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SU-101/102

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
クビンカ戦車せんしゃ博物館はくぶつかん収蔵しゅうぞう展示てんじされているSU-101 "Uralmash-1"
(2016ねん8がつ撮影さつえい

SU-101/SU-102 "Uralmash-1"(ロシア: СУ-101/102 "Уралмаш-1")は、ソビエトで開発かいはつされた試作しさくはしほうである。

"Uralmash-1"とは開発かいはつ担当たんとうした“ウラル重機じゅうき工場こうじょう設計せっけいきょく(Urals’kiy Zavod Tyazhelogo Mashinostroyeniya)”からられたものである[1]

開発かいはつ

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だい世界せかい大戦たいせんなかT-34戦車せんしゃはしほうがたとして開発かいはつされたSU-85武装ぶそう強化きょうかばんであるSU-100はしほうは、高性能こうせいのうだったが車体しゃたいぜんはしちょう砲身ほうしんのカノンほう搭載とうさいする形式けいしきゆえ、ノーズヘビーがひどく、とく走行そうこう装置そうち関連かんれんにいくつかの問題もんだいかかえていた。そこでウラル設計せっけいきょく技師ぎしN.V.クーリン(Н. В. Курин)(ロシアばん)は後継こうけいとなる5つの設計せっけいあん技術ぎじゅつ審査しんさ委員いいんかい提出ていしゅつした。

クーリンの提出ていしゅつしたあん以下いかのとおりである。

"SU-122P"
SU-100に122 mm D-25S戦車せんしゃほう搭載とうさいしたあん
"ESU-100"
SU-100を電気でんき駆動くどうしきトランスミッションとしたあん
"SU-100M1"
T-34車体しゃたい後部こうぶ戦闘せんとうしつもうけてD-10S 100 mm 戦車せんしゃほう搭載とうさいしたあん
"SU-100M2"
T-44車体しゃたい後部こうぶ戦闘せんとうしつもうけてD-10S 100 mm 戦車せんしゃほう搭載とうさいしたあん
"SU-122-44"
T-44の車体しゃたいにSU-100同様どうよう前部ぜんぶ戦闘せんとうしつとD-25-44S 122 mm 戦車せんしゃほう搭載とうさいしたあん

これらのあんなかから技術ぎじゅつ審査しんさ委員いいんかいSU-100M2SU-122-44有望ゆうぼうとし、設計せっけい完成かんせい図面ずめん作成さくせいおよび試作しさく車輌しゃりょう製造せいぞうめいじた。なお、SU-100M1/2について、当時とうじ文書ぶんしょには「フェルジナント(はしほうのような(по типу Фердинанда)」との説明せつめい散見さんけんされており[1]、SU-100M1/2の戦闘せんとうしつ後部こうぶ配置はいちしたデザインには1943ねん7がつの“クルスクのたたか”でそのじゅう装甲そうこうじゅう武装ぶそうからソビエトぐんおおきな衝撃しょうげきあたえたフェルディナントじゅう駆逐くちく戦車せんしゃエレファントじゅう駆逐くちく戦車せんしゃ)の影響えいきょうがあることが推察すいさつされる。

上記じょうき2車種しゃしゅのうち、SU-122-44はSU-100と同様どうようにノーズヘビーなゆえにすぐ開発かいはつ中止ちゅうしになった。これにより、開発かいはつ計画けいかくはSU-100M2に一本いっぽんされ、"Uralmash-1(Уралмаш-1)"の名称めいしょうあたえられて1945ねん5月1にち正式せいしき発注はっちゅうされた[2][1]。"Uralmash-1"のは1943ねん開発かいはつされたべつはしほう計画けいかく使つかわれていたが、そちらは計画けいかく凍結とうけつされたため、あらためてこちらに使用しようされた。

SU-100M2は戦闘せんとうしつ形状けいじょう構成こうせい操縦そうじゅうせき位置いちなどに改修かいしゅうくわえられ、1945ねん3月から4がつにかけてUralmash-1として2種類しゅるい試作しさく車輌しゃりょう製造せいぞうされた。100 mm D-10S戦車せんしゃほうがたは“SU-101”、もう一方いっぽうの122 mm D-25S戦車せんしゃほうがたは“SU-102”である。後方こうほう戦闘せんとうしつ配置はいちしたことにより、SU-100の問題もんだいてんだったフロントヘビーや操縦そうじゅうせいわるさは解消かいしょうされていた。また、装甲そうこう正面しょうめん90mm、側面そくめん75mm、背面はいめん45mmをそれぞれゆうしており、傾斜けいしゃ加味かみすればIS-2ISU-152上回うわまわ防御ぼうぎょ性能せいのうゆうしていた。

これら2りょうドイツとの戦争せんそう終結しゅうけつした1945ねんなつからあきにかけて各種かくしゅ試験しけんおこなわれ、備砲びほう威力いりょく装甲そうこう防御ぼうぎょりょくといっためんたか性能せいのうしめしたが、しかし、欠点けってんもあった。まず、エンジンの冷却れいきゃくめん問題もんだいがあり、エンジンの出力しゅつりょく発揮はっき悪影響あくえいきょうおよぼしたうえ周囲しゅういへの放熱ほうねつひどく、とく隔壁かくへきしでもエンジンのとなりすわっている操縦そうじゅうしゅへの影響えいきょうおおきく、夏場なつばは“地獄じごくのようなあつさ”になったとされている[1]。さらなる欠点けってん戦闘せんとうしつたかさと正面しょうめん投影とうえい面積めんせきひくちいさくおさえたゆえの居住きょじゅうせいわるさで、ほう操作そうさ砲弾ほうだん装填そうてんなんがあり、通気つうき各部かくぶ視察しさつ装置そうちからられる視界しかい不十分ふじゅうぶん[1]、SU-102に搭載とうさいされた122 mm D-25S戦車せんしゃほうはSU-102のくるまかくくるまおもでは反動はんどうおさえきれないじょう発砲はっぽうほうこう衝撃波しょうげきは視察しさつ装置そうち戦闘せんとうしつじょう対空たいくう機銃きじゅうなどの車外しゃがい装備そうびひん損傷そんしょうあたえること判明はんめい[1]車体しゃたい設計せっけいそのものに構造こうぞうじょう欠陥けっかんがあるとされた。

だが、クーリンをはじ設計せっけいしゃたちはこれらの問題もんだい解決かいけつ可能かのうかんがえており、試作しさく車輌しゃりょう問題もんだい修正しゅうせいして大量たいりょう生産せいさんはい予定よていだった。しかし、ドイツとの戦争せんそう終結しゅうけつしたこと新規しんきはしほうだい規模きぼ戦力せんりょく整備せいびする必要ひつようくなったことや、T-44戦車せんしゃ発展形はってんけいとしてしん設計せっけい回転かいてん砲塔ほうとうに100mm戦車せんしゃほう搭載とうさいしたT-44V(のT-54)が開発かいはつされたことから、Uralmash-1はすで存在そんざい意義いぎがないと判断はんだんされ、試作しさく段階だんかい採用さいようとなった[2][1]

その

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SU-101の試作しさく車両しゃりょうはモスクワのクビンカ戦車せんしゃ博物館はくぶつかん収蔵しゅうぞうされて保存ほぞんされ、2020ねん現在げんざい展示てんじされている[2][1]

ギャラリー

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h САУ СУ-101 и СУ-102 - BATTLEFIELD.RU - всё о Великой Отечественной войне”. www.battlefield.ru. 2021ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c SU-101 - Global wiki. Wargaming.net”. wiki.wargaming.net. 2021ねん7がつ17にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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