聖 福 寺 (福岡 市 )
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6290005000325 | |
歴史
[1946
伽藍
[総門 -四 脚 門 、切妻 造本 瓦葺 。足利 紫山 [注釈 1]書 の「安國 山 」の扁額 が掛 かる。寺 伝 によると、名島 城 にあった門 を移築 したと伝 わる[8]。勅使 門 -切妻 造本 瓦葺 。門扉 に十 六 弁 菊花 紋章 がある。文政 10丁 亥年 (1827年 )修築 の棟 札 がある[9]。無 染 池 -勅使 門 と山門 の間 にある放生 池 。池 の形状 が瓢箪 形 のため「瓢 池 」とも呼 ばれている。2010年 (平成 22年 )に造園 ・作 庭 家 の北山 安夫 により大幅 に改修 された[10]。山門 -江戸 初期 に櫻井 神社 の観音堂 を移築 、その後 、慶応 2年 (1866年 )に焼失 。1911年 (明治 44年 )に再建 。上層 に龍 の天井 絵 、千手観音 、十六羅漢 像 が安置 されている[11]。 -鐘楼 -天正 17年 (1589年 )建立 。のち宝 暦 9年 (1759)改築 。重要 文化財 の銅 鐘 (朝鮮 鐘 )が1976年 (昭和 51年 )まで掛 かっていた[12]。仏殿 -天正 17年 (1587)年 に再建 され、2012年 (平成 24年 )9月 8日 に2年 余 りを掛 け増 改築 を行 い落慶 法要 し、丈六 三 世 仏 の過去 仏 「阿弥陀如来 」、現世 仏 「釈迦如来 」、未来 仏 「弥勒 如来 」を新 たに造立 し安置 [13]。方丈 -慶長 6年 (1601年 )福岡 藩 初代 藩主 ・黒田 長政 により、肥前 名護屋 城 より移築 。長政 修理 の棟 札 が残 る。その後 、雨漏 りなどの傷 みがひどく、棟 が崩落 し、弘 化 2年 (1845年 )大 改修 。1930年 (昭和 5年 )、1987年 (昭和 62年 )にも改修 が行 われた[14]。庫裏 -天正 17年 (1589年 )に建立 され第 120代 住職 (寛 保 2年 (1742年 )~寛延 3年 (1750年 )在任 )鶴 州 禅 壽 が改築 、のち1909年 (明治 42年 )改築 。1968年 (昭和 43年 )に大 改築 [15]。禅堂 -享 和 2年 (1802年 )第 123代 住職 ・僊厓(ぜんがい)が塔頭 ・継 光 院 から移築 。前門 に僊厓筆 の「樹下 之 居 」扁額 、後 門 にも同 「後 門 規定 」扁額 が掛 かる。本尊 は、2002年 (平成 14年 )造立 の文殊 菩薩 。内部 は2007年 (平成 19年 )に全面 改修 [16]。経蔵 -天和 2年 (1682年 )に建立 され、一切 蔵 経 が収 められている。「龍宮 海 咸」の扁額 が掛 かる[17]。経蔵 及 び輪 蔵 は、福岡 県 の有形 民俗 文化財 。開山 堂 -塔頭 ・護 聖 院 にあり、開山 の栄西 禅師 の座像 が安置 する。第 123代 住職 僊厓筆 の「興 禅 護 聖 禅 院 」の扁額 が掛 かる[17]。墓域 -大村 雅朗 [18]、第 32代 内閣 総理 大臣 ・広田 弘毅 [19]、緒方 竹虎 、玄 洋 社 初代 社長 の平岡 浩太郎 [20]の墓 、小早川 隆景 供養 塔 がある[21]。
塔頭 寺院
[鎮守 社
[八幡 社 白山 社 稲荷 社
文化財
[国 指定
[史跡
[聖 福 寺 境内 -指定 年月日 :1969年 (昭和 44年 )11月7日 。指定 基準 :社寺 の跡 または旧 境内 その他 祭祀 信仰 に関 する遺跡 [23]。
重要 文化財
[絹本 著 色 大鑑 禅師 像 -指定 年月日 :1912年 (大正 元年 )9月 3日 。慶 元 戊 午 華 蔵 宗演 の題 記 あり。1198年 作 [24]。絹本 著 色 高峰 断崖 中峰 和尚 像 -指定 年月日 :1912年 (大正 元年 )9月 3日 。比丘 文康 の賛 あり。元 時代 の作 [25]。銅 鐘 -指定 年月日 :1906年 (明治 39年 )4月 14日 。朝鮮 鐘 、高麗 時代 作 。天正 十 七 年 小早川 隆景 寄進 の後 銘 あり[26]。有 柄 細型 銅剣 1口 ・内 行 花 文 鏡 1面 -指定 年月日 :1952年 (昭和 27年 )3月 29日 。糸島 郡 怡土村 大字 三 雲 (現 ・糸島 市 (元 ・前原 市 )三 雲 )出土 [27][28]。
