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八八式七糎野戦高射砲 - Wikipedia コンテンツにスキップ

はちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
グアム島に遺棄された八八式7.5cm野戦高射砲、閉鎖機が外されている
制式せいしき名称めいしょう はちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほう
口径こうけい 75mm
砲身ほうしんちょう 3.212m(42.8口径こうけい)
重量じゅうりょう(放列ほうれつ砲車ほうしゃ) 2,450kg
砲身ほうしん重量じゅうりょう(閉鎖へいさども) 482㎏[1]
初速しょそく 720m/s
こう座長ざちょう 600mm(かく50以上いじょう)[1]

1400mm(かく30以下いか)

最大さいだい射程しゃてい 13,800m
最大さいだいしゃだか 9,100m
最大さいだい発射はっしゃ速度そくど 15~20はつ/ぶん
俯仰ふぎょうかく -7~+85°
使用しようだんしゅ きゅうしき尖鋭せんえいだん
きゅうしき榴弾りゅうだん
きゅうよんしき榴弾りゅうだん
きゅうしきやぶかぶと榴弾りゅうだん
きゅうしき高射こうしゃ尖鋭せんえいだん
一式いっしきとおるきのえだん
使用しよう勢力せいりょく  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
要員よういん 12めい最低さいてい4めい
生産せいさんすう やく2,000もん

はちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほう(はちはちしきななせんちやせんこうしゃほう)は、1920年代ねんだいちゅう後期こうき開発かいはつ採用さいようされた大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん野戦やせん高射こうしゃほう俗称ぞくしょう八八式七糎半野戦高射砲(はちはちしきななせんちはんやせんこうしゃほう)。

だい世界せかい大戦たいせんにおいてはきゅうきゅうしきはちせんちめーとる高射こうしゃほうとともに帝国ていこく陸軍りくぐん主力しゅりょく高射こうしゃほうとして使用しようされた。

開発かいはつ[編集へんしゅう]

ワインガプしま鹵獲ろかくされたはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほうとなりつのはオランダへい

性能せいのう不十分ふじゅうぶんじゅう一年式七糎半野戦高射砲後継こうけいとして、1925ねん大正たいしょう14ねん)8がつ18にちづけの「かぶとだい218ごう」により研究けんきゅう方針ほうしん追加ついか上申じょうしん同時どうじ試製しせいほう大阪おおさか砲兵ほうへい工廠こうしょう発注はっちゅうされた。よく1926ねん大正たいしょう15ねん)2がつ15にちづけの「りくひろしだい644ごう」をもって正式せいしき開発かいはつ認可にんかされ、同年どうねん4がつには試製しせいほう完成かんせいした。1927ねん昭和しょうわ2ねん)には陸軍りくぐん野戦やせん砲兵ほうへい学校がっこう委託いたくして実用じつよう試験しけんはいり、1928ねん昭和しょうわ3ねん)にかり制式せいしき制定せいていはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほうとしてはちはちしき高射こうしゃ照準しょうじゅんとともに制式せいしき制定せいていされた。じゅういちねんしき更新こうしん焦眉しょうびきゅうであったため、開発かいはつスケジュールは兵器へいきくらべてもかなりいそがれている。

なお、どう口径こうけい(75mm)である先代せんだいじゅう一年式七糎半野戦高射砲と、後続こうぞくよんしきななせんちめーとるはん高射こうしゃほうがそれぞれ制式せいしき名称めいしょうに「はんななせんちめーとるはん)」をふくむのにたいして、ほんほう制式せいしき名称めいしょうはあくまではちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほうであり、「はんななせんちめーとる)」の文字もじはない。

 基本きほん構造こうぞうじゅういちねんしきななせんちめーとる半野はんのせん高射こうしゃほうをほぼ踏襲とうしゅうしているが、初速しょそくはじ性能せいのう大幅おおはば向上こうじょうし、世界せかいてきにもても当時とうじ標準ひょうじゅんてき性能せいのうの75mmきゅう高射こうしゃほうとなっている。ただ、機動きどうちから重視じゅうし帝国ていこく陸軍りくぐん火砲かほうには通例つうれいのことでもあるが、運行うんこう重量じゅうりょうらすため大幅おおはば軽量けいりょうされたため全体ぜんたいつくりが華奢きゃしゃで、耐久たいきゅうせいにはおとっていた。これはほんほう陣地じんち高射こうしゃほうではなく、とく機動きどうりょくもとめられる野戦やせん高射こうしゃほうであることも一因いちいんである。そのためほんほうきわめて軽量けいりょうであり、迅速じんそく移動いどう放列ほうれつ展開てんかい可能かのうといった運用うんようめんすぐれる。牽引けんいんきゅうろくしき高射こうしゃほう牽引けんいんしゃきゅうよんしきろくりん自動じどう貨車かしゃなどの牽引けんいんしゃ・4t自動じどう貨車かしゃによっておこない、牽引けんいん速度そくど常用じょうよう12~14km/h、最大さいだい18km/hである。半面はんめん軽量けいりょうであることから、仰角ぎょうかくひく対地たいち目標もくひょう射撃しゃげきほうくちせい退すさうつわぼうだてほうくちせい退すさうつわから後方こうほう燃焼ねんしょうガスをけるもの)をけなければ転倒てんとう危険きけんがあるため、通常つうじょう禁止きんしされていた[2]

