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紀藤きとう真琴まこと

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紀藤きとう 真琴まこと
水戸みと啓明ひろあき高等こうとう学校がっこう 硬式こうしき野球やきゅう 監督かんとく
統一とういつセブンイレブン・ライオンズコーチ時代じだい
(2012ねん9がつ7にち)
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 愛知あいちけん名古屋なごや天白てんぱく
生年月日せいねんがっぴ (1965-05-12) 1965ねん5月12にち(59さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
178 cm
84 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 1983ねん ドラフト3
はつ出場しゅつじょう 1987ねん5がつ28にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2005ねん8がつ11にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
監督かんとく・コーチれき

紀藤きとう 真琴まこと(きとう まこと、1965ねん5月12にち - )は、愛知あいちけん名古屋なごや天白てんぱく出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅみぎとうみぎ)、コーチ。ニックネームは「かめ」。

経歴けいれき

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プロまえ

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名古屋なごや市立しりつだかざか小学校しょうがっこう名古屋なごや市立しりつ久方ひさかた中学校ちゅうがっこう名古屋なごや天白てんぱく出身しゅっしん中日ちゅうにちドラゴンズファンだった[1]工藤くどうこうやすしもと福岡ふくおかソフトバンクホークス監督かんとく)は小中学校しょうちゅうがっこうの2ねん先輩せんぱいたる[2][3]

中京ちゅうきょう高校こうこう時代じだいひか投手とうしゅ兼任けんにん外野がいやしゅとして1982ねんだい54かい選抜せんばつだい64かい全国ぜんこく選手権せんしゅけん1983ねんだい65かい全国ぜんこく選手権せんしゅけん出場しゅつじょう主戦しゅせん投手とうしゅ野中のなかとおるはくとの2まい看板かんばん、Wエースとわれ、球威きゅうい野中のなか一番いちばんだが球速きゅうそく紀藤きとう一番いちばんともわれた。甲子園こうしえんでは3試合しあい野中のなかをリリーフして登板とうばん同期どうきには鈴木すずき俊雄としおもいた。

その1983年度ねんどドラフト会議かいぎにで広島東洋ひろしまとうようカープから3指名しめいけ、入団にゅうだん[4]

広島ひろしま時代じだい

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プロり1ねん1984ねんシーズンから3年間ねんかんぐん生活せいかつつづき、一軍いちぐん登板とうばんはなかった。

1987ねんシーズンに一軍いちぐんはつ登板とうばんたす。このとし勝利しょうり投手とうしゅにはなれなかったものの18試合しあい登板とうばんし、頭角とうかくあらわす。

1988ねんシーズンは中継なかつ中心ちゅうしんながら10試合しあい先発せんぱつ登板とうばんし、4しょう3はい防御ぼうぎょりつ3.66の成績せいせきのこした。

1989ねんシーズンは中継なかつぎとしてリーグトップの61試合しあい登板とうばんした[4][5]。このとし先発せんぱつでの登板とうばんはなかったが4しょう1はい7セーブ、防御ぼうぎょりつ2.68と好成績こうせいせきのこした。

1990ねんシーズンは前年ぜんねんのシーズンより登板とうばんすうり、36試合しあい登板とうばんにとどまったが防御ぼうぎょりつ2.58とこのとし安定あんていかんがあった。

1991ねんシーズンも36試合しあい登板とうばんし、安定あんていかんいたがセントラル・リーグ優勝ゆうしょう貢献こうけん。しかし、西武せいぶライオンズとの日本にっぽんシリーズではだい1せんだい6せん中継なかつ投手とうしゅとして登板とうばんしたもののだい1せんでは満塁まんるい本塁打ほんるいだ[6]だい6せんでは3てん本塁打ほんるいだたれた[7]

1992ねんシーズンは21試合しあい登板とうばん

1993ねんシーズンも20試合しあい登板とうばん前年ぜんねんのシーズンとそれほどわらなかった。

1994ねんシーズンからは先発せんぱつ転向てんこう[4]。それまでプロり10ねんいちも2けた勝利しょうりがなかったが、このシーズンは山本やまもと和行かずゆきコーチの指導しどう能力のうりょく一気いっき開花かいかした[8]。8月には自身じしんはつ月間げっかんMVPを獲得かくとくし、シーズンも自身じしん最高さいこうとなる16しょう5はい成績せいせきのこし、4試合しあい連続れんぞく2ケタだつ三振さんしん最高さいこう勝率しょうりつ記録きろくする。

