また、だい2池田いけだだい2改造かいぞうないかく法務ほうむ政務次官せいむじかん就任しゅうにんした。

1968ねん1がつ28にち死去しきょ、74さい死没しぼつをもってせいななからせいよんじょされ、銀杯ぎんぱいいちくみたまわった[5]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 衆議院しゅうぎいんだい九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院しゅうぎいん公報こうほう附録ふろく〉、1946ねん、9ぺーじ
  2. ^ http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/3018/1/J2010_56akazawa.pdf
  3. ^ a b c d "野本のもと ひんきち". しんてい 政治せいじ家人かじんめい事典じてん 明治めいじ昭和しょうわ. コトバンクより2023ねん2がつ6にち閲覧えつらん
  4. ^ 官報かんぽうだい11670ごう15-16ぺーじ 昭和しょうわ40ねん11月4にちごう
  5. ^ 官報かんぽうだい12339ごう7-8ぺーじ 昭和しょうわ43ねん2がつ5にちごう

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 貴族きぞくいん参議院さんぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』1990ねん
議会ぎかい
先代せんだい
中野なかのぶんもん
日本の旗 参議院さんぎいん文教ぶんきょう委員いいんちょう
1964ねん-1965ねん
次代じだい
山下やました春江はるえ
先代せんだい
青山あおやま正一しょういち
日本の旗 参議院さんぎいん法務ほうむ委員いいんちょう
1958ねん-1959ねん
次代じだい
いけ信三しんぞう