1934ねん昭和しょうわ9ねん)2がつには、野戦やせん移動いどうよう機材きざいはいし、ベトンほうゆか据付すえつけされ陣地じんち高射こうしゃほうとして運用うんようするはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほうマルとく(マルとく制式せいしき表記ひょうきは◯のうちとく)が制定せいていされた[3]。このマルとくは、ほうゆか固定こていしき安定あんていしているため水平すいへい方向ほうこう反動はんどうつよ平射へいしゃ俯角ふかく射撃しゃげき(-7°まで)も可能かのうであり、平射へいしゃ照準しょうじゅん装備そうびしていた[2]

また固定こていほうゆかからはずしてただしいしずえあしじょう搭載とうさいすれば野戦やせんようとしても使用しようできた。

実戦じっせん[編集へんしゅう]

アッツとうにおけるはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほうと、みさおほうする同島どうとう守備しゅびたい高射こうしゃ砲兵ほうへい

 1930年代ねんだい以降いこう陸軍りくぐん飛行場ひこうじょう戦術せんじゅつ要地ようちおおくにはほんほう配備はいびされており、こうした定点ていてん防空ぼうくうでは事前じぜん標定ひょうていませているため待伏まちぶ集中しゅうちゅう射撃しゃげき可能かのうだったこと、またてき侵入しんにゅう高度こうどもあまりたかくなかったこともあり、一定いってい戦果せんかげている。しかし、このような前線ぜんせんでの野戦やせん防空ぼうくうとうでは短時間たんじかん射撃しゃげきのためあまり問題もんだいにならなかったようだが、耐久たいきゅうせいひくいため都市とし防空ぼうくうなど戦略せんりゃくうえ要地ようちにおいて連続れんぞく射撃しゃげき必要ひつようとする戦闘せんとうでは、ちゅう退すさ破損はそんおおかった。また、太平洋戦争たいへいようせんそう後期こうきでは、高々たかだか飛来ひらいする一部いちぶB-29などには有効ゆうこうだかそのもののひくさ、および曳火しき時限じげん信管しんかん誤差ごさ[注釈ちゅうしゃく 1]から苦戦くせんいられた。

どうみぎじょう発砲はっぽうにともなって砲身ほうしんこうし、周囲しゅうい土埃つちぼこりっている

1939ねん昭和しょうわ14ねん)11月には高性能こうせいのう電気でんきしききゅうななしき高射こうしゃ算定さんてい制式せいしき制定せいていされ、射撃しゃげき精度せいど向上こうじょうするとともに人員じんいん器材きざい節約せつやくつながっている。太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそうちゅう後半こうはんにはしき高射こうしゃ算定さんていや、防空ぼうくうよう電波でんぱ警戒けいかい捜索そうさくレーダー)・電波でんぱ標定ひょうてい射撃しゃげきレーダー)・防空ぼうくう指揮しき通信つうしん特種とくしゅ指揮しき電話機でんわきなどが開発かいはつ実用じつよう配備はいびされると射撃しゃげき精度せいど飛躍ひやくてき向上こうじょうした。本土ほんど防空ぼうくうせんなどにおいては防空ぼうくうシステムの向上こうじょうおよび、ほんほうのみならずきゅうきゅうしきはちせんちめーとる高射こうしゃほうさんしきじゅうせんちめーとる高射こうしゃほうといった高性能こうせいのう高射こうしゃほう大量たいりょう投入とうにゅうされていたこともあり、連合れんごうぐん戦闘せんとうばくげきたい威力いりょく発揮はっきした。日本にっぽん本土ほんどでの防空ぼうくう高射こうしゃ部隊ぶたいは、B-29にたい防空ぼうくう飛行ひこう部隊ぶたい防空ぼうくう戦闘せんとう)をしの戦果せんかげている。

