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AH-IV は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん で使用 しよう された豆 まめ 戦車 せんしゃ である。
チェコスロバキアで開発 かいはつ され、イラン、ルーマニア、スウェーデンなど、数 すう カ国 かこく に輸出 ゆしゅつ され、使用 しよう された。
特 とく にルーマニア軍 ぐん の車両 しゃりょう は、バルバロッサ作戦 さくせん からウィーン攻撃 こうげき まで、東部 とうぶ 戦線 せんせん で運用 うんよう され、最後 さいご に生 い き残 のこ った20輌 りょう は、戦後 せんご にエチオピアに売 う られ、1980年代 ねんだい まで利用 りよう された。
ČKD社 しゃ はvz.33豆 まめ 戦車 せんしゃ の失敗 しっぱい を繰 く り返 かえ さないため、新型 しんがた のAH-IVには強力 きょうりょく な火力 かりょく と周囲 しゅうい の視察 しさつ 能力 のうりょく と全 ぜん 周囲 しゅうい 旋回 せんかい 可能 かのう な砲塔 ほうとう を持 も った。
車体 しゃたい は12 mmと6 mmの装甲 そうこう 版 ばん をリベットで組 く み立 た てられた。ドライバーは右側 みぎがわ に座 すわ り、防弾 ぼうだん ガラスと装甲 そうこう シャッターで保護 ほご されている観察 かんさつ ポートを使 つか い周囲 しゅうい を見 み る。2挺 てい の機関 きかん 銃 じゅう のために3700発 はつ の弾薬 だんやく を搭載 とうさい している。無線 むせん 機 き は装備 そうび されていなかった。[ 1]
プラハ社 しゃ の排気 はいき 量 りょう 3.468 Lの水冷 すいれい 6気筒 きとう エンジンは2,500 rpmで55馬力 ばりき (41 kW)の出力 しゅつりょく を発揮 はっき する。エンジンは戦闘 せんとう 室 しつ の後部 こうぶ にあり、ドライバーや砲手 ほうしゅ の間 あいだ をドライブシャフトを介 かい して伝達 でんたつ され前方 ぜんぽう にある変速 へんそく 機 き とつながっていた。
エンジンの冷却 れいきゃく 空気 くうき は、砲手 ほうしゅ とドライバーのハッチから取 と り込 こ まれるようになっており、これは銃 じゅう の発砲 はっぽう によって車内 しゃない にたまるガスを排気 はいき するのに便利 べんり であった。天候 てんこう が非常 ひじょう に寒 さむ い場合 ばあい には乗員 じょういん に悪影響 あくえいきょう を与 あた えた。
トランスミッションはプラガ・ウィルソン製 せい のセミオートマチックで前進 ぜんしん 5段 だん /後進 こうしん 1段 だん である。サスペンションと片側 かたがわ 4つの大 おお きな転 てん 輪 わ は38(t)戦車 せんしゃ に使用 しよう されているものの小型 こがた 版 ばん であった。接地 せっち 圧 あつ は0.5 kg/cm2で1.5メートルの溝 みぞ を越 こ えることができ、0.5~0.6 mの高 たか さの障害 しょうがい 物 ぶつ を乗 の り越 こ え0.8 mの段差 だんさ を登 のぼ ることができる。
イランはAH-IVの最初 さいしょ の顧客 こきゃく だった。50輌 りょう とプロトタイプを注文 ちゅうもん した。1935年 ねん に出荷 しゅっか され翌年 よくねん には到着 とうちゃく した。
シリーズの中 なか で最 もっと も軽 かる いバージョンで3.5 tしかなく、0.45 kg/cm2の接地 せっち 圧 あつ を持 も っていた。ZB vz. 26と ZB vz. 35の機関 きかん 銃 じゅう を搭載 とうさい していた。
100輌 りょう と300輌 りょう が追加 ついか 発注 はっちゅう されたが、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が始 はじ まり納品 のうひん されなかった。
R-1
1936年 ねん 8月 がつ 14日 にち に35輌 りょう のルーマニア向 む けのAH-IV-Rの契約 けいやく を締結 ていけつ した。
秋 あき の演習 えんしゅう に参加 さんか する1937年 ねん 10月 がつ にルーマニアに送 おく られたが、仕様 しよう に準拠 じゅんきょ していなかったとして受 う け入 い れ拒否 きょひ した。
必要 ひつよう な変更 へんこう を実施 じっし するために1938年 ねん 4月 がつ までかかった。
AH-IV-RをR-1としてライセンス生産 せいさん するために1938年 ねん 9月 がつ にライセンスを購入 こうにゅう したが、決済 けっさい 上 じょう の紛争 ふんそう から生産 せいさん 図面 ずめん が1939年 ねん 10月 がつ まで送 おく られてこなかった。
結局 けっきょく はスペアパーツから1輌 りょう の試作 しさく 品 ひん を作 つく っただけで、生産 せいさん は行 おこな われなかった。
スウェーデン、ストックホルムのスウェーデン陸軍 りくぐん 博物館 はくぶつかん で展示 てんじ されている、Strv. m/37
Stridsvagn m/37(Strv. m/37)として1937年 ねん に48輌 りょう を注文 ちゅうもん した。
装甲 そうこう を15 mmに強化 きょうか し、エンジンをより強力 きょうりょく な4.39 L、85馬力 ばりき (63 kW)のボルボFC-CKD 水冷 すいれい 6気筒 きとう ガソリンエンジンに変更 へんこう し、4.68 tもある最 もっと も重 おも いバージョンになった。
全長 ぜんちょう 3.4 m、幅 はば 1.85 m、高 たか さ1.96 m、最高 さいこう 速度 そくど は60 km/hになり航続 こうぞく 距離 きょり は200 kmになった。
武装 ぶそう はブローニングM1919重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう のスウェーデン版 ばん であるKsp m/36を搭載 とうさい した。
砲塔 ほうとう には視察 しさつ 用 よう のキューポラが設 もう けられた。車内 しゃない には無線 むせん 機 き と3960発 はつ の銃弾 じゅうだん を搭載 とうさい した。最終 さいしゅう の戦車 せんしゃ は1938年 ねん 11月に出荷 しゅっか された。
エチオピアは1948年 ねん 6月 がつ 24日 にち に20輌 りょう のAH-IV-Hbを購入 こうにゅう した。溶接 ようせつ 構造 こうぞう ではなくリベットであった。
排気 はいき 量 りょう 4.94 L、2200 rpmで65馬力 ばりき (48kW)の、タトラ114 空冷 くうれい ディーゼルエンジンを搭載 とうさい して、最高 さいこう 速度 そくど 42 km/hを発揮 はっき し、航続 こうぞく 距離 きょり は200 kmになった。
重量 じゅうりょう 3.93 t、全長 ぜんちょう 3.2 m、幅 はば 1.82 m、高 たか さ1.73 m、接地 せっち 圧 あつ 0.48 kg/cm2、深 ふか さ1 mを渡河 とか 可能 かのう 。
Axworthy, Mark; Scafes, Cornel; Craciunoiu, Cristian (1995). Third Axis, Fourth Ally: Romanian Armed Forces in the European War, 1941-1945 . London: Arms and Armour. ISBN 1-85409-267-7
Kliment, Charles K.; Francev, Vladimír (1997). Czechoslovak Armored Fighting Vehicles . Atglen, PA: Schiffer. ISBN 0-7643-0141-1
^ Kliment and Francev, p. 46