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WD シュレッパー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
WD シュレッパー
WD シュレッパー 7.7 cm軽野かるのほう搭載とうさいがた
基礎きそデータ
全長ぜんちょう 3.3 m (4.4 m)
全幅ぜんぷく 2.2 m (2.3 m)
ぜんこう 1.46 m
重量じゅうりょう 5 t (6 t)
乗員じょういんすう 2 めい
装甲そうこう武装ぶそう
装甲そうこう 不明ふめい
しゅ武装ぶそう 3.7 cmたい戦車せんしゃほう (7.7 cm軽野かるのほう)×1
ふく武装ぶそう MG08 7.92 mm じゅう機関きかんじゅう×1
機動きどうりょく
整地せいち速度そくど 6 km/h
整地せいち速度そくど 不明ふめい
エンジン (4気筒きとう4ストロークガソリン)
25 hp (50 hp)
行動こうどう距離きょり 不明ふめい
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WD シュレッパー(WD Schlepper)は、せんあいだ1927ねんに、ドイツぐんによって試作しさくされた、牽引けんいんしゃ(トラクター)をベースとしたはしほう(トラクター・タンク)である。

実験じっけんようとしての意味合いみあいのつよ車両しゃりょうである。

ソ連それんはしほう(トラクター・タンク)の開発かいはつにも影響えいきょうあたえている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

「WD」は、もととなった牽引けんいんしゃ(トラクター)の設計せっけいしゃである、エルンスト・ヴェンデラー(Ernst Wendeler)とボグスラフ・ドールン(Boguslav Dohrn)のファミリーネームの最初さいしょ文字もじわせである。「シュレッパー」とは、ドイツで「牽引けんいんしゃ(トラクター)」の意味いみである。

もと牽引けんいんしゃ(トラクター)なので、エンジンの燃料ねんりょうとして、ガソリンほかベンジン石油せきゆもちいることも可能かのうである。

歩兵ほへい追従ついしょうして火力かりょく支援しえんおこなうことが可能かのうじゅう火砲かほうとして開発かいはつされた、二人ふたりりのはしほうで、砲兵ほうへいによって運用うんようされた。突撃とつげきほう先駆せんくえる。

しかし、だいいち世界せかい大戦たいせんにおけるトラクターをベースとした戦車せんしゃ開発かいはつ黎明れいめい経験けいけんや、オデッサ戦車せんしゃハリコフ戦車せんしゃでも実証じっしょうされるように、こうしたトラクターベースの車両しゃりょうは、どんあしかつ走行そうこう能力のうりょくひくいので、実戦じっせんにおいては防衛ぼうえいせんでしか使つかみちく、ドイツの(ぞくうところの)「電撃でんげきせんドクトリン」(「しょ兵科へいか協同きょうどうによる指揮しきおよび戦闘せんとう」や「軍隊ぐんたい指揮しき」などの教範きょうはん)とはわなかったであろうことは容易ようい想像そうぞうできる。ぎゃくえば、もとより実戦じっせん使つか意図いとかったのであろう。

また、前面ぜんめんにシールド(ぼうたて)があるのみで、車体しゃたい装甲そうこうされておらず、防御ぼうぎょりょくはほぼ皆無かいむである。

ほんしゃ後継こうけいとして、既存きそん牽引けんいんしゃ(トラクター)の流用りゅうようではなく、本格ほんかくてきはしほう専用せんよう車台しゃだいとして、L.S.K.(leichte Selbstfahrkanone、ライヒト・ゼルプストファール・カノーネ、「けいはしほう」の)が、クルップしゃによって開発かいはつされた。

かくかた[編集へんしゅう]

「WD シュレッパー」とばれる車両しゃりょうには、2種類しゅるい存在そんざいした。

それぞれ1りょうずつ、けい2りょう試作しさくされ、ソビエト連邦れんぽう領内りょうないカザン近郊きんこうの、「カマ戦車せんしゃへい学校がっこう試験場しけんじょう試験しけん研究けんきゅうされた。

3.7 cm WD シュレッパー 25 馬力ばりき[編集へんしゅう]

ひとつは、ハノマークしゃせいの25 馬力ばりきの「WD 25」牽引けんいんしゃシャーシに、「3.7 cm TaK28 L/45 たい戦車せんしゃほう」を搭載とうさいした「3.7 cm WD シュレッパー 25 馬力ばりき」である。