こう初速しょそく高射こうしゃほうのため装甲そうこう貫徹かんてつりょくたかく、やぶかぶと榴弾りゅうだん一応いちおう配備はいびされていたためノモンハン事件じけん硫黄いおうとうたたか沖縄おきなわせんでは対戦たいせんしゃほうとしても転用てんようされ、日本にっぽんぐん対応たいおう苦慮くりょしていたアメリカぐんM4ちゅう戦車せんしゃたいしても戦果せんかげた(対戦たいせんしゃ戦闘せんとうかぎらず、アッツとうたたかなどかく戦線せんせんでは平射へいしゃおこな野砲やほうのう)の代用だいようとしても使用しようされている)。

一部いちぶきゅうよんしき装甲そうこう列車れっしゃ主砲しゅほうとして搭載とうさいされ、満州まんしゅう中国ちゅうごく大陸たいりく実戦じっせん使用しようされた。

貫徹かんてつ能力のうりょく[編集へんしゅう]

装甲そうこう貫徹かんてつ能力のうりょく数値すうち射撃しゃげき対象たいしょう装甲そうこうばん実施じっし年代ねんだいなど試験しけん条件じょうけんによりことなる。

1945ねん8がつアメリカきゅう陸軍りくぐんしょう情報じょうほう資料しりょうによれば、鹵獲ろかくしたはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほう装甲そうこう貫徹かんてつ能力のうりょく数値すうちてっかぶとだん原文げんぶんにはAPとのみ記載きさいされたましゅめい不明ふめい)を使用しようした場合ばあい射距離しゃきょり1,500ydやく1371.6m)で2.75inやく70mm)、1,000yd(やく914.4m)で3.15in(やく80mm)、500yd(やく457.2m)で3.6in(やく91mm)、100yd(やく91.4m)で3.75in(やく95mm)、と記載きさいされている。[4]

陸上りくじょう自衛隊じえいたい幹部かんぶ学校がっこう戦史せんし教官きょうかんしつ所蔵しょぞう資料しりょうである、近衛このえだい3師団しだん調整ちょうせい資料しりょう現有げんゆう対戦たいせんしゃ兵器へいき資材しざい効力こうりょくがいひょう』によると、はちはちななだかはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほう)のてっかぶとだんは、射距離しゃきょり500m/貫通かんつう鋼板こうはんあつ100mmとなっている(射撃しゃげき対象たいしょう防弾ぼうだん鋼板こうはん種類しゅるいてっかぶとだんたましゅ記載きさいされず不明ふめい[5]

船舶せんぱく搭載とうさいよう[編集へんしゅう]

 陣地じんちようマルとくがたは、さんはちしき野砲やほうなどとともに、陸軍りくぐん徴用ちょうようした輸送ゆそうせん神州しんしゅうまるあきつまるなどの陸軍りくぐん特種とくしゅせん自衛じえいようとしても搭載とうさいされた。これらの船舶せんぱく搭載とうさいようマルとく平射へいしゃ俯角ふかく射撃しゃげき可能かのう特性とくせいかして水上すいじょう目標もくひょうへの攻撃こうげきほかさんしき水中すいちゅうだんもちいた水中すいちゅう目標もくひょうあさ深度しんど航行こうこうちゅう潜水せんすいかん)への攻撃こうげき考慮こうりょされていたが[6]実戦じっせんでの使用しようれい戦果せんかについてはあきらかではない。

航空機こうくうき搭載とうさいよう[編集へんしゅう]

キ109。先端せんたんが75mmほう砲身ほうしん

太平洋戦争たいへいようせんそう後期こうきには、よんしきじゅう爆撃ばくげきりゅうをベースとする特殊とくしゅ防空ぼうくう戦闘せんとうキ109備砲びほうホ501わなかったためともされる)としても転用てんようされた。日本にっぽんぐんにおいてはサイズ・重量じゅうりょう威力いりょくともに最大さいだいきゅう航空機こうくうき搭載とうさいほう[注釈ちゅうしゃく 2]だったが、機体きたい重量じゅうりょう過大かだい速度そくど上昇じょうしょうりょく低下ていかし、実戦じっせんでの戦果せんかげられなかった。

現存げんそんほう[編集へんしゅう]

現存げんそんほうとしては靖国神社やすくにじんじゃゆう就館や、中国ちゅうごく人民じんみん革命かくめい軍事ぐんじ博物館はくぶつかんなどに比較的ひかくてき良好りょうこう状態じょうたい収蔵しゅうぞう展示てんじされているほか、ベラウ国立こくりつ博物館はくぶつかんにて屋外おくがい展示てんじフィリピンオロンガポ英語えいごばんにあるかもみどりまる死亡しぼうした捕虜ほりょ慰霊いれいもちいられている[7]

使用しようだん[編集へんしゅう]

