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ソミュア S35
性能 せいのう 諸 しょ 元 もと 全長 ぜんちょう
5.38 m 全幅 ぜんぷく
2.12 m 全 ぜん 高 こう
2.62 m 重量 じゅうりょう
19.5 t 懸架 けんか 方式 ほうしき
リーフスプリング、ボギー式 しき 速度 そくど
40.7 km/h (整地 せいち ) 32.2 km/h(不 ふ 整地 せいち ) 行動 こうどう 距離 きょり
230 km(路上 ろじょう ) 130 km (不 ふ 整地 せいち ) 主砲 しゅほう
47 mm 戦車 せんしゃ 砲 ほう SA35 副 ふく 武装 ぶそう
7.5 mm 機関 きかん 銃 じゅう M31 装甲 そうこう
47 mm (最大 さいだい ) エンジン
ソミュア V-8 ガソリン 190 馬力 ばりき 乗員 じょういん
3 名 めい テンプレートを表示 ひょうじ
ソミュア S35 (SOMUA S35 )は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん で使 つか われたフランス の騎兵 きへい 戦車 せんしゃ である。1936年 ねん から1940年 ねん にかけ、騎兵 きへい 科 か の機械 きかい 化 か 師団 しだん の装備 そうび として、430輌 りょう が生産 せいさん された。S35はこの時代 じだい においては快速 かいそく かつ重 じゅう 装甲 そうこう の中 なか 戦車 せんしゃ で、同 どう クラスの他 ほか の戦車 せんしゃ と比 くら べ装甲 そうこう も火力 かりょく も勝 か っていた。フランス陥落 かんらく 後 ご は鹵獲 ろかく され枢軸 すうじく 国 こく によって使用 しよう された。
S35は、1934年 ねん 6月 がつ 26日 にち 付 づけ に改訂 かいてい 通達 つうたつ された騎兵 きへい 戦車 せんしゃ 「AMC(Automitrailleuse de Combat =戦闘 せんとう 用 よう 機銃 きじゅう 車 しゃ )」の仕様 しよう に基 もと づいてデザインされた。1931年 ねん に出 だ されたAMCの元 もと の仕様 しよう に比 くら べ、新 しん 仕様 しよう は対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう への防御 ぼうぎょ 力 りょく を高 たか めるためより重量 じゅうりょう が増 ま していた。通達 つうたつ に先立 さきだ ち、フランス陸軍 りくぐん はすでにシュナイダー 社 しゃ の子会社 こがいしゃ で、サン・カンにあるソミュア社 しゃ (SOMUA、Société d'Outillage Mécanique et d'Usinage d'Artillerie )に試作 しさく 車 しゃ の製作 せいさく について接触 せっしょく しており、ソミュア社 しゃ も7月 がつ 16日 にち にこれを了承 りょうしょう した。
製作 せいさく は1934年 ねん 10月 がつ 12日 にち に始 はじ まり、翌 よく 1935年 ねん 4月 がつ 14日 にち 、AC3と名付 なづ けられた原型 げんけい 車両 しゃりょう が完成 かんせい 。AC3は1935年 ねん 7月 がつ 4日 にち から8月 がつ 2日 にち まで評価 ひょうか 試験 しけん に供 きょう された。さらに改良 かいりょう を施 ほどこ された試作 しさく 車 しゃ 、AC4が4輌 りょう 製作 せいさく され、これらは1938年 ねん 1月 がつ 27日 にち までテストされた。これら試作 しさく 車両 しゃりょう は短 たん 砲身 ほうしん の 47mm戦車 せんしゃ 砲 ほう SA34 付 つ きの標準 ひょうじゅん 型 がた APX 1 砲塔 ほうとう を搭載 とうさい していた。APXとはこの砲塔 ほうとう がピュトー工廠 こうしょう (Atelier de Construction de Puteaux, APX)製 せい であることに由来 ゆらい する。
評価 ひょうか 試験 しけん 中 ちゅう の1936年 ねん 3月 がつ 25日 にち 、AC4は「Automitrailleuse de Combat modèle 1935 S (戦闘 せんとう 用 よう 機銃 きじゅう 車 しゃ 1935年 ねん 型 がた -S、Sはソミュア社 しゃ 製 せい を示 しめ す。略称 りゃくしょう AMC 1935 S )」の名称 めいしょう で制式 せいしき 採用 さいよう され、第 だい 1次 じ 発注 はっちゅう として50輌 りょう の生産 せいさん が命 めい じられた。この戦車 せんしゃ は「SOMUA S35」の名称 めいしょう で知 し られ(Sはソミュア社 しゃ 、35は制式 せいしき 採用 さいよう された1935年 ねん を示 しめ す)、今日 きょう ではより短縮 たんしゅく 化 か された「S35」もしばしば使 つか われる。「S-35」とハイフン付 つ きの例 れい も多 おお いが、これは当時 とうじ のフランスの資料 しりょう では見 み られない。
