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QF 3.7インチ高射こうしゃほう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
QF 3.7inch AA Gun
ロンドンハイド・パーク展開てんかいするほんほう
種類しゅるい 高射こうしゃほう
はら開発かいはつこく イギリスの旗 イギリス
運用うんよう
配備はいび期間きかん 1938-1945
配備はいびさき イギリスコモンウェルス
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう だい世界せかい大戦たいせん
開発かいはつ
製造せいぞう業者ぎょうしゃ 1937
製造せいぞう期間きかん 1937–
しょもと
重量じゅうりょう 20,541 lb (9,317 kg)
全長ぜんちょう 4.96 m
銃身じゅうしんなが /L50 185 インチ (4.7 m)
要員よういんすう 7 めい

砲弾ほうだん 28 lb (12.7 kg)
口径こうけい 3.7 インチ(94 mm)
仰角ぎょうかく -
発射はっしゃ速度そくど 10/20 はつ/ぶん
初速しょそく 792 m/s (2,598 ft/s)
最大さいだい射程しゃてい 水平すいへい距離きょり 18,800 m (61,679 ft)
こう射距離しゃきょり 12,000 m (39,370 ft)
到達とうたつ高度こうど 9,000 m (29,527 ft)
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QF 3.7インチ高射こうしゃほう(The 3.7-Inch QF AA)は、だい世界せかい大戦たいせんにおけるイギリス主力しゅりょく高射こうしゃほうである。ほんほう終戦しゅうせんも1950年代ねんだい対空たいくうミサイルえられるまでもちいられた。

概要がいよう

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だい世界せかい大戦たいせん以前いぜんおおくの国々くにぐに各々おのおの防空ぼうくうシステムの改良かいりょうにそれほど関心かんしんはらっていなかった。広範囲こうはんいおよきゅう導入どうにゅうによる1930年代ねんだい初期しょき航空機こうくうき飛躍ひやくてき進歩しんぽ作戦さくせん高度こうどいちじるしい上昇じょうしょうは、新型しんがた航空機こうくうきたいして高射こうしゃほうかぎられた有効ゆうこうせいしかたないということをしめしていた。さら心配しんぱいなことに航空機こうくうき速度そくど大幅おおはば向上こうじょうによって発見はっけん可能かのう時間じかんみじかくなることと、それにより交戦こうせんむずかしくなるとおもわれたことである。これらの事態じたいけてイギリスでは自身じしん空軍くうぐんばくげき部隊ぶたいてき防御ぼうぎょさまたげられることのない抑止よくしりょくだとかんがえ、かれらにほとんど完全かんぜん信頼しんらいくこととなった。

このような傾向けいこう変化へんかられたのは1930年代ねんだいなかばになってからである。レーダー導入どうにゅうによる探知たんち時間じかん捕捉ほそく能力のうりょく向上こうじょうは、航空機こうくうきたいする防御ぼうぎょふたた有効ゆうこうであるということを示唆しさするものであった。スーパーマリン スピットファイアのようなしん設計せっけい戦闘せんとうしん防空ぼうくう体制たいせいきずくためにばくげきより優先ゆうせんして工場こうじょうのラインにならべられた。だが新型しんがた高射こうしゃ兵器へいきたいするかんがえはとぼしく、新型しんがた航空機こうくうき活動かつどうする高度こうど到達とうたつできる射程しゃていそなえていないだいいち世界せかい大戦たいせんQF 3インチ 20cwt高射こうしゃほういまのこされている状況じょうきょうであった。30,000フィートで活動かつどうする航空機こうくうき対処たいしょできうる新型しんがた高射こうしゃほう要求ようきゅうされ、これがほんほう開発かいはつのきっかけとなった。

開発かいはつきゅうピッチですすめられ、1937ねん初頭しょとうには製造せいぞうされたほう配備はいびいた。1938ねん1がつ1にち時点じてんでイギリスぐん防空ぼうくう部隊ぶたい口径こうけい50mm以上いじょう高射こうしゃほうをわずかに180もんしかゆうしておらず、そのほとんどは旧式きゅうしきの3インチ高射こうしゃほうであった。この数字すうじミュンヘン会談かいだんおこなわれた同年どうねん9がつには341もんまでえることとなり、だい世界せかい大戦たいせん宣戦せんせん布告ふこくおこなわれた1939ねん9月には540もんとなった。そしてバトル・オブ・ブリテン最中さいちゅうにこの数字すうじは1,140もんたっした。ほんほうもと誕生たんじょうしたいくつかの派生はせいがた製造せいぞう継続けいぞくされ、最終さいしゅうがたであるMk.VIは1959ねんまで配備はいびされていた。固定こていしきほう、および配置はいちについたとき安定あんていさせるようじゅうがたほうあしゆうする移動いどうしきほう使用しようされた。移動いどうさせるさいにはあしたたみ、一対いっつい砲車ほうしゃろしてAECマタドール牽引けんいんしゃつないだ。

対戦たいせんしゃほうとして

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3.7インチ(94mm)ほう緊急きんきゅうかぎられたれいのぞいては対戦たいせんしゃほうとしてもちいられることはほとんどかった。これはドイツが1940ねん以降いこうほんほう類似るいじしたほうである"88"こと88mm高射こうしゃほう対戦たいせんしゃ防御ぼうぎょ兵器へいき一体いったいしていたのとは対照たいしょうてきである。またアメリカでも1942ねん以降いこうM2/M3 90mm高射こうしゃほうを、その能力のうりょく評価ひょうかして対戦たいせんしゃ任務にんむけていた。

