(Translated by https://www.hiragana.jp/)
四式重爆撃機 - Wikipedia コンテンツにスキップ

よんしきじゅう爆撃ばくげき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

キ67 よんしきじゅう爆撃ばくげきりゅう

飛行第74戦隊第1中隊[1]の四式重爆撃機(キ67)。部隊マークとして垂直尾翼に隊号である「7」と「4」を一文字に組み合わせた意匠を描く

飛行ひこうだい74戦隊せんたいだい1中隊ちゅうたい[1]よんしきじゅう爆撃ばくげき(キ67)。部隊ぶたいマークとして垂直すいちょく尾翼びよくたいごうである「7」と「4」を一文字ひともじわせた意匠いしょうえが

よんしきじゅう爆撃ばくげき(よんしきじゅうばくげきき)は、だい世界せかい大戦たいせんどき大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんじゅう爆撃ばくげき番号ばんごう計画けいかく名称めいしょう)はキ67愛称あいしょうりゅう(ひりゅう)。略称りゃくしょう呼称こしょうよんしきじゅうばくよんじゅうロクナナなど。連合れんごうぐんコードネームPeggy(ペギー)。開発かいはつ製造せいぞう三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう

概要がいよう[編集へんしゅう]

航空こうくう撃滅げきめつせんてきしたきゅうななしきじゅう爆撃ばくげき(キ21)以降いこうじゅう爆撃ばくげきたいする運用うんよう思想しそうから、ほんじゅうばくしょうされながらどう時代じだいどうクラスの他国たこく機体きたいくらべてばくだん搭載とうさいりょうひくいが、強力きょうりょくなエンジンによる良好りょうこう飛行ひこう性能せいのう急降下きゅうこうか爆撃ばくげきえる機体きたい強度きょうど長大ちょうだい航続こうぞく距離きょりにより大戦たいせん後期こうき実戦じっせん投入とうにゅうにもかかわらず際立きわだった活躍かつやくせた。

また、陸軍りくぐん航空こうくう部隊ぶたいでありながらも連合れんごうぐん艦艇かんていへの効果こうかてき攻撃こうげきりょく必要ひつようとされた結果けっかよんしきじゅうばくはその性能せいのうかして航空こうくう魚雷ぎょらい搭載とうさいする雷撃らいげきとしても使用しようされた。

実戦じっせん使用しようされたものでは、日本にっぽん陸軍りくぐん最後さいご開発かいはつした双発そうはつじゅう爆撃ばくげきである。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

ほん開発かいはつたり、きゅうななしきじゅうばく欠点けってんひとつであったたて安定あんていせい不良ふりょう改善かいぜんするため、後方こうほう胴体どうたいながくして主翼しゅよく水平すいへい尾翼びよく間隔かんかくひろげるとともに、降下こうか継続けいぞくしてもそくおちいまえ自然しぜん機首きしゅげるよう設計せっけいされている[注釈ちゅうしゃく 1]前方ぜんぽう胴体どうたいながくしたのは良好りょうこう視界しかいるため操縦そうじゅうせきをプロペラめんよりまえした結果けっかである[2][3]

艦上かんじょう爆撃ばくげき彗星すいせいにも採用さいようされたふくらましかじめん断面だんめんふとらせたかじ)によりしょうかじ[4][5]搭載とうさいりょうらした機体きたいに2,000馬力ばりききゅうハ104搭載とうさいしていることもあり運動うんどう性能せいのう単発たんぱつなみひょうされ、ばくだん搭載とうさいしていない状態じょうたいであれば曲技きょくぎ飛行ひこうもできるとわれた。また、機体きたい運動うんどうせい相当そうとうする強度きょうどっており、じゅうばくにもかかわらずきゅう降下こうか爆撃ばくげきよう急降下きゅうこうか速度そくどけい装備そうびされ、600 km/h以上いじょうしめしてもなん異常いじょうかった[1]

プロペラ選定せんていたっては一式いっしき戦闘せんとうはやぶされいしき艦上かんじょう戦闘せんとう使つかわれていたハミルトン・スタンダードせい油圧ゆあつしき可変かへんプロペラ(陸軍りくぐんけは日本にっぽん楽器がっき製造せいぞうによるライセンス生産せいさん)が性能せいのう不足ふそくとされ、住友金属すみともきんぞくがドイツのVDMしゃからライセンス生産せいさんけん電動でんどうしきガバナーをそなえたじょうそく4翅プロペラが選定せんていされたが、構造こうぞう複雑ふくざつなため生産せいさん工程こうていすう部品ぶひん点数てんすうおおく、振動しんどう対策たいさくとしてプロペラつばさあつみをしたことでそらりょく特性とくせいがやや犠牲ぎせいとなっている(雷電らいでん同様どうよう)。より高性能こうせいのうのプロペラへかわそうするため日本にっぽん楽器がっき製造せいぞうがライセンス生産せいさんけんていたユンカースしきフランスラチェしゃ[6]機構きこうわせた「ぺ33」が試作しさくされ、生産せいさん直前ちょくぜんまでこぎけたが、わなかった[7]