量産 りょうさん 車 しゃ ではより長 ちょう 砲身 ほうしん の 47mm戦車 せんしゃ 砲 ほう SA35 が搭載 とうさい された。生産 せいさん は当初 とうしょ 、合計 ごうけい で600輌 りょう が計画 けいかく されていたが、第 だい 2次 じ 発注 はっちゅう は財政 ざいせい 的 てき 制約 せいやく から250輌 りょう に減 へ らされた。後 のち になって開戦 かいせん の前 まえ に200輌 りょう の第 だい 3次 じ 発注 はっちゅう が行 おこな われた。
ソミュアS35の車体 しゃたい と砲塔 ほうとう は、それぞれ最大 さいだい 装甲 そうこう 厚 あつ 47 mm、40 mm の鋳造 ちゅうぞう だった。車体 しゃたい は4分割 ぶんかつ で、車体 しゃたい 下部 かぶ は左右 さゆう 、上部 じょうぶ は前後 ぜんご に分割 ぶんかつ されており、それぞれがボルト結合 けつごう されていた。砲塔 ほうとう はルノーB1 に搭載 とうさい された APX 1 砲塔 ほうとう のバリエーションで、元 もと の 1,022 mm に対 たい して 1,130 mm に砲塔 ほうとう リングが拡大 かくだい された APX 1 CE(=chemin élargi )が使 つか われた。これは118発 はつ (徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん 90発 はつ 、榴弾 りゅうだん 28発 はつ )の主砲 しゅほう 弾 だん 箱 ばこ 、2,250発 はつ の機銃 きじゅう 弾 だん マガジンを車 くるま 長 ちょう が装填 そうてん するのを無線 むせん 手 しゅ が補佐 ほさ しやすいように改 あらため 設計 せっけい されたものだった。とはいえルノーB1同様 どうよう 、操縦 そうじゅう の指示 しじ と主砲 しゅほう の操作 そうさ ・装填 そうてん はなお全 すべ て車 しゃ 長 ちょう の役割 やくわり で、ただ無線 むせん 機 き の操作 そうさ が別 べつ の乗員 じょういん に振 ふ り分 わ けられただけだった。
無線 むせん 機 き はS35の標準 ひょうじゅん 装備 そうび の一 ひと つと想定 そうてい されていた。実際 じっさい には、小 しょう 隊長 たいちょう 車 しゃ には部隊 ぶたい 間 あいだ 通信 つうしん 用 よう の ER 29(émetteur-récepteur 29 =29型 がた 送受信 そうじゅしん 機 き )が搭載 とうさい されたものの、部隊 ぶたい 内通 ないつう 信用 しんよう 短距離 たんきょり 無線 むせん 機 き ER 28 の不足 ふそく により、小 しょう 隊長 たいちょう 車 しゃ を除 のぞ く小隊 しょうたい の他 ほか 4輌 りょう には無線 むせん 機 き は搭載 とうさい されなかった。それらに無線 むせん 機 き を搭載 とうさい する計画 けいかく は1940年 ねん 夏 なつ まで延期 えんき されたので戦争 せんそう には間 ま に合 あ わなかった。
サスペンションは、フランスで最初 さいしょ の戦車 せんしゃ であるシュナイダーCA1 を開発 かいはつ したウージェーン・ブリリエ(Eugène Brillié )設計 せっけい による。ブリリエはそれまでチェコ のシュコダ 社 しゃ で働 はたら いており、サスペンションは彼 かれ が手掛 てが けたLT-35 を元 もと にしたもので、8つの転 てん 輪 わ を4つのボギーにまとめリーフスプリングで支 ささ え、大型 おおがた の張力 ちょうりょく 調整 ちょうせい 輪 わ を備 そな えていた。プロトタイプおよび生産 せいさん 初期 しょき の車両 しゃりょう は細 こま かいピッチの履 くつ 帯 たい を装着 そうちゃく していたが(75 mm ピッチ/片側 かたがわ 144枚 まい )、後 ご の生産 せいさん 車 しゃ ではピッチが拡大 かくだい された(105 mm ピッチ/103枚 まい )。
