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一式四十七粍戦車砲 - Wikipedia コンテンツにスキップ

一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう
全備ぜんび重量じゅうりょう 411kg
口径こうけい 47mm
砲身ほうしんちょう 47.8口径こうけい(2,248.5mm)
砲身ほうしん重量じゅうりょう 154.3kg(閉鎖へいさふくむ)
ほうこう初速しょそく 810m/びょう[1]
高低こうていしゃかい -15~+20
方向ほうこうしゃかい 左右さゆうかく10
最大さいだい射程しゃてい -
弾薬だんやくとう重量じゅうりょう 2.85kg(一式いっしきてっかぶとだん
弾頭だんとう重量じゅうりょう 1.5kg(一式いっしきてっかぶとだん
製造せいぞうこく 日本にっぽん

一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう(いっしきよんじゅうななみりせんしゃほう)は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん1939ねん昭和しょうわ14ねん)に開発かいはつ開始かいしし、1942ねん昭和しょうわ17ねん)に制式せいしきされた口径こうけい47mmの戦車せんしゃほうきゅうななしきちゅう戦車せんしゃ チハ一式いっしきちゅう戦車せんしゃ チヘなどの主砲しゅほうとして使用しようされた。

概要がいよう

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砲手ほうしゅ左側ひだりがわ位置いちしてほう操作そうさする

1939ねん昭和しょうわ14ねん)、陸軍りくぐん技術ぎじゅつ本部ほんぶあんとして研究けんきゅう開始かいしした。当時とうじ試作しさくなか試製しせいよんじゅうななみりめーとるほう砲身ほうしんきゅうよんしきななせんちめーとる戦車せんしゃほうほう搭載とうさいして試験しけんおこない、その試験しけん成績せいせきもと試製しせいよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう設計せっけい1940ねん昭和しょうわ15ねん)6がつだい1かい試験しけんよく7がつだい2かい試験しけんおこない、機能きのうこうこらえせい弾道だんどうせい確認かくにんした。同年どうねん9がつには試製しせいきゅうはちしきちゅう戦車せんしゃ チホ砲塔ほうとうほんほう装備そうびし、きゅうななしきちゅう戦車せんしゃ チハ車体しゃたい搭載とうさいしてこうこらえ弾道だんどうせい試験しけん実施じっしした。

1941ねん昭和しょうわ16ねん)1がつには陸軍りくぐん戦車せんしゃ学校がっこうおよび陸軍りくぐん騎兵きへい学校がっこう実用じつよう試験しけん委託いたくし、実用じつようてきするとの判定はんていさらしょう改修かいしゅうくわえて同年どうねん4がつ修正しゅうせい機能きのう試験しけん実施じっし、「精度せいど機能きのう良好りょうこう抗力こうりょくじゅうふんにして実用じつようてきするをもって、戦車せんしゃ装備そうびようとして整備せいびするをようす」と判定はんていされた。この結果けっかもとづき、同年どうねん9がつかり制式せいしき上申じょうしんよく1942ねん昭和しょうわ17ねん4がつ1にち一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうとして制式せいしき制定せいていされた[2]

ほんほうきゅうななしきちゅう戦車せんしゃおよび一式いっしきちゅう戦車せんしゃ チヘ一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうIIがた)の主砲しゅほうとして装備そうびされた。砲身ほうしん命数めいすうは2,000はつであり、弾薬だんやくとう一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう共通きょうつうである。こう座長ざちょうは280-300mmとされた。

装甲そうこう貫徹かんてつ能力のうりょく

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装甲そうこう貫徹かんてつ能力のうりょく数値すうちは、射撃しゃげき対象たいしょう装甲そうこうばん実施じっしした年代ねんだいなど、試験しけん条件じょうけんによりことなる。

1942ねん5月の資料しりょうによれば、一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうとほぼどう威力いりょく一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう場合ばあい一式いっしきてっかぶとだんとおるかぶと榴弾りゅうだん相当そうとう)を使用しようした場合ばあいたまかく90以下いか装甲そうこうばん貫通かんつうできた。

