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KV-1

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KV-1(КВ-1)
KV-1(1941ねんがた
性能せいのうしょもと
全長ぜんちょう 6.89 m
車体しゃたいちょう 6.75 m
全幅ぜんぷく 3.32 m
ぜんこう 2.71 m
重量じゅうりょう 45 t
懸架けんか方式ほうしき トーションバー方式ほうしき
速度そくど 35km/h(整地せいち
17 km/h(整地せいち
行動こうどう距離きょり 335 km
主砲しゅほう 41.5口径こうけい76.2mm
ZIS-5戦車せんしゃほうたますう98はつ
ふく武装ぶそう 7.62mm車載しゃさい機銃きじゅうDTx3
たますう3024はつ
装甲そうこう
砲塔ほうとう
  • ぼうたて90 mm 前面ぜんめん75 mm
  • 側面そくめん75 mm めん75 mm 上面うわつら40 mm
車体しゃたい
  • 前面ぜんめん上下じょうげ75+25 mm 前面ぜんめん傾斜けいしゃ40 mm
  • 側面そくめん75mm めん70mm うえ底面ていめん30-40 mm
エンジン 12気筒きとうえきひやディーゼルV-2K
550 馬力ばりき/2150rpm
乗員じょういん 5 めい
くるまちょうけん装填そうてんしゅ砲手ほうしゅ操縦そうじゅうしゅ
補助ほじょ操縦そうじゅうしゅけん整備せいびしゅ
無線むせんしゅけん前方ぜんぽう機関きかんじゅうしゅ
しょもとは 1941ねんがた のもの
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KV-1ロシア: КВ-1、カーヴェー・アヂーン)は、だい世界せかい大戦たいせんソ連それんぐんじゅう戦車せんしゃ(45トンきゅう)である。

当時とうじソ連それん国防こくぼうしょうであるクリメント・ヴォロシーロフКлимент Ворошилов)のかんしたもので、略称りゃくしょうКВ英語えいごではKVドイツではKW表記ひょうきされる。

概要がいよう

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1939ねん開発かいはつされ、だい世界せかい大戦たいせん初期しょきから中期ちゅうきにかけてT-34ちゅう戦車せんしゃともソ連それんぐん機甲きこう部隊ぶたい中核ちゅうかくをなした。

76.2mmほう装備そうびし、当時とうじとしては破格はかくおも装甲そうこうほこったほんしゃは、どくせん当初とうしょドイツぐん戦車せんしゃ対戦たいせんしゃほうからはなたれる砲弾ほうだんをことごとくがえし、かれらをして「怪物かいぶつ」とわしめた。その一方いっぽうトランスミッションほう照準しょうじゅん装置そうちなどの機械きかいてき信頼しんらいせい品質ひんしつひくさはきわめて深刻しんこくであった(操縦そうじゅうしゅハンマーシフトレバーをたたいてギアチェンジすることもあった)。このため長時間ちょうじかん作戦さくせん行動こうどうでは操縦そうじゅう疲労ひろうはなはだしく、補助ほじょ操縦そうじゅうしゅけん整備せいび[注釈ちゅうしゃく 1]んでいたほどだった。また、ほんしゃ特色とくしょくであるじゅう装甲そうこう重量じゅうりょういちじるしい増加ぞうかまねいて運用うんようじょうおおきな制約せいやくとなっており、のち軽量けいりょうがたであるKV-1Sがつくられることとなる。

どく開戦かいせん当初とうしょ無敵むてきほこり、SU-152KV-2よう派生はせいがた改良かいりょうがたしたKV-1も、ドイツぐんIVごう戦車せんしゃ火力かりょく強化きょうか88 mm高射こうしゃほうティーガーパンター登場とうじょうにより次第しだいにその価値かちげんじてゆき、主砲しゅほうを85 mmに強化きょうかしたKV-85最後さいごISシリーズにそのゆずった。

