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しきちゅう戦車せんしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
しきちゅう戦車せんしゃ チリ
終戦しゅうせん直後ちょくごのチリしゃ砲塔ほうとううしきだが、はん自動じどう装填そうてん装置そうち不調ふちょうでこの時点じてんでは主砲しゅほう搭載とうさいされておらず、ぼうだてばんふさがれていた
性能せいのうしょもと
全長ぜんちょう 8.467 m
車体しゃたいちょう 7.307 m[1]
全幅ぜんぷく 3.07 m[1]
ぜんこう 3.049 m[1]
重量じゅうりょう 重量じゅうりょう35 トン、全備ぜんび重量じゅうりょうやく36 トン[1]自重じちょう37 トン[2]せつもあり)
懸架けんか方式ほうしき 平衡へいこうしき連動れんどう懸架けんか装置そうち弦巻つるまきバネ
速度そくど 45 km/h[2]
昭和しょうわ20ねん3がつ時点じてん最大さいだい速度そくど42 km/h[1]
行動こうどう距離きょり 180 kmから200 km
主砲しゅほう 試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)Iがた×1
(75 mm、弾薬だんやく搭載とうさいりょう 100 はつ
ふく武装ぶそう 一式いっしきさんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう×1
(37 mm、弾薬だんやく搭載とうさいりょう 102 はつ
きゅうななしき車載しゃさいじゅう機関きかんじゅう×2
(7.7 mm、弾薬だんやく搭載とうさいりょう 5000 はつ
装甲そうこう
砲塔ほうとう
  • 前面ぜんめん75 mm
  • 側面そくめん35~50 mm
  • こうめん50 mm
  • 上面うわつら20 mm
車体しゃたい
  • 前面ぜんめん75 mm
  • 側面そくめん25~50 mm
  • こうめん50 mm
  • 上面うわつら20 mm
  • 下面かめん12 mm
エンジン ハ9-IIおつ 川崎かわさききゅうはちしきはち〇〇馬力ばりき発動はつどう改造かいぞう
えきひやVがた12気筒きとうガソリンエンジン
550 hp/1,500 rpm
乗員じょういん 6 めい(5 めいせつもあり)
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しきちゅう戦車せんしゃ チリ(ごしきちゅうせんしゃ チリ)は、だい世界せかい大戦たいせんどき大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん試作しさく戦車せんしゃちゅう戦車せんしゃ)である。

概要がいよう

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設計せっけい開発かいはついたぜん段階だんかい構想こうそうとして、1942ねん昭和しょうわ17ねん)9がつ陸軍りくぐん兵器へいき行政ぎょうせい本部ほんぶ研究けんきゅう方針ほうしんなかちょう砲身ほうしん57mm戦車せんしゃほう搭載とうさい新中しんなか戦車せんしゃおつ存在そんざいがある。これは固定こていしき戦闘せんとうしつ駆逐くちく戦車せんしゃであったが、方針ほうしん変更へんこうによりちょう砲身ほうしん75mm戦車せんしゃほう搭載とうさいの35tきゅうちゅう戦車せんしゃ要求ようきゅうげられた。

チリチリしゃ)の具体ぐたいてき開発かいはつ1943ねん昭和しょうわ18ねん)7がつの「兵器へいき行政ぎょうせい本部ほんぶ研究けんきゅう方針ほうしん」の変更へんこうによりはじまる。この変更へんこうどくせんにおけるドイツぐんソ連それんぐんあいだ発生はっせいした戦車せんしゃせん状況じょうきょうりょうぐん投入とうにゅうした戦車せんしゃ性能せいのうとう分析ぶんせき検討けんとうした結果けっかであった。これにより陸軍りくぐん戦車せんしゃ開発かいはつは、従来じゅうらい歩兵ほへいじききょう重視じゅうし戦車せんしゃせんへのある程度ていど対応たいおうから、明確めいかく戦車せんしゃせん重視じゅうしした戦車せんしゃ開発かいはつへと転換てんかんされた。また各種かくしゅ要目ようもく数値すうちおおきな変更へんこうくわえられた。ちゅう戦車せんしゃ要求ようきゅうされる全備ぜんび重量じゅうりょう従来じゅうらいの20tきゅうから35tきゅうへとがり、搭載とうさいする主砲しゅほう口径こうけいが57mmから75mmへ、最大さいだい装甲そうこうあつが50mmから75mmへと増強ぞうきょうされた。

この最大さいだい装甲そうこう75mmの由来ゆらいは、どくせん情報じょうほうからたKVじゅう戦車せんしゃつ75mmの前面ぜんめん装甲そうこう参考さんこうにしたともわれ、75mm野砲やほうえ、撃破げきはするには88mmほう水平すいへい射撃しゃげき必要ひつよう数値すうちとされている[3]。(あるいは、ソ連それん主用しゅようしていた76mmきゅうたい戦車せんしゃほうを500mでえるものともわれる[4]。)

1943ねん6がつ30にち軍需ぐんじゅ審議しんぎかい幹事かんじかいでの発言はつげん内容ないようにおいては、転換てんかん理由りゆうを、新規しんき開発かいはつされたドイツ・ソ連それん戦車せんしゃ装甲そうこう火力かりょく目覚めざましい強化きょうかにあるとべている。従来じゅうらい陸軍りくぐん戦車せんしゃ開発かいはつ大量たいりょう生産せいさんてきした観点かんてんから研究けんきゅう方針ほうしんめられていたが、情勢じょうせいへの対応たいおうとして、しつ絶対ぜったいした研究けんきゅう方針ほうしんへと改正かいせいした。戦車せんしゃほう最大さいだい限度げんど技術ぎじゅつりょく限度げんど考慮こうりょして75mmと決定けっていされ、火力かりょく従来じゅうらい研究けんきゅうにより射距離しゃきょり1,000mで80mmをぬき可能かのう報告ほうこくされた。装甲そうこう限度げんど敏捷びんしょうせい考慮こうりょしたうえ最大限さいだいげん要求ようきゅうし、75mmあつ限度げんどであるとされた。行動こうどう半径はんけいはまずガソリンエンジン搭載とうさい前提ぜんていとし、20kmで8あいだ行動こうどう可能かのうであればであると構想こうそうされた。

(この変更へんこう前年ぜんねんである昭和しょうわ17ねん10がつごろには、旋回せんかい砲塔ほうとう搭載とうさい可能かのう火砲かほう口径こうけい平射へいしゃようは75mm、曲射きょくしゃようなら105mmきゅうまでとし、それ以上いじょうもの旋回せんかい砲塔ほうとうしき搭載とうさいする場合ばあい大量たいりょう生産せいさんてきさない特殊とくしゅなものになるという意見いけんされていた[5]。)

なお、同日どうじつ軍需ぐんじゅ審議しんぎかいでは新鋭しんえいソ連それんじゅう戦車せんしゃたいしては75mmほうでは攻撃こうげきりょく不足ふそくしていたため、その対策たいさくとして、だい口径こうけい105mm戦車せんしゃほう試製しせいじゅうせんちめーとる戦車せんしゃほうちょう)を旋回せんかい砲塔ほうとうしきではなく固定こていしき搭載とうさいした試製しせいしん砲戦ほうせんしゃかぶと) ホリホリしゃ)および、105mm対戦たいせんしゃほう試製しせいじゅうせんちめーとるたい戦車せんしゃほう搭載とうさい試製しせい十糎対戦車自走砲 カトカトしゃ)(対戦たいせんしゃはしほう)の開発かいはつ計画けいかくされている。チリしゃはホリしゃ・カトしゃとともにたい新鋭しんえい戦車せんしゃ力戦りきせん中核ちゅうかくとなるべき存在そんざいであった。

