ヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.I
1930年代 ねんだい 、イングランドにて移動 いどう 中 ちゅう のヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ 。
種類 しゅるい
中 ちゅう 戦車 せんしゃ 原 はら 開発 かいはつ 国 こく
イギリス 開発 かいはつ 史 し 製造 せいぞう 業者 ぎょうしゃ
ヴィッカース 諸 しょ 元 もと (Mk.I)重量 じゅうりょう
11.7 t 全長 ぜんちょう
5.33 m 全幅 ぜんぷく
2.781 m 全 ぜん 高 こう
2.82 m 要員 よういん 数 すう
5 名 めい
装甲 そうこう
6.25 mm 主 おも 兵 へい 装 そう
32口径 こうけい QF 3ポンド(47 mm)砲 ほう Mk.I×1 副 ふく 兵 へい 装 そう
.303(7.7 mm)M1909 ベネット=メルシェ 機関 きかん 銃 じゅう ×4(砲塔 ほうとう に4つの銃 じゅう 架 か )
.303(7.7 mm)ヴィッカース重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう ×2(車体 しゃたい 両 りょう 側面 そくめん ) エンジン
アームストロング・シドレー V8空冷 くうれい ガソリンエンジン 90 hp 変速 へんそく 機 き
4速 そく 変速 へんそく 装置 そうち から2速 そく 遊星 ゆうせい 式 しき へ変速 へんそく 懸架 けんか ・駆動 くどう
渦巻 うずまき バネ 行動 こうどう 距離 きょり
190 km 速度 そくど
24 km/h テンプレートを表示 ひょうじ
ヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.I (Vickers Medium Mark I)は、戦 せん 間 あいだ 期 き にヴィッカース によって作 つく られたイギリス の戦車 せんしゃ である。
ヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.Iの参謀 さんぼう 本部 ほんぶ 制式 せいしき 番号 ばんごう は、「A2E1 」である。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、イギリスは5個 こ 大隊 だいたい のみを残 のこ して戦車 せんしゃ 部隊 ぶたい の大半 たいはん を解 かい 隊 たい した。それらはマーク V 戦車 せんしゃ およびマーク C 中 ちゅう 戦車 せんしゃ を装備 そうび していた。戦後 せんご の数 すう 年間 ねんかん 、イギリス政府 せいふ は新型 しんがた 戦車 せんしゃ 開発 かいはつ のために多大 ただい な予算 よさん を投 とう じたものの、これはMk.D 中 ちゅう 戦車 せんしゃ の開発 かいはつ 失敗 しっぱい に全 すべ てが費 つい やされた[1] 。それにより、政府 せいふ の設計 せっけい 機関 きかん 「戦車 せんしゃ 設計 せっけい 局 きょく 」は1923年 ねん に閉鎖 へいさ された。また戦車 せんしゃ 開発 かいはつ への直接的 ちょくせつてき な公的 こうてき 関与 かんよ はどれも終了 しゅうりょう させられた。代 か わって、民間 みんかん 企業 きぎょう であるヴィッカース社 しゃ が、戦車 せんしゃ 開発 かいはつ において躍進 やくしん した。
1897年 ねん 、マキシム・ノルデンフェルト社 しゃ (Maxim-Nordenfelt Guns and Ammunition Company)を買収 ばいしゅう し、1919年 ねん 、メトロポリタン社 しゃ を買収 ばいしゅう し、世界 せかい 最大 さいだい の兵器 へいき メーカーの1つとなったヴィッカース社 しゃ は、ついに戦車 せんしゃ 製造 せいぞう に乗 の り出 だ した。
ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ [ 編集 へんしゅう ]
1920年 ねん 、歩兵 ほへい 部隊 ぶたい は軽 けい 歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ を要求 ようきゅう する計画 けいかく を立 た てた。
戦車 せんしゃ 設計 せっけい 局 きょく の戦車 せんしゃ 設計 せっけい 者 しゃ であるフィリップ・ヘンリー・ジョンソン大佐 たいさ は、Mk.D 中 ちゅう 戦車 せんしゃ から「軽 けい 歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ 」を作 つく り出 だ した。