  • 1,500mで45mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/20mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 1,000mで50mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/30mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 500mで65mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/40mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 200mで65mm[3]だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/50mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん

試製しせいてっかぶとだんであるタングステンこうのみがただん後述こうじゅつする「とくかぶとだんもとになったとおもわれる試製しせいてっかぶとだん)を使用しようした場合ばあいたまかく90以下いか装甲そうこうばん貫徹かんてつできた[4]

  • 1,500mで45mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/25mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 1,000mで55mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/30mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 500mで70mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/45mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 200mで80mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/55mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん

べつの1942ねん5がつ資料しりょうによれば、試製しせいよんじゅうななみりめーとるほう鋼板こうはん貫通かんつうあつについて以下いかのようになっている。

試製しせいてっかぶとだんであるタングステンこうのみがただん使用しようした場合ばあい以下いか装甲そうこうばん貫通かんつうするとしている[5]

  • 1,500mで45mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/23mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 1,000mで56mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/31mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 500mで70mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/45mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 200mで79mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/55mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 0mでやく85mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/やく65mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん

となっている[6]

試製しせいてっかぶとだんである弾丸だんがんこうだい一種丙製蚤形徹甲弾(一式いっしきてっかぶとだん相当そうとう)を使用しようした場合ばあい以下いか装甲そうこうばん貫通かんつうするとしている[5]

  • 1,500mで43mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/20mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 1,000mで52mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/28mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 500mで65mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/39mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 200mで72mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/48mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん

弾丸だんがんこうだい一種丙製蚤形徹甲弾のぬき鋼板こうはんあつ以下いかのようになっている[7]

  • 1,000mで62mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/37mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 500mで76mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/52mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん
  • 200mで85mm(だい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)/62mm(だいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん

1942ねん4がつ3にちおこなわれた鹵獲ろかくしたM3けい戦車せんしゃたいする射撃しゃげき試験しけんでは、射距離しゃきょり800mにおいて正面しょうめん装甲そうこうを9はつちゅう6はつ貫通かんつうどう1,000mにおいて6はつちゅう3はつ貫通かんつうしている。

1945ねん7がつアメリカぐん情報じょうほう報告ほうこくしょにおいては、一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうによりM4A3 シャーマン装甲そうこう射距離しゃきょり500ヤード(やく457.2m)以上いじょうから貫通かんつうすることが可能かのう貫通かんつう可能かのう装甲そうこう箇所かしょ記述きじゅつされておらず不明ふめい)と記述きじゅつされ、実戦じっせんでは一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうによるやく30角度かくどからの射撃しゃげき射距離しゃきょり150-200ヤード:やく137.1-182.8m)によりM4の装甲そうこうは6はつちゅう5はつ貫通かんつう命中めいちゅう箇所かしょ不明ふめい)したとの報告ほうこく記述きじゅつがある[8]。また、どう報告ほうこくしょには、最近さいきん戦闘せんとう報告ほうこくから47mm砲弾ほうだん品質ひんしつ以前いぜんより改善かいぜんされたことをしめしている、との記述きじゅつがある。

1945ねん8がつアメリカきゅう陸軍りくぐんしょう情報じょうほう資料しりょうによれば、鹵獲ろかくした一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう射撃しゃげき試験しけんにおいて、射距離しゃきょり500ヤード(やく457.2m)において3.25インチ(やく82mm)の垂直すいちょく装甲そうこう貫通かんつうした事例じれい記載きさいされている[9]貫通かんつう威力いりょく近似きんじするとおもわれる(弾薬だんやくとう共用きょうようであり、初速しょそくやく20m/びょう程度ていど一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう装甲そうこう貫通かんつうについては以下いかのように記載きさいされている。

