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試製しせい機動きどうじゅうななみりめーとるほう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

制式せいしきめい 試製しせい機動きどうじゅうななみりめーとるほう
試製しせいしきじゅうななみりめーとるほうとの記載きさいもある)
砲身ほうしんちょう 3.255m(57口径こうけい
放列ほうれつ砲車ほうしゃ重量じゅうりょう 1080kg(牽引けんいん重量じゅうりょう1,540kg)
口径こうけい 57mm
初速しょそく 850m/びょう(870m/びょうというせつもある)
最大さいだい射程しゃてい 8,000m
俯仰ふぎょうかく -610ふん~+19
みず平射へいしゃかく やく47
くすりしつ 自動じどう開閉かいへい水平すいへいくさりせんしき
こう座長ざちょう 1100~1250mm
使用しようだんしゅ とおるきのえだん(たまりょう:2.7kg/弾薬だんやくとう重量じゅうりょう:5.6kg)
榴弾りゅうだん
だん
使用しよう勢力せいりょく  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
生産せいさんすう 試作しさくのみ

試製しせい機動きどうじゅうななみりめーとるほう(しせいきどう57みりほう)は、1941ねん昭和しょうわ16ねん)より大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん研究けんきゅう開発かいはつした対戦たいせんしゃほう速射そくしゃほう)。

概要がいよう

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1939ねん昭和しょうわ14ねん)9がつより開発かいはつちゅうであった試製しせいよんじゅうななみりめーとるほう は、初速しょそく精度せいどなど全般ぜんぱんてき性能せいのう各国かっこくの45mmきゅうたい戦車せんしゃほう比較ひかくして遜色そんしょくのないものだったが、じゅう戦車せんしゃきゅうてき戦車せんしゃたいする対戦たいせんしゃ能力のうりょくには不足ふそくかんがえられたため、試製しせいよんじゅうななみりめーとるほう上回うわまわ威力いりょく機動きどうせいった57mmきゅうたい戦車せんしゃほうとして1941ねん昭和しょうわ16ねん)3がつより研究けんきゅう開始かいしされた。

一方いっぽうすで枢軸すうじくこく交戦こうせんしていた連合れんごうぐんでは同級どうきゅうたい戦車せんしゃほうとしてQF 6ポンドほうが1940ねん完成かんせい、1941ねん11月より生産せいさん開始かいしされていた。

開発かいはつ

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試製しせい機動きどうじゅうななみりめーとるほう一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう拡大かくだいばんともいえるもので、試作しさくさいしてちゅう退すさなど一部いちぶ部品ぶひん一式いっしきのものが流用りゅうようされた。当初とうしょ計画けいかくでは1941ねん10がつより研究けんきゅう開発かいはつ着手ちゃくしゅ1942ねん昭和しょうわ17ねん)10がつには試作しさくほう実用じつよう試験しけん完了かんりょうさせる予定よていであった。しかし太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう開戦かいせんにより開発かいはつ遅延ちえんしてしまう。1942ねん7がつ試作しさくほう完成かんせい試験しけん開始かいしされ、1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつには富士ふじ瀧ヶ原たきがはら演習えんしゅうじょうにて射撃しゃげき試験しけん実施じっしされた。射撃しゃげき試験しけん結果けっかおおむ開発かいはつ条件じょうけんたし良好りょうこうであった(この時期じき資料しりょうには「試製しせいしきじゅうななみりめーとるほう」の名称めいしょう記載きさいもあるという[1])。

ほんほうのために試製しせいされたたましゅは、試製しせい一式いっしきてっかぶとだん試製しせいしき榴弾りゅうだん試製しせいしき目標もくひょう指示しじだん、タだんなどがある。


しかしながら遅延ちえんしたほんほう開発かいはつあいだに、急速きゅうそく発展はってんしたじゅう装甲そうこう新型しんがた戦車せんしゃ連合れんごうこく次々つぎつぎ出現しゅつげんしたことや、それらに対抗たいこうするには、重量じゅうりょうわりには威力いりょくひくい(射距離しゃきょり1000mにて装甲そうこう60mm貫通かんつう。また資料しりょうによってはじゅうななみりめーとるちょうのうとして射距離しゃきょり500mにて装甲そうこう75mm貫通かんつう射距離しゃきょり1000mにて装甲そうこう65mm貫通かんつうとの数値すうちもある。[2] )とされたことなど、57mmきゅうたい戦車せんしゃほう上回うわまわ新型しんがたたい戦車せんしゃほう要望ようぼうつよまったことから、1943ねん6がつ30にち軍需ぐんじゅ審議しんぎかい幹事かんじかいにおいて開発かいはつ正式せいしき中止ちゅうしされ、ほんほう採用さいようされることはかった。

わりとして、将来しょうらい想定そうていされる連合れんごうこくじゅう戦車せんしゃ対抗たいこうする新型しんがたたい戦車せんしゃほうとして射距離しゃきょり1000mにて装甲そうこう150~200mmを貫通かんつう口径こうけい105mmの試製しせいじゅうせんちめーとるたい戦車せんしゃほう(カトほう)がはししき(カト)として開発かいはつされることになる。

派生はせいがた

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ほんほうおな弾薬だんやく共用きょうようする戦車せんしゃほうとして、1941ねん3がつより研究けんきゅう開始かいしされた試製しせいじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう試製しせいせんちめーとるなな戦車せんしゃほうしん)がある。どうほうよんしきちゅう戦車せんしゃ試作しさく1号車ごうしゃ搭載とうさいされた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」p207。
  2. ^ 佐山さやま二郎じろう機甲きこう入門にゅうもん」p530

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう ISBN 978-4-7698-2697-2 光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ、2011ねん
  • 佐山さやま二郎じろう機甲きこう入門にゅうもんISBN 4-7698-2362-2 光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ、2002ねん


関連かんれん項目こうもく

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