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M11/39

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
M11/39
きたアフリカ戦線せんせんにおいてオーストラリアぐん鹵獲ろかくされたM11/39(かってみぎ中央ちゅうおうりょう同左どうさM13/40)。識別しきべつマークとしてカンガルーえがかれている。主砲しゅほう砲塔ほうとうについておらず、射撃しゃげきには車体しゃたいごとてきけなければならなかった。
性能せいのうしょもと
全長ぜんちょう 4.73 m
全幅ぜんぷく 2.18 m
ぜんこう 2.30 m
重量じゅうりょう 11 t
懸架けんか方式ほうしき リーフスプリングボギーしき
速度そくど 33 km/h
行動こうどう距離きょり 200 km
主砲しゅほう M30 40口径こうけい 37 mm ほう×1
ふく武装ぶそう ブレダ M38 8 mm 車載しゃさい機関きかんじゅう×2
装甲そうこう 14~30 mm
エンジン フィアットSPA 8T 4ストロークVがた8気筒きとうえきひやディーゼル
105 hp/1,800 rpm
乗員じょういん 3 めいくるまちょうけん機銃きじゅうしゅけん無線むせんしゅ砲手ほうしゅけん装填そうてんしゅ操縦そうじゅうしゅ
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M11/39(Carro Armato Medio da 11 tonnellate Modello 1939)は、だい世界せかい大戦たいせんイタリアはつちゅう戦車せんしゃである。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

1936ねん、イタリア陸軍りくぐんは、時代遅じだいおくれとなったフィアット3000突撃とつげき戦車せんしゃ更新こうしん装備そうびとして、乗員じょういん3めい車体しゃたいに1もんの40口径こうけい 37 mmほう旋回せんかいじゅうとうに2ていの8 mm機関きかんじゅうしょう火器かきからのてっかぶとだんや20 mm機関きかんほう射撃しゃげきこうこらえできる装甲そうこう、をそなえた新型しんがた戦車せんしゃ要求ようきゅう仕様しようを、フィアットしゃとアンサルドしゃ提示ていじした。

1936ねんに、最初さいしょのプロトタイプである、「10トン実験じっけんよう戦車せんしゃ」(Carro di Rottura da 10 t)がつくられたが、1937ねん放棄ほうきされた。


  • [1] - 「10トン実験じっけんよう戦車せんしゃ」。片側かたがわ3りんボギー2くみと、その後方こうほうのテンショナーホイール(くつたいはり調整ちょうせいよう車輪しゃりん)からなるあしまわりが特徴とくちょう。このあしまわりと同様どうようものが、どう時期じき開発かいはつちゅうの、「アンサルド 9トン戦車せんしゃ」の改修かいしゅうがたにも採用さいようされている。

「10トン実験じっけんよう戦車せんしゃ」の基本きほんてきなレイアウトは、つぎのプロトタイプである、「8T 実験じっけんよう戦車せんしゃ」 (「8トン戦車せんしゃ」だと誤解ごかいされることがあるが、この「8T」は、「フィアットSPA 8T エンジン」のことをし、「重量じゅうりょう8トン」という意味いみではない) にも、がれた。


1938ねん5がつまでに、M11/39の直接ちょくせつ原型げんけいとなった、「8T 実験じっけんよう戦車せんしゃ」(Carro di Rottura 8T)(重量じゅうりょうすこえて11トン)が、試作しさくされた。この車両しゃりょうは、イタリア陸軍りくぐんによって、車両しゃりょう番号ばんごう「RE2576」をあたえられて登録とうろくされ、検査けんさおこなわれた。

  • [2] - アンサルドでテストちゅうの「8T 実験じっけんよう戦車せんしゃ

片側かたがわ2りんボギー4くみあしまわりは、1929ねんに、イタリアがイギリスから輸入ゆにゅうした、ヴィッカース 6トン戦車せんしゃのそれを、参考さんこうにしたものであった。

1939ねん就役しゅうえき予定よていであったことから、M11/39として制式せいしきされ、1939ねん1940ねんにかけて、100りょう生産せいさんされた。

主砲しゅほうであるヴィッカース=テルニ M30 40口径こうけい 37 mmほうは、砲塔ほうとうせずに、車体しゃたい前部ぜんぶ右側みぎがわ搭載とうさいされ、旋回せんかいじゅうとうにはブレダ M38 8 mm連装れんそう機銃きじゅう装備そうびされていた。

このほう旋回せんかい砲塔ほうとうへの搭載とうさいは、すでに「フィアット3000 1930ねんがた」で実現じつげんしている。

  • [3] - M11/39の主砲しゅほうである、ヴィッカース=テルニ M30 40口径こうけい 37 mmほう左右さゆうに15°ずつ可動かどうする。
  • [4] - M11/39の左側ひだりがわから車体しゃたい内部ないぶ主砲しゅほう左側ひだりがわにあるのは、ほうとは独立どくりつ上下じょうげ可動かどうする、望遠鏡ぼうえんきょうしき照準しょうじゅんである。
  • [5] - M11/39における砲手ほうしゅ射撃しゃげき姿勢しせい
  • [6] - アンサルド 9トン戦車せんしゃ左側ひだりがわから車体しゃたい内部ないぶ主砲しゅほう左側ひだりがわにあるのは、ほうとは独立どくりつ上下じょうげ可動かどうする、望遠鏡ぼうえんきょうしき照準しょうじゅんである。

この搭載とうさい方法ほうほうはしほう同様どうようのものであり、てきかいからはずれると車体しゃたいごときをえて、それから照準しょうじゅんをしなおさなければならず、接近せっきんせんでは非常ひじょう不利ふりであった。

しかし、それまでのガソリンエンジンから、被弾ひだん発火はっかつよく、燃費ねんぴい、ディーゼルエンジン採用さいようされるなど、すすんだめんもあった。このエンジンの出力しゅつりょく向上こうじょうがたは、M13/40にも搭載とうさいされた。M11/39とM13/40は、エンジン・コンパートメント(機関きかんしつ)の形状けいじょうもほぼおなじである。

1940ねんにはリビアでの戦闘せんとうはじめに実戦じっせん投入とうにゅうされたが、貧弱ひんじゃく装甲そうこうのため、おおくの車両しゃりょう戦闘せんとううしなわれ、1941ねん初頭しょとうにはほぼ全車ぜんしゃ退役たいえきした。

すうりょうきたアフリカ戦線せんせんオーストラリア国防こくぼうぐん鹵獲ろかく使用しようされ、イタリアぐんへの反攻はんこう作戦さくせん投入とうにゅうされた。(みぎじょう画像がぞう参照さんしょう

登場とうじょう作品さくひん

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R.U.S.E.
イタリアけい戦車せんしゃとして登場とうじょう
バトルフィールド1942 ロード・トゥ・ローマ
イタリアぐん追加ついかちゅう戦車せんしゃとして登場とうじょうする。
パンツァーフロントAusf.B
War Thunder
イタリアのなか戦車せんしゃM11/39として登場とうじょう初期しょき車両しゃりょうではなく駆逐くちく戦車せんしゃツリーにありL3ccのつぎ開発かいはつできる。

外部がいぶリンク

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  • [7] - M11/39の三面さんめん

関連かんれん項目こうもく

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