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7TP

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
7TP 戦車せんしゃ
7TP たん砲塔ほうとうがた
性能せいのうしょもと
全長ぜんちょう 4.60 m
全幅ぜんぷく 2.40 m
ぜんこう 2.27 m
重量じゅうりょう 9.9 t
懸架けんか方式ほうしき リーフスプリング・ボギーしき
速度そくど 32 km/h
主砲しゅほう ボフォース45口径こうけい37mmほう×1
ふく武装ぶそう 7.92mm機関きかんじゅう×1
装甲そうこう 17 mm
エンジン PZInż.235(Saurer VBLDd)
えきひや直列ちょくれつ6気筒きとう4ストロークちょく噴式ディーゼル
110 hp/1800 rpm
乗員じょういん 3 めい
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7TPだい世界せかい大戦たいせん使用しようされたポーランドけい戦車せんしゃである。イギリスせいヴィッカース 6トン戦車せんしゃのライセンス生産せいさんがただが、ポーランド独自どくじ改良かいりょうほどこされている。7TPは1939ねんドイツによる侵攻しんこう当時とうじ、ポーランドぐん装備そうびするもっと強力きょうりょく戦車せんしゃであった。

開発かいはつ生産せいさん

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ヴィッカース 6トン戦車せんしゃ(ヴィッカースMk.Eとしてもられる)は、当時とうじ旧式きゅうしきしたルノー FT-17 けい戦車せんしゃ更新こうしん需要じゅようねらって、えいヴィッカース・アームストロングしゃにより1920年代ねんだいすえ開発かいはつされ、1930年代ねんだいにかけて各国かっこく輸出ゆしゅつされた。ポーランドは1931ねんに50りょう購入こうにゅう契約けいやくむすぶとともにライセンス生産せいさんけん入手にゅうしゅした。購入こうにゅう契約けいやくをした50りょうかんしては、うち38りょうがポーランドに到着とうちゃくした。これらはすべてそう砲塔ほうとうがたのType Aだったが、のちにパーツが追加ついか購入こうにゅうされ、22りょうたん砲塔ほうとうのType B仕様しよう改修かいしゅうされた。

ポーランドでの生産せいさんがたはオリジナルのヴィッカースMk.Eのままではなく、試作しさくしゃであるVAUえーゆー-33[注釈ちゅうしゃく 1]において独自どくじ改良かいりょうほどこされた[1]

最大さいだい改良かいりょうてんは、オリジナルのアームストロング・シドレー 空冷くうれい水平すいへい直列ちょくれつ4気筒きとうガソリンエンジン 80hpから、「PZInż.235」[注釈ちゅうしゃく 2]えきひや直列ちょくれつ6気筒きとうディーゼルエンジンにかわそうしたことで、これにより機関きかんしつ戦闘せんとうしつおなたかさまでぞうせきされた。また、車体しゃたい各部かくぶ装甲そうこうあつもMk.Eよりわずかにあつくされ、重量じゅうりょうが2tほどえたので、サスペンションも強化きょうかされた。

このポーランド国産こくさん改良かいりょうがた最終さいしゅうてきに、「ポーランドぐん7トン戦車せんしゃ」を意味いみする7TPと名付なづけられた[注釈ちゅうしゃく 3]1934ねん生産せいさん開始かいしされたが、初期しょき生産せいさんされたかた暫定ざんていてきにヴィッカース6t戦車せんしゃType Aとおなそう砲塔ほうとうwz.30機関きかんじゅう(7.92mm)を装備そうびした。しゅ量産りょうさんがたボフォース 37mmたい戦車せんしゃほう車載しゃさいがたであるWz.37戦車せんしゃほう搭載とうさいしたたん砲塔ほうとうがたで、1937ねんすえもしくは1938ねん生産せいさん開始かいしされた。

たん砲塔ほうとうがたは、1939ねんだい世界せかい大戦たいせん開戦かいせんにポーランドが保有ほゆうしていた戦闘せんとう車輌しゃりょうなかもっと有力ゆうりょくなものであった。しかし、開戦かいせんまでに生産せいさんされていた7TPは130りょうから140りょう程度ていどぎず、実戦じっせんでの活躍かつやくはごくかぎられたものだった。