1921年 ねん 、競争 きょうそう 試作 しさく として、ヴィッカース社 しゃ は3両 りょう の軽 けい 歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ を開発 かいはつ ・生産 せいさん する契約 けいやく を結 むす んだ。
この「ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ 」はイギリス初 はつ の軽 けい 戦車 せんしゃ でもあった。
最初 さいしょ の試作 しさく 車 しゃ は1921年 ねん 12月 がつ までに準備 じゅんび が整 ととの い、2番目 ばんめ の試作 しさく 車 しゃ は1922年 ねん 7月 がつ に準備 じゅんび が整 ととの った。
王立 おうりつ 装甲 そうこう 軍団 ぐんだん (Royal Armoured Corps)第 だい 2大隊 だいたい に研究 けんきゅう 施設 しせつ (1928年 ねん に「MWEE」(機械 きかい 戦 せん 実験 じっけん 施設 しせつ )に改名 かいめい )が設立 せつりつ され、送 おく られた。
ヴィッカース社 しゃ の設計 せっけい はいまだに大戦 たいせん 時 じ の形式 けいしき を思 おも わせるものだった。これは背 せ が高 たか く、菱形 ひしがた の形状 けいじょう を取 と り、軌道 きどう フレームに側面 そくめん ハッチを設 もう けていたが、いくつか改善 かいぜん 点 てん も示 しめ されている。全 ぜん 周旋 しゅうせん 回 かい 式 しき の砲塔 ほうとう がつき、縦 たて 置 お き式 しき 渦巻 うずまき ばねの緩衝 かんしょう 装置 そうち が設 もう けられていた。
一方 いっぽう でMk.C 中 ちゅう 戦車 せんしゃ はなお固定 こてい 戦闘 せんとう 室 しつ であり、緩衝 かんしょう 装置 そうち もなかった。ヴィッカース社 しゃ の戦車 せんしゃ は、Mk.C 中 ちゅう 戦車 せんしゃ よりもっと小型 こがた で、全 ぜん 高 こう はちょうど7フィート(2.13 m)、車 くるま 重 じゅう はたった8.5ショートトン(7.71 t)だった。本 ほん 車 しゃ は、戦闘 せんとう 室 しつ と機関 きかん 室 しつ の区画 くかく を分 わ けて、機関 きかん 室 しつ に収容 しゅうよう された86馬力 ばりき のエンジンの動力 どうりょく を、より先進 せんしん 的 てき な油圧 ゆあつ 式 しき ウィリアムス・ジェニー変速 へんそく 装置 そうち により変速 へんそく して駆動 くどう した。これは限 かぎ りなく多様 たよう な曲 きょく 率 りつ での旋回 せんかい を可能 かのう とした。
最初 さいしょ の試作 しさく 車両 しゃりょう (ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ No.1 、後 ご の登録 とうろく 番号 ばんごう MWEE 7)は3挺 てい (お椀 わん 型 がた 銃 じゅう 塔 とう の円周 えんしゅう に沿 そ って120度 ど の角度 かくど ごとに装備 そうび )+1挺 てい (対空 たいくう 用 よう 、銃 じゅう 塔 とう の天井 てんじょう に装備 そうび )のオチキス機関 きかん 銃 じゅう を備 そな えた「雌 めす 型 がた 」バージョンである。2番目 ばんめ の試作 しさく 車両 しゃりょう (ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ No.2 、後 ご の登録 とうろく 番号 ばんごう MWEE 15)は機関 きかん 銃 じゅう 1挺 てい を降 お ろし、そこに3ポンド(47 mm)砲 ほう を備 そな えた「雄 ゆう 型 がた 」で、対空 たいくう 用 よう に機関 きかん 銃 じゅう を砲塔 ほうとう 後部 こうぶ 天井 てんじょう に1挺 てい 備 そな えていた。ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ No.1/No.2は、イギリスの戦車 せんしゃ として初 はじ めて、全 ぜん 周旋 しゅうせん 回 かい 可能 かのう な銃砲 じゅうほう 塔 とう を備 そな えた戦車 せんしゃ であった。このお椀 わん 型 がた の銃砲 じゅうほう 塔 とう は、鋳造 ちゅうぞう 一体 いったい 成型 せいけい ではなく、お椀 わん 型 がた のフレームに叩 たた いて曲面 きょくめん に加工 かこう した薄板 うすいた を鋲 びょう 接 せっ したものである。