開発かいはつ技術ぎじゅつてき特徴とくちょう

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1937ねんT-35砲塔ほうとうじゅう戦車せんしゃ後継こうけい車両しゃりょう開発かいはつが、ともにレニングラードにあるキーロフスキー工場こうじょう[注釈ちゅうしゃく 2]だい100工場こうじょう)およびボルシェビク工場こうじょう[注釈ちゅうしゃく 3]だい174工場こうじょう)の2つの設計せっけいきょくめいじられた。その結果けっかSMK(キーロフスキー工場こうじょう)、T-100(ボルシェビク工場こうじょう)とばれる砲塔ほうとうじゅう戦車せんしゃ競合きょうごう試作しさくされたが、車体しゃたい巨大きょだいだい重量じゅうりょうになりぎたことにより装甲そうこう強化きょうか制約せいやくをうけたり機動きどう戦闘せんとう操作そうさ困難こんなんさがしょうじるなど、当時とうじすでに砲塔ほうとう戦車せんしゃ欠点けってんあきらかになりつつあった。

図面ずめんやモックアップの段階だんかいでは砲塔ほうとうが3~5つあったりょう戦車せんしゃは、砲塔ほうとう戦車せんしゃ懐疑かいぎてきであったスターリン不興ふきょうもあって試作しさく段階だんかいでは2砲塔ほうとうしきあらためられた。またキーロフスキー工場こうじょうでは、さらに独自どくじ代替だいたいあんとして、コーチン主任しゅにん技師ぎし麾下きかにあるドゥホフ技師ぎし設計せっけいチームを単一たんいつ砲塔ほうとうしきじゅう戦車せんしゃ並行へいこう開発かいはつ着手ちゃくしゅさせた。

SMK、T-100、そしてコーチン技師ぎし義理ぎり父親ちちおやで、国防こくぼうしょうでもあるクリメント・ヴォロシーロフのかんし「KV」と名付なづけられた単一たんいつ砲塔ほうとうがたの3しゅとも試作しさく検討けんとうされることになった。

3しゅ試作しさくしゃ1939ねんなつまでに完成かんせい、クビンカの試験場しけんじょう審査しんさおこなわれたが、機動きどうせいでも操作そうさめんでもKVがすぐれていると報告ほうこくされた。さらにそのとしふゆフィンランドへの侵攻しんこうはじまると、この3しゅ戦車せんしゃ実戦じっせん試験しけんのために前線ぜんせん投入とうにゅうされたが、そこでますます単一たんいつ砲塔ほうとうのKVの優位ゆういせい確認かくにんされ、1939ねん12月制式せいしき採用さいよう決定けっていした。KV-1はその1942ねんまでに3000りょう以上いじょう生産せいさんされ、つづいて軽量けいりょうがたのKV-1Sがよく1943ねんはるまで生産せいさんされた。

KVは並行へいこう開発かいはつされたSMKとは各部かくぶのデザインや部品ぶひん共通きょうつうしており、SMKの縮小しゅくしょうたん砲塔ほうとうがたることができる。KVの砲塔ほうとう試作しさくがた)はSMKの主砲しゅほうとうとよくていて、当初とうしょは76.2mmほうと45mmほう並列へいれつ装備そうびしていたがこれはすぐに76.2mmほうのみにあらためられた。あしまわりにはSMK同様どうようスウェーデンのランズベルクけい戦車せんしゃならったトーションバー・サスペンションが採用さいようされていたが、これはもともと冶金やきん工場こうじょうであったキーロフスキー工場こうじょうだからこそ導入どうにゅうできたしん技術ぎじゅつであった。てんおよびくつたい当初とうしょはSMKとおなじものが使つかわれていた[注釈ちゅうしゃく 4]が、車体しゃたい小型こがたともない、SMKでは片側かたがわ8だったてんはKVでは6らされていた。この初期しょきがたうたて普通ふつう戦車せんしゃちがい、リムはがねせい緩衝かんしょうようゴムをリムとハブのあいだはさんで内蔵ないぞうするという独特どくとく構成こうせいであった[注釈ちゅうしゃく 5]砲塔ほうとうじょうのハッチはいちまいだけで、しかも戦車せんしゃちょう装填そうてんしゅねるため前方ぜんぽう移動いどうするので、ここからの外部がいぶ視察しさつ不可能ふかのうだった。戦闘せんとうちゅうハッチのしたるのは補助ほじょ操縦そうじゅうしゅけん整備せいびしゅで、砲塔ほうとう後部こうぶ機銃きじゅう担当たんとうした。のちにKV-1Sでは戦車せんしゃちょうようキューポラが設置せっちされ、乗員じょういん出入でいようハッチの位置いち変更へんこうされている。またドイツぐん鹵獲ろかくしたものなかには、ドイツせいのキューポラを設置せっちして視界しかい改善かいぜんしたものもある。

