(Translated by https://www.hiragana.jp/)
大忠臣蔵 (1971年のテレビドラマ) - Wikipedia コンテンツにスキップ

だい忠臣蔵ちゅうしんぐら (1971ねんのテレビドラマ)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
だい忠臣蔵ちゅうしんぐら
ジャンル テレビドラマ
出演しゅつえんしゃ 三船みふね敏郎としお
オープニング 冨田とみたいさお
製作せいさく
プロデューサー 勝田かつた康三やすぞう
西川にしかわ善男よしお
制作せいさく NETテレビ
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1971ねん1がつ5にち - 12月28にち
放送ほうそう時間じかん火曜かよう 21:00 - 21:56
放送ほうそうわくテレビ朝日てれびあさひ火曜かよう9わく連続れんぞくドラマ
放送ほうそうぶんわく時間じかん56ふん正味しょうみやく46ふんぶん
回数かいすうぜん52かい
テンプレートを表示ひょうじ

だい忠臣蔵ちゅうしんぐら』(だいちゅうしんぐら)は、ぜん52かいにわたり、1971ねん昭和しょうわ46ねん)1がつ5にちから12月28にちまで、NETテレビ(現在げんざいテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつほかで(毎週まいしゅう火曜かよう午後ごご9)に放送ほうそうされたテレビドラマである。 三船みふね敏郎としおのテレビはつ主演しゅえん作品さくひん

概要がいよう

[編集へんしゅう]

民放みんぽう番組ばんぐみとしては異例いれいともいえる規模きぼほこ大作たいさく時代じだいげきで、“民放みんぽうばん大河たいがドラマ“ともいえる作品さくひん

当時とうじよりNHK大河たいがドラマ意識いしきした、あるいは大河たいがドラマに対抗たいこうするべくげられた時代じだいげき企画きかくすくなくなかったが、下記かきてんとうさくについて、NHK大河たいがドラマに匹敵ひってきする大作たいさくとしてかたられる所以ゆえんとなっている。

  • おもやくだけではなく、端役はやくいたるまで当時とうじテレビ出演しゅつえん可能かのうであった大物おおもの俳優はいゆうをこぞって出演しゅつえんさせた。
  • 当時とうじ人気にんきがあったタレントやコメディアンも端役はやくなどで数多かずおお起用きようしている(コント55ごうさかい正章まさあきなど)。
  • 主題しゅだいきょく勇壮ゆうそうなオーケストラであった。なお、作曲さっきょくしゃ冨田とみたいさお大河たいがドラマの音楽おんがくを5かい担当たんとうしている。
  • 放送ほうそう期間きかんがまる1年間ねんかん、1あいだわくぜん52というだい規模きぼなものであった。

物語ものがたり浅野内匠頭あさのたくみのかみ祝言しゅうげんからはじまり、江戸城えどじょうまつ廊下ろうか刃傷にんじょう事件じけんによりおこる赤穂あこうはん悲劇ひげきて、おおくのめい場面ばめんつづりながら討入うちいりにかっていくという、大石おおいし内蔵助くらのすけたち赤穂あこう浪士ろうし中心ちゅうしんえがく、定番ていばん忠臣蔵ちゅうしんぐら作品さくひん

江戸城えどじょうまつ廊下ろうか刃傷にんじょう沙汰ざたについては、原因げんいん播州ばんしゅう秘伝ひでん赤穂あこうしお製塩せいえんほうめぐ播州ばんしゅう浅野あさの吉良きらとの軋轢あつれきもととの解釈かいしゃくっている。いち年間ねんかん放映ほうえい長丁場ながちょうばかして刃傷にんじょうまでの経緯けいい丁寧ていねいえがかれ、事件じけん発生はっせいだい5かいであった。

すでおおくの時代じだいげき剣豪けんごうえんじてかたまっていた主演しゅえん三船みふねの“つよさむらい“のイメージをかし、かれ得意とくいとする殺陣さつじん番組ばんぐみりのひとつにするねらいもあって、大石おおいしひがしぐんりゅう剣術けんじゅつ心得こころえがあった史実しじつれ、三船みふねえんじる大石おおいしけん達人たつじん設定せってい大石おおいし刺客しかく隠密おんみつたちとみずかわた場面ばめんがふんだんにえがかれた。