一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとる速射そくしゃほう装甲そうこう貫通かんつう一式いっしきてっかぶとだん[10]
射距離しゃきょり 垂直すいちょくした装甲そうこうばんたいする貫通かんつう 垂直すいちょくから30傾斜けいしゃした装甲そうこうばんたいする貫通かんつう
250ヤード(やく228.6m) 3.0インチ(やく76mm) 2.25インチ(やく57mm)
500ヤード(やく457.2m) 2.75インチ(やく70mm) 2.0インチ(やく51mm)
1,000ヤード(やく914.4m) 2.0インチ(やく51mm) 1.4インチ(やく36mm)
1,500ヤード(やく1371.6m) 1.6インチ(やく41mm) 1.2インチ(やく30mm)

また、1945ねん3がつアメリカ陸軍りくぐん武器ぶき情報じょうほう資料しりょうによれば、一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう射距離しゃきょり500ヤード(やく457.2m)において、垂直すいちょくした圧延あつえん装甲そうこう2.7インチ(やく69mm)を貫通かんつう垂直すいちょくから30傾斜けいしゃした圧延あつえん装甲そうこう2.2インチ(やく56mm)を貫通かんつう記載きさいされており、一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほうは、射距離しゃきょり1,050ヤード(やく960.1m)において、垂直すいちょくした圧延あつえん装甲そうこう2.5インチ(やく63.5mm)を貫通かんつうすると記載きさいされている[11]

1945ねん12月のアメリカ陸軍りくぐんだい6ぐん情報じょうほう資料しりょうによれば、一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう至近しきん距離きょり射撃しゃげき試験しけんにおいて、装甲そうこうたいして垂直すいちょく命中めいちゅうした場合ばあい、4.5インチ(やく114.3mm)を貫通かんつうした事例じれいがあったとしている(射撃しゃげき対象たいしょう装甲そうこうばん種類しゅるいてっかぶとだんたましゅ記載きさいされず不明ふめい[12]

陸上りくじょう自衛隊じえいたい幹部かんぶ学校がっこう戦史せんし教官きょうかんしつ所蔵しょぞう資料しりょうである近衛このえだいさん師団しだん調整ちょうせい資料しりょう現有げんゆう対戦たいせんしゃ兵器へいき資材しざい効力こうりょくがいひょう」によると、よんななTA(47mm速射そくしゃほう)のてっかぶとだんは、射距離しゃきょり500m/貫通かんつう鋼板こうはんあつ75mmとなっており(射撃しゃげき対象たいしょう防弾ぼうだん鋼板こうはん種類しゅるいてっかぶとだんたましゅ記載きさいされず不明ふめい)、M4ちゅう戦車せんしゃ車体しゃたい側面そくめん射距離しゃきょり1,500m、砲塔ほうとう側面そくめん射距離しゃきょり800m、車体しゃたい前面ぜんめん射距離しゃきょり400mで貫通かんつう、となっている[13]

また、1944-1945ねん調製ちょうせいおもわれる陸軍りくぐんだい学校がっこう研究けんきゅう資料しりょうによると、「1しき47みりめーとる速射そくしゃほう」(原文げんぶんそのまま)は、1しゅ射距離しゃきょり300m/貫通かんつう威力いりょく84mm、1しゅ射距離しゃきょり400m/貫通かんつう威力いりょく81mm、1しゅ射距離しゃきょり500m/貫通かんつう威力いりょく78mm、2しゅ射距離しゃきょり300m/貫通かんつう威力いりょく57mm、2しゅ射距離しゃきょり400m/貫通かんつう威力いりょく54mm、2しゅ射距離しゃきょり500m/貫通かんつう威力いりょく51mm、となっている[14]

なお、100mにおいて55mm、1,000mにおいて30-35mm[15]というせつもある。

一式いっしきよんじゅうななみりめーとるほうようのW-Crこうタングステンクロムこうせいてっかぶとだんは「とくかぶと」と呼称こしょうされ、大戦たいせん後半こうはん少数しょうすう製造せいぞうされた[16]。なお、ニッケルクロムこうせい弾丸だんがんを「とくおつ」とんだが、こちらは実際じっさい製造せいぞうされたかどうか不明ふめいである[17]