本 ほん 車 しゃ は、前任 ぜんにん の車両 しゃりょう 達 たち よりも、はるかに近代 きんだい 的 てき な戦車 せんしゃ に見 み えた。砲塔 ほうとう 、戦闘 せんとう 室 しつ 前面 ぜんめん 、また車体 しゃたい 前面 ぜんめん には、全 すべ て強 つよ い曲面 きょくめん を備 そな えていた。しかし進化 しんか した変速 へんそく 装置 そうち はまるで信頼 しんらい 性 せい がないことが判明 はんめい し、1922年 ねん 晩冬 ばんとう に計画 けいかく は破棄 はき された。
ヴィッカース社 しゃ は3番目 ばんめ の試作 しさく 車 しゃ を製造 せいぞう せず、代 か わりに18ポンド(84 mm)野砲 やほう 用 よう の運搬 うんぱん 車 しゃ を製造 せいぞう した。「18ポンド砲 ほう 運搬 うんぱん 車 しゃ 」(Vickers 18-pdr Transporter 1922)と名付 なづ けられたこの車両 しゃりょう の開発 かいはつ は、シェフィールド で1922年 ねん 3月 がつ に始 はじ まった。11月末 まつ に試作 しさく 車 しゃ がファーンボロ に送 おく られた。重量 じゅうりょう 5 3/4トン。80 hpのウーズレーエンジン搭載 とうさい 。速度 そくど 20 mph(32.2 km/h)。履 くつ 帯 たい に「No.9 リンクトラック」を採用 さいよう 。車体 しゃたい 後 ご 面 めん に下 した 開 びら きのランプがあり、車輪 しゃりん 付 つ きの火砲 かほう をそのまま搭載 とうさい し、運搬 うんぱん することができた。この車両 しゃりょう は「ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ 」とは何 なん の共通 きょうつう 点 てん もなく、他 た のどの車両 しゃりょう と比較 ひかく しても革新 かくしん 的 てき であった。失敗 しっぱい 作 さく の「ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ 」は忘 わす れ去 さ られ、ヴィッカース社 しゃ は「18ポンド砲 ほう 運搬 うんぱん 車 しゃ 」のシャーシ(足 あし 回 まわ り)を流用 りゅうよう して戦車 せんしゃ を製造 せいぞう する命令 めいれい を受 う けた。これが、「ヴィッカース軽 けい 戦車 せんしゃ Mk.I 」となった。
※注 ちゅう :ヴィッカース軽 けい 戦車 せんしゃ Mk.Iの開発 かいはつ 経緯 けいい は未 いま だ判然 はんぜん とせず、定説 ていせつ をみない。18ポンド砲 ほう 運搬 うんぱん 車 しゃ をヴィッカース軽 けい 戦車 せんしゃ Mk.Iの原型 げんけい とする説 せつ は、数 かず ある仮説 かせつ の一 ひと つである。
シャーシ後方 こうほう に(戦闘 せんとう 室 しつ を架設 かせつ するのにうってつけなスペースである)荷台 にだい がある砲 ほう 運搬 うんぱん 車 しゃ をベースとしたためか、ヴィッカース軽 けい 戦車 せんしゃ Mk.Iは、車体 しゃたい 前方 ぜんぽう ほぼ中央 ちゅうおう にエンジン、車体 しゃたい 後方 こうほう に戦闘 せんとう 室 しつ がある、フロントエンジン・リアドライブ方式 ほうしき となった。
フランスと並 なら ぶ戦車 せんしゃ 先進 せんしん 国 こく であるイギリスの制式 せいしき 戦車 せんしゃ にフロントエンジン方式 ほうしき が採用 さいよう されたことは、当時 とうじ のイギリスの影響 えいきょう 力 りょく の大 おお きさからして、(例 たと えば、イギリスのインディペンデント重 じゅう 戦車 せんしゃ が、各国 かっこく の多 た 砲塔 ほうとう 戦車 せんしゃ の開発 かいはつ に影響 えいきょう を与 あた えたように、)1920年代 ねんだい から30年代 ねんだい にかけてのいくつかの国 くに でのフロントエンジン方式 ほうしき の戦車 せんしゃ の開発 かいはつ に影響 えいきょう を与 あた えた(フロントエンジン方式 ほうしき の戦車 せんしゃ の開発 かいはつ を促 うなが した)可能 かのう 性 せい がある。
本 ほん 車 しゃ (Mk.I/IIともに)の製造 せいぞう は、ヴィッカース社 しゃ とROFウーリッジ(Royal Ordnance Factory Woolwich、ウーリッジ王立 おうりつ 造兵 ぞうへい 廠 しょう 、ロイヤル・オードナンス)によって分担 ぶんたん された。