1942ねん撮影さつえいされた、スターリングラード郊外こうがい平原へいげん砲弾ほうだん多数たすうけたKV戦車せんしゃ完全かんぜん貫通つらぬきとおせず、装甲そうこうさった状態じょうたい砲弾ほうだんられる

装甲そうこう初期しょきかた砲塔ほうとう前面ぜんめん90mm、側面そくめんで75mm、後期こうきかたでは砲塔ほうとうぜんしゅう120mmと分厚ぶあつく、とく開戦かいせんにはドイツぐん戦車せんしゃほうたい戦車せんしゃほうたいしてはほぼ無敵むてきほこった。しかし、SMKにくら小型こがた軽量けいりょうされたとはいえ40トンをえるくるまじゅうはクラッチとトランスミッションに過大かだい負荷ふかつよ[注釈ちゅうしゃく 6]故障こしょう損失そんしつのほうが戦闘せんとう損失そんしつよりおおいこともしばしばだった[注釈ちゅうしゃく 7]。さらに行軍こうぐんはし道路どうろ損傷そんしょうあたえ、戦闘せんとう車両しゃりょう通行つうこう阻害そがいすることも問題もんだいされた。後期こうき生産せいさんがたになるほど装甲そうこう強化きょうかされたため重量じゅうりょう過大かだいによる信頼しんらいせい欠如けつじょ深刻しんこくするばかりで、1942ねんにはついに新型しんがたトランスミッションを搭載とうさいするとともに車体しゃたい砲塔ほうとうともに設計せっけいをリファインし、KVの基本きほん設計せっけい範囲はんいないでできるかぎりの軽量けいりょうはかったKV-1Sが開発かいはつされて生産せいさんうつされた。

また、76.2mmの主砲しゅほう当初とうしょ30.5口径こうけいのL-11、その31.5口径こうけいのF-32[1]、さらに41.6口径こうけいのZIS-5と生産せいさんすすむにつれて漸次ぜんじ強化きょうかされていったが、それでもちゅう戦車せんしゃであるT-34同等どうとうじゅう戦車せんしゃとしての存在そんざい意義いぎつねわれることになった。主砲しゅほう改良かいりょうがたのKV-1Sでもわらず、そのためドイツぐん新型しんがたじゅう戦車せんしゃティーガーの登場とうじょう契機けいきに、より強力きょうりょく新型しんがたじゅう戦車せんしゃとしてKVの発展はってんがたであるISが開発かいはつされることになる。

バリエーション

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ソ連それんがわは、おも生産せいさん時期じきによってKV-1を分類ぶんるいしていたとされる。しかし、「**としがた」という呼称こしょうしめ仕様しようについては、資料しりょうにより差異さいがある。