長所ちょうしょのひとつとして長大ちょうだい航続こうぞく距離きょりげられる。開発かいはつにあたって陸軍りくぐんから当初とうしょメーカーがわしめされた要求ようきゅうでは、航続こうぞく距離きょりかんしては平凡へいぼん性能せいのうしかもとめていなかった。もっとも、いちだいまえいち〇〇しきじゅう爆撃ばくげき「呑龍」開発かいはつさいに「3,000 kmを上回うわまわ航続こうぞく距離きょり」をもとめたというせつもあり、真偽しんぎについては不明ふめいてんもある。この要求ようきゅう性能せいのうたいして、三菱みつびしがわはそれまでの経験けいけんから航続こうぞく距離きょり重要じゅうようせい認識にんしきしており、開発かいはつたって陸軍りくぐん要求ようきゅう上回うわまわ目標もくひょう独自どくじかか完成かんせいしたほん航続こうぞく距離きょり3,800 kmとなった。この3,800 kmという航続こうぞく距離きょり海軍かいぐん陸上りくじょう攻撃こうげきくらべればおとるものの、それまでのきゅうななしきじゅうばくの2,700 km、いち〇〇しきじゅうばくの3,000 kmにたいしては格段かくだん向上こうじょうしており、その飛行ひこう性能せいのう強力きょうりょく防御ぼうぎょ武装ぶそう防弾ぼうだん装備そうびあいまって海軍かいぐんにも注目ちゅうもくされることとなった。なお、こうしたほん設計せっけいさいして三菱みつびし設計せっけいじん一式いっしき陸上りくじょう攻撃こうげき経験けいけんほんんでいる。

きゅうななしきじゅうばくいち〇〇しきじゅうばくでは、左右さゆう2せき操縦そうじゅうせきのうち右側みぎがわ操縦そうじゅうせき前部ぜんぶばくげきしゅせきへの通路つうろねており、計器けいきばんおおきくかれて通路つうろもうけられていたため、右側みぎがわせき省略しょうりゃくされた計器けいきるいおおく、せい操縦そうじゅうしゃせきとして使用しようするにはなんがあった。緊密きんみつ編隊へんたいむには、編隊へんたいひだり位置いちするちょうやすいよう右側みぎがわせきせい操縦そうじゅうしゃ位置いちする必要ひつようがあり、このためほんでは操縦そうじゅうしつ付近ふきん胴体どうたいはばきゅうななしきじゅうばくいち〇〇しきじゅうばくよりひろり、左右さゆう操縦そうじゅうせきあいだ前部ぜんぶ銃座じゅうざとうへの通路つうろもうける構造こうぞうとしている。

防御ぼうぎょ武装ぶそうきゅうななしきじゅうばくいち〇〇しきじゅうばくより強化きょうかされ、ホ5 20mm機関きかんほう1もんこう上方かみがた砲塔ほうとう)、ホ103 12.7mm機関きかんほう4もん機首きしゅひだりどうみぎどう)のかく旋回せんかい機関きかんほう装備そうびする。また、せいばん451号機ごうき以降いこうほうそうれんされた機体きたいは1もん追加ついかされ12.7mm機関きかんほうは5もんとより強化きょうかされている。きゅうななしきじゅうばくいち〇〇しきじゅうばくでは採用さいようされていたのち下方かほう銃座じゅうざよんしきじゅうばくでははいされ、わってどう左右さゆうがわかた砲座ほうざ一定いってい上下じょうげかいゆうするたまご形状けいじょうのブリスターがた採用さいようされている。

防弾ぼうだん装備そうびきゅうななしきじゅうばくいち〇〇しきじゅうばく同様どうようないしそれ以上いじょうもとめられ、よんしきじゅうばくでは操縦そうじゅうせきせいふく操縦そうじゅうしゃせき後方こうほうこう上方かみがた砲塔ほうとう射手しゃしゅせき砲座ほうざ射手しゃしゅせきそれぞれには16mmじゅうろくみりあつ防弾ぼうだん鋼板こうはんを、さらに操縦そうじゅうせき前面ぜんめんにも12mmあつ防弾ぼうだん鋼板こうはん設置せっちされる。また、操縦そうじゅうせき正副せいふく操縦そうじゅうしゃせき前面ぜんめん)・こう上方かみがた砲塔ほうとう風防ふうぼうには70mmあつ防弾ぼうだんガラス設置せっちする。燃料ねんりょうタンクは防火ぼうか対策たいさくとして、戦闘せんとう離脱りだつ復路ふくろ使用しようする胴体どうたいタンクは16mmじゅうろくみりあつゴムを外装がいそうしき被覆ひふく装備そうびした自動じどうぼう燃料ねんりょうタンクに、離陸りりく往路おうろさき内容ないようりょう使つかつばさないタンクは被覆ひふくゴム装備そうびながら炭酸たんさんガスを注入ちゅうにゅう発火はっか対策たいさくとする装置そうちゆうする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

