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BT戦車せんしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
BT戦車せんしゃ最初さいしょ量産りょうさんがた、BT-2

BT戦車せんしゃ(ベーテーせんしゃ、ロシア:Быстроходные танкиブィストラホードヌィイェ・ターンキ略称りゃくしょう:БТベテー)は、だい世界せかい大戦たいせんまえソ連それん開発かいはつした一連いちれん戦車せんしゃである。

「BT」とはロシアで「素早すばや戦車せんしゃ」を意味いみする「Быстрый танк」の頭文字かしらもじをとったもので、「快速かいそく戦車せんしゃ」などとやくされる[1]赤軍せきぐんでは「BT」の愛称あいしょうがた「ベテーシュカ」(бэтэ́шкаベテーシュカ)または「ベートゥシュカ」(бе́тушкаビェートゥシュカ)、卑称ひしょうがた「ベートカ」(Бе́ткаビェートカ)でんだ。ドイツぐんからは、まいのハッチをひらいた1937ねんかた以降いこう砲塔ほうとうから「ミッキーマウス」というニックネームがつけられた。

開発かいはつ経緯けいい

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BTの設計せっけいはアメリカじんジョン・W・クリスティー開発かいはつしたM1928、およびM1940という戦車せんしゃ由来ゆらいする。M1940はM1928の砲塔ほうとういデモンストレーションモデルで、1930年代ねんだいはじめの開発かいはつにもかかわらず、先進せんしんせい主張しゅちょうした形式けいしき番号ばんごうであった[2]。クリスティーはアメリカ様々さまざま戦車せんしゃ開発かいはつしていたが、かれ独創どくそうてきなアイデアは保守ほしゅてきぐん幹部かんぶ興味きょうみくことができず、またクリスティーの発明はつめいにありがちな尊大そんだいまぐれな性格せいかくのためにみの結果けっかかんばしくなく、本国ほんごくでは少数しょうすう使用しようまったが、イギリスソ連それんではかれのアイデアを巡航じゅんこう戦車せんしゃ快速かいそく戦車せんしゃ開発かいはつされた。

BT戦車せんしゃ誕生たんじょう

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あらたな戦車せんしゃドクトリンにもとづいて高速こうそく戦車せんしゃもとめていたソ連それんぐんは、カニンガムT1けい戦車せんしゃ(32km/h)を購入こうにゅうするために、1928ねん10がつ赤軍せきぐん兵器へいき本部ほんぶ機械きかい自動車じどうしゃきょくのハレプスキー局長きょくちょう極秘ごくひうら渡米とべいさせた。かれはそこで、アメリカじん発明はつめい ジョン・ウォルター・クリスティー開発かいはつした、そうはなわそう両用りょうようしきのクリスティー戦車せんしゃ(M1928でそう走行そうこう111.4km/h、くつたい装着そうちゃく68.5km/h)の存在そんざいり、カニンガムT1けい戦車せんしゃたいする興味きょうみうしない、クリスティーとのねばづよ交渉こうしょうすえ、クリスティー戦車せんしゃ購入こうにゅういたった。

当時とうじアメリカはソ連それん国家こっかとして承認しょうにんしておらず、べい国務省こくむしょうは「ソ連それんとのしょう取引とりひき自己じこ責任せきにん」という姿勢しせいであったが、軍需ぐんじゅひん取引とりひき禁止きんししていた。

ソ連それんがニューヨークにいた通商つうしょう代表だいひょう「AMTORG(アムトルグ)」が、唯一ゆいいつしょう取引とりひき窓口まどぐちであったが、ここは諜報ちょうほう機関きかんでもあった。

アムトルグはクリスティーの試作しさく戦車せんしゃ入手にゅうしゅ企図きとし、1930(昭和しょうわ5)ねん4がつに、2りょうの「M1940(=M1930)」を6まんドル(当時とうじレートでやく20まんえん)で、スペアパーツるいを4000ドルで、購入こうにゅうし、さらに10年間ねんかんソ連それん国内こくないでの生産せいさん販売はんばい使用しよう権利けんり(ライセンス)も取得しゅとくする契約けいやくを、クリスティーとむすんだ。