シャーシのうえけられた主砲しゅほうは、前面ぜんめんぼうたておおわれた限定げんてい旋回せんかいしきで、左右さゆうに30ずつることができた。自衛じえいよう火器かきとして機関きかんじゅう搭載とうさいされた。

1928ねんには、主砲しゅほうを、よりちょう砲身ほうしんの「3.7 cm PaK L/65 たい戦車せんしゃほう」にかわそうし、「3.7 cm PaK L/65 LHB-牽引けんいんしゃはしほう(シュレッパー ゼルプストファールラフェッテ)」と名付なづけられた。

7.7 cm WD シュレッパー 50 馬力ばりき[編集へんしゅう]

もうひとつは、ハノマークしゃせいの50 馬力ばりきの「WD 50(WD Z 50)」牽引けんいんしゃのシャーシに、「7.7 cm-FK 96 nA L/23 けい野砲やほう」を搭載とうさいした「7.7 cm WD シュレッパー 50 馬力ばりき」である。

シャーシのうえけられたぼうたてづけ主砲しゅほうは、ぜん周旋しゅうせんかいしきであった。自衛じえいよう火器かきとして、主砲しゅほう左側ひだりがわMG08 7.92 mmじゅう機関きかんじゅう搭載とうさいされた。

WD牽引けんいんしゃもとにしたはしほう[編集へんしゅう]

WD 50 牽引けんいんしゃ

7.7 cm WD シュレッパーの基体きたいである「WD 50」牽引けんいんしゃは、1920ねんから1931ねんまでの期間きかんわた製造せいぞうされ、好評こうひょうはくした。ソ連それんでも「Kommunar(クモナール、コムナール)」の名称めいしょうで、ハリコフ機関きかんしゃ工場こうじょう生産せいさんされた。

「Kommunar Z-90」(モデル3‐90)は「Kommunar」のなかでは最大さいだい規模きぼ車体しゃたいで、1935ねんまでマイナーチェンジをしながら生産せいさんされ、民間みんかん用途ようとだけでなく、赤軍せきぐん砲兵ほうへいトラクターとしても運用うんようされた。


1929ねん7がつ15にち今後こんご5年間ねんかん赤軍せきぐん機械きかい自動車じどうしゃ計画けいかく(トゥハチェフスキーの構想こうそうもとづくソ連それん最初さいしょ本格ほんかくてき機甲きこう部隊ぶたい建設けんせつ構想こうそう)が承認しょうにんされ、1933ねんまでに、陸軍りくぐんに3,500りょう動員どういん予備よびやくに2,000りょう戦車せんしゃ配備はいびすることになった。同時どうじに、革命かくめい軍事ぐんじ評議ひょうぎかい(ソビエト連邦れんぽう最高さいこう軍事ぐんじ機関きかん)は、戦闘せんとう戦術せんじゅつ近代きんだいてき要件ようけんもとづいた、装甲そうこうトラクターのあたらしいシステムを採用さいようした。1930ねん10がつ装甲そうこうトラクターの試作しさくしゃ製造せいぞう決定けっていされた。

ソ連それん軍事ぐんじ理論りろん元帥げんすいである「ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー」の理論りろんによれば、単純たんじゅんてい性能せいのう安価あんか装甲そうこうトラクターでも、編隊へんたいないだいせんおよびだいさんせん戦車せんしゃとしてなら使用しようできるとされた。

赤軍せきぐんは、安価あんか製造せいぞうでき、運用うんよう容易よういな、戦闘せんとう車両しゃりょう大量たいりょう必要ひつようとしていたのである。こうして、「労働ろうどうしゃ農民のうみん赤軍せきぐん機械きかい自動車じどうしゃきょく」(UMM RKKA)の「実験じっけん設計せっけい試験しけん」(OKIB)をひきいる有名ゆうめい設計せっけいしゃ、「ニコライ・イワノヴィチ・ディレンコフ」のした、1930ねんまつから、トラクターをもとにした、「代用だいよう戦車せんしゃ」の開発かいはつはじまった。