1939ねんがた
KV-1 1939ねんがたロシア: КВ-1 1939 года выпуска
1939ねん12月から生産せいさん主砲しゅほうは30.5口径こうけい76mmほうL-11で装甲そうこうは75mm。当初とうしょ車体しゃたい前面ぜんめん機銃きじゅうはなく、ピストルポートがあるだけだったが、L-11装備そうびでも末期まっき生産せいさんしゃは、しょうぼうたてきの車体しゃたい機銃きじゅうけられた。
KV-1 1940ねんがたКВ-1 1940 года выпуска
1940ねん後半こうはんから生産せいさん主砲しゅほうは31.5口径こうけい76mmほうF-32で装甲そうこう初期しょき75mm、後期こうき90mm。初期しょき生産せいさんがたはほぼ1939ねんがたのままで主砲しゅほうことなるのみだったが、のちに、砲塔ほうとうぜん側面そくめん車体しゃたい側面そくめん増加ぞうか装甲そうこうをボルトめした仕様しようのものが生産せいさんされた(KV-1E)。さらに後期こうき生産せいさんしゃではこれらボルト増加ぞうか装甲そうこう廃止はいしされたが、砲塔ほうとうリング防御ぼうぎょようとべだんリブ、装甲そうこう強化きょうかがた新型しんがた溶接ようせつ砲塔ほうとうなどが導入どうにゅうされた。資料しりょうによっては、F-32搭載とうさいであっても、KV-1E以降いこう生産せいさんがたを1941ねんがたとしている場合ばあいがある。
フィンランドぐん鹵獲ろかく使用しようされたKV-1E
KV-1E(КВ-1 с Экранами
1940ねんがたのうち、35mmの装甲そうこうをボルトめで追加ついかしたもの。だい大戦たいせん開戦かいせんまえ他国たこく強力きょうりょく対戦たいせんしゃほう登場とうじょうほうまどわされた砲兵ほうへいきょくグリゴリー・クリーク元帥げんすいにより提言ていげんされていたものが、1941ねんどくせん開戦かいせんともない、ドイツぐんの8.8cm高射こうしゃほうによる対戦たいせんしゃ射撃しゃげきによって現実げんじつしたため、急遽きゅうきょ応急おうきゅう装甲そうこう強化きょうか措置そちとして実行じっこうされたものである。
この結果けっかそう重量じゅうりょうは50トンにたっし、さらなる機動きどうせい低下ていかまねいた。この仕様しよう生産せいさん一時期いちじきなもので、その基本きほん装甲そうこうそのものをしたかた(1942ねんがた)がつくられることになる。
“KV-1E”とはソビエトぐんにおける通称つうしょうの“KV-1 s Ekranami”(ロシア: КВ-1 с Экранами直訳ちょくやくすると「KV-1 平幕ひらまく装着そうちゃくがた」だが、この場合ばあい増加ぞうか装甲そうこうほどこされていることをしめしたもの)の略称りゃくしょうがたであるKV-1E(КВ-1Э)の“E(Э)”が制式せいしき名称めいしょうであると誤解ごかいされたところからたもので、このような制式せいしき番号ばんごう車種しゃしゅがあったわけではない。
KV-1 1941ねんがたКВ-1 1941 года выпуска
1941ねん7がつから生産せいさん主砲しゅほうは41.5口径こうけい76mm戦車せんしゃほうZIS-5[注釈ちゅうしゃく 8]。1941ねんがた生産せいさん開始かいしほどなくして、せまるドイツぐんけるため、レニングラードのキーロフスキー工場こうじょうはウラル地方ちほうチェリャビンスク疎開そかいすることとなった。疎開そかい生産せいさんせい向上こうじょうねらい、あらたに鋳造ちゅうぞう砲塔ほうとう生産せいさんされはじめ、従来じゅうらい溶接ようせつ砲塔ほうとう並行へいこうして使つかわれるようになった。また、それと前後ぜんごして緩衝かんしょうゴムを内蔵ないぞうしない、簡略かんりゃくがたぜんはがねせいうたて導入どうにゅうされた。
KV-1 1942ねんがたКВ-1 1942 года выпуска
全体ぜんたい装甲そうこう強化きょうかしたかたで、主砲しゅほうは41.5口径こうけい76mm戦車せんしゃほうZIS-5のままだが、装甲そうこう車体しゃたい側面そくめんで90mm、最大さいだいで105mmあるいは120mmまでふえあつされ(砲塔ほうとう)、重量じゅうりょうは47tに増加ぞうかした。これにともない、車体しゃたい後部こうぶオーバーハング形状けいじょう角形かくがたあらためられた。砲塔ほうとう従来じゅうらいよりさらに装甲そうこう強化きょうかされた、溶接ようせつがた鋳造ちゅうぞうがたの2しゅ使つかわれた。資料しりょうによっては、車体しゃたい新旧しんきゅうにかかわらず、装甲そうこう強化きょうかがた鋳造ちゅうぞう砲塔ほうとう搭載とうさいがたのみを1942ねんがたとする場合ばあいもある。
KV-1S
KV-1S(КВ-1с
軽量けいりょう駆動くどうけい改良かいりょう砲塔ほうとうはT-34 1943ねんがたのものに新型しんがたになった。装甲そうこうを82mmにまでうすくしたことくわえ、車体しゃたい後部こうぶ傾斜けいしゃをきつくしてひくめ、くつたいてん軽量けいりょうがた使つかわれるなど、わずかずつでも重量じゅうりょうらす努力どりょく各部かくぶはらわれ、重量じゅうりょうは42tにおさえられた。しかし、武装ぶそう従来じゅうらいがたわらず、しかも装甲そうこううすくなったことで、ますますじゅう戦車せんしゃとしての価値かちうたがわれることにもつながった。また、新型しんがた砲塔ほうとうにはKV系列けいれつとしてははじめてくるまちょうようキューポラが設置せっちされた。ただし、このキューポラはドイツ戦車せんしゃや、のIS系列けいれつのものとはちがい、完全かんぜん視察しさつ専用せんようで、上面うわつら乗降じょうこうようハッチはたなかった。S(с)とは“skorokhodnuju(ロシア: скороходную高速こうそく走行そうこうがた)”をしめす。1942ねん8がつから1943ねん4がつにかけて1370りょう生産せいさんされた。