1995ねんシーズンは10月8にち巨人きょじんせんでは、この試合しあい引退いんたい試合しあいとなったはらたつとく引退いんたい花道かどうかざるホームランをたれた(ただし紀藤きとうは7かいでその1失点しってんのみで10しょうげている)。9月17にちには広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう巨人きょじんせん槙原まきはらひろしおのれから通算つうさん1ごうとなるソロ本塁打ほんるいだはなっている。

1996ねんシーズンは5月に2度目どめ月間げっかんMVPを獲得かくとくし、前半ぜんはんせん首位しゅい原動力げんどうりょくとなり、シーズンではチームトップの12しょうげ3ねん連続れんぞくけた勝利しょうりをあげたが、後半こうはんせん8がつまつから閉幕へいまくまで6連続れんぞく先発せんぱつ失敗しっぱい(22かい自責じせきてん24の防御ぼうぎょりつ9.81で最後さいごの3試合しあいいたっては5かい自責じせきてん6、1かい1/3自責じせきてん3、0かい1/3自責じせきてん3失点しってんでノックアウトの敗戦はいせん投手とうしゅ)し、優勝ゆうしょうのが要因よういんになった。このとしシーズン以降いこうおとろえが顕著けんちょになる。

1997ねんシーズンは開幕かいまく直後ちょくご負傷ふしょう降板こうばんし、一軍いちぐん登録とうろく抹消まっしょう。5月に一軍いちぐん復帰ふっきし、シーズンはつ勝利しょうり完封かんぷうかざったがこの1しょうだけにわる。

1998ねんシーズンもぼしばせず、3しょう8はい成績せいせきわった。8月2にち中日ちゅうにちせん広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう)では川上かわかみけんしんから通算つうさん2ごう現役げんえき最後さいご)となるソロ本塁打ほんるいだはなった。

1999ねんシーズンは24試合しあいのうち14試合しあい先発せんぱつとして登板とうばんしたが、5しょう6はいという成績せいせきわった。防御ぼうぎょりつは3てんだい後半こうはんだったが、2試合しあい連続れんぞく完封かんぷう勝利しょうりをするなどこれまでほどの不振ふしんではなかった。

2000ねんシーズンはみぎひじつうもあり、15試合しあい登板とうばんで3しょう3はい5セーブ[9]防御ぼうぎょりつ4.19の成績せいせきだった。シーズンオフの10がつ13にち鶴田つるたやすしとの交換こうかんトレードで子供こどものころからファンだった地元じもと中日ちゅうにち移籍いせきすることが発表はっぴょうされた[9][10]背番号せばんごうは1984ねんから1987ねんまで着用ちゃくようしていた55みずか希望きぼう[11]ふたた着用ちゃくようすることとなった。

中日ちゅうにち時代じだい

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2000ねんのオフシーズンは、志願しがんして若手わかて中心ちゅうしん伊良湖いらこでの秋季しゅうきキャンプに参加さんかした[12]

2001ねんシーズンは、すべ中継なかつぎで21試合しあい登板とうばんし2しょう0はい防御ぼうぎょりつ3.20の成績せいせきのこした。オフの12月5にち年俸ねんぽう5000まんえん(500まんえんげん)で契約けいやく更改こうかい[13]。また、同年どうねんのドラフト会議かいぎで1じゅん指名しめいされた前田まえだ章宏あきひろ高校こうこう後輩こうはい)に背番号せばんごう55をゆずった[14]ため、自身じしん背番号せばんごう17変更へんこうした。

2002ねんシーズンは30試合しあいのうち7試合しあい先発せんぱつとして登板とうばん。4しょう4はい1セーブ[3]防御ぼうぎょりつは2.85と安定あんていかんがあった(30試合しあい以上いじょうげての防御ぼうぎょりつ2てんだいは12ねんぶりである)。オフの12月5にち年俸ねんぽう5500まんえん(500まんえんぞう)で契約けいやく更改こうかい[3]