2りょうの「M1940(=M1930)」は、農業のうぎょうようトラクター名目めいもく書類しょるいつくられ、べい国務省こくむしょうべい陸軍りくぐんしょう承認しょうにんしに、ソ連それん輸出ゆしゅつされた。

開発かいはつウクライナ・ソヴィエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこくハリコフおこなわれた。輸入ゆにゅうした2りょうの「M1940(=M1930)」を使つかって1931ねん3月から試験しけん開始かいしし、その結果けっかもと各部かくぶ強化きょうかするなどして、最初さいしょ量産りょうさんがたBT-2開発かいはつした。

BT-2の原型げんけいよりの改良かいりょうポイントとしては、砲塔ほうとう新設しんせつ車体しゃたい前部ぜんぶ形状けいじょう変更へんこう操縦そうじゅうハッチの変更へんこうアルミ合金ごうきんせいてんをスポークがた鋳造ちゅうぞうせい、またのちにプレス鋼板こうはんせい変更へんこう途中とちゅうから前部ぜんぶフェンダーの増設ぞうせつなどである。

BT-2の成功せいこうくしたソ連それん陸軍りくぐんはそのBT-2を改良かいりょうしたBT-3、そう砲塔ほうとうがたのBT-4といった試作しさくがたて、砲塔ほうとう大型おおがたしたBT-5、その改良かいりょうがたであるBT-7を生産せいさんした。かくかた総計そうけいした生産せいさん台数だいすうは7000りょう上回うわまわる。

BT戦車せんしゃ確立かくりつされたソ連それんぐんちゅう戦車せんしゃ設計せっけい思想しそうは、そのA-32試作しさく戦車せんしゃ改良かいりょうがたのA-34の開発かいはつかされ、傑作けっさく戦車せんしゃT-34もととなる。

のちにクリスティーは、「いまおもえばソ連それんんだことがかったのか。後悔こうかいしている」とかたっている。

実戦じっせんでの運用うんよう

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ノモンハン事件じけん投入とうにゅうされたBT-7

BTはスペイン内戦ないせんちょうほう事件じけんノモンハン事件じけんポーランド侵攻しんこうふゆ戦争せんそうだい1ソ連それん=フィンランド戦争せんそうとう使つかわれた。たか機動きどうりょく当時とうじとしては強力きょうりょく備砲びほうソ連それん戦車せんしゃ特徴とくちょうともえ、かく戦域せんいき活躍かつやくしたが、アジア方面ほうめん以外いがいではその機動きどうりょくかせず、投入とうにゅうされたBT-5、BT-7ども装甲そうこう貧弱ひんじゃくさが問題もんだいてんで、対戦たいせんしゃほう火炎瓶かえんびんなやまされた。

ソ連それんぐんではだい世界せかい大戦たいせん開戦かいせんにも多数たすう在籍ざいせきしており、1941ねんはじまったどくせんでもたたかったが、開戦かいせん指揮しき系統けいとう混乱こんらん機甲きこう戦術せんじゅつ未熟みじゅくとう運用うんようめんでの問題もんだいもあって緒戦しょせんだい損害そんがいけ、急速きゅうそく消耗しょうもうT-34ってわられていった。戦争せんそう中期ちゅうきには完全かんぜん陳腐ちんぷしており、初戦しょせんびたBTシリーズはみな後方こうほう部隊ぶたいにまわされることになった。戦争せんそう正面しょうめんであるたいどくせん方面ほうめん以外いがいでの機甲きこう部隊ぶたい装備そうびとしては戦争せんそうつうじて装備そうびされつづけており、後方こうほうでの訓練くんれんようにももちいられていた。1945ねんになってもザバイカルぐん管区かんくのこっていたものが満州まんしゅう侵攻しんこう使つかわれている。このさいには日本にっぽんぐん組織そしきてき抵抗ていこうをほとんどおこなわなかったこともあり、快速かいそくせいかして活躍かつやくした。