よんしきじゅうばく(キ67)
戦後せんご、アメリカぐん接収せっしゅうされどう国軍こくぐん国籍こくせき標識ひょうしきえがかれたよんしきじゅうばく(キ67)。ひだりよこ陸軍りくぐん航空こうくうぐんP-51

よんしきじゅうばく試作しさく1号機ごうき1942ねん昭和しょうわ17ねん)12月27にち飛行ひこうしている。のち陸軍りくぐんからよんしき戦闘せんとう疾風しっぷう(キ84)とともに「だい東亜とうあ決戦けっせんだい東亜とうあ決戦けっせんごう)」として期待きたいされ、重点じゅうてん生産せいさん指定していされた。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)1がつよんしきじゅうばく飛行ひこう性能せいのうから陸軍りくぐん三菱みつびしたいし、生産せいさんちゅうよんしきじゅうばく100雷撃らいげき装備そうび搭載とうさいするよう命令めいれいくだり、試作しさく2横須賀よこすか海軍かいぐん航空こうくうたい海軍かいぐん指導しどうした雷撃らいげき試験しけんおこなわれた[1]結果けっか良好りょうこうで、161号機ごうき以降いこう雷撃らいげき装備そうびがた標準ひょうじゅん型式けいしきとして採用さいようされ、ほん陸軍りくぐんでありながら雷撃らいげきとしての運用うんよう可能かのうとなった。海軍かいぐん一式いっしきりくおさむ陸上りくじょう爆撃ばくげき銀河ぎんがことなり、ばく弾倉だんそうながさが魚雷ぎょらいよりみじかいため、魚雷ぎょらい機外きがいかかつるしとされた。

451号機ごうき以降いこう機体きたい後方こうほうの12.7 mm機関きかんほう連装れんそうそうれん)に変更へんこうされたおつがたキ67おつ)となっており(ほう生産せいさんわず、一部いちぶたんそうもあり)、これにともない450号機ごうき以前いぜん機体きたいかぶとがたキ67かぶと)とされた[8]

陸軍りくぐん雷撃らいげきたい訓練くんれんは、豊橋とよはし海軍かいぐん航空こうくうたい浜松はままつ陸軍りくぐん飛行ひこう学校がっこう浜松はままつ教導きょうどう飛行ひこう師団しだん)で実施じっしされた。1944ねん昭和しょうわ19ねん)10がつ台湾たいわんおき航空こうくうせん皮切かわきりに、フィリピンのたたか九州きゅうしゅうおき航空こうくうせん沖縄おきなわせん菊水きくすい作戦さくせん)などにおいては、海軍かいぐん指揮しき運用うんようされた陸軍りくぐん雷撃らいげきたい飛行ひこうだい7戦隊せんたいだい61戦隊せんたいだい98戦隊せんたいなど)が出撃しゅつげきし、よんしきじゅうばくはその主力しゅりょくとして艦船かんせん攻撃こうげき活躍かつやくした(だい部分ぶぶん夜間やかん雷撃らいげきであった)。よんしきじゅうばく確実かくじつ雷撃らいげき戦果せんかとしては、台湾たいわんおき航空こうくうせんにおいて1944ねん10がつ14にち飛行ひこうだい98戦隊せんたいアメリカ海軍かいぐん大型おおがたけい巡洋艦じゅんようかんヒューストン命中めいちゅうだんあたえ、航行こうこう不能ふのうとさせる大破たいは戦果せんかのこしている[9]

なお、海軍かいぐんでは、海軍かいぐん指揮しき陸軍りくぐん雷撃らいげきたいを「靖国やすくに部隊ぶたい」とび、それに所属しょぞくした雷撃らいげきがたよんしきじゅうばくりゅう」のことを「靖国やすくに」という名称めいしょうんだが、これは海軍かいぐん部隊ぶたい内部ないぶにおける非公式ひこうしき通称つうしょうであり正式せいしきなものではない。