ドイツぐんでの分類ぶんるい

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一方いっぽうドイツがわ独自どくじつぎのような分類ぶんるいおこなっていた。

KW-1A
溶接ようせつ砲塔ほうとう搭載とうさいしたもの。この分類ぶんるいはかなりざつなもので、たとえば1939ねんがたでも1942ねんがたでも溶接ようせつ砲塔ほうとう搭載とうさいしているものはみなKW-1Aとみなされた。
KW-1B
ボルトめの増加ぞうか装甲そうこうけたもので、ソ連それんがわのKV-1Eにあたる。
KW-1C
鋳造ちゅうぞう砲塔ほうとう搭載とうさいしたもの。
Pz.Kpfw.KW-1 753(r)

ドイツぐん鹵獲ろかくしたKV-1にあたえられた形式けいしき名称めいしょう

Pz.Kpfw.KW-1 753(r) mit 7.5 Kw.K L/43
鹵獲ろかくしたKV-1 1942ねんがたのうち、すくなくとも1りょう主砲しゅほうぼうたてごとIVごう戦車せんしゃGがたおなじ43口径こうけい75mmほうかわそうし、砲塔ほうとうじょうにIVごう戦車せんしゃようのキューポラとT-34ようのベンチレーターをける改造かいぞうおこなったもの。

派生はせいがた

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KV-2ロシア: КВ-2)
陣地じんち攻撃こうげきように、大型おおがた砲塔ほうとうに152mm榴弾りゅうだんほう搭載とうさいしたかた
KV-8(КВ-8
火炎かえん放射ほうしゃ戦車せんしゃ。1941ねんがたもしくは1942ねんがたをベースに製作せいさくされた。45mmほう火炎かえん放射ほうしゃ砲塔ほうとう同軸どうじく装備そうび、45mmほうには欺瞞ぎまんのために砲身ほうしんふとせるカバーがかぶせられている。最初さいしょのKV-8は1941ねん12月に1941ねんがたをベースにつくられ、よく1942ねんつぎのKV-8Sとわせて102りょう生産せいさんされた。
KV-8S(КВ-8с
KV-1SをベースにつくられたKV-8と同様どうよう車両しゃりょう
KV-85
KVの後継こうけい車両しゃりょうとしてIS系列けいれつ開発かいはつされたが、前線ぜんせんからはいちにちはや強力きょうりょくじゅう戦車せんしゃ配備はいび要求ようきゅうされていたものの、ISの生産せいさんにはなお時日じじつ必要ひつようであったため、急遽きゅうきょ、KV-1Sの車体しゃたいに85mmほうそなえるIS-1砲塔ほうとう搭載とうさいした暫定ざんてい折衷せっちゅうがたつくられ、KV-85として制式せいしき採用さいようされた。ISの砲塔ほうとうはKVにくらべて砲塔ほうとうリングがおおきく、このため、車体しゃたい砲塔ほうとう搭載とうさい左右さゆうしがもうけられた。KV-85は1943ねんちゅうに143りょう(もしくは130りょう)が生産せいさんされた。
KV-T
KV-1の砲塔ほうとうはず牽引けんいんしゃ転用てんようしたもの。通常つうじょうのKV-1ベース、KV-1Sベースの両方りょうほうがある。
KV-1地雷じらい処理しょりしゃ
KV-1・1942ねんがた前部ぜんぶにPT-34地雷じらい処理しょりローラーを装着そうちゃくしたもの。1944ねんなつ、フィンランド戦線せんせんのカレリア地区ちく突破とっぱ作戦さくせん使つかわれた。
SU-152
KV-1Sの車体しゃたいに152mm榴弾りゅうだんほう搭載とうさいしたはしほうで、当初とうしょKV-14の名称めいしょう試作しさくされた。ドイツぐんのティーガーじゅう戦車せんしゃ登場とうじょうにより、これを撃破げきは車両しゃりょう早急そうきゅう必要ひつようとなり、1942ねん1~2がつ、KV-1Sをベースにケースメートしき戦闘せんとうしつもうけ、だい口径こうけい火砲かほう搭載とうさいするほんしゃが、たった25日間にちかん期間きかん開発かいはつされた。ただちに制式せいしき採用さいようされたほんしゃは、1942ねん3がつ1にちから生産せいさん開始かいしされ、翌年よくねんあきまでにやく700りょう生産せいさんされた。