1922年 ねん 後半 こうはん 、試作 しさく 車 しゃ (プロトタイプ)が製造 せいぞう された。
また、この頃 ころ 、試作 しさく 車 しゃ に参謀 さんぼう 本部 ほんぶ 制式 せいしき 番号 ばんごう と車 ぐるま 両 りょう 登録 とうろく 番号 ばんごう 制度 せいど が導入 どうにゅう された。登録 とうろく 番号 ばんごう (WDナンバー)は車種 しゃしゅ を表 あらわ す1文字 もじ のアルファベットとドットと2~3文字 もじ のアラビア数字 すうじ で構成 こうせい されていた。ROFウーリッジの戦車 せんしゃ が「T.1~T.14」までの登録 とうろく 番号 ばんごう を付与 ふよ されたため、ヴィッカースの最初 さいしょ の軟鋼 なんこう 製 せい 試作 しさく 車 しゃ は「T.15」とされた。Tの文字 もじ は、タンク、トラクター、トランスポーターを意味 いみ する。この古 ふる い制度 せいど は、その後 ご も、新 あたら しい制度 せいど と並行 へいこう して存在 そんざい していた。新 あたら しい制度 せいど は、2文字 もじ のアルファベットと4桁 けた のアラビア数字 すうじ で構成 こうせい されていた。例 たと えば、T.7 の登録 とうろく 番号 ばんごう は「ME9923」であった。登録 とうろく 番号 ばんごう は車体 しゃたい の前面 ぜんめん に書 か かれた。
1923年 ねん 、「ヴィッカース軽 けい 戦車 せんしゃ Mk.I」の最初 さいしょ の試作 しさく 車 しゃ が、試験 しけん のためにボービントン に送 おく られた。同年 どうねん 、量産 りょうさん が開始 かいし された。
1924年 ねん 、ヴィッカース軽 けい 戦車 せんしゃ Mk.Iは「ヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.I 」に分類 ぶんるい が変更 へんこう された。
1925年 ねん 、改良 かいりょう 型 がた の「ヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.II 」の製造 せいぞう が開始 かいし された。そのため、Mk.Iの製造 せいぞう 期間 きかん は短 みじか かった。
より従来 じゅうらい 的 てき になったとはいえ、一 いち 面 めん では中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.Iの外見 がいけん はやや近代 きんだい 的 てき に見 み える。高 たか い位置 いち を通過 つうか する軌道 きどう の代 か わりに、通過 つうか 個所 かしょ は低 ひく められ、また5組 くみ のボギーによる緩衝 かんしょう 装置 そうち がつけられた。各 かく ボギーは2組 くみ の小型 こがた 転 てん 輪 わ を受 う け持 も つ。これらの車軸 しゃじく は非常 ひじょう に脆弱 ぜいじゃく に作 つく られていた。N・W・ダンカン少将 しょうしょう は麾下 きか の中 なか 戦車 せんしゃ Mk.IからIIIに対 たい し、「~絶 た え間 ま なく迷惑 めいわく をかける。車軸 しゃじく は継続 けいぞく 的 てき に壊 こわ れ、Mk.I戦車 せんしゃ の行程 こうてい は棄 す てられた車輪 しゃりん が散 ち らばっていた。」と述 の べている。これは1931年 ねん に「箱 はこ 型 がた ボギー」に替 か えられることで解決 かいけつ された[2] 。緩衝 かんしょう 装置 そうち の補修 ほしゅう を易 やさ しくするために装甲 そうこう 覆 おお いの防御 ぼうぎょ は付 つ けられなかった。車体 しゃたい 側面 そくめん の5か所 しょ に取 と り付 つ けられたボギーケーシングには、それぞれ2個 こ の長 なが さの異 こと なる縦 たて 置 お き式 しき 渦巻 うずまき バネが装着 そうちゃく された。普通 ふつう 、10組 くみ の転 てん 輪 わ が配置 はいち され、その前後 ぜんご にテンション調整 ちょうせい 用 よう の転 てん 輪 わ 1組 くみ がつけられていた。寸法 すんぽう に比 ひ して車 くるま 重 じゅう 11.7 tは重 おも くはないものの、接地 せっち 圧 あつ は非常 ひじょう に高 たか かった。
