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十四年式十糎高射砲 - Wikipedia コンテンツにスキップ

じゅうよんねんしきじゅうせんちめーとる高射こうしゃほう

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制式せいしきめい じゅうよんねんしきじゅうせんちめーとる高射こうしゃほう
重量じゅうりょう 5194kg
砲身ほうしん重量じゅうりょう 1283㎏(閉鎖へいさども)
口径こうけい 105mm
砲身ほうしんちょう 4200mm
ほうこう初速しょそく 700m/s
最大さいだい射程しゃてい 16300m
最大さいだいしゃだか 10500m
俯仰ふぎょうかく 0~+85
みず平射へいしゃかく 360
製造せいぞうこく 日本にっぽん
そう生産せいさんすう 70もん

じゅうよんねんしきじゅうせんちめーとる高射こうしゃほう(じゅうよねんしきじっせんちこうしゃほう)は1925ねん大正たいしょう14ねん)に制式せいしきされた日本にっぽん陸軍りくぐん高射こうしゃほうおも要塞ようさい都市とし防空ぼうくう目的もくてきとするじゅう高射こうしゃほうで、やく70もん生産せいさん使用しようされた。

開発かいはつ

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じゅう一年式七糎半野戦高射砲野戦やせん防空ぼうくう必要ひつよう最小限さいしょうげん性能せいのうしかっていなかったため、要地ようち防空ぼうくうにはだか不足ふそくすることが予測よそくされた。このため、射撃しゃげき装置そうちなどの基本きほんてき構造こうぞうおなじにして口径こうけいを105mmに拡大かくだいしたのがじゅうよんねんしきじゅうせんちめーとる高射こうしゃほうである。

開発かいはつ着手ちゃくしゅじゅう一年式七糎半野戦高射砲と同時どうじで、どうほうさんはちしき野砲やほう基礎きそとしたようにほんほうななねんしきじゅうせんちめーとるのうほう基礎きそとして研究けんきゅうされた。しかし、だい口径こうけいともな各種かくしゅ問題もんだいのため開発かいはつ難航なんこうし、試製しせいほう完成かんせいはずっとおくれて1924ねん大正たいしょう13ねん)となった。同年どうねん陸軍りくぐん野戦やせん砲兵ほうへい学校がっこう委託いたく[1]して実用じつよう試験しけん実施じっしされ、またこう高度こうど射撃しゃげき必須ひっす機械きかいしき時限じげん信管しんかん同年どうねん11がつ完成かんせい1925ねん大正たいしょう14ねん)には制式せいしき制定せいていされた。

制式せいしき名称めいしょうに「野戦やせん」の文言もんごんがないことからもわかるように要地ようち防空ぼうくうよう陣地じんち高射こうしゃほうであるが、これはじゅういちねんしき野戦やせん高射こうしゃほうが2tだったのにたいし、じゅうよんねんしきは5tと重量じゅうりょう格段かくだんおもくなってしまっているために移動いどう手段しゅだん限定げんていされてしまっていたためである。ほうゆか自体じたい固定こていしきではなく、運搬うんぱん手段しゅだんさえ確保かくほできれば野戦やせん展開てんかい可能かのうで、じゅうようの5tホルト牽引けんいんしゃ移動いどう[2]でき、布置ふち撤収てっしゅうとも30ふん以内いない完了かんりょうできた。

だか初速しょそくじゅう一年式七糎半野戦高射砲よりも大幅おおはば向上こうじょうしたものの、口径こうけい拡大かくだいともな弾薬だんやくおもくなってしまった[3]。このため、1分間ふんかん1~2はつ程度ていど高射こうしゃほうとしては発射はっしゃ速度そくどおそくなってしまっている。これは実用じつようじょう最小限さいしょうげんぎりぎりであり、発射はっしゃ速度そくど向上こうじょうさせるため1928ねん昭和しょうわ3ねん)から自動じどう装填そうてん装置そうち研究けんきゅう開始かいしし、試行錯誤しこうさくごすえ1936ねん昭和しょうわ11ねん)に完成かんせいさせた。この装置そうちは、自動じどう装填そうてん装置そうちというよりは装填そうてん補助ほじょ装置そうちという程度ていど簡単かんたんなものであるがそれなりに有効ゆうこうで、最大さいだい発射はっしゃ速度そくどは1分間ふんかん2~3はつにまで向上こうじょうした。

運用うんよう

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制定せいてい貴重きちょうじゅう高射こうしゃほうとして本土ほんどることはなかった。本土ほんど防空ぼうくうせんたたかころには、さらにすぐれたさんしきじゅうせんちめーとる高射こうしゃほう実用じつようにより、おも西部せいぶ高射こうしゃほう集団しゅうだん[4]高射こうしゃほうだい133連隊れんたいおよび高射こうしゃほうだい134連隊れんたい配備はいびされ、北九州きたきゅうしゅうとく八幡やはた製鉄せいてつしょ防空ぼうくう使用しようされた。

一部いちぶが1933ねん昭和しょうわ8ねん)の臨時りんじ装甲そうこう列車れっしゃや、1934ねん昭和しょうわ9ねん)のきゅうよんしき装甲そうこう列車れっしゃ主砲しゅほうとして搭載とうさいされ、満州まんしゅう中国ちゅうごく大陸たいりく活躍かつやくした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 当時とうじ、まだ防空ぼうくう学校がっこう存在そんざいしなかった。
  2. ^ 牽引けんいん速度そくどは9km/h。
  3. ^ 高射こうしゃ尖鋭せんえいだん弾薬だんやくとう重量じゅうりょうは24kgにたっし、高射こうしゃほうであるため装填そうてん角度かくどきゅうで、こしいためる砲手ほうしゅ続出ぞくしゅつした。
  4. ^ のち高射こうしゃだい4師団しだんより派出はしゅつだい56ぐん高射こうしゃほうたい

関連かんれん項目こうもく

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