こうして、「ディレンコフ戦車せんしゃ」(D-10、D-11、D-14、D-15)が開発かいはつされたが、どう時期じきに、トラクターをもとにしたはしほう下記かき)も開発かいはつされている。


トラクターをもと戦車せんしゃはしほう開発かいはつすることのメリットとして、

  • 生産せいさん効率こうりつたかい。
  • 生産せいさんのための人件じんけんやすい。
  • トラクターシャーシは戦車せんしゃすうぶんいち価格かかくやすい。
  • 赤軍せきぐん戦車せんしゃはしほう迅速じんそく装備そうびすることを可能かのうにする。
  • 有事ゆうじさい既存きそんのトラクターを戦車せんしゃはしほうつくなおすだけで、戦闘せんとう車両しゃりょうかず劇的げきてきやすことができる。
  • トラクターの運転うんてん技能ぎのう農民のうみん戦車せんしゃ操縦そうじゅうへい転用てんようできる。

などがかんがえられ、当時とうじ、このアイディアは、赤軍せきぐん装甲そうこう車両しゃりょう装備そうび貧弱ひんじゃくさと、戦車せんしゃ生産せいさん困難こんなんさからして、非常ひじょう魅力みりょくてきおもわれた。


「WD シュレッパー」に(急造きゅうぞう兵器へいきだいせん/だいさんせん用兵ようへい予備よび兵器へいきの)可能かのうせい見出みいだしたのか、ソ連それんでも、1931ねんに、戦車せんしゃ追従ついしょうして火力かりょく支援しえんおこなうことを目的もくてきに、トラクターをもとにした(運転うんてんせきつぶして、シャーシを強化きょうか)、同様どうようはしほう開発かいはつされている。

それが、「Kommunar Z-90」をもとに、「M1902 76.2 mm 師団しだんほう」を搭載とうさいした、「SU-2 はしほう」である。

全長ぜんちょう4.35 m、全幅ぜんはば2.06 m、全高ぜんこう3.3 m。重量じゅうりょう10 t。ほうぼうたてそなえ、ぜん周旋しゅうせんかい可能かのうであった。射程しゃていは、直接ちょくせつ照準しょうじゅんで820 m、間接かんせつ照準しょうじゅんで12,900 mを予定よてい弾薬だんやく搭載とうさいすうは、車内しゃないに20はつ牽引けんいんトレーラー(P-18もしくはP-26)に200はつ。6~10 mmの装甲そうこうそなえ、90 hpのガソリンエンジンを搭載とうさいし、12~14 km/hで走行そうこう可能かのう。285 Lの燃料ねんりょう搭載とうさいし、航続こうぞく距離きょりは150 km。運用うんよう人数にんずうは6めいうち5めいは、移動いどうさいには、牽引けんいんトレーラーで牽引けんいんされる)。1りょうのみ試作しさく

  • [1] - もととなった「Kommunar Z-90」。90 hpのガソリンエンジンを搭載とうさい重量じゅうりょう8.5 t、最大さいだい積載せきさい重量じゅうりょう2 t、最大さいだい牽引けんいん重量じゅうりょう6 t。前進ぜんしん3そく後方こうほう1そくのギアボックスをそなえ、速度そくどは3.9~15.2 km/h。
  • [2] - SU-2 はしほう 側面そくめん
  • [3] - SU-2 はしほう 後方こうほうから

開発かいはつ参考さんこうにしたとかんがえられる「WD シュレッパー」と比較ひかくして、エンジン出力しゅつりょくおおきいので、車体しゃたいにも装甲そうこうがあり、速度そくどもよりはやいことから、実戦じっせんでの実用じつようせいたかまっている。

SU-2 はしほうは、開放かいほうがた戦闘せんとうしつであることから、装甲そうこうおおわれた固定こてい戦闘せんとうしつ方式ほうしきくらべて軽量けいりょうで(この軽量けいりょうさが成功せいこう理由りゆう)、開発かいはつ当時とうじとしてはそれほどおそくもなく(れいとして、当時とうじソ連それん主力しゅりょくであるTー18 けい戦車せんしゃは、17 km/h)、メンテナンスも容易よういで、トラクターのスペアパーツが流用りゅうようできるので、赤軍せきぐん代表だいひょうしゃこう評価ひょうかあたえた。ソ連それんでは、(本格ほんかくてきはしほうとしては、T-26 けい戦車せんしゃのシャーシをもとにしたものへと移行いこうしたが)、そのもトラクターをもとにした様々さまざまはしほう開発かいはつされている。