ドイツぐんでの運用うんよう

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ドイツぐんどくせん初頭しょとう、1941ねん大量たいりょうのBT戦車せんしゃ鹵獲ろかくし、ラトビアリガもうけた兵器廠へいきしょう修理しゅうり整備せいびのちPanzerkampfwagen BT 742(r)[3]名称めいしょうあたえた。

しかし、鹵獲ろかく車両しゃりょう大半たいはん戦闘せんとう損傷そんしょうもしくは製造せいぞう段階だんかいからの不具合ふぐあいかかえたものであったため、実用じつよう車両しゃりょうとしてドイツぐん基準きじゅんたすレベルに再生さいせいされたものはたいしたかずがなく、実際じっさいには鹵獲ろかくりょうかずくら少数しょうすう配備はいびされたのみである。

BT742(r)はドイツ国防こくぼうぐん捕獲ほかく戦車せんしゃ部隊ぶたい、および親衛隊しんえいたい秩序ちつじょ警察けいさつ(Ordnungspolizei:通称つうしょう“オルポ”)のじゅう装備そうび部隊ぶたい配備はいびされたが、実際じっさい運用うんようした将兵しょうへいには「工業こうぎょう製品せいひんとしての品質ひんしつひくい」「多数たすう問題もんだいてんがあり戦車せんしゃとしての性能せいのうひくい」と不評ふひょうであった。秩序ちつじょ警察けいさつでは東部とうぶ戦線せんせん後方こうほうでのパルチザン掃討そうとう任務にんむすくなくとも1944ねんまではBT742(r)を使用しようしている。

フィンランドぐんでの運用うんよう

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フィンランドでは1939ねんから1944ねんにかけてのソ芬戦そうふゆ戦争せんそう継続けいぞく戦争せんそう)において多数たすうのBTシリーズ(その大半たいはんはBT-7であった)を鹵獲ろかくし、T-26ともにフィンランドぐん戦車せんしゃ部隊ぶたい主力しゅりょくとして使用しようした。

1942ねんには鹵獲ろかくしたBT-7を独自どくじ改造かいぞうしたはしほう突撃とつげきほう)が製作せいさくされている(後述こうじゅつ#ソビエト以外いがいでの派生はせいがた参照さんしょう)。

特徴とくちょう

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BT戦車せんしゃ構造こうぞう全体ぜんたいてき原型げんけいとなったクリスティー戦車せんしゃ踏襲とうしゅうしている。M1928から採用さいようされた「クリスティーしき懸架けんか装置そうち」は、だい直径ちょっけいてんとストロークのおおきいコイルスプリングによるサスペンションわせで、これに航空機こうくうきようだい馬力ばりきエンジンもちいることで高速こうそく走行そうこう実現じつげんしていた。装甲そうこう自体じたいうすかったが、わりに車体しゃたい前面ぜんめん傾斜けいしゃし、避弾けいはじめ[4]れていた。

エンジンにはおなじクリスティー戦車せんしゃ子孫しそんであるイギリスの巡航じゅんこう戦車せんしゃ同様どうよう、アメリカのリバティーエンジンの国産こくさんばんであるVがた12気筒きとうM-5を搭載とうさいしているが、最初さいしょの100りょうにはわず輸入ゆにゅうしたリバティーを使つかっている。初期しょきにはクリスティー同様どうよう単純たんじゅん排気はいきこうはこがたマフラー消音しょうおん)だったが、大型おおがた円筒えんとうがたマフラーに変更へんこうされ、さらに単純たんじゅんながつつがた排気はいきかん改修かいしゅうされたものもある。エンジングリルの排気はいきこうまいいたななめにかたむ単純たんじゅんもので、当初とうしょクリスティー戦車せんしゃ同様どうようにむきしであったが、まもなく異物いぶつ混入こんにゅう防止ぼうしよう金網かなあみせいカバーが装着そうちゃくされた。これらは基本きほんてきT-34まで踏襲とうしゅうされた構造こうぞうである。