ポーランドを占領せんりょうしたドイツぐん鹵獲ろかくした7TPを「Pz.kpfw.7TP(p)」として、占領せんりょう警備けいびなどにもちいていた。また短期間たんきかんではあるが総統そうとう護衛ごえい大隊だいたいのち旅団りょだん師団しだん拡大かくだい)のだいよん中隊ちゅうたいとして、21りょう配備はいびされていたこともあった。

バリエーション

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7TP そう砲塔ほうとうがた
7TP たん砲塔ほうとうがた
7TP(そう砲塔ほうとうがた
7TP最初さいしょ量産りょうさんがた。ヴィッカースMk.Eそう砲塔ほうとうがたりゃく同型どうけいの2つのじゅうとうつ。wz.30機銃きじゅう2ちょう装備そうび。24りょう生産せいさんされた。ぞうせきされた機関きかんしつ以外いがい車体しゃたい基本きほん構成こうせいはヴィッカースMk.Eにじゅんじるが若干じゃっかん装甲そうこうあつくされ、また点検てんけんこうもうけられた車体しゃたい前部ぜんぶ上面うわつら装甲そうこうばんしょう改修かいしゅうされたあしまわりなど細部さいぶにはちがいがある。資料しりょうにより、「7TPdw」とかれている場合ばあいがあるが(dwはポーランドのdwuwieżowy=そう砲塔ほうとうりゃく)、これは戦後せんご西側にしがわ文献ぶんけん便宜べんぎてき使つかわれた呼称こしょうで、この戦車せんしゃ使つかわれた当時とうじは、特別とくべつけはなされていなかった[2]
7TP(たん砲塔ほうとうがた
7TPのしゅ量産りょうさんがた。ボフォース37mm戦車せんしゃほう搭載とうさい、100りょうあまりが生産せいさんされた。プロトタイプの砲塔ほうとうスウェーデンボフォースしゃほうわせて設計せっけいされたもので、おなじくスウェーデンせいのランズベルク装甲車そうこうしゃ、ランズベルクL60けいけい戦車せんしゃ使つかわれた砲塔ほうとう形状けいじょうつ。プロトタイプの砲塔ほうとう砲塔ほうとうめんにハッチをち、上面うわつらペリスコープのみでハッチはなかったが、量産りょうさんがたでは砲塔ほうとう後部こうぶにバスル、上面うわつら右側みぎがわにハッチがもうけられた。上面うわつら左側ひだりがわには単純たんじゅん回転かいてんしきのペリスコープ、上面うわつら右側みぎがわ(ハッチじょう)にはグンドラフしきペリスコープが装着そうちゃくされている。機関きかんしつめんは、初期しょき生産せいさんがたそう砲塔ほうとうがた同様どうよう点検てんけんハッチのほぼ全面ぜんめんにわたるルーバーひく位置いち装着そうちゃくされた排気はいきマフラーをっていたが、標準ひょうじゅんがたではルーバーはなくなりマフラーもたか位置いちうつされている。資料しりょうによっては、便宜べんぎてきに「7TPjw」(jwはポーランドのjednowieżowy=たん砲塔ほうとうりゃく)とばれる。