ばくげきでの使用しよう戦果せんかとしては、1944ねん12月に、海軍かいぐん指揮しき運用うんようちゅう飛行ひこうだい7戦隊せんたい香取かとり海軍かいぐん飛行場ひこうじょうより出撃しゅつげき硫黄いおうとう経由けいゆサイパンとう夜間やかんばくげきを、また1945ねん昭和しょうわ20ねん)2がつには硫黄いおうとう上陸じょうりくしたアメリカ海兵かいへいたいたいし、浜松はままつ陸軍りくぐん飛行場ひこうじょうより出撃しゅつげきした飛行ひこうだい110戦隊せんたい浜松はままつ教導きょうどう飛行ひこう師団しだん編成へんせい、1944ねん編成へんせいされていただい2独立どくりつ飛行ひこうたいを12月下旬げじゅん本戦ほんせんたい編入へんにゅう)の少数しょうすう同月どうげつ18にちと22にち高速こうそく輸送ゆそうかんおよびべいぐん制圧せいあつ海岸かいがんへの夜間やかんばくげきをそれぞれ成功せいこうさせている(硫黄いおうとうたたか)。

これらのほか、飛行ひこう戦隊せんたいではだい14戦隊せんたいだい16戦隊せんたいだい60戦隊せんたいだい62戦隊せんたいなどがほん装備そうびした。なかでもだい60戦隊せんたいだい110戦隊せんたい沖縄おきなわせん参加さんかし、義烈ぎれつ空挺くうていたいによるごう作戦さくせんには空挺くうてい隊員たいいん飛行ひこう隊員たいいん搭乗とうじょうだい3独立どくりつ飛行ひこうたい(九七式重爆改造輸送機12)の支援しえん誘導ゆうどう部隊ぶたいとして、先行せんこうばくげき照明しょうめいだん投下とうかおこなっている。

1944ねんはる陸軍りくぐん航空こうくう関係かんけいしゃ特攻とっこう必要ひつようかんして意見いけん一致いっちし、きゅうきゅうしきそうけい爆撃ばくげきよんしきじゅうばく特攻とっこう改修かいしゅうすることになり、中央ちゅうおうで2たい編成へんせい準備じゅんびすすめた[10]。1944ねん7がつ鉾田ほこた教導きょうどう飛行ひこう師団しだんきゅうきゅうそうけい装備そうび浜松はままつ教導きょうどう飛行ひこう師団しだんよんしきじゅうばく装備そうび特攻隊とっこうたい編成へんせいする内示ないじた。8がつ中旬ちゅうじゅんからはきゅうきゅうそうけいよんしきじゅうばく体当たいあたりへの改修かいしゅうひそかにすすめられた[11]よんしきじゅうばくによる特攻隊とっこうたいである富嶽ふがくたいは、浜松はままつ教導きょうどう飛行ひこう団長だんちょう川上かわかみ淸志きよし少将しょうしょう特攻隊とっこうたい編成へんせい内示ないじけると、どう師団しだんだい1教導きょうどう飛行ひこうたいははたいとして編成へんせいし、1944ねん10がつ24にちから特別とくべつ任務にんむ要員よういんとして南方なんぽう派遣はけんした。全員ぜんいんともよんしきじゅうばく経験けいけん豊富ほうふだった。26にち航空こうくう総監そうかん菅原すがわらみちだい中将ちゅうじょう臨席りんせき出陣しゅつじんしきおこなわれ、富嶽ふがくたい命名めいめいされた[12]。フィリピンに進出しんしゅつした富嶽ふがくたいは11月7にち早朝そうちょうはつ出撃しゅつげきしたが、目標もくひょう発見はっけんできずに帰還きかんした。最初さいしょ特攻とっこう決行けっこうされたのは13にちで、隊長たいちょう西尾にしお常三郎つねさぶろう少佐しょうさ以下いか6めいべい機動きどう部隊ぶたい突入とつにゅうして戦死せんしした。戦果せんか確認かくにんされていない[13]

1945ねん4がつ完成かんせいした体当たいあたりばくだんさくらだん」は、使用しよう機種きしゅよんしきじゅうばく限定げんていしたがおおくは使つかわれなかった[14]よんしきじゅうばく胴体どうたいないさくらだん装着そうちゃくされ、特攻とっこう(キ167)として沖縄おきなわ作戦さくせん使用しようされている。[15]沖縄おきなわせんでは飛行ひこうだい62戦隊せんたい配備はいびされ実戦じっせん投入とうにゅうし、1945ねん4がつ17にちはつ出撃しゅつげきするも行方ゆくえ不明ふめいとなる[13]。その大刀洗たちあらい陸軍りくぐん飛行場ひこうじょうからなんかの特攻とっこう作戦さくせん出撃しゅつげきしたが、戦果せんか確認かくにんされていない[16]