BT戦車せんしゃ一番いちばん特徴とくちょうは、原型げんけいとなったクリスティー戦車せんしゃ同様どうようくつたいなしでも走行そうこうできることで、起動きどうとそれに隣接りんせつするてんだい4てん)が複数ふくすうのギア[5]かいして接続せつぞくされており、くつたいはずしても起動きどうから動力どうりょくうたて伝達でんたつされることにより、そうしき車両しゃりょうとして走行そうこうすることができた。くつたいしの状態じょうたいでは道路どうろ高速こうそく走行そうこうでき、戦場せんじょうへの移動いどうにはきわめて有効ゆうこうであった。しかし、くつたいはずしとさい装着そうちゃく時間じかんがかかるため、戦場せんじょう到着とうちゃくしたのちにこの機能きのう使つかわれることはすくなかった。ノモンハンでは日本にっぽんぐん陣地じんちしのるために騒音そうおんはっするくつたいはずし、そう機動きどうおこなったという記録きろくがある。

外国がいこく公開こうかいされただい規模きぼ演習えんしゅうでBTが存分ぞんぶん機動きどうりょく発揮はっきするようイギリスぐん武官ぶかん報告ほうこくは、以後いごのイギリスの巡航じゅんこう戦車せんしゃ設計せっけい影響えいきょうあたえている。