2003ねんシーズンは、5月8にち阪神はんしんタイガースたたかえナゴヤドーム)でシーズンはつ先発せんぱつ[15][16]打線だせん大量たいりょう得点とくてんめぐまれ[15][16]、5かい3失点しってん自責じせきてん2)で勝利しょうり投手とうしゅになった[15]同月どうげつは4試合しあい先発せんぱつし、打線だせん援護えんごにもめぐまれ3しょうげた[17]。その6がつまつ登録とうろく抹消まっしょうされた[18]ものの、一軍いちぐん復帰ふっき登板とうばんとなった7がつ23にち横浜よこはまベイスターズたたかえ(ナゴヤドーム)では6かい1失点しってん好投こうとうで5しょうげた[19][20]

同年どうねん川上かわかみけんしん朝倉あさくら健太けんたといった先発せんぱつローテーションになっていた投手とうしゅたちが故障こしょう離脱りだつしたというチーム事情じじょうから、おも先発せんぱつ登板とうばん[21]防御ぼうぎょりつ4.91と安定あんていかんいたが、7しょう8はい成績せいせきげた。オフの12月11にち年俸ねんぽう6200まんえん(700まんえんぞう)で契約けいやく更改こうかい[21]

2004ねんシーズンは12試合しあい登板とうばんわり、そのとしのシーズンオフに球団きゅうだんから戦力せんりょくがい通告つうこくけ、その無償むしょうトレード東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルス移籍いせき

楽天らくてん時代じだい

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2005ねんシーズンは創設そうせつ1ねん分配ぶんぱい戦力せんりょく供出きょうしゅつあつまった選手せんしゅ全盛期ぜんせいきぎたベテラン選手せんしゅおおかった。そのためベテランを多用たようせざるをなかったチーム事情じじょうにおいて先発せんぱつ投手とうしゅまかされるが、まれることがおおく、かつての安定あんていかんもどすことはできなかった。登板とうばん8試合しあいで0しょう5はい防御ぼうぎょりつ6.25という不本意ふほんい成績せいせきわった。楽天らくてんどうシーズンオフ、多数たすうのベテラン選手せんしゅしん外国がいこくじん選手せんしゅ戦力せんりょくがい通告つうこくおこなったが、紀藤きとう戦力せんりょくがい通告つうこくけ、現役げんえき引退いんたい満塁まんるい本塁打ほんるいだ記録きろくをもつ中村なかむらつよしからはじめて満塁まんるい本塁打ほんるいだたれた投手とうしゅである(6がつ26にち西武せいぶせん[22]

引退いんたい

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2006ねんシーズンには楽天らくてんぐん投手とうしゅコーチに就任しゅうにん

2007ねんシーズンからは一軍いちぐん投手とうしゅコーチに昇格しょうかくし、2008ねんシーズンまでつとめ、田中たなかすすむだいそだてた[23]。2008ねん楽天らくてん球団きゅうだんはつのチーム防御ぼうぎょりつ3てんだいだった[24]

2009ねん水戸みとにあるパーソナル電電でんでん株式会社かぶしきがいしゃ執行しっこう役員やくいんとなり、市内しない少年しょうねん野球やきゅうチームの監督かんとくつとめた。

2010ねんシーズンはきょうのうブルズ投手とうしゅコーチを1年間ねんかんつとめ、2011ねんシーズンから2013ねんシーズンまで統一とういつセブンイレブン・ライオンズ投手とうしゅコーチをつとめた。

2014ねんからはふたた先述せんじゅつ会社かいしゃもどり、同時どうじ野球やきゅう教室きょうしつ紀藤きとうじゅく」を開校かいこう小学生しょうがくせいから社会しゃかいじんまで幅広はばひろ指導しどう。なお、同社どうしゃにはおなじく楽天らくてんで1年間ねんかんチームメイトだった一場いちじょう靖弘やすひろがいた。2015ねん1がつ30にちには学生がくせい野球やきゅう指導しどう資格しかく回復かいふくさせた[25]

2019ねん1がつに、茨城いばらきけんにある私立しりつ水戸みと啓明ひろあき高等こうとう学校がっこう硬式こうしき野球やきゅう監督かんとく就任しゅうにん[23][26]監督かんとくつとめながら、同校どうこう職員しょくいんとなった[26]