よんしきじゅうばく重点じゅうてん生産せいさん機種きしゅとなったため、大量たいりょう生産せいさん考慮こうりょした分割ぶんかつ製造せいぞう方式ほうしき採用さいようされており、生産せいさん大府おおふ飛行場ひこうじょう三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう知多ちた工場こうじょうのみならず各務原かかみがはら飛行場ひこうじょう川崎かわさき航空機こうくうき岐阜ぎふ工場こうじょうなどでおこなわれたが、日本にっぽん本土ほんど空襲くうしゅう激化げきかにより各地かくち軍需ぐんじゅ工場こうじょう次々つぎつぎ壊滅かいめつし、さらにひがし南海なんかい地震じしんによる中京ちゅうきょう工業こうぎょう地帯ちたい壊滅かいめつ工場こうじょう疎開そかいなどの混乱こんらん製造せいぞうははかどらず、終戦しゅうせんまでに生産せいさんされたのは635であった[1]。また、エンジンをハ104から強化きょうか改良かいりょうがたであるハ214かわそうしたよんしきじゅうばくがたとなるべきキ67-II試作しさくわっている。

敗戦はいせん直後ちょくご参謀さんぼう次長じちょう河辺かわべとらよんろう中将ちゅうじょう筆頭ひっとうとする降伏ごうぶく全権ぜんけんだんはフィリピンにて連合れんごうぐん会談かいだん最高さいこう指揮しきかんダグラス・マッカーサーによる降伏ごうぶく要求ようきゅう文書ぶんしょ受領じゅりょう連合れんごうぐん進駐しんちゅう詳細しょうさいぜんぐん武装ぶそう解除かいじょ中央ちゅうおう伝達でんたつするため、8がつ20日はつか沖縄おきなわ伊江島いえじまから海軍かいぐん一式いっしきりくおさむ派生はせいがた一式いっしき大型おおがた陸上りくじょう輸送ゆそうみどりじゅう)にて東京とうきょう飛行ひこうちゅうであった。しかし、道中どうちゅう静岡しずおかけん天竜川てんりゅうがわ河口かこうにて一式いっしき輸送ゆそう機体きたい不具合ふぐあいにより不時着ふじちゃく全権ぜんけんだん地元じもと住民じゅうみん救助きゅうじょ)、その代替だいたいとして近隣きんりん浜松はままつ陸軍りくぐん飛行場ひこうじょうにあったよんしきじゅうばく急遽きゅうきょ全権ぜんけんだん使用しようしているため(21にちあさ出発しゅっぱつ調布ちょうふ陸軍りくぐん飛行場ひこうじょう無事ぶじ到着とうちゃく)、よんしきじゅうばく日本にっぽん降伏ごうぶく見届みとどけた機体きたいとなった。

派生はせいがた[編集へんしゅう]

