(Translated by https://www.hiragana.jp/)
FCM36 - Wikipedia コンテンツにスキップ

FCM36

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
FCM 36
性能せいのうしょもと
全長ぜんちょう 4.46 m
車体しゃたいちょう m
全幅ぜんぷく 2.14 m
ぜんこう 2.20 m
重量じゅうりょう 12.35 t
懸架けんか方式ほうしき 垂直すいちょくコイルスプリング
速度そくど 24 km/h
行動こうどう距離きょり 225 km
主砲しゅほう 21口径こうけい37mmピュトーSA18
ふく武装ぶそう 7.5mm機関きかんじゅうM31
装甲そうこう 40 mm最大さいだい
エンジン ベルリエ V-4ディーゼル
91 馬力ばりき
乗員じょういん 2 めい
テンプレートを表示ひょうじ

FCM 36制式せいしき名称めいしょうChar léger Modèle 1936 FCMけい戦車せんしゃ-1936ねんしき-FCM)はだい世界せかい大戦たいせんまえフランス陸軍りくぐんけに設計せっけいされたけい歩兵ほへい戦車せんしゃである。乗員じょういんは2めいで、たん砲身ほうしん37mmほうと7.5mm同軸どうじく機銃きじゅう装備そうびディーゼルエンジン駆動くどうであった。

開発かいはつ

[編集へんしゅう]

1933ねん、オチキスしゃは、安価あんか大量たいりょう生産せいさん可能かのうけい歩兵ほへい戦車せんしゃ提案ていあんおこなった。これをけ、フランス陸軍りくぐんではあらためてひろ産業さんぎょうかいからあんつのり、その結果けっか競作きょうさくされたなかから、オチキス H35ルノー R35、FCM 36の3車種しゃしゅ量産りょうさんされることとなった。

トゥーロンにあるFCMしゃForges et Chantiers de la Méditerranée)はそれ以前いぜんにも、1921ねん巨大きょだいFCM 2Cじゅう戦車せんしゃ10りょう生産せいさんし、またシャール B1開発かいはつにもかかわるなど、戦車せんしゃ開発かいはつ若干じゃっかん経験けいけんっていた。シャール Bのサスペンション設計せっけい手掛てがけたブードロ技師ぎしたいめいじられた設計せっけい方針ほうしんは、軍港ぐんこうのメーカーならではの電気でんき溶接ようせつ技術ぎじゅつ最大限さいだいげんかした先進せんしんてきなデザインをつくすことだった。

1934ねん3がつ木製もくせいモックアップによって陸軍りくぐん認可にんかけ、1935ねん4がつ2にちには機銃きじゅう2ちょう装備そうび砲塔ほうとう試作しさくしゃがヴァンセンヌの委員いいんかい提出ていしゅつされた。この試作しさくしゃは、とく溶接ようせつげられた傾斜けいしゃ装甲そうこうと、なが航続こうぞく距離きょり約束やくそくするディーゼルエンジンによって、委員いいんかい非常ひじょう感銘かんめいってむかえられた。ただし、試作しさくしゃは9トンの要求ようきゅう重量じゅうりょうよりもやく3わりおもく11.68トンあり、また機械きかいてきトラブルがあったため本格ほんかくてき試験しけんおこなえず、6月9にち初期しょき評価ひょうか終了しゅうりょうしたのち、メーカーにおくかえされた。

実際じっさいには、そののテストでさらにおおくの欠点けってん浮上ふじょうし、その結果けっか全般ぜんぱんにわたるあらため設計せっけいおこなわれることとなった。より軽量けいりょうした車体しゃたいあたらしい砲塔ほうとう構成こうせい、サスペンション、くつたい導入どうにゅうされ、エンジンルーム上面うわつらは、整備せいび容易たやすさを考慮こうりょし、ボルト接合せつごうあらためられた。9月10にちあらため設計せっけいされた試作しさくしゃはヴァンセンヌにおくられたが、今度こんどは10月23にちにサスペンションの補強ほきょうのためにもどされた。12月19にちふたた委員いいんかいもどされ、よく1936ねん5がつ14にちまでテストがおこなわれた。その要求ようきゅう変更へんこうがあり、装甲そうこうを30mmから40mmへすことが決定けっていされ、もと装甲そうこううえに10mmの増加ぞうか装甲そうこうることで対処たいしょされたが、この特徴とくちょう生産せいさんしゃにもがれた。

原型げんけい歩兵ほへい委員いいんかいまり、とくに、この時代じだいには重要じゅうようであるとかんがえられたたいガス気密きみつせいが6がつ17にち証明しょうめいされたのち、7がつ9にちには、競作きょうさくちゅうもっとすぐれているとの評価ひょうかくだされた。