エピソード

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詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
1987 広島ひろしま 18 4 0 0 0 0 3 0 -- .000 208 48.0 50 9 19 1 0 47 1 1 23 19 3.56 1.44
1988 31 10 1 0 0 4 3 0 -- .571 396 93.1 83 9 36 1 3 71 1 0 40 38 3.66 1.28
1989 61 0 0 0 0 4 1 7 -- .800 371 90.2 71 11 27 3 4 89 6 0 28 27 2.68 1.08
1990 36 2 0 0 0 3 1 1 -- .750 263 66.1 47 7 22 2 1 53 1 0 21 19 2.58 1.04
1991 36 2 0 0 0 3 3 0 -- .500 321 75.0 79 8 24 5 4 59 1 0 39 37 4.44 1.37
1992 21 0 0 0 0 0 0 1 -- ---- 123 27.2 28 2 16 2 1 27 1 0 14 14 4.55 1.59
1993 20 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 96 21.0 24 1 10 0 1 26 3 0 10 8 3.43 1.62
1994 30 25 8 1 0 16 5 0 -- .762 758 181.1 178 28 56 1 2 149 5 0 82 80 3.97 1.29
1995 27 25 7 2 1 10 9 1 -- .526 699 169.2 156 20 47 2 3 133 5 0 75 73 3.87 1.20
1996 26 26 6 1 0 12 7 0 -- .632 719 164.1 176 21 56 2 5 114 3 0 85 78 4.27 1.41
1997 17 8 1 1 0 1 5 0 -- .167 225 49.1 63 11 20 2 2 38 0 0 33 31 5.66 1.68
1998 18 17 1 1 0 3 8 0 -- .273 414 94.2 110 16 30 1 1 64 1 1 56 53 5.04 1.48
1999 24 14 4 2 1 5 6 0 -- .455 415 100.0 95 12 21 2 6 79 4 0 45 44 3.96 1.16
2000 15 4 0 0 0 3 3 5 -- .500 145 34.1 38 4 11 1 1 29 0 0 17 16 4.19 1.43
2001 中日ちゅうにち 21 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 104 25.1 24 4 5 0 0 28 2 0 9 9 3.20 1.14
2002 30 7 0 0 0 4 4 1 -- .500 301 72.2 76 6 12 1 2 53 1 0 24 23 2.85 1.21
2003 23 17 0 0 0 7 8 0 -- .467 381 88.0 97 20 21 0 5 57 0 0 54 48 4.91 1.34
2004 12 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 89 18.2 28 5 8 0 1 10 0 0 17 17 8.20 1.93
2005 楽天らくてん 8 8 0 0 0 0 5 0 0 .000 168 36.0 49 9 10 0 2 20 1 0 28 25 6.25 1.64
通算つうさん:19ねん 474 170 28 8 2 78 73 16 0 .517 6196 1456.1 1472 203 451 26 44 1146 36 2 700 659 4.07 1.32
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

タイトル

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  • 最高さいこう勝率しょうりつ :1かい (1994ねん) ※ (当時とうじ連盟れんめい表彰ひょうしょうなし)。セントラル・リーグでは、1972ねんまでと2013ねん以降いこう表彰ひょうしょう

表彰ひょうしょう

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記録きろく

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はつ記録きろく
  • はつ登板とうばん:1987ねん5がつ28にちたいヤクルトスワローズ7回戦かいせん広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう)、8かいひょうに5番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん完了かんりょう、2かい失点しってん
  • はつだつ三振さんしん同上どうじょう、8かいひょう八重樫やえがし幸雄ゆきおから
  • はつ先発せんぱつ:1987ねん10がつ4にちたい中日ちゅうにちドラゴンズ25回戦かいせん広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう)、6かい2/3を2失点しってん自責じせきてん1)で敗戦はいせん投手とうしゅ
  • はつ勝利しょうりはつ先発せんぱつ勝利しょうり:1988ねん4がつ27にちたい中日ちゅうにちドラゴンズ2回戦かいせん広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう)、7かい3失点しってん
  • はつ完投かんとう勝利しょうり:1988ねん10がつ12にちたい横浜よこはま大洋たいようホエールズ25回戦かいせん広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう)、9かい1失点しってん
  • はつセーブ:1989ねん4がつ15にちたい読売よみうりジャイアンツ1回戦かいせん東京とうきょうドーム)、8かいうらに2番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん完了かんりょう、2かい失点しってん
  • はつ完封かんぷう勝利しょうり:1994ねん9がつ4にちたいヤクルトスワローズ23回戦かいせん広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう
節目ふしめ記録きろく
  • 1000投球とうきゅうかい:1998ねん4がつ17にちたいヤクルトスワローズ1回戦かいせん福岡ふくおかドーム)、2かいうら3死目しにめ度会わたらい博文ひろぶみ三直みのう達成たっせい ※史上しじょう275にん 
  • 1000だつ三振さんしん:2001ねん9がつ16にちたい読売よみうりジャイアンツ28回戦かいせんナゴヤドーム)、7かいひょう清原きよはら和博かずひろから ※史上しじょう106にん
その記録きろく