機関 きかん は航空機 こうくうき 用 よう から派生 はせい した空冷 くうれい 式 しき 90馬力 ばりき アームストロング・シドレーエンジンだった。驚 おどろ くことには、エンジンと変速 へんそく 装置 そうち は車体 しゃたい 中 ちゅう に分散 ぶんさん 配置 はいち されていた。エンジンは操縦 そうじゅう 手 しゅ の左側 ひだりがわ に、変速 へんそく 装置 そうち は車 くるま 長 ちょう の下 した 、最終 さいしゅう 変速 へんそく 機 き は後部 こうぶ である。ダンカン少将 しょうしょう の言及 げんきゅう では「戦時 せんじ の経験 けいけん からみて信 しん じがたい退行 たいこう 段階 だんかい 」としている。マーク B 中 ちゅう 戦車 せんしゃ とマーク VIII 戦車 せんしゃ ではエンジンの騒音 そうおん と熱 ねつ が乗員 じょういん に与 あた える消耗 しょうもう を軽 かる くするため、区画 くかく 化 か が導入 どうにゅう されている。しかし中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.Iでは保守 ほしゅ 点検 てんけん の容易 たやす さを考 かんが えることが優先 ゆうせん された(一応 いちおう 板 いた で区切 くぎ られてはいる)。
[1]
[2]
(上 うえ )ヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ の内部 ないぶ 構造 こうぞう 。前方 ぜんぽう 右側 みぎがわ に操縦 そうじゅう 席 せき があり、その左側 ひだりがわ にエンジンが設置 せっち される。中央 ちゅうおう は車 くるま 長 ちょう が立 た つ台 だい 。後方 こうほう 右側 みぎがわ が乗降 じょうこう 扉 とびら で、その左側 ひだりがわ に燃料 ねんりょう タンクが設置 せっち される。車体 しゃたい 両 りょう 側面 そくめん にも乗降 じょうこう 扉 とびら がある。
エンジンの駆動 くどう 力 りょく は乾式 かんしき 多 た 板 いた クラッチから4速 そく の変速 へんそく 装置 そうち に行 い く。シンクロメッシュはついておらず、大 おお きな騒音 そうおん なしでのギア間 あいだ の変更 へんこう は操縦 そうじゅう 手 しゅ にとり試練 しれん だった[2] 。駆動 くどう 軸 じく は変速 へんそく 装置 そうち につながり、戦車 せんしゃ 後部 こうぶ のベベルボックスに行 い く。ここでは両 りょう 側面 そくめん の無限 むげん 軌道 きどう のため、別個 べっこ の遊星 ゆうせい ギアに動力 どうりょく を分配 ぶんぱい する。もし車両 しゃりょう が障害 しょうがい 物 ぶつ や軟土のため急速 きゅうそく に速度 そくど を落 お とすと、これらのギアには自動的 じどうてき に予備 よび の緊急 きんきゅう 用 よう 回転 かいてん 力 りょく が与 あた えられる。
ガソリン タンクは車体 しゃたい の最 さい 後部 こうぶ 近 ちか くに設 もう けられた。このため燃料 ねんりょう 系統 けいとう を車体 しゃたい 全体 ぜんたい に走 はし らさねばならず、エンジンに燃料 ねんりょう を注 そそ ぐ第 だい 二 に タンクへの供給 きょうきゅう は重力 じゅうりょく を用 もち いていた。エンジンの給 きゅう 脂 あぶら と部分 ぶぶん 的 てき な冷却 れいきゃく はオイルで行 おこな われた。漏 も れは普通 ふつう に起 お こり、元々 もともと の4ガロン容器 ようき は13.5ガロンのもの1つに置 お き換 か えられることとなった。この戦車 せんしゃ は電動 でんどう で始動 しどう したが、これはセルモーターが十分 じゅうぶん 温 あたた まっている場合 ばあい に限 かぎ られ、最初 さいしょ の始動 しどう は車両 しゃりょう の内部 ないぶ から手動 しゅどう で行 おこな われなければならなかった。最大 さいだい 速度 そくど は15マイル(24 km/h)、航続 こうぞく 距離 きょり は190 kmほどである。
車体 しゃたい 頂 いただき 部 ぶ には、円筒 えんとう 形状 けいじょう で一部 いちぶ 上面 うわつら に傾斜 けいしゃ のついた砲塔 ほうとう が付 つ いている。これは「Quick Firing」(「速射 そくしゃ 砲 ほう 」の意 い )3ポンド(47 mm)砲 ほう を搭載 とうさい する。この3ポンド(47 mm)戦車 せんしゃ 砲 ほう には、榴弾 りゅうだん (HE)は用意 ようい されていなかった。榴弾 りゅうだん による攻撃 こうげき はCS(近接 きんせつ 支援 しえん )型 がた の役割 やくわり であった。この問題 もんだい は、後継 こうけい である2ポンド(40 mm)戦車 せんしゃ 砲 ほう にも受 う け継 つ がれる。また、オチキス機関 きかん 銃 じゅう 用 よう の4か所 しょ の球形 きゅうけい 銃 じゅう 架 か が設 もう けられている。