試作しさく派生はせいがた

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T-150
T-150 (KV-3)
KV-1の改良かいりょうがたで、装甲そうこうやエンジンの強化きょうか各部かくぶ手直てなおししたもの。
KV-220 (KV-3)
延長えんちょうされた車体しゃたいに85mmほうや107mmほう搭載とうさい。1941ねん試作しさくしゃ完成かんせい
KV-4
107mmほう搭載とうさいする重量じゅうりょう100トン前後ぜんこうちょうじゅう戦車せんしゃ。さまざまなスタイルの計画けいかくあんされた。
結局けっきょくペーパープランのみとおもわれていたが、1941ねん11月にはKV-4のプロトタイプが完成かんせいしていた、しかしどくせんにより、KV-5の計画けいかくともにKV-4の開発かいはつ中止ちゅうしされてしまった。
KV-5
KV-5
KV-4を上回うわまわちょうじゅう戦車せんしゃ。こちらも計画けいかくのみ。
KV-6
試作しさく火炎かえん放射ほうしゃ戦車せんしゃ
車体しゃたい前方ぜんぽう機銃きじゅうわりにATO-41火炎かえん放射ほうしゃ設置せっちされ、車内しゃない燃料ねんりょうタンクが搭載とうさいされていた。1941ねんはるからなつごろにかけて改造かいぞうおこなわれ(総数そうすう不明ふめい)、このうち4りょうだい124戦車せんしゃ旅団りょだん配備はいびされ、レニングラード周辺しゅうへんでの戦闘せんとう使用しようされた。この車両しゃりょう有用ゆうようせいみとめられ、こののちKV-8の量産りょうさんつながった。[2]
これとはべつに、資料しりょうとうによりKV-6とされる車両しゃりょうなんしゅられている。
  • 主砲しゅほうを76.2mmほうとしたままで、主砲しゅほう同軸どうじく火炎かえん放射ほうしゃ搭載とうさいした火炎かえん放射ほうしゃ戦車せんしゃ
  • 後述こうじゅつのKV-7はしほうのうちの1しゅ
  • 延長えんちょうしたKV-1の車体しゃたい前後ぜんごにKV-1の砲塔ほうとう中央ちゅうおうにKV-2の砲塔ほうとう搭載とうさいした砲塔ほうとう戦車せんしゃ
最後さいごのものは、1997ねんにモデラーが市販しはんプラモデルを改造かいぞうして製作せいさくした"架空かくう車両しゃりょう"であるが、インターネットじょうなどで有名ゆうめいになり、この車両しゃりょう開発かいはつ運用うんようしるした架空かくうのストーリーや加工かこう写真しゃしん作成さくせいされるなどした[3][2]
KV-7
砲身ほうしんはしほう。ケースメートしき固定こてい戦闘せんとうしつに、76mmほう1もん+45mmほう2もん(KV-7ヴァリアント1)、あるいは76mmほう2もん(KV-7ヴァリアント2)をそなえる。資料しりょうによっては前者ぜんしゃをKV-6、後者こうしゃをKV-7としているものもある。
KV-9
76mmほうわり122mm榴弾りゅうだんほう装備そうびした試作しさく突撃とつげき戦車せんしゃ/支援しえん戦車せんしゃ
KV-12
KV-12
どくガス散布さんぷ装置そうち搭載とうさいした試作しさく化学かがく戦車せんしゃ
KV-13
KV-13
ちゅう戦車せんしゃじゅう戦車せんしゃわくえた汎用はんよう戦車せんしゃとして、1942ねん試作しさくされた。目指めざしたのはちゅう戦車せんしゃなみの機動きどうせいじゅう戦車せんしゃなみの防御ぼうぎょりょくで、片側かたがわてん5つの、小型こがた車体しゃたいしん設計せっけいされた。この車体しゃたい形状けいじょうとく鋳造ちゅうぞう車体しゃたい前部ぜんぶのデザインは、のちにKVの発展はってんがたであるISにかされた。
KV-1K
KARST-1 近距離きんきょりようロケットほうりょうフェンダーにけい4搭載とうさいした試作しさく車両しゃりょう。1942ねんなつ開発かいはつ試験しけんおこなわれ、結果けっかけてKV-1Sをベースにした量産りょうさん指示しじされたとされるが、その量産りょうさんおこなわれなかった。
S-51
KV-1Sの車体しゃたい流用りゅうよう、203mm榴弾りゅうだんほう搭載とうさいしたはしほう
KV-1S-85
KV-1Sに85mmほう装備そうびしたもの。KV-85ちが砲塔ほうとうはKV-1Sそのままである。しかし1Sの砲塔ほうとうはそのまま85mmほう搭載とうさいするにはちいさく、試作しさくのみにわった。
KV-122
IS-2戦車せんしゃ生産せいさん延滞えんたい対処たいしょし、代用だいようとしてKV-85に122mmのうほう搭載とうさいした試作しさく車輛しゃりょう