エンジンは車体 しゃたい 後部 こうぶ にあり、両側 りょうがわ に2つのセルフ・シーリング式 しき 燃料 ねんりょう タンク(100リットル/140リットル)を備 そな え、エンジンルームは防火 ぼうか 隔壁 かくへき で戦闘 せんとう 室 しつ と隔 へだ てられていた。(カタログ上 じょう は)200馬力 ばりき のエンジンはジャヴィエ-サバン(Javier-Sabin )設計 せっけい で、燃料 ねんりょう は小 ちい さい方 ほう のタンクから消費 しょうひ され、自動的 じどうてき に大 おお きいタンクから注 そそ ぎ足 た される仕組 しく みになっていた。そのため経験 けいけん 不足 ふそく の乗員 じょういん の場合 ばあい 、時 とき に、小 ちい さい方 ほう のタンクだけに燃料 ねんりょう を補給 ほきゅう するという誤 あやま りを犯 おか すことがあった。エンジンとサスペンションはアクセス性 せい が悪 わる く、整備 せいび しづらく手間 てま がかかった。これは、後期 こうき の車両 しゃりょう では改良 かいりょう された。
S35には自動 じどう 消火 しょうか 装置 そうち が備 そな えられていたが、これはブロモメタン (臭 におい 化 か メチル)入 い りのボンベ数 すう 個 こ を危険 きけん な箇所 かしょ に配置 はいち したものである。
ドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ 部隊 ぶたい としてコンコルド広場 ひろば をパレードするS35
イギリス軍 ぐん やソ連 それん 赤軍 せきぐん と同様 どうよう 、フランス軍 ぐん は騎兵 きへい 戦車 せんしゃ と歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ をはっきりと区分 くわ けしていた。フランス陸軍 りくぐん は来 きた るべき戦争 せんそう での勝利 しょうり への手段 しゅだん としては防衛 ぼうえい 戦 せん を旨 むね としていたものの、戦略 せんりゃく 上 じょう 必要 ひつよう な局面 きょくめん では攻勢 こうせい に出 で ることもあり得 え ると考 かんが える程度 ていど には現実 げんじつ 的 てき だった。突破 とっぱ と浸透 しんとう 拡大 かくだい という攻勢 こうせい の二 に 相 そう には、それぞれ専用 せんよう の車両 しゃりょう が必要 ひつよう であるとされた。ソミュアS35は後者 こうしゃ の役割 やくわり を担 にな うものであった。
S35は良好 りょうこう な速度 そくど 、適切 てきせつ な航続 こうぞく 距離 きょり 、仮想 かそう 敵 てき であるソ連 それん のBT-7 、ナチ・ドイツ のIII号 ごう 戦車 せんしゃ を撃破 げきは し得 え る火力 かりょく と、それらの砲弾 ほうだん に耐 た えるだけの装甲 そうこう を備 そな えていた。したがってS35は、深 ふか く敵 てき 地 ち に進入 しんにゅう し、敵 てき の予備 よび 装甲 そうこう 戦力 せんりょく を撃破 げきは し得 え るものと考 かんが えられていた。これが今日 きょう 、S35が1930年代 ねんだい における最良 さいりょう の戦車 せんしゃ としてしばしば取 と り上 あ げられる理由 りゆう となっている。
一方 いっぽう で短所 たんしょ も指摘 してき されることがある。主 おも に、操作 そうさ 上 じょう 、戦術 せんじゅつ 上 じょう 、戦略 せんりゃく 上 じょう の3つの欠点 けってん が上 あ げられることがある。ただし、今日 きょう において最大 さいだい の弱点 じゃくてん として取 と り上 あ げられる1人 ひとり 用 よう 砲塔 ほうとう については当時 とうじ 上 あ げられていた欠点 けってん のうちに含 ふく まれていない。大型 おおがた の3人 にん 用 よう 砲塔 ほうとう に比 くら べて、乗員 じょういん 同士 どうし の動作 どうさ を合 あ わせる必要 ひつよう がなく、砲塔 ほうとう の回転 かいてん 速度 そくど も速 はや いことで、車 くるま 長 ちょう の負荷 ふか は軽減 けいげん されていると考 かんが えられていたからである。