かくかたおよび派生はせいがた

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BT-1
アメリカから参考さんこうよう輸入ゆにゅうした2りょうの「M1940」もしくは「M1930」に、ソ連それんあたえた形式けいしきめい
ふる文献ぶんけんでは後述こうじゅつのBT-2の連装れんそう機関きかんじゅう装備そうびがたを「BT-1」として記述きじゅつしている。
BT-2
最初さいしょ量産りょうさんがた武装ぶそう円形えんけい砲塔ほうとうにB-3(5K)・37mmほうからそのみぎに7.62mmDT機関きかんじゅうのポールマウントしきじゅうそなえたタイプが制式せいしきであるが、十分じゅうぶん生産せいさんされないうちに45mm戦車せんしゃほう生産せいさん移行いこうし37mmの生産せいさんられ、ほう搭載とうさいできたのは180りょうぎなかった。やむをず、のこりの車輌しゃりょうわりにDA-2連装れんそう機関きかんじゅう搭載とうさい、こちらのほうが440りょうおお生産せいさんされている。
BT-3
BT-2の設計せっけいをアメリカしきのインチ-フィート記法きほうからセンチメートル記法きほう変換へんかんしたものとし、車体しゃたい構造こうぞう部分ぶぶんてき溶接ようせつれ、サスペンションの改良かいりょう、45mmほう搭載とうさいするために砲塔ほうとう設計せっけい変更へんこうするひとし改修かいしゅうくわえたかた。BT-2の最終さいしゅうロットのうちわずかな車体しゃたい部分ぶぶんがこの仕様しようもとづいて生産せいさんされたのみで、本格ほんかく量産りょうさんはなされなかったが、BT-5およびBT-7開発かいはつ基礎きそとなった。
BT-4
キエフ工場こうじょう製作せいさくされた、BT-3の車体しゃたい1人ひとりよう砲塔ほうとう左右さゆう並列へいれつに2搭載とうさいした砲塔ほうとうがた砲塔ほうとうは「37mmほうおよび7.62mm機関きかんじゅうかく1」「37mmほう2」「7.62mm機関きかんじゅう2」のバリエーションがある。3りょう試作しさくのみで量産りょうさんはなされなかった。
なお、生産せいさんされたものは砲塔ほうとうはずしたBTの車体しゃたいのターレットリングを簡易かんいてきふさぎ、検討けんとうよう砲塔ほうとう搭載とうさいしたモックアップモデルにひとしいもので、本格ほんかくてき実用じつよう車両しゃりょう製作せいさくされていない。「BT-4」の名称めいしょう実用じつよう車両しゃりょうとして使用しようされている写真しゃしん存在そんざいしているが、これらは画像がぞうをコラージュして製作せいさくされた想像そうぞうである。
BT-5
装甲そうこう材質ざいしつ向上こうじょうさせ、また主砲しゅほうを37mmほう拡大かくだいばんである45mm20k戦車せんしゃほう強化きょうかした。砲塔ほうとう当初とうしょ円形えんけい後部こうぶはこがたバスル(そとけのざつばこではなく砲塔ほうとう一部いちぶ)のいた形状けいじょうであったが、標準ひょうじゅんがたではバスル大型おおがたされ側面そくめん装甲そうこう一体いったいにつながったものになった(おな砲塔ほうとうT-26けい戦車せんしゃ同様どうようである)。一部いちぶ夜戦やせんようぼうたてじょうサーチライト装備そうびしているが、これと車体しゃたい前面ぜんめんのライトは無防備むぼうびであり、最初さいしょ戦闘せんとうで30%が被弾ひだんによる破損はそん使用しよう不可能ふかのうになったという。
機関きかんしつ上面うわつら異物いぶつ混入こんにゅう防止ぼうし用金ようきんもうせいカバーや大型おおがたマフラーは当初とうしょから標準ひょうじゅん装備そうびで、マフラーはやはりつつがた排気はいきかん変更へんこうされた。
BT-5TU
無線むせん搭載とうさいされた指揮しき戦車せんしゃがた砲塔ほうとうじょうのハチマキじょうフレームアンテナで識別しきべつできる。無線むせん上級じょうきゅう部隊ぶたいとの連絡れんらくようで、個々ここ車両しゃりょう同士どうし無線むせん通信つうしんすることはできない。無線むせんたない僚車には手旗てばた信号しんごうにより指示しじおくられたが、実戦じっせんでは上手うま指示しじ伝達でんたつすることができず、目立めだつアンテナはノモンハン事件じけんでは指揮しき戦車せんしゃ最初さいしょ攻撃こうげきされる原因げんいんとなった。
RBT-5
1935ねん試作しさくされた、砲塔ほうとうりょうわき大型おおがたロケットだん発射はっしゃ装置そうち装備そうびした試作しさく火力かりょく支援しえん車両しゃりょう。このほかにもRS-132航空こうくうロケットだん発射はっしゃレールを砲塔ほうとう側面そくめん装備そうびした車両しゃりょう試作しさくされている。
BT-5PKh
防水ぼうすい構造こうぞうとしシュノーケル装置そうちそなえた潜水せんすい戦車せんしゃがた試作しさくのみ。
PT-1
BT-5をもとに、車体しゃたいていからだ構造こうぞうとし、車体しゃたいめん水上すいじょう推進すいしんようのスクリュープロペラとかじそなえる水陸すいりく両用りょうよう戦車せんしゃがた
1934ねんには試作しさくしゃ完成かんせいしてテストがおこなわれ、結果けっか順調じゅんちょうであったが、非常ひじょう高価こうか車両しゃりょうになることから量産りょうさん見送みおくられた。
BT-5A
武装ぶそうを76.2mm連隊れんたいほう榴弾りゅうだんほう)にかわそうした近接きんせつ支援しえんがた試作しさくのみで、量産りょうさんされていない。
BT-6