福岡 県 指定
[有形 文化財
[梵鐘 -指定 年月日 :1958年 (昭和 33年 )10月 29日 [29]。銅 製 雲 版 -指定 年月日 :1958年 (昭和 33年 )10月 29日 [29]。仙 厓関係 資料 15点 -指定 年月日 :1991年 (平成 3年 )11月15日 [30]。輪 蔵 附 経蔵 -指定 年月日 :1963年 (昭和 38年 )1月 16日 [31]。
福岡 市 指定
[有形 文化財
[木造 十 六 羅漢 像 16躯 附 石膏 型 -指定 年月日 :2001年 (平成 13年 )3月 12日 [32]。聖 福 寺 古 図 -指定 年月日 :2004年 (平成 16年 )3月 11日 [35]。形態 :紙 本 著 色 巻子 装 。第 一 紙 、第 二 紙 、第 三 紙 、奥書 の4構成 である[36]。中世 の博多 を描 いた絵図 として「博多 古 図 」と称 するものが多数 伝 存 するが、それらは江戸 時代 に描 かれた復元 図 ・回想 図 である。本 古 図 はそれら「復元 図 ・回想 図 」とは異 なり、堀 ・蓮池 ・土塀 と複数 の門 に囲 まれた聖 福 寺 境内 の寺内 町 、諸 堂 、立 ち並 ぶ町家 など、中世 の博多 の町 を、その当時 に描写 したものであり、聖 福 寺 ・承 天 寺 ・寺内 町 ・蓮池 ・堀 の景観 はもとより、海岸 部 の石 塁 、大鋸 を使 う職人 など、中世 博多 の寺院 や町 研究 、また職人 史 研究 の貴重 かつ稀有 な絵画 史料 である[36]。聖 福 寺 古 図 は、図 紙 本 著 色 で一 巻 に成 巻 され、絵図 (三 紙 )と奥書 (一 紙 )からなるが、第 二 紙 と第 三 紙 の間 に脱落 あり、再 画 された部分 もある。九州大学 九州 文化 史 研究所 が戦前 に写 した写本 があるが、配列 が若干 異 なり、かつて現状 と異 なる貼 り継 ぎ方 であったといえる。『筑前 國 中 神佛 寳 物 紀 』(延 享 四 年 (1747年 )に「聖 福 寺 之 繪図 三 枚 」とあるが、本 古 図 に関 わる記録 と考 えられ、岡倉 天心 は1912年 (明治 45年 )の旅行 日誌 に「聖 福 寺 古地 図 一 巻 永 禄 一 」と記 している[36]。奥書 に記 されている永 禄 午 は永 禄 13年 (元 亀 元年 (1570年 ))のこと。奥書 を書 したのは、聖 福 寺 を二 回 再興 したことで知 られる聖 福 寺 第 百 十 世 住職 ・耳 峰 玄 熊 である。永 禄 5年 (1562年 )11月 ごろ、宝 満 城 督 ・高橋 鑑 種 は毛利 に内通 し、主君 の大友 宗麟 に対 して反乱 を起 こした。博多 もその影響 を受 け、戦乱 に巻 き込 まれ、聖 福 寺 も戦火 で焼失 。大友 ・毛利 の立花 城 をめぐる攻防 戦 は熾烈 を極 めたが、永 禄 12年 (1569年 )に大友 の勝利 で戦 が終結 し、北部 九州 に一時 の平穏 が訪 れた。永 禄 11年 (1568年 )5月 に聖 福 寺 住職 となった耳 峰 玄 熊 は、永 禄 13年 (元 亀 元年 ・1570年 )以降 、様々 な再興 に取 り組 んでいる。当古 図 ・奥書 によると、「聖 福 寺 古 図 」は永 禄 6年 (1563年 )の戦乱 で過半 が紛失 したが、玄 熊 が残余 を拾 い集 め修復 したと記 されている。このことは、永 禄 13年 (1570年 )3月 26日 の日付 がある「栄西 言上 状 極書 」の内容 と酷似 している。 また、奥書 より「聖 福 寺 古 図 」の成立 年代 は、永 禄 6年 (1563年 )以前 ということが分 かるが、成立 時期 がいつなのかは不明 である[36]。古 図 は聖 福 寺 を中心 に、その周囲 の塔頭 や境内 にあった寺内 町 (関内 と称 する)が描 かれているが、聖 福 寺 に関 しては、見取 り図 のみが描 かれ景観 は描 かれていない。そのため造営 中 に描 かれた絵図 との説 もある。