登場とうじょう作品さくひん

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映画えいが

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タンク・ソルジャー じゅう戦車せんしゃKV-1
ソ連それんぐんだい15戦車せんしゃだんのコノワロフらが搭乗とうじょうする戦車せんしゃとして登場とうじょう[4]

漫画まんが・アニメ・小説しょうせつ

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街道かいどうじょう怪物かいぶつ小林こばやしはじめぶん
バルバロッサ作戦さくせんなかにドイツぐん進撃しんげき一両いちりょうめたKV-1のエピソードを描写びょうしゃしたもの[注釈ちゅうしゃく 9]
美味おいしんぼ
くろ刺身さしみ」で中国ちゅうごく残留ざんりゅう孤児こじの蔡進さかえ回想かいそうで、終戦しゅうせん日本にっぽんげる日本人にっぽんじん一団いちだんソ連それんぐんおそうシーンで登場とうじょう
ガールズ&パンツァー プラウダ戦記せんき
プラウダ高校こうこうがZIS-5ほう搭載とうさいがた保有ほゆうしている。
同志どうし少女しょうじょよ、てきげき
T-34とともにウラヌス作戦さくせん投入とうにゅうされ、LT-38撃破げきはする。
Tank Troopers
KV-1として登場とうじょう。53000G(Gはゲームない通貨つうか)を支払しはらうことで選択せんたく可能かのうとなる。
War Thunder
ソ連それんじゅう戦車せんしゃツリーにてKV-1 L11ほう・ZiS-5ほう搭載とうさいがた・KV-1S・KV-85・KV-2が開発かいはつ可能かのう。プレミアムとしてKV-1E、KV220、
ドイツ鹵獲ろかく仕様しようのPz.Kpfw.KW-1 753(r) mit 7.5 Kw.K L/43とPz.Kpfw.KW-2 754(r)、フィンランドぐん鹵獲ろかく仕様しようのKW-1Bが登場とうじょう
World of Tanks
ソ連それんじゅう戦車せんしゃKV-1・KV-1Sとして開発かいはつ可能かのう派生はせいがたソ連それんじゅう戦車せんしゃKV-2・KV-85、ソ連それん駆逐くちく戦車せんしゃSU-152が開発かいはつ可能かのう。また、ソ連それん課金かきん駆逐くちく戦車せんしゃとしてISU152kという戦車せんしゃ時期じきにもよるが購入こうにゅう可能かのう。*(通常つうじょう技術ぎじゅつツリーの戦車せんしゃISU152を、課金かきんバージョンにした戦車せんしゃ装甲そうこう機動きどうせいは、ほとんど本家ほんけISUとわらないが、BL-10という主砲しゅほう本家ほんけからげてISU152kという、名前なまえをつけて発売はつばいしたもの。)。試作しさく派生はせいしゃソ連それんじゅう戦車せんしゃT-150・KV-220・KV-3・KV-4・ソ連それんちゅう戦車せんしゃKV-13、ソ連それんはしほうS-51が登場とうじょう。また、課金かきん専用せんよう戦車せんしゃとしてKV-5・KV-122が登場とうじょうしている。また、ドイツぐん鹵獲ろかくしたKV-1をKW-1と改名かいめいして発売はつばいしている。
トータル・タンク・シミュレーター
ソビエト連邦れんぽうじゅう戦車せんしゃKV-1として41ねん鋳造ちゅうぞう砲塔ほうとうがた登場とうじょう。またKV-2、KV-4も登場とうじょう
コンバットチョロQ
ロシアタンクとしてKV-1とKV-1Bが登場とうじょう。また、アリーナの38ばんてきとしてKV-1、42ばんてきとしてKV-1Bが登場とうじょう
パンツァーフロント
40ねんがたと42ねんがた登場とうじょう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 普段ふだん主砲しゅほう真後まうしろ、砲塔ほうとうハッチのしたにおり、戦闘せんとうには後部こうぶ機銃きじゅう担当たんとうした。実際じっさい不合理ふごうり乗員じょういん配置はいちであったが、乗員じょういん不足ふそくのためこれをのぞいた4にん運用うんようされることもおおかったという。
  2. ^ もとレニングラードとうだいいち書記しょきで、1934ねん暗殺あんさつされたS.M.キーロフかんしたもの。「キーロフスキー」は「キーロフの」ので、邦訳ほうやくではたんに「キーロフ工場こうじょう」とかれる場合ばあいもある。