設計せっけい製作せいさくだい4陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょほか三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう東京とうきょう機器きき製作所せいさくしょ担当たんとうした。1943ねん8がつ19にち三菱みつびし東京とうきょう機器きき製作所せいさくしょにおいて会議かいぎおこなわれ、チリしゃ開発かいはつかん細部さいぶ討論とうろんおこなわれた。内容ないようVがた12気筒きとうガソリンエンジンの採用さいよう、エンジンの艤装ぎそう整備せいび方法ほうほう変速へんそくみさおこう装置そうち緩衝かんしょう機構きこう型式けいしきとうである。35tのだい重量じゅうりょううごかすため、変速へんそくみさおこう装置そうちかんして意見いけん集中しゅうちゅうした。8月28にちには4技研ぎけん車体しゃたい構成こうせいはん自動じどう装填そうてん装置そうち、エンジンの整備せいび方法ほうほう変速へんそくみさおむこう確実かくじつせい懸架けんか装置そうちくつたいについて討論とうろんおこなわれた。9月23にち三菱みつびし東京とうきょう機器きき製作所せいさくしょでモックアップの模型もけいもちいて討論とうろんおこなわれた。ここではだい一案いちあんだいあん提示ていじされた。だい一案いちあんやく1ねん実現じつげんできる現実げんじつてき内容ないようであった。

だい一案いちあんしょもと[1]は、全備ぜんび重量じゅうりょう34.8トン(自重じちょう29.8トン)、全長ぜんちょう6.9m(車体しゃたいちょう)、全幅ぜんはば3.12m、全高ぜんこう2.97m。車体しゃたい前面ぜんめんおよ砲塔ほうとう前面ぜんめん装甲そうこう75ミリ、前方ぜんぽう斜面しゃめん50ミリ、側面そくめん35ミリ、上面うわつら20ミリ。BMW600馬力ばりき水冷すいれいガソリン機関きかん搭載とうさい常用じょうよう速度そくど40km/h。75ミリ56口径こうけい戦車せんしゃほう1もん、37mm戦車せんしゃほう1もん機銃きじゅう3てい車載しゃさい無線むせんおつへい(またはかぶとおつ)であった。だい一案いちあん砲塔ほうとう試作しさくしゃ砲塔ほうとうよりも小型こがたであり、さんしきちゅう戦車せんしゃ砲塔ほうとう類似るいじした形状けいじょうさんしきちゅう戦車せんしゃ砲塔ほうとう設計せっけいさいには、このだい一案いちあん設計せっけい流用りゅうようしたともされる。)となっていた。

だいあん従来じゅうらい欠点けってん改良かいりょうどく戦車せんしゃからの技術ぎじゅつれ、せんくん活用かつよう大量たいりょう生産せいさん容易よういとうねらった斬新ざんしんなものとされた。また細部さいぶにおいて様々さまざま検討けんとう内容ないよう提案ていあんされた。なお、ファインモールド社長しゃちょうであり、日本にっぽんぐん戦車せんしゃ研究けんきゅうである鈴木すずき邦宏くにひろは、こののちのチリしゃ試作しさくおよ竣工しゅんこう試験しけんかんする資料しりょう発見はっけんされず不明瞭ふめいりょうとしている。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)4がつ25にち段階だんかい大阪おおさか陸軍りくぐん造兵ぞうへいしょうたいし、試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほう発注はっちゅう予告よこくおこなわれた。9月まつに4輛分、10月に1輛分である。チリしゃ量産りょうさん予定よてい1945ねん昭和しょうわ20ねん以降いこうとされた。開発かいはつ担当たんとうしゃ回想かいそうによれば、1945ねん3がつ19にちにチリしゃ供覧きょうらんおこなわれ、また4技研ぎけん資料しりょうでは同月どうげつ富士裾野ふじすその走行そうこう発射はっしゃ試験しけんおこなわれたとされる。

チリしゃは1945ねん3がつ完成かんせい予定よていだったが、車体しゃたい砲塔ほうとうがほぼ完成かんせいした状態じょうたい終戦しゅうせんとなった。新鋭しんえいちゅう戦車せんしゃ量産りょうさん計画けいかくよんしきちゅう戦車せんしゃ チトチトしゃ)に集中しゅうちゅうし、同年どうねん3がつ29にち整備せいび予定よていによれば、チリしゃ量産りょうさん予定よていはなく、主砲しゅほう生産せいさんおこなわれなかった。本来ほんらいちょう砲身ほうしん57mm戦車せんしゃほう搭載とうさい予定よていのチトしゃが1944ねん4がつちょう砲身ほうしん75mmほう搭載とうさいするよう開発かいはつ計画けいかく変更へんこうされ、本命ほんめい格上かくあげされたため、チリしゃ軍需ぐんじゅ動員どういん計画けいかくじょうげられた整備せいびすうは、昭和しょうわ19年度ねんどに5りょう昭和しょうわ20年度ねんどに0りょう量産りょうさん断念だんねんしたかたちになっている。1946ねん昭和しょうわ21ねんちゅう量産りょうさん予定よていく、だい大戦たいせんなかのチリしゃ製作せいさく試作しさく1りょうのみで終了しゅうりょうした。

戦後せんごほんしゃ興味きょうみしめしたアメリカぐんにより接収せっしゅうされ、ふねメリーランドしゅうアバディーン性能せいのう試験場しけんじょう(1952ねん10がつ4にち撮影さつえいされた、チトなど日本にっぽんぐん車両しゃりょうとともにならんでいる映像えいぞうのこされているので、アバディーンに輸送ゆそうされたのは確実かくじつである)[6][出典しゅってん無効むこう]輸送ゆそうされ、そのスクラップにされたものとおもわれる[独自どくじ研究けんきゅう?]