生産せいさん

[編集へんしゅう]

ドイツのラインラント進駐しんちゅうによる緊張きんちょうたかまりで、5月26にち制式せいしき先立さきだって100りょうの「FCMせい1936ねんがたけい戦車せんしゃ」の発注はっちゅうおこなわれた。1りょうあたりの価格かかくは45まんフランス・フランであった。生産せいさんしゃは37mmほう装備そうびしていた。

おなじくオチキス H35ルノー R35量産りょうさん開始かいしされていたが、このりょう競作きょうさくしゃははるかに安価あんかであったため、これらがフランスぐんけい歩兵ほへい戦車せんしゃ主力しゅりょくめることとなった。同一どういつほう搭載とうさいしているにもかかわらず、高価こうかなFCM 36が並行へいこう生産せいさんされることになった理由りゆうは、その将来しょうらいせいであった。この当時とうじ、FCM 36は、フランスにおけるもっと先進せんしんてき戦車せんしゃであり、そのしん戦車せんしゃ開発かいはつ生産せいさんのための技術ぎじゅつ開拓かいたくやくたすことが期待きたいされたのである。またそれは、性急せいきゅう量産りょうさん開始かいしする必要ひつようがないことも意味いみした。

生産せいさん設備せつびととのえられはじめたのは1936ねん12月になってからで、実際じっさい量産りょうさん開始かいしは、より強力きょうりょくなエンジンと軽量けいりょうくつたいのテストのため、さらに1ねん以上いじょうおくれた。もっともそれらのテスト結果けっかおもわしくなく、結局けっきょく生産せいさん当初とうしょ設計せっけいしたがっておこなわれ、初号しょごうしゃは1938ねん5がつ2にち納入のうにゅうされた。1938ねんから1939ねんにかけ、登録とうろく番号ばんごう30057号車ごうしゃもちいて新型しんがたくつたい、クラッチ、エンジンのテストがおこなわれたが、結局けっきょく、これらも生産せいさんしゃ導入どうにゅうされることはなかった。

1938ねん5がつ12にちおよび1939ねん2がつ3にちに、それぞれ100りょう追加ついか発注はっちゅうおこなわれた。しかしFCMしゃは、1939ねん3がつ13にち当初とうしょ発注はっちゅう最終さいしゅうしゃ登録とうろく番号ばんごう30100号車ごうしゃおくしたのちすくなくとも1りょうあたりのコストを90まんフランにげてもらえぬかぎり、生産せいさん終了しゅうりょうすると突如とつじょ発表はっぴょうおこなった。またFCMしゃではシャール B1生産せいさんてられており、いずれにせよ1940ねん9がつまでは、これ以上いじょう生産せいさんおこな余力よりょくがないこともあきらかにした。これらの事情じじょう考慮こうりょし、ジャコメ監察かんさつ総監そうかん生産せいさん中止ちゅうし許可きょかした。

ただしFCMせい砲塔ほうとうは、オチキスやルノーもふくめた、けい戦車せんしゃよう標準ひょうじゅん砲塔ほうとうとして設計せっけいされていた。オチキスやルノーに使つかわれていたAPX砲塔ほうとうが、初期しょきには生産せいさん深刻しんこく遅延ちえんていたためだが、その問題もんだいのち軽減けいげんされたため、1350以降いこう、FCMせいとする当初とうしょ計画けいかく延期えんきとなった。しかしそれ以外いがいにもAPX砲塔ほうとうは、やわらかすぎ、もろすぎるという鋳造ちゅうぞうともな品質ひんしつてき問題もんだいかかえていて防御ぼうぎょりょくがFCMせいおとったこと、また重量じゅうりょうもFCMせいの1,287kgにくらべ1,552kgとおおきかったことから、あらためて2000でAPX砲塔ほうとう生産せいさん終了しゅうりょうすることとし、以後いごはFCMせい砲塔ほうとう統一とういつする予定よていであった。

しかし、これらけい戦車せんしゃ搭載とうさいする37mmほうを、たん砲身ほうしんSA18から、ちょう砲身ほうしん貫徹かんてつりょくすぐれたSA38にかわそうする計画けいかくてきたことで、この予定よてい見直みなおされることになった。テストの結果けっかちょう砲身ほうしん37mmのよりつよ反動はんどうによりFCMせい砲塔ほうとう溶接ようせつにひびれが発生はっせいする危険きけんせいがあり、それをふせぐにはあらためて補強ほきょう必要ひつようであることが判明はんめいしたためである。またその結果けっか、オチキスやルノーとはことなり、既存きそんのFCM 36には、ちょう砲身ほうしん37mmほう装備そうびされずにわった。

技術ぎじゅつてき特徴とくちょう

[編集へんしゅう]