古 図 に描 かれている三門 ・仏殿 ・法 堂 ・方丈 と並 ぶ諸 堂 の基本 的 な配置 は現在 と同 じで、聖 福 寺 の右手 には承 天 寺 が描 かれ、両 寺 の背後 には堀 がめぐり、寺内 町 左側 の蓮池 へと続 き、蓮池 の左側 は途中 で切 れ脱落 がある。承 天 寺 の背後 に松林 があるが、箱崎 松原 へと続 く松原 であると考 えられている。蓮池 左側 の第 三 紙 には、博多 の海岸 部 が描 かれ、松原 の左 に見 える石 塁 は海岸 部 にあることから、13世紀 後半 に築 かれた元 寇防塁 であると考 えられている。石 塁 の外側 では、大工 達 が大鋸 や手斧 で木 を加工 しているが、船大工 と考 えられている。描法は大和絵 を踏襲 し、一 画面 多 視点 の描画 であり、絵画 の観点 からも成立 年 は戦国 期 から室町 期 まで溯 りうると考 えられる[36]。
安 山 借 屋 牒 -指定 年月日 :2004年 (平成 16年 )3月 11日 [37]。形態 :冊子 ・楮 紙 ・袋綴 。墨付 丁数 :32丁 [38]。安 山 借 屋 牒は、安国 山 聖 福 寺 の境内 に形成 された寺内 町 の課税 台帳 である。「聖 福 寺 古 図 」からも、中世 博多 の聖 福 寺 境内 に寺内 町 ・門前 町 が形成 されていたことが分 かるが、その実態 を本 文書 によって具体 的 に知 ることができる。寺内 町 を「関内 」と称 したことも博多 独特 の用語 であるいわれ、記載 された町名 9町 のうち、中小路 、普 賢堂 、魚 之 町 は近世 にも引 き継 がれた町名 だが、近世 期 には消滅 した中世 博多 の地名 を知 ることができる。また、追記 や貼 り紙 によって「百姓 」と呼 ばれた博多 住人 の変動 、商 工業 者 の成長 、および、その信仰 や習俗 をも窺 うことができる。特 に聖 福 寺 の寺院 経済 、町家 の規模 と住人 、博多 住民 にかかる諸税 が、この史料 から明確 になる。さらに「聖 福 寺 古 図 」や様々 な発掘 データと照合 することで聖 福 寺 寺内 町 復元 のための貴重 な基礎 史料 となっている。聖 福 寺 境内 は当初 、方八 町 (八 町 四方 )であったが、のちに豊臣 秀吉 により方 四 町 (四町 四方 )に縮小 されたが、本 資料 はそれ以前 の中世 博多 の都市 の実態 を示 す史料 である[38]。天文 十 二 年 (1543年 )の年紀 があり、奥書 に「聖 福 寺 第 百 五世住持湖心碩鼎」と「第 百 七世住持前住惟新元命」の名 がある。湖心 碩 鼎 は、第 18次 遣 明 船 の正使 として入明 したことで知 られている。また奥書 に、追 筆 で「此帳、永 禄 乱 雖失之 、予 住山 之 後 、返 璧也、元 亀 三 年 十 月 吉日 、玄 熊 (花押 )」と記 されている。追 筆 にある玄 熊 は、前述 した聖 福 寺 第 110耳 峰 玄 熊 である。奥書 にある元 亀 三 年 (1572年 )の玄 熊 の追 筆 により、永 禄 6年 (1563年 )の兵乱 により散逸 したものを、玄 熊 が「返 璧」(回収 ・回復 )したことが分 かる。この安 山 借 屋 牒の戦乱 による散逸 、玄 熊 の手 による回収 、修復 の経緯 も前述 した「聖 福 寺 古 図 」と同様 である[38]。- なお、「
筑前 国 続 風土記 附録 」、「筑前 国 続 風土記 拾遺 」にも「借 屋 帳 」が什物 の一 つとしてあげられている。 安 山 借 屋 牒は、天文 12年 (1543年 )当時 の聖 福 寺 寺内 町 (関内 と書 かれている)の有様 が記 されている借家 ・借地 人 の名 と間 数 と地 料 、夫 銭 を記 した借家 ・借地 料 徴収 台帳 である。中小 路 ・普 賢堂 ・窪 小路 ・外 窪 小路 ・鰭 板 ・魚 之 町 ・魚 之 町 店屋 ・中屋敷 ・毘沙門堂 前 ・門前 新屋敷 など、町 ごとにまとめられ、借家 一 軒 ごとに、間口 ・借家 人 ・地 料 ・大山口 夫 ・小 山口 夫 ・小夫 銭 ・銭 の合計 が記 されている。ほとんどの借家 が間口 一 間 前後 であり、当時 の屋敷 の規模 が推定 でき、大山口 夫 ・小 山口 夫 などの課 役 が記 され、当 寺 の博多 にどのような税 が掛 けられていたかが克明 に記 されている。記載 された住人 の数 は290余 名 を数 え、ほとんどが仮名 で名前 のみが記 され、「百姓 」と呼 ばれているが、中 には例外 的 に職業 を記 した箇所 があり、それらから当時 の聖 福 寺 寺内 町 に、織 屋 ・紺屋 ・あめ屋 ・酒屋 ・桶 大工 などの商工 業者 が住 んでいたことがわかる。また、天文 12年 (1543年 )以降 、玄 熊 時代 までの30年間 における借家 人 の変更 を貼 り紙 で示 すとともに、所々 の追記 内容 から町 の発展 、博多 住民 の成長 を窺 うことができる[38]。- なお、1962