  • [1] - 「ORD. TECH. INTEL.」とかれた、しきちゅう戦車せんしゃチリの車体しゃたい前面ぜんめん
  • [2] - 「EXP. MODEL HEAVY 45 TONS」とかれた、しきちゅう戦車せんしゃチリの車体しゃたい左側ひだりがわめん

構造こうぞう

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チリしゃ国産こくさん戦車せんしゃとしては多数たすうしん機軸きじく搭載とうさいした、試作しさく戦車せんしゃとしてもとく実験じっけんてき要素ようそつよいものであった。それらは75mmの最大さいだい装甲そうこうあつ対戦たいせんしゃ戦闘せんとうつよ意識いしきした口径こうけい75mmのちょう砲身ほうしんだか初速しょそくほう重量じゅうりょうきゅう砲兵ほうへいそうおよ砲塔ほうとう駆動くどうさせる電動でんどうしき砲塔ほうとう旋回せんかい装置そうち砲塔ほうとうバスケット、35tの重量じゅうりょう緩衝かんしょう制御せいぎょしうるあしまわり、40km/hで走行そうこうさせるためのだい出力しゅつりょくえきひやガソリンエンジン、重量じゅうりょうきゅう砲弾ほうだん人力じんりきによらず装填そうてんするためのはん自動じどう装填そうてん装置そうち、などである。こうした装備そうび開発かいはつ搭載とうさいは、従来じゅうらい主力しゅりょくちゅう戦車せんしゃであったきゅうななしきちゅう戦車せんしゃ チハ(チハしゃ)と比較ひかくし、技術ぎじゅつてきによりたか水準すいじゅん要求ようきゅうされるものであった。

全体ぜんたいてき構造こうぞうとしては、ほんしゃ車体しゃたい後方こうほう機関きかんしつ車体しゃたい中央ちゅうおう砲塔ほうとうおよび戦闘せんとうしつもうけ、車体しゃたい前方ぜんぽうには操縦そうじゅうしつふくほうおよび変速へんそくみさおむこう収容しゅうようする設計せっけいおこなわれている。大戦たいせん中期ちゅうきから後期こうき時期じきに、車体しゃたい前面ぜんめんふくほう装備そうびする設計せっけい世界せかいてきにも異色いしょくであった。あしまわりは全幅ぜんはば600mmの広軌こうきくつたい装備そうびし、片側かたがわ8てん装備そうび、これらをづるまきバネにより懸架けんかして走行そうこう衝撃しょうげきとう緩衝かんしょうしている。装甲そうこうぜん溶接ようせつしきてられた。避弾けいはじめれは設計せっけい要項ようこうまれたが積極せっきょくてき実現じつげんおこなわれておらず、かく装甲そうこうめん垂直すいちょくちか角度かくど設計せっけい構成こうせいされている。多面ためんてき構成こうせいすくない、直線ちょくせんてきいちまいいたおお外形がいけいすべ溶接ようせつてられた。

チリしゃ全長ぜんちょう7.307m、全幅ぜんはば3.07m、全高ぜんこう3.049mという寸法すんぽう、および40tちか全備ぜんび重量じゅうりょうは、国産こくさんちゅう戦車せんしゃとしては最大さいだいきゅうかつもっとおもいものであったが、外地がいちへの輸送ゆそう大陸たいりく方面ほうめんかぎり、当時とうじ日本にっぽんぐん勢力せいりょくけんにあった大連たいれんみなとなどで陸揚りくあげが可能かのうであり[注釈ちゅうしゃく 1]、また鉄道てつどう輸送ゆそう限界げんかいにかろうじておさまっていた[注釈ちゅうしゃく 2]。ただし、ぎゃくえば鉄道てつどう輸送ゆそう考慮こうりょれるかぎり、これ以上いじょう大型おおがたかつおも戦車せんしゃ開発かいはつ不可能ふかのうだったうえ、チリしゃ試作しさく車体しゃたい完成かんせいした段階だんかい輸送ゆそうする外地がいちはなかった。

武装ぶそうには、砲塔ほうとうはん自動じどう装填そうてん装置そうちづけ試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)Iがた(56口径こうけい75mm、初速しょそく850m/s)、車体しゃたい前面ぜんめんひだり一式いっしきさんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう(46口径こうけい37mm、初速しょそく780m/s)とそうれんきゅうななしき車載しゃさいじゅう機関きかんじゅう(7.7mm、ふくほう同軸どうじく機関きかんじゅう)、砲塔ほうとう左側ひだりがわめんきゅうななしき車載しゃさいじゅう機関きかんじゅうそなえている。こうしたへいそう選定せんていには、75mmきゅう戦車せんしゃほう発射はっしゃ速度そくど装填そうてんしゅ持続じぞくてき装填そうてん能力のうりょく懸念けねん搭載とうさい予定よてい主砲しゅほうだんは、そう重量じゅうりょうやく11kg前後ぜんこう砲弾ほうだん全長ぜんちょうやく90cm前後ぜんこうあった)からはん自動じどう装填そうてん装置そうち装備そうびされ、また37mmふくほう搭載とうさいおこなわれたと推測すいそくされる。

砲塔ほうとう

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検討けんとう段階だんかいではほう安定あんてい対策たいさくとしてジャイロスタビライザーの装備そうび検討けんとうされた。ほか、ベルトしき弾薬だんやくばこ自動じどう弾薬だんやくし、砲弾ほうだん100はつ以上いじょう携行けいこう検討けんとうされた。

実際じっさい砲塔ほうとうは、ほうはん自動じどう装填そうてん装置そうち装備そうびし、砲塔ほうとう後部こうぶには主砲しゅほうだん収納しゅうのうするため大型おおがたしている。それまでの日本にっぽん戦車せんしゃくらべて巨大きょだいした砲塔ほうとう(ターレットリングみちやく2,000mmとされる)を従来じゅうらい手動しゅどうによる旋回せんかい操作そうさすることは困難こんなんであり、旋回せんかい電動でんどうモーターによっておこなわれた。またみさおほう照準しょうじゅんほろ調整ちょうせいのため手動しゅどう旋回せんかい併用へいようされた。砲塔ほうとうないでの作業さぎょう円滑えんかつおこなうため、国産こくさん戦車せんしゃとしてははじめて砲塔ほうとうバスケットが装備そうびされた。砲塔ほうとうバスケットないには戦車せんしゃちょう砲手ほうしゅ装填そうてんしゅらが配置はいちされ、砲塔ほうとう回転かいてんわせ内部ないぶ装置そうちとも旋回せんかいする。従来じゅうらい国産こくさん戦車せんしゃのように旋回せんかいわせて移動いどうする必要ひつようくなり、操作そうさようする負担ふたんった。

外形がいけい後方こうほうながい6角形かくがたしている。砲塔ほうとう右側みぎがわめんおよ左側ひだりがわめん後部こうぶにハッチがいち箇所かしょずつもうけられている。また後方こうほうから砲塔ほうとう左側ひだりがわめんには機関きかんじゅうポートがもうけられた。後方こうほうから砲塔ほうとう上面うわつら左側ひだりがわくるまちょうよう司令塔しれいとう(キューポラ)がもうけられている。各部かくぶ装甲そうこう前面ぜんめん75mm、がわめん50mm、上面うわつら20mmである。試作しさくしゃ砲塔ほうとう内部ないぶは、主砲しゅほう完成かんせい搭載とうさいおくれたために弾薬だんやく搭載とうさい位置いちまらない状況じょうきょう終戦しゅうせんむかえた。

車体しゃたい

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検討けんとう段階だんかいにおいて、鋼板こうはん面積めんせき拡大かくだい減少げんしょう研究けんきゅう、避弾けいはじめ実施じっし室内しつない容積ようせき拡大かくだい検討けんとうされた。

