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寛平かんぺい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

寛平かんぺい』(かんぴょうぎょき)は、宇多天皇うだてんのう日記にっき。10かん。『宇多天皇うだてんのう』ともいう。現存げんそんする天皇てんのう日記にっきとして最初さいしょのもので、『醍醐天皇だいごてんのう』『村上むらかみ天皇てんのう』とともに「さんだい」とばれた。

貫首かんじゅしょう』に、摂関せっかん蔵人くろうどらが天皇てんのう作法さほう政治せいじへの顧問こもんようみかど教育きょういく方法ほうほうるための必見ひっけんしょかれている。また、近衛このえけんけいは、『岡屋おかや関白かんぱく』で、「まいことことすぐれ、古事ふるごと眼前がんぜんるがごとし。臣下しんか得失とくしつ政道せいどうおくむね詩歌しかきょうだいむね此御り」(ひろしもと4ねん1246ねんうるう4がつ9にちじょう)とひょうしている。

花園天皇はなぞのてんのう宸記正和しょうわ2ねん(1313ねん)10がつ14にちじょうに「今日きょう寛平かんぺいじゅうかん一見いっけんりょう」としるされていることから、当時とうじ10かんつてそんしていたことがわかるが、現在げんざいは1かん残存ざんそんしていない。 また、『西宮にしのみや』『扶桑ふそう略記りゃっきとう逸文いつぶんから、宇多天皇うだてんのう践祚せんそ当日とうじつ仁和にわ3ねん887ねん)8がつ26にちから譲位じょういした寛平かんぺい9ねん897ねん)7がつ3にちまでの10年間ねんかんに50じょう確認かくにんされる。現存げんそんするのは、江戸えど時代じだい中津なかつこう(ひろちか)が古書こしょ引用いんようされた部分ぶぶんあつめたもの。

内容ないようは、藤原基経ふじわらのもとつね示威じい事件じけんであるおもね事件じけんおもね衡の紛議ふんぎ)の顛末てんまつといった政治せいじてきなことや、ちち光孝みつたか天皇てんのうよりゆずられたくろねこのことなど、天皇てんのう日常にちじょう感情かんじょう一端いったんうかがえる。

刊本かんぽんは、以下いかとおり。