既存きそん原作げんさくもちいず、オリジナル脚本きゃくほん制作せいさくすることと、忠臣蔵ちゅうしんぐら一般いっぱんによくられている挿話そうわについてはらさずりあげて長丁場ながちょうばかすこと、という2てん物語ものがたりめんでの方針ほうしんとして徹底てっていされていた[1]といい、公儀こうぎ隠密おんみつたばねる柳生やぎゅう柳沢やなぎさわけて赤穂あこう浪士ろうしたちの討入うちい阻止そしのため諜報ちょうほう作戦さくせん展開てんかい、その活動かつどうおおくのお馴染なじみのめい場面ばめんにもからんでいくという、企業きぎょうスパイの横行おうこうした放映ほうえい当時とうじ世相せそうかたち[1]で、スパイサスペンスの趣向しゅこうまれた。このため赤穂あこう浪士ろうしたちが諜報ちょうほう作戦さくせんにもかいながら本懐ほんかい目指めざ物語ものがたり[2]となっており、おおくのめい場面ばめんんだ、全体ぜんたいとして定番ていばん忠臣蔵ちゅうしんぐら作品さくひんでありながら、挿話そうわそれぞれのえがかたにおいてはかなり特徴とくちょうてき展開てんかいがみられ、ほんさく個性こせいとなっている。

最高さいこう視聴しちょうりつは、だい50かい討入うちいり そのいち」の32.8%(「テレビ朝日てれびあさひ開局かいきょく60周年しゅうねん記念きねん 年代ねんだいべつにすべて発表はっぴょう!! 番組ばんぐみ視聴しちょうりつランキング」の1970年代ねんだい視聴しちょうりつランキング 7)で、このかい実際じっさい討入うちいりのであった12月14にち放送ほうそうされている。

後述こうじゅつのとおり、討入うちい場面ばめん撮影さつえいまえ上野うえのかいやく市川いちかわ中車ちゅうしゃ急逝きゅうせいしてしまったため、だい47以降いこう実弟じってい市川いちかわ小太夫こだゆう後任こうにんとして上野うえのかいえんじた。

DVDはん発売はつばいされており視聴しちょう可能かのうである(ぜん13かん・レンタルもあり)。

スタッフ

[編集へんしゅう]

配役はいやく

[編集へんしゅう]

浅野あさの/赤穂あこうはん

[編集へんしゅう]

吉良きら上杉うえすぎ

[編集へんしゅう]

幕府ばくふ関係かんけいしゃ ほか

[編集へんしゅう]

その

[編集へんしゅう]

放映ほうえいリスト

[編集へんしゅう]
はなし

かず

放送ほうそう サブタイトル 脚本きゃくほん 監督かんとく
1 1971ねん1がつ5にち 風雲ふううんはらむ赤穂あこうじょう 高岩たかいわはじめ 土居どいとおるかおる
2 1971ねん1がつ12にち 渦巻うずまくろきり 高岩たかいわはじめ

土居どいとおるかおる

3 1971ねん1がつ19にち うつくしき士魂しこん 宮川みやがわ一郎いちろう 村山むらやま三男みつお
4 1971ねん1がつ26にち えがたき日々ひび
5 1971ねん2がつ2にち 元禄げんろく一番いちばんなが 高岩たかいわはじめ