実車じっしゃ車体しゃたい形状けいじょう砲塔ほうとう形状けいじょうはチヌしゃ類似るいじし、全面ぜんめんてき溶接ようせつ採用さいようしている。チトしゃ砲塔ほうとう不慣ふなれな複数ふくすう鋳造ちゅうぞう部品ぶひん溶接ようせつした構造こうぞうであるのにたいし、ほんしゃ砲塔ほうとうにも鋼板こうはん溶接ようせつばこみが採用さいようされた。車体しゃたい国産こくさん戦車せんしゃとしては破格はかくおおきさであり、ドイツぐんティーガーIなみである。直線ちょくせんてき単純たんじゅんめん構成こうせいであり、従来じゅうらい国産こくさん戦車せんしゃくら生産せいさんせいたかかった。車体しゃたい前面ぜんめん装甲そうこうあつは75mm、前面ぜんめん両側りょうがわ部分ぶぶんは50mm、車体しゃたい側面そくめん35mm、こうめんは35mmから20mm、上面うわつら20mm、底面ていめん12mmである。後方こうほう機関きかんしつにガソリンエンジンを収容しゅうようし、床下ゆかしたのカルダンシャフトをかいして車体しゃたい前方ぜんぽうみさおこう変速へんそく動力どうりょく伝達でんたつする。操縦そうじゅうしつ後方こうほうから車体しゃたい前面ぜんめん右側みぎがわかれ、ふくほう機関きかんじゅう車体しゃたい前面ぜんめん左側ひだりがわ配置はいちされた。車体しゃたい座席ざせき上面うわつらにはそれぞれハッチがもうけられている。

ほんしゃ避弾けいはじめへの配慮はいりょ開発かいはつ当初とうしょ目標もくひょうひとつとして目指めざされたものの、ドイツぐんパンターティーガーIIソ連それんぐんT-34アメリカぐんM4などのように、車体しゃたい前面ぜんめんいちまいいた傾斜けいしゃ装甲そうこう構成こうせいされていない。これは防御ぼうぎょめん不利ふりであった。また車体しゃたい前面ぜんめんにはみさおこう変速へんそく収容しゅうようする関係かんけいじょう点検てんけんまど上面うわつらもうけており、ここはボルトめがもちいられていた。これは被弾ひだんたいする防弾ぼうだん性能せいのうおとった箇所かしょとなった。

なお試作しさくしゃ装甲そうこうは、従来じゅうらい戦車せんしゃ使用しようされていただい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはんだいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはんではなく、あらたに開発かいはつされた、焼入やきいれによる表面ひょうめん硬化こうか処理しょり鋼板こうはんだい三種さんしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん)がもちいられていた可能かのうせいがある。八幡やはた製鉄せいてつしょではチリしゃ車体しゃたい砲塔ほうとう側面そくめん鋼板こうはんれをおこなったが、従来じゅうらい戦車せんしゃよりも巨大きょだい鋼板こうはんであったためプレスクェンチほう(かたでプレスして熱処理ねつしょりさい発生はっせいする鋼板こうはんゆがみをふせ技術ぎじゅつ)が使用しようできず、からした35mm鋼板こうはんみずれした。このさいおおきなゆがみが発生はっせいし、れをかえしても製作せいさくはうまくおこなえなかった。納期のうきに1ヶ月かげつおくれをしょうじ、また予定よてい硬度こうどにはたっしていなかった。

攻撃こうげきりょく

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主砲しゅほう

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原型げんけいとなったよんしきななせんちめーとるはん高射こうしゃほう

主砲しゅほう開発かいはつぜん段階だんかいとして、よんしきななせんちめーとるはん高射こうしゃほう存在そんざいげられる。この高射こうしゃほう中国ちゅうごくぐん使用しようしていたスウェーデンせいボフォースModel 1929 75mm高射こうしゃほう日本にっぽんぐん鹵獲ろかくし、コピー生産せいさんしたものであった。これをベースに砲身ほうしんなどを流用りゅうようしつつ戦車せんしゃほうようさい設計せっけいほどこし、こう座長ざちょう短縮たんしゅくとう改良かいりょうおこなわれたものがほんしゃ搭載とうさいされた試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょうである。ただしModel 1929はドイツぐん8.8 cm FlaK 18/36/37原型げんけいとなったものだが、後者こうしゃのように大量たいりょう生産せいさん対応たいおうした設計せっけいではなかったため、そのコピーであるよんしきななせんちめーとるはん高射こうしゃほうからして生産せいさんすうが70もんほど非常ひじょうすくなく、戦車せんしゃけに多数たすう供給きょうきゅうするのはきわめて困難こんなんであった。

ほんくるまよう開発かいはつされた試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)は1944ねん4がつ設計せっけい完了かんりょう、7がつ完成かんせいし、試験しけん装弾そうだん一部いちぶ改修かいしゅうした。また、チトしゃ搭載とうさいするためはん自動じどう装填そうてん装置そうちはずし、装置そうちわりに平衡へいこうおもり(カウンターウェイト)をつけた試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)IIがた開発かいはつ開始かいしされた。IIがたのちかり制式せいしき制定せいていされしきななせんちめーとるはん戦車せんしゃほう制式せいしき名称めいしょうあたえられている。IIがた以降いこうもと改修かいしゅうまえ試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)は試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)Iがた呼称こしょうされる。Iがたは、つづく1944ねん8がつ試験しけんにおいて装弾そうだん以外いがい良好りょうこう作動さどうした。11月1にちには薬莢やっきょう抽出ちゅうしゅつつぎだん装填そうてん機能きのう不良ふりょう判定はんていされた。さらに1945ねん1がつ修正しゅうせい機能きのう試験しけん実施じっしされ、薬莢やっきょう抽出ちゅうしゅつつぎだん装填そうてん良好りょうこうとなった。ただし薬莢やっきょう抽出ちゅうしゅつ良否りょうひにより作動さどうしない場合ばあいもあり、なお不安定ふあんていだった。1945ねん3がつ7にちには1945ねんおよび1946ねん生産せいさん予定よていほうすべてIIがたとすること決定けっていされた。1945ねん3がつ24にち、Iがた総合そうごう試験しけん富士ふじ演習えんしゅうじょうおこな予定よていてられたが、以後いご開発かいはつ停止ていし状態じょうたいとなった。なお同年どうねん3がつには、Iがたほうさんしきちゅう戦車せんしゃ チヌ(チヌしゃ)の砲塔ほうとう適合てきごうするよう改修かいしゅうおこなわれている[9]

試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)は現物げんぶつが2もんしかなく、1もん装弾そうだん除去じょきょしたチトしゃようのIIがた改造かいぞうされ、のこり1もんはIがたとしてほんくるまよう改修かいしゅうつづけられたが、はん自動じどう装填そうてん装置そうち開発かいはつ手間取てまどり、そのため終戦しゅうせんまで試作しさくしゃ主砲しゅほう装備そうびできていない状態じょうたいだった。

試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょうIがた試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょうIIがたとのおおきなちがいとしてはん自動じどう装填そうてん装弾そうだん装着そうちゃくされている

たましゅ一式いっしきとおるきのえだんたまりょう6.615kg)およびよんしき榴弾りゅうだん予定よていされた。また試製しせい七糎半対戦車自走砲 ナト(ナトしゃ)と弾薬だんやく共用きょうようでありよんしきとおるかぶとだん存在そんざいする。