FMC 36は小型こがた車両しゃりょうであり、全長ぜんちょう4.46m、全高ぜんこう2.20m、全幅ぜんはば2.14mで、乗員じょういんは2めい重量じゅうりょうは12.35トンである。もっと顕著けんちょ特徴とくちょうは、避弾けいはじめ考慮こうりょし、ショットトラップをけるためにおおくのめんからなる装甲そうこうばん電気でんき溶接ようせつした、未来みらいてきなピラミッドじょうデザインである。エンジンデッキのみは、整備せいび容易よういせい考慮こうりょしてボルト接合せつごうされている。くつたい上側うわがわやサスペンションもまた、ジグザグ断面だんめん傾斜けいしゃ装甲そうこうによって保護ほごされている。

装甲そうこうばん良質りょうしつで、30から45傾斜けいしゃつ40mm装甲そうこうは、45mmから50mmの装甲そうこう同等どうとう防御ぼうぎょりょくち、これは当時とうじたい戦車せんしゃほうたいしては、たい戦車せんしゃほうにとって理想りそうてき位置いちからってきたときであっても充分じゅうぶん性能せいのうで、よりななめからたれれば、傾斜けいしゃ装甲そうこう容易よういたまをはじくことが可能かのうだった。

もうひとつのしん機軸きじくはディーゼルエンジンで、217リットルの搭載とうさい燃料ねんりょうで、225キロメートルの航続こうぞく距離きょり可能かのうとしていた。

しかし一方いっぽうでは古風こふうてんもあった。91馬力ばりきのベルリエせいV-4ディーゼルでは、最高さいこう速度そくどでは時速じそく24kmしかせず、それにともない、サスペンションは片側かたがわ8つのてんを8ほん垂直すいちょくコイルスプリングで懸架けんかするという単純たんじゅん構成こうせいだった。同車どうしゃは2mのちょうごう能力のうりょく、70cmのたい障害しょうがいぶつ、80%の登坂とさか能力のうりょくっていた。とく能力のうりょくてき不足ふそくしていたのは火力かりょくで、31ねんがた7.5mm機銃きじゅういとしても、主砲しゅほう21口径こうけい37mmピュトーSA18は、装甲そうこう貫徹かんてつりょく非常ひじょうとぼしかった。

戦歴せんれき

[編集へんしゅう]

生産せいさんすうすくなかったため、FCM 36はかぎられた部隊ぶたいにしか配備はいびされなかったが、それらは1940ねん5がつ14にちハインツ・グデーリアンひきいるドイツXIX軍団ぐんだんのミューズかわ渡河とかという、フランス戦役せんえき主要しゅよう場面ばめん居合いあわせることになった。

1939ねん3がつおよび4がつ、2つの大隊だいたい創設そうせつされた。けい歩兵ほへい戦車せんしゃ装備そうびするけい戦車せんしゃ大隊だいたいBataillon de Chars Légèrs略称りゃくしょうBCL)のなかでも、このだい4大隊だいたいだい7大隊だいたいは、45りょうずつのFCM 36を装備そうびしているというてん独特どくとくだった。大隊だいたいは13りょう装備そうびの3中隊ちゅうたいけい39りょう)と、大隊だいたい本部ほんぶおよび補充ほじゅうとして6りょう保有ほゆう、5りょう操縦そうじゅうしゅ訓練くんれんようもちいられた。部隊ぶたい配備はいびされた以外いがいの10りょうは、うち8りょう訓練くんれんよう使つかわれ、1りょうはドイツせいさらがた地雷じらい(Tellermine)の威力いりょく試験しけん破壊はかいされ、もう1りょうはテストベッドとして工場こうじょうのこされていた。

1939ねん8がつ25にち動員どういんともなってBCLはBCC(Bataillon de Chars de Combat)と改名かいめいされ、だい7大隊だいたいだい503戦車せんしゃ連隊れんたいだい4大隊だいたいだい502戦車せんしゃ連隊れんたいれられた。1939ねん9がつ、ドイツとの戦争せんそうはじまると、りょうFCM 36装備そうび大隊だいたいは、ルノー R35装備そうびだい3大隊だいたいとともにだい503戦車せんしゃ集団しゅうだんとして、だい2ぐん装甲そうこう予備よび戦力せんりょくとなった。

1940ねん5がつ13にちスダンにおいてムーズ河岸かわぎしにドイツ歩兵ほへい部隊ぶたい橋頭堡きょうとうほきずくと、同日どうじつ午後ごご、FCM大隊だいたいたいし、(大隊だいたい自体じたいには随伴ずいはん歩兵ほへい戦力せんりょくがなかったので)歩兵ほへい連隊れんたい協力きょうりょくして、反撃はんげき排除はいじょにあたることがめいじられた。しかしそのよるのビュルゾンにあったフランスぐん最終さいしゅう防衛ぼうえいせん潰走かいそうと、それにつづ混乱こんらんのため、部隊ぶたい前進ぜんしんよく14にち早朝そうちょうになってからであり、そのときにはすでにドイツぐん最初さいしょ戦車せんしゃ舟橋ふなばしによって渡河とか開始かいししていた。