おも理由りゆうとしては3.7インチほう機動きどうほうは"88"のばい重量じゅうりょうがあったことがげられる。ほんほうさい配置はいちには時間じかんがかかり、また重量じゅうりょうのあるAEC マタドール牽引けんいんしゃ通常つうじょう表面ひょうめんかた地形ちけいでのみ牽引けんいんもちいられていた。さらに3.7インチほう装備そうびしたじゅう高射こうしゃほう連隊れんたい軍団ぐんだんもしくはぐん司令しれい指揮しきにあり、対戦たいせんしゃ任務にんむせまられる師団しだんレベルの指揮しきかんにこれらの部隊ぶたい指揮しきゆだねられなかった。また当初とうしょ仕様しよう要求ようきゅうにはかった牽引けんいん状態じょうたいでの水平すいへい射撃しゃげきちゅう退すさおよふくようのギアを傷付きずつけた。

ほんほうトータスじゅう突撃とつげき戦車せんしゃ主砲しゅほうであるオードナンス QF 32ポンドほう原型げんけいとなった。しかしこの戦車せんしゃ最適さいてき説明せつめいはしほうである)が配備はいびされることはかった。

派生はせいがた

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ほんほう牽引けんいんするAEC マタドール牽引けんいんしゃ
Mk.I
オリジナルの型式けいしきであり、油圧ゆあつしきちゅう退すさ空気圧くうきあつしきふくからなる「発達はったつがた反動はんどうシステムが特徴とくちょうである。ふく反動はんどう吸収きゅうしゅう発射はっしゃ位置いちへの復帰ふっき双方そうほうもちいられる。戦場せんじょうにおいて空気圧くうきあつシステムは少々しょうしょう空気くうきれをこしてしまうためにしばしば空気圧くうきあつシリンダーをげる必要ひつようがあった。
Mk.II
Mk.Iとは砲身ほうしんほうつくりがことなるだけである。製造せいぞうヴィッカース・アームストロングしゃ1943ねんまでおこなわれ、それ以降いこうカナダMk.IICとして製造せいぞういだ。
Mk.III
MK.IIIはMk.IのほうとMk.IIの砲身ほうしんわせたものである。
Mk.IIIA
Mk.IIIAはMK.IIIと型式けいしきであるが、るいはすべて変更へんこうされて初期しょき型式けいしきからはおおきな進歩しんぽげた。特筆とくひつすべきは自動じどう信管しんかん設定せってい装置そうち自動じどう装填そうてん装置そうち導入どうにゅうである。これらはとも発射はっしゃ速度そくど向上こうじょう人力じんりき装填そうてんおよ信管しんかん設定せってい起因きいんする不可避ふかひ変化へんか排除はいじょをもたらし、照準しょうじゅん算定さんていをより有効ゆうこう活用かつようでき安定あんていした射撃しゃげきをもたらした。
Mk.IV
3.7インチほう開発かいはつにおける試作しさくがたであり、3.7インチほう弾薬だんやくとうわって海軍かいぐんQF 4.5インチ (110 mm) Mk.Vかんほうサイズの弾薬だんやくとう使用しようするためにライナーを使用しようするものである。しかしMK.VIのまえ採用さいようされることはかった。
Mk.V
Mk.IVと同様どうよう型式けいしきであり、おなじく採用さいようされることはかった。
Mk.VI
海軍かいぐんQF 5.25インチ(133mm)かんほうほう砲身ほうしんちょうばした新型しんがた94mm砲身ほうしんわせるというのが開発かいはつ端緒たんしょであり、ウーリッジ海軍かいぐん工廠こうしょうでプロバート大佐たいさ砲身ほうしんライフリング開発かいはつした。ライフリングみぞふかさはほうこう手前てまえ5口径こうけい弾丸だんがん直径ちょっけいの5ばいながさ)の領域りょういきにおいて徐々じょじょあさくなり、ほうこうではゼロにまで減少げんしょうする。これにより砲弾ほうだんだんたいうごきをなめらかにし、より航空こうくう力学りきがくてきした状態じょうたいにすることで弾道だんどう改善かいぜんさせる。ほんほう最大さいだいしゃだかは15,240m(50,000フィート)にたっした。ほんほうは4.5インチほう砲車ほうしゃせられるが、経済けいざいてき観点かんてんからほんほう牽引けんいんしきとしてはおもぎるためにMk.VIは固定こていしき砲座ほうざにのみ配備はいびされた。配備はいび期間きかん1944ねんから1959ねんまでであった。

使用しようこく一覧いちらん

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ほんほうようのNr.1 Mk.III照準しょうじゅん算定さんてい

日本にっぽん太平洋戦争たいへいようせんそう初期しょき南方みなかた戦線せんせん英軍えいぐんから3.7インチ高射こうしゃほう鹵獲ろかくした。鹵獲ろかくされた3.7インチほうだいいち陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ調査ちょうさされ、昭和しょうわ17ねん12月にほんほう説明せつめいしょ完成かんせいした。ほんほう押収おうしゅうさんなないんち高射こうしゃほう使用しようされた。


参考さんこう文献ぶんけん

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  • 兵器へいききょく銃砲じゅうほう押収おうしゅう高射こうしゃほう弾薬だんやく受領じゅりょうけん昭和しょうわ17ねん アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C01000457000
  • だいいち陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ押収おうしゅうさんなないんち高射こうしゃほう説明せつめいしょ昭和しょうわ17ねん アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A03032116800
  • 佐山さやま二郎じろう大砲たいほう入門にゅうもん』2008ねん 光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ ISBN 978-4-7698-2245-5

外部がいぶリンク

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