操作 そうさ 上 じょう の欠点 けってん は機械 きかい 的 てき 信頼 しんらい 性 せい の欠如 けつじょ だった。サスペンションはあまりに脆弱 ぜいじゃく かつ複雑 ふくざつ で、鋳造 ちゅうぞう の装甲 そうこう モジュール はサスペンションやエンジンへのアクセス性 せい が悪 わる く、整備 せいび には莫大 ばくだい な労力 ろうりょく が要求 ようきゅう された。こうした欠点 けってん はフランスの戦車 せんしゃ 開発 かいはつ を主導 しゅどう する機関 きかん が存在 そんざい しないことが原因 げんいん だった。陸軍 りくぐん の各科 かっか から出 だ される仕様 しよう は曖昧 あいまい で、細部 さいぶ の仕様 しよう はメーカー任 まか せだった。フランスの機械 きかい はしばしば時代遅 じだいおく れで、デザインは既存 きそん の生産 せいさん 設備 せつび の制約 せいやく をもとに決定 けってい された。例 たと えばサスペンションの脆弱 ぜいじゃく 性 せい の解決 かいけつ となり得 え るクリスティ 式 しき サスペンション導入 どうにゅう は、徹底的 てっていてき な工業 こうぎょう 設備 せつび の近代 きんだい 化 か と、品質 ひんしつ 規格 きかく の向上 こうじょう なしには不可能 ふかのう だった。
ドイツ軍 ぐん により運用 うんよう されるS35
戦術 せんじゅつ 上 じょう の欠点 けってん はキューポラにハッチがないことである。砲塔 ほうとう 内部 ないぶ からも外部 がいぶ は視認 しにん 可能 かのう であるものの、外 そと の状況 じょうきょう をより把握 はあく したい場合 ばあい 、砲塔 ほうとう 後部 こうぶ の開閉 かいへい 口 こう を開 あ けて外 そと に身 み を乗 の り出 だ した。このAPX 1 砲塔 ほうとう の搭載 とうさい は純粋 じゅんすい に予算 よさん 上 じょう の制約 せいやく によるもので、歩兵 ほへい 科 か で使用 しよう されたルノーB1bis に搭載 とうさい された同系 どうけい の APX4 砲塔 ほうとう も同 おな じ批判 ひはん を受 う けていた。
戦略 せんりゃく 上 じょう の欠点 けってん は単価 たんか が高 たか いことで、大型 おおがた の鋳造 ちゅうぞう 装甲 そうこう 部品 ぶひん の生産 せいさん 量 りょう が限 かぎ られた。自 おの ずと生産 せいさん 台数 だいすう は限 かぎ られたものとなり、安価 あんか な戦車 せんしゃ で数 かず を補 おぎな う必要 ひつよう があった。そのために騎兵 きへい 科 か が唯一 ゆいいつ 入手 にゅうしゅ できたのがオチキス H35 だった。
生産 せいさん と戦歴 せんれき [ 編集 へんしゅう ]
S35の先行 せんこう 量産 りょうさん 型 がた にあたる4輌 りょう のAC4は、1936年 ねん 1月 がつ に第 だい 4胸 むね 甲 かぶと 騎兵 きへい 連隊 れんたい (4e Cuirassiers )に配備 はいび された。1938年 ねん 半 なか ばには100輌 りょう が生産 せいさん されており、1939年 ねん 9月 がつ 1日 にち のドイツによるポーランド侵攻 しんこう 開始 かいし 時 じ には270輌 りょう が生産 せいさん 済 ず みで、うち246輌 りょう が供給 きょうきゅう 済 ず みであった。同日 どうじつ 付 づけ で191輌 りょう が部隊 ぶたい で就役 しゅうえき しており、51輌 りょう は集積 しゅうせき 所 しょ に、4輌 りょう はオーバーホールのために工場 こうじょう に返送 へんそう されていた。開戦 かいせん 後 ご 、4度目 どめ の発注 はっちゅう として200輌 りょう が追加 ついか され、総 そう 発注 はっちゅう 数 すう は700輌 りょう となった。後 のち に、451号車 ごうしゃ 以降 いこう は改良 かいりょう 型 がた のS40とすることが決定 けってい された。実際 じっさい には、1940年 ねん 6月 がつ までの生産 せいさん 量 りょう は試作 しさく 車 しゃ 、先行 せんこう 量産 りょうさん 型 がた を含 ふく めて430輌 りょう であった。
1940年 ねん 5月 がつ のドイツによるフランス侵攻 しんこう の開始 かいし 時 じ 、約 やく 300輌 りょう が一線 いっせん 部隊 ぶたい 、騎兵 きへい 科 か の3個 こ 軽 けい 機械 きかい 化 か 師団 しだん (Divisions Légères Mécaniques =DLM)に配備 はいび されていた。各 かく 師団 しだん には各 かく 10輌 りょう のS35を持 も つ8個 こ 中隊 ちゅうたい (squadron)があり、さらに予備 よび 車両 しゃりょう 、旅団 りょだん ・連隊 れんたい 長 ちょう 車 しゃ が配備 はいび されていた。また開戦 かいせん 後 ご に、備蓄 びちく 車両 しゃりょう がいくつかの臨時 りんじ 編成 へんせい の部隊 ぶたい に引 ひ き渡 わた された。シャルル・ド・ゴール 指揮 しき 下 か の第 だい 4機甲 きこう 師団 しだん (4ème DCR )には39輌 りょう 、第 だい 4軽 けい 機械 きかい 化 か 師団 しだん (4ème DLM )に10輌 りょう などである。
