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きゅうはちしきけい戦車せんしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
きゅうはちしきけい戦車せんしゃ ケニ
シーソーしき懸架けんか装置そうち小型こがたてん前輪ぜんりん駆動くどうの「ケニA」
性能せいのうしょもと
全長ぜんちょう 4.11 m
全幅ぜんぷく 2.12 m
ぜんこう 1.82 m
重量じゅうりょう 自重じちょう6.2 t[1] 全備ぜんび重量じゅうりょう7.2 t
懸架けんか方式ほうしき シーソーしき連動れんどう懸架けんか(ケニA)
独立どくりつ懸架けんか(ケニB)[2]
速度そくど 50 km/h(ケニA)
55 km/h(ケニB)[2]
行動こうどう距離きょり 300 km
主砲しゅほう いち〇〇しき37 mm戦車せんしゃほう×1
ふく武装ぶそう きゅうななしき7.7 mm車載しゃさいじゅう機関きかんじゅう×1
主砲しゅほう同軸どうじく
装甲そうこう
砲塔ほうとう
  • 正面しょうめん:16 mm
  • 側面そくめんこうめん:16 mm
車体しゃたい
  • 正面しょうめん:16 mm
  • 側面そくめん:12 mm
エンジン 統制とうせいいち〇〇がた
空冷くうれい直列ちょくれつ6気筒きとうディーゼル
130 馬力ばりき / 2100 rpm
乗員じょういん 3 めいくるまちょう操縦そうじゅうしゅ砲手ほうしゅ
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きゅうはちしきけい戦車せんしゃ ケニ(きゅうはちしきけいせんしゃ ケニ)はきゅうしきけい戦車せんしゃ後継こうけい車輛しゃりょうであるけい戦車せんしゃきゅうしきけい戦車せんしゃ後継こうけいとして1938ねんから設計せっけい開発かいはつされたが、実際じっさい試作しさくしゃ完成かんせいは1939ねん9がつにずれんだ。

試作しさくしゃ開発かいはつしゃ発注はっちゅうされ、東京とうきょう自動車じどうしゃ工業こうぎょう日野自動車ひのじどうしゃせいケニA三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうせいケニB存在そんざいした。審査しんさ結果けっか、ケニAのほうきゅうはちしきけい戦車せんしゃとして採用さいようされた。

独立どくりつ懸架けんか装置そうち大型おおがたてんこう駆動くどうの「ケニB」

概要がいよう

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車体しゃたいぜんこうひくおさえられ、また装甲そうこうばん接合せつごう溶接ようせつれたことで、リベット接合せつごう場合ばあい貫通かんつうするよりさき砲弾ほうだんあつでリベットがはず車内しゃないってしまうことおさえられたほか、最大さいだい装甲そうこうあつきゅうしきけい戦車せんしゃの12 mmから16 mmへと強化きょうかされているにもかかわらず、重量じゅうりょう軽減けいげんされたうえ速度そくど向上こうじょうした。被弾ひだんけいはじめ考慮こうりょされ、円錐えんすい台形だいけい砲塔ほうとう採用さいようし、車体しゃたい上部じょうぶななめの装甲そうこうばん構成こうせいされている。重量じゅうりょう軽減けいげん被弾ひだん面積めんせき減少げんしょうのために、車体しゃたい上部じょうぶ正面しょうめん装甲そうこう面積めんせきしぼられている。

開発かいはつには、こう駆動くどう採用さいよう油圧ゆあつ操縦そうじゅうによるまるハンドルしきみさおこう装置そうちそなえ、独立どくりつ懸架けんか(これはソ連それんBTのクリスティーしきサスペンションを参考さんこうにした可能かのうせいがある)による大型おおがたてん片側かたがわに4ゆうし、最高さいこう速度そくど55 km/hを発揮はっきするケニB[2](性能せいのうひょう参照さんしょう)も試作しさくされたが、量産りょうさんがたでは従来じゅうらいどおりのシーソーしき連動れんどう懸架けんか前輪ぜんりん駆動くどう採用さいようした。また従来じゅうらいでは外部がいぶ露出ろしゅつしていたサスペンション機構きこう車体しゃたい内部ないぶおさめられ、被弾ひだんにもつよくなっている(ただし、車内しゃない容積ようせきせまくなる、製造せいぞう整備せいびがやりにくくなる、という欠点けってんもある。そのため、しきけい戦車せんしゃケホでは、ふたた外部がいぶ露出ろしゅつしている)。

