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東光院 (豊中市) - Wikipedia コンテンツにスキップ

東光とうこういん (豊中とよなか)

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東光とうこういん

山門さんもん
所在地しょざいち 大阪おおさか豊中とよなか南桜塚みなみさくらづか1丁目ちょうめ12-7
位置いち 北緯ほくい3446ふん29びょう 東経とうけい13528ふん5びょう / 北緯ほくい34.77472 東経とうけい135.46806 / 34.77472; 135.46806座標ざひょう: 北緯ほくい3446ふん29びょう 東経とうけい13528ふん5びょう / 北緯ほくい34.77472 東経とうけい135.46806 / 34.77472; 135.46806
山号さんごう ふつにちさん
宗派しゅうは 曹洞宗そうとうしゅう
本尊ほんぞん 薬師やくし如来にょらい
創建そうけんねん つて天平てんぺい7ねん735ねん
開山かいさん つて行基ぎょうき
正式せいしきめい ふつ日山ひやま吉祥きっしょうはやし東光とうこういん
別称べっしょう はぎてら
札所ふだしょとう しん西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょだい12ばん
西国さいごく七福神しちふくじん毘沙門天びしゃもんてん
文化財ぶんかざい 木造もくぞう釈迦如来しゃかにょらい坐像ざぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい
きゅう川崎かわさき東照宮とうしょうぐう本地ほんじどう指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい
公式こうしきサイト 東光とうこういん はぎてら
法人ほうじん番号ばんごう 2120905003926 ウィキデータを編集
東光院の位置(大阪府内)
東光院
東光とうこういん
東光とうこういん (大阪おおさか)
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本堂ほんどう

東光とうこういん(とうこういん)は、大阪おおさか豊中とよなかにある曹洞宗そうとうしゅう寺院じいん山号さんごうふつにちさん本尊ほんぞん薬師やくし如来にょらい境内けいだい随所ずいしょはぎえられ「はぎてら」ともしょうされ、毎年まいとし9がつには「はぎまつり」がもよおされる。正岡子規まさおかしきとうてらはぎしょうしてのこし、境内けいだい句碑くひてられている。本堂ほんどうにはしん西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょだい12ばん札所ふだしょ本尊ほんぞんじゅういちめん観音かんのん立像りつぞう(こより観音かんのん)もまつられている。庭園ていえんはぎえん」は大阪おおさかみどりのひゃくせんえらばれている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

奈良なら時代じだい中津川なかつがわ南岸なんがん豊崎とよさきげん大阪おおさかきた中津なかつ中国ちゅうごく街道かいどう沿い)は死者ししゃかわべりにてるところであり、「はまはか」とばれる場所ばしょであった。天平てんぺい7ねん735ねん)にこのおとずれた行基ぎょうきが、人々ひとびと日本にっぽんはじめて火葬かそう方法ほうほう伝授でんじゅし、みずか薬師やくし如来にょらいぞうつくって付近ふきんえていたはぎそなえたのがとうてらはじまりとされている。その人々ひとびと浄財じょうざいにより薬師堂やくしどう建立こんりゅうされた。

以来いらいてらめい薬師堂やくしどうであったが、のべたから9ねん1681ねん)に相模さがみこくこう雲寺くもでられいぜん和尚おしょうにゅうてらして曹洞宗そうとうしゅうあらため、てらめい東光とうこういんあらためた。その衰微すいびしていたが、文化ぶんか年間ねんかん1804ねん - 1818ねん)にだいさかじゅうにん両替りょうがえ殿村とのむらひらみぎ衛門えもん中原なかはら庄兵衛しょうべえ寄進きしんによって、わたるてんいちしゅう禅師ぜんじ再興さいこうした。これにより「みなみ四天王寺してんのうじきた東光とうこういん」とばれるほどにさかえた。