試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)Iがた竣工しゅんこう、1944ねん7がつ25にちでのしょもと以下いかとおりである。全備ぜんび重量じゅうりょう2284.2kg、うち砲身ほうしん重量じゅうりょう790kg、装弾そうだん重量じゅうりょう275.398kg。また1944ねん9がつ1にち試験しけんではほう全備ぜんび重量じゅうりょう2185kg、高低こうていしゃかい+20から-10であり、俯仰ふぎょうハンドルは10kgから15kgのちからうごかされた。発砲はっぽうさいには発射はっしゃやく1.95kgを燃焼ねんしょうさせ、6.25kgの弾頭だんとうを865.3m/sでした。腔圧は2665kg/平方へいほうcmである。発砲はっぽうすると砲身ほうしんが385mm後退こうたいし、反動はんどう吸収きゅうしゅうした。後退こうたいからふくまでにようする時間じかんは0.9びょうである。装甲そうこう貫通かんつう目標もくひょう射距離しゃきょり1,000mで75mmであった。

陸上りくじょう自衛隊じえいたい幹部学校かんぶがっこう戦史せんし教官きょうかんしつ所蔵しょぞう資料しりょうである近衛このえだい3師団しだん調整ちょうせい資料しりょう現有げんゆう対戦たいせんしゃ兵器へいき資材しざい効力こうりょくがいひょう」によると、ななTA(75mmたい戦車せんしゃほう意味いみする帝国ていこく陸軍りくぐん軍隊ぐんたい符号ふごう)のてっかぶとだんは、射距離しゃきょり1000m/貫通かんつう鋼板こうはんあつ100mmとなっている(射撃しゃげき対象たいしょう防弾ぼうだん鋼板こうはん種類しゅるいてっかぶとだんたましゅ記載きさいされず不明ふめい[10]

また、1944~1945ねん作成さくせいおもわれる陸軍りくぐんだい学校がっこう研究けんきゅう資料しりょうによると、「試製しせい75みりめーとるたいTKほう試製しせい75mmたい戦車せんしゃほう)」は、1しゅ射距離しゃきょり300m/貫通かんつう威力いりょく118mm、1しゅ射距離しゃきょり400m/貫通かんつう威力いりょく115mm、1しゅ射距離しゃきょり500m/貫通かんつう威力いりょく112mm、2しゅ射距離しゃきょり300~500mの研究けんきゅう未了みりょう、となっている[11]

1945ねん4がつ陸軍りくぐん機甲きこう本部ほんぶ刊行かんこうした『対戦たいせんしゃ戦闘せんとう参考さんこう戦車せんしゃ関係かんけい補遺ほい』によれば、鋳鋼ちゅうこうばんたいだん効力こうりょく圧延あつえん合金ごうきん鋼板こうはんよりおおむね20~25%おとる)[12]対象たいしょうにした場合ばあいしきななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)の装甲そうこう貫徹かんてつりょく命中めいちゅうかく90だと、射距離しゃきょり100mで200mm、射距離しゃきょり400mで180mm、射距離しゃきょり650mで160mm、射距離しゃきょり1,000mで140mm、射距離しゃきょり1,600mで100mm、射距離しゃきょり2,500mで60mmとなっている[13]仮想かそうてき戦車せんしゃ鋳造ちゅうぞう鋼板こうはんたいする有効ゆうこう射距離しゃきょりは、M4ちゅう戦車せんしゃ車体しゃたい前面ぜんめん上部じょうぶ65mm(35)で300~500m、車体しゃたい前面ぜんめん下部かぶ65mm(傾斜けいしゃすくなく直角ちょっかくちか部分ぶぶん)では2000m以上いじょうでも貫通かんつうMk.IV歩兵ほへい戦車せんしゃチャーチル砲塔ほうとう前面ぜんめん100mm(90)や車体しゃたい前面ぜんめん上部じょうぶ84+13mm(90)では1,500mとされている。なお戦車せんしゃ搭載とうさい火砲かほう効力こうりょくがいひょうたましゅ一式いっしきてっかぶとだんで、タングステン・クロムこうとくかぶとやニッケル・クロムこうとくおつないし炸薬さくやくよんしきとおるかぶとだん使用しようさせたさい数値すうち不明ふめいである。

ななTAに該当がいとうするものにナトしゃ試製しせいななせんちめーとるはんたい戦車せんしゃほうがある。これはチリしゃ試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほう(ちょう)Iがた弾薬だんやく共通きょうつう、ほぼ同一どういつ砲身ほうしん(56口径こうけい砲身ほうしんちょう4,230mm)である[14]

88mmほう論争ろんそう

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しきななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうのちに、攻撃こうげきりょく強化きょうかのためきゅうきゅうしきはちせんちめーとる高射こうしゃほう(45口径こうけい88mm、初速しょそく800m/s、最大さいだいしゃだか10000m。ささえ事変じへん大量たいりょう鹵獲ろかくしたクルップせい海軍かいぐんよう高射こうしゃほう8.8 cm SK C/30(写真しゃしん)を原型げんけいとした陣地じんち固定こていしき高射こうしゃほうであり、8.8 cm FlaK 18/36/37とは別物べつもの)をそのまま、または戦車せんしゃほう改修かいしゅうして搭載とうさいするあんがあったというせつもあるが、このせつ裏付うらづける公式こうしき開発かいはつ計画けいかく設計せっけい資料しりょう存在そんざいせず、現在げんざいでは日本にっぽん国内こくないには(しん資料しりょうてこないかぎり)否定ひてい主流しゅりゅうである。

しかし、海外かいがいでは88mmほう搭載とうさいせつ主流しゅりゅうである。ちゅう退すさうつわ砲塔ほうとう前面ぜんめんし、鹵獲ろかくした8.8 cm FlaKをそのまま砲塔ほうとう搭載とうさいする(新規しんき技術ぎじゅつ開発かいはつ設計せっけい必要ひつようとしない鹵獲ろかく兵器へいき流用りゅうようした)スタイルでゲームなどによく登場とうじょうする。なお、近衛このえだいさん師団しだん資料しりょう現有げんゆう対戦たいせんしゃ兵器へいき資材しざい効力こうりょくがいひょう」によると、きゅうきゅうしきはちせんちめーとる高射こうしゃほうてっかぶとだんは、射距離しゃきょり500mで貫通かんつう鋼板こうはんあつ120mmという性能せいのうである[10]射撃しゃげき対象たいしょう防弾ぼうだん鋼板こうはん種類しゅるいてっかぶとだんたましゅ記載きさいされず不明ふめいである。どうほうようとしては一式いっしきてっかぶとだんおよよんしきとおるかぶとだんがあった[15]。)。きゅうきゅうしきはちせんちめーとる高射こうしゃほう砲弾ほうだん重量じゅうりょう完全かんぜん弾薬だんやくとう(弾頭だんとう+そうやく+薬莢やっきょう)の状態じょうたいでも14.7kgであり、きゅう一式いっしきじゅうせんちめーとる榴弾りゅうだんほうひとしてっかぶとだん弾頭だんとう(やく16kg)よりもかるく、戦闘せんとうしつないでも装填そうてん作業さぎょういちじるしく困難こんなんになるほどの重量じゅうりょうではないと推測すいそくされる。反面はんめん砲身ほうしん重量じゅうりょうは1,250kgと試製しせいななせんちめーとるはん戦車せんしゃほうちょう)Iがたやく1.6ばいである。かり容積ようせきその問題もんだいなくかわそうできたとしても、発射はっしゃ反動はんどう増大ぞうだいふく砲塔ほうとうにかかる負荷ふかまったことなることが予想よそうされる。