新 あたら しい特徴 とくちょう として、砲塔 ほうとう は、車 くるま 長 ちょう ・砲手 ほうしゅ 兼 けん 整備 せいび 士 し ・装填 そうてん 手 しゅ 兼 けん 機銃 きじゅう 手 しゅ の、3人 にん 乗 の りである。これにより、車 くるま 長 ちょう は装填 そうてん 手 しゅ や砲手 ほうしゅ を兼任 けんにん することで機能 きのう を阻害 そがい されることなく、戦場 せんじょう の状況 じょうきょう を警戒 けいかい し続 つづ けることに専念 せんねん できた[3] 。これは戦闘 せんとう で大 おお きな優越 ゆうえつ 性 せい を与 あた えたが、当時 とうじ はさほど大 おお きな注意 ちゅうい を払 はら われなかった。1934年 ねん にランツヴェルクにより製造 せいぞう された、Strv m/42 の前身 ぜんしん であるラーゴ中 ちゅう 戦車 せんしゃ を除 のぞ き[4] 、ドイツのIII号 ごう 戦車 せんしゃ が現 あらわ れるまでは、どのメーカーも3人 にん 乗 の り砲塔 ほうとう の戦車 せんしゃ を作 つく らなかった。この特徴 とくちょう の実際 じっさい の重要 じゅうよう 性 せい は、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後期 こうき に両 りょう 陣営 じんえい の戦車 せんしゃ 設計 せっけい が3人 にん 乗 の り砲塔 ほうとう へと速 すみ やかに切 き り替 か わるか、もしくは旧式 きゅうしき 化 か して放棄 ほうき された事 こと で示 しめ されている。
Mk.Iには、主砲 しゅほう 右 みぎ 横 よこ の前方 ぜんぽう 機銃 きじゅう としてのヴィッカース重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう は装備 そうび されていない。砲塔 ほうとう からは1挺 てい の機銃 きじゅう を操作 そうさ できるのみである。普通 ふつう は機関 きかん 銃 じゅう が外 はず せることから、個々 ここ の銃 じゅう 架 か の間 あいだ で使 つか いまわされた。
Mk.Iの車体 しゃたい 形状 けいじょう は特徴 とくちょう 的 てき である。車体 しゃたい 後部 こうぶ は単純 たんじゅん な装甲 そうこう 化 か された箱 はこ 状 じょう だった。前面 ぜんめん 装甲 そうこう 板 ばん は背 せ が高 たか く完全 かんぜん に垂直 すいちょく である。これらの間 あいだ には、車体 しゃたい 右側 みぎがわ に設 もう けられた操縦 そうじゅう 手 しゅ 用 よう の装甲 そうこう 化 か されたフードがあり、ここから6枚 まい の装甲 そうこう 板 ばん が左 ひだり 方 かた へ扇状 せんじょう に広 ひろ がる事 こと で、かたわらに複雑 ふくざつ な車体 しゃたい 形状 けいじょう を作 つく り出 だ している。戦車 せんしゃ 全体 ぜんたい は不格好 ぶかっこう なずんぐりした印象 いんしょう を与 あた えている。5名 めい の乗員 じょういん (操縦 そうじゅう 手 しゅ ・車 くるま 長 ちょう ・砲手 ほうしゅ 兼 けん 整備 せいび 士 し ・装填 そうてん 手 しゅ 兼 けん 機銃 きじゅう 手 しゅ ・車体 しゃたい 機銃 きじゅう 手 しゅ )には6.25 mm装甲 そうこう という貧弱 ひんじゃく な防御 ぼうぎょ のみが与 あた えられ、車体 しゃたい は鋲 びょう 接 せっ である。軽 けい 機関 きかん 銃 じゅう からの脅威 きょうい にかろうじて対抗 たいこう できるが、多数 たすう のショットトラップのためにこの車両 しゃりょう は対戦 たいせん 車 しゃ ライフル の射撃 しゃげき にも対抗 たいこう できず、また姿勢 しせい が高 たか く目 め につきやすい。主要 しゅよう 区画 くかく 内 ない に燃料 ねんりょう タンクを置 お くような内部 ないぶ のレイアウトもこの脆弱 ぜいじゃく 性 せい を悪化 あっか させている。