現存 げんそん 車両 しゃりょう [ 編集 へんしゅう ]
フランスのソミュール戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん 、イギリス のボービントン戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のアバディーン戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん 、ロシア のクビンカ戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん に実車 じっしゃ が展示 てんじ されている。
ソミュール戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん
ボービントン戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん
アバディーン戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん
クビンカ戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん
Somua SAu40
1935年 ねん に騎兵 きへい 戦車 せんしゃ Somua S35の開発 かいはつ 計画 けいかく から自 じ 走 はし 砲 ほう を開発 かいはつ する計画 けいかく が派生 はせい した。1937年 ねん の後期 こうき には車体 しゃたい が完成 かんせい し、1939年 ねん には遅 おく れていた砲 ほう の試験 しけん も終了 しゅうりょう 、十分 じゅうぶん な性能 せいのう であると認 みと められSomua SAu 40として採用 さいよう 、1939年 ねん の11月には36輌 りょう の先行 せんこう 量産 りょうさん 型 がた が製造 せいぞう された。車体 しゃたい 前部 ぜんぶ 中央 ちゅうおう に75 mm砲 ほう を搭載 とうさい 。
フランス戦 せん 後 ご の1940年 ねん に先行 せんこう 量産 りょうさん 型 がた が撮影 さつえい されたが、その後 ご の行方 ゆくえ はわかっていない。
登場 とうじょう 作品 さくひん [ 編集 へんしゅう ]
『ガールズ&パンツァー 』シリーズ
『ガールズ&パンツァー 最終 さいしゅう 章 あきら 』
BC自由学園 じゆうがくえん の所有 しょゆう 車両 しゃりょう 。冬季 とうき 無限 むげん 軌道 きどう 杯 はい 一 いち 回戦 かいせん での大洗 おおあらい 女子 じょし 学園 がくえん との試合 しあい にて、BC自由 じゆう 部隊 ぶたい の主力 しゅりょく として4両 りょう が参加 さんか 。他 た にはマジノ女学院 じょがくいん が使用 しよう 、こちらも下記 かき の漫画 まんが から逆 ぎゃく 輸入 ゆにゅう の形 かたち で隊長 たいちょう のエクレールが搭乗 とうじょう する。
『ガールズ&パンツァー 激闘 げきとう !マジノ戦 せん ですっ!!』
マジノ女学院 じょがくいん の所有 しょゆう 車両 しゃりょう 。大洗 おおあらい 女子 じょし 学園 がくえん の練習 れんしゅう 試合 しあい にて、隊長 たいちょう のエクレールと副 ふく 隊長 たいちょう のフォンデュが搭乗 とうじょう する2輌 りょう が参加 さんか 。
『R.U.S.E. 』
フランス の中 なか 戦車 せんしゃ として登場 とうじょう 。
『The Saboteur 』
『War Thunder 』
フランス の中 なか 戦車 せんしゃ として登場 とうじょう 。またSau40も駆逐 くちく 戦車 せんしゃ として使用 しよう 可能 かのう 。
『World of Tanks 』
フランス 中 ちゅう 戦車 せんしゃ 及 およ びドイツ 中 ちゅう 戦車 せんしゃ Pz.Kpfw. S35 739(f)として登場 とうじょう 。
『トータル・タンク・シミュレーター 』
フランスの神風 かみかぜ 戦車 せんしゃ として登場 とうじょう 。
『パンツァーフロントPanzrfront.ausf B 』
『虫 むし けら戦車 せんしゃ 』
小 ちい さくなり虫 むし と戦 たたか うことになったプレイヤーのドイツ兵 へい がフィールド上 じょう で見 み つけると使用 しよう できる。
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