年 (昭和 37年 )に九州 史料 集 刊行 会 より九州 史料 叢書 の一 冊 として翻刻 が行 われている。
絹本 著 色 源 頼朝 像 附 立花 増 弘 筆 奉 命 贈 聖 福 寺 丹 岩 和尚 書 一 幅 -指定 年月日 :2014年 (平成 26年 )3月 17日 [39]。形態 :絹本 著 色 掛 幅 装 二 重 の桐 箱 に収 められている[39]。絹本 著 色 源 頼朝 像 は狩野 昌 運 により元禄 11年 (1698年 )に描 かれた絵画 で、掛 幅 に表装 され二 重 の桐 箱 に収 められている。法量 は縦 148.4cm、横 111.3cmである。像 容 は衣冠 東 帯 を着用 した成年 男性 が、左前 を向 いて笏 を持 ち太刀 を腰 に帯 び上 畳 に座 する姿 を、おおよそ等身 大 に描 かれている。本 像 の製作 と当 寺 への伝来 の経緯 は、附 の立花 増 弘 筆 奉 命 贈 聖 福 寺 丹 岩 和尚 書 や旧 軸木 墨書 銘 、その他 の関連 史料 より明 らかとなっている。源 頼朝 五 百 年 遠忌 の元禄 11年 (1698年 )1月 13日 に当 たり、聖 福 寺 当住 (百 十 六 世 )の丹 巌 義 誠 和尚 は、源 頼朝 を開基 大壇 越 と仰 いでいたため、遠忌 法要 を企図 したが、当時 の聖 福 寺 には、源 頼朝 を礼拝 の対象 とするような尊像 が存在 しなかった為 、前 ・福岡 藩主 黒田 光之 が絵師 ・狩野 昌 運 に命 じ、山城 国 ・高 雄山 神護 寺 所蔵 の頼朝 像 を模 すことで本 像 を製作 させ、前 ・家老 の立花 増 弘 を介 し聖 福 寺 に寄贈 したものである[39]。附 文書 一 幅 は、紙 本 墨書 で掛 幅 に表装 され、法量 は縦 51.3センチメートル、横 37.9センチメートルで、巻 留 に「頼朝 公 眞 像 寄附 書状 聖 福 寺 什寶 」と墨書 がある。桐 箱 に収 められ、箱 には蓋 の表 には「頼朝 公 畫像 寄附 書状 立花 増 弘 書 」、蓋 の裏 には「昭和 三 十 九甲辰歳七月箱新添安 國山 聖 福 寺 現住 戒應代 」と墨書 銘 がある。本 文書 は頼朝 像 の製作 と当 寺 への寄贈 の経緯 を明確 に示 す史料 である[39]。
所在地
[交通 アクセス
[脚注
[注釈
出典
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聖 福 寺 境内 /文化 遺産 オンライン”.文化庁 . 2021年 9月 25日 閲覧 。 - ^ a b c d e f g “
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第 110代耳 峰 玄 熊 /歴代 住職 ”.安国 山 聖 福 寺 公式 . 2021年 9月 25日 閲覧 。 - ^
森 まゆみ「羽仁 もと子 とその時代 三 十 一 引揚援護 活動 」〔『婦人 之 友 』2023年 7月 号 、124-127頁 〕。なお、森 は『婦人 之 友 』掲載 記事 の他 に上 坪 隆 『水子 の譜 (うた)―ドキュメント引揚孤児 と女 たち』を参考 にしている。 - ^ “
総門 ”.安国 山 聖 福 寺 公式 . 2021年 9月 24日 閲覧 。 - ^ “
勅使 門 ”.安国 山 聖 福 寺 公式 . 2021年 9月 24日 閲覧 。 - ^ “
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関連 項目
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