主砲しゅほうにはいち〇〇しき37 mm戦車せんしゃほう採用さいようし、きゅうしきけい戦車せんしゃきゅうよんしき37 mm戦車せんしゃほうくらべて攻撃こうげきりょく改善かいぜんされている。車載しゃさい機銃きじゅう車体しゃたい前面ぜんめん機銃きじゅう砲塔ほうとう後部こうぶ機銃きじゅう廃止はいしし、砲塔ほうとう前面ぜんめん主砲しゅほう同軸どうじく配置はいちされている。このためてき歩兵ほへいへの即応そくおうせい大幅おおはば向上こうじょうした。これにともなって砲塔ほうとうめいようとなり、偵察ていさつ能力のうりょく向上こうじょうした。しかし車体しゃたいたい主砲しゅほう開発かいはつおくれ、いち〇〇しき37 mm戦車せんしゃほう制式せいしきされたのは1941ねん昭和しょうわ16ねん)のことである。

エンジンは、統制とうせいいち〇〇がた空冷くうれい直列ちょくれつ6気筒きとうディーゼルに変更へんこうされ、横向よこむきに配置はいちされ、車体しゃたい小型こがた軽量けいりょう寄与きよしている。消音しょうおん(マフラー)は、機関きかんしつ右側みぎがわめん後方こうほうのフェンダーじょうに1つ配置はいちされていた。ほんしゃ燃料ねんりょうタンク(燃料ねんりょうそう)の搭載とうさい容積ようせきは128 Lであった[3]

きゅうはちしきけい戦車せんしゃきゅうしきけい戦車せんしゃよりおおくのめん改良かいりょうされたものの、決定的けっていてき性能せいのうにはつながらなかった。このことから日本にっぽん陸軍りくぐんではすで生産せいさん軌道きどうっており、信頼しんらいせい十分じゅうぶんであったきゅうしきけい戦車せんしゃ生産せいさん優先ゆうせんしてった。そのためきゅうしきけい戦車せんしゃ生産せいさんすう2,378輛にたいし、きゅうはちしきけい戦車せんしゃ生産せいさんすうは113輛にとどまっている。

ほんしゃ改良かいりょうがたしきけい戦車せんしゃケトがある。

バリエーション

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  • 試製しせい対空たいくう戦車せんしゃ タセ:きゅうはちしきけい戦車せんしゃ車台しゃだいに、たんそうきゅうはちしきじゅうみりめーとる高射こうしゃ機関きかんほう砲塔ほうとう形式けいしき搭載とうさいした対空たいくう戦車せんしゃ
  • 試製しせい対空たいくう戦車せんしゃ ソキ:きゅうはちしきけい戦車せんしゃ車台しゃだいに、連装れんそうそうれん)のしきじゅうみりめーとる高射こうしゃ機関きかんほう(ソキほう)をオープントップ形式けいしき搭載とうさいした対空たいくう戦車せんしゃ
  • 試製しせい47 mm戦車せんしゃほう搭載とうさいがた:戦車せんしゃ学校がっこう要望ようぼうにより、きゅうはちしきけい戦車せんしゃ主砲しゅほう試製しせい47 mm戦車せんしゃほう(一式いっしき47 mm戦車せんしゃほう)にかわそうした試作しさく車両しゃりょうかわそうさいには専用せんよう小型こがた砲塔ほうとうもちいたという。1940ねん(昭和しょうわ15ねん)まつ~1941ねん(昭和しょうわ16ねん)初頭しょとう完成かんせいした[4]。しかし、小型こがた砲塔ほうとうではほう操作そうさむずかしかったため採用さいようされなかった。
  • きゅうはちしきけい戦車せんしゃあらため:きゅうはちしきけい戦車せんしゃ車台しゃだいチハしん砲塔ほうとう一式いっしき47 mm戦車せんしゃほうきでまるごと搭載とうさいした計画けいかく車輌しゃりょう

登場とうじょう作品さくひん

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World of Tanks
Type 98 Ke-Niとして開発かいはつ可能かのう
World of Tanks Blitz
Type 98 Ke-Niとして開発かいはつ可能かのう。ケニBもKe-Ni Bとして販売はんばいされていたが、通常つうじょう開発かいはつ可能かのうなKe-Niと比較ひかくして性能せいのう優越ゆうえつしすぎていたためバランスブレイカーであるとしてわずか2にち販売はんばい中止ちゅうしとなった。
なお、りょうくるまとも主砲しゅほうの37 mmほう何故なぜ自動じどう装填そうてんほうとしてあつかわれている。
War Thunder
日本にっぽんぐんけい戦車せんしゃツリーとして登場とうじょう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 機甲きこう入門にゅうもん』p569
  2. ^ a b c よんとぎ』、 54ぺーじ.
  3. ^ 機甲きこう入門にゅうもん』p568
  4. ^ 帝国ていこく陸軍りくぐん 戦車せんしゃ砲戦ほうせんしゃ』p145

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐山さやま二郎じろう機甲きこう入門にゅうもん光人みつひとしゃ、2002ねん
  • よんとぎだいよん陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょあゆみ』 よんとぎかい、1982ねん

関連かんれん項目こうもく

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