1873ねん明治めいじ6ねん)、大阪おおさか西成にしなりぐん川崎かわさきむらげん大阪おおさかきた天満てんま1丁目ちょうめ造幣局ぞうへいきょく一帯いったい)にあった川崎かわさき東照宮とうしょうぐうはいしゃされるのにともない、東照宮とうしょうぐう本地ほんじどう瑠璃るり殿どの」(げんあずまあきらかく仏舎利ぶっしゃり殿どの)とその本地ほんじほとけである徳川とくがわ家康いえやすゆかりの厄除やくよけ薬師如来やくしにょらい坐像ざぞうげんさんじゅうさん観音堂かんのんどう本尊ほんぞん)、東照宮とうしょうぐう不動堂ふどうどう本尊ほんぞん不動明王ふどうみょうおう当地とうちうつしている。

1903ねん明治めいじ36ねん)には玉江たまえきょう付近ふきんげん大阪おおさか福島ふくしま福島ふくしま1丁目ちょうめ)にあった豊臣とよとみ秀吉ひでよし天正てんしょう18ねん1590ねん)に相模さがみこく最乗寺さいじょうじから勧請かんじょうしたみちりょうだい権現ごんげんみょうさとしどうりょう)をまつみちりょうどう小田原おだわらはん寄進きしん建立こんりゅう)を当地とうちうつしている。

箕面みのお有馬ありま電気でんき軌道きどうげん阪急電鉄はんきゅうでんてつ)の小林こばやし一三かずみ宅地たくち開発かいはつされつつある宝塚たからづかせん沿いに移転いてんしてまちかくとなってくれるようたのまれ、1914ねん大正たいしょう3ねん)に別院べついんがあった現在地げんざいち移転いてんした。

1973ねん昭和しょうわ48ねん)に東光とうこういん別院べついんであった浄土宗じょうどしゅうたにしょういん合併がっぺいしている。

1988ねん昭和しょうわ63ねん)に交流こうりゅうのあったスリランカ名僧めいそうコタヘーネ・ジナランカーラ長老ちょうろうにより仏舎利ぶっしゃり寄贈きぞうされている。

1995ねん平成へいせい7ねん)の阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい本堂ほんどう大破たいはするなどの被害ひがいたが復興ふっこうした。1997ねん平成へいせい9ねん)、スリランカのケラニヤ大寺おおてらのコルピティ・マヒンダ管長かんちょうより、どうてら秘宝ひほうふつあしせき寄贈きぞうされた。また、2000ねん平成へいせい12ねんはる、スリランカふつ教徒きょうと会議かいぎにより釈迦如来しゃかにょらいしろぼとけ(ホワイト・ブッダ)ぞう寄贈きぞうされた。

後醍醐天皇ごだいごてんのう菩提ぼだいとむらうため、南朝なんちょう女官にょかんたちが制作せいさくし、川崎かわさき東照宮とうしょうぐう観音堂かんのんどう本尊ほんぞんであったじゅういちめん観音かんのん立像りつぞうは「こより観音かんのん」と通称つうしょうされている。1985ねん昭和しょうわ60ねん)の修理しゅうりで、法華経ほけきょう料紙りょうしを「こより」にしたものをころもとしてけた全国ぜんこくてきにもめずらしい仏像ぶつぞうであることがわかった。現在げんざいしん西国さいこくだい12ばん霊場れいじょう本尊ほんぞん

なお庭園ていえんはぎえん」は北大路魯山人きたおおじろさんじん命名めいめいしたものであり、大阪おおさかみどりのひゃくせん選定せんていされている[1]

境内けいだい[編集へんしゅう]

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

重要じゅうよう文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 木造もくぞう釈迦如来しゃかにょらい坐像ざぞう - 平安へいあん時代じだい後期こうきぞうだか7.3cmほどのしょうぞうで、もとほとけ(けぶつ[2])としてつくられたものと推定すいていされている。大阪おおさか市立しりつ美術館びじゅつかん寄託きたく

豊中とよなか指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • きゅう川崎かわさき東照宮とうしょうぐう本地ほんじどうあずまあきらかく仏舎利ぶっしゃり殿どの

前後ぜんご札所ふだしょ[編集へんしゅう]

しん西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょ
11 當麻寺たいまでら - 12 東光とうこういん - 13 満願寺まんがんじ
西国さいごく七福神しちふくじん毘沙門天びしゃもんてん

交通こうつう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 大阪おおさかみどりのひゃくせん”. 大阪おおさか. 2019ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ 仏像ぶつぞう光背こうはいなどに付属ふぞくするしょう仏像ぶつぞうのこと

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]