ふくほう

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ほんしゃ特徴とくちょうとして、ふくほうとして車体しゃたい前面ぜんめん左側ひだりがわ限定げんてい旋回せんかいしきけられた一式いっしきさんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうがあげられる。このふくほう設計せっけい検討けんとう段階だんかい搭載とうさい策定さくていされたものだった。

一式いっしきさんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうしきけい戦車せんしゃ ケト(ケトしゃ)の主砲しゅほうとして1943ねん7がつ開発かいはつされた。いち〇〇しきさんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほうきゅうはちしきけい戦車せんしゃ ケニ(ケニしゃ)の主砲しゅほうようやく46口径こうけい一式いっしきてっかぶとだん使用しよう初速しょそく700m/s)の性能せいのう向上こうじょうがたであり、くすりしつ拡大かくだい各部かくぶ強化きょうかして、一式いっしきさんじゅうななみりめーとるほう弾薬だんやく互換ごかんせいがあった。きゅうななしき車載しゃさいじゅう機関きかんじゅう連装れんそうよう)1ていふくほう左側ひだりがわに、ふくほうたいになるように装備そうびしていた[16]

ふくほう砲手ほうしゅじゅうしゅは1めい兼任けんにんする。よこならんだほうじゅう機関きかんじゅうあいだ旋回せんかいじくがあり、照準しょうじゅん肩当かたあてで素早すばやおこなえた。きゅうななしき車載しゃさいじゅう機関きかんじゅう連装れんそうよう)は普通ふつうきゅうななしき車載しゃさいじゅう機関きかんじゅうことなり、反動はんどうおさえるために銃口じゅうこうせい退すさうつわがついていた。

ほんしゃふくほう搭載とうさいしたしゅ目的もくてきは、装填そうてん間隔かんかくながまわしになんのある主砲しゅほうわり、不意ふい遭遇そうぐうしたてきてんたい戦車せんしゃほう歩兵ほへいひとし脅威きょうい除去じょきょするためであり、だい口径こうけい車体しゃたい前面ぜんめん機関きかんじゅうのような役目やくめになっていた。詳細しょうさい理由りゆうについては「主砲しゅほうだん節約せつやくため装甲車そうこうしゃりょうけい装甲車そうこうしゃりょう機関きかんじゅう陣地じんちたい戦車せんしゃほう歩兵ほへい制圧せいあつ目的もくてきなら37mmほうでも充分じゅうぶん」とするせつ、「主砲しゅほうだん装填そうてんちゅう砲撃ほうげき間隙かんげきめるため。主砲しゅほうだい口径こうけいすると発砲はっぽう間隔かんかくながくなる傾向けいこうがある。装填そうてん作業さぎょうは37mmのほうはやいから」とするせつなど様々さまざまである。また、開戦かいせんまえ一時期いちじき世界せかいてき流行りゅうこうした砲塔ほうとう戦車せんしゃてき発想はっそう指摘してきするせつもある。いずれのせつにしても、主砲しゅほう装填そうてん時間じかんながさとだい重量じゅうりょうから鈍重どんじゅうさをおぎなうための武装ぶそうであるという見解けんかいでは一致いっちしている。

機動きどうりょく

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エンジン

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原型げんけいとなったBMW VIエンジン

エンジンはだい馬力ばりき空冷くうれいディーゼルエンジン開発かいはつ出来できなかったため、航空機こうくうきようきゅうはちしきけい爆撃ばくげき搭載とうさい)としては旧式きゅうしきして余剰よじょうとなっていた、ハ9-IIおつ川崎かわさききゅうはちしきはち〇〇馬力ばりき発動はつどう」(えきひやVがた12気筒きとう)を550hpにデチューンして(もしくは、デチューンではなく、もと航空機こうくうきようエンジンから、機械きかいしききゅうはずしたことと、戦車せんしゃようのインタークーラーの駆動くどう差分さぶん出力しゅつりょくのいくらかを消費しょうひすることによる、出力しゅつりょく低下ていか可能かのうせいもある)流用りゅうようしている。「BM」とも呼称こしょうされる。

しき戦車せんしゃ開発かいはつだい1かい会議かいぎに「発動はつどう航空機こうくうきようのハ9(きゅうしき800馬力ばりき発動はつどう(※ちゅう実際じっさいもちいられたのはどう系統けいとうきゅうはちしきである))を戦車せんしゃよう改造かいぞうしたものを使用しようすることが決定けっていしている」と説明せつめいされ、だい2かい会議かいぎに「発動はつどうはヂーゼル(ディーゼル)をもちいたいのだが500~600馬力ばりき手頃てごろものいのでBMWをもちいることにした」と追加ついか説明せつめいされている。

ディーゼルエンジンよりも小型こがたはかられたために、燃料ねんりょう携行けいこう能力のうりょく増加ぞうかした。行動こうどう能力のうりょくは180kmから200kmである。

ハ9の先祖せんぞはドイツのBMWせい航空こうくうガソリンエンジンBMW VIであり、ソ連それんBT-7T-28T-35使つかわれた450hpのM-17Tや500hpのM-17Mとどう系統けいとうといえる。

ほんしゃ車体しゃたいめんはハッチ(ドア)になっており、こうめん上部じょうぶ観音開かんのんびらこうめん下部かぶ下方かほうひらき、エンジンを後方こうほうして簡単かんたん整備せいびできるようになっていた。これはM3けい戦車せんしゃならったものであった。ちなみに、このリアハッチは、M2けい戦車せんしゃからはじまり、M2ちゅう戦車せんしゃM3ちゅう戦車せんしゃM4ちゅう戦車せんしゃにもいている、当時とうじのアメリカ戦車せんしゃ標準ひょうじゅん仕様しようである。

みさおこう装置そうち

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設計せっけい検討けんとう段階だんかい三菱みつびしクラッチみさおこう変速へんそく提案ていあんした。これはオートマチック変速へんそく同様どうよう構造こうぞうち、操縦そうじゅうせい整備せいびせい資源しげん節約せつやく期待きたいされた。実車じっしゃ乾式かんしきクラッチ変速へんそくにはシンクロメッシュ、みさおこう装置そうちには油圧ゆあつサーボ導入どうにゅうし、これらをわせてほんしゃ軽快けいかい走行そうこうしたという。最高さいこう速度そくどは42km/hを目標もくひょうとした。

サスペンション

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設計せっけい検討けんとう段階だんかいでは従来じゅうらいのシーソーバネ方式ほうしき、トーションバー方式ほうしき垂直すいちょくきのコイルバネ方式ほうしきなどが検討けんとうされた。最終さいしゅうてき実車じっしゃには技術ぎじゅつ蓄積ちくせきり、生産せいさん設備せつびととのっているシーソーバネ方式ほうしきもちいられた。てん片側かたがわ8である。これは直径ちょっけい58cmの車輪しゃりんふくれつんで、ひとつのてんつくったものである。上部じょうぶてんは3配置はいちされた。