中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.Iは数 すう 両 りょう のマーク V 戦車 せんしゃ を代替 だいたい した。本 ほん 車 しゃ は後継 こうけい であるヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.II と共 とも に、王立 おうりつ 戦車 せんしゃ 連隊 れんたい に就役 しゅうえき している。1938年 ねん に段階 だんかい 的 てき に退役 たいえき していき、総計 そうけい 200両 りょう を数 かぞ える最初 さいしょ の車両 しゃりょう となった。
中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.Iは1921年 ねん にシャール2Cの10両 りょう の量産 りょうさん が終 お わって以来 いらい 、最初 さいしょ の量産 りょうさん となった。次 つぎ に最多 さいた 量産 りょうさん となったのは約 やく 30両 りょう のみが作 つく られたルノー NC27だった。1920年代 ねんだい ではイギリスの中 なか 戦車 せんしゃ が世界 せかい でも最多 さいた 量産 りょうさん であった。これらの車両 しゃりょう は砲撃 ほうげき の機会 きかい を得 え ず、実戦 じっせん 性能 せいのう は推測 すいそく するほかないが、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の10年間 ねんかん に存在 そんざい する近代 きんだい 的 てき な戦車 せんしゃ の一 ひと つとして、こうした車両 しゃりょう はイギリスに、実戦 じっせん 可能 かのう な部隊 ぶたい を用 もち いる機械 きかい 化 か された戦争 せんそう について、新 あたら しいアイデアを試験 しけん するという貴重 きちょう な機会 きかい を与 あた えた。こうして得 え られた知見 ちけん は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか に価値 かち を示 しめ した。
中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.I
最初 さいしょ の型式 けいしき で、1924年 ねん 以降 いこう 、30両 りょう が生産 せいさん された。
1両 りょう の中 なか 戦車 せんしゃ Mk.Iのエンジンが90馬力 ばりき のリカードディーゼルエンジンに換 かわ 装 そう された事 こと がある。
中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.IA
50両 りょう 生産 せいさん 。垂直 すいちょく 装甲 そうこう 面 めん を8mm装甲 そうこう とし、操縦 そうじゅう 手 しゅ のフードを負傷 ふしょう につながる跳 は ね上 あ げ式 しき から二 に 分割 ぶんかつ の横 よこ 開 ひら き式 しき に変更 へんこう 、対空 たいくう 射撃 しゃげき 用 よう に砲塔 ほうとう 後 ご 面 めん を傾斜 けいしゃ 面 めん にして銃 じゅう 架 か を設 もう け、砲手 ほうしゅ 用 よう の額 がく 当 あ てと顎 あご 当 あ てのパッドなどがやや改良 かいりょう されている。Mk.IAは外部 がいぶ からエンジン始動 しどう できた。80両 りょう すべての問題 もんだい の多 おお いボギー機構 きこう はより強靭 きょうじん なものに換 かわ 装 そう された[5] 。
中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.IA*
原型 げんけい の砲塔 ほうとう を作 つく り直 なお し、オチキス製 せい の銃 じゅう 架 か を撤去 てっきょ 、主砲 しゅほう 右 みぎ 横 よこ の前方 ぜんぽう 機銃 きじゅう (注 ちゅう :砲塔 ほうとう 前方 ぜんぽう 機銃 きじゅう と同軸 どうじく 機銃 きじゅう はイコールではない)としてヴィッカース重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう を装備 そうび する改修 かいしゅう を施 ほどこ した。重量 じゅうりょう 増 ぞう に対 たい し、鉛 なまり のカウンターウェイトを砲塔 ほうとう 後部 こうぶ につけ、「司教 しきょう 冠 かんむり (Bishops's Mitre、ビショップス マイター) 」と呼 よ ばれる水平 すいへい 旋回 せんかい 可能 かのう なキューポラを頂 いただき 部 ぶ につけている[6] 。