キ69
キ67を改造かいぞうしたばくげき掩護えんごじゅうばく編隊へんたいない護衛ごえいつとめる。計画けいかく中止ちゅうし[17]
電波でんぱ警戒けいかい搭載とうさいがた
夜間やかん雷撃らいげきさい索敵さくてきようとして、タキ1ごう電波でんぱ警戒けいかい装備そうびした機体きたい右翼うよくぜんえん八木はちぼくしきアンテナを、後部こうぶ胴体どうたいりょう側面そくめんに受波アンテナを設置せっち
電波でんぱ高度こうどけい搭載とうさいがた
夜間やかん雷撃らいげきさい海面かいめん上空じょうくうちょう低空ていくう飛行ひこうすることから、海面かいめんからの正確せいかく高度こうど測定そくていするために電波でんぱ高度こうどけいタキ13ごう装備そうびした機体きたい
実用じつようせいとして、陸軍りくぐん航空こうくう審査しんさ飛行ひこう実験じっけん部員ぶいんとしてどう特殊とくしゅたい勤務きんむ、タキ13ごう装備そうびがたよんしきじゅうばく審査しんさ主任しゅにんつとめていた大川おおかわ五郎ごろう大尉たいいりくわたるだい53)は、作戦さくせん飛行ひこう充分じゅうぶん使用しよう可能かのう判断はんだん審査しんさとおしており、運用うんようがわにおいても夜間やかん低空ていくう雷撃らいげき実施じっししていただい98戦隊せんたいなが高橋たかはし太郎たろう少佐しょうさは、戦後せんご大川おおかわ大尉たいいたいし「電波でんぱ高度こうどけいがどれほどの生命せいめいすくったか。感謝かんしゃするよ」とのれいべている(陸軍りくぐん航空こうくう本部ほんぶによるデータでは有効ゆうこうはかこう距離きょりは200 - 20 m、だい98戦隊せんたいでは習熟しゅうじゅくにより400 - 10 mまで使用しよう可能かのうとしている)[18]
キ109
機体きたい軽量けいりょうしたうえで、機首きしゅはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほうをベースとした75 mmほう ホ501装備そうびした特殊とくしゅ防空ぼうくう戦闘せんとう
空中くうちゅうさがせあきら
キ109とペアで運用うんようする探知たんち胴体どうたい探照灯たんしょうとう搭載とうさい
キ112
キ67-IIをぜん木製もくせいしたじゅう爆撃ばくげきともわれる。計画けいかくのみ。
ク7グライダー曳航えいこう
火砲かほう搭載とうさい可能かのう大型おおがた軍用ぐんようグライダーク7曳航えいこうするための改造かいぞう
長距離ちょうきょりばくげき改造かいぞうがた
硫黄いおうとう失陥しっかんに、サイパンとう・テニアンとうのB-29基地きち途中とちゅう着陸ちゃくりく爆撃ばくげきすることを目的もくてき計画けいかくされた長距離ちょうきょり爆撃ばくげきつばさはし延長えんちょうし、軽量けいりょうのために胴体どうたい側面そくめん銃座じゅうざ廃止はいし実現じつげんせず。
無線むせん誘導ゆうどうだん発射はっしゃははがた
ごういちがたかぶと無線むせん誘導ゆうどうだん搭載とうさいしたよんしきじゅうばく(キ67)
無線むせん誘導ゆうどうだんたるたいかんミサイルとして1944ねん中頃なかごろより開発かいはつされた、ごういちがたかぶと無線むせん誘導ゆうどうだん(キ147)の発射はっしゃおよび誘導ゆうどうははとして改修かいしゅうされた機体きたい。イごういちがたかぶと開発かいはつおなじく三菱みつびしであり、800 kg ばくだん弾頭だんとうそなえたミサイル誘導ゆうどう装置そうちづけロケット)であった。イごういちがたかぶと試製しせいよんしきじゅうばくもちいての発射はっしゃ試験しけんおこなわれたものの、その不具合ふぐあいから実用じつようにはいたらなかった。しかし並行へいこうして開発かいはつすすめられ、すで実用じつよういきたっしていた川崎かわさき航空機こうくうき開発かいはつごういちがたおつ無線むせん誘導ゆうどうだん(キ148。300 kg だんそなえたミサイル。発射はっしゃ誘導ゆうどうははきゅうきゅうしきそうけい爆撃ばくげきないしキ102襲撃しゅうげき)にシフトしており、実戦じっせん投入とうにゅうこそできなかったもののこれは150はつ量産りょうさんされていた。なお、1944ねん中頃なかごろどう時期じき海軍かいぐん人間にんげん搭乗とうじょう操縦そうじゅうする「人間にんげんロケット」たる特攻とっこう兵器へいき桜花おうか」の開発かいはつおこなっているが、陸軍りくぐんのこのイごういちがたかぶと/おつ無線むせん誘導ゆうどうだん遠隔えんかく操縦そうじゅうされる純然じゅんぜんたる無人むじん兵器へいきたいかんミサイル」である。
誘導ゆうどうばくだん発射はっしゃははがた
ごういちがたかぶと/おつ無線むせん誘導ゆうどうだん並行へいこうして開発かいはつされていた、たいかん誘導ゆうどうばくだんごういちがたへい自動じどう追尾ついび誘導ゆうどうだん発射はっしゃははとして改修かいしゅうされた機体きたい。イごういちがたへい無線むせん誘導ゆうどうしきたいかんミサイルであるイごういちがたかぶと/おつことなり、ほう能力のうりょく自動じどう追尾ついびしき誘導ゆうどうばくだんであったが、実験じっけんちゅう終戦しゅうせんむか実戦じっせん投入とうにゅうはされなかった。
「と」号機ごうき
※これは用法ようほうじょう分類ぶんるいで、機種きしゅ改修かいしゅう有無うむかかわらずたい艦船かんせん体当たいあたり攻撃こうげき使用しようされる機体きたいすべて「と」号機ごうきである。「と」号機ごうきイコールりゅう特攻とっこうよう改修かいしゅう場合ばあいあやまりである。ここではキろくなな改修かいしゅう「と」号機ごうき説明せつめい掲載けいさいする。
たま切断せつだんした海軍かいぐんはちじゅうばんとおるかぶとばくだん2はつ内蔵ないぞうした機体きたい信管しんかん安全あんぜん装置そうち機上きじょう手動しゅどう解除かいじょする。機首きしゅ背部はいぶ銃座じゅうざ風防ふうぼう金属きんぞくせいカバーにえ(後者こうしゃには旋回せんかい機関きかんほうのダミーとして黒色こくしょくぼう装着そうちゃく)、乗員じょういんすうを2〜3めいらした。また、機首きしゅからながきだした棒状ぼうじょう着発ちゃくはつしき信管しんかん装備そうびされたが、これはそらりょくてき悪影響あくえいきょうがあったという。すくなくとも15が「と」号機ごうき改造かいぞうされ[19]最初さいしょ陸軍りくぐん特別とくべつ攻撃こうげきたいひとつ・とみだけたい配備はいびされ、フィリピンで実戦じっせん投入とうにゅうされた[20]
さくらだん(キ167)
さくらだん搭載とうさい特攻とっこう専用せんよう計画けいかく番号ばんごうキ167陸軍りくぐん試作しさく攻撃こうげき[21]通称つうしょうさくらだん(さくらだん)である。「さくらだん」とは、ほん専用せんよう直径ちょっけい1.6 m、おもさ2.9 tのたいかんよう大型おおがたばくだんモンロー効果こうか意図いとした成型せいけい炸薬さくやくだん)である。あまりに大型おおがたなため、そのままでは機体きたい内部ないぶ収納しゅうのうしきれず、機体きたい上部じょうぶふくらんだ形状けいじょう改造かいぞうされている。爆発ばくはつ威力いりょくは「前方ぜんぽう3 km、後方こうほう300 mがぶ」としょうされていた[16]大型おおがたばくだん搭載とうさいのため重量じゅうりょう軽減けいげんはかられ、防御ぼうぎょ火器かき撤去てっきょしており、燃料ねんりょう片道かたみちぶんらした状態じょうたい運用うんようされたという。乗員じょういんも4にんらされている。しかし、それでも機体きたいおもすぎて運動うんどうせい低下ていかなどがいちじるしく、熟練じゅくれん操縦そうじゅうしゃ減少げんしょうしていることから、ほんでの特攻とっこう攻撃こうげき困難こんなんであるとの指摘してき陸軍りくぐんしょう内部ないぶからもしょうじていた[13]。9以上いじょう完成かんせいした[19]。なお、「キ167」の計画けいかく番号ばんごう非公式ひこうしきあたえられたもので、公式こうしきには「キ167」は着手ちゃくしゅわった練習れんしゅうられている[21]