サスペンションはトーションバー製造せいぞうできなかったため水平すいへいコイル・スプリング使用しようした日本にっぽん戦車せんしゃ伝統でんとう平衡へいこうしき連動れんどう懸架けんか装置そうち片側かたがわに2くみ設置せっちしていた。外形がいけいとしてはバネを内蔵ないぞうしたつつを、車体しゃたい側面そくめん地面じめん水平すいへいけており、このつつりょうはしからはうたてへとつながるアームがびている。アームはうたて2接続せつぞくし、走行そうこう衝撃しょうげき伝達でんたつする。緩衝かんしょう機能きのううたて2を1くみとして作動さどうし、バネを内蔵ないぞうしたつつりょうはしから接続せつぞくしたてん4懸架けんかの1ブロックとなった。懸架けんか装置そうち技術ぎじゅつはドイツとくらふるいものであったが、信頼しんらいせいたかく、自重じちょう37t程度ていど車体しゃたいささえるには充分じゅうぶんであった。ただしスプリングが破損はそんすると、構造こうぞうじょう1ブロックすべてのサスペンションが機能きのうしなくなる弱点じゃくてんがあった。

くつたいは35tの重量じゅうりょうささえ、また主砲しゅほう発砲はっぽう衝撃しょうげき吸収きゅうしゅうするために幅広はばひろのものがもちいられた。くつたいはばは600mmであり、設計せっけい当初とうしょ接地せっちあつは0.6から0.7kg/cm2が目指めざされた。最低さいてい地上ちじょうだかは40cm、ちょうごう能力のうりょくは3.0m、徒渉としょう水深すいしんは1.2m、登坂とさか能力のうりょくは2/3であった。

派生はせいがた

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エンジンをきゅうき500hp空冷くうれいディーゼルエンジンに変更へんこうしたもの。計画けいかく段階だんかいわっている。 図面ずめんではチリIIの砲塔ほうとうはチヌしゃ砲塔ほうとうぞうあつ装甲そうこうがた)とおな形状けいじょう溶接ようせつ砲塔ほうとうである。

なお、戦後せんごアメリカ海軍かいぐんによっておこなわれた日本にっぽん軍用ぐんようディーゼルエンジン調査ちょうさ報告ほうこくしょによれば、チトしゃの「よんしきディーゼルエンジン(400hp)」の項目こうもくにて、きゅうのブーストあつが320mmHg(ミリマーキュリー)の場合ばあい500hpを発揮はっきしたと記載きさいされており、この500hpエンジンはチリIIなどに搭載とうさいするために試作しさく開発かいはつされた、きゅう装備そうびの「よんしきディーゼルエンジン」の可能かのうせいがある。またどう資料しりょうでは、アメリカ陸軍りくぐん追試験ついしけんのため本国ほんごくに「よんしきディーゼルエンジン」を輸送ゆそうしたと記載きさいされているがその消息しょうそく不明ふめいである[17]

はら乙未おとみせい陸軍りくぐん中将ちゅうじょう自著じちょ機械きかい兵器へいき開発かいはつ』90ぺーじにて、「4しきV12エンジン(原文げんぶん表記ひょうきによる)」をきゅうしで400hp、きゅうけた試製しせいエンジンを500hpとしている。

試製しせいしん砲戦ほうせんしゃかぶと) ホリ(ホリしゃ

試製しせいしん砲戦ほうせんしゃかぶと)ホリI傾斜けいしゃ装甲そうこうがた木型きがた模型もけい

チリしゃ車体しゃたい流用りゅうようし、試製しせいじゅうせんちめーとる戦車せんしゃほうちょう搭載とうさい前面ぜんめん装甲そうこうあつ125mm、側面そくめん25mmのじゅう装甲そうこう全備ぜんび重量じゅうりょう40tの固定こてい戦闘せんとうしつ形式けいしき車輌しゃりょう開発かいはつ計画けいかく存在そんざいした。

ホリしゃ計画けいかくあんにはホリIとホリIIがある。ホリIはドイツぐんエレファントじゅう駆逐くちく戦車せんしゃ形状けいじょうであり、ホリIIはおなじくヤークトティーガーじゅう駆逐くちく戦車せんしゃ擬似ぎじしている。

ホリしゃ整備せいび計画けいかくすう昭和しょうわ19年度ねんどの5りょうのみで、母体ぼたいであるチリしゃ同様どうよう実戦じっせん部隊ぶたい配備はいびされる可能かのうせいついえていた。なお、主砲しゅほう試作しさくほう完成かんせいしまた実用じつよういきたっしていたものの、車体しゃたい製作せいさく途中とちゅう終戦しゅうせんむかえため未成みせいわっている。