派生はせいがた

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C7P
7TPをベースにした装甲そうこう重砲じゅうほう牽引けんいんしゃ車両しゃりょう回収かいしゅうしゃやく150りょう生産せいさんされた。初期しょき試作しさくがたであるC6Tはエンジンが車体しゃたい前部ぜんぶかれ、起動きどう後部こうぶ誘導ゆうどう前部ぜんぶという戦車せんしゃがたぎゃくのレイアウトだったが、C7Pでは戦車せんしゃがたおな配置はいちもどされている。重砲じゅうほう牽引けんいんしゃとしては、おもに220mm/wz.32瑠弾ほう牽引けんいんもちいられた。
9TP
7TPの改良かいりょうがたとして、よりコンパクトなエンジンを搭載とうさい装甲そうこう形状けいじょう見直みなおしたタイプが計画けいかくされた。ザウラーCT1D(ポーランドにおけるライセンス生産せいさん名称めいしょう、PZInż.155)ディーゼルエンジン、およびPZInż.725ガソリンエンジン搭載とうさいがたの2しゅが、それぞれ国営こくえい技術ぎじゅつ工廠こうしょう(PZInż)および装甲そうこう部隊ぶたい技術ぎじゅつ調査ちょうさしつ(BBT BP)で開発かいはつされた。これらは一般いっぱんに「9TP」の名称めいしょうられるが、この名前なまえ戦後せんごになって便宜べんぎてき使つかわれはじめたもので、開発かいはつには単純たんじゅんに「強化きょうかがた7TP」とばれていた。1りょうの7TP(車輌しゃりょう登録とうろく番号ばんごう1766)にザウラーCT1Dを搭載とうさいしテストされた。1939ねんなつ、PZInżにおいて2りょう試作しさくしゃつくられ、さらに9がつまでに11りょう生産せいさんされたとする資料しりょうもあるが、実際じっさいには装甲そうこう形状けいじょうあらためた「強化きょうかがた7TP」が存在そんざいした証拠しょうこ確認かくにんできていない[2]

登場とうじょう作品さくひん

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アニメ・漫画まんが

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ガールズ&パンツァー
ボンプル高校こうこう使用しようする車輌しゃりょうとして登場とうじょうそう砲塔ほうとうがたたん砲塔ほうとうがた両方りょうほう登場とうじょう
World of Tanks
たん砲塔ほうとうがたが、ポーランドけい戦車せんしゃ 7TP として開発かいはつ可能かのう
トータル・タンク・シミュレーター
ポーランドの初期しょき戦車せんしゃ(けい戦車せんしゃ)として7TPたん砲塔ほうとうがたあらためけい戦車せんしゃとして9TPが使用しよう可能かのう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ "VA"はヴィッカース・アームストロング、"U"は国営こくえい技術ぎじゅつ工廠こうしょうのウルスス部門ぶもん(もと民間みんかん企業きぎょうだったが世界せかい恐慌きょうこうて1930ねん国営こくえい)、もしくは改善かいぜん意味いみするポーランド"ulepszeny"の頭文字かしらもじ、"-33"は1933ねんがたをそれぞれしめす。
  2. ^ スイスのザウラーVBLDbの出力しゅつりょく向上こうじょうがたであるVBLDdの国産こくさんばん出力しゅつりょくがVBLDbの92hpからVBLDdでは110hpに向上こうじょうしている。「PZInż.」は「Państwowe Zakłady Inżynieryjne」(国営こくえい技術ぎじゅつ工廠こうしょう)の略称りゃくしょう現在げんざい農業のうぎょう機械きかい企業きぎょうかぶ会社かいしゃポルモット・ホールディング株式会社かぶしきがいしゃ子会社こがいしゃであるウルスス株式会社かぶしきがいしゃのワルシャワ工場こうじょう
  3. ^ ただし、生産せいさんがたにおいて重量じゅうりょう結局けっきょく9トンをえている

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 戦車せんしゃマガジンしゃ戦車せんしゃマガジン』1990ねん11がつごう、『スティーブ・ザロガ「ポーランドぐん戦車せんしゃ部隊ぶたい1930-39」』
  • Adam Jońca, Rajmund Szubański, Jan Tarczyński, "Wrzesień 1939 POJAZDY WOJSKA POLSKIEGO Barwa i broń", WKŁ, Warszawa 1990
  • Janusz Magnuski, Jan Jędryka "CZOŁG LEKKI 7TP część pierwsza"
    • Militaria / kwartalnik historyczno-modelarski vol.1/no.5, FENIX sp.c.,Warszawa 1996
  • PIBWL home page / Polish Armour of 1918 - 1939

関連かんれん項目こうもく

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