ドイツ装甲そうこう部隊ぶたい前衛ぜんえいだい7大隊だいたいは、ビュルゾンちかくでかいてきした。FCM 36は、けい装甲そうこうのドイツぐん装甲車そうこうしゃすうりょう撃破げきはすることができたが、30mmの装甲そうこうIIIごう戦車せんしゃたいしては、その主砲しゅほうはまったく威力いりょく不足ふそくだった。とはいえ、当時とうじはIIIごう戦車せんしゃの37mm戦車せんしゃほうもタングステンだんしんのAPCRだんっていなかったので、ドイツがわもFCM 36の装甲そうこうはなかなかけなかった。りょうぐんはぎりぎりまで接近せっきんして猛烈もうれつったが、その結果けっか、フランスがわのFCM 36は増加ぞうか装甲そうこうち、装甲そうこうばん脆弱ぜいじゃく溶接ようせつ部分ぶぶんからかれる事態じたいとなり、結局けっきょくだい7大隊だいたいは、このたたかいに参加さんかした36りょう装備そうび車両しゃりょうのうち、26りょう戦場せんじょうのこして退却たいきゃくせざるをなかった。

だい7大隊だいたいによる反撃はんげき失敗しっぱいけ、だい4大隊だいたいによる攻撃こうげき中止ちゅうしされた。どう大隊だいたいは、5月15にち、ストンヌ攻防こうぼうせん投入とうにゅうされ、若干じゃっかん損害そんがいけた。5月23にちまで、どう大隊だいたいだい3自動車じどうしゃ歩兵ほへい師団しだんまれた。

そのりょう大隊だいたい訓練くんれん補充ほじゅうよう車両しゃりょうをもって再建さいけんのため予備よびまわされた。ドイツによるフランス侵攻しんこうだい2段階だんかいである「赤色あかいろ作戦さくせん(Fall Rot、ファル・ロト)」、6月9にち10日とおかには、エーヌにおいて、ドイツぐん歩兵ほへい部隊ぶたいたいして有効ゆうこう反撃はんげきおこなった。 その部隊ぶたいはフランスぐん退却たいきゃくささえるやくになったが、その過程かていで、りょう大隊だいたい装備そうびする45りょうだい部分ぶぶんを、ドイツぐん戦車せんしゃとの戦闘せんとううしなった。

ドイツでの使用しようじょうきょう

[編集へんしゅう]

ドイツは37りょうのFCM 36を鹵獲ろかくし、それらをPanzerkampfwagen 737 FCM (f)名称めいしょう使用しようした。ただし、戦車せんしゃがたそのものとしては、1940ねん5がつ、6がつ現場げんば部隊ぶたい即席そくせき使つかわれたのみだった。

1942ねん、12りょうのFCM 36がはし榴弾りゅうだんほう10.5cm leFH16/18(Sf)auf Geschuetzwagen FCM(f)改装かいそうされた。1943ねん、10りょうのFCM 36が駆逐くちく戦車せんしゃマーダー I改装かいそうされた。これらはだい21装甲そうこう師団しだんドイツばんによって、1944ねんノルマンディー戦線せんせん使用しようされた。

現存げんそん車両しゃりょう

[編集へんしゅう]

フランスのソミュール戦車せんしゃ博物館はくぶつかんに、1りょうのFCM 36が現存げんそんしている。

登場とうじょう作品さくひん

[編集へんしゅう]
World of Tanks
フランスけい戦車せんしゃFCM 36として開発かいはつ可能かのうドイツぐんにより改造かいぞうされ連合れんごうぐんさい鹵獲ろかくされた車両しゃりょうがフランス駆逐くちく戦車せんしゃFCM 36 Pak 40として販売はんばい
War Thunder
フランスのけい戦車せんしゃFCM 36として登場とうじょう初期しょき車両しゃりょうからはずされいまはランクIIを開発かいはつすることで入手にゅうしゅできる。
トータル・タンク・シミュレーター
フランスの海賊かいぞく戦車せんしゃとして使用しよう可能かのう

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • Leland Ness,'Jane's World War II Tanks and Fighting Vehicles: The Complete Guide', Harper Collins, London and New York, 2002, ISBN 0-00-711228-9
  • Pascal Danjou, 'FCM 36',TRACKSTORY #7, Editions du Barbotin, Ballainvilliers, 2007

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]