  3. ^ 工場こうじょうめいを「ヴォロシーロフ名称めいしょう機械きかい製作せいさく工場こうじょう」とする資料しりょうもある。
  4. ^ 試作しさくしゃ量産りょうさんごく初期しょきがた量産りょうさん開始かいしほどなく、若干じゃっかん形状けいじょう修正しゅうせいされたが、うたては1941ねんなかばの生産せいさんしゃまでほぼどう形式けいしきのものが使つかわれた。てんは1941ねんなかばからぜんはがねせいのものにわった。
  5. ^ この緩衝かんしょうゴム内蔵ないぞう方式ほうしきは、大戦たいせん末期まっき、ゴム資材しざい節約せつやくのためにドイツ戦車せんしゃ模倣もほう採用さいようされた。
  6. ^ ほんしゃ捕獲ほかくしたドイツぐんのレポートによると、停止ていし状態じょうたいでなければギアチェンジが不可能ふかのうほどで、カタログ最大さいだい速度そくど35km/hというのは現実げんじつには不可能ふかのうであるとしている。
  7. ^ たとえば1941ねん8がつ当時とうじだい10戦車せんしゃ師団しだん場合ばあい保有ほゆうしていた63りょうのうち56りょう損失そんしつ原因げんいんは34りょう機械きかいてき故障こしょう、11りょう操縦そうじゅうミスによる損傷そんしょう戦闘せんとう損失そんしつは11りょうぎなかった。
  8. ^ T-34ようのF-34戦車せんしゃほうおなぶつが、KVようとしてちが名称めいしょうになっているだけであり、実際じっさいその部品ぶひんにはF-34と刻印こくいんされたものもあった。また、エンジンの供給きょうきゅう不足ふそくからM-17ガソリンエンジンを搭載とうさいした車両しゃりょう少数しょうすう生産せいさんされたとわれる。
  9. ^ このエピソードは本来ほんらいKV-2のものであるが、日本にっぽんには当初とうしょ、KV-1のものとあやまってつたえられたため、この作品さくひんではKV-1が主役しゅやくとなっている。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 高田たかだ裕久ひろひさ 『グランドパワー1997/10ごう-だい2大戦たいせんソ連それん軍用ぐんよう車両しゃりょうした)』 デルタ出版しゅっぱん、1997ねん
  • 三春みはる 『グランドパワー2000/8ごう-ソ連それんぐんじゅう戦車せんしゃ(1)』 デルタ出版しゅっぱん、2000ねん
  • 三春みはる 『グランドパワー2000/9ごう-ソ連それんぐんじゅう戦車せんしゃ(2)』 デルタ出版しゅっぱん、2000ねん
  • М. КОЛОМИЕЦ, ИСТОРИЯ ТАНКА КВ-часть1, 1939-1940, ФРОНТВАЯ ИЛЛЮСТРАЦИЯ 5-2001, Стратегия КМ 2001
  • М. КОЛОМИЕЦ, ИСТОРИЯ ТАНКА КВ-часть2, 1941-1944, ФРОНТВАЯ ИЛЛЮСТРАЦИЯ 3-2002, Стратегия КМ 2002
  • Beutepanzer, https://archive.is/20121225015155/beute.narod.ru/Beutepanzer/su/su.htm
  • Jochen Vollert, KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Early Variants, Tankograd - Soviet Special No.2002, Tankograd Publishing 2005
  • Jochen Vollert, KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Late Variants, Tankograd - Soviet Special No.2003, Tankograd Publishing 2005

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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