しょもと[編集へんしゅう]

キ67かぶと[22]

  • 乗員じょういん: 8 めい
  • 全長ぜんちょう: 18.7 m
  • 全幅ぜんぷく: 22.5 m
  • 全高ぜんこう: 5.6 m
  • 主翼しゅよく面積めんせき: 65.0 m2
  • 発動はつどうハ104 空冷くうれいふくれつほしがた18気筒きとうはなれのぼり1900馬力ばりき) ×2
  • 全備ぜんび重量じゅうりょう: 13,765 kg
  • 自重じちょう: 8,649 kg
  • 最大さいだい速度そくど: 537 km/h (6,090 m)
  • 巡航じゅんこう速度そくど: 400 km/h
  • 上昇じょうしょう時間じかん: 6,000 mまで14ふん30びょう
  • 実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど: 9,470 m
  • 航続こうぞく距離きょり: 3,800 km
  • 離陸りりく滑走かっそう距離きょり: 704 m(重量じゅうりょう 13800 kg)
  • 着陸ちゃくりく滑走かっそう距離きょり: 435 m(重量じゅうりょう 9550 kg)
  • 武装ぶそうしき 20 mm 機関きかんほう ×1(胴体どうたい上部じょうぶ)・一式いっしき 12.7 mm 機関きかんほう ×4(機首きしゅ胴体どうたい左右さゆう
  • ばくそうきゅうよんしき10㎏代用だいようばくだん×15、きゅうきゅうしき30㎏爆弾ばくだんしくは一式いっしき30㎏代用だいようばくだん×15、きゅうよんしき50㎏ばくだん×15(10)、きゅうよんしき100㎏ばくだん×8(5)、きゅうしき250㎏ばくだん×3(2)、きゅうしき500㎏ばくだん×1(0)、800㎏ばくだん×1、魚雷ぎょらい×1、一式いっしき投下とうか照明しょうめいだん×15のいずれか、いずれも満載まんさい標準ひょうじゅん搭載とうさい重量じゅうりょうは(1000㎏)以内いない 

現存げんそん部品ぶひん[編集へんしゅう]

よんしきじゅうばく機体きたい現存げんそんしない。ただし、ルーフアンテナのカバーとばく弾倉だんそうとびらが、筑前ちくぜん町立ちょうりつ大刀洗たちあらい平和へいわ記念きねんかん展示てんじされているほか、墜落ついらく事故じこ現場げんばから回収かいしゅうされたエンジンの一部いちぶ青梅おうめ郷土きょうど博物館はくぶつかん展示てんじされている。