土居どいとおるかおる

土居どいとおるかおる
6 1971ねん2がつ9にち 悲報ひほう赤穂あこう 宮川みやがわ一郎いちろう 西山にしやま正輝まさき
7 1971ねん2がつ16にち おおいなる決断けつだん
8 1971ねん2がつ23にち 暗躍あんやくする隠密おんみつぐん 池田いけだ一朗いちろう 古川ふるかわたくおのれ
9 1971ねん3がつ2にち だい評定ひょうじょう
10 1971ねん3がつ9にち ほうむられた嘆願たんがんしょ 村山むらやま三男みつお
11 1971ねん3がつ16にち 神文しんもん血判けっぱん
12 1971ねん3がつ23にち 赤穂あこうじょう落日らくじつ 土居どいとおるかおる
13 1971ねん3がつ30にち 下級かきゅう武士ぶし 村山むらやま三男みつお
14 1971ねん4がつ6にち 瑤泉院ようせんいん持参じさんきん まる輝夫てるお
15 1971ねん4がつ13にち まげ 土居どいとおるかおる
16 1971ねん4がつ20日はつか 柳生やぎゅう隠密おんみつ 村山むらやま三男みつお
17 1971ねん4がつ27にち 公儀こうぎへのいちせん しば英三郎えいざぶろう 土居どいとおるかおる
18 1971ねん5がつ4にち 分裂ぶんれつ 西山にしやま正輝まさき
19 1971ねん5がつ11にち しずかなる対決たいけつ
20 1971ねん5がつ18にち かなしきじょう 土居どいとおるかおる
21 1971ねん5がつ25にち おんなあいだしゃ 村山むらやま三男みつお
22 1971ねん6がつ1にち だいいち脱落だつらくしゃ
23 1971ねん6がつ8にち 大石おおいし伏見ふしみあそ 池田いけだ一朗いちろう 西山にしやま正輝まさき
24 1971ねん6がつ15にち えざる魔手ましゅ 土居どいとおるかおる
25 1971ねん6がつ22にち 悲恋ひれんけい勘平かんぺい そのいち しば英三郎えいざぶろう 西山にしやま正輝まさき
26 1971ねん6がつ29にち 悲恋ひれんけい勘平かんぺい その
27 1971ねん7がつ6にち めたる慕情ぼじょう しば英三郎えいざぶろう 土居どいとおるかおる
28 1971ねん7がつ13にち けた探索たんさく 西山にしやま正輝まさき
29 1971ねん7がつ20日はつか 浪花なにわったこい 池田いけだ一朗いちろう 村山むらやま三男みつお
30 1971ねん7がつ27にち 刺客しかくぐん山科やましな 土居どいとおるかおる
31 1971ねん8がつ3にち おとこ盟約めいやく 西山にしやま正輝まさき
32 1971ねん8がつ10日とおか 紅蓮ぐれん隅田川すみだがわ密議みつぎ しば英三郎えいざぶろう 土居どいとおるかおる
33 1971ねん8がつ17にち 山科やましなわか 池田いけだ一朗いちろう 村山むらやま三男みつお
34 1971ねん8がつ24にち わか獅子ししたち しば英三郎えいざぶろう 西山にしやま正輝まさき
35 1971ねん8がつ31にち きんをひくおんな 池田いけだ一朗いちろう 土居どいとおるかおる
36 1971ねん9がつ7にち わか義士ぎしははにん 村山むらやま三男みつお
37 1971ねん9がつ14にち 天野あまの利兵衛りへえおとこでござる 西山にしやま正輝まさき
38 1971ねん9がつ21にち 大石東おおいしひがしくだ しば英三郎えいざぶろう 村山むらやま三男みつお
39 1971ねん9がつ28にち あかつき江戸えど潜入せんにゅう 西山にしやま正輝まさき
40 1971ねん10がつ5にち 吉良きら人々ひとびと
41 1971ねん10がつ12にち 決闘けっとう 堀部ほりべ安兵衛やすべえ 池田いけだ一朗いちろう 土居どいとおるかおる
42 1971ねん10がつ19にち やりたわらぼし玄蕃げんば 村山むらやま三男みつお
43 1971ねん10がつ26にち りいそぐ義士ぎし 土居どいとおるかおる
44 1971ねん11月2にち てきこいうるおんな
45 1971ねん11月9にち ざすは本所ほんじょ松坂まつさかまち しば英三郎えいざぶろう
46 1971ねん11月16にち いずこのあきじゅうよんにち
47 1971ねん11月23にち よんじゅうはちにんおとこ 西山にしやま正輝まさき
48 1971ねん11月30にち ゆき十二月じゅうにがつじゅうよんにち 池田いけだ一朗いちろう
49 1971ねん12月7にち 南部なんぶざかゆきわか
50 1971ねん12月14にち 討入うちいり そのいち 村山むらやま三男みつお[8]
51 1971ねん12月21にち 討入うちいり その
52 1971ねん12月28にち 切腹せっぷく

制作せいさく背景はいけい

[編集へんしゅう]

NET所属しょぞく勝田かつた康三やすぞうプロデューサーがとうさく現場げんば指揮しきまかされたさい制作せいさく局長きょくちょう田中たなか亮吉りょうきちより、作品さくひんについて、既存きそん原作げんさくもちいず、オリジナル脚本きゃくほん制作せいさくすることと、忠臣蔵ちゅうしんぐら一般いっぱんによくられている挿話そうわについてはらさずりあげる、という先述せんじゅつ方針ほうしん指示しじされた。勝田かつたはエラい仕事しごとた、とおもいつつ肚をめ、脚本きゃくほんたちをえらんで、メインかくえらんだ池田いけだ一朗いちろう[9]作家さっかりゅう慶一郎けいいちろう)とともに、東京とうきょう旅館りょかんもって企画きかくった。旅館りょかん資料しりょうとしてやく200さつ関連かんれんしょんだが、既存きそんさくれないとの上記じょうき条件じょうけんもあっただけに、作家さっか創作そうさくした挿話そうわらずに脚本きゃくほんかたちになるのをけるため、読破どくはしたうえで物語ものがたりづくりをすすめる意図いとおおきかったとのこと[10]