なお、一式いっしきてっかぶとだんより新型しんがたであるよんしきとおるかぶとだんは、終戦しゅうせん完成かんせいひんやく5,000はつ半途はんとひんやく30,000はつ存在そんざいしていた[16]

派生はせいがた

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ほんほう改良かいりょうがたとして、1943ねん昭和しょうわ18ねんいち技研ぎけん修正しゅうせい研究けんきゅう計画けいかく一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうIIがたがある。一式いっしきちゅう戦車せんしゃ チヘ搭載とうさいほうとして、従来じゅうらい肩当かたあて照準しょうじゅん方式ほうしきからてん杷(ハンドル)照準しょうじゅん方式ほうしき変更へんこうし、ほう防弾ぼうだん改修かいしゅう砲手ほうしゅよう潜望鏡せんぼうきょう付与ふよげきはつ方式ほうしき電気でんき発火はっか方式ほうしきへの改良かいりょうなどがおこなわれている[18][19]

ほんほう基礎きそとした派生はせいがたとして、昭和しょうわ18年度ねんどだいいち陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ研究けんきゅう計画けいかく試製しせいよんじゅうななみりめーとるたん戦車せんしゃほうがある。しんけい戦車せんしゃしきけい戦車せんしゃ ケホ搭載とうさいようとして1942ねん昭和しょうわ17ねん)9がつ研究けんきゅう着手ちゃくしゅし、翌年よくねん6がつ竣工しゅんこう試験しけん同年どうねん10がつ実用じつよう試験しけん同年どうねん12がつ完成かんせい予定よていだった。だいいち陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ修正しゅうせい研究けんきゅう計画けいかくでは、初速しょそく740m/びょう高低こうていしゃかい-15~+20方向ほうこうしゃかい左右さゆうかく10など具体ぐたいてき数字すうじげられているが、完成かんせい予定よてい1945ねん昭和しょうわ20ねん)3がつと、大幅おおはばにずれんでいる。

生産せいさん

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大阪おおさか造兵ぞうへいしょうだいいち製造せいぞうしょ1942ねん昭和しょうわ17ねん)10がつまつ火砲かほう製造せいぞう完成かんせいすうによれば、この時点じてんでのほんほう累積るいせき製造せいぞうすうは230もんであった。また、1943ねん昭和しょうわ18ねん)3がつまつにおける整備せいびじょうきょう調査ちょうさでは、昭和しょうわ17年度ねんど昭和しょうわ17ねん4がつ-昭和しょうわ18ねん3がつ)に317もん製造せいぞうしている[2]1944ねん昭和しょうわ19ねん)9がつ兵器へいき行政ぎょうせい本部ほんぶした昭和しょうわ19年度ねんど整備せいびかんする機密きみつ指示しじでは、430もん予定よていしていた一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう製造せいぞうを330もん縮小しゅくしょうし、同時どうじ一式いっしきよんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうIIがた150もん追加ついか指示しじされている[20]

ちょう砲身ほうしん57mm戦車せんしゃほうとの比較ひかく試験しけん

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はら乙未おとみせい回顧かいころくによれば、きゅうななしきちゅう戦車せんしゃ チハ主砲しゅほう更新こうしんするにあたり、それまでの標準ひょうじゅんであった57mmたんのうえてちょう砲身ほうしん57mmほうと47mmほう試作しさくして比較ひかくした結果けっか貫徹かんてつりょくは57mmが上回うわまわっていたが、対戦たいせんしゃほうとして47mmほう採用さいようするはこびとなったため、戦車せんしゃほうとしても47mmほう採用さいようしたという[21]。このちょう砲身ほうしん57mmほうは49口径こうけい初速しょそく830m/sであったとされる[2]。ただし、このほうについての試験しけん記録きろく試製しせいなどにかんする資料しりょうになく、詳細しょうさい不明ふめいである。