愛知あいちけん三ヶ根山さんがねさんにある殉国じゅんこくななびょうに、海中かいちゅうからげられた搭載とうさいエンジン ハ104 が展示てんじされている。

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

艦隊かんたいこれくしょん -かんこれ-
基地きち航空こうくうたい配備はいび可能かのう陸上りくじょう攻撃こうげきカテゴリーの装備そうびとして、一般いっぱん熟練じゅくれんごういちがたかぶと 誘導ゆうどうだん装備そうび、イごういちがたかぶと 誘導ゆうどうだん装備そうび熟練じゅくれん登場とうじょう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ トリムタブ調整ちょうせいにより急降下きゅうこうかばくげき可能かのう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 木村きむら秀政ひでまさ田中たなか祥一しょういち日本にっぽん100せん文春ぶんしゅん文庫ぶんこ 1997ねん ISBN 4-16-810203-3
  2. ^ たけなわとうしゃ 設計せっけいしゃ証言しょうげん 下巻げかん P198
  3. ^ 光人みつひとしゃ 軍用ぐんようメカシリーズ15 P109
  4. ^ たけなわとうしゃ 設計せっけいしゃ証言しょうげん 下巻げかん P206
  5. ^ 光人みつひとしゃ 軍用ぐんようメカシリーズ【15】りゅう/DC-3 P108
  6. ^ 日本にっぽん国際こくさい航空こうくう工業こうぎょうがライセンス生産せいさんけんていた。
  7. ^ やまもものっている ヤマハ発動機やまははつどうき創立そうりつ時代じだいのうらばなし - ヤマハ発動機やまははつどうきわざじゅつ - ヤマハ発動機やまははつどうき
  8. ^ りゅう/DC-3・れいしき輸送ゆそう 軍用ぐんようメカ・シリーズ15』光人みつひとしゃ、1995ねん、124,125ぺーじISBN 978-4769806851 
  9. ^ 神野かみの正美まさみ台湾たいわんおき航空こうくうせん T攻撃こうげき部隊ぶたい 陸海りくかいぐん雷撃らいげきたい死闘しとう光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2004ねん。p.281
  10. ^ 戦史せんし叢書そうしょ48かん しまとしごう陸軍りくぐん航空こうくう作戦さくせん 344ぺーじ
  11. ^ 戦史せんし叢書そうしょ48かん しまとしごう陸軍りくぐん航空こうくう作戦さくせん 345ぺーじ
  12. ^ 戦史せんし叢書そうしょ48かん しまとしごう陸軍りくぐん航空こうくう作戦さくせん 347ぺーじ
  13. ^ a b c NHK戦争せんそう証言しょうげん」プロジェクト へん証言しょうげん記録きろく 兵士へいしたちの戦争せんそう〈3〉』日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい 2009ねん
  14. ^ 戦史せんし叢書そうしょ102かん 陸海りくかいぐん年表ねんぴょう づけ兵器へいきへい解説かいせつ 373ぺーじ
  15. ^ 戦史せんし叢書そうしょ87かん 陸軍りくぐん航空こうくう兵器へいき開発かいはつ生産せいさん補給ほきゅう 459-460ぺーじ
  16. ^ a b 筑前ちくぜん町立ちょうりつ大刀洗たちあらい平和へいわ記念きねんかん 常設じょうせつ展示てんじ案内あんない筑前ちくぜんまち 2009ねん
  17. ^ 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅう へん決定けっていばん 日本にっぽん陸軍りくぐん学研がっけんパブリッシング、2011ねん、59ぺーじISBN 978-4-05-606220-5 
  18. ^ 渡辺わたなべ洋二ようじ非情ひじょう操縦そうじゅうせき』 2015ねん、p.127。
  19. ^ a b 石黒いしぐろ竜介りゅうすけタデウシュ・ヤヌシェヴスキ日本にっぽん陸海りくかいぐん特殊とくしゅ攻撃こうげき飛行ひこうばくだんだい日本にっぽん絵画かいが、2011ねん、89ぺーじISBN 978-4-499-23048-3 
  20. ^ 高木たかぎ俊朗としろう陸軍りくぐん特別とくべつ攻撃こうげきたい文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう (1986)
  21. ^ a b 石黒いしぐろ竜介りゅうすけ、タデウシュ・ヤヌシェヴスキ『日本にっぽん陸海りくかいぐん特殊とくしゅ攻撃こうげき飛行ひこうばくだんだい日本にっぽん絵画かいが、2011ねん、87ぺーじISBN 978-4-499-23048-3 
  22. ^ たけなわとうしゃ 設計せっけいしゃ証言しょうげん 下巻げかん P203

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 「キ-67取扱とりあつかい参考さんこう昭和しょうわ18ねん5がつ 三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ 名古屋なごや航空機こうくうき製作所せいさくしょ 発行はっこう
  • 「ハいちよん冷却れいきゃくファンづけ寫眞しゃしんちょう昭和しょうわ17ねん1がつ 三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ 名古屋なごや発動はつどう製作所せいさくしょ 発行はっこう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]