  • きゅうしき尖鋭せんえいだん - はちきゅうしき瞬発しゅんぱつ信管しんかんやま」を使用しようする遠距離えんきょり射撃しゃげきよう榴弾りゅうだん砲弾ほうだん重量じゅうりょう6.52kg。弾薬だんやくとう重量じゅうりょう8.57kg。
  • きゅうしき榴弾りゅうだん - はちはちしき瞬発しゅんぱつ信管しんかんもしくははちはちしきおそ発信はっしんかん使用しようする榴弾りゅうだん砲弾ほうだん重量じゅうりょう6.35kg。弾薬だんやくとう重量じゅうりょう8.72kg。
  • きゅうよんしき榴弾りゅうだん - はちはちしき瞬発しゅんぱつ信管しんかんもしくははちはちしきおそ発信はっしんかん使用しようする榴弾りゅうだん砲弾ほうだん重量じゅうりょう6.02kg。弾薬だんやくとう重量じゅうりょう7.74kg。きゅうしき榴弾りゅうだんくら威力いりょくおとるものの製造せいぞうコスト、射程しゃてい射撃しゃげき精度せいど向上こうじょうした。
  • 九五式破甲榴弾 - たい戦車せんしゃようてっかぶと榴弾りゅうだん(AP-HE)。砲弾ほうだん重量じゅうりょう6.2kg。貫徹かんてつりょくは65mm/1000m。
  • 一式いっしきてっかぶとだん - 九五式破甲榴弾より新型しんがたたい戦車せんしゃようてっかぶと榴弾りゅうだん(AP-HE)。
  • よんしきとおるきのえだん - 一式いっしきてっかぶとだんより新型しんがたたい戦車せんしゃようてっかぶとだん(AP)。
  • きゅうしき高射こうしゃ尖鋭せんえいだん - はちきゅうしき尖鋭せんえい高射こうしゃ信管しんかん使用しようする高射こうしゃ専用せんようだん弾薬だんやくとう重量じゅうりょう8.96kg
  • きゅうしき照明しょうめいだん - ねんしきふくどう信管しんかんおさむ」、「」を使用しようする照明しょうめいだん弾薬だんやくとう重量じゅうりょう7.11kg。

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

ゲーム[編集へんしゅう]

R.U.S.E.
日本にっぽん対空たいくう対戦たいせんしゃほうとして登場とうじょう
War Thunder
日本にっぽん空軍くうぐんツリーのキ109搭載とうさいされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 導火どうかせん一種いっしゅ応用おうようする延時のぶとき方式ほうしきのため、延期えんきびょうながいほど誤差ごさ増大ぞうだいする。だかたかくすると当然とうぜんたちようする時間じかんながくなるため、ねらった高度こうど炸裂さくれつさせられるかくりつ低下ていかする。
  2. ^ ホ501は手動しゅどう装填そうてんのため厳密げんみつには航空こうくう機関きかんほうではない。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 高射こうしゃほう』 222ぺーじ
  2. ^ a b 佐山さやま二郎じろう大砲たいほう入門にゅうもん』 389ぺーじ
  3. ^ 陸軍りくぐん技術ぎじゅつ本部ほんぶちょう緒方おがた勝一かついちはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほうとくかり制式せいしき制定せいていけん』、アジア歴史れきし資料しりょうセンター、Ref.C01004887400
  4. ^ "Japanese Tank and AntiTank Warfare" http://usacac.army.mil/cac2/cgsc/carl/wwIIspec/number34.pdf
  5. ^ 白井しらい明雄あきお日本にっぽん陸軍りくぐんせんくん」の研究けんきゅう』 94ぺーじ、107ぺーじ
  6. ^ 日本にっぽん航空こうくう母艦ぼかんパーフェクトガイド』 146ぺーじ
  7. ^ 大路おおじさとし「「いちはくにちで(?)たずねる」クラークとスービックの展示てんじ」 『航空こうくうファンだい69かんだい5ごう(2020ねん5がつごうごうぶん林堂はやしどう P.73

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 佐山さやま二郎じろう大砲たいほう入門にゅうもん光人みつひとしゃ、2008ねん
  • 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 高射こうしゃほう光人みつひとしゃ、2010ねん
  • 白井しらい明雄あきお日本にっぽん陸軍りくぐんせんくん」の研究けんきゅう芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん 2003ねん
  • 日本にっぽん航空こうくう母艦ぼかんパーフェクトガイド 学研がっけん 2003ねん
  • 陸軍りくぐん技術ぎじゅつ本部ほんぶちょう緒方おがた勝一かついちはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほうとくかり制式せいしき制定せいていけん』 1934ねん2がつアジア歴史れきし資料しりょうセンター、Ref.C01001346500
  • 陸軍りくぐん技術ぎじゅつ本部ほんぶ 『九七式高射算定具制式制定ノけん』 1944ねん11月、アジア歴史れきし資料しりょうセンター、Ref.C01004887400

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]