車体しゃたい構造こうぞうぜん溶接ようせつとした試作しさくがた各部かくぶ接合せつごう溶接ようせつとなっているほかはBT-5と同型どうけいだが、操縦そうじゅうしゅよう視察しさつよう展望てんぼうとう部分ぶぶん半円はんえんがたとなっていることがことなる。量産りょうさんはなされなかった。
BT-7
BT-5改良かいりょうしたもので、車体しゃたいリベットしきから溶接ようせつしきになり、新型しんがたのM-17Tエンジンが採用さいようされたほか燃料ねんりょう搭載とうさい可能かのうりょう増加ぞうかした。砲塔ほうとう基本きほんてきにはBT-5のものとおなじだが、溶接ようせつしきとなり、ハッチがよこに2つなら方式ほうしきとなっている。
後述こうじゅつしん砲塔ほうとうがた区別くべつするため、BT-5と同系どうけい砲塔ほうとう搭載とうさいしたものは「BT-7-1」、もしくは「BT-7 1935ねんがた」ともばれる。
BT-7TU
無線むせん搭載とうさいされた指揮しき戦車せんしゃがた。BT-5TUとおなじハチマキじょうフレームアンテナを装備そうびしている。同様どうよう目立めだつアンテナは指揮しき戦車せんしゃ最初さいしょ攻撃こうげきされる原因げんいんとなった。
BT-7-2
砲塔ほうとう新型しんがた傾斜けいしゃ装甲そうこうがた砲塔ほうとうへと変更へんこうしたかた砲塔ほうとう形式けいしきにより「BT-7 1937ねんがた」「BT-7 1938ねんがた」および「BT-7 1939ねんがた」の3種類しゅるい分類ぶんるいがなされている。
BT-7A
16.5口径こうけい76.2mm戦車せんしゃほう KT-28を搭載とうさいする火力かりょく支援しえんがたあらたに開発かいはつされたKT-28戦車せんしゃほう搭載とうさいの2めいよう砲塔ほうとう搭載とうさいされている。1936ねんから翌年よくねんにかけて155りょう生産せいさんされた。
BT-7M
ディーゼルエンジン搭載とうさいするなどの改良かいりょうほどこされた改修かいしゅうがた
資料しりょう文献ぶんけんによっては「BT-8」の呼称こしょうもちいられている。
OT-7
車体しゃたい前部ぜんぶにKS-63火炎かえん放射ほうしゃ搭載とうさいし、車体しゃたい上部じょうぶりょうわき発火はっかざいのタンクをそなえた火炎かえん放射ほうしゃ戦車せんしゃかた
試作しさく車両しゃりょうは1935ねんがたをベースとし車体しゃたい前部ぜんぶ左側ひだりがわ火炎かえん放射ほうしゃ装置そうち装備そうびしているが、生産せいさんがたは1937ねんがたをベースに車体しゃたい前面ぜんめん上部じょうぶ右側みぎがわ火炎かえん放射ほうしゃ装置そうち装備そうびしている。
ChBT-7
OT-7の試作しさくがた車体しゃたいではなく主砲しゅほうわりに火炎かえん放射ほうしゃ装置そうち搭載とうさいした砲塔ほうとう装備そうびしている。
BT-IS
BTシリーズの起動きどうさい後尾こうびてん接続せつぞくするそうしき走行そうこう機構きこう車体しゃたい側面そくめん上部じょうぶ左右さゆうないとおしたドライブシャフトをかいして駆動くどうする方式ほうしきあらため、操行そうこうよう最前さいぜんうたてだい1てん以外いがい左右さゆう3りん駆動くどうする方式ほうしきあらためた試作しさく車両しゃりょう。BT-2がベースのものからBT-5およびBT-7をベースにしたものまで各種かくしゅ試作しさくされ、BT-5/7をもとにしたものは車体しゃたい側面そくめん装甲そうこうばん傾斜けいしゃ装甲そうこうになっていることが特徴とくちょうである。そう走行そうこう駆動くどうだい2~3てんとしてぜん駆動くどうちかかたちとしたため、そう走行そうこうでもみちがい走破そうはせいたかく、そう走行そうこうちゅう片側かたがわくつたいれても走行そうこう不能ふのうになることがない、という利点りてんがあったが、構造こうぞう複雑ふくざつになりすぎ信頼しんらいせい整備せいびせいひくい、という問題もんだいしょうじた。
1930年代ねんだいとおして開発かいはつ試験しけんおこなわれ、1938ねんには量産りょうさんがた発注はっちゅうがなされたが、同年どうねんちゅう計画けいかく中止ちゅうしとなった。
BT-SV
BT-7 しん砲塔ほうとうがたもとに、車体しゃたい傾斜けいしゃ装甲そうこうわせた新型しんがた車体しゃたいとした試作しさく車両しゃりょう
1936ねんから1938ねんにかけて試作しさく研究けんきゅうおこなわれたが、量産りょうさんはなされなかった。試験しけんではたかたい弾性だんせいしめし、T-34開発かいはつ参考さんこうとされた。
BT-SV-2
BT-SVの装甲そうこうあつ倍増ばいぞうさせた発展はってんがたそう重量じゅうりょうおおきくなりすぎて走行そうこう装置そうちへの負担ふたんおおきく、また馬力ばりき不足ふそくとされ、開発かいはつ計画けいかく中止ちゅうしされた。
KBT-7
BT-7の車体しゃたいまえ左右さゆうにボールマウントしき機銃きじゅうそなえた固定こていしき戦闘せんとうしつ設置せっちした指揮しき戦車せんしゃがた試作しさくのみ。
BT-BTR
BT-7の車体しゃたいもとに、エンジンを前部ぜんぶうつしてフロントエンジンとし、乗員じょういん2めいくるまちょうけん機銃きじゅうしゅ操縦そうじゅうしゅ)の後部こうぶ兵員へいいん8めい収容しゅうようできる兵員へいいんしつもうけた装甲そうこう兵員へいいん輸送ゆそうしゃかた。1943ねんから1944ねんにかけてゴーリキー自動車じどうしゃ工場こうじょう(GAZ)設計せっけい作業さぎょうおこなわれ、いくつかの設計せっけいあん提出ていしゅつされたが、ペーパープランのみにわった。