登場とうじょう作品さくひん

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小説しょうせつ

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日本にっぽん本土ほんど決戦けっせん
物語ものがたり前半ぜんはん九州きゅうしゅう南部なんぶオリンピック作戦さくせんむか日本にっぽん陸軍りくぐん装備そうびとして登場とうじょう。なお、資料しりょう充分じゅうぶんにない時代じだい1981ねん)に執筆しっぴつされた作品さくひんのため、作中さくちゅう登場とうじょうする車両しゃりょう各種かくしゅのスペックは現在げんざいられているものとはことなっており、よんしきちゅう戦車せんしゃとの混同こんどうられる。
最初さいしょ出版しゅっぱんされたカッパ・ノベルスばんにはイラストも掲載けいさいされており、これは、アメリカぐん終戦しゅうせん撮影さつえいした有名ゆうめい写真しゃしんほん項目こうもく冒頭ぼうとうにてもちいられているもの)を参考さんこう作画さくがされている。
『HiddenStrokeII』
きゅうきゅうしきはちせんちめーとる高射こうしゃほう搭載とうさいした日本にっぽんじゅう戦車せんしゃ「Type 5 Chi-Ri」として登場とうじょう
『HiddenStrokeIII』
きゅうきゅうしきはちせんちめーとる高射こうしゃほう搭載とうさいした日本にっぽんじゅう戦車せんしゃ「Type 5 Chi-Ri」として登場とうじょう
『Men Of War.Assault Squad』
きゅうきゅうしきはちせんちめーとる高射こうしゃほう搭載とうさいした日本にっぽんじゅう戦車せんしゃ「Type 5 Chi-Ri」として登場とうじょう
R.U.S.E.
日本にっぽんじゅう戦車せんしゃとして登場とうじょう
War Thunder
日本にっぽん陸軍りくぐんツリーのちゅう戦車せんしゃとしてエンジン強化きょうかがたの「しきちゅう戦車せんしゃII Chi-Ri II」が登場とうじょうはん自動じどう装填そうてん装置そうち再現さいげんされている。
World of Tanks』『World of Tanks Blitz』
日本にっぽんちゅう戦車せんしゃ「Type 5 Chi-Ri」として開発かいはつすることで使用しよう可能かのう
搭載とうさいできる三種さんしゅほうすべて「7.5cm Tank Gun Type5」のつが、うち一種いっしゅが「Autoloading(自動じどう装填そうてん)」ほうとなっている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f ファインモールドしゃ 「FM28 しきちゅう戦車せんしゃ 実車じっしゃ解説かいせつ」(協力きょうりょく国本くにもと康文やすふみ)の記述きじゅつによる.
  2. ^ a b 機甲きこう入門にゅうもん』 p571.
  3. ^ 帝国ていこく陸軍りくぐん 戦車せんしゃ砲戦ほうせんしゃ学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、67ぺーじ
  4. ^ 佐山さやま二郎じろう機甲きこう入門にゅうもん光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ、508ぺーじ、509ぺーじ
  5. ^ 帝国ていこく陸軍りくぐん 戦車せんしゃ砲戦ほうせんしゃ学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、110ぺーじ
  6. ^ https://www.youtube.com/watch?v=4mkS8EodQbA
  7. ^ 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 機関きかんほう 要塞ようさいほうつづけ 』490ページ、499ページ。
  8. ^ みねぶんさんほか「歴史れきしぐんぞう、『まるわだち 国鉄こくてつ無蓋むがい貨車かしゃ チキ1500かたち』」ワン・パブリッシング、2023ねん8がつ、9-11ページ。
  9. ^ 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 」p367。
  10. ^ a b 白井しらい明雄あきお日本にっぽん陸軍りくぐんせんくん」の研究けんきゅう』 94ぺーじ、107ぺーじ
  11. ^ 陸戦りくせん学会がっかい近代きんだい戦争せんそう概説がいせつ 資料集しりょうしゅう」 p93。野戦やせん砲兵ほうへい学校がっこうおいて1かい試射ししゃ細部さいぶ不明ふめいとおるかぶとだんたましゅ記載きさいされず不明ふめい射撃しゃげき対象たいしょう防弾ぼうだん鋼板こうはんは、陸軍りくぐんほか対戦たいせんしゃ火砲かほう試験しけん資料しりょう表記ひょうきしたがえば、「1しゅ」はだい一種いっしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはん、「2しゅ」はだいしゅ防弾ぼうだん鋼板こうはんのことをすとおもわれる。また、「近代きんだい戦争せんそう概説がいせつ 資料集しりょうしゅう」 p92のべつ資料しりょう記述きじゅつから、「1しゅ」は弾頭だんとうぼうのある試製しせいAPCであり、「2しゅ」は通常つうじょう弾頭だんとうのAPであるとして、「1しゅ・2しゅ」はてっかぶとだんたましゅす、とする推測すいそくもある。
  12. ^ じゅう速射そくしゃほう敎育きょういく參考さんこう』、近代きんだいデジタルライブラリー。書誌しょしID:000000675992。
  13. ^ 対戦たいせんしゃ戦闘せんとう参考さんこう戦車せんしゃ関係かんけい補遺ほい』、アジア歴史れきし資料しりょうセンター。Ref:C14060869100。
  14. ^ 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう 』 546ぺーじ
  15. ^ 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 高射こうしゃほう」266ぺーじ
  16. ^ ほう機関きかんじゅうそうれんとなっているのはいち〇〇しきさんじゅうななみりめーとる戦車せんしゃほう同様どうようである。
  17. ^ US Naval Technical Mission to Japan - Japanese Navy Diesel Engines - INDEX No. S-42 - December 1945, p34

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ チリしゃえる重量じゅうりょうぶつ外地がいち輸送ゆそうしたれいとしては満州まんしゅう輸送ゆそうされた試製しせいよんじゅういちせんちめーとる榴弾りゅうだんほうがある。この試製しせいよんじゅういちせんちめーとる榴弾りゅうだんほう砲身ほうしんだけでやく76トンの重量じゅうりょうち、その主要しゅよう部品ぶひんも40トンをえていたため、陸揚りくあげのさいにはまんてつ所有しょゆうする100tクレーンのうち、2使用しようしそれぞれの部品ぶひん陸揚りくあげをおこない、専用せんよう鉄道てつどう貨車かしゃせている[7]
  2. ^ 戦前せんぜんから戦後せんごしばらくまでは鉄道てつどう輸送ゆそうによる車両しゃりょうはば限界げんかいは3.1m以内いないであり、積載せきさい重量じゅうりょう限界げんかいは、重量じゅうりょうぶつ運搬うんぱんよう無蓋むがい貨車かしゃでとして利用りようされていた、チキ1500がた場合ばあい通常つうじょうであれば35tを限度げんどとするところを、昭和しょうわ18ねん(1943ねん)にさだめられた戦時せんじぞう適用てきようされた場合ばあい最大さいだい積載せきさい重量じゅうりょうは40tまで積載せきさい許可きょかされていた[8]

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 昭和しょうわ20ねん4がつ 陸軍りくぐん機甲きこう本部ほんぶ参考さんこうの3 『対戦たいせんしゃ戦闘せんとう参考さんこう戦車せんしゃ関係かんけい補遺ほい』、アジア歴史れきし資料しりょうセンター。Ref:C14060869100。
  • 昭和しょうわ20ねん 陸軍りくぐん歩兵ほへい学校がっこう将校しょうこう集会しゅうかいしょじゅう速射そくしゃほう敎育きょういく參考さんこう』、近代きんだいデジタルライブラリー。書誌しょしID:000000675992。
  • 日本にっぽん戦車せんしゃ装甲車そうこうしゃりょう』(アルゴノートしゃ『PANZER』2000ねん6がつごう臨時りんじ増刊ぞうかん No.331) p149~p155
  • 福島ふくしまひもじんちゅう戦車せんしゃ じゅう戦車せんしゃ」『GROUND POWER 特集とくしゅう/だい大戦たいせん日本にっぽん軍用ぐんよう車両しゃりょう』デルタ出版しゅっぱん、1996ねん11がつごう
  • 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう(5)戦車せんしゃほう/はしほう」『GROUND POWER 日本にっぽん陸軍りくぐん戦車せんしゃほうはしほう』ガリレオ出版しゅっぱん、2008ねん10がつごう
  • 『GROUND POWER 特集とくしゅう日本にっぽん陸軍りくぐんさんしき/よんしき/しきちゅう戦車せんしゃ』ガリレオ出版しゅっぱん、2005ねん5がつごう No.132
  • 高橋たかはし のぼるしきちゅう戦車せんしゃ その開発かいはつとメカニズム
    アルゴノートしゃ『PANZER』2006ねん1がつごう No.405 p83~p96
  • 歴史れきしぐんぞう 太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ34 戦車せんしゃ砲戦ほうせんしゃ学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2002ねんISBN 4-05-602723-4
  • 日本にっぽん陸軍りくぐん戦車せんしゃ株式会社かぶしきがいしゃカマド、2010ねん
  • 白井しらい明雄あきお日本にっぽん陸軍りくぐんせんくん」の研究けんきゅう芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん 2003ねん
  • 佐山さやま二郎じろう機甲きこう入門にゅうもん光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ)、2002ねんISBN 4-7698-2362-2
  • 佐山さやま二郎じろう日本にっぽん陸軍りくぐん火砲かほう 歩兵ほへいほう たい戦車せんしゃほう ISBN 978-4-7698-2697-2 光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ、2011ねん
  • はら乙未おとみせい機械きかい兵器へいき開発かいはつ』1982ねん
  • 陸戦りくせん学会がっかい戦史せんし部会ぶかい 編著へんちょ近代きんだい戦争せんそう概説がいせつ 資料集しりょうしゅう陸戦りくせん学会がっかい 1984ねん
  • US Naval Technical Mission to Japan - Japanese Navy Diesel Engines - INDEX No. S-42 - December 1945

外部がいぶリンク

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