背番号せばんごう

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  • 55 (1984ねん - 1987ねん、2001ねん
  • 12 (1988ねん
  • 11 (1989ねん - 2000ねん
  • 17 (2002ねん - 2004ねん
  • 30 (2005ねん
  • 71 (2006ねん - 2008ねん
  • 91 (2010ねん - 2013ねん

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ 中日ちゅうにちドラゴンズ 2001ファンブック』中日ちゅうにちドラゴンズ(発行はっこう)・中日新聞ちゅうにちしんぶん本社ほんしゃ発売はつばい)〈中日ちゅうにちドラゴンズファンブック〉、2001ねん3がつ9にち、24ぺーじISBN 978-4806204251 
  2. ^ 「1983ねん開幕かいまくワイド特集とくしゅう 開幕かいまく直前ちょくぜん このおとこたちのゆめ現実げんじつ不安ふあん 工藤くどうこうかん西武せいぶ不安ふあんせない強心きょうしん臓男の現代げんだいてき開幕かいまくむかかた」『週刊しゅうかんベースボールだい38かんだい17ごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、1983ねん4がつ18にち、33-34ぺーじ (※1983ねん4がつ18にちごう通巻つうかんだい1398ごう
  3. ^ a b c 紀藤きとう 10%アップ5500まんえん契約けいやく更改こうかい”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2002ねん12月6にち). 2004ねん12月9にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c プロ野球やきゅう人名じんめい事典じてん 2003(2003ねん日外にちがいアソシエーツ)、187ページ
  5. ^ 紀藤きとう 150キロ復活ふっかつあせ 休日きゅうじつ返上へんじょうでランニング”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2001ねん1がつ21にち). 2002ねん12月22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  6. ^ 1991年度ねんど日本にっぽんシリーズ 試合しあい結果けっかだい1せん”. NPB.jp 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう. 2022ねん1がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  7. ^ 1991年度ねんど日本にっぽんシリーズ 試合しあい結果けっかだい6せん”. NPB.jp 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう. 2022ねん1がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  8. ^ もと広島ひろしま紀藤きとうゴジラとの対戦たいせん逸話いつわ監督かんとく就任しゅうにんこう講演こうえん」『日刊にっかんスポーツ日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ、2018ねん11月24にちオリジナルの2019ねん12月4にち時点じてんにおけるアーカイブ。2019ねん12月4にち閲覧えつらん
  9. ^ a b 広島ひろしまから紀藤きとう獲得かくとく トレードだい1だん 鶴田つるたと1たい1”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2000ねん10がつ14にち). 2001ねん1がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ25にち閲覧えつらん
  10. ^ 星野ほしの監督かんとく だい補強ほきょう宣言せんげん オーナー報告ほうこく続投ぞくとう要請ようせいされ、受諾じゅだく”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2000ねん10がつ14にち). 2000ねん10がつ28にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ25にち閲覧えつらん
  11. ^ 紀藤きとう55 中日ちゅうにちでゴー むかし背番号せばんごう復活ふっかつします”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2000ねん10がつ15にち). 2001ねん1がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  12. ^ 紀藤きとう 志願しがん参加さんか 伊良湖いらこキャンプへ”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2000ねん10がつ30にち). 2001ねん1がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ25にち閲覧えつらん
  13. ^ 紀藤きとう、500まんえんげん、5000まんえん一発いっぱつサイン 前田まえだあきらきたえる”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2001ねん12月6にち). 2002ねん12月9にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  14. ^ 田上たうえばん9 開幕かいまくマスク宣言せんげん”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2001ねん12月16にち). 2002ねん9がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  15. ^ a b c 紀藤きとう今季こんきはつ先発せんぱつ1しょう ローテの谷間たにまにキラリ”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2003ねん5がつ9にち). 2004ねん12がつ10日とおか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ25にち閲覧えつらん
  16. ^ a b りゅうとら連勝れんしょう ババーンと5はつ”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2003ねん5がつ9にち). 2004ねん12がつ10日とおか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ25にち閲覧えつらん
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