ソビエト以外いがいでの派生はせいがた

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BT-42
フィンランド開発かいはつしたはしほう突撃とつげきほうがたソ連それんから鹵獲ろかくしたBT-7の砲塔ほうとう拡大かくだいして容積ようせきひろげ、イギリスせいQF 4.5インチ榴弾りゅうだんほう(フィンランド名称めいしょう 114H18)を搭載とうさいした。
1942ねんから1943ねんにかけて18りょう改装かいそうされ、フィンランドぐんないでは「クリスティ突撃とつげきほう」とばれた。
BT-43
フィンランドが捕獲ほかくしたBT-7を改造かいぞうして製作せいさくされた兵員へいいん輸送ゆそう多目的たもくてき装甲車そうこうしゃ砲塔ほうとうはずしたBT-7の車体しゃたいじょう木製もくせいのデッキを増設ぞうせつしている。試作しさくしゃ1りょうのみが1943ねん11月に完成かんせいしテストがおこなわれたが量産りょうさんはなされず、試作しさくしゃは1945ねん5がつ廃棄はいきされた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ほん項目こうもくめいのように「BT戦車せんしゃ」とすると「快速かいそく戦車せんしゃ戦車せんしゃ」という重言じゅうげんてき表現ひょうげんになるので、これはあやまりとする意見いけんもある
  2. ^ M1931の砲塔ほうとう試作しさくがたである「M1930」とする資料しりょうもあるなど、名称めいしょう諸説しょせつあり
  3. ^ BT-5とBT-7が鹵獲ろかくされているが、とく区別くべつはされずすべて“BT 742(r)”とばれている。
  4. ^ 装甲そうこうななめにすること水平すいへい方向ほうこうにくあつし、さらにたった弾丸だんがんいてらす工夫くふう
  5. ^ 原型げんけいのクリスティー戦車せんしゃでは起動きどううたて接続せつぞくはチェーン方式ほうしきであるが、BT戦車せんしゃ国産こくさんにあたってはギア連結れんけつしき改良かいりょうされている。

関連かんれん項目こうもく

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