オデッサ戦車せんしゃやハリコフ戦車せんしゃもそうした伝統でんとううえつくられている。

WD牽引けんいんしゃもとにしたそうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ(コロホウセンカ)[編集へんしゅう]

KH-60 そうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ

1920年代ねんだいは、戦車せんしゃ機動きどうせい向上こうじょうこころみのひとつとして、そうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ(コンバーチブルドライブしゃ)の開発かいはつが、欧米おうべい各国かっこく流行りゅうこうした時代じだいでもあった。ヴェルサイユ条約じょうやくにより、戦車せんしゃ開発かいはつきんじられたドイツでは、おおくの戦車せんしゃ技術ぎじゅつしゃしょくけなくなり、他国たこくへとわたった。ヨーゼフ・フォルマーもその一人ひとりであった。

戦車せんしゃ機動きどうせい向上こうじょう関心かんしんのあったかれは、戦後せんごチェコスロバキアへとわたり、1924ねんにハノマークしゃせい「WD 50」牽引けんいんしゃもとに、「KH-50 そうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ」を開発かいはつした。チェコスロバキアは、「WD 50」のライセンス生産せいさんを、1923ねんから開始かいししていた。

[4] - KH-50 そうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ

「WD 50」のエンジンを後方こうほうに、操縦そうじゅうせき前方ぜんぽうに、移設いせつし、そう走行そうこう移行いこうするには、木製もくせいのスロープじょうほんしゃげて、地面じめんからかせたのち、シャーシのりょう側面そくめんに、片面かためん2つずつ、けい4つの車輪しゃりんける方式ほうしきであった。

そう速度そくどは35 km/hで、そう軌時の速度そくどは15 km/hであった。これらはけっして高速こうそくではなく、これはベースとなった牽引けんいんしゃのエンジン出力しゅつりょく不足ふそくからくるものであった。解決かいけつさくはエンジン出力しゅつりょく向上こうじょうさせることであった。

1927ねん、エンジン出力しゅつりょくを60馬力ばりき向上こうじょうさせた、改良かいりょうがたの「KH-60 そうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ」が開発かいはつされた。シャーシも車体しゃたい上部じょうぶ砲塔ほうとうさい設計せっけいされた。これにより、そう速度そくどは45 km/hに、そう軌時の速度そくどは18 km/hに、向上こうじょうした。武装ぶそうは、シュコダ 37 mm 歩兵ほへいほうを1もん、もしくは、シュワルツローゼ vz.24 じゅう機関きかんじゅうを2てい、を装備そうびした。

1929ねん最後さいご改良かいりょうがたである「KH-70 そうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ」が開発かいはつされた。エンジン出力しゅつりょくは70馬力ばりきで、そうさい高速度こうそくどは60 km/hまで向上こうじょうした。武装ぶそう旋回せんかい砲塔ほうとうにヴィッカース 47 mmほう装備そうびした。

これら一連いちれんそうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃを、チェコでは「コロホウセンカ(Kolo-housenka)」(「KH-○○」の「KH」はコロ-ホウセンカを記号きごうである)とぶ。「コロ」は車輪しゃりん、「ホウセンカ」はくつたい意味いみする。

ソ連それんが2りょうのKH-60を、イタリアが1りょうのKH-70を、技術ぎじゅつてき参考さんこう目的もくてき購入こうにゅうしている。

結局けっきょくそうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ(コンバーチブルドライブしゃ)のこころみは、戦車せんしゃ重量じゅうりょう増大ぞうだいとともに、実用じつようてきではなくなり、すたれていった。

チェコスロバキアにおけるそうはなわそう併用へいようしき戦車せんしゃ開発かいはつ計画けいかくは、のちに、「中型ちゅうがたふくあいサスペンション攻撃こうげきしゃ」(Kombinovaný střední útočný)計画けいかくへと発展はってんして、1935ねんまでつづき、結果けっかそう軌式のみの、「シュコダ Š-III じゅう戦車せんしゃ」と「タトラ T-III じゅう戦車せんしゃ」が開発かいはつされた。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]