ほんほう試製しせいおよび採用さいようちか時期じき試験しけんされた57mm口径こうけいこう初速しょそくほうとしては改造かいぞうしきじゅうななみりめーとるほう[注釈ちゅうしゃく 1]がある。どうほうは、1940ねん昭和しょうわ15ねん)9-11月に試験しけんおこなわれて試製しせいよんじゅうななみりめーとるほうしきさんじゅうななみりめーとるほうきゅうよんしきさんじゅうななみりめーとるほう貫徹かんてつりょく比較ひかくされており、そうやくを400gから徐々じょじょやした結果けっか実用じつようじょう限界げんかい初速しょそくは750m/sと判定はんていされた(試験しけんちゅうに780m/sで薬莢やっきょうせなくなった)[23]。また、駆逐くちく戦車せんしゃようとして1941ねん昭和しょうわ16ねん)3がつ研究けんきゅう開始かいしされた試製しせいじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうは、1944ねん昭和しょうわ19ねん)5がつよんしきちゅう戦車せんしゃ チト1号車ごうしゃ搭載とうさいされて射撃しゃげき試験しけんおこなった(48.5口径こうけい初速しょそく810m/s)が、試験しけん直後ちょくごよんしきちゅう戦車せんしゃしきちゅう戦車せんしゃ チリよう予定よていされていたしきななせんちめーとるはん戦車せんしゃほう装備そうびする仕様しよう設計せっけい変更へんこうされた[24]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」359ぺーじ
  2. ^ a b c 日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」347-348ぺーじ
  3. ^ どう条件じょうけんだいしゅたいしてはおかせてっちょうびていることやどう時期じきべつ資料しりょう下記かき)ではどういち距離きょりで72mm貫通かんつうとなっておりもと資料しりょう誤記ごき可能かのうせいもある
  4. ^ 試製しせい一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう研究けんきゅう報告ほうこく」による
  5. ^ a b だい1かい陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究けんきゅうかい兵器へいき分科ぶんか講演こうえん記録きろくだい1かん)」24ぺーじ
  6. ^ だい1かい陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究けんきゅうかい兵器へいき分科ぶんか講演こうえん記録きろくだい1かん)」 附図ふずだいなな貫通かんつう曲線きょくせんより
  7. ^ だい1かい陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究けんきゅうかい兵器へいき分科ぶんか講演こうえん記録きろくだい1かん)」22ぺーじ
  8. ^ 「"The Most Effective Jap Tank" from Intelligence Bulletin, July 1945」 http://www.lonesentry.com/articles/jp_type97_tank/index.html
  9. ^ "Japanese Tank and AntiTank Warfare" http://usacac.army.mil/cac2/cgsc/carl/wwIIspec/number34.pdf
  10. ^ "Japanese Tank and AntiTank Warfare"の記載きさいしょもとより
  11. ^ Catalog Of Enemy Ordnance Materiel - U.S. Army Office Chief of Ordnance, 1 March, 1945 https://archive.org/details/CatalogOfEnemyOrdnanceMateriel/page/n0/?view=theater
  12. ^ 『Enemy on Luzon: An Intelligence Summary』 p194, U.S. Sixth Army, 1 December 1945 - Part1: http://cgsc.cdmhost.com/utils/getdownloaditem/collection/p4013coll8/id/3185/filename/3199.pdf/mapsto/pdf Part2: http://cgsc.cdmhost.com/utils/getdownloaditem/collection/p4013coll8/id/3186/filename/3200.pdf/mapsto/pdf - U.S. Army Command and General Staff College (CGSC), Combined Arms Research Library (CARL) Digital Library.
  13. ^ 白井しらい明雄あきお日本にっぽん陸軍りくぐんせんくん」の研究けんきゅう』 94ぺーじ、107ぺーじ
  14. ^ 陸戦りくせん学会がっかい近代きんだい戦争せんそう概説がいせつ 資料集しりょうしゅう」 p93。 とおるかぶとだんたましゅ記載きさいされず不明ふめい射撃しゃげき対象たいしょう防弾ぼうだん鋼板こうはんは、陸軍りくぐんほか対戦たいせんしゃ火砲かほう試験しけん資料しりょう表記ひょうきしたがえば、「1しゅ」はだい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん、「2しゅ」はだいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはんのことをすとおもわれる。また、「近代きんだい戦争せんそう概説がいせつ 資料集しりょうしゅう」 p92のべつ資料しりょう記述きじゅつから、「1しゅ」は弾頭だんとうぼうのある試製しせいAPCであり、「2しゅ」は通常つうじょう弾頭だんとうのAPであるとして、「1しゅ・2しゅ」はてっかぶとだんたましゅす、とする推測すいそくもある
  15. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん戦車せんしゃ」ストライクアンドタクティカルマガジン2010ねん11がつごう別冊べっさつ 2010ねん10がつ13にちだい7かんだい9ごう通算つうさん48ごう) 164ページ、株式会社かぶしきがいしゃカマド
  16. ^ a b 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」169ぺーじ
  17. ^ 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」169ぺーじ。ニッケルクロムこうせい弾丸だんがんとくおつ呼称こしょうするむね記載きさいされているが、とくかぶと製造せいぞう配備はいびされたとべられているのにたいして、とくおつについて製造せいぞうされたかどうかの言及げんきゅうはない
  18. ^ 昭和しょうわ18年度ねんどいち技研ぎけん修正しゅうせい研究けんきゅう計画けいかく」 Ref.A03032214000
  19. ^ 国本くにもと康文やすふみ一式いっしきちゅう戦車せんしゃ図面ずめんしゅう(上巻じょうかん)」 p.12
  20. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」349ぺーじ
  21. ^ 原典げんてんはら乙未おとみせい機械きかい兵器へいき開発かいはつ私家版しかばん回顧かいころく 54ページ。「日本にっぽん陸軍りくぐん戦車せんしゃ」ストライクアンドタクティカルマガジン2010ねん11がつごう別冊べっさつ 2010ねん10がつ13にちだい7かんだい9ごう通算つうさん48ごう) 164ページ、株式会社かぶしきがいしゃカマド に部分ぶぶん収載しゅうさい
  22. ^ 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほうたい戦車せんしゃほう』187ページより。
  23. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」187-201ぺーじ
  24. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」360-362ぺーじ