制作せいさくさんせんひきいる三船みふねプロで、どうプロにとってもテレビへの本格ほんかく進出しんしゅつした正念場しょうねんば作品さくひんだったが、東映とうえいがNETでの三船みふねプロ制作せいさく反発はんぱつしたため[11]、NETの田中たなか制作せいさく局長きょくちょう東映とうえい大川おおかわひろし社長しゃちょう交渉こうしょう結局けっきょく三船みふね東映とうえい作品さくひん出演しゅつえんさせる約束やくそくをして、三船みふねプロ制作せいさく納得なっとくしてもらった。田中たなかはそのうえで、佐久間さくま良子りょうこ当時とうじ東映とうえい所属しょぞく)のとうさくへの出演しゅつえん大川おおかわ了解りょうかいさせ、ねばこしせた[12]

大物おおもの俳優はいゆうあつめたためにそれぞれのスケジュール調整ちょうせい困難こんなんだったこともあってか、序盤じょばんないし中盤ちゅうばんにレギュラーあるいはセミレギュラーとしてよんじゅうななやく出演しゅつえんしていた何人なんにんかは、終盤しゅうばん討入うちいりのかい登場とうじょうしないという事態じたいきている[13]

放映ほうえいネットきょく

[編集へんしゅう]

△は同時どうじネット、※はおくれネット

宮城みやぎテレビ、北陸放送ほくりくほうそう信越放送しんえつほうそう南日本放送みなみにほんほうそうでは1がつ4にち放映ほうえい開始かいしされており(いずれも月曜げつよう21:00から)、そのもキーきょくのNETテレビよりいちにちはや放映ほうえいされていた。
放送ほうそう時間じかんについては当時とうじの『週刊しゅうかんTVガイド』(東京ニュとうきょうにゅス通信社すつうしんしゃ、1971ねん1がつ発行はっこう不明ふめい)に掲載けいさいされていたばんせん広告こうこくより [1]

出典しゅってん脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 実録じつろくテレビ時代じだいげき』(ちょのうむら庸一よういち/ちくま文庫ぶんこ/2014ねん1月刊げっかん)p224。
  2. ^ 忠臣蔵ちゅうしんぐら入門にゅうもん』(ちょ春日かすが太一たいち角川かどかわ新書しんしょ/2021ねん12月刊げっかん)p199。
  3. ^ やくでも出演しゅつえんしている。
  4. ^ 時点じてん実在じつざい千坂ちさか兵部ひょうぶすで他界たかいし、江戸えど家老がろう色部いろべ又四郎またしろうになっていたが、ほん作品さくひんでは千坂ちさか兵部ひょうぶとなっている。
  5. ^ 1964ねんNHK大河たいがドラマ赤穂あこう浪士ろうし」でもおなやくえんじている。ただし、役名やくめいは「小林こばやし平七へいしち」である。
  6. ^ キャストクレジットれ。
  7. ^ キャストクレジットでは役名やくめいが「庄田しょうだ下総しもうさまもる」になっている。
  8. ^ 51 討入うちいり その は、土居どいとおるかおるおよび西山にしやま正輝まさき連名れんめいとなっている
  9. ^ ぜん52かいのうち28かい執筆しっぴつ討入うちいりのかいがけた。
  10. ^ 実録じつろくテレビ時代じだいげき』(ちょのうむら庸一よういち/ちくま文庫ぶんこ/2014ねん1月刊げっかん)p224。
  11. ^ 東映とうえいはNETの外注がいちゅう番組ばんぐみおお制作せいさくにあたり、すでに『あゝ忠臣蔵ちゅうしんぐら』(1969ねん・フジテレビけい)でテレビでの忠臣蔵ちゅうしんぐら作品さくひん制作せいさく実績じっせきもあった。
  12. ^ 実録じつろくテレビ時代じだいげき』(ちょのうむら庸一よういち/ちくま文庫ぶんこ/2014ねん1月刊げっかん)p223。
  13. ^ ばんあつし三郎さぶろう、フランキーさかい中村なかむらゆう江原えばら真二郎しんじろうひとしだい50および51りのかい出演しゅつえんしていない。