中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.I CS および中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.IA CS
1ダースの車両 しゃりょう が近接 きんせつ 支援 しえん 車両 しゃりょう として作 つく り直 なお された。15ポンド迫撃 はくげき 砲 ほう (煙幕 えんまく 展 てん 張 はり 用 よう )を装備 そうび 。中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.I CSの参謀 さんぼう 本部 ほんぶ 制式 せいしき 番号 ばんごう は「A2E2 」である。
試験 しけん 型 がた 転 うたて 輪 わ 及 およ び軌道 きどう 中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.I
これは戦略 せんりゃく 的 てき 機動 きどう 性 せい を改善 かいぜん するため1926年 ねん にたてられた、転 うたて 輪 わ ・兼 けん ・無限 むげん 軌道 きどう の試験 しけん 計画 けいかく である。つまり本 ほん 車 しゃ は4個 こ の大 おお きなゴム付 つ き転 うたて 輪 わ をジャッキとして車体 しゃたい を持 も ち上 あ げるもので、転 うたて 輪 わ を限界 げんかい まで下降 かこう させ、フロントの転 てん 輪 わ 1組 くみ は舵 かじ を切 き るために用 もち いられた。後方 こうほう の1組 くみ は駆動 くどう のために使 つか われる。本 ほん 車 しゃ の見 み た目 め は「むしろ、極 きわ めて不 ふ 適当 てきとう なローラースケート上 じょう に座 すわ り込 こ んだ家屋 かおく に似 に ている何 なに か」となった。より実用 じつよう 的 てき だったのはトラックにより牽引 けんいん する事 こと であった。この車両 しゃりょう はまた、試験 しけん 的 てき に操縦 そうじゅう 手 しゅ 用 よう のフードを装備 そうび していた。この装備 そうび は後 のち に撤去 てっきょ された[7] 。
バーチガン
1920年代 ねんだい 、ヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.I/IIのシャーシを基 もと に、自 じ 走 はし 砲 ほう 用 よう に新規 しんき 開発 かいはつ ・製造 せいぞう されたシャーシに、対地 たいち /対空 たいくう 兼用 けんよう の18ポンド砲 ほう を搭載 とうさい した、試作 しさく 自 じ 走 はし 砲 ほう 。7輌 りょう 製造 せいぞう 。
Mk.C
バーチガンのシャーシと足 あし 回 まわ りは、続 つづ いて開発 かいはつ されたビッカースC型 がた 中 ちゅう 戦車 せんしゃ の基 もと になった。
残存 ざんそん 車両 しゃりょう [ 編集 へんしゅう ]
ヴィッカース中 ちゅう 戦車 せんしゃ Mk.Iは南 みなみ アフリカ共和 きょうわ 国 こく のブルームフォンテーン にある特別 とくべつ 任務 にんむ 大隊 だいたい 博物館 はくぶつかん に1両 りょう が残 のこ っている[8]
。
Duncan, N.W. (1973), Mediums Marks I-III , Windsor, Profile Publications, AFV in Profile No. 12
[3] - フィリップ・ジョンソンの軽 けい 歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ
[4] - ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ No.1(機銃 きじゅう 装備 そうび 型 がた )
[5] - ヴィッカース歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ No.2(砲 ほう 装備 そうび 型 がた )
[6] - 18ポンド砲 ほう 運搬 うんぱん 車 しゃ (1922年 ねん )前方 ぜんぽう (Mk.Iと異 こと なり、転 うたて 輪 わ の前後 ぜんご の制 せい 衝転輪 わ が無 な い。)
[7] - 18ポンド砲 ほう 運搬 うんぱん 車 しゃ (1922年 ねん )後方 こうほう
[8] - 18ポンド砲 ほう 運搬 うんぱん 車 しゃ (1922年 ねん )前面 ぜんめん
[9] - 18ポンド砲 ほう 運搬 うんぱん 車 しゃ (1922年 ねん )後 ご 面 めん (ランプ展開 てんかい 状態 じょうたい )