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 砲身ほうしんちょう2727mm、砲身ほうしん重量じゅうりょうは329kg、砲弾ほうだん本体ほんたい重量じゅうりょうやく2.7kg、弾薬だんやく重量じゅうりょうは4.4㎏である[22]、またほうこう初速しょそくは600m/sであった。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 試製しせい一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう研究けんきゅう報告ほうこくアジア歴史れきし資料しりょうセンター(JACAR) Ref.A03032093000
  • 陸軍りくぐんしょう技術ぎじゅつ本部ほんぶだいだい1かい陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究けんきゅうかい兵器へいき分科ぶんか講演こうえん記録きろく(だい1かん)」アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A03032065000
  • 陸軍りくぐんしょう昭和しょうわ18年度ねんどいち技研ぎけん修正しゅうせい研究けんきゅう計画けいかく」アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A03032214000
  • 国本くにもと康文やすふみ一式いっしきちゅう戦車せんしゃ図面ずめんしゅう(上巻じょうかん)」国本くにもと戦車せんしゃじゅく、2013ねん
  • 佐山さやま二郎じろう機甲きこう入門にゅうもん光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ、2002ねん ISBN 4-7698-2362-2
  • 佐山さやま二郎じろう大砲たいほう入門にゅうもん光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ、2008ねん ISBN 978-4-7698-2245-5
  • 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ、2011ねん ISBN 978-4-7698-2697-2
  • 白井しらい明雄あきお日本にっぽん陸軍りくぐんせんくん」の研究けんきゅう芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん 2003ねん
  • 陸戦りくせん学会がっかい戦史せんし部会ぶかい 編著へんちょ近代きんだい戦争せんそう概説がいせつ 資料集しりょうしゅう陸戦りくせん学会がっかい 1984ねん

関連かんれん項目こうもく

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